水銀世界のとある少年少女達   作:夜鳥

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ⅲ.駒場利徳の選択

「チッ……あのクソガキ、勝手に蒸発しやがって」

 

 とある研究所の一室で書類片手にパソコンを弄る金髪刺青の男、木原数多だ。

 ここの所荒れている彼を恐れて他の人間は近づこうともしない。自然、部屋にいるのは彼一人だった。

 

 一方通行の能力を成長させ第一位まで押し上げた研究者であり、同時に猟犬部隊(ハウンドドッグ)の隊長という裏の顔を合わせ持っている。統括理事会理事長アレイスター=クロウリーの直属であるが故に、色々と表に出せない仕事を手がけていた。

 

 言わばアレイスターの手足、手先であり自由などない――傍目にはそう思われるかもしれない。だがこれは彼が自身で選んだ道だった。

 

 アレイスターの近くで彼の意に沿うよう動けばプランに関わることができる。能力開発を掲げる学園都市において、理事長のプランが超能力者の強化に関わらない筈がない……その目論見は的中、念願叶って一方通行を実験体にすることができたのだ。

 

 すくすくと育った一方通行は学園都市最強に登り詰め、彼の目的の第一段階は無事に達成されたのだ。あとは幾つかの段階を経て実験体を屠殺するだけだったのだが。

 

 絶対能力進化、一方通行をLevel6へと至らせる計画に彼は関わることができなかった。それはまぁいい、強くなってくれるならその方が目的に資するのだから。処分対象(オモチャ)を幾つか壊して溜飲を下げることもできよう。

 

 だが一方通行の暴走と消失、実験の凍結はどうにも許容不可能だった。一体何のために研究を、仕事を続けてきたのか? 人の作品を台無しにしてくれた連中は嬲り殺しにしても足りない、それ程に衝撃的だった。

 

 しかし他方で彼は科学者だ。失敗した試行にいつまでもしがみ付くことの愚かさを誰よりもよく知っている。

 故に書庫(バンク)素養格付(パラメータリスト)を漁っては目的に合致したモルモットがいないか探す、そんなことを続けていた。

 

「……一番可能性がありそうなのは、コイツか」

 

 ペラリ、と報告書を捲った手が該当者の面で止まる。

 麦野沈利、Level5第四位の原子崩し。電子を粒子と波形の中間状態、あいまいなままに固定して用いる能力者だ。何の因果か暗部に堕ちてきたらしいが……まぁそれはどうでもいい。

 

 超能力者の例に漏れず我が強く攻撃的、独善的で利用は困難……上等だ。容姿や経歴は読み飛ばし、どういう形で仕掛けようか数多は算段する。

 

 現状一介の科学者に過ぎない数多では麦野沈利を手中に収めることは難しい。

 原子崩しの学術的・工業的利用価値は低いので不可能ではないだろうが、それでも研究者垂涎の的だ。実験材料に、或いは仕事の手先として欲している連中は多い。

 

 よしんば手元に置けたとしても麦野を更に成長させるためには手駒が全く足りなかった。最悪Level5を幾人か使い捨てる予定であり、かなり綿密な下準備をしなければ到達できない。

 

 今はまず、下地を整えることに専念すべきか。後は理論の検証に時間をかけるべきだろう……樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)に演算させられれば良いのだが、それではアレイスターを始めとした何人もの人間に目論みを知られてしまう。

 彼が把握しているだけでも木原幻生を始めとした数名がLevel6の作成確保に動いている今、横槍を入れられるのは避けたかった。

 

 数多の目指しているモノは、0次元の極点、という理論だった。

 

 0次元の極点——n次元の物体を切断すると断面はn-1次元となる。

 例えば3次元の立体を切断すれば対応した2次元の面が、ならば1次元を切断すれば対応した0次元が生まれるだろう。

 3次元と対応した0次元の一点を手中に収めることができれば、その一点のみで世界を掌握できる……未だ机上の空論に過ぎない仮説だ。

 

 だが数多の知る限り、現状でLevel6に到達し得る可能性が最も高い理論だった。

 

 Level6とは単純に能力強度を上げれば到達できるものではないと数多は知っていた。大多数の研究者はLevel5の先にあると思い込んでいるようだが、二者の間には壁が、断絶が存在する。Level5ならばLevel6に届く道がある、そんな保障はない。

 

 神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの、SYSTEM、Level6、呼び方は様々だが学園都市の目標とされるソレに向けて、数多もまた活動していた。

 活用するためでも利益を上げるためでもなく、完成した瞬間に破壊するためだが。

 

「となると、この辺りの奴を周囲に配置しておくか」

 

 既に暗部に堕ちている麦野沈利の率いる組織、アイテム。そこの構成員に核となる備品を一人、配備しておくことにしよう。

 

 カタカタと鳴るキーボード。ディスプレイを見つめるその口は愉悦に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 年が明けた第七学区。息を吐けば白くなる、そんな季節。

 ベクトル操作で温めた缶コーヒーを傾けながら、静まり返っている路地裏の通りを窓から一人眺める。

 

 早朝という時間帯、低い気温という理由を加味しても実に大人しいスキルアウト達。それもその筈、現在ここにはリーダーたる駒場がいないのだから。

 

 スキルアウトも人間、稼ぎがなければ生きていけない。当然の話だ。

 しかし真っ当に表社会で生きていけない連中が現金収入を得るための選択肢はそう多くない。しかも駒場の方針が無能力者を守ることなので、あまり悪辣なことを出来る訳もなし。精々が強盗くらいだろう。

 

 そんな訳でATMの強奪に出かけた駒場達を見送ったのが三日前。本当ならとうに帰還している筈の奴らは未だ連絡すら寄越さない。ヘマをして捕まったのか、味を占めて二件目に向かったのか。

 

 とどのつまり、部屋にいるのは俺一人だ。

 

 自身に与えられた打ちっぱなしのコンクリートの一室。窓の桟に腕を置き、飲みかけの缶コーヒーを揺らしながらボーッと待ってみても訪れる者などいやしない。相変わらずコーヒーは苦く飲み慣れないが、貰ったものを無碍に扱うのも気が引ける。

 

 むしゃくしゃした気分を晴らそうにも気晴らしになりそうな趣味はない。弄って遊ぶ浜面も、今はいない。

 

 今回の仕事に出張っているのは駒場、浜面、そして作戦担当の半蔵という男の三人だ。そのままこのスキルアウトのトップ3といってもいい三人が戻ってこないようなことになれば、実に面倒くさいことになるのは想像するまでもない。

 

 元々スキルアウトというのは表社会に適合できなかった連中だ。能力が低かったり、学校に馴染めなかったり、人格的にどこか可笑しかったり。

 駒場がそんな連中を曲がりなりにも統制しているからこそ、第七学区などという比較的表の中心部に近い場所に居を構えていられる。

 

 仮に駒場がいなかったとすれば連中は好き勝手に方々へ散らばるだろう。行く先々で問題を起こして摘発され、そう日を置かずして壊滅するに違いない。或いは他の学区のスキルアウトに吸収されて下っ端扱いされるのが関の山だ。

 

 それでは俺の寝床が失われてしまう。

 そうなると浜面を弄って遊ぶという楽しみがなくなってしまう。

 駒場の持ってくる苦いコーヒーを飲めなくなってしまう。

 フレメアの馬鹿みたいな口癖も聞けなくなってしまう。

 

 そんなことを考えた後、誰にともなく呟いた。

 

「無いなら無いで……別に構わないンだけどよォ」

 

 グシャリと缶をひしゃげさせ、振り向いて部屋の隅のゴミ入れに投げ込む。カコンと高い音が響いて、すぐに静まった。

 当たり前だ、騒ぐような人間がここにはいないのだから。

 

 無くても構わない、その言葉に偽りはないが、この場所は居心地が良い。今すぐに失われても良いと言えるほど、悪い場所ではない。

 

 ……無論、一人でいたいという願望に変わりはない。誰にも干渉されたいとは思わない。近づけさせたいとも思わない。

 

 だがこのぬるま湯のような環境の中で適度な距離を保っていられたなら、それはどんなに素晴らしいのだろうか、なんて――――――

 

 思っていた矢先に事件が起きた。無能力者狩りだ。

 

 きっかけは些細なものだったらしい。手が触れたとか肩が当たったとか視線が合ったとか、そんな下らない言い争い。

 ただの喧嘩だった筈のそれは、エスカレートしていく内に能力者と無能力者の対立へと繋がっていった。

 

 曰く、正当な報復である。

 曰く、能力者の権利である。

 曰く、無能力者は敗者である。

 

 風の噂では、高位能力者が無能力者を狙って狩るゲームが流行っているらしい。どこまでが本当かは分からないが、三人のいない内に被害が広がっているのは確かだ。

 今では最初のいざこざに関係の無かった者の方が、被害者としては多くなっている。すぐに病院へ担ぎ込んだ方が良いような奴も多い。

 

 それでもまぁ、特に手出しはしなかった。

 三人が戻ってくれば沈静化するだろうことは読めていたし、そうでなくともここまで大々的な話だ、表の警備員も動き出していることだろう。遠からず騒動は収まる、そう踏んでいたある日。

 

 散歩から帰った俺の寝床が、燃えカスになっていた。

 

「く……くけけけここここかかきかかけけくくけけけこっ!」

 

 

 

 

 

 ――――そこからのことはよく覚えていない。

 

 近くにいたスキルアウトの男を締め上げ、能力者の襲撃があったことを吐かせ。

 そいつを引きずって下手人を捕まえに行き、適当にどついてボコ殴りにし。

 脳内情報を読み取り、携帯のデータから仲間と思われる連中を割り出し。

 夜を徹して根こそぎ叩き潰して回った、ということらしい。

 

 らしい、というのは引きずっていた男に後で聞いた話だ。本人は震えるばかりで頑なに話そうとしなかったので脳内情報を読み取るはめになったのだが。

 

 とにかくそうして無能力者狩りは終結したらしい。謎の人物の襲撃を受けた能力者達はそろって体内の回路を弄られ能力を使用できなくなっていたらしいが、詳細は闇の中だという。

 

 とまぁ……ここで話が終われば良かったのだが、そうは問屋が卸さない。

 流石に数十人規模の能力者が突如として無能力者と化したのは問題だったらしく、表側の活動が活発になったようだ。この街は能力開発を主としているのだから、言われて見れば当たり前だが。

 

 状況からスキルアウトが関わっていることは明白、今こそ証拠がない故に踏み込むことはないだろうが、この件に関する調査は犯人が見付かるまで続けられるだろう。

 

 ……そんな話を伝えてきて、駒場は俺にどうしろと言うのだろう。

 

「で、俺は一体どンなリアクションをすりゃァいいンだ……腹ァ抱えて笑ってやるのが正解かなァ?」

「笑い事ではない……証言はいらんが、このままではいずれお前の正体が露呈する」

「ちっ……お前、どこまで掴ンでやがる?」

「数ヶ月前の話だ……ある研究施設が丸ごと消失したらしい。それと同時期にLevel5の一人の所在が掴めなくなり、捜索が行われたという。白髪の少年の名は……」

「一方通行、序列第一位の超能力者様だ」

 

 クソが、全部把握していやがった。ギシリと歯軋りが漏れる。

 

 情報源を潰しておくべきだったか?

 いや、規模の大きさを鑑みれば流出することは目に見えていた。情報の伝達に時間がかかるとはいえ、このスキルアウトにも流れてくるのは時間の問題だっただろう。

 

 或いは既に、駒場以外にも俺の正体に気付いている者がいるかもしれない。気付けばどうするか。売るか、利用するか、碌なものじゃない。最悪の事態が次々と思い浮かぶ。逃げる、殺す、証拠隠滅? 

 

「鈴科……以前言ったことがあっただろう。元いた所に戻れ、と」

「……きひっ、俺に研究施設に戻ってモルモットになれってかァ?」

 

 ふざけたことを抜かす野郎だ。この場で愉快なオブジェにしてやろうか? 目の前の男を睨み据える。

 

 だが駒場は変わらず、巌のように微動だにしていなかった。

 

「早とちりするな、その更に前だ……光の当たる場所へ、戻らないか?」

「……あァ? 何言ってンだお前」

 

 思わずポカンと口を開けてしまう。

 光、だと? それに拒絶されたからこそ今俺はここにいるというのに、そこにまた踏み出せというのか駒場は。

 

 流石に有り得ないだろう。握った手に、爪が食い込む。痛い。

 

 だというのに駒場は俺を置き去りに話を続けていく。

 

「隠れ蓑としては丁度良いだろう。黄泉川という女がいる。暑苦しいが……俺達スキルアウトに対しても真っ直ぐ向き合ってくれる警備員だ」

「まともな大人なンざこの街にいるかよ? いたらこンなクソみてェなことになってねェだろうが」

「それもまた正しい。だから判断はお前自身で下せ、押し付けはしない……頼めば色々と便宜を図ってくれるだろう」

 

 これが連絡先だ、そう言ってメモを置いて立ち上がり、部屋を出て行く駒場。それを黙って見送り、閉められたドアに向かって空き缶を投げつけた。

 

「クソが……っ!」

 

 カィン、と響く高い音。誰かに指摘されるまでもない、八つ当たりだ。

 床に一つ落ちたゴミが、置き去りにされたように見えた。

 

 分かっている、駒場が俺を慮ったことは。アイツはスキルアウトのリーダーだ、集団の安全と俺、融通できるギリギリで提案してくれただろうことは想像に難くない。

 それこそ俺が邪魔なら表に情報を売ればいい。踏み込まれる際にスキルアウトはこの場所を放棄することになるだろうが、引き換えに懐へ収められる情報料は破格だろう。そもそも俺に警鐘を鳴らす必要すらない。

 

 だというのにそれをしなかったのはアイツが甘いからだ。

 フレメアと同じように、ガキに甘い奴だからだ。ツラと肉体に見合わず冷静で、それに加えて仲間想いのゴリラだからだ。俺を狙った暗部の襲撃があるかもしれないのに匿うお人好しだからだ。

 

 裏の世界に生きる人間にしては情に絆され過ぎだ。いずれ自身の首を絞めることになるに違いない。半端なやり口、半端な生き方、あまりに危うい。

 

 ……だがこの場所の居心地は悪くなかった。アイツのことも、嫌いじゃなかった。

 

「どうせ俺は最初からずっと一人なんだよ……クソが」

 

 そう吐き捨てて、壁を殴りつける。メキ、とあがる悲鳴。

 反射のお陰で手は痛くない。陥没したのも、悲鳴をあげたのも壁の方だ。

 

 だってのに、痛かった。殴った手の方がずっと、痛かった。

 悲鳴をあげたいのは、俺の方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何の用だ、浜面」

「良かったのかよ、アイツを行かせちまって」

「当たり前だろう……鈴科のためには、一番だ」

 

 一方通行の出て行った部屋に行ってみれば、駒場は思った通りその場所にいた。ちらりと目をよこしただけでまた外を眺めだしたのに倣い、俺も窓際へ近づいて行く。

 見れば駒場は缶コーヒーを片手に腕を桟に預け、何をするでもなく時間を潰しているようだった。

 

 ――無能力者狩り。学園都市の歪みの象徴といっていいこの事件を解決したのは本来何の関係もない子供、一方通行だった。

 

 アイツが何を思って直接手を下したのかは分からない。部屋を焼かれた恨みが直接的な引き金ではあったのだろうが、それだけが理由なのか、或いは他にも理由があったのか。聞いても答えはしなかっただろうし、聞く間もなかった。

 

 だが思うのだ。何もアイツがやらなくても良かったではないか、と。

 

 一方通行はレベルの高い能力者だ。アイツに任せるのが最も効率の良い方法で、お陰で俺達は何らリスクを負わずに済んだ。

 

 だが、だから何だと言うのだ? 直接に被害を受けていた連中が何も出来ないでいる内に、全然関係のないアイツが動いてしまった。結果、アイツは出て行かなくてはならなくなった。

 

 確かにLevel5が行方不明という噂は浜面の耳にも入ってきている。だがその容貌や能力などという個人を特定する内容は伝わってきていない。

 つまり、駒場はカマをかけたのだ。断定するには足りない情報で、しかしあのガキは引っかかった。それはアイツがまだすれていない、ガキな証だった。

 

「良いのかよ、アイツに、ガキに全部おっかぶせてそれで!」

「よしとするしか、あるまい」

「駒場……っ」

 

 何の痛痒も感じていない言様に思わず胸ぐらを掴み上げて、しかし瞠目した駒場は動じない。

 だがその拳が硬く握られているのを見て、その言が決して言葉通りではないことに気が付いた。

 

「お前……」

「こんな場所に、いるべきではない」

 

 決してこちらへ向けようとしない視線。既にいない相手に向けた視線だった。

 

 本当は分かっていた。

 あれ程アイツを気にかけていた駒場が平静な筈なかったのだ。子供に甘い男。ブラックなんていう見当違いのお土産を、駒場はついでだからといって頻繁に渡していた。フレメアにもあのガキにも、まんざらでもない顔で接し続けてきた。

 

 だからこそ自分の部屋でもないのにここへ来て時間を潰している。飲む人間もいないのに缶コーヒーを買ってきては自分で飲んでいる。食べる人間もいないのに駄菓子を調達してきては自分で消費している。

 

「戻ったほうがいいのだ」

 

 戻れるものならばな、と零す駒場。その言葉に手の力を緩め、そっと身体を離す。

 

 俺も、他のスキルアウトも感じていることだった。

 この場所が嫌な訳ではない。すごく居心地のいい、仲間意識の持てる居場所だ、スキルアウトというのは。誰にも馬鹿にされない、安心して馬鹿が出来る所だ。

 

 だが時々ふと脳裏を過ぎるのだ。

 もしあの時、学校を辞めなければ、能力を開発していれば、もっと努力をしていれば、悩みを相談する人がいれば。

 俺は今ここにいなかったのではないか、と。下らない仮定だと、分かっていても。

 

「だから……これでいいのだ」

 

 こちらを見ることなく、誰にともなく口にするその言葉はまるで自分に言い聞かせているようで。

 俺に出来るのは納得することしかない。納得するしか、なかった。

 

 駒場の勧めた警備員、黄泉川は暑苦しい女ではあるが、数少ないまともな大人だと俺も思う。苦手ではあるし嫌いでもあるが、決して悪いようにはされない、そう思える相手だ。それが例え曰く付きのあのガキであったとしても。

 

 だから、良いのだ。良いということにして、納得するべきなのだ。

 

 会話のなくなる部屋。いずれアイツがいたことは昔のことになって、俺達はいつものスキルアウトに戻ることになる。

 

「なぁ駒場」

 

 だがこのまま終わりにしたくない、そんな気持ちが口をついて出る。

 

「俺いつか、もしかしたらスキルアウト辞めるかもしれねえ。つっても見通しなんて全然ねえけど」

「ほう……どういう心境の変化だ?」

「別に何って訳じゃない。あのガキ一人を……鈴科を表の世界に追い返しておいてこの浜面仕上様がビビッてるようじゃ示しがつかないって、それだけだよ」

「ふ……そうか」

 

 珍しく表情を緩める駒場。本当に、らしくない。

 この人も、俺も。

 

 正直、能力者はLevel0を見下す嫌な奴ばかりだと思っていた。今まで会ってきた連中は無能力者狩りを含めてそういう者ばかりだ。その思いは今も変わった訳じゃない。

 

 だが一方通行は、いや、鈴科は違った。まだガキだからなのかもしれないが、話が出来た。おちょくられてばかりだったが絡むことが出来た。ブッ飛んだやり口ではあったが無能力者のためになるよう動いてくれた。

 

 確かに、だからなんだ? という話ではある。

 だがあんなガキに目の前で好き勝手やられて発奮しなかったら男じゃないだろう、なんて思ってしまう。知らず拳を握ってしまう。

 本当に、ガラじゃない。

 

 ガラじゃないが、悪くない。

 

「さしあたっては女の子と出会える職場がいいよな。携帯ショップとかファミレスとか」

「お前は……全く」

「アンタだって興味ない訳じゃないだろうに。そんな年配でもないだろ?」

「お前がどう思っているかは知らんが、俺の年齢は……」

 

 数瞬、思考が停まる。耳にした数字に脳が理解を拒絶して、果たして感覚がおかしくなったのかと頬を引っ張ってみても夢ではない。幻聴でもなかった。

 

「……マジで?」

「事実だ」

 

 この事実は俺の胸の内に留めておこう、そう決めて忘れるよう努める。先の決意が吹き飛びそうになる位の衝撃だった。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「表に戻れって言われてもよォ……実際どうすりゃいいンだ?」

 

 缶コーヒーを数本ビニール袋に詰めて部屋を引き払い、表通りにまで出てきてふと俺は足を止めた。身分を証明する手段がないことに、今更ながら気付いたからだ。

 取りあえずいつも通りに迷彩を使い、路肩のベンチに腰をかける。

 

 ここ学園都市は全ての人員をIDで管理している。学生、教職員、研究者、一時的に入出場する旅行者も含めて全てのデータが一元管理されているのだ。外の世界と比べて数十年は先を行く技術の不用意な流出を防ぐ、というのがお題目だが。

 特に学生、能力者については書庫に詳細な情報が残され、警備員や風紀委員でも日常的に閲覧しているという。

 

 だから今の俺が警備員の詰め所に行ったところで身元がバレて大騒ぎになるか、身分を偽ろうとして失敗して大騒ぎになるかのどちらかだ。

 どちらにせよ上手くいかない、つまり詰んでいた。

 

 或いはそこらの端末からハッキングして架空の身元情報を作り上げてしまうか?

 

「はァ……とりあえず、やってみるかァ」

 

 モノは試しだ。現状他にいい方法も思い付かない。

 目に付いた高架下の電話ボックスに入り一息、電話をかけるフリをして書庫へのハッキングを試みる。

 

 専用のソフトやら端末やらがあればいいのだろうが望むべくもない。幸いそれほどセキュリティは高くないようで侵入は容易だったが。むしろ通信する暗号データを復元する作業の方が大変だった位だ。

 

 ざっと約180万人分もの個人情報の中、目当てのモノはすぐに見付かる。

 一方通行——ランク:超能力者、序列第一位、所在不明……何ともシンプルなデータだ。ご丁寧に写真つき、少し緊張気味の少年がはにかんだ顔でこちらを見ていた。

 

 この写真を撮ったのは一体いつだったか……どうでもいいと頭を振り思考を戻す。

 

 序列に変化がないところを見るに、どうやら学園都市は一方通行が死んだとは考えていないようだ。死体が見付からないから判断を保留しているのか、生きていることを掴んでいるからなのかは不明だが。

 とにかくLevel5の順位が繰り上がることはなかったらしい。

 

 暫く試行錯誤してみるが、どうにも改ざんは上手くいかない。初ハッキングが書庫というのはやはり無理があっただろうか。

 正確に言うと、情報を改ざんすること自体は可能なのだが形跡を誤魔化せないのだ。書庫のデータを全消去してしまうという最終手段は、流石に躊躇うものがある。

 

「そういやァ……第二位ってどンなヤツなンだ?」

 

 ふと思い浮かんだ疑問。気晴らしに操作を前に戻し、第二位の情報を閲覧する。

 垣根帝督、能力名は未元物質。何とも自信に溢れた顔つきの、ホストじみた茶髪の男。帝督とは実に愉快な名前をしている、そんな感想だった。

 

 今はこの男が暫定一位みたいな扱いを受けているのだろうか? だとすれば何ともご愁傷様、厄介事しかもたらさない最強の座など熨斗をつけて差し上げたいと思う。

 年齢的に学生でもおかしくないのだが、どうやら在学してはいないらしい。見た目通りにホストで生計を立てているのか、あるいは闇にどっぷりと浸かっているのか。

 

「流石に詳しくは載ってねェな」

 

 汚れた情報までは書庫に載っていないようで、これ以上のことを調べるとなるとより中枢への侵入が求められるらしい。だがセキュリティは段違いになるだろうし、下手を打てば足が付くことは明瞭だった。

 暗部に精通している誰かのパスでもあればいいのだが。

 

「……木原くンでいいか、うン」

 

 考え込むこと数秒、刺青金髪の研究者、アイツなら迷惑をかけても問題ないだろうと即断してハッキングをしかける。侵入する際にいくつかデータを破損してしまった感覚がしたが、まぁ木原なら問題ないだろう。

 

 なんたら部隊とかいう所の隊長もしていた筈だから怪しまれないだろう。そんなことを思いながら第二位のデータと、他にも目に付いたモノを片端から閲覧していく。

 どうやらキナ臭いことが色々と、学園都市では今も進行中らしい。よくもまぁ実験内容を次から次へ考え付くものだ、と関心してしまう。

 

「こンな所か……あまり欲張ると勘付かれそうだしなァ」

 

 作業を始めてから数十分、そろそろ潮時だろう。気付かれた兆候こそ一応ないが、まだ行けるはもう危ない、だ。接続を切ってボックスを出て、迷彩をかけたまま雑踏に紛れ込む。

 

 学校帰りなのだろうか、コートを羽織った男女が学生鞄を手に談笑しているのが目についた。喫茶店に寄るのかデパートに行くのか、連れ立って歩いている彼らの間を縫って進みながら、思考に一人没頭する。

 

 第二位の情報、進行中の実験の数々、気になる事柄は山とあった。だが一番解せないのは一方通行の情報に殆ど変化がなかったことだ。

 

 姿を眩ました第一位など、それこそどの研究者も手にしたくて堪らない筈だ。それこそ部隊が幾つか確保に動いてもおかしくない。

 だというのにまるでその気配が感じ取れない。命令があった形跡も、暗部組織に大きな変化があった様子もない。あまりに異常だった。

 

 たらり、と汗が流れる……泳がされている、ということなのだろう。各所に圧力を掛けて動きを封じられる程の何者かが、俺の現状を知った上で放置しているのだ。

 

「一体誰だ……統括理事の誰かか、理事長か……ロクなものじゃねェな」

 

 何を企んでいるのか、何を期待しているのか、そもそも誰が手を伸ばしてきているのか、何も分からないときた。全く、厄介すぎて頭が痛い。

 本当、警備員の詰め所に行くだけの筈がこんな大事になるとは。

 

 正直、どこぞのスキルアウトにでも流れて生きる方が楽だと思う。だが、選択肢もなしにそれを強制されるのは気に喰わなかった。自分で選ぶなら兎も角として、何故他人の思惑に振り回されて生き方を狭められなければならないのか。

 

「お断りだ……クソッタレ」

 

 吐き捨てて街路を一踏み、空へ舞い上がる。狭苦しい生き方は御免だった。


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