たのしい宮永一家   作:コップの縁

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Diliges proximum tuum sicut teipsum.

「待たせてすまない………おや、須賀はまた休みか」

 

 部屋中を満遍なく温めてくれるエアコンなんてモノが何十年も前に建てられたこの建物にあるはずもなく、いつかの部員が持ち込んだであろう旧式のストーブが雀卓の脇で必死に熱風を吐き出していた。ゆみ先輩の口が溜息を零したのは、きっとストーブから一番遠い席がぽっかりと空いているのを見たからだろう。

 『また』というのは、ここ最近の彼はずっと部活を休んでいるからだ。以前はほぼ毎日来ていたというのに十一月の中頃から頻度が落ちはじめ、最後に顔を見せたのはもう先週くらい前になる。私が「今日は来るの?」とメールを送れば彼は「悪い、忙しいからパスで」と返す。文面を変えながらずっとそんなことの繰り返し。部室の端に置かれた長机には、彼があそこでレポートを書いていたきり置き忘れていったボールペンが未だに転がっていた。

 

「アイツ、まさかこのまま部活辞めちゃったりするのかな」

「課題が多いからしばらく来づらくなると言っていたじゃないか。誰だってそういう時期くらいあるさ」

「さーて、そりゃどうやろなぁ。しばらく顔出さん間に気まずくなって来いへんようになったりなんてこと幾らでもあるやろうし。それに、誰かさんに毎度タコ負けしとるんが案外効いとるかもしれんで?」

「そんな事言われたって………まさか、私のせいなんてことないよね?」

「待て待て、だからまだ辞めるだなんて一言も言ってないだろう。話が飛躍しすぎだ」

 

 キョータローと会う機会は部活だけではない。学部が違うとはいえ同じ教養科目も取ってるし、学食にもよくいる。しかし最近は他の仲間とも懇意にやっているようで、遠目から見かけるだけか、あるいはすれ違った時にちょっと話すくらいだ。お互い部活の友達くらいしか知り合いのいなかった春先あたりと比べれば彼との接点は大きく減っていた。

 来週にはみんなが私の誕生日パーティーを開いてくれるというのだが、ひょっとしたらキョータローは来ないかもしれない。何となくそんな気がする。

 

「少し息が詰まるな。換気しようか」

 

 先輩が窓を――窓縁に刺されたネジを回して抜く、おばあちゃんの家にあるような古びた鍵のついた窓だ――を開けた。テレビも新聞も今年は暖冬とは言うが十二月の冷気はかなり堪える。ここの部屋が西向きとなればなおのこと、ハンガーに掛けてあった上着へ手を伸びさせるには十分だった。

 

「さて。四人揃ったしそろそろ始めよう」

「なぁゆみ〜、気分転換に他のゲームでもせーへん?さっき戸棚見たら『人生ゲーム』あったんやけど」

「うちは麻雀部だぞ。だいたい、まだ一半荘も打ってないのに何の気分転換なんだ」

「お堅いなぁ………そういえば、この前の予算で買うとったアレってどうなってん?アレやったら文句ないやろ」

「須賀に注文を頼んだから、彼の家に届いてるはずなんだが」

 

 アレというのは恐らく透明牌のことだ。あるマンガに登場した麻雀牌で、各種類四枚のうち三枚が裏から透けるようになっている………らしい。私は読んだことないからよく知らないけど。

 洋榎先輩がキョータローに電話をかけるのをボーッと眺めていたら、モモが急にこんなことを訊いてきた。

 

「淡さん」

「どうしたの?」

「淡さんは、京さんがいなくなったら寂しいっすか?」

「………どうだろ。よくわかんないかも」

 

 もしも彼が部活を辞めたらと想像してみる。きっと私の日常が大きく変わることはないだろう。目無しリーチを平気でするようなへなちょこ男子が一人消えて、部活に来る人数がギリギリになる代わりに対局のレベルは多少上がるはずだ。授業やお昼ご飯の話し相手がモモだけというのは彼女に申し訳ないし、期待できないけど多少は他に友達を作る努力をするべきかもしれない。

 なら、この違和感は何だろう。何かがつっかかったような、そしてそれが胸を締め付けているように感じるのは何故だろう。それが『寂しい』からなのかどうかを判断するのは難しい。既に顔馴染みとなった友人がこの部屋を去るのが惜しいからと言われれば納得できるし、先輩たちが引退した後に待ち受ける麻雀部の惨状を憂慮してかと言われればやはりそんな気もする。

 どちらにしても、いずれ私と彼が単なる顔見知りという程度の関係に落ち着くのは確かだ。

 

「……はいはい。ほんならよろしく〜」

「どうだった?」

「もう届いとるっぽいんやけど、今レポートで手一杯やから来れへんのやと。ちゅーわけで……はいこれ」

 

 洋榎先輩がメモ帳から一番上のページを切り取ろうとして「ありゃ」と小さく漏らすと、不細工にちぎられた紙切れをそのまま渡してきた。殴り書きされているのはどこかの住所のようだ。

 

「それ、須賀の住所。取りに行ってき」

「えー!?なんで私がわざわざキョータローんちまで」

「まぁまぁ、先輩命令やと思って。それにずっとこんな部屋の中おっても気が滅入るやろ?」

「……別にいいですけど。モモ、一緒に行こ?」

「なんで私まで行かなきゃならないっすか」

「男の家に一人で行くなんて嫌だもん」

 

 目線を横に逸して隙間風の吹き込む窓の外へ向ける。こんな寒空の下を使い走りにされる方が余程憂鬱だ。同じことを思ったようだが、モモは仕方ないと言わんばかりに溜息をついた。彼女はよくこうやって承諾の合図をするのだ。

 それを傍から見るゆみ先輩は小さく笑っていた。

 


 

 住所を打ち込めば地図に場所を表示してくれるどころか、カーナビのように経路まで教えてくれるのだから便利な時代になったものだ。モモが持つスマートフォンの案内に従って歩いているとそのありがたみはしみじみと感じられる。私も次の機種変更で再び二つ折り携帯を選ぶことはないだろう。もっとも、今使っている携帯は当分壊れそうにない。

 学生の一人暮らしといえば築ウン十年のあばら屋という古典的なイメージがあったが、実際の彼の住まいはそう悪くもなさそうだった。少なくとも外装は綺麗だし、ちゃんと路地から見えないように外廊下の目隠しもしっかりしている。大学からも駅からもそう遠くない二階建てアパートの上階、奥から二番目が彼の居室だ。

 そういえばキョータローが少し前に借りている部屋の家賃が高いとか話してたっけ。こう言っちゃ悪いかもしれないけど、キョータローがこんな良い場所にわざわざ住んでいるのは意外に感じる。インターホンを押してそんな事を考えていると、一分もせずに鋼鉄のドアが開かれた。

 

「お疲れさん。迷わなかったか?」

「大丈夫っす。検索してルートも分かってたっすから」

「へぇ、スマホ持ってんのか。俺も買い換えようかと思ってるんだけど高いしな……」

 

 そう言いながら彼が渡してきた紙袋を受け取ると、麻雀牌一式が入っていると考えれば当然ではあるが存外重かった。中にはダンボールが入っていて、テープはおろか伝票もそのままになっている。どうやら中身を確認する気すらなかったらしい。

 

「そんじゃお疲れさん。また今度会おうぜ」

「え……う、うん。またね、キョータロー」

「………」

「モモ?どうかしたの?」

 

 モモは何も言わず、じーっと私の顔を見つめている。

 

「はぁ………気が利かないっすね。こういう時はお茶の一杯くらい出すもんっすよ?」

「モモ?」

「き、急に厚かましくなったな……でもやっぱ勘弁してくれ。今忙しいって言っただろ」

「私には言われてないっす」

「そういう問題じゃねーよ」

「ぶーぶー」

「………何だコイツ。そんなにお茶飲みたいのか?

 

 キョータローはかなり長い時間逡巡してから、「片付けるから五分待ってくれ」と言って奥へ引っ込んだ。結局、再びドアが開くまでには十分待つ必要があった。

 

 同級生というのは広い世界の中でも学校という限られた空間でのみ形成される繋がりだ。私たちはある人の持つ一面を環境を通じて見ているだけで、当然そのバックグラウンドには『同級生』ではない別の姿が隠れている。友達の自宅へ初めて遊びに行く時には別に気を張ることなんて無くとも妙に緊張するものだが、あれは自分が知っているようで実は知らない部分に足を踏み入れるからではないかというのが私の持論なのである。

 そんな小難しい文句を並べたのはとにかく何か別のことを考えて気を紛らわせたかったからだ。たった今私が感じている緊張もそんな具合で、とにかくソワソワして仕方がなかった。

 だがそれ以上に訳が分からないのがモモの行動だ。こんな半ば無理やり押し入るような真似をして、一体何がしたいんだろうか。

 

「お茶は何が良い?」

「何があるっすか?」

「普通の玉露とかほうじ茶とかコーヒーとか、紅茶なら今はアールグレイとディンブラが残ってる。コーン茶なんてのもあるぜ」

「……私は何でもいいっすね。淡さんの好きなヤツで」

「えーっと、じゃあほうじ茶お願い」

 

 キョータローがお茶にこだわりを持っていることは今までの経験から何となく分かってはいたが、こうも並々ならぬモノであったとは知らなかった。案外たかみーあたりと話が合うかもしれない。そんな軽口が叩ければよかったのだけれど、実際この時の私は落ち着きなく部屋の中をキョロキョロと見渡していた。

 フローリング敷きはカーペットとテーブル、ベッドやパソコンデスクを置いても圧迫感がないくらいの広さが確保されている。奥まったところにある二つの扉は風呂とトイレだろうか。どこも一見片付いているようだが、ベッドの下からは強引に詰め込まれた衣類が覗いているし、本棚には書類が乱暴に差し込まれていた。普段の様子は推して知るべしといったところだ。

 

「あっちの襖の向こうは何があるの?」

「和室。狭いけど、友達が遊びに来たときなんかは重宝するんだ」

「へー」

「さてと………はいよ。粗茶で悪いな」

 

 湯呑みを二つテーブルに置くと、彼は自分の席に戻ってパソコンに何かを打ち込み始めた。

 部屋の中でもパソコンデスク周りの整頓は本人も諦めたようで、特に机上にはレポート用紙や教科書がディスプレイと同じくらいの高さまで積み上がっているという有様だ。指がキーボードから離れ、山から一冊のノートを引き抜くとそれをパラパラと捲り、なるほど合点が言ったとばかりに頷くと再びキーボードへと戻っていった。

 

「何やってるの?」

「提出物」

「そんなの知ってるってば。どんな課題なの?」

「物理学実験のレポート。これが中々曲者でさ。体裁とか揃えなくちゃあならないし、めっちゃ面倒なんだよ」

「そっか」

「あぁ」

 

 それからしばらく何も起きなかった。キーボードが叩かれる音と、モモがお茶をすする音と、それから外を車が通る音だけが聞こえてくる。あれだけ部屋に上がりたがっていたモモは特に何かアクションを起こすわけでもなく、本棚にある本を眺めているようだ。

 モモはここに来たかったわけじゃない。私を連れてこようとしていたんだ。だから洋榎先輩もあんなことを。

 

「………ねぇ、キョータロー」

「なんだ?」

「部活、辞めたりなんてしないよね……?」

「えっ?」

 

 手が止まる。虚を突かれたキョータローの顔がこちらへ振り返った。

 

「……いや、そんなつもりないけど………どうして急に」

「じゃあなんで来なくなっちゃったの?」

「んなこと言われたって仕方ないだろ。そもそも理系は必修も課題も多いし、俺の学科は毎年この時期特にキツくなるもんなんだって」

「嘘つき。嫌になっちゃったんでしょ」

「何が」

「インカレ」

「…………まさか」

 

 キョータローの夏は、夏が始まる前に終わった。七月最初の土日に開催された東京都予選、その最終日に彼が付けていた位置は全国出場ラインの遥か後方。とてもじゃないが運だけの問題とは言えない有様だ。

 私があの部室のドアを叩いた時、彼は既にそこにいた。はじめからそこにいるのが当然だったのだ。

 

「キョータローはなんで麻雀部に入ったの?高校で三年間散々な結果で、自分には向いてないかもって思わなかったの?いままで勝てないのになんで続けられたの?」

「ちょ、淡さん!いくらなんでもそんな……」

「モモは黙ってて」

「………」

「向いてるとか向いてないとか、俺にはどうでもよかったんだ。特にやりたいこともなかった。中学校の頃はハンドボールやっててさ、結構楽しかったんだ。だから麻雀部かハンドボール部があればそこに入ろうと思ってたんだけど、探してもハンドボール部はなくて。だから麻雀部にした」

「それだけ?」

「あぁ、それだけだ」

「…………ふーん。ならこんな未練がましいことしないで辞めちゃえばいいのに」

「別にどうしようが俺の勝手だろ。部費だってちゃんと払ってる」

「私、アンタみたいのが居るのが一番イヤなの。言っとくけど別に弱いのがイヤなんじゃないよ。そんな惰性で麻雀やってるのが大大大大大っ嫌い」

 

 そういえば高校のときにもそんな娘がいたな。お母さんがプロの雀士で、小中と『習い事』みたいに麻雀を打ってた。白糸台に来たのだってなんとなく。彼女は確かに強かったし友達もたくさんいたけど、私は絶対に仲良くなれないと思った。

 口を開くたびに語勢が思わず強くなっていく私と対照的に、キョータローの言葉には抑揚がなかった。怒ることも、悲しむことも、そのどちらも彼はしていない。

 

「そうかもな。お前の言う通り、とっとと辞めた方が――」

「………」

「何だよ」

「ならどうして今になって来なくなったのよ。今までだってずっと負けてきたのに、なんで今更」

「それは……」

「ただ気分が悪かっただけじゃないんでしょ。悔しかったんじゃないの?負けたくないって思ってたのに負けて、負けて負けて負けて、勝てなかったのが嫌だった」

 

 さっきまで緊張してたのが嘘みたいだ。今はもうそんなこと関係なかった。ここはキョータローの部屋、ここは麻雀部室、教室、食堂、どこでもいい。目の前には意気地なしのキョータローがいて、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「『強くなりたい』って思いなよ!なんで逃げようとするの!これから頑張って練習すれば強くなるかもしれないじゃん!清澄がダメでも、私たちの麻雀部は違うかもしれないのに!」

「だってよ、俺は………淡、なら俺はどうすりゃいいんだよ」

「私はまだまだキョータローとあの部屋で麻雀打ちたいよ。強くなりたいキョータローとだったら」

 

 「ごちそうさま」とだけ言って席を立ち、玄関に残していった靴に手を伸ばす。モモは私より一足遅くその後に続いた。

 

「なぁ淡。俺、明日行こうと思う」

「バカ。明日は休みだよ」

「……じゃあ明後日だな」

 


 

「ありがとね、モモ」

「何がっすか?」

「あそこでお茶を出せなんて言い出したの、モモは最初っからああいうつもりだったんでしょ」

「まぁ、そうでもないと本当に何のためにわざわざここまで来たのか分かりませんから。帰ったらちゃんと愛宕先輩に報告しないとダメっすよ」

 

 報告ねぇ。ひょっとして洋榎先輩はこうなることまで見越していたんだろうか。ともかくこうでもなければいずれ彼は本当に来なくなっていたはずで、彼をもう一度部室へ呼び出すことができたのは本当によかった。

 ダンボールはキョータローの家に置いてきた。あんまり大きいと持って帰るのも大変だし、代わりにもう一回り小さな紙袋を用意してもらった。正直信られないのだが、携帯の時計によれば私たちの滞在時間は三十分にも満たないくらいということになる。あんまり遅くなっても先輩たちを待たせるだけだし別にいいんだけど、その僅かな間にも全く昼間然としていた空は少し暗い橙色を帯びつつあった。この時間なら日が沈むまでには大学に――――

 

 

「あれ、淡ちゃん?」

 

 

 ……下階から足音が近づいてきていて、それがこの階の住人のうち誰かが螺旋階段を上がってくる音だろうということには気づいていた。しかし不意の声にその顔を見なければ、まさかそれが彼女のものであろうとは誰が分かっただろうか。

 

「それに東横さんも」

「………サキ?」

 

 そこにいたのは確かに宮永サキだった。インターハイで三年間鎬を削りあったライバル、そして今年度から立川ブルーセーラーズに所属する麻雀プロ。新人王も獲得した今最も注目されている雀士の一人だ。そんな彼女が何故……

 

「なっ……なんでサキがここに?」

「私、ここに住んでるから。一番奥の部屋だよ。二人こそなんでここに?」

「え、えーっと……………その………」

「京さんの家に部活の荷物を取りに行った帰りっすよ」

「部活?京ちゃんが?」

 

 『京ちゃん』。彼女は確かにキョータローのことをそう呼んだ。ひょっとして二人は知り合いってこと?私のバカ、そんなこと少し考えれば分かるだろ。二人とも同じ高校、同じ部活の同期なのだから。それどころか彼らは隣同士の部屋に住んでいる。

 あぁ、なんでだろう。そのことを受け止めるのが怖いのだ。

 

「そうだったんだ。京ちゃんは大学の話なんて全然してくれないから……ふふっ、楽しそうだね」

「二人はどうして隣の部屋に住んでるっすか?」

「えーっと……成り行きかな?私が東京に住むことになったんだけど、一人だとどうすればいいのかわからなくて困ってたの。そしたら京ちゃんもこっちの大学に来ることになったから、ならどうせだし隣にしようって」

 

 しばらくして、モモとサキは最後に二言三言ほど交わして別れた。私はロクに彼女へ挨拶もできず、ただ呆然としてそれを眺めている他になかった。

 

「リンシャンさん、何となく前より明るくなったような気がするっす………強敵登場っすね。淡さん」

「何のこと?」

「ライバルじゃないっすか」

「ライバルって……私とサキは三年前からずっとライバルだし、今更そんなこと」

「京さんのことっすよ」

 

 口角を上げて趣味の悪い笑みを浮かべるモモに私は同意も反論も出来ず、ただ冷や汗を一筋垂らしただけだった。彼女の言わんとすることくらい私にも察しはつく。

 部室でモモに質問を投げかけられた時には知ることのできなかった蟠りの正体を、あれからここに至るまでの間ずっと考えていた。キョータローが麻雀部に入った真意を聞いた私は彼のことを確かに軽蔑したはずだ。白糸台にいた彼女にだって私は「辞めろ」と放ち、そのままケンカ別れして二度と口を利かなかったくらいなのだ。大嫌いという言葉にも間違いはない……はずだった。結局私は彼と麻雀を打ちたいと言ったけど、ひょっとしてアレは麻雀じゃなくたってよかったんじゃないのか。彼と会いたいがために引き止める口実として麻雀を使っただけで、彼との接点が他にあるならばあそこまでのことはしなかった。彼の機嫌を損ねてしまうかもしれないから。そうじゃないのか、大星淡。それがキョータローへの恋心であるということなんていい加減認めてしまえばいい。でも私は……

 ……それに、サキがキョータローの隣に住んでると聞いて何を思った?驚愕じゃない。嫌悪だ。憎悪と言っても近いかもしれない。彼女の持つ特権を妬み、そしてそれが私の役でないことを恨んだ。

 この場所で手に入れようとしていたものはこんなに醜かったのか。私は麻雀に、サキに、キョータローにナイフを向けて、結局は私自身を刺している。

 

「…………さぁ。わかんないや」

 

 今はまだ気付きたくない。だからもうしばらくは知らんぷりを決め込もう。

 


 

 近場に住んでいる他のみんなに比べれば遠方から通学している私はどうしても行き帰りに時間がかかる。流石に午前様は嫌だから早々に切り上げるのであるが、それでも家に着くのは十時を過ぎるくらいになってしまう。既に家族は食事を終え、母親はソファにもたれ掛かって撮りだめしてある韓流ドラマの消化に没頭していた。たまには作りたての夕飯が食べたいものだ。

 

「ねーねー、ママ」

「どうしたの?」

「もしも私が一人暮らししたいって言ったらどうする?」

「ダメ」

「なんで!」

「何のために通学圏内の大学行ってるかわからないじゃない。それに面倒だから近くがいいって言ったのは淡でしょ?」

「うぐっ……確かにそうだけど、事情が変わったの!」

「どういう事情よ。どうせ友達を見て羨ましくなったんじゃないの」

「それは………」

「それともアルバイトする?家賃も食費も全部自分で稼ぐなら自由にしていいわよ」

「ママのケチー!」

「ケチで結構。食べ終わった食器、ちゃんと水に浸けておいてね」

「………はーい」


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