やはり俺が闇鴉なのは間違っている   作:HYUGA

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 こんにちわ。本当にすごく、すごくおひさしぶりです。

 こんなシリーズ忘れてるって人が大半だとは思いますが、改めて投稿させていただきます。今回は季節ものの話を一つ。
 元ネタは、東京レイヴンズ4巻「アマガエルの日」。一応前後編を予定しています。

 それでは、幕間第壱話「ヒキガエルの日」どうぞ(#^.^#)




幕間の物語
第壱話 ヒキガエルの日 前編


 

 ―― 2012年6月某日、東京・陰陽塾 ――

 

 

 梅雨。それは毎年日本に訪れる憂鬱な時期だ。主な被害は、洗濯物が乾かない。湿度が高くじめじめする。服がぬれる。髪がうまく纏まらない、本が捲り難いなど多岐にわたり。

 

 そして、カエルがよく鳴く季節だ。

 

 

 「やっはろー、ゆきのん!」

 「……うーっす」

 「こんにちわ、由比ヶ浜さん、比企……谷くん?」

 

 

 放課後の陰陽塾、奉仕部。

 今日も一番乗りは雪ノ下だった。彼女はいつも通り窓際の自身の指定席に座り、外はあいにくの雨であるが、その鬱屈した天気すら気にもせず、優雅な所動で文庫本を読んでいた。

 だが、俺と由比ヶ浜が部屋に入った瞬間、彼女の文庫本のページを捲る手が止まった。

 その目には、三割の驚きと二割呆れ、そして五割の「こいつ何やってんの?」という疑問が見て取れる。そして、次の瞬間には、その目はそっと細められた。

 

 

 「……ごめんなさい。ここは関係者以外は立ち入り禁止なので、可及的すみやかに退出していただけないかしら?」

 「……気持ちはわからんでもないが、頼む。話だけでも聞いてくれ……“動くな”」

 

 

 問答無用の退去勧告だった。

 隣で聞いていた由比ヶ浜が「あはは」と苦笑する。

 その彼女の視線も、そして、目の前にいる氷の女王こと、雪ノ下の目線もまた、俺の頭上にへと向けられていた。

 その視線の意味が分かるからこそ、俺は溜息を吐く。

 なんという為体(ていたらく)だ。俺は、自身の今の姿がすごく情けなかった。

 

 

 「ねぇ、比企谷くん。いえ、ヒキガエルくん。いくら自分のお仲間を見つけたからといって、ここにまで連れてこないでくれないかしら? あなた、通報されたいの?」

 「ちげーよ。あとヒキガエルって言うな……“動くな”」

 

 

 それと通報するのはお前じゃねーのかよ? 中の人的に。

 雪ノ下は読んでいた文庫本にしおりを挟んで閉じる。

 

 

 「…まぁ、冗談はさておき……。比企谷くん、ホントにまったく状況が分からないのだけど。……あなた、いったいどうしたの? 頭の“それ”は、なに?」

 「……これには海よりも深く、山よりも高い理由があってだな」

 「……」

 「分かった、言う、言うから、だから無言で携帯を取り出すな、怖えーよ……“動くな”」

 「はじめから素直にそうしなさい」

 

 

 俺は頭の上にいる“それ”に手を伸ばす。“それ”は俊敏な動きで俺の手を避け、俺の右肩に降り立った。その位置になると、俺も“それ”を視認できるようになる。

 俺の右隣に立っていた由比ヶ浜が、「ひっ」と声を上げ、ビクッと体を震わせた。

 

 

 「ひ、ヒッキー、あ、あんまりこっちに寄らないで……そ、その、き、気持ち悪いから」

 「……おい、由比ヶ浜。それはまさか、俺のことを言ってるのか? ……“動くな”」

 

 

 ないわー、ガハマさんマジないわー。

 そういうのは思ってても心に留めておくのが優しさってもんだろ……。

 

 

 「え? あ! いや! あたしが言ってるのは、別にヒッキーのことを言ったんじゃなくって! ヒッキーの肩にいる“それ”のこと! そ、それに、ヒッキーには、むしろもっと近寄ってほしいなって思ってるし……」

 「……いや、別にいいんだけどさ、中学の時も陰で女子によく言われてたし。ホント、なんですぐ隣いるのに、平気であんなこと言えるんだろうなー、隣の席の茅ヶ崎」

 「誰それっ!?」

 

 

 おっと、無駄にトラウマを掘り返してしまった。あぶない、あぶない。もう少しで、ブルーな気持ちになるところだった。ボッチ歴の長さ嘗めんなよ? はぁ……。

 どうやら由比ヶ浜は俺の肩にいるこいつが苦手なようだ。

 いや、由比ヶ浜だけではない。おそらく、この年頃の女子でこいつを好きな奴というのはかなり少数派なはずだろう。かく云う俺も、あまり得意ではない。

 俺は肩に降りた“それ”をジトッと睨んだ。

 

 

 「クソっ、これも全部あの『いき遅れ教師』のせいだ……“動くな”」

 

 

 “それ”は、まるで俺をあざ笑うかのように「ケロケロ」っと鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――― 第壱話 ヒキガエルの日 / 前編 ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―― 同日朝、東京・陰陽塾男子寮 ――

 

 その日は朝から土砂降りの雨だった。だが、それは別にいい。なぜなら、三日前には梅雨入りが発表されており、それからはずっとこんな空模様だったからだ。

 だから、俺にはそれよりも、もっと重要な問題があった。

 

 

 「なん…だと…」

 

 

 思わず某死神漫画のような声を出してしまう。

 手に愛用の目覚まし時計を握りしめ、俺は目の前の事態に絶望していた。

 机の上には、ノートと簡易式の呪符が数枚広がっている辺りを見ると、どうやら勉強しながら寝落ちしてしまったらしい。どうりで身体が痛いと思った。

 俺はこの信じたくない出来事に、手に持った時計をもう一度見る。

 九時半。上から見ても下から見ても九時半。たっぷり五秒は時計と見つめ合っていた。

 

 

 「うわ……超遅刻じゃん……」

 

 

 真実は残酷だった。Oh!ジーザス!

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 「さて、殴る前に一応、言い訳だけでも聞いてやろう」

 

 

 そう言って、陰陽塾の名物教師『平塚静』はギロッと俺を睨みつけた。 

 瞬間、俺は顔を引きつらせた。あぁ、殴るのは確定なんですね……。

 結局、俺は塾に遅刻した。まぁ、起きた時点で一限目の講義が始まっていたから当たり前ではあるのだが。けれど、俺の運の悪かったところは、一限目の講義の講師が平塚先生だったということだ。いやだってこの人、ばれないように穏形して教室に入っても気配だけで気づくんだぜ!? 最早人外だろ!?

 というわけで、見事に見つかってしまった俺は目下反省中というわけだ。

 ぽきぽきと指を鳴らす平塚先生。あのーなんで拳に呪力込めてんの? そんな、殺傷力の籠った殴られたくないんですが? 俺は、必死に脳みそを回転させた。

 

 

 「いや、違うんですよ、ちょっと待ってください。『重役出勤』って言葉があるじゃないですか。エリート志向の高い人間は、社畜のような平社員が朝早くから出勤しているにもかかわらず、昼過ぎぐらいにも平気で顔を出すんですよ。つまりそのエリート志向の強い人間に比べたら、俺なんかはですね―――」

 「ほう……ちなみに、君が目指しているプロの陰陽師は基本的に夜勤ばかりなのだが、この事実をどう思う?」

 「くっ……! だ、だったら。もう遅刻と言う概念自体が間違いなんですよ! 警察だって、消防だって事件が起こってから初めて動きますし、祓魔官だって霊災が起こってから修祓に向かいますよね! けれど、彼らの遅刻を責める人はいますか!? いないでしょう!? これはもう逆説的に遅刻は正義なんですよ!!」

 

 

 俺の魂の叫びを聞いて、平塚先生の眉根がひくりと引き攣った。

 先生の拳に呪力が込められる。あ、ヤバい、オワタ。

 

 

 「はぁ、いいか比企谷。お前に足りない物、それはな、情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ、そして何よりも……速さが足りない。だから―――」

 「いやそれカズ〇じゃなくて、ク〇ガー兄貴の台詞だから! っていうかこの状況には全く関係ないから! あ、ちょっ! 待って! 殴るのはノー!」

 「甘んじて私の拳を受けろ! 衝撃のっ! ファーストブリットおぉっ!」

 「ぐふっ……!」

 

 

 一つ、俺は心に誓った。遅刻はもう二度としないと―――。

 

 

 「比企谷。昼休みに私のもとに来い。お前とはもう少し話さなきゃいけないようだ」

 「……うす」

 

 

 最後にそう言い残し、平塚先生は「ふんすっ」っと、鼻息荒くして教室を出て行った。くそ、そんなんだから、あなた結婚できないんですよ……。

 平塚先生が放った拳は、俺のレバーを的確にとらえ、確かなダメージとして、俺の身体に響く。教室の一部からまるで嘲笑うかのような失笑が漏れている。お前ら、誰も俺のことなんて知らないくせに笑ってんじゃねーよ。

 痛むお腹を庇うように押さえ、俺は摩利支天(まりしてん)の真言(マントラ)を唱えた。

 

 

 「あぁ、いってぇ……。あの暴力講師、なんでクビにならないんだよ……」

 

 

 穏形で姿を隠し、小言を漏らす。それは教室でのデフォルトな俺のスタイルだ。いきなり消えた俺に、くすくすと笑っていたやつらは、がたっと驚いて席から立ち上がった。

 皆、きょろきょろと見まわしたり、目を擦ったりして、俺を探す。ふふふ、どうだ! 見つけられまい! 

 てめーらには俺の姿すら見えないだろう! あまり穏形術一位をなめるなよ!

 リア充共を見下すのって超最高だ。俺はにやりと笑った。

 笑ってる顔がキモいだって? 知ってるよ。中学の時、隣の席の茅ヶ崎にさんざん影で言われてたからな! ぐすん……。だが、それも見えなかったら何の問題もない。穏形マジ最高! この呪術を作ってくれた人マジありがとう! ひゃっほー!

 

 

 「うわぁ……ヒッキー、キモい。頭だいじょぶ?」

 「……だいじょばないです」

 

 

 バカに頭の心配をされた。すっげーショックだった。

 突然のその緩くて頭の悪そうな声に、俺はドキリと胸を高鳴らせる。けれど、その声に反して、言ってる内容は容赦なく俺の傷を抉るもだったため、俺は思わず顔を引きつらせた。

 あぁ、そうだ、そうだった。そう言えば、こいつに俺の穏形は効かないんだった……。

 そのことを思い出した俺は、「上げたくない」という行動とは反対の感情を押さえつけ、ゆっくりと顔を上げる。

 予想通り。そこにはいつもどおり、ぶかぶかのニット帽をかぶった彼女の姿があった。

 

 

 「……はよ、由比ヶ浜。今日もバカそうな顔で安心したわ」

 「それどういう意味だし!?」

 

 

 まんま、その意味だよ、と。俺は溜息をもらした。

 知っての通り、由比ヶ浜結衣は犬の生成りだ。生成りとは、鬼や竜などの霊的な存在が憑いた人間を現す言葉だ。日本では他に憑きものなんかとも呼ばれており、その人数は日本全土で見ても、数えるほどしかいない。そのうちの一人が彼女なのだ。

 由比ヶ浜には死んだ彼女の愛犬―――サブレというらしい―――が憑いている。呪術界全体を見ても、きっと珍しい種類の生成りだろう。彼女が常にぶかぶかのニット帽をかぶっているのはそれが理由だ。生成りの制御をうまくできない由比ヶ浜は、なにかあるとすぐに犬耳を出してしまうのだ。

 なにそれ萌え……げふんげふん。いかんいかん作者の邪念が入った。

 ん? 作者って誰だ?

 とにもかくにも、こんなに長々と話して俺が何を言いたいのかというと―――。

 

 彼女には俺の穏形が通じないということである。

 

 由比ヶ浜が俺の穏形を見破れる理由。一言でいうと、それは“匂い”だ。

 由比ヶ浜は、犬の生成りだとはさっき言ったが、その犬の嗅覚は人間の一億倍とも言われている。さすがにそこまでの嗅覚はないが、生成り状態の由比ヶ浜の嗅覚も、そうとう発達しているらしく、穏形で気配すら消した状態の俺でも、匂いを頼りに見つけることが可能らしい。

 まぁ、本当は少し違うらしーが。こういう解釈が一番わかりやすいだろう。

 だが、それでも日常的に自分の匂いをかがれていると思うと、照れくさい気持ちがあった。

 

 

 「……にしても、あれだな。やっぱ、こっ恥ずかしいな、それ」

 「あはは……うん、ごめんねヒッキー。だけど、あたしでも、こればかりは無意識でやっちゃうことだから、どうしようもないし……」

 「別に責めてねーよ。それよりお前、帽子から毛出てんぞ」

 「え! うそっ!?」

 

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は、慌てたようにぎゅっとニット帽を深くかぶりなおした。

 ぴろっと、何かがニット帽の中で動めく。犬耳だ。事に漏れず、由比ヶ浜はまた制御に失敗してやらかしてしまったようだ。

 うーっと、恥ずかしそうに唸る由比ヶ浜の頭を、俺はこつんと小突いた。

 

 

 「……気を付けろよ、ったく。お前、ただでさえアホなのによく一年もそれ隠し通せたな」

 「うー、ヒッキー、あたしのことバカにし過ぎだよ……」

 「……国語からの問題です。次の慣用句の続きを述べなさい『風吹けば?』」

 「京葉線が止まる?」

 

 

 千葉県横断ウルトラクイズかよ……。俺は呆れて、額に手を当てた。ため息も漏れる。

 だが、俺のその反応にムッとしたのか、由比ヶ浜は拗ねたようにぷいっと目を逸らした。

 

 

 「ヒッキー、またあたしのことバカにしてるでしょ! あ、あたしだって、中学の時は成績よかったんだよ! 総武高校もA判定貰ったくらいだし!」

 

 

 由比ヶ浜の発言に、俺はゴトッと鞄を落とした。

 

 

 「嘘…だろ…?」

 

 

 意図せずして、その言葉が漏れていた。

 総武高校と言えば、千葉でも有名な進学校だ。Maxコーヒーを飲む千葉ッシュなら誰でも知っている有名な高校。何を隠そう中学時代の俺の進路希望先だった高校。そんな進学校に由比ヶ浜が……?

 俺は、さーっと、一気に血の気が引いた。

 

 

 「ま、まさか……由比ヶ浜って……実はバカじゃない?」

 「いままでなんだと思ってたの!?」

 「いや、だって由比ヶ浜って、由比ヶ浜だろ?」

 「それ、あたしの名前を蔑称みたいに使ってない!? 気のせいだよね! 気のせいだよね!?」

 「由比ヶ浜のくせに、生意気だ」

 「なにそのすっごい横暴な罵倒!? ヒッキー、ウザい! てかっ、マジキモいっ!」

 

 

 由比ヶ浜は、悔しそうにう~っと唸りながら、涙目で俺を見てくる。

 だが、次の瞬間、その頭にポンッと軽く教科書が落とされた。

 

 

 「こら由比ヶ浜。もうすぐ、二限の講義が始まるぞ、席につけ」

 「ふぇ、平塚先生!? あ、その、ごめんなさい!」

 

 

 気がつけば、そこには平塚先生がいた。ってか、またあなたの講義ですか。

 出席簿で叩かれた由比ヶ浜は、恥ずかしそうに顔を俯かせ、自分の席に戻る。とは言っても、自由席だからどこでもいいのだが。

 さて、じゃあ俺も、さっさと席に着くか。そして、俺はいつもの席に向かう。だが、その前に、俺はぐいっと後ろ襟を引かれる。あれ? 確か俺穏形してたよね?

 

 

 「比企谷。昼休み、逃げるなよ?」

 

 

 後ろから囁(ささや)かれる恐怖の声。……やっぱ、この人、人間じゃねぇ……。

 え? 俺、まだ穏形してるよ? なんで見えるの?

 背中にたらりと冷や汗が流れた。

 はぁ、ホント今日は朝からツイてない。昼休み、ばっくれよっかな……。

 刹那、教壇の上にいる平塚先生にギロッと睨まれた。いや、だからなんで分かんだよ……。

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 職員室の端に設けられた応接スペースのガラス張りの机から、ひらりと一枚の紙が零れ落ちた。

 ひらひらと空気抵抗にその身を任せ、舞い落ちるその紙は、まるで踊るように優雅に舞いひらめく。だがやがて、自然の摂理に逆らえない紙は、その身に降りかかるすべてを受け入れたように儚く、地面に墜落する。

 そこに、ダンッ! と鉄槌のごときピンヒールが突き刺さった。

 んんっ歳とは思えないほど、しなやかで綺麗なその脚を組み直し、我が担任であり、元祓魔官という経歴を持つ陰陽塾きっての実技講師、平塚先生は俺を睨みつけた。

 

 

 「比企谷。私が何を言いたのか、分かるよな?」

 「さ、さぁ……?」

 

 

 その如何にも怒ってますよ、という先生の眼光に、俺は思わずを明後日の方向に顔を反らしてしまう。

 瞬間、平塚先生の顔がひくっと引き攣るのが分かった。

 

 

 「……まさか、わからないとでもいうともりか?」

 「い、いやですね先生、さっきから何を言いたいんですか? 健全で真面目ないち陰陽塾生である俺にはちょっとわからないのですが……」

 

 

 刹那、バンッと机に、先生がさっき踏みつけた紙が叩きつけられる。

 その衝撃音に、俺の心臓がビクッと高鳴った。

 

 

 「そうか、あくまでも白を切ると言うのだな、比企谷? だが、これを見せられたら、貴様とて、何も言えないだろう。なんせ、この呪符からは比企谷、お前の呪力が感知されたのだからなぁ?」

 

 

 平塚先生の大きな瞳がぐわっと俺を睨みつける。背中にばっと嫌な汗が溢れた。

 それは汎式の簡単な式符だった。だが、ただの式符ではない。感知式(かんちしき)―――つまり、特定の場所に設置し、そこを通る人間を感知する。所謂疑似センサーの役割を果たす。そういう風にプログラムした簡易式だ。

 そして平塚先生のおっしゃる通り、それは間違いなく俺の式符だった。

 

 

 「いや、違うんですよ! 待ってください平塚先生! た、確かにその式符は俺のかもしれません! で、ですがそれを俺が使ったという証拠がどこにあるんですか!? 証拠を出してくださいよ! 証拠を!」

 「はぁ、その発言がすでに犯人のものだと気付かんのか、お前は。それで、なぜお前はこんな事をしたんだ? 今ならまだ一発で許してやる、さぁ吐け!」

 「え、一発殴るのは確定なんですか!? じゃあ絶対話しませんよ! 俺ドMじゃないんで!」

 「……撃滅の―――」

 「わー! わかりました! 言います! 言います! だから殴らないでっ!」

 

 

 平塚先生の拳に込められる呪力を「視た」俺に、朝の悪夢がよみがえる。

 俺はすぐに全面降伏した。勝てる気もしない。

 まさしく334だ。なんでや! 阪〇関係ないやろ!

 ようやく求めていた言葉を聞けた平塚先生は、ぎしっと椅子に腰かけなおす。そして、眉間に寄った皺を治すように、額に手を当てた。

 

 

 「……で? どうしてこんなことをした、比企谷?」

 

 

 平塚先生は、心の底からうんざりした口調だった。その原因である俺は思わず恐縮してしまう。

 

 

 「あ、いや、ですね……。こ、ここ最近、簡易式の練習をずっとしてたんですよ。ほ、ほら! あれですあれ! 最近『ウィッチクラフト社』のカタログを読む機会があったじゃないですか! で、あそこの人造式に少しインスピネージョンを受けてしまって! お、俺もいつかあんな人造式を作ってみたいなーって思いまして……」

 「……ほぉ、それで君は、陰陽塾の塾舎に『感知式(これ)』を仕掛けたと? ご丁寧に二重の隠形を施してまで?」

 「相手が相手なので、念には念をと……あ」

 「あぁん?」

 

 

 やっちまったZE☆

 瞬間、ムティカパも怯みそうな勢いの鋭い眼光が、まっすぐに俺を見据える。

 

 

 「……ほう、そうか。語るに落ちるとはまさにこのことだ。なぁ比企谷?」

 「あ、いえ。あのですね―――」

 「吐け」

 

 

 大きな瞳が放つ眼光に耐え切れず、俺は「……はい」と、うなだれ他なかった。

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 今回俺がやったことの一部始終を吐くと、平塚先生はため息をつき、悩ましげに髪を掻きあげた。

 

 

 「君はバカか?」

 

 

 問答無用の言葉だった。俺はうぐっと息を詰まらせた。

 

 

 「も、もちろん悪気は全くなかったんです先生! た、ただ純粋に自分の力量を試したかっただけなんですよ! ま、まさかあんなうまくいくとは思ってもいなくて! そ、それに! まさか、あの部屋で先生が着替えるなんて夢にも―――!」

 「なっ! そのことは言うな比企谷! お、お前、まさか私の裸を―――」

 「感知式ですから! 五感の共有なんてしてませんから!」

 

 

 身の潔白を証明するために全力で叫んだ。

 俺の必死さから理解したのか、先生も納得したように頷く。なぜか少し残念な顔をしていたが、微妙に印象的だった。誰か、誰か早く貰ってあげて……。

 一通り、心の整理がついたのか、平塚先生はまじめな顔になった。

 

 

 「比企谷、君は分かっているのか? 今回、君のしたことは下手をすれば呪捜部に放り込まれても文句を言えない事なんだぞ? 私だったからいいものを、これがもし一般人だとしてみろ? 大問題だぞ」

 

 

 そう、平塚先生は、優しく諭すように俺に言う。だからこそ、逆に罪の意識が沸いてしまった。

 

 

 「うっ……、今回のことは自分でも悪いと思ってます。ホント済みませんでした」

 

 

 だから、謝罪の言葉は割と素直に出てきた。いや、今回の件は全面的に俺が悪いのだ。これは当然の義務と言える。

 平塚先生も、俺がすぐに謝罪したのが功を奏したのか、どこかすっきりした面持ちで微笑んでいる。その表情に、俺は思わず見惚れてしまった。普段の言動が痛々しいからつい忘れがちだが、この人もまた、俺がこれまで出会った女性の中でも指折りの美人だった。

 先生は、「うむ」と頷き、俺の式符をスーツの内ポケットへとしまった。

 

 

 「そうか、ならいい。君もちゃんと反省しているようだしな、今回のことは私の胸にしまっておこう」

 「うす。すんません、ありがとうございます」

 

 

 そう言って、先生はポケットから葉を取り出し、いつものように「火行符」で火を点ける。

 ふぅーっと、煙を吐くその仕草が如何にも様になっている。

 だから、俺は気づかなかった。平塚先生が葉に火を点けるために取り出した「火行符」と一緒に、もう一枚式符を取り出していたということを。

 そして、その式符が、今日の俺の一番の不幸を招くであることを。

 

 

 「あぁ、それはそうと比企谷」

 「はい」

 「私の秘密を知ってしまったペナルティ。きっちり払ってもらわないとな」

 「はい?」

 

 

 そう言うと。平塚先生は嫌な感じにニィっと笑った。

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 

 「……ヒッキー、なにそれ?」

 「……俺が聞きてーよ」

 

 

 顔が引き攣っている由比ヶ浜の言葉にそう答えて、俺は煩わすげに視線を上にあげた。

 あの後、俺は平塚先生の「特別な特訓」を受けることになった。内容は「霊気に対する感覚の強化」だ。特訓は、それからすぐに始まって今なお続いている。

 むろん、まだ昼休みだから、教室では安定の穏形術だ。

 だが、それでも由比ヶ浜にはすぐ見破られる。

 由比ヶ浜は目ざとく俺の変化に気づき、声をかけてきたのだ。

 俺は由比ヶ浜に、こうなった経緯を話す。

 

 

 「……ふーん、それで先生の簡易式、頭の上に貼り付けてんの?」

 「あぁ。逃げ出さないように見張れとさ」

 

 

 そう言って、俺は少し陰鬱な表情になった。

 平塚先生が、俺の頭に引っ付けたのは、一匹の「ヒキガエル」だった。もちろん、本物のカエルじゃない。先生が即席で造った式神である。

 俺は、さっきまでの平塚先生とのやり取りが、脳裏によみがえる。

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 『君は後天的な見鬼だからか、霊気に対する感覚が鈍い所がある。だから、今回は特別な課題を君に課そうと思う。なに、そう心配そうな顔をするな。コツさえ掴めれば簡単な課題さ』

 

 

 そう言いながら、平塚先生は式符に呪力を込める。

 やがて、十分な呪力が込められたのか、式符はぽんっとその姿を動物状の物に変える。体長約十数センチほどの小さな? 「ヒキガエル」だった。

 

 

 『これからこいつを君の頭に乗せる。君は、常にその式神の霊気を感じ、そいつが逃げそうになったら動かないように命令すればいい。むろん、動くなという命令にはちゃんと従うように作ってあるから心配するな。な、簡単だろ?』

 

 

 そう俺の頭に「ヒキガエル」を乗せながら、先生は説明する。

 そして、いかにも楽しそうに、

 

 

 『ただし、君から一メートル以上離れたらペナルティーを課すようになっている。心配せずともそうひどい罰ではない。講義する先生たちにもちゃんと事情は話しておくから、気にするな。部活が終わるくらいに取りに行ってやるから、それまできちんと見張っとけよ?』

 

 

 と付け加えたのだった。

 おかげで、俺は頭に「ヒキガエル」を乗せたまま午後の講義を受ける羽目になったのである。

 以上、回想終わり。

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 「ヒッキーそれ重くないの?」

 

 

 由比ヶ浜の心配そうな問いに、俺は頭を振った。

 

 

 「そんな重さを感じるってほどじゃねーよ。まぁ、軽いし、首振っても落ちねーからその点は安心だな。……ただ、やっぱ頭になんか乗ってるから落ち着かねえんだよ」

 

 

 確かに、見た目が十数センチもあるカエルを頭に乗せているのだ。至極当然の疑問だと思う。

 けど、その見た目に反して、基が紙であるからか、頭の上の「ヒキガエル」は見た目よりずっと軽かった。その点は、さすがは元祓魔官の平塚先生と言ったところだな。葉の火着けしかり、ホントに才能の無駄遣いの権化のような存在だよな、あの人……。

 俺の言葉に安心したのか、由比ヶ浜はポケットから長距離トラックみたいな仰々しい携帯電話を取り出して、にんまりと笑った。

 

 

 「ねぇ、ヒッキー。お願い、写メ取らせて!」

 「嫌に決まってんだろ、ふざけんな」

 

 

 心の底から嫌な俺の言葉に、由比ヶ浜は「えー」っと、声を出した。

 

 

 「えー、だってヒッキー超似合ってんじゃん。あ、そうだ、ゆきのんにも送っとく?」

 「やめろ、由比ヶ浜。そんな写真を雪ノ下に送ってもみろ。たぶん、今日の放課後から俺への呼称が「ヒキガエルくん」で統一されちまうだろうが」

 

 

 それに、もう二度と聞くことはないと思っていた中学の頃のあだ名を、わざわざ自分から掘り返したくはねーし。あいつ、ホントなんなの? 俺のトラウマ的確に天元突破するとか、どこの大グレン団だよ。今度からあいつのこと「穴掘りゆきのん」って呼んじゃおーかな。なんかびみょーに語呂いいし。まぁ、殺されるからやらないけど……。

 

 

 「けど、その特訓って部活終わるまでなんだよね? どっちみちヒッキー、その格好、ゆきのんに見られるんじゃないかな?」

 「うっ…、人がわざわざ触れないでいたことを……」

 

 

 あいつにこんな姿見られるとか、屈辱以外の何ものでもない。

 俺は放課後のことを思い、少し憂鬱な気分になった。そんな俺に由比ヶ浜はピロピロリーンっと、なんか聞いてるこっちが気の抜けそうな音をさせながら携帯を向けていた。

 結局、撮りやがったよこいつ……。俺は、机の上に項垂れた。

 

 

 「ところでさ、ヒッキー。結局、ヒッキーが失敗した時のペナルティーってなに?」

 

 

 由比ヶ浜のその問いに、俺は再び頭を振った。

 

 

 「知らねぇ。平塚先生、もったいぶって教えてくれねーし」

 

 

 その後に、「人生を楽しく生きるコツは童心を忘れねーことだよ」とか言ってたけど、どこの白夜叉ですかあなたは。ホントあの人アニメ好きすぎだろ。

 俺の返しに、由比ヶ浜は「あはは」と苦笑する。

 だが刹那、彼女の視線が俺の頭から「ぴょーん」と移った。それはまるで、移動する「なにか」を追うような目の動きだった。

 

 

 「あっ……」

 

 

 由比ヶ浜の口から声が漏れる。そのとき、何が起こったのか俺の頭はやっと理解した。

 

 

 「ひ、ヒッキー! カエルが―――っ!」

 「え? ……あっ!?」

 

 

 とっさに頭を触るが、もう遅い。どこだ―――と、慌てて霊気を探る。刹那、

 

 

 「ケロケロ」

 

 

 三つ隣の席で、ヒキガエルが鳴き声を上げた。俺と由比ヶ浜のいる位置から見て、その距離は優に一メートル以上はあった。顔からさーっと、血の気が引くのがわかる。直後、

 

 

 「―――ぶわっ!?」

 

 

 頭上から、水が降って(・・・・)きた。

 外の豪雨に負けない、バケツ―――と、まではいかないが、いつも部室で読む紅茶一杯くらいの水量は優にある。顔から上はびしょ濡れになり、肩まで冷たい水が染み込んだ。

 由比ヶ浜が唖然とした目で俺を見る。

 そして当の俺はというと、ぐっと握り拳に力を込め、ギリッと歯を食いしばった。

 

 

 「あっのぉ……行き遅れ講師ぃ……!」

 

 

 結婚できないアラサーに殺意が沸きました。いらっ☆

 

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 「―――ケロケロ」

 「ぶはっ!」

 「―――ケロケロ」

 「冷たっ!」

 「―――ケロケロ」

 「ちょっ! は、鼻にっ! おまっ! ふざけんなっ!」 

 

 

 それからのことは、正直思い出したくもない。

 午後の授業中、俺はずっとこんな調子だった。クラスの奴らからは変な目で見られるわ、教師には半眼で睨まれるわ、災難しかなかった。

 五限の講義が終わったころには、俺の制服は水浸しだった。

 心配した由比ヶ浜が、俺の席に寄ってくる。

 

 

 「ヒッキー、だいじょーぶ? 水浸しだよ?」

 「……これが大丈夫に見えるなら、俺はきっと元から水タイプなんだろうな」

 「何言ってんの?」

 「ポケットなモンスターの話だよ」

 

 

 外国ではその言葉は絶対言ってはいけないよ? ぼっちとの約束だ。

 それとたぶん、俺はゴーストタイプだと思う。雪ノ下は氷か毒だ。由比ヶ浜は……なんだろ? けど、例えるならミル〇ンクだな。なぜとは言わない。けど異論は言わせない。

 

 

 「はぁ、それにしてもこのクソガエル、ちょっとよそ見したら、すぐ跳んでいっちまう」

 「よそ見しなけりゃいいんじゃないの?」

 「おいおい、由比ヶ浜、無茶言うなよ。こいつは俺の頭の上にいるんだぜ? 目玉のオヤジのほうがまだ見つけやすいぞ。あーもう、せめて見える位置に居ればな……」

 

 

 このクソガエル、無駄にアクティブすぎんだろ。

 しかも、気のせいか? こいつ、徐々に「ケロケロ」鳴く声に、俺をバカにするような響きが含まれてきてねーか? こいつの表情は読めねーけど、こいつが俺の頭から跳び、水を落とす寸前に振り向く視線も、心なしか見下されてる気がする。

 俺は、苛立ちを隠すことなく舌打ちした。

 

 

 「ヒッキー、それは被害妄想だと思うよ……」

 「……ほっとけ」

 

 

 じゃないと、やってらんねーんだよ。あのいき遅れ講師、今度は感知式じゃなくて、呪詛(じゅそ)送り込んでやる……。そうだな、一生結婚できない呪いでもかけてやろうかなぁ……?

 こう思ったとき、俺はどんな表情押していただろうか。少なくとも、笑顔ではあっただろう。それも、由比ヶ浜が「う、うわぁ……」って引くくらいには、素敵な笑顔だったと思う。

 

 

 「っていうかさ、それって平塚先生の簡易式なんだよね? だったら、術式に沿った命令なら聞くんじゃないの? ほら、ヒッキー、とりあえず“動くな”って命令してみてよ」

 

 

 由比ヶ浜の言葉にハッとした。

 

 

 「……そうか、その手があったか。この方法だったら、俺は無駄に水を被らなくても済む。由比ヶ浜、お前、天才だったんだな」

 

 

 それは盲点だった。まさか、バカに見破られるとは。

 俺はニタリとげすい笑みを浮かべ、由比ヶ浜に感謝する。俺の笑顔に、由比ヶ浜は若干気持ち悪そうな顔をするも、「えへへ」と嬉しそうに笑った。

 よし、今度、マックスコーヒーを奢ってやろう。

 おれは、さっそく由比ヶ浜の作戦を実行する。さぁ、クソガエル。お前の罪を数えろ!

 

 

 「“動くな”……“動くな”……“動くな”……おぉ、すげー、動かない! こりゃいいな!」

 

 

 俺の命令に、このクソガエルは一瞬、ピクッと反応はするも、その動きを完全に止めていた。どうやら、平塚先生が最初に言ったように、「動くな」という命令には、従うようにできているらしい。なんとなく、しまったと、カエルが舌打ちしたような気さえした。

 

 

 「よし、あとは放課後までこうやってればいいんだな」

 「あはは……。まぁ、本来の主旨からは、かなり反してるけどね……。でもヒッキー、このままじゃ風邪ひいちゃうし。」

 「ふふふっ、動くなよ……“動くな”……“動くな”……へへ、バーカ、バーカ……“動くな”!」

 「ヒッキー……」

 

 

 それから、放課後まで、俺はそれまでのストレスを発散するかのように「動くな」と唱え続けた。時たま罵詈雑言を混じえながら呟く俺の姿に、周囲がドン引きしていたが、それより、このヒキガエルに対する憎悪の方が勝っていたから、まぁ、気にはならなかった。

 そして、そんな俺を由比ヶ浜は終始出来の悪い息子を見守る母みたいな目で見ていた。

 

 だが、このとき俺達はまだ知らなかった。

 この行動が、後に大変な事態を巻き起こすことを―――。

 

 その日、陰陽塾特別棟は半壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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