どうやら俺はたくさんの世界に転生するらしい【完結】   作:夜紫希

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【過去】

 

 

「いやもう何か凄かったんですよ! こうぶわぁって! どぎゃああんって感じでですね! 体の力が一気に抜けたんですよ! そしたら周りにいた人たちがバタバタ倒れ出してうわーこれアカンやつだわーって思ってですね。そしたら窓ガラスがパリーンってハリウッド映画みたいに黒服の人が入って来まして急いでどうにかしないといけないから自分もパラリラパラリラって———」

 

 

「もういい。全然分からないからまた今度聞く」

 

 

警察に呆れられることに成功。やったねっと言いたいところだが、申し訳ない。全部は俺と狂三って女の子のせいなのです。言えない事情って辛い。

 

一応言えるよ? でも正直に警察の人に「猫が大好きな中二病の女の子に追いかけられて殺されかけました」って言ったところで誰が信じるのだろうか? 純粋な心(ピュアハート)を持った折紙くらいだろ。

 

その後は住所や名前を聞かれたが適当に答えて逃げて来た。わぁ、悪い人ね。

 

結局二度も洗剤を買う羽目になってしまった。面倒な上に金を無駄に消費した。

 

夜道を警戒しながら家へと帰る。もしここでまた襲われたら命乞いをしよう。今日はもう疲れた。

 

命乞いの言葉を考えていると、すぐに家へ辿り着いた。ドアの鍵を開けて中に入る。きっと折紙は寝ているはずなので忍び足で入る。

 

 

「遅いッ!!」

 

 

「……何でまだ起きてんだよ」

 

 

鬼嫁の如く、玄関に腕を組んだ折紙が立っていた。パジャマを着ているせいで全く怖くない。というか子どもだから全然恐怖を感じない。しかし、今の気持ちは帰りが遅くなった旦那のようだった。お父さん、浮気なんかしてないんだからね!

 

 

「寝てろって留守電したよな?」

 

 

「うッ、知らない人の番号には出ちゃ駄目ってお母さんが……」

 

 

「留守電だから聞くだけでいいよな?」

 

 

「うーッ……………あッ」

 

 

追い詰められた折紙が何かを閃いた。嫌な予感MAXだ。

 

俺の体に抱き付き、一言呟いた。

 

 

「女の匂いがする」

 

 

「お前は昼ドラの見過ぎだ。マジで怖いから勘弁して」

 

 

将来折紙の旦那になる人が可哀想過ぎる。今度から昼の録画全部消そうかな? プリ〇ュアでも見て心を浄化しろ。

 

 

「一緒にゲームする約束したから」

 

 

「それはすまん」

 

 

「……あと一緒に寝る約束したから」

 

 

「ごめんそれは全然記憶にないんだけど」

 

 

記憶力が超人並みにある俺。した覚えが全く身にございません。

 

 

「ちゃんと約束した! モールス信号で!」

 

 

「何で小学生がモールス信号使えんだよ!? おかしいだろ!?」

 

 

だからどこで覚えているんだよその知識!?

 

一応今日の記憶を辿ってみる。するとショッピングモールで、

 

 

 

『アイス、クリーム!』

 

 

 

———目の瞬きで「キョウ、イッショニ、ネテホシイ」となっていた。

 

 

 

『ん? おう。分かった分かった。サー〇ィンワンに行こうな』

 

 

 

という場面を思い出した。

 

汗がダラダラと滝のように流れる。そして、叫んだ。

 

 

「———巧みな話術と共に騙されてるぅ!?」

 

 

嘘だろ!? 確かに「アイスクリームを買って!」とは言っていないけど、目の瞬きでモールス信号するとは思わねぇよ! 

 

というか何でモールス信号できんだよ!? 教えた覚えもないんだけど!?

 

クソッ、アイスクリームを買った後の折紙のドヤ顔が腹立つな。何で気付けなかった俺……!

 

 

「……駄目?」

 

 

女の子の上目遣いって威力が半端ないよな。

 

 

「……ったく、10分で全部終わらせるから待ってろ」

 

 

まぁ結局最後に折れるのが俺。別に減るようなことは何もない。喜んでくれるならそれでいいだろう。

 

買って来た洗剤で皿を速攻で洗い片付けて、シャワーを浴びてパジャマに着替える。戸締りをしっかりと確認して寝る準備を済ませた。

 

ソファでウトウトしている折紙に「よし、自分の部屋で寝ろ」と声をかけると、ジト目で見られた。はいはい、一緒に寝ればいいんですよね?

 

畳がある和室にいつも俺が床に敷いて寝ている布団を取り出す。久しぶりに寝るなぁ。

 

 

「「……………」」

 

 

一緒に布団に入ったのはいいのだが、この後どうすりゃいいのこれ? いや、寝ればいいのか。

 

だけど、その前に気になることが一つある。

 

 

「折紙さぁ……クラスメイトに、敬語使ってなかったか?」

 

 

ビクッと体が動いた。合っていたか。

 

俺は危惧していたことを呟く。

 

 

「……ぼっちか」

 

 

「ッ!!」

 

 

ズビシッ!!

 

 

「うぎゃッ!?」

 

 

折紙の右手のチョキが目を突いた。冗談抜きで失明するから!

 

 

「違う! ちゃんと友達いるから!」

 

 

「うぉ……目がぁ……! じゃあ友達の名前、言ってみろよ」

 

 

「……………トモちゃん」

 

 

「お前はどこぞの残念美少女ぼっちだよ。何でエア友達だよ」

 

 

絶対友達少ないだろ折紙ェ……!

 

何度も布団の中で俺の体をゴスゴスと殴っている。痛くないけどやめてくれ。

 

 

「分かった分かった。明日、士道と琴里ちゃん紹介してやるよ。良い奴らだから仲良くするんだぞ」

 

 

「……………そ」

 

 

「そ?」

 

 

「そんなこと、できるのでしょうか……!?」

 

 

「急に敬語になったおい。どうしたお前。大丈夫かよ」

 

 

コミュニケーション能力に、やや難があり。

 

心配になってしまうが、あの二人なら大丈夫だろうと折紙の頭を撫でながら眠りについた。

 

 

 

________________________

 

 

 

【現在】

 

 

過去で平和?に暮らしている大樹に対して、一方こちらはカオスになっていた。

 

 

「初めまして。五年前、大樹先生に家庭教師をして貰った猿飛と申します」

 

 

「この子は猿飛さんの娘さんですよ! 誤解しないでください!」

 

 

赤ん坊を抱えながら答えたのは爽やかそうな雰囲気を纏った猿飛だった。折紙は顔を赤くしながら誤解を否定した。しかし、問題はそこじゃない。

 

 

「おいちょっと待てぇ!? 今、お父さんって言ったよな!? お兄ちゃんはどこ行った!?」

 

 

原田が焦った様子で尋ねる。女の子たちも慌てていた。

 

事情を知っていた猿飛は笑いながら折紙の代わりに説明する。

 

 

「ああ、当時は大樹先生がお父さん代わりのような存在だったからね。折紙ちゃんは先生をからかうために言っていたけど、無意識に言うようになったんだよね」

 

 

「や、やめてください! 恥ずかしいから忘れてください……!」

 

 

先程より顔を赤くしながら折紙は俯いた。とりあえず事情は呑み込んだ。納得はしていない。

 

 

「でも折紙ちゃんが先生のこと、一番好きだったじゃないか。ねぇ琴里ちゃん?」

 

 

「そ、そうですね。というか気付いていたんですか」

 

 

「全然変わっていなかったからすぐに分かったよ! 相変わらず小さくて可愛いよ琴里ちゃん」

 

 

「エヘヘッ、絞めますよ?」

 

 

「えぇ!? 何で!? ごばぁッ!?」

 

 

その瞬間、満面の笑みで琴里は右ストレートを猿飛の顔に放った。大樹と同じくらい天然で無意識なんだろうな。

 

原田は琴里の肩に手を置き、励ます。

 

 

「まぁ中学生なら大丈夫だ。まだ望みはある。既に高校生で残念な結果を残している人もいるんだ」

 

 

———この後、原田はアリアと優子にボコボコにされたことは言うまでもない。

 

話を戻すために黒ウサギが質問する。

 

 

「猿飛さんと琴里さんは知り合いなのですか?」

 

 

「ええ、体操のお兄さんが折紙を紹介して、そこから猿飛さんと知り合ったわ」

 

 

「きょ、今日は黒のリボンなんだね……見ていなかったよ」

 

 

「そ、そのことはちょっと……」

 

 

「ああ、ごめんごめん。じゃあ愛しの士道君は———」

 

 

「一言多いですよ♪」

 

 

「ぐふッ」

 

 

(似ている。猿飛さんがボロボロになっていく姿は、まさしく女の子に怒られる大樹! これも家庭教師として教えたのか……!?)

 

 

そんなわけありません。原田の勘違いです。

 

戦慄する原田と苦笑いの女の子たち。

 

 

「ご、ごほッ……まぁ君は士道君と同じくらい先生が好きだったからね……」

 

 

「そ、それは子どもの時の話ですッ」

 

 

「そうだね。今は士道———ごめん、僕は悪かったグーはやめて」

 

 

「カッコイイ大人に見えていただけです。半年の間、いつも私たちの面倒を見ていてくれたので……」

 

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 

その時、原田が無理矢理話を止めて入って来た。

 

 

「どういうことだ!? お前は大樹のことをどこまで知っているんだ!?」

 

 

「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ。 一体何を言っているの?」

 

 

「違う! お前は大火災()の大樹しか知らないって言ったじゃないか!? その先は知らないから鳶一のところに———」

 

 

「そんなこと、一度も言った覚えないわよ?」

 

 

「———はッ?」

 

 

気の抜けた言葉が出てしまった。

 

原田は確かに聞いた。琴里が大火災前のことしか面識がないことを。

 

なのに彼女は『半年』と言った。

 

さらに琴里から情報を聞き出そうとするが、

 

 

 

 

 

———悲劇は、突如訪れる。

 

 

 

 

 

バギンッ!!!

 

 

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 

その場にいた原田、アリア、優子、黒ウサギ、真由美。

 

 

———以上、()()の者に鋭い頭痛が走った。

 

 

「な、何だ今の……!」

 

 

「さっきと感覚が違うのだけれど……!?」

 

 

原田とアリアは頭を抑えて痛みに堪える。優子たちも頭を手で抑えていた。

 

 

「ど、どうしたのですか!?」

 

 

「え!? 急に何なの!?」

 

 

「だ、大丈夫ですか!? 頭が痛いのですか!?」

 

 

猿飛と琴里が急いで駆け寄る。折紙は救急車を呼びそうになるくらい心配していた。

 

 

「だ、大丈夫よ。痛みは一瞬だけだったから……」

 

 

優子の言葉に周りも頷く。痛みは問題なかったが、不可解な現象に問題があり過ぎる。

 

別の意味で頭が痛くなる原田。何一つ手掛かりが掴めない状況に唇を噛み締めた。

 

 

(今の感覚は何だ……さっきから何が起きてやがるんだ……!)

 

 

その時、優子が最悪の異変に気付いた。

 

 

「ねぇ……真由美……」

 

 

「ど、どうしたの? 顔色が凄く悪いわよ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ティナ……ティナちゃんは……どこよ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

———悲劇の歯車は、ついに動き始めた。

 

 

________________________

 

 

 

【過去】

 

 

 

———12月22日

 

 

あれから何ヵ月の時が経った。季節は秋を過ぎ去り、冬に変わった。

 

折紙の両親は何度か意識を取り戻しては長時間眠ることを繰り返している。しかしそれは良い傾向で脳の回復が進んでいることが分かっている。実際、12月に入ってから目を覚ます回数が増えている。

 

両親の回復と共に折紙はさらに元気になり、今も隣でニコニコしながら俺の手を握っている。

 

 

 

「はー、寒いなぁ……」

 

 

「ねぇお兄———お父さん!」

 

 

「だから何で言い直すんだよ。お兄ちゃんでいいだろうが」

 

 

いつまで経っても俺のことをわざと『お父さん』と言おうとするし、勘弁してくれ。

 

最近、商店街を一緒に歩くのが恥ずかしくなってしまう。早く買い物を済ませて帰ろう。

 

 

「ん? そういや士道と琴里ちゃん、クリスマスの日は家に来るんだよな?」

 

 

「うん!」

 

 

すっかり士道と琴里ちゃんと仲良くなった折紙は笑顔で答える。友達ができて良かったな。でも士道、テメェに折紙はやらねぇ。

 

 

「あら大樹君!」

 

 

歩いていると肉屋のおばちゃんから声をかけられた。

 

 

「クリスマスはお家でするんでしょ? なら良いお肉、当日取っておくわよ!」

 

 

「さすがおばちゃん! クリスマスの日に絶対行くわ!」

 

 

「坊主! 肉だけじゃなく野菜も買ってくれよ!」

 

 

「おう! おっちゃんが安く売ってくれるなら買ってやるよ!」

 

 

「魚はどうだい!? クリスマスにはマグロが———」

 

 

「いや、それはいらん」

 

 

「———ひでぇ!!」

 

 

商店街の人たちとも仲良くなったし、この町や暮らしに馴染んで来た。もう心配事はない。

 

……ごめん嘘。心配事めっちゃある。それは時々の俺の前に狂三が現れることだ。

 

攻撃や襲うことはないが、俺を毎度からかうのはやめて欲しい。急に足をガシィッ!!って掴まれたらそりゃ「ぷぎゃああああああァァァ!?」って叫ぶに決まっているだろ! 冗談抜きで心臓止まるかと思ったわ!

 

あと何か吹っ切れて猫カフェに俺を連れて行くのもやめて。店員さんたちの優しい視線が痛いから! というか俺たちだけ特別割引するとか店員さん良い人———いや、あのニヤニヤしたムカつく顔は駄目だ。俺たちのことを(もてあそ)ぶオモチャにしか見ていない。狂三は気付いていないが。……気付かない方が本人のためでいいけど。

 

 

「……噂をすれば何とやらというやつか」

 

 

「お父さん?」

 

 

引き攣った顔をした大樹。折紙は首を傾げた。

 

俺はあの日から超人的な身体能力を持っていることを確信した。どうしてそんな能力があるのか。最初は不安や恐怖があったが、同時に何故か安心感があった。どうして安心できるのかは分からないが、記憶を無くす前の俺なら悪用しないと……し、信じているよ? していないよね? ねぇ!? 昔の俺よ!? ……浮気疑惑があるから完全には信用できねぇ。

 

それから身体能力は俺に教えるかのように様々なことを頭の中で伝えて来た。人の気配察知ができたり、視力がありえなくらい見えるようになったり、長い間息を止めることができたりと、何かヤバい。俺は過去に人造人間でも改造されたのではないかと疑ってしまうレベル。

 

……っと長話になってしまった。最終的に何が言いたいかと言いますとね、

 

 

(左斜め後ろ、約五百メートルの距離、狭い路地から狂三が俺を見ているんだよなぁ……)

 

 

嘘だろって思うでしょ? これがマジなんだよな。

 

 

「あー、せっかくだから俺の友達も呼んでいいよな?」

 

 

「猿飛さん?」

 

 

「う、うん……サル君も呼ぼうか」

 

 

「……『も』?」

 

 

「えっと、あと一人、呼ぼうかなぁ……って」

 

 

折紙って最近鋭いよな。

 

 

「……………女の人?」

 

 

「……………うん」

 

 

俺の女の子事情に関して。

 

何で分かるの? 何でそんな目で見るの? 何でなのよさ!? ちょっと蒔〇要素入ったな。まぁ俺は姉派だけど。

 

 

「お父さん、浮気は良くないよ」

 

 

「そもそも誰とも交際してねぇよ!?」

 

 

「きっとお父さんは遊ばれているよ」

 

 

「ねぇちょっと俺を蔑むのやめてくれる? 結構傷付くんだけど?」

 

 

半分以上合っているから困る。いや、からかわれているから本当に合っている可能性が……いやいや! ソンナコトナイヨネ!?

 

 

(これ以上折紙の機嫌を損ねるわけにはいかない。狂三は別の日に誘うとするか)

 

 

「今密会しようと考えた!」

 

 

「だから何で分かるの!?」

 

 

 

________________________

 

 

 

 

「よぉ」

 

 

「まぁまぁ、どうされたのですか大樹さん?」

 

 

「ベランダで待っていたクセによく言うわ。あと俺のことをずっと見ていただろ」

 

 

「自意識過剰?」

 

 

「事実だろ!」

 

 

家に帰った後、ベランダに出たら狂三が待っていた。折紙は自分の部屋にいるから会うことはないので安心である。

 

狂三は今日もレースとフリルで飾られたモノトーンのブラウスにスカート。バラの飾りがついたカチューシャと医療に使わる眼帯を左目に付けていた。

 

 

「……クリスマスの日、暇ならウチに来ないか?」

 

 

「それはデートのお誘いですか?」

 

 

「いいや、ただのパーティーのお誘いだ」

 

 

「残念ですわ。二人なら隙を突いて食べ———楽しい時間が過ごせそうと」

 

 

「嘘だよな? 今食べようと言おうとしただろ? お前ホントそういうのやめて。心臓に悪いから」

 

 

まだ諦めていなかったのかよ。

 

 

「申し訳ないですがお断りしますわ」

 

 

「やっぱ他の人には会いたくないモノなのか?」

 

 

俺の質問に狂三は苦笑いで答える。

 

 

「元々、大樹さんにも二度と会うつもりはありませんでした。好奇心は猫を殺す、ですから」

 

 

「言ってることが全く逆だな。俺に会い過ぎじゃないのか?」

 

 

「ではいっそのこと大樹さんが私を殺したりするというのは?」

 

 

「無理無理。可愛い女の子に暴力すら振れない俺だぜ?」

 

 

「そうでしたわ。可愛い女の子には……性的暴力しかできないと言っていましたわね」

 

 

「言ってねぇよ!? 何捏造してんだ!?」

 

 

「あぁ!? このまま大樹さんに食べられてしまうのですわ!」

 

 

「おい!? 近所迷惑だからやめろ!? 誤解されたらどうするんだよ!?」

 

 

狂三は楽しそうに笑い俺を馬鹿にする。普通なら嫌だと思う会話でも、狂三が嬉しそうにするなら構わないと思った。

 

 

「まぁ、気が向いたらまた遊びに来いよ。俺の家じゃねぇけど」

 

 

「ええ、また会いましょう。それと———」

 

 

タッタッタッと狂三は小走りで俺に近づき両手で肩を掴み、

 

 

「———クリスマスプレゼントですわ」

 

 

柔らかい感触が、頬に触れた。

 

 

「……………おまッ!?」

 

 

それは狂三の唇だと気付くのに3秒も掛かった。一気に自分の顔が熱くなり赤くなったことまで分かってしまう。

 

微笑みながら影の中へと消えて行く狂三。頬を朱色に染めていたのは見間違いだろうか。いや、あんな恥ずかしい真似、平常心でできるわけがない。

 

狂三が姿を消した後、大きなため息をついた。

 

 

「はぁ……本当に、心臓に悪いからやめてくれ」

 

 

ベランダの窓を閉めながら、俺は夕飯の準備に取り掛かった。

 

 

________________________

 

 

 

【現在】

 

 

「ティナが消えた……!?」

 

 

耳を疑い、目を疑った。部屋の中を見渡せばティナの姿はなく、どこにもいなかった。

 

 

「ティナ? 誰よ?」

 

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 

不思議そうな表情をした琴里が尋ねた瞬間、全てを悟った。

 

震える唇で原田は琴里に聞く。

 

 

「そうだよな……()()()()俺たち()()しかいなかったよな?」

 

 

「当たり前でしょ。いきなりどうしたのよ?」

 

 

「そんな……!」

 

 

琴里の答えに優子は膝から崩れ落ちた。話に参加するのは無理だと判断した真由美が優子を連れて部屋から出て行った。

 

琴里と折紙。猿飛の三人は状況に困惑していた。

 

 

「ど、どうしたのですか? 何か具合でも……」

 

 

「いや違う。鳶一の思っていることじゃない。むしろ思うなら……」

 

 

原田は視線を琴里へと移す。琴里はすぐに察した。

 

 

「……まさか」

 

 

「そのまさかだ。お前らの記憶が何度も書き換えが起こっていたが……ついに消える現象も起きた」

 

 

「き、消える!? その前に記憶の書き換えって!?」

 

 

原田は琴里に出会ってからのことを全て打ち明けた。自分たちだけに妙な違和感が襲い掛かり、折紙や琴里の容姿や記憶が変わったこと。

 

それは過去が変わったことで起きた現象だということも予想でき、確信できていた。

 

そして、ティナという少女が先程までここに居たという事実を告げた瞬間、琴里の口からチュッパチャプスの棒が落ちた。

 

 

「本当なの……その話……」

 

 

「ああ」

 

 

「……どうしてそんなに落ち着いていられるのよ」

 

 

「今までの出来事を振り返れば何が起きたのか大体察しているんだよ。そして、どうしようもないこともな」

 

 

原田は手に力をグッと入れ、アリアは唇を噛み締め、黒ウサギの体が震えているのが分かった。

 

 

「恐らく……過去が大きく変わった。世界すら越えて」

 

 

「世界……?」

 

 

琴里は呟いた原田の言葉の意味を理解できていない。折紙や猿飛はもっと理解できていなかっただろう。

 

しかし、アリアと黒ウサギには理解できていた。

 

 

 

———この世界の過去だけでなく、前に居た世界の過去が変わっているということに。

 

 

 

もしこの世界だけの過去が変わっているならティナはちゃんと存在することができていたはずだ。

 

何故なら琴里が【ラタトスク】でずっと自分たちのことを見ていたと言っていたのだから。だけど今の琴里はティナの存在を認知していない。つまり、この世界に来ていた『事実がなくなった』のだ。

 

この世界の出来事の過去をいくら変えようとも、この事実だけは何があっても変わらないはず。神の力によって他の世界から転生して来たという絶対の事実はどうやっても変わらない。なら考えられることは———前に居た世界の過去が変わってしまったというわけだ。

 

 

「とにかく急いで過去を変えないと大変なことになる。最悪、ティナが消えてしまうぞ」

 

 

「過去を変えると言っても、どうすればいいのよ? それに……」

 

 

アリアは折紙と猿飛に視線を移した。二人は混乱しているように見えた。いきなり訳の分からないことを喋りだしたとしか見えないだろう。

 

だが、猿飛は違った。

 

 

「2月24日」

 

 

「え?」

 

 

「最後に先生に会った日だよ。今まで受験勉強を見てくれたけど、あの日は僕の部屋でずっと過ごしていた」

 

 

娘の美也子を抱きながら猿飛は微笑む。全てを理解してない状況でも、猿飛はどうすればいいのかを少しだけ分かっていた。

 

 

「きっと先生の謎はその日にある。折紙ちゃん、先生に会った最後の日は翌日の25日、だったよね?」

 

 

「は、はい! お父さんはその日に私たちの前から……」

 

 

「大丈夫だよ。先生は生きていたんでしょ? 僕も、会って礼を言いたいよ」

 

 

折紙は寂しげな表情になったが、猿飛が励ます。折紙は頷き、心を落ち着かせた。

 

『2月25日』というワードを聞いた琴里が呟いた。

 

 

「2月25日……まだ打つ手はありそうね」

 

 

「本当ですか!?」

 

 

思わず立ち上がる黒ウサギ。驚愕しながら琴里に確認を取ると、琴里は肯定した。

 

 

「ええ、本当は違う目的で探していたけれど、探し出すことができれば全てを救うことができる可能性があるのよ」

 

 

「違う、目的? それは一体———」

 

 

アリアが目的について尋ねようとした瞬間、

 

 

バギンッ!!!

 

 

「「「「ッ!?」」」」

 

 

———悲劇を生んだ頭痛が走った。

 

 

 

「ま、またかよ……!」

 

 

「ちょっと、キツイわよこれ……!」

 

 

「頭が、割れるように痛いです……!」

 

 

原田とアリア、そして黒ウサギが頭を抑える。額から汗を流し、痛みに耐えていた。

 

しかし、今度は別の被害者も出ていた。

 

 

「い、痛いッ……頭がッ……!」

 

 

「折紙ちゃん!? しっかりして!?」

 

 

———目の前で、折紙が頭を抑えて唸っていた。

 

 

苦しそうな表情をする折紙を見た原田は戦慄する。

 

 

「な、何で鳶一まで……!?」

 

 

「そ、それより優子たちは!? 二人は無事なの!?」

 

 

別室に移動した二人のことを思い出したアリアが叫ぶ。叫び声にハッとなる原田と黒ウサギ。

 

 

「またティナと同じようなことが……!?」

 

 

「さ、探して来ますッ!!」

 

 

部屋のドアに一番近かった黒ウサギがドアノブに手をつけた時、

 

 

「その必要は、ないわ……」

 

 

琴里の小さな声が、部屋に響き渡った。

 

黒ウサギの足が止まり、アリアと原田は目を見開いた。

 

嫌な予想が頭の中で構成される。その予想が当たるなと必死に願うも———

 

 

「もう一度同じことを言うわ」

 

 

琴里は告げる。

 

 

 

 

 

「私が連れて来たのは、三人だけのはずよね?」

 

 

 

 

 

———虚しく、嫌な予想は的中する。

 

 

 

 

 

「……クソッタレがッ!!!」

 

 

ゴッ!!

 

 

原田は自分の太ももに拳を振り下ろした。大樹が居ない今、彼女たちを守るのは自分の役目だというのに、全く役に立っていない。むしろ、彼女たちをこの世界から消してしまった。

 

まだ策は尽きたわけじゃないが、それでも何もできない自分が許せなかった。

 

 

「……違う」

 

 

その時、やっと痛みから解放された折紙が否定した。

 

 

「木下……優子さんと……七草、真由美さんがッ……いた……!」

 

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 

折紙の記憶が、消えていなかった。そのことに一同は驚く。

 

 

「分かるのか!? 二人のことを!?」

 

 

「はい……容姿は全く思い出せませんが、名前だけ覚えています。先程までそこに居たというのも、微かに」

 

 

大きな声で原田が尋ねると、折紙は説明した。そして嘘をついていないことも分かった。

 

 

「……どうして私と猿飛さんが忘れて、四人が覚えているかは分からない。でも、策の準備はできたわ」

 

 

人差し指で自分の耳をトントンと優しく仕草を見せた。その行動の意味は分からなかったが、琴里は何かを確信したかのような表情をしていた。

 

 

ピピピピピッ

 

 

そして、ポケットに入れた琴里の携帯電話が鳴り出した。

 

この場にいる全員に聞こえるように電話のスピーカーをオンにした。

 

 

『琴里!? 見つけたぞ!?』

 

 

「ありがとうお兄ちゃん。グッドタイミングよ」

 

 

「その声は……士道(しどう)君じゃないか?」

 

 

声の正体は琴里の兄である五河(いつか) 士道だった。

 

 

『えッ……もしかして猿飛さん!? えッ!? 琴里お前今何を———!?』

 

 

「大丈夫よ。いいから言ってちょうだい。あなたが見つけた人物の名前を!」

 

 

『えぇ!?』

 

 

電話の先でブツブツと文句を言って悩んでいたが、士道は口にする。

 

 

 

 

 

『狂三……時崎(ときさき) 狂三だよ』

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

【過去】

 

 

 

ピコピコピコピコッ

 

 

「……おい、ゾンビそっちに行ったぞ」

 

 

「マジすか。ショットガンの弾少ないですけどッ」

 

 

ガキュンッ ガキュンッ

 

 

「後ろからも来ているな。壁際に逃げたらボコられるぞ」

 

 

「えッ? 言うのが遅いっすよッ!?」

 

 

「あーあー、追い詰められているなぁ。ショットガン持ってるのによぉ」

 

 

「いや強武器使ってもキツイ……って先生ハンドガンしか持ってねぇ!?」

 

 

「馬鹿、ナイフもあるわ」

 

 

「変わらねぇよ! 何で二つしか武器使ってないんですか!? というかノーダメージって上手すぎるでしょ!? 初プレイ何ですよね!?」

 

 

「バイオ〇ザード5は初だな。4はクリアしたけど」

 

 

「初心者とは思えない動きをしているんですけど!? ク〇スってそんな気持ち悪くウネウネに動けるのですか!? クリ〇強過ぎでしょ!?」

 

 

「ゾンビなんて余裕。ウェ〇カー軍団で攻めて来いよ」

 

 

「鬼畜ってレベルじゃねぇぞ!? というか———」

 

 

ダンッ!!

 

 

その時、サル君が立ち上がった。

 

 

 

 

 

「———明日、受験入試の日ですけどおおおおおォォォ!!??」

 

 

 

 

 

「知っているわボケ。大きな声を出すな」

 

 

サル君の画面が『GEAM OVER』と表示される。あーあ、死んじゃった。俺はまだまだ生きれるけどね。

 

 

「今日は一週間に一回の勉強の休日だ。無理をしないために前から決めていただろ?」

 

 

「だからと言って前日はさすがに自重しましょうよ!? このまま勉強しないと後悔して自嘲しちゃいますよ!?」

 

 

「うるせぇ!! 全部のボスを倒してから言いやがれ!!」

 

 

「理不尽! あーもう! 全部倒したらちゃんと勉強教えてくださいね!」

 

 

 

———五時間後

 

 

 

「はいスマッシュ!!」

 

 

「ちょッ!? 先生のシー〇の動き速すぎでしょ!? 自分のフォッ〇スじゃ太刀打ちできないんですけど!?」

 

 

「近所どころか学校で一番スマ〇ラが上手い男と伝説を作ったくらいだぜ俺は?」

 

 

「自分はそのパターンで自慢する人を倒せるくらい強いんですけど、これは規格外過ぎるッ!!」

 

 

「ボッコボコにしてやんよ」

 

 

『GAME SET!!』

 

 

「一発も攻撃当たらなかった……!」

 

 

「まだまだだね」

 

 

「アンタはいちいち立ってどこぞの王子様の真似をして挑発しなきゃ気が済まないのかッ!? というか———」

 

 

ダンッ!!

 

 

その時、サル君が立ち上がった。

 

 

 

 

 

「———もう夜なんですけどおおおおおォォォ!!??」

 

 

 

 

 

「今日はもうウチに泊まって行くと良い。折紙は寝ているから静かに、な?」

 

 

「あ、はい。すいませ———じゃねぇよ!? 勉強はどうするんですか!?」

 

 

「しまった!?」

 

 

「『しまった』じゃねぇよ! 遅ぇよ!」

 

 

「ポケ〇ンで対戦するの忘れてた!」

 

 

「だからもうしねぇって言ってんでしょ!? 何考えてんだアンタ!?」

 

 

怒りながらゲームの電源を消すサル君。しかし、俺は溜め息をつきながら呆れた。

 

 

「大丈夫だって言ってんだろ? 今まで俺が勉強を見てやったんだ。落ちるわけがない」

 

 

「……先生。俺が受ける大学、結局どこになりました?」

 

 

「アタマが良くないと入学できない大学」

 

 

「そうでしょうね! だって僕が行こうとするのは———!」

 

 

バシンッ!!と進路先を書いた紙を床に叩きつけた。

 

 

「———東京大学ですからね!!」

 

 

「wwwwww」

 

 

「何笑ってんだアンタ!?」

 

 

「だってお前の頭で行けると思うのか?」

 

 

「アンタが行けって言ったんでしょ!?」

 

 

「こら、先生に敬語を使いな、さいッww」

 

 

「最後笑ってんじゃねぇよ! あああああ! どうして僕はこんな人を家庭教師にしたんだ!! いつもいつもこうだ! 学校のテスト前日で山に登ってピクニックするし、進路を決める大事な学力診断テストの前日は船を出して海釣りに行くし、滅茶苦茶だよ!!」

 

 

サル君は頭を抱えながら膝から崩れ落ちた。おいおい、そのリアクションは困るぜ。笑えないだろ?

 

 

「ったく、お前はそうやってすぐに不安になるから駄目なんだよ。もっと余裕を持てるようにならないと、医者にはなれないぞ?」

 

 

「ッ!? 何で知っているんですか!?」

 

 

「はぁ? ずっと前から知っていたぞ?」

 

 

驚いたかと思えば今度は顔を赤くして恥ずかしそうにした。ハッ、恥ずかしがる男とか需要が全くねぇな。

 

 

「あーもういいからそういうの。ぶっちゃけ気持ち悪い」

 

 

「酷い!?」

 

 

「それより、真面目な話をするぞ」

 

 

俺の表情が真剣になったおかげか、サル君は口を閉じて俺の目と合わせた。

 

 

「お前の成績は俺が知っている。東大の入試問題でも十分に力を発揮させれるくらいに教えた。そしてお前は毎日頑張った」

 

 

「……毎日じゃないですけどね」

 

 

「馬鹿が。毎日あんなに集中してやっていたら息抜きすらできねぇだろ。そのせいで俺が休みを作らなきゃいけなくなっただろうが」

 

 

「あッ……もしかして先生」

 

 

「そうだよ。だから休みを作った俺様に感謝しろよ?」

 

 

「いや、それは無理です」

 

 

「チッ、ムカつくなお前。あとお前は真面目過ぎる。真面目過ぎて扱いにくい生徒だ。不器用なクセして必死に宿題はちゃんと全部やってくるし、テスト勉強は全部の範囲をしっかりと覚えようとする。効率を考えないからアホだったんだよお前は」

 

 

「ぐぅッ……」

 

 

「柔軟な発想もできないアホ」

 

 

「や、やめてください……」

 

 

「というか医者に向いてなかったよ、お前」

 

 

「もうやめてくださいよおおおおおォォォ!!」

 

 

涙を流して悔しがるサル君。だが大樹はその背中をポンと叩いた。

 

見上げると微笑んだ大樹がいた。大樹は笑みを浮かべながら告げる。

 

 

「そんな奴が東大行けるとでも? 現実を見ろよ?」

 

 

「アンタは鬼かぁ!?」

 

 

更なる言葉の追撃にサル君の心はズタボロだった。

 

 

「冗談だ。だけど、本気で医者になりたいなら東大に行け。医学の勉強をするんだ」

 

 

「そ、それなら僕が言っていた有名な医学部のある大学の方が……?」

 

 

「確かにそこに行けば医者になれるだろう。医者の道を目指すなら最高の近道だろうな」

 

 

だけどっと言葉を一度区切り、大樹はニヤリと笑った。

 

 

「俺はお前を『ただ』の医者にするつもりはない。だから東大に行かせる」

 

 

「え……?」

 

 

大樹の意図を汲み取れないサル君は首を傾げる。

 

 

「サル君……………君の大好きな趣味は?」

 

 

「裁縫です!!」

 

 

「(爆笑)」

 

 

「だから笑うのやめてくださいって言ってるでしょ!? しかも言わせたの先生だから!」

 

 

最初知った時は腹を抱えながらずっと笑った。でも超上手いんだよな。スイスイ縫うからね。そこがさらに笑いポイントになるけど。

 

 

「そう、お前は手先が誰よりも器用だ。この俺よりもな」

 

 

「……まぁ、確かに器用かもしれませんが、それが何か?」

 

 

「もっと誇れって話だよ」

 

 

「誇れと言われましても……絵のセンスはあまり無いので服のデザインは無理ですし、縫ったり編んだりしかできないですよ僕」

 

 

「『キリン』を描いてって言ったのに『クマ』にしか見えない『キリン』を描いたもんな」

 

 

「アレはどう見てもキリンでしょ!? 先生の目、おかしいのではないんですか!?」

 

 

「お前の絵の下手さは分かったから静かにしろ。お前の手の器用さは人の命を救う『手術』に活かすことができるんだよ」

 

 

「ッ!」

 

 

「医薬にも限界はある。薬じゃどうしようもできないことは、手術で回復させるしかない。だが手術は難しい技術だ。一度の失敗も許されない作業や、繊細な処置が求められる時もある」

 

 

「繊細な処置……」

 

 

「手先が器用なお前なら困難とされる手術もできると俺は確信している」

 

 

サル君はまだ高校生……いや、もう18歳なのだ。俺と同じくらいの年齢だが、もうここで進路を決めなくてはならない。

 

俺はサル君に医者という道を歩ませてあげたい。だけど、もし彼が医者になれたとして———

 

 

———自分の力が及ばず、患者を死なせてしまったらどうする?

 

 

まず自分を責めるだろう。次に自分の知識の無さを悔やむだろう。そして、自分のだらしない過去を憎むだろう。

 

サル君にそんな未来、遭って欲しくない。欲しいわけがない。ならどうするか?

 

 

(後悔しないために、後悔しない選択をする……それしかないだろ)

 

 

サル君は、ついに顔をあげた。

 

 

「……先生は、僕に何をさせたいのですか?」

 

 

「東大に行って医学について必死に勉強をしろ。これを使ってな」

 

 

ドン、ドン、ドン、ドンっと辞書より分厚い本をテーブルの上に置いた。表紙には『大樹学』と酷い名前が書いてある。

 

 

「これは俺が自作した本だ。時間は結構掛かったが、俺の医学知識全てを書き記した」

 

 

「えっと、何の意味があるのですかそれ?」

 

 

「俺の知識はこの現代医学に置いて知られていないことが多いんだよ。知られていないことをそこにまとめた」

 

 

「……ということは」

 

 

「ああ、その本は医学の世界ならどんな本よりも貴重なモノになるな」

 

 

「うぇえええええェェェ!?」

 

 

「うるさいぞ」

 

 

「だ、だだだだって! こ、これを僕が読むのですか!? いいんですか!?」

 

 

「だから言ってるだろ? 俺はお前を『ただ』の医者にはしない」

 

 

大樹は告げる。

 

 

 

 

 

「誰でも救える医者になれ、猿飛 (シン)

 

 

 

 

 

「先生……」

 

 

ポロリっとサル君の瞳から涙が零れた。

 

 

「僕、(まこと)です……」

 

 

「マジですまん。言ってる途中に気付いたから。もう言わないから」

 

 

本気で反省している大樹は珍しいなと思うサル君だった。

 

 

「ちなみにこれ、金額に変えたら10兆円はくだらないと思うぞ」

 

 

「もう持ち歩けないんですけど……」

 

 

「大丈夫大丈夫。世界の人たちに命を救わせるなら最後は他の医者に教えなきゃならないだろ? 俺が危惧するのはそれで金を稼ごうとするクソな輩だ」

 

 

「余計に持ち歩きにくくなったんですけど……取られたら僕……」

 

 

「どうでもいいわそんなこと。あと、俺はお前の意志を聞いていないぞ」

 

 

「意志、ですか」

 

 

「ああ」

 

 

サル君はしばらく黙り込んだ後、目を大樹と合わせて口を開いた。

 

 

「……ずっと憧れていた医者になりたいです」

 

 

「おう。だったらなればいい」

 

 

しっかりとした決意に、大樹は安心して笑った。

 

 

________________________

 

 

 

早朝、始発の電車に乗ったサル君を見送った後、俺と折紙は病院に来ていた。

 

馬鹿でも風邪を引いてしまうくらい寒い外から急いで逃げて温かいロビーの中に入る。

 

 

「温かい……」

 

 

「はぁ~外寒かったなぁ」

 

 

折紙と一緒に体を震わせながら感想を述べる。が、周りの人たちの感想は、

 

 

(((((和むなぁ……あの二人……)))))

 

 

(何か温かい目で見られている気が……)

 

 

患者や看護師さんたちの顔がほころんでいる気がする。もしかして、一緒にコートを着るというのはやめた方がよかったか?

 

 

「~♪ ~♪」

 

 

鼻歌を口ずさんでしまうほどご機嫌な折紙。まぁ温かいし、しばらくこのままでいいか。

 

エレベーターを使っていつもの階へと向かう。看護師さんたちに挨拶しながら廊下を歩き、いつものようにノック無しで部屋へと入る。

 

 

「お母さん! お父さん!」

 

 

折紙はコートの中から飛び出し、二人が使っているベッドまで駆け寄った。

 

 

「あら? また来てくれたの?」

 

 

「大樹君も来てくれてありがとう。毎日来てくれて嬉しいよ」

 

 

———折紙の両親は笑顔で迎えてくれた。

 

二人は1月の中旬に意識を完全に取り戻し、回復したのだ。その時の折紙はわんわん泣いて大変だった。俺はティッシュペーパー1箱だけで済んだがな。

 

その時の医者や看護師さんたちの喜びは凄かったなぁ。まさか俺が胴上げされるとは思わなかった。

 

それからほぼ毎日、俺と折紙は病院に行った。猿飛先生のコネを使って病院に泊まったりもした。でも夜の病院、結構怖いからもういいかな。

 

 

「明日、やっと退院だから……その、今日は同じ部屋に泊まる許可を貰っているので……」

 

 

「まぁ嬉しいわ! じゃあ大樹君は私の隣で寝るのかしら?」

 

 

「ハッハッハッ、大樹君。妻の隣で寝たら、簡単に明日を迎えれると思わないことだね……」

 

 

「脅さないでください寝ませんから。ベッドは別ですよ」

 

 

何で奥さんの時だけ脅すの? 折紙と仲良くしている時は何も言わないのに、奥さんのことになるとすぐこれだ。良い旦那さんなのか、嫉妬深い旦那さんなだけなのか。いずれにせよ、愛されているな奥さん。

 

 

「冗談だよ。大樹君、改めて言うけど今までありがとう。感謝の気持ちで一杯だよ」

 

 

「あ、頭を上げてください!? 俺は単純に助けたかっただけで……」

 

 

頭を深く下げる父親に俺は急いで上げるように言う。感謝の気持ちで一杯なのはこちらなのに。

 

 

「折紙のこと、ありがとう」

 

 

「……うっす」

 

 

後ろ頭を掻きながら照れを隠す。だけど折紙に顔が赤いと指摘されてしまった。全然隠せていなかった(ゼット)

 

 

「あらあら、大樹君の顔が真っ赤だわ」

 

 

「ああ、本当に真っ赤だね」

 

 

……頼むから俺をいじるのをやめて。俺の心が痛むんだ(ゼェェェェェット)

 

家族で様々なことを話した。折紙の成績は既に中学生の問題でも解くことができるくらいになったとか、電車やバスでいろいろな場所を巡ったこと。

 

気が付けば時間は16時になっていた。

 

ふと俺は携帯電話を借りてサル君にどうだったか聞こうと電話を掛けたのだが、繋がらなかった。これは面倒なパターンだな。

 

 

「俺はサル君の迎えに行こうと思います。合格している点は取っているのに、全くできていないと勘違いして絶望していると思うので……」

 

 

苦笑いで俺が言うと、三人も苦笑いになった。俺の予想だと電車のホームで触れただけで不幸になってしまいそうな絶望のオーラを振り撒いていると思う。何その迷惑な行為。はやくやめさせなきゃ!

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 

部屋を出ようとした時、折紙は笑顔で手を振った。

 

 

「帰って来たら遊んでね!」

 

 

「おう」

 

 

俺も手を振りながら部屋を出た。

 

 

 

 

 

———それが、折紙の笑顔を見る最後になった。

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

「だーれだ?」

 

 

「はぁ?」

 

 

後ろから声をかけられたかと思えばいきなり手で目隠しされた。はぁ、これは狂三だな。

 

 

「簡単だ。狂———」

 

 

ガシガシガシガシガシガシッ!!

 

 

突如、俺の全身を無数の手が掴んだ。

 

 

「———みぎゃあああああああああああああ!?」

 

 

「『くるみぎゃ』はいませんですわよ?」

 

 

目隠しが解かれると、目の前ではクスクスと笑う狂三が立っていた。

 

 

「ビックリするわ! いきなり全身を手で掴まれたんだぞ!? 怖いに決まっているだろ!?」

 

 

しかも近道で使う暗い路地だったから倍の怖さになっていた。恐怖だよ。

 

 

「分かりました。じゃあ食べましょう」

 

 

「雑ッ!? 雑な対応でまたビックリしたわ!」

 

 

「これ以上大樹さんを食べることを我慢すると死んでしまいますわ」

 

 

「おー、そうかー」

 

 

「……あなたも雑な返しだと思いますわ」

 

 

狂三は呆れながら俺の隣に立った。

 

 

「……何だよ。俺、用事あるんだが」

 

 

「ご一緒しますわ♪」

 

 

「俺のスピードについて来れるなら許可しよう!!」

 

 

ダンッ!!

 

 

足を強く踏み込み走り出した。光速の世界にようこそ! 背中には『21』の番号があると思うぜ!

 

 

ビダンッ!!

 

 

「ぶふッ!?」

 

 

しかし、狂三はその行動を予測して俺の影の中から伸びた手で捕まえていた。当然俺の体は前に行かず、そのまま下へと向かい床とチュー。俺のデビル〇ットゴーストが破られた!?

 

 

「もうッ、大樹さんとの付き合いは長いのですからそのくらいの行動、読めますわ」

 

 

「それより俺の顔大丈夫? イケメンからブサイクになってない?」

 

 

結構強くぶつけたよ? 鼻の感覚がないけどホントに大丈夫?

 

 

「心配する必要はないですわ。美味しそうな感じです」

 

 

「それ完全に血が出てるパターンだわ」

 

 

手で鼻を触り、手を見てみると赤い液体が付着していた。

 

 

「ったく、止め方が荒過ぎるだろ」

 

 

「じゃあ逃げないでくださいまし!」

 

 

「それは無理」

 

 

食われたくないもん。

 

非常に不本意だが狂三と一緒に歩く。はぁ……サル君の絶望オーラが増さなきゃいいけど。

 

 

———ちょっと待て?

 

 

「ッ……」

 

 

辺りが異常な静けさに俺は違和感を覚えた。広い道に出たと言うのに人が誰もおらず、鳥の鳴き声も聞こえない。

 

今日は寒いから人が出掛けていない? そんなはずはない。いくら大通りでもこの静けさはおかしい。

 

コンビニやスーパーの店内を覗けば誰もいない。どの建物から人の気配が感じられなかった。

 

 

「狂三……確認していいか?」

 

 

「大樹さんの言いたいことは分かりますの。答えはノーです」

 

 

「だろうな……!」

 

 

ドクンッ……ドクンッ…ドクンッ!!

 

 

不気味な光景に心臓の鼓動が次第に早くなる。『何か』があることは分かるのに、『何か』の正体が全く掴めない。

 

自然と気が付けば狂三と背合わせになっていた。短銃を取り出し、警戒する。

 

 

ドゴンッ!!

 

 

 

 

 

———辺りを警戒したせいで、下からの襲撃に対応できなかった。

 

 

 

 

 

「「なッ!?」」

 

 

地面が勢い良く盛り上がり、コンクリートの破片を撒き散らした。地面から突き出された槍状の物体に目を見開いて驚愕した。

 

狙いは狂三。槍先に付いた刃は腹部へと向かっていた。

 

 

グシャッ!!

 

 

「がぁッ……!?」

 

 

「大樹さんッ!?」

 

 

咄嗟の判断で狂三に突き刺さろうとした槍の軌道を素手でズラそうと試みるが、勢いが強過ぎて一瞬で腕がありえない方向に曲がった。

 

 

ガシッ!!

 

 

「えぐッ!?」

 

 

今度は首を思いっ切り掴まれた。鉄の装甲を纏った手は、簡単には引き剥がせないことを察しさせた。

 

地面の中から人型の鉄鎧の騎士が姿を現す。俺の首を掴んだまま持っていた槍を持ち変え、俺の腹部に突き刺そうと腕を絞った。

 

 

「これ以上、好きにさせませんわ」

 

 

ガキュンッ!! バギンッ!!

 

 

俺の存在に釘付けになっていた鎧の騎士の懐に潜り込んだ狂三は鎧の首元にある隙間に銃を突き刺し引き金を引いた。

 

だが、鎧の騎士は微動だに動かなかった。急所を突かれたというのに!?

 

 

(———ッ!? 効いてない!? まさか人間じゃない!?)

 

 

ギロリッと鎧の兜が狂三を捉えた。持っていた槍を手放し、大きな手で狂三の体を掴み取った。

 

 

ガシッ!!

 

 

「くぅッ!?」

 

 

苦悶の表情で狂三は必死に抵抗する。だが、敵の腕力は予想を遥かに超えた強さだった。逃れることはできない。

 

 

グググググッ……!!!

 

 

(……ヤバい……意識がッ……!)

 

 

鎧の手の力が強くなる。首がさらに絞めつけられ、抵抗していた力が弱まってしまう。ついに動くことすらできなくなってしまった。視界がぼやけ始め、体の感覚が失い始めた。

 

 

「やめてッ……大樹さんッ……!」

 

 

狂三が震えた手でこちらに伸ばそうとする。俺の手もそちらに伸ばしたいが、無理だった。掴みたくても、握りたくても、届かない。

 

自分の死を悟ってしまう。ここで終わるのか……と。

 

 

(……………嫌だ)

 

 

俺の帰りを待っているんだ。

 

 

(……………絶対に嫌だ)

 

 

———大事で、大切な人が!

 

 

———ずっと傍にいたい女の子が!

 

 

———悲しませたくない人が!

 

 

「……………ぇよ……!」

 

 

ガシッ!!

 

 

その時、大樹の首を掴んだ鎧の手に、大樹の手が掴んだ。

 

鎧の騎士は当然無視した。しかし、次の瞬間、無視したことを後悔する。

 

 

 

 

 

「———放せぇよ!!!!!!」

 

 

 

 

バギバギガシャンッ!!!!

 

 

大きな破壊音を響かせながら、鎧の腕を片手でひねり潰した。

 

大樹の拘束は解かれ、鎧の騎士は瞬時に最善と思われる行動を開始する。

 

『狂三を掴んだまま後ろに跳躍して距離を取る』

 

 

———敵はその1秒にも満たない行動が、できなかった。

 

 

ダンッ!!

 

 

大樹は一瞬で落ちていた槍の先端を踏みつけて真上に飛ばす。その飛ばした勢いを殺さないように手で掴み、自分の力を上乗せした。

 

一閃。狂三を掴んでいた鎧の腕に一瞬の光が走った。

 

そして一拍遅れて、

 

 

バギンッ!!

 

 

腕が綺麗に切断された。

 

1秒も掛からない超反撃に鎧の騎士は動けなかった。何が起きたのか、捉えることすらできなかった。

 

そして、その動かない時間は、一瞬でも大樹に見せれば終わりだった。

 

 

ドゴオオオオオオオオォォォ!!!

 

 

音速を超える速度で放たれた右ストレートが鎧の騎士にぶつけられた。鎧の騎士が大通りの道のコンクリートを破壊しながら飛ばされる。

 

その勢いは凄まじいモノだった。風圧で街のガラスを割り、音は爆弾が爆発した時と同じくらいだった。

 

 

「はぁ……はぁ……うッ!」

 

 

肩を上下させて呼吸していると、腹の底から吐瀉(としゃ)物が湧き上がり、その場に吐き出した。体の体調は最悪だった。

 

敵からの攻撃は辛いモノだと改めて実感した。そして同時に恐怖が襲い掛かって来た。

 

 

(何だ……何だこの寒気は……!?)

 

 

コツッ……コツッ……コツッ……

 

 

敵を飛ばした方向。砂煙が舞い上がっている中、誰かがこちらへと歩いて来ていた。

 

 

「記憶を失っていても、ある程度の強さは維持できていたか」

 

 

声を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 

 

「わざわざ力を使って人払いしたのだ。利益が無ければ最悪だ」

 

 

信じたくない。嘘だと言って欲しかった。

 

しかし、現実は非情だ。

 

 

「久しいな、楢原 大樹」

 

 

煙の中からでてきたのは白衣を着た男。短い黒髪でボサボサで、歳は近いように見える男。

 

一緒に記憶を無くし、共に過ごした大事な仲間だった。

 

 

「ふざけた冗談はやめろよ……」

 

 

「冗談じゃない。よく覚えておけ———」

 

 

男は残酷な真実を告げる。

 

 

 

 

 

「———お前を殺す男の名前は上野 航平———ガルペスだと」

 

 

 

 

 

 

上野 航平がそこに立っていた。

 

ゆっくりと首を横に振る。状況が全く理解できず、思考が追いつかなかった。

 

どうしてここにいるのか。

 

どうしてこんなことをしたのか。

 

どうして———俺を裏切っているのか。

 

 

「殺すって何だよ……意味が、分からねぇよ」

 

 

「既に準備は整った。お前を倒すには絶望させるしか方法はないと分かった。絶望の(ふち)に落とした後、闇に食われろ」

 

 

「答えに……なってないだろうがぁ!!」

 

 

声を荒げても表情を一切変えなかった。そして理解した。

 

俺の言葉は、もう届くことはないと。

 

アイツの目が、そう語っていた。お前の話を聞く耳は持ち合わせていないと。

 

 

「大樹さんッ……逃げて、くださいまし……!」

 

 

「ッ!? 狂三!?」

 

 

その時、狂三の様子がおかしいことに気付いた。地面に横たわり、まるで力が抜かれたかのように顔色が悪かった。

 

急いで駆け寄り狂三の体を抱きかかえる。

 

 

「ッ……体が冷たい……!」

 

 

ひんやりとした冷たい肌に触れてゾッとする。生きている人間を抱きかかえているとは思えなかった。

 

このまま体が冷えたままだと命に関わる。急いで病院に連れて行って適切な処置をしないと———!

 

 

「礼を言うぞ【ナイトメア】。貴様の力はどうしても必要不可欠だった」

 

 

航平———ガルペスの隣には鉄の鎧が引き剥がされ、機械のコードなどが飛び出した鎧の騎士が立っていた。

 

ガルペスは鎧の騎士の中心に光っているボール状の核を取り出し、ニヤリと笑った。

 

 

「奪った力、有効に使わせて貰う」

 

 

「—————ッ」

 

 

その瞬間、大樹から恐ろしい量の殺気が溢れ出した。

 

今まで感じたことの無い殺気にガルペスは眉を(ひそ)める。

 

大樹はガルペスを睨み付け、静かに口を開いた。

 

 

「今すぐ返せ」

 

 

「断る、と言ったら?」

 

 

完全に我を忘れる程憤怒していた大樹だが、『殺す』という言葉だけは口にしなかった。

 

だが殺気に満ちた目は、今すぐにでもガルペスを殺してやろうと隙を伺っていた。もし安易に後ろを振り向けば一瞬で大樹は殺りに来るだろう。

 

 

「貴様は一つ勘違いをしている」

 

 

刹那、大樹の視界は変わった。

 

 

「ごふッ……?」

 

 

視界は白い雲と青い空で埋まっていた。ガルペスの姿はどこにもない。

 

ふと気が付けば口から血を出していることも分かった。

 

 

刹那———味わったことの無い激痛が全身に走った。

 

 

ドサッ!!!

 

 

「ッ……ぁぁぁぁあああああああ!!??」

 

 

地面に叩きつけられ、状況をやっと把握する。

 

俺は背後から来た不意の攻撃を避けれなかった。そもそも気付きもしなかった。

 

凄まじい衝撃に体は吹っ飛び、背中から銀色の剣が貫通していた。剣は見事に胸のど真ん中にある心臓に刺さっていた。

 

 

(し、死ぬッ……!?)

 

 

息ができない。体が動かない。目が、見えない……!?

 

 

「……怒りで周りを見失っていたのか」

 

 

ガルペスの声が聞こえる。コツコツと靴音が大きくなり、近づいて来ていることも分かった。

 

 

「撤退は中止か。貴様がここで死ぬことで面倒な犠牲が少なる。大切な人が死ぬのは嫌うなら、好都合なはず。違うか?」

 

 

「大樹さん!! 起きてくださいまし!! 急いでッ、逃げてッ!!」

 

 

逃げれたらとっくに逃げている。でも、体が動かないんだ。

 

悪い。お前を助けてやりたかったのに、ドジ踏んじまった。情けねぇな。

 

俺が死ねば大切な人が救われるってアイツは言っているのか? なら、死んでもいいんじゃないか?

 

 

(悪い折紙……お前が死ぬのは嫌なんだ……)

 

 

だから約束を、破ることを許して欲しい。こんな駄目な俺を、許してくれ。

 

 

「記憶を失ったまま、全てを失え」

 

 

ガルペスの右手に銀色の剣が生成される。その刃を大樹の頭上に構える。

 

 

(そういや記憶、思い出せなかったなぁ……)

 

 

俺は浮気をするような最低な奴だった。それだけしか思い出せなかった。

 

思い出しても意味がないと思った。だからいつの間にか、思い出すことを諦めていた。

 

 

「【刻々帝(ザフキエル)】! 早く来なさい———【刻々帝(ザフキエル)】!!」

 

 

「無駄だ。天使の具現化するどころか、動くことすらできないはずだ」

 

 

必死な声で叫び続ける狂三。ガルペスは呆れるように言い、剣を振り上げた。

 

 

「今、楽にしてやる」

 

 

ガルペスは、剣を振り下ろした。

 

 

ザシュッ!!!

 

 

 

 

———俺の意識は、闇へと落ちて行った。

 

 

 

________________________

 

 

 

 

「……………何だと?」

 

 

「ッ!」

 

 

ガルペスは、目の前の光景に驚愕していた。

 

狂三も言葉を無くし、何も喋れずにいた。

 

剣は振り下ろされた。大樹の首に向かって、一刀両断される()()()()()

 

 

 

 

 

———大樹は倒れたまま、剣を腕で受け止めていた。

 

 

 

 

真紅の血が飛び散り、腕からドクドクと鮮血が溢れ出す。

 

大樹は必死に生きようと抗っていた。

 

———いいや、違う。ガルペスには分かっていた。

 

 

 

 

 

大樹の意識は、既に無い事を。

 

 

 

 

 

(無意識に防御だとッ……ありえない……!)

 

 

そんなことが可能だと言えるはずがない!

 

 

(———ふざけるな!!)

 

 

歯をグッと食い縛り、ガルペスは両手を広げた。

 

その合図と共に空一面に銀色の武器が展開する。その数は千を超えていた。

 

これだけの数を一斉に射出、体が動かない相手なら避けることができない。

 

 

———ガルペスの考えは、外れる。

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

目の前に、大樹の拳が迫っていた。

 

 

 

 

 

ドゴオオオオオオオオォォォ!!!!

 

 

恒星すら砕く史上最強一撃がガルペスに直撃した。辺りの建物が一瞬で吹き飛び、爆弾が落とされたかのような衝撃が広がった。

 

ガルペスの全体は文字通り粉々になり、手足の1、2本が消失した。

 

あらゆる内臓が消し潰され、何が起こったかすら考える暇がなかった。

 

 

「……くっは」

 

 

全身がぐちゃぐちゃになってなお、ガルペスは笑みを浮かべた。

 

1分という長い時間を掛けて体を再生させた。そして、ガルペスは大声で笑った。

 

 

「クッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」

 

 

ガルペスは笑いながら前を見る。そこには爆弾が落とされたかのような荒れ地が広がり、中心には体をダラリッとさせた大樹がいた。

 

目は開いていない。息はしていないように見えるが、小さく呼吸をしていることは確認できた。

 

 

「ついに神は狂った! 最後の希望を消さないために、『人』という概念を潰した存在をさらに捻じ曲げた!」

 

 

ガルペスは歓喜に打ち震える。この時を待っていたと言わんばかりに喜んだ。

 

 

「死んだ亡霊を『保持者』にして自己保身する駄神(ゴミ)共よ! そんなに命が惜しいか! 保持者に力を与えて、この死神を恐れるか!? ならば———【制限解放(アンリミテッド)】!!」

 

 

不敵な笑みを見せながらガルペスの両手に黒い渦が発生し、黒い本が生まれた。

 

 

「【文化英雄の錬金術(ヘルメス・アルケミー)】……恐怖に飲まれろぉ!!」

 

 

ガルペスは分厚い本のページが勢い良くめくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前も、勘違いしてんじゃねぇよ馬鹿が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

大樹の声が聞こえたと思えば、今度は大樹の姿が黒い霧となって散布した。

 

その光景を知っているガルペスは息を飲む。

 

 

(偽物!? なら本物は———!?)

 

 

「【神刀姫(しんとうき)】!!」

 

 

ドゴンッ!!

 

 

ガルペスの背後で爆風が巻き起こった。不意を突かれたガルペスは吹き飛ばされるも、無傷で済んでいる。

 

すぐに振り返ると、そこにはガルペスが嫌う奴が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

———狂三を抱きかかえた、楢原 大樹の姿が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大樹が使う【神刀姫(しんとうき)】は地面に突き刺さり、体の傷が元に戻っていた。

 

服が血塗れでボロボロになっているのを見て、【神の加護(ディバイン・プロテクション)】を発動したことを物語っていた。

 

 

「何故だ……お前の意識は完全に神の力に———!」

 

 

「ああ、確かにやられたよ。でも、俺はそれを拒絶した」

 

 

「拒絶だと!? 馬鹿な……!?」

 

 

神の力は絶対。その『絶対』の理は同じ『神の力』によって初めて破ることができる。

 

しかし、楢原 大樹は『絶対』である『神の力』に対して、『己の力』だけで打ち破った。

 

 

「な、ならば今の貴様は何だ!? 神は貴様を見捨てた! なのにどうして神の力が使える!?」

 

 

「……やっぱりお前の言うことはよくわかないな。どういうことか一から説明を———」

 

 

「『保持者』は本当の役割は神の『身代わり人形』だ!」

 

 

声を荒げながら説明するガルペスに、大樹は正面からしっかりと聞いた。

 

 

「分からないか!? 自分の命が惜しいから死んだ亡霊に命を与えて、ソイツに危険な物事を押し付けているだけ! それが真実だッ!!」

 

 

ガルペスは続ける。

 

 

「神は貴様が死ぬと判断した! この死神の俺を殺せず、最悪な状況———力を奪われることを恐れた!」

 

 

「だから神は俺を見捨て、俺の体を操作して貴様を殺そうした……」

 

 

「クックックッ、残念だがそれは違う! 相打ちに持ちこむのが適切な判断だ! きっと自爆させるつもりだったはずだ。神の力を暴発させて貴様が自爆すれば俺にダメージが与えられ、神の力は主神の元に還り、守られる!」

 

 

ガルペスは両手を広げながら大樹に向かって手を伸ばす。

 

 

「今の貴様なら分かるはずだ! 裏切られた神に復讐をする! それがお前の———!」

 

 

「はぁ……やっぱり勘違いしているなお前」

 

 

溜め息をつく大樹にガルペスの動きがピタリッと止まった。

 

 

「言っただろ? 俺は拒絶したってよ」

 

 

「……………ありえん。そんな度胸、貴様にあるはずがない!?」

 

 

ガルペスの顔に焦りが見えた。

 

今まで以上に驚き、見たこともない焦った表情をしていた。

 

だが大樹の笑う顔を見て、確信せざる負えなかった。

 

 

 

 

 

「貴様は、神すら敵に回したというのか……!!」

 

 

 

 

 

 

「当たり前じゃん。だって俺、見捨てられたんだろ?」

 

 

ごく普通な解答したように言う大樹に戦慄する。ガルペスは思わず一歩後ろに下がった。

 

 

「それにゾンビみたいに戦うの痛くて嫌だし? 俺の頭の中をいろいろといじっているし、限度ってもんがあるだろ?」

 

 

「ッ……まさか貴様」

 

 

ガルペスの額から汗が流れ落ちた。

 

 

「別に完全に敵に回すわけじゃねぇよ。こんな最悪なことに巻き込んだんだ。だから一発殴るぐらい許せって話だ。あと狂三のおかげでようやく助かったぜ。時間はかなり掛かったけど、それじゃあ———」

 

 

ついに神を敵に回した大樹は告げる。

 

 

 

 

 

「———せっかく大切な人がいることを思い出させて貰ったんだ。守る為に、神の力をちょっと多く借りていてもいいだろ?」

 

 

 

 

 

 







さぁ! ここからさらに物語の加速だぁ!!

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