たのしい宮永一家   作:コップの縁

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私とは違う生き物

「………はい」

 

 インターフォンを鳴らすと、弱々しい返事はスピーカーからではなく壁越しに直接聞こえてきた。

 ビニール袋にはスポーツドリンクとジェルシートと果物、それから数食分の食材が一杯に詰まっている。とても両手が使える状態ではないが、だからといってこの部屋の主も身動きが取れるような体調ではないらしい。仕方ないか。一旦荷物を地面に置いてからドアノブをひねろうとして――

 

「いらっしゃい、モモ……うおっ」

 

 身体は今にもこちらへ倒れようとしていた。支えようと腕を持ち上げるが、数キログラムの錘をつけたそれは明らかに間に合いそうにない。結局バランスを崩す寸前でゆみ先輩の脚が彼女自身を支えた。

 

「ヨロヨロじゃないっすか。私が全部やるから先輩は寝てないとダメっすよ」

「しかし………」

「いいから、病人は大人しくしててください」

 

 何かしないと気が済まないらしい先輩を無理やり布団に押し込み、その間に煮物を作りはじめる。鍋に残しておけば後は温めるだけで食べられるはずだ。他にもお米を炊いたり洗濯機を回したりとしているうちに三時間が経ったが、その間のゆみ先輩は眠りに落ちたようでもなく、一言も喋らないままにずっと窓の外を眺めていた。

 

「ご飯出来たっすよ。食欲が出てきたらいつでも。あと、スポーツドリンクも何本か冷蔵庫に」

「何から何まで任せきりで申し訳ないな」

「ゆみ先輩のためっすから」

「……ありがとう」

 

 この部屋は少し冷える。彼女がずっと毛布にくるまっているのは体調だけの問題ではないのだろう。あれだけ長く感じられた夏は、気がつけば既に過去のものになっていた。

 

「インカレの結果をまだ聞いていなかったか。どうだった?」

「愛宕先輩が五位、大星さんは三位入賞っす」

「そうか……ならよかった。今度祝ってやらないと」

「先輩……」

「それに比べて私は二回戦敗退ときた……ははっ、部長の面子も何もない」

「全然そんなことないっすよ。全国数万人いる学生雀士の中でベスト64、絶対誇れないことなんかじゃないっす」

「だとしても私は、やっぱり悔しいんだ」

「……」

「……」

「……今度の土日、久しぶりに長野に帰りませんか?」

 

 紅葉でも見に行こう。戸隠なんかはそろそろ見頃のはずだ。

 

「悪くないな。ついでに蒲原あたりでも誘ってみるか」

「私、バスの方がいいっす」

「わかってるよ」

 


 

「はぁ……」

「どうかしたか?」

「私、何やってるんだろうって思って」

 

 後学期が始まって二日が経ち、部室の鍵は相変わらず開いている。にもかかわらず私とキョータロー以外の誰一人として扉を開ける者はいなかった。17歩にもとうに飽きた。名前も知らない昔の先輩が置いていったマンガを読み耽る私に対してキョータローはレポート用紙から顔も上げずに、

 

「加治木先輩は風邪でモモはその看病、愛宕先輩は法事で大阪に帰省だ。仕方ないだろ」

「そうだけどさー」

「第一誰も来ないことなんて分かってたんだから、授業終わったらとっとと帰っちまえばよかったのに」

「暇なんだもん。あんたこそなんで来たの?」

「それは……まぁ、暇だったから」

「………」

「……不毛だ」

 

 どうせ家に帰っても特別やることがあるわけでもない。厳密に言えば課題とか予習とか部屋の片付けとか、やらなければならないことは山積しているのだが、貴重な午後の余暇をもう少し有意義に使いたいという話だ。

 そもそも私は何故ここにいるのだろう。別に今日の話じゃない。私がこの大学に――この部活に入ったのはどうしてだろう。勉強と麻雀の毎日は、場所こそ変われど本質的にはあの頃とさして代わり映えはしない。

 

「ねぇキョータロー、暇ならどこか遊びに行かない?」

「アテでもあるのか」

「そんなの出かけてから考えればいいじゃん」

「うーん………」

「何よその反応。美少女がデートに誘ってるんだからもっと喜ぶもんでしょ」

「普通『美少女』なんて自分から言うか?残念なやつだな」

 

 実を言えば、自分で言い出したにもかかわらず、この状況に私は緊張していた。私とモモは文系でキョータローは理系。教養科目では同席することも多々あるが、そういう場合はもれなくモモも一緒である。部室に行けばゆみ先輩がいるし、三日に一回は休みだけど洋榎先輩もいる。キョータローと二人きりになる機会なんて春先の一件以来かもしれない。けれど、どうしてそれが私を緊張させているのかは自分でもわからない。

 彼は書類を鞄にしまうと、長い腕を秋物のコートに通した。ナフタレンの臭いがまだ少しだけ残っていた。

 

「そこまで言うならちょっと付き合えよ」

 

 

 

「私、友達とボウリング来るのって初めてかも」

「なんだよ淡、お前そんなに寂しい学校生活ばっかり送ってたのか」

「そういうわけじゃないけど」

 

 小さい頃は子供だけでそういう場所に行くのは両親が良い顔をしなかったし、高校に上がってからは部活の外にそこまで親しい友達があまりできなかった。麻雀部の仲間とはよく遊びに行ったが、やはり身体を動かす方向には活発でなかった。つまり機会がなかっただけだ。つまり私がこの一ゲームでたった三本しかピンを倒せなかったとしても、それは当然の摂理であって仕方のないことである。

 

「逆にキョータローは慣れてるんだね」

「まあな。高校の頃はよくやってた」

「それって部活の友達と?」

「いや、あいつらと部活以外で遊ぶのはむしろ珍しかったな。普段はクラスの野郎連中とつるむことも多くて、そいつらと近所のボウリング場まで行ってたんだ」

「田舎なのにボウリング場なんてあるんだ」

「ウチは田舎は田舎でもまだマシな方なんだよ。スーパーとかホームセンターとか色々あるし」

 

 思い返すと、私は所謂「田舎」に行ったことはないかもしれない。東京に住んでいると大抵の用事は――それこそインターハイだって――都内で済んでしまうし、進学先も選択肢が全て自宅から通える範囲に収まる。遠征で地方に赴くこともなかったわけではないが、それらも必ずそれなりの大都市で開催される。だから、キョータローのような都会に夢を見て上京してくる青年たちの気持ちもいまいち理解できない。

 むしろ未知の存在である田舎に対して私は若干の憧れを抱いていると言ってもいい。同級生たちの故郷話、あるいはテレビ番組の中で語られる田舎はとても魅力的だ。

 

「清澄かぁ。ちょっと行ってみたいな」

「やめとけよ。遊べるところなんか何もないぞ」

「さっきと言ってること違くない?」

「東京と比べたら何もないのと一緒だってことだ。遠い割に大して面白くもない」

「ふーん」

「さてと、もう十分休んだだろ。そろそろ再開しようぜ」

 

 平日だからか周囲に人はまばらだ。キョータローはテーブルの端末を何度か弄ってから大きく伸びをすると、16ポンド球に指をはめた。

 

 

 

「バイト代入ったばかりなのに………これから一ヶ月どうしようかなぁ」

「仕送りしてもらってるんじゃなかったっけ」

「んなもん家賃で全部消える。毎月足が出てるくらいだ」

「そんなに高いの?私、実家暮らしだからイマイチ知らないんだけど」

「まぁ、俺のところはこの辺でも少し高いかな」

 

 あれからカラオケに行ったりゲームセンターに行ったりしているうちに日は傾き、気づけば夕方の五時を過ぎた頃になっていた。人通りの多くなった繁華街の通りを上機嫌な私と涙目の彼が並んで歩く。ちょうど側にある居酒屋の提灯がつき、入り口から漂ってくる匂いが鼻をくすぐった。

 

「そういえば晩ご飯はどうするか決めてなかったね」

「食っていってもいいけど、夕飯にしてはまだ早すぎるな」

「ならそれまで見てみたいお店があるんだけどいい?前から気になってたんだ」

「まだ歩くのかよ……脚が棒になっちまいそうだ」

「一軒だけだからさ」

 

 今度この近辺に新しい服屋ができたというのを洋榎先輩から聞いて、以前から一度行ってみたいと思っていたのだ。場所もそう遠くないし、道端の地図を見ながら辿り着くのに苦労はしなかった。雰囲気もショーウィンドウから覗く限りは私の好みにピッタリ合っている。当たりだ。

 しかしキョータローの顔には明らかに逡巡が見られた。しばらく立ち止まり、それから街路樹の陰まで歩いていくと、俺はここから動かないぞと言わんばかりに腕を組んだ。

 

「どうかしたの?」

「いや、俺なんて女物の服屋にいたら明らかに場違いだろ。外で待ってる」

「別にそんなの誰も気にしないって。せっかく遊びに来たんだから一緒に行こうよ、ほら」

「ちょっと待っ――」

 

「ね、追い出されたりなんてしないでしょ?」

「周囲から冷たい視線を向けられているような気がするんだが」

「たぶんキョータローの自意識過剰だよ」

「……そうですかい。それで、何か目当てのものでもあるのか」

「ううん。なーんにも」

「じゃあなんで来たんだよ」

「こうやって見て回るのが楽しいんじゃん」

 

 目に付いたトップスをハンガーラックから引き抜き、自分の身体に当ててみる。

 

「ほら!これとかよくない?」

「いやぁ、淡にはちょっと過激すぎるだろ」

「そうかなー」

「俺はもっと落ち着いた服の方が良いと思うぞ。これなんかどうだ?」

「………」

「おい、なんだよその反応」

「キョータロー、センスないね」

 

 

 

 男にとって最も興味のないものは、女にとって最も興味のあるものである。そしてその逆も然り。よく聞く話だ。実際彼はずっと心ここに有らずといった様子で、私が何を聞いても空返事しか返してくれなかった。せっかく一緒に遊びに来たのにそういった態度を取られるのは正直面白いものではないが、着いてきてくれただけ良しとするべきか。

 店に入ってから数十分、私はこの店の服全部品定めする気でいた。右を見ても左を見ても私が好きなようなモノしかない。ここは天国だ。もしこの店の商品が別の店の棚にポツンと掛かっているのを見つけたら、それがどれであっても私は買いたいと思うだろう。選び切れないというのも中々悩ましいと思っていたその時、私の脳裏をにわかに駆け巡る何かがあった。『ビビッときた』と言ってもいい。

 目の前に掛けられたワンピース。まるで雪のように白い生地は触ってみると存外厚く、これからの時期にちょうど良さそうだ。まぁ、だからこそここに置かれていたんだろうけど。私の意識はこの一着に釘付けになった。

 

「キョータロー、試着してくるからこれ持ってて!」

「はいはい、テキトーに待ってるから好きにしてくれ」

 

 小さな個室に入るや否や、右手に持ったワンピースを一目散にハンガーから外した。袖を通して姿見に向き直る。大丈夫、変なところは無いはずだ………それでも私は浮足立って、何度も服をずらしたり髪を直したりしてからカーテンを開けた。

 

「おまたせ」

「これは………」

 

 カーテンを開けた先に待っていたのは、なぜか口をあんぐりと開けたキョータローの姿だった。そんな彼にひらりと一周してみせてから聞く。

 

「ねーねーキョータロー、これ似合ってるかな?」

「……あぁ。似合ってる

「今、なんて?」

「……似合ってる。本当にお前に似合ってるよ。何故だかこっちが悔しいくらいにな。ピッタリだ」

「ホント?!」

「さっきからそう言ってるだろ!何度も言わせんなよ」

 

 本当のところ、彼の返事にはほとんど期待していなかった。ここまでの様子を顧みればせいぜい馬子にも衣装とかそういう感想が飛び出てきそうなもので、悪くなさそうな感触なら御の字かな、などと思っていたのだ。

 買おう。きっとこの服は私が着るためにあるに違いない。運命的な出会いの末にキョータローにまで褒められてちょっと舞い上がり、そんな私は腰にぶら下がったタグへ視線を伸ばして………

 

「い、いちまんにせんえん………」

「買えるのか?」

 

 彼の問いに、私は首を力なく振って答えるしかなかった。

 

「おいおい、今いくら持ってんだよ」

「ええと…………7305円……」

「細かっ。しょうがないやつだな、淡は」

「ごめんなさい……」

「ったく、ちょっとここで大人しくしてろ」

 

 そう言って店員さんのところへ赴き少しの間会話を交わすと、キョータローは奥の方へ。店員さんは懐からハサミを取り出しながらこちらへ向かってきて、

 

「失礼します」

 

とだけ言うと、タグを切り取って去っていった。別の店員さんが私の方へやってきて聞いてくる。

 

「このまま着ていかれますか?よろしければお召し物を袋にお入れしますが」

 

 狐につままれたようにぽかんとした私は、しかしレジで財布を取り出すキョータローの姿を見ることで初めてその意味を察した。

 

「……………じゃあ、お願いします」

 

 

 

「……お金、ないんじゃなかったの」

「ああ。この懐事情じゃしばらくはモヤシが俺の主食だな」

「ならどうしてよ」

「こういうときに黙って出してやるのが男の甲斐性ってもんだろ?」

「わけわかんない」

 

 わかわかんない。キョータローにとって私にこんなことをする義理なんてあるはずがないし、こんなことをされたって私にはどうすることもできない。

 

「困ったな……なら、いつも淡には世話になってるからさ。感謝の印ってことで勘弁してくれよ」

「………」

「納得してくれたか?」

「納得してないけど、まあ、いい」

「そうかい」

「………ありがと」

「おうとも」

 

 納得はできないけど、なんとなく理解はできた。きっと男ってそういう生き物なんだな。

 

「……さてと!よーし、それじゃあ張り切ってご飯行こっか!」

「張り切りすぎて汚すなよ。買ったばかりなんだから」

 


 

「ノーテンです」

「ノーテンだ」

「ノーテンっす」

「テンパイ。罰符うまうま〜」

「げっ、俺の欲しい牌が全部止められてる」

「このウチを出し抜こうなんぞ百年早いで」

 

「こんにちはー」

「うぃーっす」

 

 週末が明け、憂鬱な月曜日の昼下がり。意外にも部室には私以外の全員が既に揃っていた。先週から打って変わった今日は強烈な日差しがこの地球を照りつけている。普段なら荷物を置いてから冷蔵庫の麦茶をグイッと飲み干して一息つくところだが、今日の私はそれすら待つことが出来ないほどウズウズして仕方がなかったのだ。

 

「みてみて、この服かわいいでしょ!」

「お前そーゆーフリフリしたの好きやなぁ」

「よく似合ってるじゃないか」

「えへへー、やっぱりそうかな」

「高かっただろう?」

「キョータローに買ってもらったんだー」

「………驚天動地っすね」

「ほー、ガースーがねぇ………」

「………なんすか、愛宕先輩」

「べっつに〜?」

 

 洋榎先輩をじっと睨むが、当の本人はそれも気にしない様子でヘラヘラと笑っていた。結局キョータローも諦めたようだった。

 

「なぁ、お前それ暑くないのか?」

「わかってないなぁ」

「何がだよ」

「オシャレは我慢だよ、キョータロー」

 

 彼は肩を竦めて一言、「さっぱりわからん」とだけ呟くと、また卓上の手牌に目線を落とした。


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