ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

8 / 119
Day 2 #02

 がばっと、体を起こすあたし。

 

 何が起こったのか分からず、辺りを見回す。

 

 低い天井、広いベッド、10畳ほどの部屋、窓の外には海。見慣れたあたしの部屋ではない。

 

 一瞬考えた後で思い出す。そうだ。ここは海の上。世界最大級の豪華クルーズ船・オータム号の、ホテルの一室だ。

 

 どうやら、夢を見ていたようだ。

 

 ほっと、胸をなでおろす。まあ、そりゃそうだ。美咲に食べられるなんて、勘弁してほしい。

 

 ぼう、っと、夢の中で聞いた音が鳴った。船の汽笛のような音、ではなく、本当に汽笛の音だったようだ。

 

 窓の外は明るい。壁に掛けられた時計を見ると、七時少し前。今日の予定は、10時から握手会だ。9時には昨日の劇場に集合することになっている。もう起きないといけない。

 

 ベッドから下りようとして、何かがあたしの足にしがみついていることに気が付いた。

 

「うふふ……わかばしぇんぱーい……」

 

 美咲だった。あたしの太ももにしがみついて枕代わりにし、幸せそうな顔で眠っている。

 

 ――悪夢の原因はこれか。

 

 あたしは美咲の身体を蹴っ飛ばすようにして引き離した。2回転し、美咲は自分の寝位置に戻った。目は覚まさず、そのまますーすーと寝息を立てている。

 

 はあ。ため息をつき、あたしは再びベッドを下りようとして。

 

 ふと、それが目に止まってしまった。

 

 美咲は、クマのイラストがプリントされたカワイイパジャマを着ている。呼吸に合わせ上下するその胸は、仰向けに寝ているにもかかわらず、こんもりと、小山のように盛り上がっていた。

 

 ――この肉まん、干からびてますね。マズそうです。

 

 さっき夢で言われたことを思い出した。

 

 あたしは、自己主張の激しい美咲の胸と、頼りない自分の胸を見比べる。

 

 公式プロフィールでは、美咲のバストは87センチのFカップ。いわゆる、巨乳と呼ばれる側の人間だ。小柄で童顔の妹キャラで巨乳――その辺りも、ヴァルキリーズのランキングに、三期生ながら7位に食い込む快挙を成し遂げた人気の秘密だろう。その方面のマニアに圧倒的な支持を得ているのだ。

 

 フン。それがどうした? あたしだって、170センチに近い長身にメンバー最年長でBカップというのが、その方面のマニアから熱烈に支持されてるんだからな。

 

 …………。

 

 なんだろう? ランキングはあたしの方が上なのに、この強烈な敗北感は。

 

 じ、っと、美咲の胸を見る。

 

 あたしは手を伸ばし。

 

 ぱふっ。

 

 美咲の胸を掴んだ。

 

「はふぅん」

 

 気色の悪い声を上げる美咲。

 

 あたしはムシして、もみもみ、と、その感触を確かめる。水風船のような柔らかさだけど、決して割れることのない、しっかりとした強さがある。

 

 ちっ。偽乳だったら週刊誌にリークしてひと儲けしようと思ったのだけど、残念ながら本物のようだ。

 

「せんぱい……やらしいです……」身をよじる美咲。

 

 なんか腹立ってきたな。あたしは拳を握り、美咲の頭に振り下ろした。

 

「いったーい」

 

 飛び起きる美咲。頭を押さえ、きょとんとした表情。

 

「おはよ、美咲。よく眠れた?」

 

 あたしは満面の笑みで言った。

 

「あ、若葉先輩。おはようございます」きょろきょろと、辺りを見回す美咲。「……なんかあたし、タンクに押しつぶされる夢を見てたみたいです」

 

 何を言ってるのか分からないけど、こういう場合美咲は、大抵ゲームのことを言ってるので、いつものように聞き流しておく。「シャワー、先に使うね。美咲も早く準備しないと、遅れるよ」

 

 時計を確認した美咲は、のろのろと動き始めた。あたしはバスルームに入り、軽くシャワーを浴び、そして、部屋に戻った。

 

「先輩、朝ごはん、どうしますか?」

 

 美咲が訊いてきた。あたしも美咲も、よほど切羽詰ってない限り、朝食はしっかりと食べる方だ。たとえ切羽詰っていても、栄養調整食品やゼリー飲料とかで、手早く済ます。最悪食パンかじりながら走ったりもする。アイドルは体力が命。それが超体育会系のヴァルキリーズならなおさらだ。朝食は絶対はずせないエネルギーの源である。

 

 部屋にはお菓子くらいしかない。ルームサービスを取るか、レストランで食べるか、である。あまり時間は無いので、ルームサービスにしよう。あたしは部屋に備え付けられた電話の隣にあるルームサービスのメニュー表を取る。

 

「美咲、何食べる?」

 

「うーん、あたし、肉まんが食べたいです」目をキラキラさせて答える。

 

「……またぶん殴るわよ」

 

「ひぃ、ゴメンなさい」頭をかばう美咲。しかし、すぐに真顔になる。「……って、なんでですか。と言うか、またってどういうことですか?」

 

「ううん、何でも無い。モーニングセットでいいね」

 

 強制的にメニューを決定し、あたしは受話器を取った。ルームサービスの番号を押す。

 

 相変わらず、汽笛は鳴り続けている。部屋の防音施設はしっかりしているけど、さすがに船の汽笛を完璧に防げるわけじゃない。そんなにうるさいわけではないけれど、こう続くと不快だ。

 

 ルルル……電話のコール音が鳴り続ける。10回を超えた。出ないな。どうしたんだろ? 時間的に忙しいのかな? それは分かるけど、それにしたって出てもいいだろう。

 

 コール音が20回を越えたところで、あたしは諦め、受話器を置いた。

 

「ダメだ。出ないよ。忙しいのかも。売店で何か買って、控室で食べようか」

 

 仕方がないので、そう提案する。売店とはいっても、この船なら小型のスーパーマーケットレベルだ。結構しっかりした朝食になるはずである。

 

「はーい」と、美咲は手を上げて返事をし、「じゃ、あたしもシャワー浴びますね」と言って、バスルームに入って行った。

 

 その後、あたしは髪を乾かし、歯を磨き、着替えて、軽くメイクをする。美咲もシャワーを終え、すぐに出てきた。本格的なメイクや衣装は劇場の控室でやるので、八時少し前には2人とも準備完了。

 

 汽笛は、相変わらず鳴り続けている。

 

「何かあったんですかね?」ちょっと不安げな表情の美咲。あたしも、さすがにここまで続くと、少し不安になってくる。

 

 船が汽笛を鳴らすのは、他の船に進行方向を知らせるため、だったと思う。でも、大抵は数回で終わるはずだ。鳴らし続けるのは、緊急事態発生を知らせる時だったような……。

 

 不安が、一気に膨らんだ。

 

 これほどまでに汽笛を鳴らし続けるということは、よっぽど危機的な状態ではないのだろうか? まさか、他の船に衝突しそうだとか?

 

 慌てて窓に駆け寄り、へばりついて外を確認する。見渡す限り、海と空しか見えない。もっとも、窓は小さ目だし、船はあまりにも大きい。周囲全てが見えるわけではない。

 

「……先輩、なんか、外も騒がしいですよ?」

 

 ドアの方を見ながら言う美咲。確かに、何やらざわざわしている。悲鳴のようなものまで聞こえた。

 

 おいおい、大丈夫か、この船。まさか、沈むとかじゃないだろうな?

 

「あたし、先輩とならタイタニックをしてもかまわないと思ってますから」なぜかうっとりとした顔であたしを見つめる美咲。コイツ、そんな趣味があったのか。

 

「……冗談よしてよ。せめて、ポセイドン・アドベンチャーにしてほしいわ」

 

 あたしがそう言うと、美咲は不思議そうな顔をする。「……なんですか? ポセイドン・アドベンチャーって?」

 

「何って、映画よ。船が沈む映画の金字塔じゃない。まさかあんた、知らないの?」

 

「知りません。いつの映画ですか?」

 

「えっと、確か……1972年だったかな?」

 

「40年も前じゃないですか! そんな昔の映画を見てるなんて、さすがヴァルキリーズ最年長の先輩です! あたしなんて、まだ生まれてもいませんよ!」

 

「あたしだって生まれとらんわ! 失敬な。DVDで見たに決まってるでしょ。古い映画なのは確かだけど、船が沈む映画どころか、パニックムービーのパイオニア的作品だよ? 極限状態に追い込まれた時の人間ドラマとか、すごくおもしろいし、演技の勉強にもなるから、女優を目指す身としては、見ておかなきゃダメだよ」

 

「はあ。分かりました。今度、レンタルビデオ屋さんに行ったら探してみます」

 

 なんて会話をしている間も、外の騒ぎは続いている。冗談抜きにして、ホントに沈んだりしないだろうな?

 

「ちょっと、見てみます」

 

 美咲はそう言って、入口に駆けて行った。

 

 ドアを開け、外の様子を確認し。

 

「…………」

 

 しばらく無言の後、バタン、と、ドアを閉めた。

 

「先輩。バイオハザードです」

 

「……は?」

 

「ですから、バイオハザードです」

 

 うーむ。タイタニックでもポセイドン・アドベンチャーでもLIMIT OF LOVE 海猿でもなく、バイオハザードと来たか。

 

 バイオハザードとは、ゲームに疎いあたしでも知っている有名ゾンビゲーム、もしくは、そのゲームを原作としたハリウッド映画だ。あの映画の主演女優はあたしの憧れでもある。でも、船の中でバイオハザードとは、どういうことだろうか? まさか、ゾンビが徘徊しているわけでもあるまい。

 

 美咲に説明を求めても要領を得そうにないので、自分の目で確認することにした。あたしは入口に行って、ドアを開けた。

 

 …………。

 

 しばらく無言の後、バタン、と、ドアを閉めた。

 

 ……確かに美咲の言う通り、バイオハザードだ。

 

 美咲を見る。「ね?」と言う顔で、あたしを見ている。

 

 ……いやいやいやいや。それは無いだろう。ありえない。落ち着け、若葉。もっと、冷静に考えてみよう。

 

 今、見たものを、簡単に説明すると。

 

 ドアを開けると、廊下を、ゾンビがたくさん徘徊していたのだ。

 

 うん。バイオハザード確定。

 

 ……結論を急ぐな、若葉。もっと慎重に考えるんだ。

 

 徘徊していたゾンビは、ここから見る限り、人の形をし、のろのろと歩いていた。犬のゾンビや舌の長い化物の姿は無かった。

 

 と、すると、バイオハザードと言うよりはドーン・オブ・ザ・デッドか? リメイク版ではなく、オリジナルの方。邦題はズバリ、ゾンビ。これも、あたしが生まれる10年以上も前の映画で、古今東西全てのゾンビ映画の基本ともなった名作だ。

 

 ……そうでなくて。

 

 そもそもあれをゾンビと考えることがおかしいだろ。そんなもの、この世に存在するわけがない。つまり、あれは人間。ゾンビに見えるのは、特殊メイクだろう。

 

 と、なると、答はひとつだ。

 

 あたしは美咲の方を見て、小さく手招きをする。不思議そうな顔でこっちに来た美咲の耳に顔を近づけた。

 

「美咲、これはドッキリよ」

 

 ささやくように言うと、美咲は全てを理解したのか、OKサインを出し、大きく頷いた。察しが良くて助かる。

 

 そう。これはどこかのテレビ局が仕込んだドッキリ企画なのだ。たくさんの人にゾンビメイクを施すあたり、かなりのお金がつぎ込まれているだろう。つまり、失敗は許されない。いくらドッキリに気づいたとはいえ、「これ、ドッキリでしょ?」なんて言ったら、プロとして失格だ。二度とその番組のプロデューサーから仕事のオファーは来ないだろう。いくらアイドル・ヴァルキリーズが大人気とは言え、所詮はデビュー6年目の新人。今後、芸能界の荒波を乗り越え、生き残っていくためには、こういう時の対応を間違ってはいけない。

 

「じゃあ、行くよ。準備はいい?」

 

 ドアノブに手を掛け、美咲に確認する。美咲は無言で頷いた。

 

 このまま部屋に閉じこもっていても、視聴者は面白くもなんともない。やっぱりゾンビに襲われて、キャーキャー言って逃げ回るのが理想だ。よし。行くぞ! 勢いよくドアを開けた。

 

 近くにいたゾンビ2体が、こちらに気づいた。ガオ、と吠えながら、近づいてくる。

 

「きゃ……きゃあ!」

 

 悲鳴を上げ、美咲と2人で部屋に戻る。もちろんドアは開けっ放し。2体のゾンビが入ってくる。えっと、カメラはどこだろう? きっと、どこかに隠しカメラがあるはずだ。場所を確認しておかないと、せっかくいいリアクションをしても、映ってなければ意味が無い。さりげなく部屋を見回す。それらしきものは発見できない。

 

 そうこうしているうちに、ゾンビにつかみ掛かられてしまった。もう1体は美咲に襲いかかる。

 

 まあいい。ドッキリを仕掛けた側もプロだ。どんな展開になっても大丈夫なように、いろんなところにカメラを仕掛けているだろう。

 

「や……やめて! やめてください!」

 

 身をよじり、ゾンビから逃れようとする。うん。いい演技だ。もしかしたら放映後、ドラマや映画のオファーが殺到するかもしれない。

 

 さりげなく美咲の方を見る。あたしと同じようにゾンビの拘束を逃れようとしているけれど、演技なのがバレバレだ。美咲はまだデビュー間もない。あたしはすでに何本ものドラマや映画に出演したけれど、美咲は数本のドラマにチョイ役で出たくらいだ。まあ、あの娘の人気を考えると、これからどんどん増えていくのだろうけど。

 

 ……それにしても。

 

 このゾンビの役者、ちょっと、力が強くないか?

 

 左右の二の腕を掴まれているのだけれど、握力が強すぎる。それでなくたって、二の腕って人体の中でも痛覚が集中している場所だ。ちょっとつねっただけで悲鳴を上げるくらい痛いのに、握力全開でつかんでいるような気がする。かなり痛い。

 

 美咲の方を見る。あたしと同じようで、二の腕を掴まれている。やっぱり痛いのだろう。困惑した表情になっている。

 

 と、あたしを掴んでいるゾンビ、急に顔を近づけてきた。

 

 おい待て! キスでもするつもりか? あたしは右手で顔を受け止める。アイドルに無理矢理キスなんて、ファンが黙ってないぞ? ブログが炎上するぞ?

 

「先輩。ちょっと、おかしくないですか?」

 

 再び美咲の方を見る。美咲も、キスされそうなのを必死で防いでいる。

 

 二の腕を掴む手の握力がさらに増した。爪が食い込む。痛い痛い! アザになったらどうしてくれるんだ? この後水着グラビアの撮影もあるんだぞ? 美咲の方は、ついにベッドの上に押し倒されてしまった。いくらなんでもやり過ぎだ。

 

「先輩! どうしましょう!?」助けを求めるようにこちらを見る美咲。

 

 ええい。しょうがない。やり過ぎたそっちが悪いんだ。

 

「いいわ、美咲! やっちゃいなさい!」

 

 あたしがそう言うと、美咲は「わっかりましたー!!」と、言って。

 

 どん! 右足でゾンビを押し返した。

 

 勢いで吹っ飛び、壁に背中をぶつけるゾンビ。振動で壁掛け時計が落ち、割れた。もちろんホテルの備品だけど、これはドッキリを仕掛けた方が悪い。弁償するのはそっちだからな。

 

 美咲は起き上がると、両掌を前に出し、ゆっくりと拳を握り、そして、右半身を少し後ろに下げ、構えた。

 

 ゾンビは再び美咲に襲いかかる。

 

「はっ!」

 

 気合とともに、ゾンビの胸に左、右、と、連続して拳を繰り出す。怯んだところで、くるっと右回転をし、ゾンビの右側頭部に、右の裏拳を叩き込んだ。吹っ飛ぶゾンビ。壁に頭を打ち付け、崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。美咲はゆっくりと息を吐きながら、身体を正面に向け、腰の辺りで拳を握った。

 

 あたしたちアイドル・ヴァルキリーズは、メンバー全員、なんらかの武道の心得がある。美咲は、ゲームオタクで妹キャラのイメージに反して、実は空手の達人だ。高校時代に全国大会で準優勝したほどの腕前で、コンサートでは演武はもちろん、瓦割や板割などを披露することもある。

 

 あたしも、負けてられないぞ!

 

 あたしはつかみ掛かるゾンビを無理矢理引き離し、ベッドの枕元に置いていた木刀を手に取った。剣道二段のあたしは、素振り用にいつも木刀を持ち歩いており、眠る時はなんとなく枕元に置いているのだ。

 

 刀先をゾンビに向ける。ゾンビは臆することなく、両手を前に出し、再び襲いかかってきた。

 

「やぁっ!」

 

 あたしは一歩踏み込むと、ゾンビのみぞおちに突きを繰り出す。前につんのめるゾンビ。その首筋に刀身を振り下ろした。ガツッ! という鈍い音に続いて、ゾンビはゆっくりと倒れた。

 

「やったぁ! さっすが若葉先輩!」

 

 喜ぶ美咲とハイタッチを交わす。ふん。あたしたちが本気を出せば、こんなもんよ。考えてみたら、あたしたちはアイドル・ヴァルキリーズ――戦乙女だ。キャーキャー言って逃げ回る姿なんて、ファンが望んでいるはずもない。これが正しい対処法だったんだ。うん。

 

 …………。

 

 でも、ちょっとやり過ぎたかな?

 

 床に転がり、全く動かなくなったゾンビ役の人を見て、急に不安になってきた。

 

 ま……まあ、か弱い乙女に襲いかかって、キスしようとしたんだ。正当防衛だよ、うん。

 

 と、その時。

 

 外から、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。正面の部屋のようだ。

 

 正面の部屋は、ランキング1位でブリュンヒルデの神崎深雪と四期生の降矢可南子が使っている。今の悲鳴は可南子のようだ。

 

 廊下に出ると、深雪の部屋のドアは壊されていた。中の様子はよく見えないけど、ゾンビ役の人が入って行ったに違いない。美咲と一緒に踏み込もうとして、今度はその隣の部屋からも悲鳴が聞こえてきた。白川睦美と沢井祭の部屋だ。同じように、扉が壊されている。

 

「美咲! 睦美たちの方をお願い!」

 

「りょーかいです!」

 

 美咲は右拳を握って左胸に当てるヴァルキリーズ誓いのポーズをすると、睦美の部屋に飛び込んで行った。あたしも深雪の部屋に踏み込む。

 

 深雪の部屋は、窓が無い以外はあたしたちの部屋と同じ作りだった。入口のすぐそばにシャワールームの入口があり、その奥にソファーとテーブルとテレビ、さらに奥に、ツインのベッド。

 

 その上で。

 

 可南子が、ゾンビに襲われている。

 

 ベッドの上にあおむけに倒れている可南子の下半身、足の付け根辺りに、ゾンビが顔をうずめていた。

 

 首をぐるぐる振り、手足をばたつかせ、狂ったように泣き叫ぶ可南子。

 

 何が起こっているのか考えるより先に、あたしの胸に黒い炎が灯り、身体が動いた。ソファーとテーブルを飛び越え、力ずくで可南子からゾンビを引き剥がす。勢いよくテーブルに突っ込むゾンビ。テーブルの上に置かれてあったグラスやお皿が悲鳴を上げた。

 

 あたしは、可南子を見て。

 

「――――!!」

 

 息を飲んだ。

 

 可南子は、Tシャツにショートパンツと言うルームウェアなのだが。

 

 彼女のむき出しの太ももが――削り取られていた。

 

 2センチくらいの楕円の形にえぐれ、流れ出した血が、ベッドの純白のシーツを紅く染めている。

 

 恐ろしい光景だけど、妙に冷静に、それを見つめる自分がいる。

 

 その傷跡は、歯型のように見えた。

 

 ――喰いちぎられた!?

 

 そうとしか思えない傷だった。

 

 不意に。

 

 昨日のコンサート、ステージ上で、前園カスミがおかしな男に襲われた事件を思い出す。

 

 そう言えば、今引き剥がしたゾンビ役の男の人も、さっきあたしの部屋で、美咲と2人で撃退したゾンビ役の人も。

 

 あの時カスミを襲った男と、同じ顔色、同じ動作だった。

 

 ここにきて、あたしは。

 

 これは、ドッキリなんかじゃないことに気づいた。

 

 ケガ人が出てなおも続行するドッキリなんて、あるわけがない。

 

 でも、じゃあ何が起こっているのか? それは分からない。

 

 激痛に苦しむ可南子の声で我に返った。考え事をしている場合ではない。可南子に駆け寄る。出血が酷い。あたしには手当の知識なんてほとんどないけれど、とにかく血を止めないと、と思った。木刀を手放し、ベッドの上のタオルケットを掴み、可南子の傷に押し当てる。さらに悲鳴を上げる可南子だけど、そのまま押さえ続ける。

 

 そう言えば、深雪は!?

 

 部屋を見回す。すぐに見つかった。部屋の隅にうずくまっている。

 

「深雪! 無事!?」

 

 声をかけるけど、返事は無い。目の前の現実から逃れたいのか、目を閉じ、耳を押さえ、震えている。これだけの惨事を目の当たりにすれば、普通の女の子なら、ああなっても仕方がない。ここから見る限りケガはなさそうだ。とりあえず、可南子の方が危険な状態だ。

 

 再び可南子を見る。傷口に押さえつけたタオルケットは、みるみる紅く染まっていく。血が止まる気配は無い。どうしたらいいの? このまま押さえていればいいのか? それとも、何かほかの方法を試すべきなのか? 分からない。

 

 と、背後に、人の気配を感じた。

 

 振り返る。

 

 さっき引き剥がしたゾンビが、両手を上げて襲いかかってきた!

 

 しまった! 木刀は床の上だ。すぐには拾えない。避けることはできそうだけど、それだと可南子がまた襲われてしまう。どうすれば!?

 

 その時、部屋に誰か走りこんできた。

 

 その気配にゾンビも気づいた。振り返る。

 

 その、ゾンビの顔面に。

 

 走りこんできた人の振り上げた右足の靴の裏が、クリーンヒットする。

 

 ……おお、スゴイ。心の中で手を叩く。『黒のカリスマ』と呼ばれたプロレスラー・長野正洋を彷彿させる、見事なケンカキックだ。

 

 思いっきり顔面を蹴られたゾンビは、吹っ飛び、壁に頭を打ち付けて、そのまま動かなくなった。

 

「若葉さん! 大丈夫ですか!?」その人がこちらを見る。なんと、エリだった。ヴァルキリーズのランキング第3位で、武術もできる白衣の天使。この娘に、あんな物騒な一面があったなんて。

 

 ……感心してる場合じゃないな。

 

「あたしは大丈夫。それより、可南子を」

 

 エリはすぐに可南子の状態に気づいた。あたしはエリと代わる。エリは看護資格を持っている。ここは彼女に任せよう。

 

 タオルケットを離し、傷の状態を確認するエリ。それが喰いちぎられた傷だと、すぐに分かったのだろう、表情が歪んだ。

 

「若葉さん、バスルームからタオルを持ってきてください」

 

 あたしは言われた通り、バスルームからタオルを数枚持ってきた。エリは可南子の太ももにタオルをきつく巻きつけた。

 

「ひとまずあたしの部屋に行きましょう。応急手当の道具がありますし、この部屋はドアが壊されているから、いつ、あいつらが襲ってくるか分かりません」

 

 エリはそう言って、可南子に肩を貸し、立たせた。まだ嗚咽を漏らしている可南子だけど、エリに治療されて、少し落ち着いたようだ。あたしも可南子に肩を貸す。

 

「深雪! 行くよ!」

 

 部屋の隅にうずくまる深雪を呼ぶ。でも、返事は無い。うずくまり、目を閉じ、耳を押さえ、震えている。あたしは可南子をエリに任せ、深雪に駆け寄った。

 

「深雪?」

 

 手を差し出すと。

 

「いや……いやああぁぁ!!」

 

 叫び、あたしの手を払う。そのまま手を振り回し続ける。かなり気が動転している。それも仕方がない。得体の知れない男がいきなり部屋に押し入って来て、仲間を襲い、流血したのだ。普通の女の子ならこうなるだろう。あたしや美咲やエリの方が特殊なのかもしれない。

 

 でも、放っておいて落ち着くのを待つような余裕はない。

 

 あたしは、バタバタと振り回す深雪の両手を掴むと。

 

「深雪! あたしよ! 若葉よ!!」

 

 鼻先が付くくらいの距離で、怒鳴った。

 

 深雪の動きが止まる。

 

「わ……若葉……?」

 

 ゆっくりと、目を開けた。

 

「そうよ! 遠野若葉! 分かる!?」

 

 さらに言うと、深雪は小刻みに頷いた。少し落ち着いてきたようだ。

 

「今からエリの部屋に行くよ! そっちの方が安全だから! いい? 立てる?」

 

 一言一言、子供に言い聞かすように伝える。深雪は、やっぱり小刻みに頷き、そして、ゆっくりと、足を震わせながらも立ち上がった。

 

「――――!!」

 

 ベッドの上の血に染まったシーツとタオルケットを見た深雪が、声にならない悲鳴を上げた。あたしは深雪の頭を抱き、「大丈夫、大丈夫だから」と、ささやき続けた。しばらくして、また少し落ち着いてきたので、あたしは血痕が深雪の目に入らないように気を付けながら、エリとともに部屋を出た。

 

 それと同時に、美咲も隣の部屋から出てきた。後ろには、睦美と祭もいる。睦美たちは、パニック状態の深雪と、べっとりと血の付いたタオルを太ももに巻いている可南子の姿を見て。言葉を失った。

 

「若葉先輩、これって、ホントにドッキリですか?」

 

 さすがの美咲もおかしいと思ったらしい。

 

「たぶん違う。とにかく、エリの部屋へ」

 

 美咲たちに言う。廊下の先には、まだゾンビらしき姿が見える。かなり離れているから、気づかれてはいないけれど、こんなところに突っ立っていたら、それも時間の問題だ。

 

 まずエリと可南子が部屋に入り、その後に美咲たちが続いた。最後にあたしと深雪が部屋に入り。

 

 バタン、ガチャリ。

 

 あたしは、ドアに鍵をかけた。

 

 その瞬間。

 

「――――」

 

 部屋の中の全員が、大きく息をついた――。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。