これが土屋家の日常   作:らじさ

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最終話

その晩、裕ちゃんはことの外上機嫌だった。

「そうなの舞台の上でファーストキスを」

「ハイ、お母サン」アンナちゃんが頬を染めて答える。 「もうこれでアンナちゃんも愛ちゃんや由美ちゃんのようにうちのお嫁さんになったも同然ね」

「「「嫁じゃない!」」」

「なになの?あんたたち今時キスもまだなの、陽太、康太」

「まだだ」と陽太君が言う。

「・・・・・まだ」と康太も言う。まあ、知らないからいいんだけどさ。

 

「情けないわねぇ。本当なのかしら。ねぇ由美ちゃん、陽太とキスはまだなの?」

「えっ?ハッハイ。まだです」突然振られて由美ちゃんが声を裏返らせて答える。

「愛ちゃんは?」

「ハイ、エーッと・・・まだのような気がします」

「・・・・・何で毎回、お前はキスの話になると顔が赤くなるのだ?」

「うるさいよ、康太」

「一番新入りのアンナちゃんが一番キスが早いってどういうことかしらねぇ」裕ちゃんがため息をついた。

 

「キスキス言うな。あれは単なる演出だ」颯太君が言うと裕ちゃんの目が険しくなった。

「あんたまさか単なる演出って理由だけで、清純な乙女のファーストキス奪ったって言うんじゃないわよね」

「そもそもファーストキスじゃねぇだろうが」

「どっちにしろファーストキスの相手はあんたじゃない」

「ぐぅ・・・・・」

「男なら自分がしたことの責任くらいとりなさい」

「責任も何もロシア娘は明日帰るんだぞ。どうしろっていうんだ」

「あんたがロシアに行けばいいんじゃない?」裕ちゃんは商店街にお使いを頼むような気軽さで断言した。

 

「ムチャ言うな。バンドはどうするんだ」

「4馬鹿も連れてって向こうでバンドすればいいじゃない」

「アホ、あいつらが行くわけないだろう」

「あら、行くわよ。お母様会で決めればいいことですもの」

「てめぇ、ババア汚ねえぞ」

「Shu、Shu」アンナちゃんが、颯太君の袖を引っ張った。

「ん?何だ、ロシア娘」

「私の家は広いカラ。5人分くらい部屋は有りマス」

「そういうことを問題にしてんじゃねぇんだよ。あとShuじゃなくてちゃんと颯太と名前で呼べ」

「どうしてデスか?」

「お前にはShuと呼ばれたくないんだよ」

「ワカりまシタ。その代り、私のこともアンナと名前で呼んでくだサイ」

「アア、わかった。疲れたから俺はもう寝る」

「おやすみなサイ。ソータ」アンナちゃんがテレながら言った。

「ああ、お前も疲れてんだから早く寝ろよ、アンナ」と言って颯太君は部屋に戻った。

 

「要するに、アンナちゃんに名前で呼んで欲しいってことだよね。今のは」とボクが言った。

「回りくどい子よねぇ」裕ちゃんは苦笑いしていた。

「兄貴らしいよ」と陽太君が言った

「・・・・・だらしない」と康太も言う。

いや、あなた達二人も同じレベルなんだけどと思ったが、黙っておくことにした。

 

 

翌日の夕方、ボクたちは成田空港にいた。

アンナちゃんと颯太君は、アンナちゃんがどうしても買い物をしたいというので朝から出かけて、

直接ここで待ち合わせることになっている。

「あ、来た来た。オーイこっちだよ」と大荷物を両手にぶら下げて疲れ果ててる颯太君となぜか顔がツヤツヤしているアンナに声をかけた。

「つっ疲れた」荷物を放り出すように床に置いて颯太が言った。

「楽しかったデス」アンナが目を輝かせて言った。

 

「へえー、そんなに楽しかったんだ。どこに行ったの?」とボクが聞いた。

「中野と池袋と秋葉原だ」

「・・・・・だいたい想像がついた」

「まず中野でアンナがいきなりアニメの主人公の人形が飾ってあるショーケースにへばりついて、トランペットを欲しがる黒人少年状態になった。ひっぺがすのに30分もかかったぞ」

「・・・・・まあ、ありがちだ」

「次に池袋乙女ロードとかいうところに行った。店に入ったら何か漫画売ってる店のようだったんが、女しかいなかったんで俺は外で待ってた。ありゃあ、少女漫画の店なのか?」

「・・・・・いや、そうとも言えるし違うとも言える」

「だいたい言ってることが意味不明でな。攻めだ受けだBLだとわからん」

「アンナちゃん、趣味が広いんですね、ふふふ」と由美ちゃんが言った。

「由美ちゃん、今の意味がわかるの?」と陽太君が尋ねた。

「ふふふ、嗜み程度には」由美ちゃんが謎めいた微笑みで返した。

 

「トドメが秋葉原だ。アンナが「薄い本」を買いたいというので、書腺タワーに行って「薄い本っていう本売ってますか?」と店員に聞いたら、笑いこらえながら「当店では取り扱っておりません」と言われた」

「・・・・・まあ、そういうしかないだろうな」

「しかたがないからあっちこっちで「薄い本」売ってるとこしりませんかと尋ねて、やっと売ってる店教えてもらったよ」

「・・・・・聞かれた方も災難だ」

 

「で、フロアに行くと男しかいないんだわ。そいつらがアンナを見ると気まずそうに出て行ってフロアには俺とアンナだけになってしまった」

「よくわかんないけど、スゴい営業妨害だね」

「まあ、それやこれやで買いまくった結果がこれだ」と2つの紙袋を顎でしめした。

「アンナちゃん、この荷物大丈夫なの?」

「ハイ、最初からそのつもりで荷物は少なめにしてきましたから」

「しかしあいつらの言ってるのは分からんな。アンナ見て「萌え~」と言ったり、俺見て「リア充爆発しろ」とか言ったり、

「萌え」ってのは女のことで、「リア充」ってのは男のことか?」

「・・・・・まあ、そんなところだ」

 

「それよりアンナちゃん、そろそろ登場手続きしないと」と陽太君が言った。

「ハイ、それではみなさんお世話になりまシタ。ロシアにも遊びにきてくだサイ」とアンナちゃんが言った。

「まあ、元気でな」颯太君がそっけなく言う・

「ソータも元気で」

「(何か意外とアッサリしてるね。泣いて抱きついてキスくらいするかと思ってたのに)」

「(・・・・・現実はこんなもんだろう。お前は恋愛映画の見すぎだ)」

 

そしてアンナちゃんは、スーツーケースを引きずりながら、ゲートの向こうへ消えていった。

「なんか数日間とは言え、いなくなると寂しくなりますね」由美ちゃんが言った。

「まあ、「別れと言えば昔より、この人の世の常なるを」と言ってだな」

「誰の言葉だそれ?」

「島崎藤村だ」

「兄貴よくそんなの知ってたな」

「小林明が歌っている。俺のレパートリーだ」

 

「ねえ、康太」

「・・・・・何だ?」

「薄い本って何?」

「・・・・・忘れろ」

 

 

・・・・・一か月後

 

「颯太、陽太、康太」母が呼ぶ声がした。

 

三人が降りてくると、玄関に段ボール箱が山と積まれていた。

「何だこれは?」

「母さんの荷物。邪魔だから客間に入れておいてちょうだい」

 

三人はぶつくさ言いながら、荷物を客間に運び入れた。

 

 

・・・・・その1週間後

 

食事会をするからと、由美子と愛子にも召集がかかった。久しぶりに「全員」そろった食卓はとても賑やかだった。

颯太が立ちあがり右手に持った手紙を振りかざしながら言った。

 

「昨日、アンナから手紙が届いた」わぁーという歓声が起こった。

「颯太君、差し支えなかったら、読んでくれませんか?」

「いいとも愛ちゃん。ぜひ「全員」に聞いて欲しい」

 

「親愛なるソータ、お元気デスか?私は無事にモスクワに着きまシタ。

デモ、日本にとても大きな忘れ物。心を置き忘れてきたような気がしマス。

モスクワはそろそろ寒くなってきまシタ。渡り鳥が飛んで行きマス。

彼らは日本で冬を過ごすといいマス。私も渡り鳥になれたらいいノニ。

そうすればすぐにソータの元に飛んで行くノニ。

いつかまたあえマスね。その日を楽しみに待ってマス。

                  アンナ・カリーニン」

 

おおーとどよめきが起こり、拍手まで起こった。

「アンナちゃん、ロマンチストね」と由美ちゃんが言った。

「乙女心だよね」とボクが言った。

 

「まあ、正直言って俺も感動しなかった訳じゃない。時間と金があればロシアに行ってみようかと思ったほどだ」

「行けばいいじゃないの」と裕ちゃんが言った。

「だが一つだけ大きな疑問がある」

「なんですか?」とボクが尋ねた。

 

「さっきも言ったようにこの手紙が届いたのは「昨日」だ」

「ふむふむ」

「しかるにだ・・・・・・」颯太君は横を向いて言った。

 

「なぜ、こいつが俺の横で唐揚げをパクついているんだ?」

 

颯太君の左の席では、銀髪の美少女が美味しそうに唐揚げをほおばっていた。

 

「晩ご飯の時間だからじゃないですかね?」ボクが言った。

「いや、愛ちゃん。問題は唐揚げのことじゃないんだ」

 

「私、交換留学生に選ばれまシタ。来週から愛子たちの同級生デス」

「じゃ、この手紙は何だ」

「それ出したの一か月前デス。ロシア郵便事情悪いデス」

「それなら留学のことも知らせんか」

「2週間前にちゃんと手紙だしまシタ」

「届くの来月じゃねえか。郵便の意味わかってんのかロシア人」

 

「まあまあ、ということでアンナちゃんは家でホームステイすることになったから」と裕ちゃんが言った。

「ちょっと待て、そんな話聞いてねぇぞ」

「そうでしょうねぇ、言ってないもの」

「何で言わなかったんだ?」

「言ったら、あんた逃亡するでしょ。だから内緒にしておいたの。ビックリした?」

「呆れるほどビックリしたわ・・・ところでなんでお袋とアンナはツーカーなんだ?」

「だって私たちメル友ですもの」

 

「さあ、アンナちゃん。乙女のファーストキッスの重みを颯太に叩き込んであげてね。時間は1年もあるんだから」

そういうと裕ちゃんは、心の底から楽しそうに笑った。

 

「ハイ、私の作ったボルシチをいっぱい食べてもらいマス」アンナちゃんがにこやかに言った。

 

食卓が静まりかえった・・・・・・


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