Angel Beats! AFTER BAD END STORY   作:純鶏

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EP08 ― the opposite existence

 時刻は8時過ぎ。外は夕焼けのオレンジ色から真っ暗な暗闇へと変わっていた。電灯の明かりがないと、周りに何があるのかさえ分からないくらいに、太陽はもうこの世界の空からは姿を隠している。

 

 部屋の中で、真摯にオレの顔を見つめる女子生徒。そう、オレの目の前にいる朝霧史織は、オレの返答をさきほどから固唾を飲んで待っている。

 

 

「な、なにを、って……いや、待ってくれ。そもそもオレは教室になんか行ってないぜ?」

 

「ぇっ?」

 

 

 急に朝霧が教室に行ったことを聞かれ、つい嘘をついてしまった。最初そのことを聞かれた時は、朝霧はオレをハメたのではないか。そういった想像をオレはしてしまい、一瞬だけ心の底から怒りのような何かが湧き上がってきたように感じた。

 

 しかし、よくよく考えてみれば彼女がオレを裏切るなんて可能性は低い。それこそありえないと言える。そうなると、朝霧にはオレが学校の中で移動しているとこをどこかで見られたのだろうか。

 多分、その方が辻褄が合う。いや、きっとそうなんだろう。だからこそ今、そんな理由でオレに対して聞いてきたはずなんだ。

 

 多分、オレが正直に朝霧に教室に行ったことを言ってしまえば余計にオレに対しての疑いの目が大きくなる。できるなら、彼女には不審に思われないように何とかごまかさないといけない。そんな考えを頭によぎらせてしまったせいか、彼女に対して余計に疑われないようにと、つい嘘をついてしまっていた。心の焦りが自分の口を早くさせて、つい嘘を並べてしまう。

 

 

「だって、今の状態のオレが教室に行けるわけがないだろ。それに授業中だぜ? 学校の学習棟に入るだけで大変なのに、教室の中になんて入ったら、それこそ発作が起こってしまいかねない。ちょっと知り合いに頼んで一緒に学校の中を散歩していただけだよ」

 

 

 とっさに嘘をついてしまったせいで、もう後には退けなくなってしまい、更に嘘を重ねてしまう。苦しい言い訳に過ぎないが、朝霧の疑念がぬぐえるのなら、嘘を重ねていくしか他にない。

 そうするしかないんだ、仕方なかったんだと、そんな言い訳を自分にしながら。

 

 

「え……でも、柔沢くんが休み時間に音無くんを教室に連れて行ったって。それで教室から逃げたって聞いたんだけど……」

 

「えっ、な……」

 

 

 言葉が出なくなりそうになる。それこそ、朝霧の言葉を聞いてオレは言い淀んでしまった。まさか、朝霧の言葉から“柔沢”という名前を聞くことになるとは思わなかった。柔沢と朝霧に関わりがあるなんて全く想定していなかった。

 

 ……いや、考えたくなかっただけだ。そんなことはあってほしくなかった。オレの悪い予感が当たってほしくなかった。

 なのに、その予感は確実に可能性のあるものへと変化してしまった。

 

 柔沢のことを朝霧は知っていた。そして、教室に行ったことを柔沢から聞いていた。これは明らかに、彼女は今日の昼に起きた出来事のことを知っている。

 つまり彼女は、柔沢がオレを部屋から連れ出して、教室まで連れて来たことに関して関与していることになる。

 

 優しい朝霧ならそんなことはしないと信じていたのに、それは脆くも裏切られてしまった。オレの中で哀しみと悔しさが心の奥底から沸き上がっていくのを感じる。

 

 

「な……なんで、だよ。なんで、そのことを……オレの居場所をそいつに教えたんだ?」

 

「だって、それは……音無くんのことを想って」

 

「オレのことを想って、って……どういうことだよっ!?」

 

 

 動揺を隠せないが、裏切られたという想いからか、とっさに朝霧に対してどういうことなのかを言葉に出して聞いてしまう。

 

 

「……ごめん。本当は担任の円堂先生に聞いてしまったの。聞いてはいけないと分かってたけど、音無くんのことをどうしても知りたかったから」

 

「たん……にん?」

 

 

 担任というと、教室に行った際に教室の中にいたあの教師のことなのだろうか? 名前を聞く限りでは、今日教室でオレが会ったあの女教師のことなのだろう。

 

 

「最初は円堂先生に聞くのを躊躇ったんだけど……でも私、音無くんの力になりたくて。それで、いつも悩みを聞いてくれる円堂先生に、音無くんのことを聞いてみたの。そしたら、一度も顔も姿も見たことのない不登校の生徒だって」

 

「うっ……」

 

 

 本来ならば何回か先生に自分の顔を見せていれば、“あいつは今日も休みか”という感じで、単に休みの多い生徒として認識されて終わるだけだった。

 実際、死んだ世界戦線にいた頃は何回か教師に顔を見せる機会はあったから、今まではそんな感じで済まされてきた。

 

 しかし今回に限ってはそう都合よくはいかなかった。確かにオレは、担任に一度も顔を見せたことはない。自分自身でさえ、今日初めてその円堂という女教師の顔を見たぐらいだ。

 結果として“理由の分からない不登校”というレッテルが張られてしまい、朝霧にはオレ自身に疑惑の芽を芽生えさせることになってしまった。

 

 

「だから、音無くんの病気のことは嘘なんじゃないのかなって思ったの。学校に行かない理由は分からなかったけど、本当は音無くん、学校に行けるんじゃないのかなって」

 

 

 学校側、特に担任である教師が何も知らないのだから、朝霧がもしかしてオレが嘘をついているのではないかという考えに至るのもおかしくはない。そう考えるのが妥当ともいえる。オレが病気で学校に登校できないなどの事情を抱えているのであれば、担任の先生が知らないわけがないからだ。

 

 

「それで、クラスリーダーである柔沢くんに頼んだの。一度、教室に連れて行ってあげて欲しいって」

 

「なんで……なんでそんなことをしたんだ?」

 

「だって音無くん……私と似ているから」

 

「…………はぁ!?」

 

 

 朝霧の言っていることがどういうことなのか、急に分からなくなってきた。朝霧とオレとで似ているところがあったところで、なんでオレを教室に連れて行く道理があるのだろうか?

 そもそも、まずオレに不信感を抱いたのなら、最初から本人であるオレに問いただせばいい。なのに朝霧は、クラスリーダーである柔沢に頼んだ。他にも方法があっただろうに、あえてオレにとって最悪な方法を朝霧はとった。オレにはそれが、とても信じられなかった。

 

 

「似ている? いや、なんで似ているからそうなるんだっ!?」

 

「……えっと、私ね。音無くんと最初会った時、あなたがみんなとは何かが違う感じがしたの。それに、私を対等に差別することなく優しく接してくれることが嬉しかった。あなたの孤独に生きる姿が大人っぽく見えて、少し憧れたりもした」

 

「……それで?」

 

「でも、一緒に暮らしていくうちに、音無くんも私と一緒なんだって思ったの。私のように何かに逃げているだけなんじゃないかなって、そう感じたの」

 

 

 少しイラ立ちを抱えたオレに対して、朝霧は少し切なそうな表情で語っている。彼女の物憂げな表情は、周りの雰囲気をより重く静かにさせていっている。

 

 

「私は音無くんと一緒に過ごす今の生活が楽しいよ。昔の頃とは違って毎日が幸せだと感じたりもする。こんな日々が永遠に変わらなければいいなって思ってる」

 

「それは、オレだって……」

 

「でも、最近は違うかもって。音無くんは私とは違う何かがあるなって感じるようになってきたの。私といてもたまに哀しい表情をするし、私にいつも優しくしてくれる。そんな音無くんといて感じたの。嘘をついてまで私に優しくしてくれる音無くんとこのまま一緒にいることで、音無くんの居場所を奪っていくだけなんじゃないかって。そう思ったの」

 

 

 必死に自分の抱えていた想いを吐露する朝霧は、オレが喋る余裕もなく次々と言葉を並べて話している。彼女は自分の本音を分かってほしくて、自分の抱えていた想いを伝えたくて、思いのたけを込めた様子でオレに話しているようだ。

 

 

「新しい何かを。ここだけじゃない、音無くんの居場所を作ってあげたかった。だから、勇気を出してもらうためにも、何かにきっかけになるためにも、今日柔沢くんに頼んだの」

 

「…………」

 

「音無くんが逃げたくなるのも分かる。目を背けたいことがあるのも分かるけど、逃げてほしくないから。私には音無くんの気持ちが分かるから。だから……」

 

「…………」

 

「だから、音無くんの苦しみ打ち明けて欲しい。私にだけでもいい。私ならあなたの力になれる。悩みも苦しみも和らいであげられる。口に出すことで救われることもある。音無くんの抱えているものを私に受け止めさせてほしいの!」

 

「……それを言って、どうすんだよ」

 

「私はあなたに学校に行ってほしい! ううん、違う。私はあなたと一緒に、学校に行きたい。だって学校生活は、苦しい事だけじゃない。良い事だって楽しいことだっていっぱいあるから。学校生活は本当に良いものだって。みんなと過ごす生活も悪くないって。本当に心の底から、今を生きることは素晴らしいって感じてほしいの!」

 

 

 “生きることは素晴らしいんだ、って私にも信じさせて”

 

 あの時。最後の別れの時、立華かなではそう言っていた。まさか、朝霧によってそんなことを思い出されるとは、思いもしなかった。あの言葉、あの時の想い、あの時の感情。全てが思い出させられるかのように。体全体に、感情の荒波が巡り巡って流れていく。

 

 

「……っ!」

 

 

 朝霧の言っていることはきっと悪意によるものではないのだろう。

 彼女の言葉全ては、嘘偽りのない本当の想いを込めたものなのだろう。

 オレを想っているからこそ、紡ぎ出した感情から生まれたものなのだろう。

 

 分かる。伝わっている。感じている。

 

 朝霧から伝わって来るもの全てをオレは受け止めることができたはずだ。このまま彼女の言葉通り、彼女に全てを委ねるように、重荷を預ければいい。全ての悩みを打ち明ければいい。抱えている苦しみから逃げるように解放してしまえばいい。

 

 分かる。分かっている。理解している。

 

 今のオレがどうしたらいいかなんて、考えなくても分かる。オレにとって一番は、心の安寧を持つこと。孤独を感じない環境で、どうしたらいいかを考えること。そうだ、彼女なら信じてくれる。彼女ならオレの味方でいてくれる。彼女なら、オレの全てを受け止めてくれるはずだ。

 

 

 

「ふっ……ぅざけぇんなぁあああああ!!!!」

 

 

 思いっきり、喉がつぶれてもいいくらい、感情の全てを声にのせてぶちまけた。もの凄い勢いで、自分の感情が露わになっていく感覚が押し寄せてくる。

 

 

「ぁっ……ぅおっ、ぇっ」

 

 

 勢いよく声を出しすぎたせいで、少し嗚咽しそうになる。両手に力が溜まっていくのを感じる。体の中全体の熱が、燃えるように上がっている。わけのわからない、怒りという衝動しか残っていない。頭だけは、微かに意識がある。熱く黒い感情が意識を朦朧とさせる中、口を震わせ、言葉にしてしまう。

 

 

「……っ。おまえに、なにが分かるんだよっ!! オレがどんな想いで、ここに生きているのか! 生きたくもないのに生きる苦しみがおまえに分かるかよっ!!」

 

「……だ、だから、私に言って……ほしいの! 私ならあなたのこと、分かってあげられる! 全てを受け止めてあげるからっ!!」

 

 

 生きる素晴らしさなんて、もう今更どうだっていい。この世界で生きること、死ぬことも許されず、生かされているからこそ苦しんでいるんだ。人間じゃないNPCに、オレの苦しみが分かるはずもない。分かってもらうのも、気持ち悪い!

 

 

「うるせぇよっ!!! おまえみたいな人間じゃないやつに、裏切ったやつに、分かるかよっ!!! ふっざけんじゃねぇよっ!!!!!」

 

「違う! 性別は違う人間だけど、それでも私はあなたと同じ人間!! 絶対に私はあなたを裏切らないから!! あなたの味方よ!!! 」

 

「だぁあああまれぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

 

 

 声を荒げて、一心不乱に、両手に力を込めた。握り締めた拳で、右手を振り上げる。

 

 

 この怒りはなんだろうか。この感情はなんだろうか。沸き上がる殺意はなんだろうか。味わったことのない謎の衝動というものに、全て塗りつぶされてしまう感覚。きっとこれは、殺人衝動なのだろう。

 むしろ、別種の生物を殺そうという人間本来の本能によるもの。決して受け入れられないものを、異なる生物を排除したいという衝動。生物本来の本能が、オレをつき動かしているに違いない。

 

 立華かなでは、オレの想いも辛さも全て知っていながら、この世を去った。オレを苦しめるかのように、裏切った。全ての元凶は立華かなで。あの女が、このオレを死後の世界という地獄に閉じこめやがったのだ。あの女さえいなければ、こんなことにはならなかったのにと、本当にそう思ってしまう。

 

 忘れていた感情が爆発する。閉じ込めていた想いが解放されていく。全てをオレは、吐き出す。さらけ出していく。何もかも、出し切る。

 

 オレは、朝霧に、自分の全てを……人間という部分の全てに込めて伝えた。

 言葉などそこにはない。叫び声だけがこだまする。ただ、“暴力”に似た力で、オレは彼女に全身全霊で一心不乱に無我夢中となって、衝動のあるがまま、人間の本能にも似た行動をしていく。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

 頭を上げ、目を開いた。

 気付いたら、オレは顔や体にいくつかの青いアザがある女子の首を絞めている。その女子は、着ていた服をボロボロの状態で、必死にオレの両手を掴んで抵抗している。彼女は嗚咽物をまき散らしたのか、周りには胃液のような液体が散乱している。目の前の女子が苦しんでもがいている状態なのにも関わらず、オレは決して両手に込められた力を緩めようとはしない。

 

 少しずつ落ち着いていく感覚はあった。怒りのような本能によって埋め尽くされていた自分の意識が、少しずつ取り戻していることは感じていた。

 なのに、何故か込められた両手の力を緩めることが出来ない。

 

 

「………ぃぅっ……ぁ、ぉぇっ」

 

 

 一瞬にして、目の前の女子は脱力した。目を白くし、ただ地面に横たわっている。その姿は、まるで……

 

 

(死……んだ…………!?)

 

 

 

 その瞬間、一気に手に込められた力が消えうせる。脱力したはずのオレは、無意識に、横たわっている朝霧に対して心臓マッサージをする。本能的に両手を胸に当て、一心不乱に力を込めて幾度となく押し込む。

 するとすぐに、朝霧は息を吹き返し、咳き込みながらも呼吸をする。どうやら、息を吹き返したようだ。

 

 

 そんな朝霧の様子を見た瞬間、心臓が締め付けられそうになる。体の中の胃液が逆流してくる。

 

 

「うっ…………うぇえぇぇぇっぇ」

 

 

(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!)

 

 たくさん吐いた。たくさん吐き散らした。

 何で吐いているのか。何で自分が嗚咽しているのか。それがわからないわけじゃない。きっと矛盾した想いや意志がぶつかり合ったからだ。

 

 人を救うために生きて来たオレが、人を殺そうとしたのだ。生きる意味、生きてきた自分の人生を否定する行動をオレはしたのだ。それなのに、未だに殺人衝動が治まらない。彼女を殺したいという本能にも似た衝動に今も駆られている。

 

 

 とりあえず、息をする。呼吸を整え、意識をはっきりとさせる。心臓の鼓動が聞こえるくらいに、自分を落ち着かせる。

 

 

『おいおい、何やってんだよオマエ!』

 

「……えっ!!? ナツキ!?」

 

『なんでその女を生かそうとしてんだ、ちゃんと殺しちまえよ!』

 

「な、なにを、言ってるんだ! そんな、できるわけないだろ!!」

 

『はぁ!? 一回殺そうとしてんのに、オマエこそ何を言ってるんだ?』

 

「それは……」

 

 

 何も言い返せない。殺そうとしたのは本当だ。本当に殺すつもりだった。もしかしたら、殺すべきだったのかもしれない。

 でも、無意識に彼女を生かそうとする何かが、オレの中に存在している。殺したいという感情と殺してはいけないという何かが頭の中でせめぎ合っている。

 

 

『だって辛いんだろ? 憎いんだろ? 殺してやりたいんだろ? だったら、殺せばいいじゃないか!』

 

「うるさいうるさい、黙れっ!!」

 

『何を気にしてるんだ? こいつが人間に見えるからか? 同じような人間みたいな存在だからか? 人間だから、殺せないか? はっ、勘違いするな。こいつらは、人間じゃない、NPCだ! そんなこと、オマエだってわかってるはずだぜ』

 

「……くっ、黙れ黙れ黙れ黙れだまれだまれぇだまぁれぇぇぇっ!」

 

 

 もう、聞きたくない。何も聞きたくない。喋らないでほしい。そうやってオレは耳を塞ぐ。

 しかし、そんなことをしたところで、ナツキの声を遮ることはできない。分かっていても、耳を塞いでしまった。

 

 

『おいおい俺に、黙れ! ってか? そんなら、なんで俺の声がオマエに聞こえてんだ?』

 

「……は?」

 

『俺の声は、オマエが聞こうとしなければ聞こえない。本当に俺を拒絶しているのなら、俺の声はオマエには届かないんだ』

 

(……? どういうことだ?)

 

『でも、聞こえている。俺の声が聞こえるってことは、確実にオマエは俺の声を聞こうとしているんだ。だって本当は分かってるんだろ? 殺すべきじゃないのかって。殺さなきゃ、自分はこの世界で居場所を失って、死んでしまう。NPC達に自分という存在を殺されてしまうことを』

 

 

 そんなことを言われて、深層意識にある自分の殺人衝動のことを言われている気がした。

 

 

「ぐっ……でも、殺せない。殺したくない。殺したくないんだ!」

 

 

 そうだ、殺せるわけがないんだ。相手が同じ人間ではなくても、生きている。命を摘んでしまうなんてこと、オレにはできない。

 

 

『おいおい、普通は殺したくないのなら殺意なんて湧かないだろ? 人間ってのは殺したいからこそ、殺意が湧くもんだぜ』

 

「だって、オレは、誰かのために生きてきた。この世界でも、誰かを救うために生きて来たんだ! それなのに、殺すことなんてできるわけないじゃないか!!」

 

『欺瞞だな。そうやって、自己満足に浸って、都合の良い理屈と建前を並べて、オマエという自分自身に枷をつけている。なぁ、素直になれよ。正直にまっすぐな気持ちで考えれば分かるはずさ。オマエは気付いたはずさ、人のために生きる愚かさを。自分の今の姿の滑稽さを。誰かのために生きるなんてことは、どれだけ馬鹿なことだったんだって』

 

「それでも……ううっ……」

 

 

 また吐き気がしてきた。心臓が締め付けられている感覚がある。自分自身の体に大きな負担のような重圧がかかっているみたいだ。体が無理になってきている。

 

 

『もういいじゃないか。感情的に、自分の本能のまま、自分のために生きろよ。誰かのためなんかじゃなくて、自分自身のためにな。このままじゃ、オマエは自分自身で自分を殺してしまいかねない。自分で自分を苦しめてどうするんだよ』

 

 

 ……そうだ、そうするべきなんだ。きっと、そうすることが、今のオレには必要なのかもしれない。それこそ、そうやってこの世界で生きて行くべきだったんだ。

 

 

『だから、もうお終いにするんだ! もう生きていた頃の自分と決別するんだ! 誰かのために自分を殺すくらいなら、自分のために誰かを殺せ!! それが、生きるってことだっ!!!』

 

 

 分かってる。分かってはいるんだ。

 

 でも……でも……殺意を手に込めることは出来ない。

 

 

「……うっ、ううぅ……で、も……それでも、殺せない。殺したら終わってしまう。殺してしまったら、オレは……人間ではなくなってしまう!」

 

『はぁ!!? 何を言ってるんだ!! こいつらは化け物なんだよ、人間じゃないんだ。殺されるまえにはやく殺せ! 殺せよ、音無結弦っ!!!』

 

 

 “殺せ”という言葉が、オレの深層意識に響かせる。今にも、朝霧を殺してしまおうと立ち上がりたくなる。

 しかし、それを耐えた。耐え凌いだ。オレの中にある、とある想いが、自分が自分である何かが、深層意識にあるオレの本能を殺した。

 

 

「それでもっ……それでも殺せないんだ! だって、彼女は生きているんだ。人間ではなくても、生きてるんだよ。自分と同じ生きものなんだ。殺してしまったら、自分は人間としての何かを失ってしまう。自分が自分としての何かを、壊してしまうんだ!」

 

 

 彼女は人間ではない。だから、オレの心の奥底にある衝動も殺人衝動ではない。自分とは異なる生物を排除しようとする本能。人間ではないのなら、殺してしまえばいい。そんな拒絶反応のような衝動が自分自身を蝕んでいる。

 

 それでも、彼女を殺せない理由。異なる生物であっても、どうしても殺すことが出来ない理由。朝霧の首を絞めた後も、朝霧を生かそうとした行動の意味。

 それは、殺意とは異なる意思。オレという自分自身の中にもう一つの本能があったからだ。

 

 

 オレの人生は“ありがとう”を言ってもらえるために生きてきた。そのために、誰かを助けて来た。

 だけど、今になってようやく気付いた。誰かを救おうと、生かそうとする本能。潜在意識に眠る、誰かを殺したくないという衝動の正体を。

 

 皮肉にも誰かを殺そうとしたことによって、自分の中で眠っていたものを起こしてしまったんだ。

 

 

「そっか……そうだったんだよな。なんでこんなこと、今まで忘れてたんだろ」

 

 

 

 

 遠い昔の記憶。生前の時の記憶。妹の初音と最後に過ごした、あのクリスマスの日。

 初音は……オレに“ありがとう”っていってくれた。生きる意味のないオレに、生きる意味を教えてくれた。生き甲斐をくれた。生きることの素晴らしさに気付かせてくれたのは、他でもない。妹の初音じゃないか。

 

 なのに、オレは殺した。ただ、唯一の家族の妹を、あんなにも愛していた初音を殺した。奇跡なんてものを信じて、殺してしまった。病気が治って、“ありがとう”とただ言われたいがために、オレは初音を真冬の街の中へと連れていき、殺してしまったんだ。

 

 オレは自分の人生に未練なんてないと思っていた。人生の後悔なんてもうないと思っていた。報われた人生であったと錯覚し、そう思い込んでいた。妹を殺したオレは、償いを欲しいがままに、人を救いたかったんだ。人を救えば、許される気がした。誰かを救おうとするだけで、妹を殺してしまったことへの償いによる罪の意識が、和らいでいった。

 

 オレはイレギュラーなんかじゃなかったんだ。報われたつもりでいただけで、本当は後悔してたんだ。オレの本当の後悔は、妹を救えなかったこと。妹を救えなかった上に、自分のせいで殺してしまったこと。オレを想って、死に際に“ありがとう”を告げた妹に、何もしてやれなかったこと。こんなにも後悔と未練を抱いていた自分が、この世界にたどり着かないわけがない。

 

 

「……ふふっ、ははははっ」

 

 

 笑うしかない。生前自分と死後である今の自分を。そうだ、これほど残酷なことはない。知らない方が本当に良かった。まさか死んでしまった今になって、生前の時に自分の心の深層の中に眠らせていたものを起こしてしまうなんてな。

 

 生前の時に妹を殺したオレは、妹を殺したことから逃げ出し、自分の意識を保つために、妹を殺したことから都合よく目を逸らした。初音のおかげで、自分の生きる意味を教えてくれた、生き甲斐をくれた、そんな言い訳をした。誰かを救いたいという大義名分を掲げて、妹を救えなかった事実を忘れた。

 最後に初音はオレに“ありがとう”という言葉を言ってくれた。言ってほしかった言葉を聞いたことで、オレは妹を病院から連れ出したことをまるで妹のためにしたことだと正当化した。仕方がなかったんだ、オレはやりきったんだと自分を許してしまった。そうやって生きて来たオレは、自分の人生の最大の後悔を深層意識の中に閉じ込め、鍵をかけた。

 

 

 ああ、なんということだ。自分の人生がこんな人生だったなんて、死んでも死にきれない。初音のために何もしてやれなかった上に、自分でさえも何もしてやれなかった。夢半ばで死んだ上に、今まで初音を殺したことから目を瞑ってこの世界で生きていたなんて、ほんと自分を殺したくなる。

 

 

「……っちくしょう。オレの人生は、オレの思い描いていた夢は……本物の想いじゃなく、自分を偽り続けて生きて来たものだったのかよ」

 

『まさか、オマエ……思い出しちまったのか? 妹さんと過ごしたクリスマスの日のことを。あの日の約束を』

 

「…………」

 

 

 もういやだ。この世界も、自分の生きて来た人生も、自分でさえも、オレにとっての本物なんてないんだ。ずっと孤独でいい。ずっとオレはこの世界で、初音を殺した罪を背負って生きて行くしかないんだ。たった一人の家族も救えなかったオレが、生まれ変わってもいい権利なんてない。

 

 自分の背中を壁にもたれかけ、膝を抱えるように座る。顔を埋めて目を閉じた。

 

 自分が成仏出来ない理由は、立華かなでによるものではない。本当は、自分自身の中にあったものが原因だったんだ。そうだと分かったら、もうどうしようもない。どんなにこの世界で生きようが、永遠に成仏することが出来ない気がしてくる。

 

 

「……自殺しようかな」

 

 

 オレは思い出す。まだ、死んだ世界戦線メンバーといた頃。この死後の世界で成仏したり、消されてしまうことについて詳しく聞いたことがあった。天使に消される以外で、自分自身が満たされること以外で。

 戦線のリーダーであるゆりは何かを憐れんでいる表情をして答えていたのは今でも覚えている。

 

 

 “この世界ではね、満たされる以外にも自分から消える方法がないわけじゃないの。その方法で消えることを成功した人間は確かに存在したわ。とは言っても、それを実現できた人間は今までに一人しか見たことがないから、本当にそれが可能なのかも、本当にその方法で合っているのかも分からないけどね”

 

 “その人は、この世界で自分の全てに絶望してた。何があったのかは知らないけれど、その人は自分を殺したがっていたわ。だから最後は自分で自分を殺した。悪魔に憑りつかれたように自殺したの。未だにその人の気持ちは理解出来ないけれど、きっと理解しようとしても一生理解することが出来ないんだと思う”

 

 “でもね、問題はその後だったのよ。その人は成仏しなかった。今まで成仏していった人間とは違ったの。苦しみ、もがきながら、消えることなく死んでいったわ。肉体が消えないまま、ずっと横たわったまま、そこに存在してその人は死んだ。きっと、この世界で魂だけが死んでいったのだと、私は思ってる”

 

 “だから、この世界でどんなに絶望しても、自殺だけはやめなさい。別に宗教なんてものを信じてるわけじゃないけど、ある宗教では、自殺したものは生まれ変わることなく、消えてなくなることもなく、永遠に魂のまま地獄で苦行を科せられると言われているわ。それはきっと、永遠にこの世界で生きることよりも辛いことよ”

 

 

 そうだ。唯一、この世界で死ぬ方法はあったんだ。全てに絶望し、自分を殺したいという欲望。自分を本気で殺したいという意思を抱いた人間にだけ許された、禁じられた消滅手段。何度か試して、失敗したことによって諦めていた手段の一つだ。

 

 普段なら自傷行為をしたところで治ってしまう。生きることに絶望し、成仏したいと思って自殺をしたとしても、死ねるわけでもない。どれだけ成仏したいと思っていても、未練や後悔を抱いている限りは満たされて成仏することは絶対にできない。自分を殺したいという願望を抱けば消滅することが出来ると知っていても、自分に本気で殺意を持って殺すというのは普通の人間には無理なのだ。

 

 人間というものはいつだって自分は仕方がなかったんだと、つい逃げ出したくなる。自分はやりきったのだからと、自分を許したくなる。自分を殺したいという想いはいつも迷いを生んでしまい、決意を鈍らせる。そんな生き物だから、自分に殺意を抱いて殺すのは至難の業なのだ。

 そもそも、本当にこの自殺という手段で成仏できるなんて保証はない。実際に自分が目にしたわけでもないし、ゆり自身もその方法で消滅出来るのかは定かではないと言っていた。正直言って、奇跡にも等しい。

 

 

『な、なにを言ってるんだ! ま、まさかおまえ、あれを信じるのか!? やめるんだ! それだけは、よす』

 

 

 うるさいという思考が頭に浮かんだ瞬間、ナツキの声が急にブツ切りになって聞こえなくなった。どうやら、聞こうと思わなければ本当に聞こえなくなるみたいだ。

 オレは立ち上がり、汚れた嘔吐物と胃液をよけながら歩いて行く。もう何も考えず、進む。決めたのだ。決めたのだから、目的を果たそう。決定したのだから、立ち止まる必要はないんだ。

 

 

「ごほっ……ごほごほっ……」

 

 

 朝霧は苦しそうに地面に横たわって咳をしながら、必死に呼吸をして息を整えようとしているようだ。だけど今のオレには関係ない。朝霧を無視して、自分用のクローゼットの中から学校指定のカバンを取り出す。その中から、鋭利な刃物を取り出すと電灯の光によってか銀色に輝いて見えた。

 

 この世界で生きていく中で、どうしても武器を手放すことは出来なかった。戦線メンバー達が残した武器は、未だにこの世界に存在している。ある程度、自分の身を守れるだけの武器は、カバンの中に入れておいといたのだ。

 いくつかは元の自分の部屋に置いて来てしまったが、忘れずにカバンの中に入れておいた武器がある。その1つとして、ゆりの遺品でもあるコンバットナイフだ。

 

 ゆりが愛用していたそのコンバットナイフを、自分の左胸に突き立て目を閉じる。

 

 

(ああ、これで、自分を殺せる。平然とこの世界で生き残るくらいなら、魂ごと地獄に落ちて永遠の苦行を味わえるのなら、それで本望だ!)

 

 

「だめぇぇっ!!!」

 

 

 朝霧の大きい声が部屋の中で響き渡る。いつの間にか彼女は、オレからナイフを取り上げたのか、手に持ったナイフを床に放り投げる。投げられたナイフの行方を呆然と眺めていると、何かで左頬を叩かれる。ムチで叩かれたようにジンジン伝わって来る痛みは、殴られるよりも、ナイフで切られるよりも、痛みが残って消えない。

 

 朝霧の涙ぐむ表情と顔のそばにある右手を見て、オレは彼女に右手でぶたれたことに気づいた。だからと言って、彼女に対して感情は何も湧いてこなかった。動揺しているからだろうか。放心しているからだろうか。何も力が湧いて来ない。無気力のまま、痛みだけが自分の中に残っていた。

 

 

「どうしてっ……どうしてよ! どうしてあなたも、私の目の前で死のうとするのよっ!! 」

 

 

 凄い緊迫した表情で、朝霧はオレにそう怒鳴る。

 

 

「……いやだ、死なないでよ。私の前で、いなくならないでよ。もう嫌だよぅ……ううぅっ」

 

 

 急にたくさんの涙を流しながら、朝霧はオレにしがみついて涙声で語る。

 

 

「自分で死んだら、全てなかったことになる。何もかもが無意味になる。自分で自分を殺したら、全てを失うのよ」

 

「自分を……殺さなきゃ……オレは……もう、何も……」

 

「いやっ!! また、私の生き甲斐を奪うの? 私の大切なものを、あなたは奪っていくの? そんなこと……絶対にさせない! させないんだからっ!!」

 

 

 そう言って朝霧は、オレの頭を抱いた。強く、守るように、決意した信念を通すように。

 

 

「もう、奪わないでよ。どんなにあなたが自分を殺したくても、私はあなたを殺させない。何があっても守る。誰にも殺させやしないんだからっ!!」

 

「同じ人間じゃないおまえに……オレの何が分かるんだよ」

 

「そんなの関係ないよっ! たしかに私は音無くんとは違う人間かもしれない。違う性を持った生き物なのかもしれない。それでも、分かり合えることもある。一緒に生きることが無理なわけじゃない。生きている限り、永遠に分からないままなんてことはないの!」

 

 

 朝霧はオレの瞳を覗くかのように顔近づけて、オレにそう告げる。真剣味を帯びた表情と意気込みのある言葉に、何も言えなくなって来る。

 

 

「だって私は、あなたの言葉が分かる。あなただって、私の言葉が伝わって分かっているはず。違う人間でも、たくさんのことを伝えることが出来る。これ以上、何があるっていうの?」

 

 

 朝霧はオレの体を抱いた。全ての感情をオレに伝えるように。オレに全身で分かってもらえるように。

 

 

「だから、私はあなたに伝える。絶対に殺させやしない。絶対に、そばから離れさせやしない。誰にだって、あなたにだって、私の大切なものは奪わせない!! 絶対に守ってみせるから。ずっと、音無くんと一緒にいるんだから!」

 

 

 朝霧に抱擁されたオレは、目を閉じて朝霧を抱きしめる。朝霧はそんなオレに対して、優しく背中をさすってくれた。

 目から熱い何かがたくさん流れたのは、背中をさすってもらってすぐだった。涙が流れる度に、自分に対する殺意も流れて行く。背中をさすってもらう度に、心が和らいでいく。もうオレは、誰一人も殺すことができなくなってしまっていた。

 

 嗚咽するほどの鳴き声が、部屋の中で鳴り響く。

 残酷な世界で、明日もまたオレは生きていくことになるのだろう。

 

 

 ……ああ、このまま成仏出来たら良かったのに。

 報われない想いと感情だけが、オレを埋め尽くしていく。

 

 これほど残酷な運命を、オレは受け入れる日が来るのだろうか。




8話:the opposite existence  ー  “反対の存在”


とうとう今回のお話で、第1部の本筋に入れた気がします。
このvol.2で一番書きたかったところでもあり、第1部の折り返し地点でもあるこの話までやっと来れました。ほんと良かった...

怒涛の展開で、非常に濃い内容の今回のお話。
私自身、ここまで内容が濃くなる予定はありませんでした。
正直、ケンカして仲直り程度で考えていましたので。

今回の話は朝霧の過去、音無の妹の初音、自殺、などテーマが色々ありますが、
当初から意識していたのは、NPCと人間という存在でした。
特に、2人の会話では《異なる性別と異なる生物》という意味合いを持たせましたね。

あと、ナツキのセリフは自分的にも音無さんに言ってやりたかったセリフです。
もう一人の音無であるからこそ言える言葉だと思ってます。

次回からは、音無がこの死後の世界でどう生きて行くのか。
そして、2人関係がどういった末路へと向かうのか、お楽しみに。

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