水銀世界のとある少年少女達   作:夜鳥

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Accelerator
ⅰ.一方通行の逃走


「なァにやってンだよ……俺」

 

 ぱぁん、という気の抜けた破裂音。引き金を引いたことで出た銃声だったのか、はたまた目の前の肉塊が弾けた音だったのか。

 

 いや……両方なのかもしれない。女が身の程知らずにも拳銃を持ち出してきたことも、跳ね返された銃弾を喰らったこともまるで出来の悪いコントを見ているようで。

 乾いた銃声と肉を突き破る音、苦悶の声と崩れ落ちた音。一瞬の内に死体となったクローン少女を前に、俺こと一方通行が感じていることといえば大体が呆れだった。

 

「……くっだらねェ」

 

 瞑目して呟く。

 

 自滅、眼前の血溜まりに倒れ伏しているモノのしたことといえば、そう評するしかない。彼女の撃った銃弾はそのまま跳ね返って、見事に腹部を貫通。

 仕事をしたのは常日頃から纏っている反射の膜。俺はといえばただ突っ立っていただけで、何ら能動的な行動をしていない。

 

 そもそもこの研究所に来たのはLevel5を超えた絶対能力、Level6になれる実験を行うと聞かされたからだ。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が導き出した演算結果。学園都市に七人しかいない超能力者、Level5の中でもLevel6に到達できるのは第一位の一方通行のみであるというから興が乗ったのだ。

 

 俺自身の能力は数年前の段階で既に行き着く所まで行き着いていた。イメージ強化や『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』の認識、能力用途の洗い出しなどが済んだ後は研究協力ばかり、目に見えた能力向上は十歳の今に至るまで感じていない。

 

 絶対能力進化(レベル6シフト)の計画。二万通りの戦闘環境を用意し、Level5第三位御坂美琴のクローンを二万体殺害する。

 一般的に見れば人間を殺すことは悪いことだろうが、そんな道徳はとうの昔に捨て去った……いや、捨てざるを得なかった。捨てずには生き続けられないのだ。

 

 地獄の閻魔も裸足で逃げ出す醜い行いが、悪意の連鎖が学園都市には山ほどある。

 研究者達は置き去り(チャイルドエラー)を攫って実験材料に使い、潰れれば新しくどこかから補充することを繰り返す。

 

 能力強度を引き上げるために極限状態に置き、複数の能力を発現させるために脳へ電極を突き刺し、有意な能力を持たせるため別人の脳波を流し込む。

 彼らは被検体である子供達を実験動物としか思っていない。

 

 実験動物とは実験を受けるため存在するのだから、実験により潰されるものだ。

 実験動物が他の実験動物を殺したとして、それが実験ならば普通とされるだろう。

 人間がされたなら耐えられない仕打ちでも、実験動物は当然だと受け入れる。

 

 そう、“実験動物の一人”である俺は考えている。

 

 能力を暴走させる前から研究施設を盥回しにされた中で見てきた、あるいは受けてきた醜悪なものの数々からすればこの実験はまだフェアな方だ。能力強度に差はあるが一対一の殺し合い、クローン側にも勝つ可能性は一応ある。

 

 いつだったかに参加した暗闇の五月計画は、それはまぁ酷いモノだった。

 一方通行の精神性やら脳波やらを置き去りに植え付けて有意な能力発現を目指す、だったか。自省するまでもなくアレだと分かる俺の精神性を強制されるなんざ、本当にご愁傷様というしかない。少し前に研究員が皆殺しにされて頓挫したようだが。

 

 ……まぁ過ぎた実験はいい。問題は目の前に転がっているクローン体のことだ。

 

 有意義に使い捨てられるならば実験動物も本望だろう。その死には意味があったのだから。だが戦いにすらならない今のような実験を計二万回繰り返さねばならないというのは、流石に無駄だ。資源の浪費と言ってもいい。

 今の茶番で一体俺は何を得られたというのか。これならまだ立ち向かってくる不良連中で遊んでいる方がマシだ。

 

 打ちっ放しのコンクリートのこの部屋を、ガラス越しに観察している研究者達。揃いも揃って口を開けて無様な表情をしているのを眺めて、こうなることを予測していなかったのだろうかと有り得てはいけない推測が立つ。

 

 この俺、一方通行を相手にチンケな拳銃一つでどうにかなると本気で思っていたというのか? 馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。

 

 そして一番ムカつくのは、絶対能力進化などという甘言に惑わされてノコノコここまで出向いてしまった俺自身の甘さだ。

 

「本当に……くっだらねェ」

 

 既に事切れたらしい1号をズルズルと引きずっていくクローン達。それと入れ替わるようにして2号なのだろうクローン少女がやって来る。

 その手に機関銃を持って。

 

「では、第2次実験を開始します」

 

 実験開始。反射。肉の弾ける音。終了の合図。引きずられていく肉塊。

 

「では、第3次実験を開始します」

 

 実験開始。反射。肉の弾ける音。終了の合図。引きずられていく肉塊。

 

「では、第4次実験を開始します」

 

 実験開始。反射。肉の弾ける音。終了の合図。引きずられていく肉塊。

 

 棒立ちになっている俺を他所に量産されていく死体の山。灰色のコンクリートを真っ赤に染め上げて、汚物を塗れさせて、ただ機械の如く壊れていくクローン達。

 

「なンだ、これは」

 

 訳が分からない。絶対能力者になれば誰も傷つけなくて済む、そう願ったから来てみればやらされるのは屠殺作業二万回。

 

 こんな作業を繰り返して能力強度が上がることはないと、俺の脳は演算結果を弾き出している。樹形図の設計者と結果が異なるというのであれば、それは樹形図の設計者を扱う人間のミスだろう。

 

「では、第5次実験を開始します」

 

 そもそもこの学園都市にいる科学者は、演算機能において到底俺に及ばない者ばかりだ。第七位の能力について何も分からない、第六位の所在すら掴めない。その程度の連中が作る計画、それが完璧なものである筈がない。

 そもそも彼らの語るLevel6とは何だ、強度が上がればいいのか、一体どこまで?

 

「では、第6次実験を開始します」

 

 仮に俺がLevel6となった所で、この大人達が馬鹿正直に俺を解放するのか? 実験動物が更に有用になったのだ、手放す馬鹿はいない。

 次はLevel7を目指せとでも言われて実験漬けの毎日だろう。また二万体殺せば良いのか、それとも倍ほど屠ればいいのか。気が遠くなる。“俺の欲しいモノ”は何一つ手に入らない。

 

「では、第7次実験を開始します」

 

 だから、もう。

 

「――――俺に関わるな」

 

 放っておいてくれ。そっとしておいてくれ。気にしないでくれ。関わらないでくれ。利用しないでくれ。話しかけないでくれ。見ないでくれ。観察しないでくれ。

 

「では、第8次実験を開始します」

 

 さ わ ら な い で く れ

 

「では、第9次実験を開始――――」

 

「俺に、触るなっつってンだよォォオォォッ!!」

 

 俺は俺に関わろうとする全ての“力”を、反射した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園都市。東京西部を中心とした広大な敷地を壁で囲い、学術研究に日夜邁進する科学の街だ。超能力開発を目玉とするその都市に、とある白髪赤目の少年がいた。

 

 2文字の姓と3文字の名という日本人としてありふれた名前で、皆と同じく黒いランドセルを背負って小学校へ通い、学び、遊び、日々を過ごす極普通の少年だった。

 

 普通でなくなってしまったのは十歳の頃、喧嘩とも呼べない行き違いの末に少年へ突っかかった男の子が怪我を負ってしまってから。

 少年を突き飛ばそうとした男の子は反射に弾かれ擦り傷を作った。男の子が呼んできた大人の振るった拳は反射によって大人自身を傷つけた。

 

 他の大人が、アンチスキルが、銃を持った兵士が、ヘリが、終いには戦車が少年に攻撃を仕掛けて――――全てが反射された。骨を折り肉を断ち、大火傷を負い銃創を作って、大人達が得たのは勝てないという認識のみ。

 

 惨状の中で一人ただ立ち竦む少年は無傷だった。肉体は、と注釈が付くが。

 

 自身を傷つけようとする者に対して対抗していただけの少年は、その行いを能力の暴走として片付けられた。友達だと思っていた者は友達ではなく、先生だと思っていた者は先生ではなかった。親、などというものは元々なかった。疎外され行き場を失った少年は、転がり落ちるように学園都市の闇に飲み込まれた。

 

 表に出せようもない幾つもの実験に参加するだけの日々で彼が得たものは使い切れそうもない預金残高と、ベクトル操作の悪辣さが暗部においてすら恐怖されるという自覚ばかり。

 

 人を実験動物としてしか扱わないくせに少し睨んだだけでビクビクとみっともなく震え上がるインテリちゃん達。その裏では憂さ晴らしとばかりに悪口をぶちまけ、他の実験動物に当り散らす。

 

 ……裏が裏なら表も表だ。

 

 ただでさえ人目を惹く容貌が厄介ごとを持ってくるというのに、Level5第一位という序列を付けられてからは有名税とばかりに絡んでくる者が増えた。

 勝手に挑んできては敗北して、腹いせかは知らないが空き巣を破壊していく身の程知らずが本当に多い。

 だというのに警備員(アンチスキル)が彼のために何かしたことなどないのだから笑うしかない。

 

 一応能力は伏せられているようだが、それならば容貌や名前についても秘密にしておいてくれれば面倒事にも巻き込まれずに済むのだろうが。

 

 或いはLevel5第一位という序列は、そこいらの不良が腕試しに挑むような安っぽい称号でしかないのだろうか。

 学園都市最強と呼ばれる存在になっても掛けられるのは羨望と、嫉妬と、ちょっかいだけなのだろうか。

 最強を越えた無敵にでもなれば面倒事も減るのだろうか。

 

 もしかしたら。

 絶対能力、Level6などというものになれたならば。

 意味もなく誰かを傷つける必要がなくなるのではないか。

 

 そう思ったのに――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにやってンだよ……俺ェ」

 

 半径1キロはない、だろうか。我に返ったのは半球状にごっそりと抉り取られた地面の底だった。ガラス化した断面を見て、吐息が零れる。

 

 以前の暴走とは比べ物にならない被害。人も、研究施設も、クローンも、全てが文字通り消し飛んでしまった。俺にかかる力……それこそ地球の自転からよく分からない力まで反射してしまった結果が、この何もない窪地だった。

 

 こうならないように、色々やってきたのに。

 力の抜けていく感覚。だが、それは許されないとすぐに思い至る。

 

「……逃げよう」

 

 自分にかかる重力を操作、跳び上がって穴を脱出して闇に紛れた。

 これだけの惨状だ、いずれ遠からず警備員か暗部がやって来るだろう。そうなればまた、同じことを繰り返すことになる。そういう自信があった。

 

 すぐにでも身を隠さなければいけない。だがどうやって?

 

 ……簡単だ、光のベクトルを操作してやればいい。普段は選択して反射している光を吸収すればいいのだ。人間の目は物体に反射した光を通して物体を知覚している。何も外へ反射しないように設定すれば、透明人間の出来上がりだ。

 後は音と匂い、これも空気の振動を弄れば何とかなる。種類の違う操作を並行して行うのは面倒だが、やってやれないことはない。

 

 そうして俺は逃げ出した。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 あれから何日経っただろうか。

 

 帰る家は既になく、持っている物は特になく、行き場だって当然ない。ここのところ言葉を発した記憶すらないのだから、ただ学園都市の中を漂っていたようなものだ。あちらをフラフラこちらをフラフラ、適当に歩いて食べられる物を探し、歩き疲れたら物陰で眠る。

 

 自分の体内電流を弄ることを覚えてからはマシになったが、それにしても限界はあった。眠りは浅く疲れは取れず、昼夜もない生活を続けているせいで日付感覚すら喪失している。最後に暖かいものを口にしたのはいつだったか。

 

 研究者達は自分を血眼になって探している、ということは色々と物々しい雰囲気の街を見れば分かった。いつもよりも多い警備員達、そこかしこにさり気なく立っている堅気とも思えない風貌の者達、能力を阻害するキャパシティダウンという言葉、本当に休む間もない。

 

 疲れで上手く働かない頭の割に、使い続ける能力の使用だけは上手になっていく。

 雑だった透明化も、今では高性能カメラ越しでも分かるまい。

 気付かず漏れ出ていたAIM拡散力場も掌握した。

 

 だがそれで得られたものなど何もない。ただ表の世界では生きていけなさそうだという事実を再確認させられただけだ。

 通っていた学校には籍がなかった。住んでいた部屋は嵐の後のようだった。友達だった人達は俺を忘れたようだった。本当に、クソッタレな世界だった。

 

 ……いや、一つ分かったことがある。この世界は、一人で生きるのが難しいということだ。こうして一人になってみて、良いことなんて何もない。それでも最悪ではないのだから笑うしかない。

 

 ……何でこの世界は優しくないのだろうか? ただ一人になりたいと望んだだけなのに、一人でいることを許してくれない。傷つけたくないと願っただけなのに、傷つけることしか出来ない。この世界からログアウトすれば救われるのだろうか?

 

 それとも――世界の仕組みが俺を一人にしてくれるようなモノだったなら――

 

「いってえっ!」

「……ァあ?」

 

 バカげた妄想に耽っていた俺を覚醒させたのは、何とも間抜けな男の悲鳴だった。

 多分出会い頭に衝突したのだろう男は衝撃のままにすっ転んでいる。チャラチャラした服装、チャラチャラしたツラ、世に言う不良という奴だった。

 転んだ拍子に筋でも痛めたのか、馬鹿みたいなツラで喚いている。それを仲間なのだろう連中に囲まれて、笑われている。

 

 まぁぶつかったのはお互い様だろう、うん。人目が集まるのはよろしくないと思いさっさと立ち去ろうとした所で、設定しておいた反射が自動的に発動する。

 

 炎と熱気に包まれる路地裏。Level3位はあるのだろうか、その火炎は暗い路地を真っ赤に焼いていた――俺のいる空間だけを、ぽっかりと除いて。

 

「ほら、やっぱり誰かいるんだって! 見ろよ、あそこだけ焼かれてねえだろうが」

 

 得意満面になってこちらを指差している三下を見て、ため息一つ。

 面倒なことになった。全く以って面倒だ。声掛けもなく発火能力を使うとは、一体どれだけ思考回路がイカレているのか。だから人と関わりたくないのだ。

 

 タンと地面を一踏み、その衝撃で炎をかき消す。

 このまま燃え続けた所で空気の対流を弄っていれば苦しくもないが、面倒だ。炎の中を何もない空間が移動していてはそこにいると宣言しているようなものでもあるし。

 

 だというのにすぐさま、今度は壁面含めて周囲がズタズタに切り裂かれていった。

 

「ほぉ、確かにあの一点から先だけ傷が付いてないな?」

 

 念動力、いや特に物体を視認できなかったことからすると風力使いか。風の刃でコンクリート製の地面も壁も抉りに抉られていた。本当、イッてしまっている。

 

 これだけの能力があるなら表で真っ当に生きていけるだろうに、何だってこんな所で破壊活動に勤しんでいるのか。いや、人格が捻じ曲がっているから表の世界では生きていけないのか? 俺と同じか。

 

 火を放ち、風をぶつけ、物を叩きつけてくる男達をボォッと眺める。目がイッてしまっているのを見るに、この状況に酔ってしまっているのだろう。だとするとこいつらと一緒にされるのは心外だな。俺はここまで酷くない、と思う。

 

 それにしてもいつまでこうしているつもりなのだろうか? 狂騒が始まって既に数分、そろそろ誰かの耳に入っても可笑しくない。それが警備員なのか裏の人間なのかは知らないが、彼らとてこの状況を見られて嬉しい筈はないのだが。

 

 今でこそそのまま反射しないようにしているから彼等は無事だが、いい加減面倒だ。設定を反射に切り替えて終わらせてしまうべきか。

 

「……そこで何をしている」

 

 そんなことを考えて阿呆みたいに突っ立っていた俺の視界の先。

 じゃり、と砂を踏んで現れたのは壁だった。いや、壁のような巨漢だった。ゴリラかと言いたくなるような2メートル越えの体は、あろうことか引き締まっているのが見て取れる。体を巨大にする能力でもあるのだろうか?

 

「何ってやり返してるだけだよ。人にぶつかっておいて謝りもしない誰かさんに教育をつけてやってるだけさ、なぁ?」

 

 その言葉に頷き、しかし馬鹿にしたような笑みを浮かべる男達。まぁ人数が人数だ、強気になるのも分からなくはない。

 小ばかにした笑みを浮かべ、追い払いたかったのだろう、男は巨漢に手を振った。

 

「分かったらさっさと立ち去れよ。俺達の邪魔しようってんなら容赦しないぞ」

「……一つ問うが、ぶつかった者は子供ではないだろうな」

「あぁ? 知らねえよ確かめる前に始めちまったし。まぁ? 既に消し炭になってるかも知れないけどよ」

 

 ぐひゃひゃひゃ、と溢れる哂い声。本当、狂っている。どこもかしこも、表も裏も。何だか本当に疲れてしまった。

 

 或いは俺もソレに染まってしまえたら楽なんだろうか。

 

 だが一人二人と伝染していく狂った空気は。

 

「……沈め」

 

 ゴシャリ、と。おおよそ人体がたてるには似つかわしくない異音で以って断ち切られた。ピンボールのように撥ね飛ばされ地面を跳ねていく男。

 惚けて何が何だか理解出来ていない者達も次々と、後を追い壁にめり込んでいく。

 

 見えないと言うほどではないが、並の人間では反応もできないだろう速度で近づいては殴る、ただそれだけの繰り返し。

 何の感慨もなく作業のように淡々と、男は繰り返していった。

 

 時間にして一分もしなかっただろう。あっという間に路地に静けさが戻る。この場で意識を保っているのは俺の他に、その大男だけだった。

 

 行くのか、と思えば立ち去らない巨漢。別に俺の姿は見えない筈なのだが。いぶかしんでいると、向こうから声を掛けてきた。

 

「……怪我はないか」

 

 姿が見えていないだろうに話しかけてくる男の、その視線はこちらを捉えていた。

 何かの能力か、勘か。どちらかは分からないが、とにかく俺がいることを確信しているようだった。

 

「お前が何者か、どうしてここにいるのかは問わん……だがこの場所は危険だ。元いた場所へと帰るが良い」

「帰る場所なンて、ねェ」

「……本当にいたのか。それで、どういうことだ?」

 

 僅かに目を見開いた後、言葉を返してくる男。そういうツラをしていると少しばかりは可愛げがあるかもしれない、なんて。

 俺は戯れにこれまでの経緯を、多少省いて語ることにした。こちらに近づいてこようとしないその姿勢が気に入ったのか、あるいは久々のまともな人間に接したからか。よく分からないが。

 

「研究所から逃げ出して来た、か……やはりそういう場所はあるのだな」

「だから行く当てなンざありゃしねェ。俺を利用したい奴なら山ほどいるだろォが」

「……ふむ」

 

 目を瞑り、しばし考え込む男。なんだって姿も見せない相手にコイツはまともな応対をしているのだろうか。会話を続けておいて難だが、訳が分からない。

 俺だったら関わらなかったことにして即刻立ち去っている。

 

 或いは子供か、と尋ねたのが関係しているのだろうか。実験台の収集でもしているのか? 確かに今の俺は置き去りにも見えるだろう。

 そんなことを考えながら待っていた俺にこの男が提案したのは、驚愕させるに足るものだった。

 

「……食い扶持は自分で稼いでもらうが、来るか?」

「あァ?」

「俺達もまた行き場のない者が集まったスキルアウトだ。境遇も似ている……仲間になれとは言わんが寝る場所ぐらいにはなるだろう」

 

 一体何を企んでいるのか? しばし呆気にとられて、最初に浮かんだのは疑念。当然のことだった。

 

 しかし幾つか挙げてはみるが、それでも実験動物以下の扱いは思いつかない。それならば暗部に追われているだろう現状よりも危険になることはなさそうだった。

 

 唯一の心配はこの男が異常性癖だった場合だが、まぁ寝床を提供してくれるというのであれば断る理由もない。能力を解くつもりもないし、何とでもなるだろう。

 

 そしてスキルアウトとはいえ一つの集団、下手な騒ぎを起こして表の連中に気取られることは避けたい筈だ。変に表との境をうろついている現状よりは、よほど安全と考えられる。

 

「……手は貸さねェぞ」

 

 結局、俺がそう結論を下すのに時間はかからなかった。纏っていた迷彩の膜を解き、誘いに乗ることを承諾する。

 

 と、男が何やらうろたえていた。先ほどまでとはうって変わり目を見開いている。

 

「本当に子供だったのか……まだ小学生といった所だろう」

「十歳だなァ……まァどォでもいいだろ?」

「それで、性別はどちらなのだ」

「あァ? 見て分かンだろうがよォ!」

「……分からん。まぁどちらでも構わん」

 

 無愛想に歩き出す男。納得できない部分はあるが、その後をついて行く。

 暗い方へ、暗い方へ。表世界の光の届かない、学園都市の裏の部分へと。

 

 その男がスキルアウトを束ねるリーダー、駒場利徳であると知ったのはまた少し経ってからのことだった。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 能力暴走による実験の凍結、それが絶対能力進化の結末だった。

 

 半径1キロにも及ぶ広範囲を巻き込んでの、ベクトル操作と思われる能力の行使。施設にいた研究員、スタッフ、クローン体含めて百名規模の犠牲が出た。その他重要な機材やデータも消失、損失額は実験を凍結せざるを得ない程だった。

 

 挙句の果てに当の本人、一方通行の所在は不明。能力暴走で本人が死亡するとは考えにくいものの、まるで情報が掴めないままに一週間、二週間と時が経過していく。或いは序列の繰上げを行う必要性も論議されるようになっていた。

 

 割を食ったのは実験に参加していた研究者達だ。当時施設にいたのは下っ端の者ばかりだったが、難を逃れた上部の者達も決して助かったわけではない。

 天井亜雄、芳川桔梗、布束砥信……各所から集められた一流といって過言でない彼等は、学園都市上層部肝入りの実験計画をまともに行う間もなく頓挫させてしまったのだ。キャリアに与える悪影響は計り知れなかった。

 

 特に天井亜雄については悲惨の一言である。

 超能力者の軍用クローン化という試みを失敗させ流れてきた絶対能力進化がまたしても失敗、エリートといって良かった展望は突如断ち切られたようなものだった。

 

 ――――だが、学園都市が歩みを止めることはない。

 

 一方通行が睨んだ通り、絶対能力進化の成功率は本来とても低かった。二万通りの実験を繰り返せば、或いは辿り着けるかもしれない……その程度のものである。

 それでも他のLevel5にはまともな可能性すらなかった以上、一方通行にかかる期待は大きかったのも確かだ。

 

 とはいえその計画が頓挫したところで、学園都市が進めるべき計画など山とある。

 新たなるLevel6の模索、戦術兵器の開発試験、能力開発のエトセトラ。置き去りの取り合いをしなければならない彼らにとって、単価十八万円で量産出来るクローンというのは垂涎の的だったのだ。

 

 学園都市が歩みを止めることはない。

 一方通行が絶対能力進化を投げ出したとしても、街の気質は変わらない。

 欠陥電気達が消費されていく運命に、終わりはないのだ。


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