やはり俺が闇鴉なのは間違っている   作:HYUGA

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 こんにちわ。おひさしぶりです。
 大学忙しいです。就活に、平常授業に、公務員の試験講座。けれど、頑張ってます!

 今回は久しぶりの投稿になります。本当にすみません。

 それでは、第八話「エンカウンター・ボッチ」どうぞ(#^.^#)






第八話 エンカウンター・ボッチ

 

 ――― 2012年5月某日、東京・渋谷 ―――

 

 国内有数の陰陽師育成機関、陰陽塾。

 その塾舎は東京の渋谷にある。寄宿舎からは徒歩で行ける距離だが、場所が場所だけに平日でも人の行きかいが非常に激しく、人慣れしてないぼっちマスターこと、俺―――比企谷八幡―――には、なんともつらい時間である。

 マイホームタウンこと千葉から、ここ東京に移って一年以上経つが、この人混みだけはどうにも慣れる気がしなかった。

 つまり、人混みもそれなりで、京葉線を使えば都心にもすぐ行ける千葉こそが最高ということでFAというわけだ。違うか? いや、違わないな。

 

 例の材木座が持ち込んだ式神―――ドール・ファンタズマ―――の事件から二週間が過ぎた。

 季節はすでに、春の陽気というには少々厳しい暖かさを感じるようになってきている。

 少しでも冷を取るべく、制服の袖を肘の上まで巻き上げるも、狩衣を模した制服の作りのせいで、袖がやたらと広く、いくら上げても袖がずり落ちてきてしまう。そもそも、男子の制服は色からして烏羽色だ。これからの季節、日中には陽炎すら見える熱帯地帯と化す東京の夏のことを思うと、俺はひどく憂欝な気分になった。

 

 しかも、憂欝な理由はそれだけではない。ズボンのポケットからスマフォを取り出し、電源をオンにする。

 10時30分。画面に表示された時刻は、無情にも俺に現実をたたきつける。

 陰陽塾二年「比企谷八幡」、絶賛遅刻中であった。

 

 

「なんでアカメは斬らないのに、電池は切れるんだろうな…」

 

 

 誰に言ったわけでもない愚痴が思わず出てしまう。まぁ、もともと愚痴を言えるような知人などいないのだが……。

 そもそも、どうして俺がこんな中途半端な時間に登校しているかというと、

 

 ぶっちゃけ、三十分前までの俺は、登校する気などさらさらなかった。

 

 いやだって、起きたら朝のホームルームの時間だったとか、あり得なくない? 目覚ましちゃん一体どうしちゃったの? ご機嫌がななめだったの? あ、電池切れてたか。

 経験ある人は分かると思うけど、起きた瞬間にデッドラインを越えてると、二度寝したくなるものなのだ。故に、俺は悪くない。人間の本能こそが悪い。

 というわけで、自由気ままなベッドライフを送っていた俺だったが、我が担任講師(平塚先生)がそれを許してくれるはずもなく、俺はこうして遠路はるばる登校しているわけだ。

 

 

 差出人 平塚先生

 比企谷くん、朝のホームルームの時間に君を見かけなかったので連絡します。

 聞けば寮の朝食の時間にも顔を出さなかったそうですね? もしかして体調でも崩してしまいましたか? もしそうなら、ゆっくり休んでください。折り返し、メールをお願いします。

                                           』

 

 

 これが先生から送られてきた最初のメールだ。

 ちなみに着信時間は9時ジャスト。コンマゼロ秒までジャストだった。

 あれ? 確か陰陽塾のホームルームって、9時からじゃなかったっけ? なんでメールしてんの、あの人?

 だが、寝起きだった俺は、そのときは疑問に思わず、後で『ごめーん、携帯の電源切れてたー』とでも言っとけばいいか、としか思っていなかった。

 そして俺は垣間見えることになる。平塚静という名の「アラサー独身」の真骨頂を―――。

 

 次のメールは、きっちり30分後のことだった。

 

 

 差出人 平塚先生

 比企谷くん、再度メール失礼します。

 もしかしてまだ寝てますか(笑) 今日は一日講義の日なので、私の授業が大半を占めますから、体調が良くなったら塾に来てくれると幸いです。厳しかったら、折り返し連絡をお願いします。

                                           』

 

 

 うん、ここまではよかった。そう、ここまでは―――。

 次のメールは、15分後だった。

 

 

 差出人 平塚先生

 あれ? もしかしてまだ寝てるんですか?

 さっきから数回メールさせてもらっています。なんで返信してくれないんですか?

 折り返しのメールを待ッテマス

                                           』

 

 

 次のメールは7分30秒後。

 

 

 差出人 平塚静

 ……比企谷くん、もしかして私が誰かわかっていませんか?

 平塚静デス。あなたの担任講師の平塚静デス。このあいだアドレスを交換した平塚静デス。まったく、君はメールでもコミュニケーションが苦手なのですね(笑)

 折り返しメール待ッテマス。ずっと…、ずっと…。

                                           』

 

 

 そして、3分45秒後。

 

 

 差出人 平塚静

 ……ねぇ、ホントウは見てるんでしょ?

 ねぇ? 見てるんでしょ?

 そうですか。そこまで私を無視するのなら、こちらにも考えがあります。

 ……どうする気かっテ?

 ……そんなの、わかるでレょ?

 折り返し、メール、待ッテマス。

                                           』

 

 

 そのメールが着た瞬間、俺は全力でスマフォを操作した。

 速く。何よりも速く。俺の能力の名は…ラディカル!ボッチ、スピィィィィィード! さあァァ、行くぞ!! 私はどんなところでも一人飯が、できま~す(語尾上げ)

 結果、なんとか1分52秒までに返信することが出来たわけだ。

 そして、ただの寝坊であったことが先生にバレテしまい、メールでぷんぷん(※少し表現を濁しています)と怒られたわけだが、俺は安堵の息を吐くことが出来たのだった。

 もし、1分台のメールが着ていたら―――。

 

 やめよう。だって、歴史にIFはないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――― 第八話 エンカウンター・ボッチ ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が通っている陰陽塾は、いわゆる名門の学校だ。そこに通うのは全国から集められた優秀な陰陽師の卵たちである。ゆえに、ここでの生活は、その一つ一つが元一般人たる俺には驚嘆する物事ばかりであった。

 いつの間にか、視界の先に、古い塾者の外観が入る。どっしりとした、年代を感じさせる建物だ。外壁沿いに植えられた街路樹や色褪(あ)せた窓枠の朱色が、神社のような雰囲気を漂わせている。その雰囲気をさらに助長しているのが、入り口の両脇に鎮座する二体の狛犬だった。

 

 

「あー、やっぱいるよな、あいつら…」

 

 

 通りたくないなーという感情が、おもむろに俺の足を止める。でも、あれの目の前を通らなければ塾に入れないのも事実であるため、俺は一つため息を吐き、諦めて足を進める。

 目の前まで来ると、二体の狛犬は予想以上の威圧感を放っており、無意識に萎縮してしまう。

 それを見咎めるように、二体の狛犬の視線が俺の方へと向いた。

 

 

『むむ?』

 

『そこの者。待たれよ』

 

 

 近づくと、左右の狛犬が警戒するように唸る。

 普段ならば決してありえない事態。あとは某子供番組のオコリン、ニコリンくらいだ。

 だが、ここはその界隈にその名を轟かす陰陽塾。こんな摩訶不思議な出来事もまた、日常の一部なのである。

 

 

「うっす、朝からご苦労さん、『アルファ』、『オメガ』」

 

 

 警戒心むき出しの二体の狛犬。けれど、俺はそれを無視して片手を上げた。

 この摩訶不思議な狛犬は、名を『アルファ』と『オメガ』という。

 陰陽塾の入り口にドンと構えるこの2体の狛犬は、塾長である倉橋美代(くらはしみよ)の式神であり、陰陽塾で習う『汎式陰陽術』でいうところの高等人造機甲式と呼ばれるものだ。

 

 

『おぉ、これは比企谷八幡ではないか。我らとしたことがうっかりしておった』

 

『いやはや、すまぬ。いやなに、このような時間に塾舎に近づく者など、普段は居(お)らぬからな、ついのぅ』

 

 

 初めこそ警戒した『アルファ』と『オメガ』であったが、侵入したのが塾生(俺)だと分かり、すぐに警戒を解くと、二体の狛犬は交互にそう言って、「ほっほっほっ」と笑った。

 その厳つい見た目に反し、アメリカ映画の「おもしろ黒人」並みにフランクな対応だった。

 

 

『うむ。しかしな比企谷八幡よ、それも仕方のないことなのだ。なぜならば、登校時間をとうに過ぎておるのにも関わらず、塾舎に近づく目の腐った怪しげな“ゾンビ”姿の男』

 

『左様。警戒せぬわけにはいかぬ。タイプオーガ(鬼)でもあったりしたら大変な事態であるからな』

 

『うむ。だから許せ、比企谷八幡』

 

『我らとてワザとではなかったのだからな』

 

「……そーかよ」

 

 

 そう交互に言って、笑う二体の狛犬に、俺は辟易とした気持ちにさせられた。

 いや、雪ノ下と然り、お前ら然り、どうして俺(ひと)のことを霊災扱いすんだよ。ていうかお前ら、それは俺が日常的にゾンビに見えるということだよな? なに、どういうことなの? ゾンビ嫌いなの? それとも俺の事が嫌いなの?

 まぁ、少なくとも雪ノ下に至っては後者だろうな、と考えながら、俺は憮然とした。

 そんな俺の顔を見ながら、二体の狛犬は「ほっほっほっ、冗談じゃよ」と言う。

 塾生に対して、冗談交じりに話すその姿勢は、気さくで好印象的である。だが、どうにも俺はこの二体の式神のことを苦手に感じていた。

 

 

「はぁ…用がないなら塾に入っていいか?」

 

 

 付き合ってられない。そう暗に言葉を濁し、俺は塾の扉を潜る。

 しかし、それを拒むように塾舎の自動ドアが俺をシャットアウトする。どーいうことなの? と、ドアを睨むと、『アルファ』と『オメガ』は咎めるような声で、俺の行く手を阻んだ。

 

 

『これこれ、比企谷八幡。待て、待たぬか』

 

『左様。話はまだ終わっては居らぬぞ』

 

 

 その言葉に、俺は振り返る。すると、二体の式から僅かに伸びる「霊糸」が『視』えた。

 瞬間的に、俺は大体の事を理解した。そして、呆れかえった。

 たかだか、塾生ごとき(・・・)を足止めするために、日本最高峰の式(・・・・・)が、そこまでするか、と。

 

 

『して、比企谷八幡よ。如何にして遅刻した?』

 

『塾則第十二項。塾生は規定された時間までに登校し、教室の席に着き講師の到着を待つように。そう記してあるはずだが』

 

『左様。それを踏まえたうえで、もう一度問おう。比企谷八幡よ。如何にして遅刻した?』

 

「あぁ…えーっと…」

 

 

 うわ、めんどくせー。思わずそう思ってしまった俺を誰が責められようか。

 どうせ、この後には某独身教師の「ファーストブリット」が待っているのだ。無駄な言い訳をするのも面倒くさい。

 もうこれでいっか、と俺は腐った目に必死に力を入れて、

 

 

「あー、そのすんません。あれがこうなって、あーなって遅れちゃいました」

 

 

 そう言って、「てへっ」と、舌を出した。

 心なしか、表情が変化しないはずの『アルファ』と『オメガ』の表情が凍りついた気がした。

 ついでに、さっきまで五月ならざる蒸し暑さだったはずなのに、若干涼しくなったような気もする。おい、誰だよクーラー入れたヤツ。

 

 

『意味不明であるぞ、比企谷八幡』

 

『左様。そして、そのような面妖な表情は絶望的なまでにお主には似合わん』

 

「知ってるよ。あと、面妖とか言うなよ……」

 

 

 それって俺が人間じゃないみたいじゃん。

 いや、まぁ、確かに。どこぞの9○1プロのお姫ちんに会ったら即「面妖な!」って言われそうな面(つら)だけどさぁ……。

 辟易とした気分に、ガリガリと頭を掻き、俺は落ちた袖をもう一度まくり上げる。

 だが、この行為に二体の式は目ざとく反応した。

 

 

『これ、服装を乱すな、比企谷八幡』

 

『然り。袖を元に戻すがよい』

 

 

 その言葉に、俺はうんざりとした。一つ息を吐き「うるせー」と言葉を返す。

 

 

「暑いんだよ。細かいこと言うなよ」

 

 

 気だるげにそう言うと、しかし二体の狛犬は「ならぬ」と穏やかに諭す。

 そして、これこそが、俺がこの二体の式を苦手とする一番の理由だった。

 見た目は、完全に無機物にも関わらず、その言動は馴れ馴れしく、妙にお節介。けれども、そこがウケたのか、この二体の式は一般の塾生には非常に受けがいい。だが、だからこそ、俺はこの二体を苦手に思う。

 好きか嫌いかと言えば、まぁ、一年も通っているんだ、それなりに愛着はある。けれど、その人の心のパーソナルスペースを平気で踏み越えることが、どうにも苦手だった。

 そのあり方は、形は違えど、俺とは真逆に位置する「リア充」、スクールカーストのトップ連中の在り方に似ている。ゆえに、その在り方は人との関わりが薄いぼっちの俺には、どうにも慣れることができなかった。

 

 

『しかし、それではだらしがないであろう。陰陽師たらんとする者なら、常に身を正さんでどうする』

 

『第一、それではせっかくの典雅(てんが)なデザインが台無しではないか』

 

「うぜぇ…」

 

 

 なにが典雅なデザインだ、と俺は渋面になる。

 鬱陶しい。悪い奴らではないが、その言葉に、苦渋の表情を浮かべずにはいられない。

 どうやってこれを乗り切ろうか。碌な考えも浮かばず、俺はまた溜息を吐いた。

 

 

「……あのな、お前ら―――」

 

「あれ? 確か君、同じクラスだよね?」

 

 

 ……おい、どこのどいつだよ。

 不意に、遮られた言葉に、若干苛立ちながら、俺はその声の主に振り返る。

 余裕を感じさせる涼しげな声だ。

 だが、同時に親しみやすさを感じさせるフランクさも併せ持っているようにも感じた。

 恨みがましげな視線を、そいつに向ける。

 するとそいつは、俺の如何にもな不快を表す目に苦笑いし、そして、実に爽やかにほほ笑んだ。その瞬間、俺は図らずも悟った。

 

 こいつと俺は、絶対に相容れない存在だと―――。

 

 

「えーっと、君は確か……ヒキタニくん、だっけ? こうやって話をするのは初めてだよね? 初めまして、俺は葉山隼人。陰陽塾二年、君と同じクラスだよ」

 

 

 そう言って、男―――葉山隼人は、またニッコリと微笑む。

 瞬間、捲り上げていた袖がまた落ちる。いろいろと言いたいことはあるが、とりあえず、

 

 お前のクラスに“ヒキタニくん”なんてやつはいない。

 

 

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 

 

 

 そいつは何やらイケメンだった。

 これをイケメンと呼ばずして何と呼ぼうかというほどのイケメンである。

 俺とは真逆の立場にいるそのイケメンは、鴉羽色の鞄と、紫黒色の竹刀袋を右肩に掛けた登校姿で、俺と目が合うとにこりと笑う。知らず知らず俺もニヤリと愛想笑いを返してしまった。

 俺が本能的に負けを認めてしまう程度にはイケメンだった。

 

 

「やぁ、さっきぶり、アルファ、オメガ。塾長から話は聞いてるかい?」

 

 

 そいつは、いとも自然に俺の横に並ぶと、「やぁ」とさわやかに手を上げた。けれど、そんな仕草のひとつひとつがやけに様になっている。汗をかいているはずなのに、そいつからは汗臭さなど微塵も感じない。むしろ、隣に並ばれたこの状況で、清涼感のある柑橘系の香りがするくらいだった。

 

 

『あぁ、葉山隼人か。話は聞いておるぞ』

 

『ご実家の方の地鎮祭の見学だそうだな。気を付けて行ってくるがよい』

 

 

 アルファとオメガが左右から口々にそう言うと、そいつ、葉山は「そっちも暑い中ご苦労様」と笑顔で返していた。まさしく、如何にもな理想の好青年像がそこにはあった。

 そんな、好印象な葉山の態度に、目の前の二体の狛犬も温和な態度で応える。

 なにか、とてつもない敗北感を味わった気分だった。

 葉山は、「ふぅー」と暑そうに、襟元のボタンを開ける。その仕草はまるで、スポーツ飲料水のCMのように清涼感にあふれていた。

 ふと、葉山と目が合う。葉山は、俺と視線が合ったことに気づき、またニコリと微笑み、そっと階段のほうを指差した。

 

 

「ヒキタニくん。今からならまだ簡易式の授業の間に合うと思うよ。急いだ方がいいんじゃないかな?」

 

 

 それは、きっと100%の親切心からくる言葉だったはずだ。

 だが、俺からしてみれば余計なお世話でしかない。俺は、少しでも早くこの場を離れたいがために、

 

 

「あ、あぁ…まぁ……どうも」

 

 

 と、少しキョドりながらも、礼を言い塾舎に入る。

 後ろから、「これ、比企谷八幡。まだ話は終わっておらんぞ」と、アルファとオメガが言うが、知ったことではない。俺はさっさとこの無駄イケメンから離れたかった。

 塾舎の自動ドアを塞ぐアルファとオメガの霊糸を無理やり切り、ドアを開閉する。

 あとはそのまま廊下を進み、教室に行けばミッションコンプリート。そのはずだった。

 

 だが、如何せん、そのタイミングに問題があった。

 

 俺は後ろの葉山隼人に気を取られ過ぎていた。だから気づかなかった。

 ガラスでできた自動ドアの先からくる、彼女の存在に。

 

 

「あら、あなた、こんな時間に何をしているのかしら。腐る前に、早くお墓にお戻りなさい」

 

「げ」

 

 

 意図せずして、俺は顔を引きつらせてしまった。

 だが、それも仕方ない。如何せん、まさかこんな所で、しかもこんな時間に、出会うだなんて思ってもいなかったのだから。

 そいつは、俺の不躾な態度に不機嫌そうに「むっ」と、顔を歪める。

 夏も間近だというのに汗一つかかずに涼しげに佇むその姿は、雑誌のモデルのように様で、目を惹いた。

 だが、その目を惹く見た目とは裏腹に、その中身が無差別の毒舌マシーン(由比ヶ浜は除く)だということを知る俺は、ただただ辟易とした気持ちにしかならなった。

 

 そう、そこにいたのは、氷の女王こと、雪ノ下雪乃。その人であった。

 

 

「あら? 今、虫の声が聞こえたわね。踏みつけないように気をつけないと」

 

 

 死体から虫にランクダウンしてしまった。いや、生きてるから寧ろランクアップ? どのみち、女王様は、俺の態度に大層ご立腹のようだ。

 もうすぐ夏だと言うのに、一気に体感温度を下げてしまった。

 

 

「ゾンビの次は虫かよ。相変わらずな塩対応だな雪ノ下。目の前にいるのに虫扱いとか、どんだけ影薄いんだよ。どこの幻のシックスマンだ。別にミスディレクションとか使えねーぞ、俺」

 

「あら、あなただったの比企谷くん。ごめんなさい気づかなかったわ。でも、この私の霊視能力を掻い潜るなんて、なかなか強力な霊のようね。除霊してもいいかしら?」

 

「元から死んでねーよ。勝手に殺すな」

 

「それとあなたもしかして、知り合い……いえ、顔見知りに会ったときの対応の仕方も知らないのかしら? 不躾谷くん?」

 

「おい、今なんで言い直した。知り合いでいいだろ知り合いで。あと、お前後ろに「谷」を付ければいいと思ってねーか? それと今の言葉、そっくりそのままお前に返すわ……まぁ、おはよう」

 

「えぇ、おはよう比企谷くん。朝からゾンビ出勤お疲れ様」

 

「結局それかお前」

 

 

 はい、ここまでお決まりのパターンである。いつもなら、この後は各々の椅子に腰かけ、由比ヶ浜が来るまでお互い読書に勤しむが、生憎ここは部室ではない。

 雪ノ下は、さっと俺の全身を眺め、目ざとく肩に掛かった鞄を見る。

 そして、ウフフと凍えるような笑顔を浮かべた。あの雪ノ下さん。やめてください凍死します。

 

 

「―――それで、比企谷くん。こんな時間にあなたは何をやっているのかしら?」

 

「あぁ…まぁ…あれだ。お前が言う所のゾンビ出勤ってやつだよ。ゾンビは夜遅くまで活動しているから、朝に弱いんだよ。いや、マジで」

 

「要するにただの寝坊じゃない……」

 

 

 せっかくのノリを意識した俺の受け答えに、呆れたように、雪ノ下はため息を吐いた。

 

 

「―――あなた、日頃から正しい生活をしていないからそんなことになるのよ。いい機会だから、これを機に少し生活習慣をなおしたらどうかしら?」

 

「お前は俺のオカンか。つかなんでお前、俺の生活習慣について知ってんだよ? なに、お前、ストーカー?」

 

「冗談は顔だけにしなさい比企谷くん。だいたい、そんな腐った目をした人が、まともな生活を送っているわけがないじゃない。どうせ昨日の夜も、私の口から言うのを憚(はばか)るような、あなた好みの映像を見ていて遅刻したに決まっているわ。だったら完全な自業自得よ。自首しなさい、比企谷くん」

 

「会って一分で警察に自首を勧められたのは初めてだよ……じゃなくて、そんなお前の口から言うのを憚るような映像なんて見てねーよ。ただ、授業の課題やってたら寝落ちしただけだ。勘違いすんな」

 

「あら、そうなの? ごめんなさい、ゾンビの日常生活がどんなものか知らなかったものだから……」

 

「だから勝手に殺すなよ……」

 

 

 そう言って、俺はがっくりと肩を落とした。

 俺、今日一日で何度ゾンビ扱いされたことか……たぶん新記録だな。あぁ、数えときゃよかったな。きっとギネスに投稿したら即刻登録されるだろうし。

 次からはちゃんと数えとくか。はてさて、一体何人が俺の事をゾンビ扱いしてくれるかなー? 楽しみだなー。

 やっぱり、やめよう。己のぼっちさを思い出す虚しい作業だと、今気づいた。

 

 

「ていうか、そう言うお前もこんな時間にどうした? まさか、学年一位の雪ノ下さんが遅刻―――」

 

「アルファ、オメガ、学長から話は通ってるかしら?」

 

『うむ。通っておる』

 

『葉山隼人はすでに来ておるぞ。急がれよ』

 

「えぇ、ありがとう」

 

「あぁ、そうですか。無視ですか」

 

 

 澄ましたような顔で、俺の言葉を可憐にスルーする雪ノ下。まぁ、その程度のことならばいつものことなので気にはならない。はぁ、俺もだいぶ感覚がマヒしてるなぁ。

 だが、ふと見えてしまった雪ノ下の表情。そこに見えた一瞬の陰りが、頭にこびりついて離れなかった。その表情は、はじめて俺があの部活に連れて行かれた時の表情に似ていたら。

 干渉すべきではない。なぜなら、雪ノ下はそれを望まないから。そう分かってはいたのだが、

 

 

「―――憂鬱そうだな」

 

 

 気づけば、俺はその言葉をポツリとこぼしていた。

 瞬間、まるで雷に撃たれたように振り返る雪ノ下。大きな目をまんまるにし、驚く顔を見せる。だが、その気持ちが分からないわけではない。俺自身、まさか自分から雪ノ下に、しかも雪ノ下のことを心配するような話題を振るとは、思ってもいなかったのだから。

 しかし、それもつかの間。ハッと何かに気づいたらしい雪ノ下は、サッと一歩後ずさりし、何かから身を守るように、自らの肩を抱きしめる。そして、ジトッとした目で俺を見て、

 

 

「あなた……まさか、ブルーな私の気持ちに付け込んで、私の体を―――」

 

「あーすまん。心配した俺がバカだったわ。お前はいつもどおりだ、こんにゃろー」

 

 

 なんだよ、偶に心配してやったのにこの仕打ち。ふて腐れる俺に、肩に掛かった髪をふわりと流し、雪ノ下は悪戯っぽく笑った。

 

 

「冗談よ。だいたい、あなたに私を襲えるような勇気があるわけないでしょう? 安心しなさい。その辺りはきちんと信頼しているから」

 

「嫌な信頼のされかただな、おい」

 

「ふふ、拗ねてはだめよ? 私が信頼する人なんてそうはいないのだから」

 

 

 そう言って、また雪ノ下は笑う。その表情には、さっきまでの陰りは見えなかった。

 その事実に、柄にもなくホッとする自分に、俺は思わず苦笑した。

 

 

「―――今日は、実家の方に入った仕事の見学に行くのよ」

 

 

 一息つき、そう雪ノ下は話を切り出した。

 

 

「自慢ではないのだけど、私の家のような名のある陰陽師の家には、それなりに大きな依頼があることがあるのよ」

 

 

 どこが自慢じゃないだ。思いっきり自慢じゃねーか。

 そこまで出かかった言葉を俺は呑み込んだ。その大きな依頼こそが、こいつの憂鬱の原因だということに薄々気づいたからだ。

 

 

「今回はいわゆる地鎮祭の依頼らしいわ。元は由緒ある古いお寺を壊した土地に、ビルを建てたいから、私の家に依頼が来たの。私たちはその見学に呼ばれたのよ。いずれ私たちも参加することだからって」

 

 

 私たち、か。雪ノ下の言う私たちとはきっと葉山のことなのだろう。

 さっきからずっと俺たちの会話を興味深げに聞いているらしい葉山は、俺の目線が自分に向いたことに気づき、爽やかな素敵スマイルで笑う。若干気まずく思った俺は、すかさず葉山から目を逸らした。

 

 

「で? それのどこが憂鬱になるんだ? 寧ろお前なら嬉々として行きそうだけど」

 

「えぇ、そうね。確かにそれだけなら非常に興味深いのだけど……ただ少し、苦手な人が居て、ね」

 

 

 そう言って、雪ノ下は苦笑した。しかし、本人は誤魔化せているつもりかもしれないが、ぼっち故に人間時観察に特化した俺には分かってしまった。

 その言葉の瞬間、こいつの視線の先に、誰が(・・)いたのかを。

 けれど、それを指摘するつもりは毛頭ない。誰しも触れられたくないことはある。それは俺にだってもちろんある。そこまで踏み込んでしまうほど、俺は無謀ではない。ここが、引き際だった。

 

 

「まぁ、誰しもが仲良くなれるんなら、戦争だって、人権問題だって、おけらだって、生まれねーしな。仕方ないだろ」

 

「―――そうね。不本意ながら同意せざるを得ないわ。あなたも、偶には好い事を言うのね。見直しそうになったわ」

 

「って、見直さねーのかよ」

 

「えぇ。だって今の言葉、ぜんぜんあなたらしくないじゃない」

 

「うわっ、ごもっともすぎて何の反論もできねーじゃねーか」

 

 

 はい、ダンガンロンパと。残念ながら「それはちがうよ!」とは言い返せなかった。

 とは言いつつも、慈悲深い氷の女王様は、俺の反応に満足したのか、ふふんと満足げに微笑んでいる。どうやら「うぷぷぷぷ」されずには済みそうだった。

 ふわりと塾舎の中に生暖かい風が吹く。

 見れば、葉山が塾舎の外に出て、道沿いを確認しているのが見えた。

 その風に吹かれ、雪ノ下の黒髪が一瞬ふわりと舞った。無意識だろうか、舞い上がった髪を彼女の白い手が優しく抑える。外を見る雪ノ下の表情は、とても穏やかに見えた。

 

 

「比企谷くん」

 

 

 不意に名前を呼ばれ、俺は反射的に「なんだよ」と問う。けれど、雪ノ下はただ無言で外を見ているだけで何も言わない。いや、これは……言葉にするのを言いあぐねているのか?

 見れば、雪ノ下の唇は少し開いて、また閉じるのスパンを繰り返していた。だがやがて決心したのか、すっと、その唇を緩めた。

 

 

「確かに、さっきまでの私が少し陰鬱だったのは否定しないわ、けど―――」

 

 

 そこで言葉をいったん切り、雪ノ下は少し上目使い気味に俺を見上げ、

 

 

「今は少しだけ、気が楽になったわ」

 

 

 そう言って、ふっと微笑んで見せた。

 いつもは由比ヶ浜にしか見せない、彼女らしいクールかつ、少しだけ茶目っ気を含む笑みで。

 

 

「迎えが来たよ、雪ノ下さん」

 

 

 瞬間、外から聞こえる葉山の声。狙っていたかのような実にいいタイミングだった。

 数秒置いて、塾舎に葉山が戻ってくる。

 さっきは気づかなかったが、さっきまでこいつの肩に掛かっていた鞄と竹刀袋が『アルファ』の側に置いてあった。それを取りに来たのだろう。

 そして、外から僅かなブレーキ音が聞こえた。見れば、如何にもな黒い車が止まっていた。

 

 

「ごめんなさい、迎えが着てしまったわ。そういうわけだから、今日の部活は休みにするわ。由比ヶ浜さんにもそう伝えてくれるかしら?」

 

「―――分かった、伝えとく。地鎮祭はいつまでなんだ? 一日じゃ終わらんだろ? できれば三、四日休みにしてくれればベストだな、うん」

 

「残念だけど、今日中に帰る予定よ。明日はいつも通り部活はあるからちゃんと来なさい。もし来なかったらあなたが部活をサボったいつかみたいに、学校中で由比ヶ浜さんがあなたの事を聞いて回るから」

 

「おいおい、勘弁してくれ」

 

 

 その様が容易く想像できてしまって、俺の口元は我知らずに緩む。

 それは雪ノ下も同じらしく、唇に人差し指の第二関節を当てながら楽しげに微笑んでいた。

 

 

「ふふ、では、比企谷くん。今日は先に帰らせてもらうわね」

 

「あー…まぁ、なんだ……じゃあな」

 

 

 その一言が意外だったのか、雪ノ下は一瞬きょとんとするが、すぐにいつものクールな顔に戻った。

 

 

「えぇ、さよなら」

 

 

 それだけ言って、雪ノ下は塾舎の前に停めてある車へと向かう。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は開いていた制服のボタンをきっちりと閉めた。さすがに外が暑いとはいえ、さすがに塾舎の中はクーラーが効いていて、むしろ肌寒い。ていうか冷房の温度ミスってね? お盆のT〇TAYAくらい寒いんだけど?

 そして、防寒対策を整え、いざ講義室に行こうかと思ったその前に、

 

 

「比企谷くん」

 

 

 俺を呼ぶ雪ノ下の声に、俺は振り返った。

 瞬間、雪ノ下は、一瞬戸惑いは見せるも、自然な動作で手を上げる。だが、恥ずかしいのか、あるいは戸惑っているのか、結局その手が、胸より上に上がることはなかった。そして、今にも消えそうな声で、頬を薄く染めながら、そっと呟いた。

 

 

「また、明日」

 

 

 たった一言。そのたった一言に、俺の口元は自然に緩んでいた。

 氷の女王たるあいつには似つかわしくないその行動。慣れない手つきで手を振る雪ノ下。そして彼女らしからぬ優しい言葉。

 けど、まぁ、偶にはこういうのもいいかもしれない。俺は少しだけ、そう思った。

 

 

「あぁ、また明日、な」

 

 

 俺はいつの間にかずり下がっていた腕の袖をまくる。

 今はとにかく、熱かった。

 

 

 

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 

 

 

 

「……驚いたよ。君は、雪ノ下さんとすごく親しいんだね」

 

 

 開口一番、葉山はそうかなり的外れなことを言ってくる。

 その間違った指摘に、俺はやれやれと肩を竦めた。

 

 

「何言ってんだ。俺とあいつが親しい? 冗談はよせよ」

 

 

 思わず、毒づくように葉山の言葉を否定する。

 しかし、今度は葉山が驚愕の目で俺を見た。その目には、声に出さずとも、「信じられない」というこいつの言葉が浮かんでいる。

 その視線が気まずくて、俺はまたしても葉山からすーっと目を逸らしてしまう。

 不躾な俺の仕草。けれど、葉山はそれを咎めることはなく、「はぁ」と息を吐き、視線を前へと向けた。

 

 

「……聞いたかもしれないけど、俺と彼女の家は、分家と本家の関係なんだ。分家の長子である俺は、年が同じこともあって、彼女とは一緒にさせられることが多かったんだ」

 

「……呪術の名家では特別珍しい話でもないだろ」

 

 

 俺の悪態に、葉山は「そうだな」と笑った。

 けれど、特技「人間観察」と言ってしまう俺の目には、こいつのその笑みが、どうしても無理やり笑ったようにしか見えなかった。

 

 

「けど、俺は、あんな顔の雪ノ下さんをこれまで見たことない」

 

 

 そう言う葉山の視線の先には、迎えの車に乗り込む雪ノ下の姿。

 こいつがどんな気持ちで、あいつのことを見ているのか、俺には解らない。だが、少なくとも、こいつが雪ノ下に向ける感情には何か含みがある。それだけは、俺にすら分かった。

 

 

「すまない、時間を取らせてしまったね。じゃあ、俺はもう行くよ。雪ノ下さんも待たせていることだしね」

 

 

 そう言って、葉山は小走りで雪ノ下が乗り込んだ車へと向かう。だが、雪ノ下同様、葉山も途中で立ち止まり、そして例の爽やかスマイルでニッコリ微笑んだ。

 

 

「それじゃ! また明日、教室で会おう、比企谷くん!」

 

 

 最期にそう言って、葉山は片手を挙げさわやかに去っていった。

 その後ろ姿をぼーっと眺めていたら、俺はハッと思い出す。そういえば、遅刻してたんだけ。

 ふと思い出したその事実に、俺は改めてため息を吐いた。

 

 

『ようやく思い出したか、比企谷八幡』

 

『ついでに我らの存在も、嬉しいのぅ』

 

 

 刹那、左右からかかる『ほっほっほっ』という、愉快そうな声。そういや居たなこいつら、と思い、俺はもう一度溜息を吐いてしまった。

 

 

『ほっほっほっ。ところで比企谷八幡よ、お主、えらく雪ノ下雪乃嬢と親しげであったな』

 

『左様。我らの存在を忘れるほどまでに、自分たちの世界に入りきったあの息の合った夫婦(めおと)のような掛け合い。いやはやなんともまぁ』

 

『『青春であるなぁ』』

 

 

 こいつらも、えらく好き勝手言ってくれる。

 まるで、漫画の中の幼馴染を微笑ましく見守る近所のおじさんのような言い含んだ物言い。正直、相手にするのも面倒くさい。がしがしと無造作に頭を掻き、俺はジトッとした目で、このオヤジ式神共を睨みつけた。

 

 

「ちゃんと話聞いとけ。さっき葉山にも言ったろ? 俺と雪ノ下が親しそうだって? 冗談じゃねーよ」

 

『ふむ。などと申しておるが、どう思うオメガ?』

 

『もしや、これは「つんでれ」というやつではないかのぅ? ほれ、いつぞや材木座義輝坊が、我々に実戦こみで教えてくれたあれじゃよ、あれ』

 

 

 おいこら、何やってんだよ材木座ぇ……ちなみに、『アルファ』と『オメガ』がいるここは、陰陽塾舎の正面入り口である。

 

 

『ふーむ、あれかぁ。しかし、どーも我はあの「つんでれ」というものに魅力を感じなかったのだな。やはり、女子(おなご)は古き良き、大和撫子に限る』

 

『じゃがアルファよ。比企谷八幡は男子(おのこ)であるぞ?』

 

『男子(おのこ)とて同様。時代は変われども、誠実さこそが人の要(かなめ)である』

 

 

 なに、この無駄な寸劇?

 基本的に「あ」「うん」の形で固定されている『アルファ』と『オメガ』。けれど、今はその口元が大きく吊り上ってるに見えた。ってか、もう付き合ってられない。

 がしがしと頭を掻き、俺は無駄に疲れた心に鞭打って、歩き出した。

 

 

「……あの、俺いい加減塾舎に入っていいですか?」

 

『おぅ、これはすまなだ比企谷八幡。そうであったな、学生の本分はなにより勉学。我らがそれを邪魔してはならぬの。しっかり励めよ、比企谷八幡』

 

「うっす」

 

『ん~、しかしそれはそれとしてのぅ比企谷八幡。こう見えても我らは50年ここで門番をしておる。これまでたくさんの塾生をここより見送ってきた我らに何か相談したいことはあるかのぅ?』

 

「いや、特には……」

 

『本当か? 我らで良ければいつでも相談に乗るぞ? 勉学から今日の献立まで、なんでもござれじゃ』

 

『無論、恋の悩みもな』

 

「いや、だから何もねーって言ってんだろ……」

 

 

 てんわやんわと右で左であれこれ言うお節介な二体の式に、閉口しながら、俺はようやく塾舎への敷居を跨ぐ。なんか、朝からどっと疲れた気がした。

 背後からは、「いつでも良いぞ」と、式神の声が聞こえたが、それを無視して、俺は左手の腕時計に目を向ける。時刻はすでに二限目の終わり間近。俺は講義に出ることを諦め、カバンを肩に掛けなおし、ゆっくりと廊下を歩き出す。

 

 さすがに講義中であるからか、塾舎の廊下はいやに静かだった。

 さっきまであんなに鬱陶しかったのに、今はこの静けさが妙に寂しく感じた。

 その静けさの中で、俺は葉山との最後の会話を思い出す。浮かぶのは雪ノ下の話をするときの何かを含んだ物言いをする葉山の言葉。あんな見るからのリア充にも、思うことはあるんだなと、俺は思う。

 やがて、はっとその事実に気づいた俺は、静かな廊下に木霊させるように、そっと呟いた。

 

 

「そういやあいつ……最後はちゃんと呼んでたな」

 

 

 俺の名前。

 

 

 

 

 

 

 

          *

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、これより続く二人の因縁ははじまった。後に呪術捜査部局長「天海大善」の懐刀となる『黒子(シャドウ)』比企谷八幡と、霊災対策室のエース『神通剣』葉山隼人。

 

 真逆の二人が歩む、【約束された対立】への道が―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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