目の前に紅蓮が迸る。
竹原が撒いたものは灯油。そして竹原が落としたものは火の付いたままのジッポライター。そこまでわかれば結果は明らかである。
「ぐっ!」
「あはははははは!! 全部焼けろ!! 焼け死んでしまえ!!」
炎の向こうで、狂ったように……いや、狂った竹原が嘲笑する。その目に光はなく、ただただ炎を見つめて狂笑している。佳史はそれを憎々しげに見ると、すぐさま出口とは逆に……放送室へと駆けていく。
まだ、優子は目覚めていない。
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「雄二! 見つかった!?」
「こっちはダメだ! くそっ……どこ行きやがったあの野郎!」
「そういうのは後! 早くムッツリーニ達と合流するよ!」
佳史捜索から一転、鉄人捜索に出ていた二人は、結局鉄人を見つけられないまま住宅街を走っていた。
何故佳史捜索を切り上げていたかと言えば理由は簡単、店長の放った一言である。
『佳史君? ああ、さっき見たわよ。でも、あっちには潰れた小学校しかなかったはずなんだけど……』
その言葉に明久を除く全員が状況を理解し、雄二と明久で鉄人捜索、残りのメンバーで廃校に向かったのだ。それから十数分、鉄人を探していた二人だったが、出てきたのはチャラついた不良が数人だけ。肝心の鉄人はどこにもいなかったのだ。
「ああクソ!! 本当に何やってんだ俺は!!」
「キレてる元気があるなら走るよ!! 」
「言われなくてもわかってる!! 遅れんじゃねぇぞ明久!!」
そう言いながら、二人は全力で廃校へと走って行く。ただ、友達を助けるために。
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「……げほっ。煙が……げほっ、酷いな……」
明久達が廃校へ向かったのとほぼ同時刻、佳史は優子を横抱きに抱えながらゆっくりと、だが急いで階段を下りていた。
何故ゆっくりなのか。それには理由が二つある。一つは、佳史は諸事情により肺が弱いこと。そして二つ目は、上の階に優子が眠らされていた放送室があったことである。
火事による災害現場で最も危険なものは炎ではなく煙である。火事の被害での死者は怪我や建物の倒壊よりも煙を吸いすぎたことによる意識混濁、または意識を失っての逃げ遅れが圧倒的に多いのだ。
そして今、佳史は優子の口元に優子が持っていたハンカチをネクタイで固定して煙を吸わせないようにしている。あいにく、彼はハンカチを携帯しない人だったために自分の口元に巻き付けるものはなかったのだ。
肺が弱い佳史は、常人より多く煙に体力を奪われてしまう。そのため、佳史は体力の消耗をできる限り少なくするためにゆっくりと移動するしかなかったのだ。激しい動きは、それだけ呼吸数も増えてしまうのだから。
「う、ゲホッ、ゲホッ!?」
それでも、煙は容赦なく佳史の体力を奪っていく。佳史が炎を抜ける度、崩れてきそうな柱を避けて進む度、佳史の目は霞みそうになる。
「(後……少し……!)」
それでも、佳史は優子を決して離さず、前へと進む。そして、後少しで出口、後十歩もあればたどり着くというところまでたどり着く。
「(もう少し……あそこにたどり着けば……!?)」
だが、現実は彼を許さなかった。足を踏み出した瞬間、佳史の胸に激痛が走る。
呼吸が出来なくなり、足がもつれてその場に倒れてしまう。
ーー肺気胸。佳史の肺が弱い原因であり、とある事情から佳史が患ってしまった再発性のある持病。それが、この土壇場で再発してしまった。
「(ああ……くそ……もうすこし……だったのに……)」
そんなことを思い、自分の前にいる眠ったままの優子を見ながら、佳史はゆっくりと意識を手放す。
その直前、何かの音が聞こえた気がした。
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「…………」
目を覚ますと、白い天井だった。
見知らぬどころか、これ以上なくよく知っている天井……病院の天井。どうやら俺は生きているらしい。
ゆっくりと体を起こす。白一色の景色の中に、申し訳程度に置かれているテレビと棚。反対側には外を映す窓。……間違いない、俺がよく運ばれていた病院の病室だ。
深く息を吸い、吐き出す。まだ少し痛みは残っているが、喋れる。問題はない。
「失礼するぞ……と、ようやく起きたか」
そこまで終わると、病室のドアが開き、浅黒い肌の巨漢……鉄人が中に入って来て、落ち着いてナースコールで俺が目覚めたことを伝える。どうやらこの病院はこの数年の間にナースコールに通話機能を取り付けたようだ。
「……竹原は?」
「再逮捕された。今度は有無を言わさず執行猶予なしの投獄と聞いた。刑期から見て、もう二度と出てくることもないだろう。精神に異常も見られたようだしな」
「そうか……」
返事はするが、正直あの狂人にはもう興味も関心もない。ただ、死んだのか捕まったのか、その区別を付けたかっただけだ。最悪、唯の周りをどうにかしなければならなかったから。
俺にとって重要なのは次だ。
「ゆ……木下は?」
そう、優子のことだ。
結局、何だかんだ俺はアイツを大事に思っていたのだろう。携帯を見て、気付けば足が動いていたのだから。
俺は唯だけが俺の世界だと思っていた。だが、それはあの時に間違いだと教えられた。それでも、俺は唯以外は切り捨てられると考えていた。だが違った。違ったんだ。
大切な
「無事だ。お前と違って一昨日には学園にも通えている。お前は三日も眠っていたからな」
鉄人の言葉を聞いて、一息つく。……良かった。
「質問は終わりか?」
「はい」
「そうか……」
瞬間、俺の頭に激痛が走り、一瞬目の前が真っ暗になる。それが鉄人の拳骨だと気付くのに数秒かかった。
「ーー!? いってぇ……!?」
「この馬鹿が!! 何故一人で勝手に行動した!! 動くにしても俺達教師に何故一言も相談しなかった!?」
病院ということを考えてか、普段より抑え目の声で怒る鉄人。その目には言葉通りの怒りと、何故か悔しさが見てとれた。
「お前の過去は学園長から聞いて知っている。思春期特有のものでなく、真の意味で大人に信用を置かないこともな」
あのババア……勝手に人の過去を……
と、少しばかり思考をずらすが、鉄人はそれを知ってか知らずか話を続ける。
「……確かに、今回の竹原のように大人には腐った者もいる。だが、そんな者ばかりではない。家族や子供を第一に考える者もいる。社会に役立ちたいと一生懸命な者もいる。だから……大人を信用しろとは言わん。大人に甘えろとは言わん。せめて、大人の全てが腐っているとは思わんでくれ」
それだけを言うと、鉄人は病室を出ていった。恐らく、今の俺にはそれが限界だと思われたのだろう。
……正直、大人は今でも嫌いだ。俺と唯を置いて蒸発した奴らを始め、竹原など、腐った者が多すぎる。だが、ババアや鉄人のような奴もいる。
「……本当、訳がわからなくなるな」
そんな独り言を吐き出して窓の外を見つめていると、再びドアが開く。医者が来たのかとそちらを振り向くと、そこにいたのは見馴れた制服を着た優子だった。
「…………」
「…………座るか?」
何故かドアを開けて一度こちらを見たまま、うつむいて動かない優子に声をかけると、優子はコクンと頷いて先程鉄人が座っていたイスに座る。
「…………」
「…………」
そこからは特に会話もなく、数分ほど無言の空間が出来たのだが、いい加減居づらいため、テレビをつけて音を出す。丁度都合よく歌番組が流れていた。
そして再び優子に目を戻すと、うつむいた顔から、涙が流れていた。
「ゆ、木下……?」
ここまで来て木下と呼んでいるのは単なる俺の意地だ。
「ごめんなさい……アタシが、私がさらわれなかったら……アタシ、佳史が目を覚まさないから……唯ちゃんも泣かせちゃって……佳史が死んだら、どうしようって……!!」
恐らく、感情に整理が付けられないのだろう。支離滅裂なことをただ連続させる優子。だが、目からは変わらず涙が途切れずにあふれだしてしまっている。
……コイツをここまで追い込んだのは、追い込んでしまったのは紛れもなく俺なのだ。つまらない喧嘩に、つまらない意地を張って、コイツの人生を滅茶苦茶にしかけてしまったのだ。
その償いは、しなくてはならないのだろう。
「気にするな」
「え……?」
俺が優子の頭に手を置くと、優子はゆっくりと顔を上げる。その目元には濃いクマが出来ていた。
「過ぎたことだ。今更グダグダ言っても何にもならねぇ。俺もお前も無事だった。それで十分だ」
「でも……!」
「どうしてもと言うなら……そうだな。しばらく、唯の面倒を見てやっててくれ。当分夜は一人でいたがらないだろうからな」
「……うん」
半分無理矢理だが、優子を納得させる。だが、まだ優子の顔は晴れない。
……仕方ない。意地を張るのも終わりにするか。
「……それに、こんな時に言うのはごめんなさいじゃねぇ、だろ? 『優子』」
「!!」
俺の言葉に驚いた表情をする優子。そして、制服の袖で勢いよく涙を拭うと
「……うん。ありがと」
そう潤んだ目で微笑む優子の顔を、俺は何故か直視することができなかった。
その後、ニヤニヤしながら入って来た医者に罵詈雑言を浴びせたのは別のお話し。
「おかえりなさい、あ・な・た。アタシにする? アタシにする? それともア・タ・シ?」
「帰れ」
「やん♪ そんな全部なんて……。優しくしてね?」
「………………」
「ああ、駄目よそんな強引に……ってあれ? そっちベランダしかないわよ、って」
きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……
そして、戻ってきたのは、よりパワーアップした
これで四巻は終了です