水銀世界のとある少年少女達   作:夜鳥

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ⅴ.心理定規の倒錯

 ――――精神系能力とは、一体何だろうか?

 

 人の考えを読み改竄する彼ら彼女らは往々にして下種とも脅威とも受け止められることが多いが、その実体について理解している者は学園都市でもそう多くない。

 

 一口に精神系といってもその内容は多岐に渡る。

 読心能力(サイコメトリー)精神感応(テレパス)といったメジャーなもの。

 洗脳能力(マリオネッテ)記憶操作(マインドハウンド)といった危険なもの。

 

 種類の豊富さは他の能力、例えば火炎系や電子制御系とは比べ物にならない。

 その最上位こそが心理掌握(メンタルアウト)であり、恐らくは次点が心理定規(メジャーハート)なのだろう。

 

 だが精神系能力に共通する事項は、実はそう難しい事柄ではない。読心も洗脳も、それこそ心理掌握であろうとも、並べて常に“相手の心を読み取る”というプロセスを通しているからだ。

 能力の作用からすれば相手の脳に働きかけて情報を窃取しているといった方が正確ではあるが、ひとまずは心という表現で置いておきたい。

 

 さて、相手の心を知る……これこそが紐解く鍵となる訳だが。

 他人の心を知ったことで満足する者は読心能力者止まりだ。

 他人の心を思いのままに操りたい者は洗脳能力者へと進む。

 

 印象を、記憶を、精神状態を、心理的距離を、ありとあらゆるモノを意のままに出来るようになった到達点こそが、かのLevel5超能力者である心理掌握だ。

 事ここに至り彼女を止められる者など存在しない。全ては彼女の胸先三寸、皆が彼女のイエスマンに成り下がる。

 

 ――――ここで一つ、疑義を呈したい。周囲の人間が操り人形になったその状況は果たして、精神系能力者にとって喜ばしいものなのだろうか?

 

 そもそも相手の心を読み取るという行いは、自分と相手が他者であるという前提から成り立っている。

 自分と違うからこそ興味を抱き、或いは恐怖する。故に知りたいと願うのだ。

 

 だが皆がイエスマンになった状況において……他人は全て自身の延長線、又は道具に過ぎない。その気になればいつでも自分の考えで塗りつぶせるのだ、そんなモノに価値など見出せないだろう。

 

 つまり出発点において他人を求めていたにも拘らず、終着点において他人を失ってしまうという矛盾が生じることになる。その葛藤を精神系能力者は無意識にではあるが忌避し、逃れようとする傾向があるように思われる。

 

 例を挙げれば食蜂操祈、Level5第五位の心理掌握。“常盤台の生徒全てを操る”ことすら造作もない彼女はその実、“自らの派閥を最大にした”だけで収めている。派閥メンバーに対する能力使用も、日がな一日という訳でもない。何故か。

 能力を使用し続けることに意味が薄いためか、面倒極まりないためか。

 

 ――――否、他人を消し去ることを恐れているからだ。

 

 仮に食蜂操祈の望み、精神性が全てを掌握し支配下に置くことであるならば……それこそ、全員から自我を奪ってしまえば良い。感情の発露なく機械的に生活を送る学生達ならば、万が一にも彼女の脅威となることはないのだから。

 それを選ばず派閥の子女達と茶会に興じているのは結局の所、彼女が他人を求めているということに他ならないのだ。

 

 一方で自分の意のままにならない者が許せないというあり方がある。

 他方で自分の意のままにならない者を希求するというあり方がある。

 

 精神系能力者とはまこと矛盾した――――人間臭い渇望を抱えている存在ではないだろうか?

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 夜の第十五学区。ネオンがギラギラと輝くこの繁華街は、都市中の人間が集まっているのではないかという程の賑わいを毎夜見せている。

 

 もう世間では春休みと呼ばれる時期なのだろう。翌日を気にしなくて良い学生達は私服に着替えて街へ繰り出し、鬱憤を晴らすがごとくにはしゃいでいる。

 

 カラオケ、ダーツ、ボーリング、麻雀、それ以外にも世界中の様々な遊戯が楽しめるスポットの数々。客を飲みこみ、金を吸い込んで生きていく夜の街だった。

 

 そこに軒を連ねる内の一つ、俗にクラブと呼ばれる場所へと足を踏み入れる。

 

 地上階の入り口を抜けてすぐに地下へと続く長い階段の先、重い扉の先にはダンスホールが待っている。大学生くらいだろうか、ガンガンと煩い程に鳴らされる音楽にあわせて踊る男女は何とも楽しそうだ。

 

 ただ目的地はここではない。まぁこの小さなナリで参加しようにも周囲が困惑するばかりだろうが。

 関係者専用の扉、その前に立ち塞がる黒服に会員証を掲げれば慣れた様子で扉を開けて通してくれる。彼の目は既にホールの方へと向けられていた。

 

 余計なことを詮索しない態度は好印象だ。そういう人間は長生きする、なんてことを考えながら細い通路を進んで行くと部屋に突き当たる。バックヤードだった。

 

 ゴンゴンと殴りつければ中から返ってくる男の声。開き入った先では垣根がソファに寝転がり、何かの書面から目を離して視線を向けてきていた。

 

「よ、一方通行。まだ生きてたか」

「ったり前だろうがァ。お前こそまだくたばってないのかよ」

 

 出会いがしらの挑発の応酬、これが俺達にとっては挨拶のようなものだ。

 場合によってはこれにじゃれ合いが追加される。そうなれば部屋は半壊確定だ。

 

 向き合って置かれた大型のソファ、垣根の反対側へと腰かける。日の差し込まない地下の部屋を、ぼんやりとした灯りが照らしていた。

 

「で、店長さン。最近の調子はどうなンだ」

「お陰さまで上々ってヤツだ。お陰で地獄は満員御礼ってな」

 

 来る際にも見たが客の入りは中々のようだった。このクラブ――ボトムレスピット(地獄の底)も学生達を狙い撃ちにして繁盛しているらしい。

 

 暗部組織スクール、というより垣根個人が抱える隠れ家の一つ、ボトムレスピット。そのオーナーは勿論、垣根帝督本人である。

 

 正直な話、音楽を聞いて踊って酒を飲むことの何が楽しいのか俺には分からない。客層が大学生達なのを見るに、もしかすると十年後辺りには理解できるのだろうか。

 

「というかそもそもお前、こンな好き勝手してていいのか。睨まれンじゃねェの?」

「表とか暗部とか、俺に常識は通用しねえよ。鬱陶しい滞空回線(アンダーライン)も来なくなったし」

「そりゃあンだけ破壊してればなァ……維持費だってタダじゃねェだろうし」

 

 ロクに情報を奪えなかった滞空回線への俺達の対処は実に単純だった。取り合えず破壊して周囲から消す、それだけだ。

 

 滞空回線もナノマシンである以上は維持管理するための方法が存在する筈であり、ならばそれを利用して情報を抜き取ることも可能な筈である。残念ながら今の所見付かっていないため、ナノマシンを破壊するという消極策しか取れていない訳だが。

 

 まぁ補充しては消失することの繰り返しではアレイスターも嫌気が差したのだろう、この頃はむしろ滞空回線が俺達を避けるようになっていた。

 

「いらっしゃい一方通行。コーヒーで良かったかしら?」

 

 と、奥の部屋にいたのか心理定規が盆を持って現れた。その上には三人分の飲み物が載せられている。

 

「おォ……ブラックかァ?」

「ええ。一応シュガースティックもあるけれど」

「お前の淹れたヤツはブラックで問題ねェよ」

「ブラックで大人気取りとか……ハッ」

 

 これ見よがしにからかってくる垣根が受け取っているのはアルコールなのだろう。

 銘柄などは分からないが、酒が飲める分だけ自分の方が大人だと言いたいのか。俺から言わせればその態度こそが子供だ。

 

「……くっだらねェ。もう少しまともな挑発の仕方覚えろよ」

「おやおや、第一位のくせに酒が恐いのか?」

「お前がミンチになる分には構わねェが、酔って暴れたら心理定規に悪いだろうが」

「あら……ありがとう、どこぞのホスト崩れよりよほど紳士的ね。そう思わない?」

「はいはいそうだなー。ったく、ここは俺の店だっての」

 

 そっぽを向いてブツブツぼやいている垣根の左隣へと、苦笑交じりに腰掛ける心理定規。ちょうど俺の対面だった。

 

 そんなこんなで始まる三人でのちょっとした茶会、こうするのももう何度目になるだろうか? 市販の缶コーヒーを買うのに躊躇する位には、彼女の淹れたモノを飲み慣れていた。

 

 特に決まった話題がある訳でもなく、何となく気になったことを話して何となく散会する緩い時間。とある組織を壊滅させたとか面白い実験があるとか、そんな具合。

 そういえば、と何の気なしに俺は口を開いた。

 

「スクールって四人体制だよなァ。もう一人って見たことねェがどこ行ってンだ?」

「ハッ、暗部の人間がそう易々と手札見せる訳ねえだろうが。機密だ機密」

「それがゴーグル君は彼の命令でボロボロなの。可哀そうに現在長期療養中よ」

「おいおい、言ってる傍からバラすなよ」

「まァ……垣根と心理定規がいればもしものことなンざほぼ無いわなァ」

 

 ぎゃあぎゃあと喚く垣根とそれをあしらう心理定規。何でもまだ見ぬ人員はゴーグル君というらしい……それに狙撃手を加えての四人構成ということか。

 確か以前ハッキングで得た情報ではどの暗部組織も四人体制だった、そのことを尋ねてみればそんな答えが返ってきた。

 

 学園都市にはスクールやアイテムといった、理事会から回される仕事をこなす裏方組織が幾つか存在している。

 一応それぞれに役割が違うという話だったが、垣根が言うには表に出せない仕事を手がけているのだから大した違いはないとのこと。

 誰を監視して何を掃除するのか、やっていることに変わりはない。

 

 騒がしい二人を尻目にまたカップの中身を一口、実際美味い。

 口にするものは美味い方がいい、当たり前のことだった。だから俺がここに足しげく通い詰めてしまうのは仕方のないことなのだ、うん。

 

「そういえばあなた、小学生くらいよね。学校には行かないの?」

 

 ふと掛けられた声に顔を上げてみれば言い合いは終わったのか、彼女から距離を開けて垣根がいじけていた。まぁいつも通りに丸め込まれたか、言葉で抉られたかしたのだろう。彼女に口で勝つのは無理だと思う。

 

「今更行っても仕方ねェしなァ……知識なら足りてるしィ」

「あら、子供時代に学ぶべきは他にもあるのよ? 例えば人付き合いの仕方とか。欠けているまま世間に出ると大変よ、ね?」

「俺を見ながら語るの止めてくれませんかね、心理定規さんや」

「垣根みたいになるのはイヤだなァ。つってもよォ……」

 

 垣根も問題児なのか……いや、Level5が人格破綻者だということはとうに分かりきっていることだった。

 

 今更俺が学校に戻って仲良しこよしというのは無理があるだろう、という話だ。

 確かに昔は小学生をやっていた。それこそを日常と感じていたし、続くものだと何の根拠もなく思ってもいた。戻りたいと思ったことが全くないとは言えない。

 

 だが今となっては気ままに過ごしている方が遥かに楽だった。煩わしい視線も扱いも、実験の勧誘も不良の襲撃もないのだから。

 

 それは言わずとも垣根も、心理定規も分かっていると思ったのだが。

 

「じつはあなたにお願いしたいことがあるのよ……あらゆる能力が効かない男って噂、聞いたことある?」

「そンな都市伝説あるのか? どう考えても眉唾物だろォ」

「それがそうとも言ってられなくてね。ほら垣根、書類」

「ほらよ……当人と思しき男がこの春、とある高校に入学する。行ってみないか?」

 

 そう言って先ほど読んでいた書類を投げてくる垣根。受け取ったソレにはツンツン頭の男の写真と、来歴に関する情報がまとめられていた。上条当麻、というらしい。

 

 身体検査(システムスキャン)での判定はLevel0、正真正銘の無能力者だ。能力が微弱すぎて計測できないのではなく、完全な無反応。ただの凡人だった。

 

 一通り読んで、ジロリと二人を睨みつける。おちょくるにしては手が込みすぎだ。

 

「おィ……本気で言ってンのか。与太話に付き合うほど暇じゃねェ」

「俺自身も探ったが能力が効かないっていうのはかなり確度の高い情報だぞ?」

「探ったのは学園都市中を走り回ったゴーグル君だけどね」

「細かいことは気にするな」

 

 突っ込みにまるで堪えた様子もなくクスクスと笑いを零す心理定規。彼女の言によるとどうやらまだ見ぬメンバーはこのために走り回っていたらしい。

 180万人はいる学生の中から該当者を見つけ出すのにどれだけの労力を費やしたのだろうか、俺だったら間違いなく辞表を提出するだろう。

 

「つっても当たらせたのはホンの数百人だぞ? Level0判定者の中でも更に、一切計測器が反応しなかったって疑いのある奴だけだ」

「あァ? どういうことだ?」

「能力を消す能力が仮にLevel1以上なら大々的に取り上げられない筈がない。だがLevel0(底辺)なら話は別だ。加えて身体検査は能力を使わせる形式、能力を当てて消させるなんて仕組みじゃない。なら計測器は完全に無反応を示すだろうって推論だ」

 

 ふふんと自慢げにしている垣根の顔は殴りたいが、言っていること自体は筋が通っている。まぁ本当にそんな人間がいれば、の話だが。

 

 そして能力を掛けては確かめる作業を数百人分、一人にやらせたとは。ゴーグル君とやらも長期療養になって当たり前だと思う。スクールの人使いは中々手荒らしい。

 ……人当たりの良い垣根など想像できないか、なんて逆に納得してしまう。

 

書庫(バンク)に記載されていない上に理事クラスですら知っているかも怪しいが、滞空回線持ちの統括理事長サマは別だろ?」

「アレイスターの企みに一枚噛んでいる可能性が高い、と。話は分かるが俺は高校生じゃないンですがねェ」

「能力を応用すれば姿を偽るくらい簡単だろう? 籍はこっちで手配しておくさ」

 

 ヘラヘラと語る垣根、その仕草は明らかに怪しかった。

 書類を投げ返しながら問いただす。

 

「それならお前が行けばいいじゃねェか」

「俺は俺で回ってくる仕事があるんだよ。お前は表向き失踪扱いなんだし自由に動けるだろうが」

 

 尤もらしく聞こえてくること、それ自体がおかしいのだ。

 間違いなく腹に一物抱えている。いや、一つで済めば御の字だろう。

 脳裏に警鐘が鳴る。

 

「解せねェな……何企んでやがる」

「俺からの善意が受け取れねえってのかコラ」

「生憎とそういうのは信じないタチなンでェ。いいから話せ」

「ったく……アレイスターは知っているだろう筈の、表沙汰にされていない能力殺しの男がいるんだぞ? 能力者の天敵といっていい存在なんだ、今にその男を巻き込んだデカイ争いが起こる。いや、何も起こらないなんて幻想、この街ではあり得ない」

 

 まぁその可能性は高い。能力開発に励んでいるこの場所で能力を無効化する方法があるなら注目を浴びない筈がないし、知った者は手を出したくなるだろう。

 確保して自陣に引き込もうとするか、実験に使おうとするか、メカニズムを調べ再現しようとするか、脅威として排除しようとするか。いくらでも思いつく。

 

 本当は能力者を始末する方法など幾らでもあるのだが、この街の人間にとってそれはそれという奴なのか。俺も垣根も無敵などとは口が裂けても言えないというのに。

 

「……で?」

「動乱に巻き込まれる奴らにはLevel5も当然含まれるだろう、と俺は読んでいる。恐らくはそれさえもアレイスターのプラン通りにな」

「そいつらを始末するのか?」

「ばっか、減らしてどうする。アレイスターに対抗するための駒が必要だろ? 最低限今の俺やお前のレベルに引き上げて、可能なら仲間に引き込みたいんだよ」

 

 言い切る垣根に、間を取ろうとコーヒーを一口含み舌でかき混ぜる。苦い。

 

 ……そして垣根の言い分は甘い。甘すぎる。

 動乱に巻き込まれる超能力者をその中で鍛えて、あわよくば引き入れる。言葉にすれば簡単だがそれがどれ程の無茶かは考えるまでもなかった。

 

 ごくりと飲み下して、大きくため息を吐いた。

 

「お前……それどれだけ大変か分かってンだろォ? 牙剥かれる可能性のある奴を育てろって話じゃねェか。唯でさえLevel5なンざ破綻者の集まりだってのに」

「無理難題は承知だ。どこかで常識外れなことやらなきゃプランは打倒できねえ」

「常識の欠けたお前に常識語られてもなァ」

「俺は常識が通用しないのであって常識がない訳じゃねえよ」

 

 ちゃかしてみても乗ってこない垣根。どうやら本気のようだった。

 乗るか、反るか、そう目で問いかけてくる。

 

 それを判断するために暫し、残り少ないカップの中に視線を落として考え込むことにした。

 

 

 

 

 

 果たして垣根は何を企んでいるのだろうか?

 

 1.俺の戦闘データを得て解析する。

 2.他の超能力者を観察し能力強化を目指す。

 3.意図的に動乱を大きくしアレイスターの目論見を看破、あわよくば破綻させる。

 4.都市内の不穏分子を炙りだして先んじて始末する、か。

 

 或いはこの依頼すらも理事会からの命令である可能性もある。つまり垣根が理事会の犬であるということだ。性格的に想像しにくいが、あり得ないとは言えない。

 

 ……いや、俺が即席で推察できている時点でまだ不足だろう。垣根はこの話を切り出すまでにシミュレートを重ねた筈で、俺に飲ませ易くする工作は絶対にあった。

 ならばこの依頼が俺に不利に働く可能性はかなり高いと悲観的に考えた方が良い。

 

 現状手にしている力を以ってして危険に陥る可能性は、正直そう高くない。それだけの逸脱具合であることは、同じ領域にいる垣根なら分かる筈だ。

 万一俺が危機に陥ったとして、垣根にトドメを刺される可能性は……なくもない。だがここ数週間の様子からして、既に最強の座に拘っているようにも見えなかった。

 

 一方で、俺が不信感を抱くことも垣根は想定している筈。

 であれば拒否した方がヤツにとって得なのか? だが俺がその男に関わらないからといって特段問題が発生するとは考えにくい。

 或いは争いに加わらない選択はつまり、安全を得る代わりに成長の機会を逸するということだ。ベクトル操作を更に成長させる機会を失うかもしれない。

 

 ……俺を表舞台に引きずり出すこと自体が目的という可能性もある。行方不明の第一位が現れて注目が集まっている隙に方々へ工作を行い、何かの目的を果たすのか?

 

 果たして乗るべきか、それとも反るべきか。

 どちらにしてもメリットデメリットがあり得る中、確実なのは蹴ればここで話が終わるということだけなのだが。

 

 

 

 

 

 ――――考え込むこと数分、いい加減手に持ったカップが冷めた頃に答えは出た。

 

「乗ってやる」

「へえ……」

「精々暗躍するンだな。俺も好きに動かせてもらうからよォ?」

「当然だ。そうじゃなきゃ面白くない」

 

 不敵に笑い、別の書類を投げ渡してくる垣根。それを受け取りざっと目を通す。

 

 入学先の高校の情報と偽造する身分データ、そして窓口となる警備員(アンチスキル)。その他諸々の必要な手続きも済んでいる辺り、何とも手が早い。

 垣根は俺が乗ると読んでいたのか、それとも五分と考えていたのか……全く油断がならない。心の中で舌打ちをする。

 

 まぁこの男と仲良しこよしなぞ死んでも御免だ。そう考えれば丁度良かったのか。

 

「ご馳走さン……コーヒー美味かったぜェ」

 

 次にこの場所で心理定規のコーヒーを味わえるのはいつだろうか、なんて。

 つまらないことを考えながらカップを呷り、中身を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方通行が帰ってから暫くのち、私は垣根を問いただしていた。

 事前に打ち合わせてはいたがどうしても解せないことがあったからだ。

 

「あなたは良かったのかしら、別れがこういう形で」

「良かったも何も、アイツは正しく意図を汲んでいったじゃねえか」

「……わざわざ敵を増やすような真似をする意味が私には分からないわ」

「それこそ今更だな、心理定規。俺に常識は通用しねえよ」

 

 悪びれるどころか胸を張って自慢げに言う垣根。その姿に溜め息を一つ、聞こえるように吐いてみてもまるで堪える様子はない。

 垣根との付き合いももうそこそこの期間になるというのに、未だこの男は私の理解を飛び越えてくれる。

 

 スクールの構成がフォーマンセルという都合上、四人はそれぞれに秀でた能力を持っていなければならないし、四人の連携はスムーズでなければならない。

 人員を遊ばせる余裕も、意思疎通を失する余裕もこの少人数では許されないのだ。

 加えて私も精神操作系能力者の端くれ、構成員を理解しようと務めるのは当たり前のことだった。

 

 ――だというのに、垣根帝督という人間は中々尻尾を掴ませない。

 

 例えば、殺し合いをしていた相手ともお茶会ができる、という表現がある。人物の度量や器の広さを示す形容なのだろうが、垣根もまたこれに当てはまるだろう。

 

 だが彼の場合、お茶会をしていた相手とも躊躇なく殺し合いができる、という逆の表現も当てはまるのだ。割り切りが良いのか執着が薄いのかは不明だけれど。

 

「あなた、一方通行を友人だと思っていたのではなかったの?」

「友人……面白いことを言う奴だな。お前の中では対等な力関係をそう呼ぶのか?」

「彼に対する恨みはもうないのでしょう? 手を組んでもよかったんじゃ」

「別に組む必要もないだろ、今の未元物質なら。それに動乱で遊びたい気分なんだよ……その中で潰れるなら所詮、その程度だったってことだ」

 

 アイツも、俺も。そう語る彼の表情は実に愉しそうで。

 また始まったと私は思わず目頭に手をやって揉んでしまった。これだから超能力者は厄介なのだ。

 

 一般的に高位能力者とは自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を強固に持っている者であるため、少なからず常識に欠ける部分がある。超能力者ともなれば自分の中だけで完結する世界観を持っていると言って良いレベルだ。

 彼らの考えを常識で計ろうとすると痛い目に遭うことになる。

 

 私の能力、心理定規は対象者にとっての心理的な距離感を計測し自在に操る。

 例えば対象者にとっての自分の位置付けを路傍の石にすることも、真逆に神の如き崇拝対象にすることも自由である。

 スクールでの担当は主に裏方、情報を吐かせたりかく乱したりという仕事だ。

 

 強度からしても抗える者はほとんどいないだろう。それこそ上位存在の心理掌握(メンタルアウト)や、何らかの手段で干渉に対する防壁を常時展開している能力者でもなければ誰でも操れる、と自負している。

 

 だが心理定規には一つ大きな欠陥が存在することも自覚していた。

 押し付ける定規が私個人のものでしかないため、対象者があまりに常識外れだと私の意図通りに操れないのだ。

 

「ねえ、あなたにとって一方通行ってどういう存在?」

「なんだよ藪から棒に」

「いいから」

「……まぁムカつくことが多いな。同じ領域にいるから似た考えができるってのはあるか? それに殺すのに躊躇しなくていいのは嬉しいな。あとダベってると楽しい」

 

 指折りしながら彼が挙げていくその一つ一つはおかしくないのに、並べてみるとおかしなことになる。どうして共存できるのか、できてしまうのか分からない。

 

 客観的に見て垣根帝督は一方通行に親近感を覚えているのは確かだ。他方で彼らが殺し合いを躊躇わないだろうこともまた、確かだった。

 

 正味な話、今の彼にとって心理的距離が最も近いのは一方通行だ。

 仮に私が垣根を操ろうとしたならば、距離単位を近く設定することが定石である以上、私は一方通行と同じ場所に立つことになる。

 

 ゾクリ、と。想像してみて思わず背筋に震えが走る……冗談じゃない、その次の瞬間に有無を言わさず殺されても何らおかしくないのだ。

 

 スクールに配属されたときは運命を呪ったものだ。敵に殺されるのではなく味方に殺される可能性の方が高いのだから。

 いや、当時は彼が自分を味方と思っていないだろうことが明白だったから、更に危険だったのだ。

 

 ――だがそれでも、今もなお私はスクールの一員であり続けている。

 

「心理定規、二杯目入れてきてくれよ」

「それは構わないけれど何にするの? またモスコミュール?」

「何だってんだコラ、俺は甘い方が好きなんだよ」

「彼のこと笑えないじゃない……はいはい、行ってくるわよ」

 

 一方通行を挑発した割に、彼はどうやら苦さ辛さよりも甘い方が好みなようだった。珈琲のブラックと甘いカクテルではどちらが背伸びしていることになるのか、正直どちらも何だかなぁという気分になる。

 

 だが彼を評して可愛らしいなどと思うことは到底できない。一見常識的に見える彼の振る舞いは、たった一つの非常識を混ぜるだけで全てが崩壊するのだから。

 それこそ一つ混入するだけで全法則を乱してしまう彼の能力、未元物質のように。

 

 全く心休まらない生活。常に頭を働かせ、観察を続けていなければならない日常。

 それは、ああ、なんて――

 

「――本当、退屈しないわよね」

「……ああ?」

「何でもないわ。じゃあ少し待ってて」

「おう、急げよー」

 

 ひらひらと手を振りソファに寝転がる彼の姿にニヘラと、思わず笑みを一つ零す。

 

 本当に退屈しない……垣根帝督という男も、スクールも。この世界にはまだまだ思い通りにならないことが山ほど残っている。残っていてくれる。

 ――それがどうしようもなく嬉しかった。

 

 下手を打てば命を落とすギリギリの、スリルに溢れた暗部での日常。それを愉しいと感じてしまう辺り、自分でも浅ましいと思う。

 だがこれほどに生きていることを実感できる生き方を私は他に知らないし、手放すつもりも毛頭ないのだ。

 

 ゾクリとした悪寒は甘い痺れに、重い息苦しさは熱いあえぎに変わってしまう。

 

 垣根帝督という人間を思い通りに操るという高すぎる目標に挑める一方で。

 垣根帝督は絶対に自分の思い通りにならないという保障があるという喜び。

 全てが自分の思い通りになる世界など何の面白みもない。

 

 スクールの一員である今は、まさに心理定規(わたし)の選んだ生き方だった。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 数日後の昼下がり。指定された警備員の支部へ行ってみれば、そこにいたのは緑ジャージの女。女性にしては背が高く、長い黒髪を一括りにまとめて待っていた。

 彼女が黄泉川愛穂なのだろう。わざわざ出入り口まで迎えに来てくれていた。

 

「それで、お前が鈴科じゃん?」

「あァ、あンたが黄泉川か?」

「いかにも、ちなみにとある高校の教師もしてるよ」

 

 垣根と駒場の双方が指定した警備員が同一人物とは、不思議なこともあるものだ。

 彼女に付いて中に入り、勧められたソファに座る。こじんまりとした派出所のような内装の支部に他の人影はない……事件で出払っているのだろうか。

 

 書庫にアクセスするためだろう、黄泉川はパソコンを立ち上げながら話を始めた。

 

「それにしてもスキルアウトを止めたいっていうのは珍しい話だな。何でも身体検査ではLevel0だったんだって?」

「あァ、それでスキルアウトに落ちたって訳だ。その中で揉まれてある程度の能力強度にはなったンだが……駒場に目を付けられてよォ」

「まぁ駒場も悪い奴じゃないさ。こうして表に戻って来てくれる子が一人でも増えれば、私はそれだけで嬉しいじゃん」

 

 にか、と笑う黄泉川は本気でそう思っているのだろう、今まで見た大人の中で一番裏表がないように見えた。

 

「それで、能力は何になるんだ? 兎にも角にも書庫に載っている状態じゃないと円滑に動けないじゃん」

「多分、衝撃拡散(ショックアブソーバー)ってやつなンだが……書庫に載ってないと表に戻れねェのかァ?」

 

 安全の観点から表の世界でも反射の膜を解く気にはなれない以上、いずれ何かの拍子に周囲が違和感を生じることになる。車に轢かれようが怪我一つしないのだから。

 だが設定を少し調節すれば、衝撃吸収として言い張れる位にはなるだろう。身の安全を図りつつ目を付けられないようにする、というのが垣根の用意した方策だった。

 

「死亡者の記録すら延々と残されてるからな。入退場は全部管理されてるし」

「本当、牢獄みたいな街だよなァ」

「まぁ、な……っと、該当はあるけど能力欄はLevel0表記みたいだ。じゃあ検査は後日として、登録申請しておくじゃん」

 

 思う所があったのか弱冠声のトーンを落とし、しかしサラサラと書面を埋めていく黄泉川。手馴れているように見える辺りしっかりと警備員を務めているのだろう。

 

 画面を覗き込むと捏造だらけの経歴がそこにはあった。垣根が手を回したのだろうが、よくも見事にできるものだと感心する。

 そもそも年齢と容姿からして偽りだ。身体的特徴こそ変わらないが外見年齢は十五歳ほど、五歳も偽っているのだ。高校生を演じるのだから当たり前だけれど。

 

 まぁ基本的には“そう見える”ように細工を施しているだけで、それこそ蜃気楼のようなものだ。その表面を反射の膜で覆っているからこそ他人に触れられてもバレないだろうが、仮に異能を打ち消す手などというものに当たれば消え去ってしまう。

 

 ……そんな男が本当にいるのかどうか、確かめにいくのが俺の仕事なのだが。

 

「手持ちの金とか全然ないンだが、大丈夫なのか?」

「まぁ強度にもよるけど、生活できるだけの資金は学園都市から出ると思うじゃん。Level3くらいからじゃないと贅沢は難しいけど」

 

 それならまぁ、その位を目処に出力を調整すれば良いだろうと思案する。手持ちの金は殆どないのでありがたい。

 

 垣根はアレイスターに対抗するための駒が欲しい、と言った。プランに関する情報を手に入れたのか、それとも感情的に反発しているだけか。いずれにせよアレイスターとは対立する方針らしい。

 俺は一体どちらにすべきか。不足している情報を入手する方法と共に、考えなければならないことだった。

 

「他には、っと……うん、とりあえずは問題ないじゃん」

「なァ、なンでパソコンがあるのに手書きの書類を準備してンだ。面倒だろ?」

「あー、どっかのバカが書庫に不正アクセスしたせいでセキュリティの見直しがされてる最中なんだよ。噂では新人風紀委員の構築したシステムを導入するとか」

「……あー、それが終わるまでは使用が制限されてるってことか。ご愁傷様ァ」

「犯人見つけたら絶対とっ捕まえてやるじゃんよ!」

 

 パキパキと指を鳴らし良い笑顔を見せる黄泉川に、曖昧な愛想笑いを向ける。

 なんとも身に覚えがあり過ぎる話だった。やはりハッキングはどこかでやり方を学ばないと不味いらしい……電撃使いなどにツテができればいいのだが。

 

 取り合えず手続き自体は円滑に進み、俺はこの春からとある高校へと通うことになったのだった。




Act.1『Accelerator』fin.

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