たのしい宮永一家   作:コップの縁

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宮永照の追憶
もう一つの出会い


 『監督室』と刻まれたプレートの取り付けられた扉の向かい側は、廊下を挟んで壁一面がガラス張りになっていた。妹から誕生日祝いに貰った腕時計へ目線を落とすと、二本の針がちょうど綺麗な一直線を形作っている。これがもっと日の長い時期であれば夕焼けに赤く照らされる筑波山が遠方に美しく見えるのだろうが、そんな太陽も恋しい十二月下旬の寒空は明度を失い、とうに夜の帳が下りた風景に代わって映し出される私の顔は心なしかやつれて見えた。

 気心の知れた相手と一緒に一日中麻雀を打ち続けるというだけであれば、座りっぱなしで疲れるというようなことを除けばそこまで苦になるものでもないし、実際そういう生活をかれこれ十年近く続けている。しかし不特定多数の他人――この場合でいえば客を相手にして、そのうえ愛想まで振りまき続けなければならないとなれば話は別だ。これだから、雀荘のゲストなどという仕事にはいつまで経っても慣れない。

 扉を叩くと、はじめに乾いた木の音が、続いて聞き慣れた女性の声が返ってきた。

 

「失礼します」

 

 部屋に入った正面には大きなマホガニーの机が置かれていて、普段監督はそこに座りながら書類やパソコンの画面に忙しく目を通している。ちょうど私のように入室者がやって来るとこちらを一瞥し、それから手前に置かれた応接セットに座るよう促してから勿体ぶるように自分も立ち上がるのであるが、しかしこのとき既に彼女はそちらの椅子へ腰を下ろしていて、直前まで対面に座った金髪の男と何かを話していたようだった。

 仮にその客人が顔も名前も知らない相手であれば話は簡単で、きっと何かしらの契約の話に違いない。ここにはスポンサーの担当者や出演依頼を抱えたテレビ局のスタッフがよく出入りしていて、その仕事が私のところへ飛んでくるというのもしばしばあることだ。一方で彼の人相はそういった属性とは明らかにかけ離れており、年は私と変わらないか少し若いくらいで、リクルートスーツに身を包んだ風貌はさしずめ企業の採用面接にやってきた就活生と言ったところか。そもそもこの男の素性というのも、何故ここに居るのかということさえ除けば大概私の知るところだった。

 

「お疲れ様。わざわざ来てもらっちゃってごめんなさい」

「いえ、どうせこっちに用事があったので」

 

 というのは半分ホントで半分ウソである。用事といっても明日取りに行ったって構わないような些細な忘れ物をしただけで、帰り際、助手席に投げてあった携帯電話がけたたましく着信を知らせるまでは実際そうするつもりでいた。あそこで一言断っていれば今頃には夕食にありつけていたかもしれないな。そんな考えが巡るたびに、そしてガラスに映る自分の疲れ果てた様子を見て一層気を滅入らせていたのだが、ともかくそれらは目の前の青年のために脇へ置かなければならなかった。

 

「紹介するわ。こちら須賀京太郎くん、今度うちのチームに入ることになったから宜しくね」

「は、はじめまして!須賀京太郎っていいます」

「どうも」

「ええっと……なんてお呼びすればいいですか?」

「別に。好きに呼んでもらって構わない」

「そ、そっすか」

「……妹が世話になっている」

「こちらこそ。いつもアイツから話は聞いてて、一度お会いしたいと思ってました」

 

 そんな会話を聞いた監督は僅かに意外そうな表情を浮かべた。彼と咲の関係を知っていたのだろうか、どうやら私たちに面識があると思っていたらしい。

 

「あなた達、来季からコンビ組んでもらうから仲良くしてちょうだいね」

「お、俺がですか!?そんなこと言われても、いきなりそんな……」

「OJTみたいなものよ。須賀くんは新人なんだし、照の相方だからってそんなに気張らなくて結構」

「小鍛治さんはどうするんですか?」

「健夜には適当にあてがっておけば大丈夫でしょう。彼女、誰と組んでも変わらないもの」

「……」

「何か不満があるのなら今のうちにね」

 

 その後二人が事務的なやりとりを交わすしばらくの間、私は棒立ちのまま明後日の方向を眺めていた。西側の壁には大きなショーケースが二つ置かれていて、その片方に一杯まで所狭しと並べられたトロフィーや楯が過去の栄光を物語っている。しかし隣のケースには十年以上前の日付の大きなトロフィーが一つ、それから数年前の小さな楯がいくつか手前の方に置いてあるだけで、それ以外はがらんどうとしてみすぼらしい様子だった。

 彼がやはり緊張した様子で部屋を出て行くと、溜息を吐くのが閉じられた扉越しにかすかに聞こえた。カツカツという革靴の足音が遠のき、完全に消えるのを待って、私は監督の方を窺った。

 

「監督」

「あら、『不満があるなら今のうちに』って言ったはずだけど」

「不満ってわけじゃありません。ただ、男子なら男子選手に付けたほうが良いのでは?」

「彼の打ち方は他の男子と比べてちょっと特殊なのよ。ひょっとしたらオカルトかもしれない……咲ちゃんは何か言ってなかった?」

「いえ…………麻雀については特に」

 

 咲が彼の話題を最初に出したのは私にとって最後のインハイが終わった後、わだかまりが少しずつ解けていき、それと共にぎこちないながら他愛のない会話もできるようになった頃のことだった。確か彼女のチームメイトについて話していた折だったろうか。その時の私といえば咲が男友達を作ったことを少し意外に思ったくらいで印象には残っていなかったし、咲自身も彼のことを特別視していたようには見えなかった。だからそれから何年も経って、彼女が恋人の話を切り出した時には相当に驚かされた覚えがある。

 以来咲は会うたびに惚気話をするようになり、デリカシーがないだとか気が利かないだと不養生だとかと散々な言い様ではあったが、その割には彼女の表情はやけに笑みを含んでいた。それまで大した頓着もしなかった咲が少しずつ高価そうな服を着るようになったのだって、年俸が上がったからというだけの理由ではないのだろう。

 そんな彼女はどうやら私と彼とを引き合わせようとしていたようだ。本人にしてみれば彼氏を姉に紹介するくらいわけなくて、特別深い考えもなかったのかもしれない。他方の私といえば咲の口から語られる須賀京太郎という人間像に興味が全く無かったといえば嘘になるのだろうが、妹の恋人という微妙な関係から想像される気まずさであったり、あるいは男性性自体への忌避感の方が勝っていたがゆえに、誘いがあるたびにのらりくらりとかわしていたのだった。それがまさかこんな形での対面を果たすことになろうとは誰が想像できただろうか。

 

「それで、照魔鏡は使わなかったの?」

「初対面の相手を覗くようなことはしませんよ。第一、監督が直接聞けば済む話なんじゃ」

「当然最初に聞いたんだけど、『こればっかりは監督にも言えません』って。よほど明かすと困るようなタネなのかしら」

 

 自分の能力(オカルト)が仔細までが津々浦々に知れ渡るのを好ましいと思う雀士は多くないだろう。しかし公開対局を何年もこなしていれば他の選手からの研究も相応になされるだろうし、仲間や監督に何も伝えないのはというのは作戦立案上困難な障害となる。手の内がわかっていることと実際に対策できることは別問題であって、だからこそ私だって未だ食い扶持を失わずにやれているのだ。「得体の知れないうちは歯が立たないが、フタを開ければ簡単に」なんてプロは……まあ、まずいない。普通なら。

 

「ともかく、あなたにお願いしたいのはそこをハッキリさせること」

「もしオカルトじゃなかったらどうするつもりですか」

「それならそれで別にいいわよ。実力があるのは確かなんだし、普通に育成選手として頑張ってもらうわ。どちらにしてもあなたに付けたほうが彼も成長するでしょう」

「正直に言って、教えるのはあまり得意じゃありません」

「何も新しいことを教える必要なんてないのよ。あなたは何もせず、ただ須賀くんに打ち方を見せてあげればいい。しかも咲ちゃんと良い仲なんだから、尚更照が適任じゃなくって?」

 

 しばらく押し黙ったが、返す言葉もなく会釈をして廊下に出る。ここで話していたのは三十分くらいだろうか、向かいの一軒家に明かりが灯っていることを除けば、窓枠は部屋に入る前と全く同じ光景を夜から切り取っていた。彼の姿は既に見当たらなかった。ここに上ってきたときと同じように階段を下り、駐車場に停めてあった車の鍵を開ける。運転席の扉を開けようとして、窓ガラスに映る自分の顔が再び目に入った。

 私はこのチームに来て何が変わったのだろうか――ここ数日はそんな事ばかりが頭をよぎる。今年はきっと私の人生における一つのマイルストーンになるだろう。このチームに迎え入れられた春先、新たな人間関係、初めての個人タイトル獲得、エトセトラ……。忙しない一年だったことは確かだ。しかしそれで私はどう変わっただろう? 麻雀プロになってからずっとお世話になった古巣を離れ、両親の別居以来住み続けた家を引き払って新たに居を構え、そこまでしてもやっていることは何一つとして違わない。同じような日々が場所を変えて繰り広げられているだけだ。彼が来たことで、こんな現状に少しは変化が訪れるのだろうか。

 

「…………須賀京太郎、か」

 

 それはまだ、よくわからない。


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