ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
ゾンビたちの襲撃から逃れ、エリの部屋に逃げ込んだあたしたち。エリは、ゾンビに太ももを喰いちぎられた降矢可南子ベッドに寝かすと、祭と一緒に治療を始めた。沢井祭は四期生でランキング24位。エリと同じく、看護師の資格を持っている娘だ。
治療とは言っても、ここにあるのはエリが持っている応急手当のキットだけだ。せいぜい、消毒して、止血するくらいだろう。はたしてそれで大丈夫な傷なのだろうか? さっきはかなり出血していた。
「――よし、これで大丈夫」包帯を巻き終えたエリが、笑顔で言った。「血管に損傷はないから、出血はすぐに止まるわ。少し痛むだろうけど、心配ないから、ガマンしてね」
エリの言葉に、メンバー全員が、ひとまず安堵の息を漏らした。
「あたし、ちょっと手を洗ってくるから、祭、後、お願いね」
エリに言われ、祭は「はい」と頷く。治療のほとんどはエリがやったから、その手は可南子の血で真っ赤だった。
エリが席を立つと、美咲とカスミが可南子に駆け寄った。心配そうに話しかける。可南子はだいぶ落ち着いていて、時折笑顔も見せていた。あたしも可南子に話しかけようとしたけど。
「――若葉さん、ちょっと」
エリに小声で呼ばれた。そのままバスルームに入る。あたしにも来い、ということだろうか? 何だろう? みんなは可南子の心配をしている。あたしはバスルームに入り、ドアを閉めた。とたんに、エリの顔から笑顔が消え、沈痛な面持ちになる。
「可南子のことなんですけど、正直、あまり良くないですね」小声で言った。
「え? でも、血管に損傷はないから、大丈夫って……」
「そうなんですけど、傷は思ったよりも深くて、このままだと、感染症を引き起こす可能性があります」
「すると、どうなるの?」
「高熱が出て、意識が混濁してくるでしょう。そのまま熱が下がらなければ、最悪の場合……」
エリは言葉を濁した。でも、何が言いたいのかは十分に伝わった。
「そんな……たったあれだけの傷で……」
死ぬの? という言葉は口にできなかった。とても信じられなかった。出血量が多かったとは言え、たった2センチほどの傷である。そんなわずかな傷で、人が死ぬなんて……。
「ここには、応急手当の道具しかなくて……解熱剤や抗生物質があれば、そんな心配はないんですけど……すみません」
「あ……いや、エリが謝ることじゃないけど――」
そんなつもりは無かったけれど、エリを責めるような口調になってただろうか? エリは、今できる最善の治療をしてくれたはずだ。エリは看護師で、医者ではない。まして、薬も器具も無ければ、何もできはしないだろう。
と、ガチャリ、と、ドアが開いた。
「何2人でコソコソ話してるの?」
白川睦美だった。一期生で、ランキングは10位。
「べ……別に、コソコソなんて、してないけど……」いきなり言われて、思わず声が上ずってしまう。ダメだ。あたし、隠しごとができない性分らしい。
「あのゾンビみたいなやつらが何なのか、話してました」あたしとは違い、平然とした表情でウソをつくエリ。蛇口をひねり、手を洗う。
「……そう。で、あいつら、何なの?」睦美があたしに訊いてくる。
「え……あ……いや……その……」答えることはできない。あいつらが何者なのか、こっちが訊きたいくらいだ。
「まあ、ゾンビという認識で、いいんじゃないですか?」手を洗い終え、タオルで水滴を拭いながら、エリは言う。「問答無用で襲いかかって来て、咬みついて、人肉を食べるんです。少なくとも、まともな人間じゃないですよ」
「ふーん……」
睦美は、疑わしそうな目であたしを見てくる。あたしたちが隠し事をしていると思っているのだろうか? 確かにあたしたちはゾンビの正体について話していたわけではないけど、本当のことを言ったところで、みんなに余計な不安を与えるだけだ。言う必要のないことを言わないだけで、隠し事をしているわけではない。
「まあ、問題は、あいつらの正体じゃなくて、これからどうするか、ですよ」エリはそう言って、バスルームを出た。あたしも後を追う。
「……そうね。あたしも、それが訊きたかったのよ」睦美も部屋に戻って来た。「で、これからどうするの?」
睦美は相変わらず、エリではなくあたしに向かって言う。
「え……あ、いや……だから、その……」答えられない。助けを求めるようにエリを見た。
でも。
エリは、今度は何も言わなかった。ただ、あたしの方を見ている。あたしの答えを待っているかのように。
いや、エリだけではなかった。
美咲も、深雪も、カスミも、部屋にいるメンバー全員が、あたしの言葉を待つかのように、こっちを見ていた。
「……いや、あたしに訊かれても、分かんないけど……」そう言うしかなかった。
その瞬間。
みんなの顔に、明らかな落胆の色が浮かんだ。睦美などは、頭を抱え込み、大袈裟にため息をついた。
そのときあたしは気が付いた。みんな、リーダーを求めているんだ。
正体不明の化物に襲われ、命の危険さえある極限の状態。みんな、どうしていいのか分からないのだ。どうしたらいいのか、教えてくれる人を求めているのだ。導いてくれる人が必要なのだ。
でも、それをあたしに求められても困ってしまう。あたしだって、どうしていいのか分からない。どうしていいのか、教えてほしい。
だけど、みんながあたしに期待したのは仕方がないかもしれない。あたしはメンバー最年長。今ここにいるメンバーでどうするのか決めるとしたら、確かに、あたしなのだ。
「……とりあえず、助けを求めるのが先決だよね」あたしは、ゆっくりとした口調で言った。「そう言えば、昨日誰か、この船には警察の人がいるって言ってなかった? 連絡してみようよ」
あたしはケータイを取り出そうとして、気づいた。慌てて部屋から出てきたから、ケータイを持ってきていない。隣の部屋だからすぐ取りに行けるけど、外に出るのは危険だ。誰か持っているだろう。
みんなを見る。名案だと思ったけど、みんな、浮かない顔をしている。
睦美がケータイを取り出し、あたしに見せた。「そんなのとっくに試したわよ。でも、繋がらないの。圏外。他の娘のケータイも、同じ」
睦美のケータイを確認する。画面には圏外の表示が出ていた。エリもケータイを開き、そして、首を振った。同じく圏外のようだ。ここは陸からかなり離れた太平洋の上だけど、この船には、携帯電話の電波を受信できる衛星機能がある。ケータイの通話だけでなく、インターネットも使うことができるのだ。実際、昨日ケータイは繋がった。それが使えなくなったということは、システムが壊れたのかもしれない。
「待ってても助けは来ないわ。あたしたちでなんとかしなきゃ」睦美がケータイを閉じて言う。
「なんとかって……?」あたしは訊いた。
「ここにじっとしてるわけにはいかないでしょ? どこか、安全な場所に避難するのよ!」
睦美のその案に、真っ先に異を唱えたのは、昨日ステージの上で不審な男に襲われたカスミだった。「ここから出るっていうんですか!? 絶対、イヤです!!」
「はあ? 何でよ?」
「だって、外はあのゾンビみたいなのがいっぱいいるんですよ!? 襲われるに決まってるじゃないですか!?」
カスミは、ベッドの上の可南子を抱きしめた。可南子はカスミの手を握り、小さく震えている。さっき襲われた時の恐怖が、よみがえってきたのだろう。
カスミも可南子も、あのゾンビどもに襲われてケガをしている。あのゾンビの怖さを、誰よりも知っているのだ。
「だからって、ここなら襲われないってわけじゃないでしょ!?」睦美が声を荒らげる。「あたしの部屋は、あのゾンビどもにドアを壊された。可南子の部屋もよ。あいつらは、その気になればこの部屋のドアなんか簡単に破ってくる。あたしたちがこの部屋にいると気づかれたら、それで終わりなのよ?」
「気づかれたら、でしょ? だったら、気づかれないように静かにしてればいいだけじゃないですか?」
「そんなうまく行くわけがないでしょうが! 大体、ここに居るって言ったって、いつまでいればいいのよ? 1日? 3日? 5日? ずっとここにいれば、そのうち誰かが助けに来るの? それはいつよ!?」
早口でまくしたてる睦美。カスミは言い返すことができなくなってしまった。
言い方は悪いけど、確かに、睦美の言ってることは正しいと思う。ここは決して安全とは言えない。ここにいても、助けが来るなんて保証はない。それに、エリが言うには、可南子は感染症を引き起こす可能性がある。最悪死ぬこともあり得るのだ。どこか、十分な治療が施せるところに行かなければならない。
カスミが黙ったことに満足したのか、睦美は勝ち誇ったような声で言う。「決まりね。じゃあ、さっそく行きましょう。もうここにいても仕方ないわ」
しかし、予想もしていなかったところから妨害が入る。
「睦美先輩、行くって、どこへですか?」美咲だった。
「どこって……それは……」言い淀む睦美。
そうか。肝心なことを忘れていた。
ここから脱出したとしても、少なくともここより安全な場所に行かなければ意味が無い。この船の中で安全な場所ってどこだろう? 考えてみても分からなかった。そもそも安全な場所なんてあるのだろうか? 今のこのゾンビ騒動が起こっているのはこの階だけなのか? それとも船全体に及んでいるのか? それすらも分からないのだ。そんな状態で動くのは、あまりにも危険だ。
答えない睦美に対し、カスミはここぞとばかりに言い返す。「どこに行くかも分からないのに出て行こうとしてたんですか!? 勘弁してくださいよ! あたしたちの命がかかってるんですよ!? 適当なこと言わないでください!!」
「何よあんた! さっきから聞いてりゃ、言いたい放題言って! 後輩のくせに生意気なのよ!!」
「はぁ!? こんな時に先輩後輩なんて関係ないでしょ!! 立場が悪くなったからって先輩面しないで!! そんなんだから、三期生に称号とられるんですよ!!」
「ああ!? それこそ今は関係ないでしょうが!! そっちこそランキングすらされなかったくせに、偉そうに言うな!!」
もはや単なる罵り合いになってしまった。美咲と祭が必死で止めようとするけれど、聞く耳を持たない。カスミの隣で、可南子は怯え続けている。深雪は部屋の隅に座り込み、耳を押さえ、目を閉じ、現実から逃れようとしている。エリはずっと黙っているけれど、腕を組み、イライラした表情で、睦美たちの言い合いを見ている。
みんな、バラバラだ。
このままじゃダメだ。こんな時こそ、みんなが一つになって協力し合わないといけない。なのに、こんな状態じゃ、助かるものも助からなくなってしまう。
誰かが、みんなをまとめなきゃ。
今、それをしなければいけないのはあたしだ。
でも、どうやって?
あたしだってどうしていいか分からない。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
あたしだって知りたいんだ。
こんなあたしに、みんなをまとめるなんてできるの?
無理でもやらなくちゃいけないの?
だれか助けてよ……。
誰か――。
その時。
電話が鳴った。
ケータイではなかった。睦美が自分のケータイを見たけど、圏外のままだ。
呼び出し音の方を見る。ベッドの隣、部屋に備え付けられている電話だ。
誰だ?
当然の疑問が浮かぶ。
ケータイのように、電話帳に登録されている名前が表示されるわけではない。ナンバーも表示されない。出る前に相手を確認するのは不可能だ。
でも、出ないわけにはいかない。何か吉報をもたらす電話の可能性は十分にある。少なくとも、電話に出て状況が悪化することはないだろう。むしろ、このまま呼び出し音を鳴らし続けると、外のゾンビをおびき寄せることになりかねない。
あたしは受話器を取った。
「……はい」
ゆっくりと、返事をする。
《もしもし? 良かった! 通じた!!》
その声を聞いて。
――――。
あたしは、涙が出そうになった。
それは今、あたしが、あたしたちが、本当に聞きたかった声。いてほしかった人。
「由香里!!」
思わず、叫んでしまった。
エリと美咲と祭がこちらを見た。深雪と可南子も顔を上げる。睦美とカスミでさえ、ケンカをやめ、こちらを見た。
電話の相手は、ランキング5位のシュヴェルトラウテ、アイドル・ヴァルキリーズ全48名を束ねるキャプテン・橘由香里だった――。