たのしい宮永一家   作:コップの縁

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『墓参』の続きからです


夜半

 メイとどうにか話せないものかと思っていたが、それも叶わぬままにインターハイは終わりを告げた。対局室を出た瞬間から彼女の周囲を記者が囲み、迎えに来た部員たちと共に控室に帰るまでにも誰も彼もが好き勝手な質問を投げかけながらマイクを向ける……そんな状況が表彰式も終わり清澄高校麻雀部一同が長野へ帰っていくまで続いていたのだ。ともかく、個人戦まで仕事を受け持っていた私にはメイと接触する機会は一度としてなかった。

 そしてその機会が今まさにやって来ている。カイさんは未だに寝たままだし、私たちの会話を邪魔するものは何もない。

 

 ――いや、少し聞くだけならいつだって電話できたんだ。それを今までしなかったのは私の気が進まなかったからで、今日だって別にその話をするつもりは微塵もなかった。ただ聞かざるを得ない状況になってしまっただけだ。

 

「ねぇメイ、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「なんですか?」

「メイといえばチャンタじゃない。伸びる時はホンローとか」

「ま、麻雀の話ですか…」

「大丈夫だいじょーぶ、そんな堅苦しい話じゃないから」

 

 チャンタを組もうとすれば必然的に愚形が多くなるので手作りは中々上手くいかないし、聴牌出来たとしても河は中張牌であからさまに染まることになるので出和了りは見込めない。しかし他家がどんなに絞ったとしてもメイは着実に、そして確実に么九牌を集めるのだ。一部の人々が彼女を『牌に愛された子』と評しているのも頷ける話である。

 それを踏まえれば、今年のインハイでは二回戦で純チャンをたった一度和了ったきりだったというのは尚更不可解に思える。

 

「でも夏はそうでもなかったよね。決勝のオーラスなんて最もたる例だけどさ……何かあったの?」

「……実は一時期から么九牌がだんだん来なくなっちゃって、代わりに暗刻がたくさんできるようになったんです」

「まさかオカルトが変わったってこと?」

「わかりません。元の感覚が戻ってくることもあるから――普段通りに打ってチャンタで和了れる日もたまにはあるんです。そういうときはどこに何が埋まっているか見えるし、どの形で待てばいいかもなんとなくわかるんだけど」

「じゃあ暗刻のときは違うんだ」

「そうなんです。何が起こってるのか自分でも全然わからないのに、手だけはどんどん勝手に進んでいっちゃうし………正直、気味が悪いくらいですよ」

「誰かに相談はしたの?」

「先生には話しました。そしたら『あなたくらいの年齢の子にはたまにあることだから、しばらくは様子を見てみましょう』って」

 

 果たしてこれが本当に『たまにあること』なのかという問題はさておくとしても、顧問としてあまり真摯な返答とは言えないのではないだろうか。かといってそんなことをメイに言ったところでどうにもならないし、人まずは適当に聞き流しておくしかない。

 

「なら、サキの試合を見たことはあるのかな」

「片岡プロから貸してもらった昔のタイトル戦のビデオを何度か観てみました」

「ユーキから?キョータローじゃないんだ」

「お父さん、試合の記録は全部捨てちゃったらしいんです。お母さんの分も自分の分も」

「……ふーん」

 

「暗刻が出来やすいのはサキの影響かも。オカルトが遺伝することもあるって話、聞いたことある?」

「あっ、そういえば先生がそんなこと言ってました」

「そっか。なら、あの子の対局を見て勉強するのも悪いことじゃないと思うよ」

 

 本当にそれが遺伝のせいならね。

 

『まもなく目的地周辺です 運転お疲れ様でした』

 

「さてと。少し時間かかるだろうけどここで待ってる?」

 

 再び車内を見渡すと、やはり私の他にはメイとカイさんしか居なかった…………当たり前か。なんでこんなこと考えたんだろう。

 メイが何も言わずに頷くのを見て、私はゆっくりと車を駐めた。

 

 

 

「それにしても不思議だよねー」

「何が?」

「長野には海なんてないのにお寿司屋さんはあるなんてさ」

 

 手に付いた酢と醤油の匂いをウェットティッシュで拭い取りながらそんなことを思う。

 私が入った寿司屋はどうも地元でも有名な老舗だったらしく、五人前の持ち帰りと一緒に渡された領収書を見たときには少し驚いた。最終的にそれはキョータローの手に渡り、「給料日前なのに…」という恨めしそうな台詞を呟くことになったのは言うまでもない。

 

「道路や鉄道が無かったような時代じゃないんだから。寿司屋くらい全国どこにでもあるよ」

「でも確かあそこの店って『慶應ウン年創業』とか書いてなかったか?」

「お姉ちゃん、慶應っていつだったっけ」

「私に聞かないで」

「江戸時代の本当に最後の時期だな。明治になる一個前の元号だ」

 

 昔は駿河湾から富士山の西側を通って甲府に至る街道が非常に栄えており、そこから諏訪を経て伊那の辺りまで生魚が流通していた。そういった経緯もあって内陸の長野でも寿司を食べることが出来たのだ――と、カイさんは物知り顔で語ってみせた。

 

「へぇー、そうだったんだ。おじいちゃんって案外博識なんだね」

「案外って……」

「そういえば、皆は今日は泊まっていくのか?」

「私と淡は流石に泊まりかな。帰ろうにも電車がもう走ってないから」

「お義父さんはどうしますか?」

「うーん、そうだなぁ………」

 

 テレビに映るお笑い芸人に相好を崩しながら答えるカイさんは、しかし不意に視線を外した。そしてキョータローの顔をしばらくまじまじと見つめて何やら思案顔を浮かべてから、

 

「ま、そろそろお暇させてもらうとしようかな」

「わかりました。それなら車を出しますよ」

「悪いね、京ちゃん」

「もう帰っちゃうの?」

「あぁ。正月にはお年玉持ってきてやるから楽しみにしてろよ」

「相変わらず孫には甘いんだね。私たちからは巻き上げてたくせに」

「おいおい、その話は全部返して終わったはずだろ」

「明、お義父さんを送ってくるから三人で適当に風呂なんかは済ませておいてくれ」

「はーい」

 

「京ちゃん、ちょっと………」

「どうしましたか?」

 

 厚手のコートに袖を通すキョータローのところへ、テルが歩み寄って二言三言ほど短く交わす。

 思い返せば自分が子供の時も正月なんかにはそうやって親や親戚が集まってヒソヒソと何かを話していたっけ。きっと出費をどう分担するかといった内容だったんだろうと考えると、今となっては当時の大人たちの苦労も少しは共感できるというものだ。お寿司の代金、私もちょっとくらい渡すか……そう思っているうちに彼はカイさんを連れて玄関の方へ消えていってしまっていた。

 

 さて、メイの部屋で一晩を過ごすこととなった私が二階へと上がると、ドアには『めいのおへや』と書かれた、見覚えのある古びたプレートがぶら下げられていた。

 

「ふふっ。このプレート、まだ付けてたんだ」

「あぁ、これですか。小さい頃からあったから別に何とも思ってなかったけど、ちょっと子供っぽいですかね」

「いーじゃんいーじゃん、めっちゃかわいいよ!」

「そうかな……」

 

 メイの招きに応じて部屋に入った私は両手いっぱいに抱えていた布団を下ろした。無地を基調とした質素な家具が整然と並ぶ中にも可愛らしい小物がいくつか並んでいる。寝起きするだけの場所になりつつある私の殺風景なそれとは違って、いかにも『女の子の部屋』って感じの雰囲気だ。

 

「実はあれってテルが作ったんだよ」

「意外ですね。そういうの苦手そうなのに」

「この家が出来たときに色んな人が新築祝いを持ってきたんだけど、みんな食器とかタオルとかばっかりだったんだよね。それでテルはせっかくだから面白いものをプレゼントするんだーって言って、柄になくホームセンターなんかで材料買ってきてさ」

 

 結局上手く出来なくて他の人に泣きついていたのだが、それは本人の名誉のためにも言わないでおくとしよう。

 

「うーん…家が完成したときってことは十年くらい前ですよね。流石に覚えてないかな」

「メイが大喜びしてるのを見て終始ニヤニヤしてたよ」

「へぇ、お姉ちゃんが顔に出して笑うなんて」

「珍しいよねー」

 

 あの時の写真はどうしたんだっけな。機種変更のときにデータを移そうと探してみたが見つからなかった。テルは消してくれとしきりに訴えてきていたから、ひょっとしたら彼女の言う通りにしたのかもしれない。

 

 一年くらい松本のアパートに住んでいた後、この辺一帯の新築が売りに出されているのを見つけたキョータローが入居したのが確か十一年前の春先だったか。サキが死んだ冬、キョータローは人が変わったようだった。対局は全て休み――そして間もなくプロを辞めて――逃げるように東京から長野へと出ていったのだ。当時の世間は彼を様々に批評し、悲劇の男扱いするものもあれば仕事や育児からの逃避を批判するものもあった。周囲の人々は去っていくキョータローのことを惜しみはすれど、荒んだ彼の姿を見て引き留めようとはしなかった。

 そもそも彼女だって何の理由もなくそんなことをしていたわけではない。当時の私たちはなんとかして明るく振る舞おうと――メイとキョータローを明るくしようと必死だった。だからテルはらしくないこともしていたし、私もメイをあちこち連れて遊びに行ったりしたものだ。

 

 ………やめよう。せっかくのお泊りなんだからもっと楽しい事を考えるべきだ。メイと二人で話してるんだし、こんな陰気な内容じゃなくてもっと女子会っぽい話題とか………あ、そうだ。

 

「メイって恋人とかいるの?」

「きゅ、急になんですか!?」

「女子会といったらコイバナでしょ」

「そんなものかなぁ………っていやいや、別にそんなのいませんよ」

「へー、メイったら可愛いのに意外だな。でも高校生だし、気になる男の子や女の子の一人や二人ぐらいいるんでしょ」

「そういうのもないですって!」

「うそつけー。本当はいるくせに」

「本当だってばー!!」

「『本当』って言った?やっぱりいるんじゃん」

「ちがっ、そういう意味じゃ――」

「ほらほら、恥ずかしがっちゃって――」

 

 そうそう、私がしたかったのはこういう話なのだ。こんなことは白糸台で部活のみんなと行った合宿以来だろうか――もっとも女子校じゃあ浮いた話なんて一つもなかったけど。それでも温室培養な菫先輩の恋愛観は聞いているだけで苦しいくらい笑えたし、思ったより人生経験豊富な亦野先輩の意外な一面を垣間見たりもした。今となっては遠い過去の話だが、私の青春を形作るいい思い出だ。

 

「あーあ、こんなことならテルも来ればよかったのにねー」

「仕方ないですよ。お姉ちゃん、『客間で寝るから大丈夫』って聞かないんだもん」

「静かに寝たいんでしょ。大人だからさ」

「まるで淡さんは大人じゃないみたいな言い方ですね」

「私は永遠の18歳だよっ!」

「…………」

 

 他愛もない会話は日を跨ぐ頃まで続いたが、結局どちらからともなく気がつけば寝てしまっていた。

 


 

 自宅に帰っても一人寂しく寝るくらいしかすることはないのだが、愛が留守にしている以上は俺が帰らなければ家を開けることになってしまう。ま、こんな田舎じゃ泥棒すら来ないけどな。彼と話しながらそんなしょーもない事を考えているうち、気がつけば車は俺の家の前に止まっていた。

 

「ふぅ、着きましたよ」

「………『京太郎君』。ちょっといいか」

「なんですか、界さん」

「少し長くなるんだけどな…」

 

 俺は彼のことをそう呼んだ。特に深い理由があってのことじゃなくて、これはちょっと真面目な話なんだぞってことを伝えたかっただけだ。

 

「君は立派な父親だ。仕事も家のことも両立してるし、明の親だってちゃんとできてると思う」

「あ、ありがとうございます」

「俺は家事なんか咲に殆ど任せきりだったし、何より咲には父親らしいことをしてやれなかった」

「でも、お義母さんと同居してからは色々やってたじゃないですか」

「確かにそりゃそうなんだが…まぁ、そのときにはもう咲も照も社会人として独立してたしな。時既に遅しってやつだ」

 

 そう言いながら口調が自嘲気味になっていることに気がついたが、それも仕方のない話だ。俺は本当にダメな男だった。若い頃の俺が目の前に居たら無理矢理にでも彼の爪を煎じて飲ませてやりたいくらいさ。

 

「明だってそうだ。母親もいなくて大変だろうに、今じゃあんなに立派に育ってくれた……本当にいい子だよ。俺の自慢の孫だ」

 

 そこまで言うと俺は口を噤んで窓の外を見遣った。照れ隠しのようでもあったし、嫌なモノとの対面を前に一瞬躊躇ったようでもあった。自分でもよくわからない。

 

「だから俺がこんなことを言えた義理じゃあないんだが……」

「……?」

「…………娘を守りなさい。父親として、男として。しっかりな」

「あの、お義父さん。それって一体どういう――」

「送ってくれて助かったよ。自分で運転しても良かったんだが、最近は世間でも高齢者運転がどうとか言われてるしなぁ」

 

「それじゃ、また」

 

 ぽかんとした表情の彼と俺の間を、透明な助手席の窓が遮った。


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