放課後、僕たちはプールにいた。
「で?」
「で、とは?」
「何で僕たちまでここにいるのさ」
「しょうがないだろ。翔子がみんなで行くべきって言ってるんだから」
しょうがないのは坂本家の事情だ。夫婦の問題は夫婦で解決して欲しい。
「・・・・・本当にいい迷惑だ。俺は愛子の写真など興味がないのに」
ムッツリーニがブツブツ文句を言いながらもイヤにテキパキと撮影の準備をしている。僕らの前でも工藤さんのことを「愛子」と呼ぶようになっていることには、どうやら気が付いていないようだ。工藤さんの調教の賜物と言えるだろう。
「ねえ、土屋。愛子が来るまで暇だからウチたちも撮ってよ」
美波の一声で僕たちの撮影会になってしまった。両腕を姫路さんと美波を取られた僕。なぜか女豹のポーズの秀吉。逃げだそうとして霧島さんにアイアンクローを喰らっている雄二。その他いろんな写真を撮ってキャアキャアと遊んでいるところに声がした。
「おまたせ。どっどうかな」
紺色に脇に白のラインが入った競泳水着を着た工藤さんが頬を少し赤く染めて立っていた。全体的にスリムだけど手足が長くて、顔が小さくモデルのようだ。胸が美波と同じ程度というのがやや惜しまれるけど。
「うわぁ、愛子ちゃんステキです」
「そっ、そっかな」
工藤さんの競泳水着姿を見るのは初めてだけど、何というか健康美というか健康的な色気というかそんなものが感じられてまったくいやらしさを感じない。これならムッツリーニも大丈夫・・・・・と思って奴の方を見たら一生懸命鼻にティッシュを詰めていた。さすがはムッツリーニだ。女の子を見る目は常に公平らしい。
「じゃボクちょっと一泳ぎするね」
「え、愛子。撮影があるのに泳ぐの?」
「わかってないなあ美波。濡れている方が色気が出るんだよ」
工藤さんもさすがと言わざるを得ない。いつものスカートチラと中身が全く変わっていない。せっかく健康美を誉めた僕の感動を返して欲しい。というか、この二人はあらゆる意味でお似合いだと思うんだけどなあ。工藤さんはプールに飛び込むとクロールでグングンと泳ぎ出した。速い。素人目にもかなり早く見える。
「ねえ、霧島さん?」
「・・・・・なに?吉井」
「工藤さんの泳ぎって随分早くない?」
「・・・・・そうね。愛子はまともに行けばインターハイにも出れたはず」
「じゃ、何で文月学園なんかにいるのさ。言っちゃ悪いけど、うちの水泳部って同好会みたいなもんだし」
「・・・・・それは愛子に聞けばいい。私が言うべきことじゃない」
霧島さんは事情を知っているようだったが、何も言わずに工藤さんの泳ぎを見つめていた。工藤さんはプールを3往復ほどするとプールの縁に手をかけて「よいしょ」と体を持ち上げた。
その瞬間「カシャッ」とシャッターの音がした。工藤さんは満身の笑みで「アハハ、さすが康太。シャッターチャンスを逃さないね」と言った。
「・・・・・俺はプロだ。気が進まなくても受けた仕事には全力を尽くす」
「ふーっ、ちょっと疲れたから撮影の前に休憩ね」と工藤さんはベンチに座った。
「ねえ、工藤さんちょっと聞いてもいいかな」
「ん、何かな吉井君」
「こんなに泳ぎが早いんだったら文月学園なんかよりももっといい学校に行った方がよかったんじゃないの?」
「うーん、ボクは小学校から水泳やっていたし、中学じゃ県の大会でも優勝したこともあったから、こっちに転校する時にいろんな高校から誘いはあったよ」
「じゃなんで、こんな弱小の文月学園なんかに」
「ボクは水泳は好きだけど、他にも好きなものがたくさんあるんだ。勉強も好きだし、友達とお喋りしたりバカ騒ぎしたりするのも好き」
そこで工藤さんは言葉を区切って顔を赤らめてこう言った。
「そっそれに男の子と恋もしてみたいなぁなんてキャア」。僕の背中をバンバン叩く。
「それはわかったけど、よりによって何でこんな学園に?」正直言ってうちの学園は実験校ということで、とてもマトモとは言えない。
「うーん」工藤さんはちょっと逡巡してから意を決したように口を開いた。
「転校前にこの辺の学校見学に来たんだ。そして帰る時に駅のエスカレータでミニスカートの女の子の後ろに腹ばいになってカメラを構えている男の子がいたの」
情景が現実のように目に浮かぶ。恐らく誰だったかも。
「もちろん痴漢だと思ったんだよ。でも、その男の子は凄い真剣で、何かそういう撮影なのかと思っちゃった。ミニスカートの女の子も気が付いていたんだけど、男の子のあまりの真剣さに「邪魔しちゃいけない」と思ったらしくって、特に騒ぎもしなかったなあ」
そういうもんなのだろうか。確かにムッツリーニの盗撮は神の技と呼ばれているが。
「で、撮影が終わった時にその男の子は「ふぅー」と息を吐いて、満足のいく仕事ができたっていういい笑顔を見せたんだ。で、よく見たら制服が文月学園のものでね。ああ、この学校に行けばこんな楽しいことが見つけられるんだと思ったの。それがボクがここに転向してきた理由」
学園生活で見つけた楽しいこととやらが盗撮ではご両親もさぞや悲しむと思うのだが。
「で、その男の子には会えたの」ちょっとイジワルして聞いてみた。途端に工藤さんは苺のように顔を真っ赤にして「どっどうかなぁ。ちょっとわかんないや。あ、そろそろ撮影しよう」と走り出した。