インターハイ関連の仕事が粗方片付いた八月の中旬、少し遅めの盆休みを取った初日の深夜のことだ。他に人影のないSAでジュースを飲みながら、私は未だに彼へ連絡を入れていなかったことを思い出した。
『………もしもし』
「もしもし、京ちゃん?」
『あぁ…………なんだ、照さんか………』
「ひょっとして寝てたかな」
『そりゃあんた、今何時だと思ってるんですか……………』
そんな彼の言葉に近くの屋外時計を見る。なるほど確かに、短針は既に『3』のあたりを通り過ぎた後だった。
車に乗って一人でどこかに行くのが好きだ。車は私に何も聞かず、何も言わず、ただ私をどこまででも連れて行ってくれる。朝には確かに帰省するつもりで家を出たのだが――少し前に観た昔の大河ドラマのせいだろうか――走っているうち不意に上田城が見たくなったのだ。そういった衝動のままに無計画な行動を繰り返した結果、こんな景色も見えない真夜中に中央道を一人走っているのである。
『それで、この真夜中に何か用事でも?』
「これからそっちに帰るから連絡しておこうと思って」
『……は?』
「今は諏訪湖のサービスエリアで休憩中。渋滞もないし、あと一時間半くらいで着くんじゃないかな」
『つまり、冗談抜きにマジでこれからウチに来るってことですか』
「うん。行っても大丈夫?」
京ちゃんが名状しがたい唸り声を上げる。電話越しでもいつもの困った顔がありありと浮かんでくるようだ。
『はぁ…………ま、いいですよ』
「いいの?」
『今から来ちゃダメだから引き返せだなんて言えないでしょ。ズルいですよ、照さんは』
「ふふっ、ごめんね」
『照さんが着くまで起きてますから、早めに来てくださいね』
「ありがとう」
ツー、ツー、という電子音が通話の終わりを知らせた。
夏夜の空気が身体に暑苦しく付き纏うけれど、それでも東京に比べればかなりマシに思えた。軽井沢なんかに行けばもっと快適になるんだろうか。
「ふぁぁぁぁ……おはよー………」
「おはよう。お寝坊さんだね」
「………あれ、私ったら寝ぼけてるのかな」
やっとの思いで辿り着いて一眠りしてまた起きて特にすることもなく庭の草木を眺めていた頃、明は眠そうな目を擦りながらようやく一階へと降りてきた。彼女は京ちゃんが私からの電話を受けた頃には既に布団に入っていて、私がここに居ることを全く知らないようだった。まるで変な物でも見るような目でこちらを一瞥した明に対して京ちゃんが事の顛末を説明する。
「お姉ちゃんが真夜中に運転!?だ、大丈夫?事故とか起こさなかった!?」
私の趣味は十分周知されているはずだ。未だに私のことをおっちょこちょいの少女だと思っているのではあるまいし、かといって事故を起こすような運転もしていない。にもかかわらず何故毎回こうして心配されるのだろうかというのは、長いこと心の底でそのままになっているちょっとした疑問なのである。
まもなく京ちゃんお手製の昼食――といってもただ素麺が山盛りになっているだけである――が食卓を埋めた。
「いただきます」
「「いただきます」」
「インハイお疲れ様、明」
「お姉ちゃんこそ解説のお仕事大変だったでしょ」
「私は二回戦までだったしそうでもないよ。むしろ決勝戦まで担当だった淡のほうがよっぽど」
「淡さん、最近来ないね」
「あいつだって色々忙しいんだろ」
彼女が清澄に足を運ばなくなって二年か三年くらいが経つ。常に一緒に行動していた以前と違って淡の仕事を全て把握しているわけではないが、来る暇もないほど多忙を極めているということでもないはずだ。あるいは、何かここへ来にくくなるような事情でも出来たか……果たして彼女がそういった類を気にする性分であっただろうか。
「決勝といえば、大将戦は圧巻だったね」
「あの点差のまくりだもんなぁ。まるで藤田さんみたいだったぜ」
「正直自分でも怖いくらいだよ……普段の私だったらあんな打ち方絶対にしないのに。結局運が良かっただけだし、何だか申し訳ないなって思っちゃって」
「運も実力のうちってよく言うもの。プロだってだいたいそんな感じだから大丈夫だよ」
「ホントかよ…」
「京ちゃん、何か言った?」
「いや、何も」
「……まあいいけど」
「しかしオーラスは本当に凄かった。まるでドラマのワンシーンを観てるような気分になっちまったよ」
「お父さんも来ればよかったのに」
「だから仕事があるから行けなかったんだって。また今度な」
「いっつもそんなことばっかり!結局見に来てくれたことなんて一回もないじゃん」
「そりゃお前、長野や松本ならまだしも東京まで行けって言われてもなぁ………」
インターミドル時代から毎夏のように明は東京へ行っているのに対して京ちゃんは決してそれを見に行こうとはしない――というか、東京という場所そのものを避けているように見える。私がそのことについて問うと、彼は毎回「ほら、親父がそんなに出しゃばったら子供は恥ずかしいでしょ?」などと言ってお茶を濁す。一方の明本人は満更ではないし、むしろ父親に自分の活躍を見て欲しがっているにもかかわらずだ。もっともそれ以上彼の詭弁を追求するつもりはないし、仕方のない話であるとは思う。
………ふと、明が箸を右手に持っていることに気がついた。私の記憶にある限り彼女は生来左利きで、特別右手を使わせるような矯正を咲がしていた覚えはない。今更になって京ちゃんがそんなことをさせるはずもないだろう。
宮永家では人が集まった夜には麻雀を打つのが暗黙の了解である。十年ほど前に淡が持ち込んだ雀卓を三人で囲みながら私はじっと明の手元を観察していた。
「東京でも麻雀、帰ってきても麻雀、そのうえ家でも麻雀かぁ」
「そこまで言うなら今日はやめるか?」
「やる」
「明は相変わらず麻雀ジャンキーだな」
「お父さんだって好きでしょ」
「そりゃそうだけど……おっ、久々に悪くない配牌」
「ちょっと、つまんないんだから三味線なんてやめてよ」
「へーへー」
「…………」
何十年もやってきたように慣れた手順で理牌をしながらも私の頭には昼間の疑問が未だに引っかかっていた。あれからも明は右手で物を掴み右手でペンを走らせ、右手でうちわを扇いでいるのである。彼女が右手で牌をツモ切った瞬間に私はとうとう我慢できなくなって、
「ねえ、明」
「どうしたの?デザートなら冷蔵庫に入ってるけど、選ぶ権利は着順だからね!」
「そういう話じゃなくて。明って左利きじゃなかったっけ」
「うん」
「それなのにご飯の時は右手で箸を持ってたし、今だって右手で打牌したよね」
「えっ?…………ほんとだ。確かに言われてみればそうかも」
「そういえば、最近右手で何かしてることが多い気がするな。両利きのトレーニングでもしてるのか?」
「ううん、そんなことないけど」
「ならどうして?」
「どうしてって言われても………えーっと…………………」
彼女はしばらく考え込むように黙りこくっていたが、適切な答えが見つからなかったらしく結局は首を横に振った。
利き手についての話がそれ以上話題に上ることもなく、明と京ちゃんはすぐに興味を失ったようだった。
―― 一時間半後
「ツモ。6000オールは6300オール」
「げっ、もう跳満かよ……おい明、なんで10万点持ちなんかにしやがった」
「だってお父さんがすぐ飛んじゃうかと思って」
「この調子で夜が開けなきゃいいがな。お前、明日部活じゃなかったか?」
「うん……というか、もうだいぶ眠くなってきちゃった………」
「さぁ、次行くよ」
こういう日に限ってやけにツキが回っているらしい。次の三倍満以上も難なく組めそうだし、それどころかこの調子で幾らでも連荘できるようにすら感じた。しかし高校生の頃には菫に頼まれて部室で夜通し打ったこともあったとはいえ、最近は『夜更しは肌の大敵』という言葉の重みがますます増していくのである。
次で和了り止めしよう………深夜一時前を指す時計と、育っていく手牌を見て私はそう思った。
南三局 四本場
東家:宮永(照) 十二巡目
ドラ:{三}
{九111345678999} ツモ:{1}
嵌{2}待ち聴牌。この二人からは絶対に出ないだろうけど、あと二巡もあればツモれるだろう。そう確信した私が……
「…………カン」
{九}を切った直後だった。
「大明槓?」
如何にも眠たげな明があまりにも弱々しい右手で私の河から牌を取り上げる。そしてそれは流れるように王牌へと伸ばされて――
「ツモ、嶺上開花」
「……………!」
西家:宮永(明) 十二巡目
ドラ:{三北}
{四五②②②④⑤⑥⑥⑥} {九横九九九} 嶺上ツモ:{六}
「えーっと、400-700かな」
「四本場だから800-1100だな。ほら」
「あ、そうだった………ふぁぁぁぁ、やっとおわったよ…………」
「眠いか?」
「うん……私もう寝るから、デザートは適当に選んじゃって」
「おう。歯磨きくらいしろよ」
「そのくらいわかってるよ。おやすみー」
「あぁ、おやすみ」
明がよろよろと居間を出ていった後には私と京ちゃんの二人だけが残った。全自動麻雀卓の喧しいジャラジャラとした音もせず、どこからか鈴虫の鳴く声が網戸の隙間をすり抜ける。
京ちゃんは重そうに腰を上げて大きく伸びをした。
「ふぅ……あいつはシュークリーム好きだし、俺はどら焼きでも食うか。これからお茶淹れますけど照さんは飲みますか?」
「……………要らない。私ももう寝るから」
「……もう寝るんですか?」
「うん」
「そっすか。おやすみなさい」
「おやすみ」
「………つまり、何が言いたいんだ」
二人きりの墓場で私はあの日のことを話した。推測など入れずただただ淡々とあの日あったこと、あの日思ったことだけを語った。
「明が母親の……咲の真似をしてるってことですか」
「ううん、あれは『咲の真似』なんかじゃない。『咲』そのもの」
「すみません、俺にはあなたの言ってる意味が本当に解らないんです。明は明だ。それ以外の何者でもない」
全身を黒く染めた義理の弟の顔には明らかに苛立ちが浮かび上がっていた。理解できない苛立ちだろうか。理解してしまったが故の苛立ちだろうか。彼は白髪の混じり始めた金髪を掻き毟ってから懐を漁ると、
「……火、切らしちまった」
「はい」
「いいんですか?嫌いなのに」
「スッキリするんでしょ。真面目に聞いてもらえないと困る話だから」
「ならお言葉に甘えて………ふぅ」
私は線香用に持ってきていたライターを懐から差し出した。
「タバコを吸えば目が覚める」という言説には甚だ疑問が残る。ニコチンが欠乏したせいで途切れている集中力が喫煙によって本来のレベルまで回復するだけであって、決して元の能力より集中力が向上するわけではない。しかし少なくとも彼がこうして続きを聞くつもりになってくれたのは紛れもなくその口元から燻る紫煙のお陰だろう。そのためならこの臭いを我慢することくらい安いものだ。
「あの日のことは覚えてます。そりゃ確かに嶺上は滅多に和了れないけど、ずっと打ってれば俺だって年に何回かはありますよ。眠かったから何としてでも連荘を止めたくて、聴牌したところに四枚目が出たから運試しくらいの気持ちでカンしてみたら偶然和了れた……それだけの話じゃないんですか」
「違う。それじゃあ急に右利きになったことの説明がつかない。それにあのインターハイ………あのオーラスも『偶然』で片付けるつもり?あなただってあの試合は覚えてるでしょ」
「…………当たり前ですよ。麻雀は運が絡むゲームなんだから」
「あの雰囲気は絶対に明のものじゃなかった。咲だ」
第一明のオカルトは么九牌を集めるもののはずだ。まるで王牌を知り尽くし弄ぶような、あんな真似を出来るはずがない。
「あれは咲。咲だったんだよ」
「そんなもの全く感じ取れませんでしたけどね」
「それは京ちゃんには――」
「――俺にはオカルトの才能がないから、ですか?」
「……………うん」
「あなたの言う通り俺にオカルトは分からない。でもだからって、そんな事あるはずが……………」
彼は数度天を仰いでから区画の端に腰を下ろし、頭を抱えるとそのまま微動だにしなくなった。私はそれを何も聞かず、何も言わずにただ待っていた。
反対の方で墓参りをしていた老婆は訝しむようにこちらを見ていたが、しばらくすると立ち去っていった。
「………照さん」
「何?」
「もう、帰りましょう」
「わかった」
京ちゃんが煙草をまた吸うようになってどれくらい経つのだろうか。明の誕生と同時に禁煙したはずだったが、あの事故の後に初めて赴いた時にはベランダの灰皿は一杯だった。
「………咲、また来るよ」
彼は突然振り向いて墓碑に刻まれた名前を一瞥した。そして再び振り戻って元の道を歩き始め、私はその後を追った。
アスファルトで塗り固められた山沿いの道を下ると住宅街が見えてくるまでにそう時間はかからなかった。その間、彼は一言も喋らなかった。
県内でも五本の指に入るこの街は決して大都市ではないし大きな商業施設があるわけでもない。しかし活気がある。二車線の車道を何台も自動車が走り去る。日の暮れと共に人家には明かりが灯り、居酒屋からは笑い声が漏れ出す。向かいの歩道を学生の一団が駅に向かって歩いていくのを認めたとき、私は久しぶりに生きた人間の営みを目にしたような気がした。
「さみー………おっ、自販機発見。コーヒーでも買おうかな」
「いいね。私もほしい」
「ブラック飲めないんでしたっけ」
「そんなことない。ブラックだろうがベンタブラックだろうがどんとこい」
「はいはい、ちょっと待っててくださいね」
彼を待ちながら近くの街路樹に背中を預けると、行き交う車の一台に乗る人と目があった――気がした。
清澄の風景を思い出す。淡と二人で田舎道を歩く間に私たちはたったの一人にも会うことはなかった。隣を何台かの車が通り抜けていったけど、そこには会話や表情、意志の疎通は存在しない。中に誰かが乗っていて車を運転しているはずなのに、生きる人間の存在を認知することはないのだ。
「お待たせしました。ブラックとカフェオレ、どっちがいいですか?」
「ブラ…………やっぱりカフェオレで」
「くくくっ、はいどうぞ」
「……別にブラックが飲めないわけじゃない。どちらかといえばカフェオレの方が好きなだけだから」
「分かってますよ」
京ちゃんはどうして清澄に家を建てたのか。何故私の両親の助けも借りることもなく彼の両親と共に住むこともなく、明と二人きりで暮らすことを決めたのか。こうしておちゃらけた様子を見せる彼は初めて知り合った時のままだ。
他愛もない会話を交わしながら地下道を通って駅の南側へ渡ると人通りは更に増えた。
そういえばこの駅前には思い出のレストランがあるんだった。私が子供の頃、祝い事なんかの折にはお父さんに連れられてわざわざ家族でここまで来たっけ。
「ちょっと寄り道してもいいかな」
「いいですよ。何か用事でも?」
「昔よく言ってたお店がこの辺にあるはずなんだけど、まだ残ってるのか見ておきたくて」
駅から直線状に伸びる大通りを歩きながら、あそこで最後に食事したのがいつだったか思い出していた。両親が別居する前だから遅くとも小学校の――いや違う。高校三年の冬だったか、数年ぶりの帰省の折に咲と行ったのだった。流石にもう残っていないだろうな……でも、万が一まだあったらどうしよう。明日の昼あたりにでも食べに来ようか。
見覚えのあるレンガ調の建物が見えてきた。記憶が正しければこの地方銀行の裏手にその店はあったはずだ。パンプスを履いているもの忘れてだんだんと歩みが早くなり、次第に小走りになっていく。そう、ここの角を曲がれば――
「………あ」
「ここですか?」
「……………………ううん、違った」
もう二十年以上も前のことだ。無くなっていても全然不思議ではないし、特段私の人生に影響のある話でもない。私たちは踵を返すとそそくさと駅に向かった。
私たちが切符を買ったのと列車がホームに到着したのはちょうど同じタイミングだった。吐き出される乗客の間を縫って車内に入り、誰も居なくなったボックス席の一つに腰を落ち着ける。
高校の制服を着た女子が数人乗り込んできた頃に列車は少しずつ動き始めた。
「そっか、風越ってここが最寄りなんだっけ。ひょっとして麻雀部の子なのかな」
「もしそうなら大騒ぎになりますよ。『トッププロがこんなところにいるぞー!』ってね」
「流石にないよ。私、そんなに知名度ないし」
「照さんは有名人でしょうよ。麻雀に疎い会社の同僚ですら知ってますから、強豪校の部員が知らないわけないでしょ」
「そしたら京ちゃんだって有名人じゃないの」
「いまどき俺を知ってる人なんてどこにもいませんよ」
都会の電車と違って風景がゆっくりと流れていく。曲がりくねった線路だからあまりスピードが出せないのだ。しばらくは住宅街を通っていたが、やがて枯れ木のトンネルが車窓を埋め尽くすようになった。
「麻雀、好き?」
「そりゃもちろん。好きでもなきゃこんな人生辿ってないでしょ」
「なら、咲と麻雀ならどっちが好き?」
「…………おかしいですよ。今日の照さん」
「プロを辞めた時だって実業団を辞めた時だって、いつもあなたはそうだった。大好きな麻雀を続けることなんていくらでも出来たのに、ずっと咲から逃げてきたんだ」
「そんなこと……!」
「『そんなこと』ってどんなこと?これからの人生も咲に囚われ続けるつもりなの」
「……自分で全部決めたんだ。咲に囚われてなんかいない」
確かに、彼はそう言った。
「咲は死んだし、俺は生きてる。それだけのことですよ」
『対向列車待ち合わせのため一時停車いたします』
「……なら京ちゃん、一つ提案がある」
「一体なんですか」
「あのさ――」
「――結婚、しない?」
「…………………………はっ?」
沈黙。
「……すみません、誰の話ですか。一応言っておきますけど、明を嫁にやるつもりはまだまだありませんよ」
「明じゃない。京ちゃんが」
「俺が?」
「私と」
「照さんと?」
「うん」
「はぁ、そうですか」
虚を衝かれた顔。
当たり前だ。私が彼の立場でも同じような反応をするに違いない。
前方からやって来た列車がすぐ右隣を通過していくと、ようやく私たちの乗る車両もゆっくりと加速を始めた。次の駅に到着しようという頃になって、京ちゃんはその口から言葉を吐き出した。
「本気で言ってるんですか、それ」
「冗談だと思う?」
「その通りならどれだけ嬉しいことか。こんなに悩まなくて済みますから」
「残念だったね」
「どうしてこんなことを」
「結婚生活がどういうものか気になったから。興味が沸いた」
「そんなもの、俺たちの間近でずっと見てたはずでしょう」
「だからだよ。咲の持ってるものが羨ましくなったんだ」
昔からそうだった。
私は咲にないものを持っていたし、咲は私にないものを持っていた。
私は咲にあるものを羨ましがったし、咲は私にあるものを羨ましがった。
私たちはそういう姉妹だし、それはずっと変わらない。
「それに、明にとっても悪くない話だと思うけど」
「……そんなの咲に顔向けできませんよ。あいつのお姉さんとなんて」
「ふふっ、自分で言ってたくせに。何を今更」
咲はもういないけど、あなたはここにいる。それだけの話だ。
『次は 清澄 清澄 お出口は左側です』
「……………考えさせてください」
昼間に淡と降り立ったのとは反対側のホームに列車は止まった。運転手に切符を二枚渡してから横のボタンを押して扉を開ける。日が完全に落ちた駅舎をいくつかぶらさげられたランプが照らしているが、なんとも心もとない明るさだ。
「この時間ならまだバスがありますね。きっと病院帰りのご老人で一杯でしょうけど、どうしますか?」
「バスがいい。歩くのは疲れたから」
「それじゃ、待ちましょうか」
彼はそう笑った。