ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

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Day 7 #10

 橋が崩れ落ち、あたしと美咲は、二十階という高さから、恐らくは五階まで続いているであろう穴に、落ちていく。

 

 とんでもない高さだ。落下は止まらない、止められない。もう、助からないだろう。今のあたしにできることは、ただ、美咲を抱きしめ、祈ることだけだ。

 

 あたしはありったけの力で美咲を抱きしめた。美咲もあたしの背中に腕を回し、胸に顔をうずめる。

 

 祈る。

 

 どうか神様、この娘だけは。

 

 この娘だけは、助けてください。

 

 あたしなんてどうなっていい。

 

 アイドル・ヴァルキリーズのために、この娘だけは。

 

 ううん。ヴァルキリーズのためじゃない。

 

 この娘の未来のために。

 

 腕がもげても、足がもげても、ヴァルキリーズを続けることができなくても。

 

 命さえ助かれば、この娘なら、きっとまた、立ち上がるから。

 

 だから神様! どうか!

 

 神様がダメなら、悪魔でも、ゾンビでも、何だってかまわない!

 

 お願いだから! 美咲を! 助けて!!

 

 落下は止まらない。

 

 地面が見えたような気がした。

 

 あたしは、護るように、包み込むように、美咲をさらに強く抱きしめ。

 

 目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 ――どさり。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 ……うん? どさり?

 

 ぐしゃ! とか、べちゃ! とか、ひでぶ! とかじゃなくて、どさり? ずいぶん軽い音がしたな。とてもあの高さから落ちて地面に叩きつけられた音とは思えないぞ? ちょっと強い衝撃があったけど、痛いというほどではない。まあ、即死だったら痛みなんて感じてるヒマはないだろうけど、死んだ気分ではないな。それに、両膝の裏と、背中から左の脇の下にかけて、がっしりとしたものに支えられているような感触がある。

 

 ……ひょっとしてこれは、女子憧れのお姫様抱っこというやつじゃないだろうか? うわー。あたしの二十五年の人生の中でも初のことだよ。お姫様抱っこって、実は意外と難しいんだよな。ヤサ男がやると、女子の身体がでろーんとなって、ミニスカだったらお尻もべろーんとまる見えになって、かなり悲惨な状態になったりする。

 

 でも、今あたしを抱っこしている何者かは、がっしりと、あたしを支えてくれている。安定感バッチリで、まさしく理想のお姫様抱っこだ。しかも驚いたことに、あたしの胸にはもう一人、美咲がいるのだ。つまりこの何者かは、あたしと美咲の二人分の女子をまとめてお姫様抱っこをしているのである。何というたくましさ。まさに、お姫様抱っこをするために生まれてきたような殿方だ。もう、ヤサ男はお姫様抱っこ禁止の条例を出してもらわないといけない。

 

 ……でも、これは一体、誰なんだ?

 

 常識的に考えて、あの高さから落ちてきた二人の女子を、がっしりとお姫様抱っこで受け止めることができるような人が、いるわけがない。しかも、都合よく今この船の中に。というか、今この船の中にいるまともな人間は(まだ脱出していないとすればだけど)ヴァルキリーズのメンバーだけだ。

 

 ……そうか。燈だな。あの娘の超高性能義手なら、落ちてきたあたしたちをキャッチするくらい訳無さそうだ。男の人でないのはチト残念だけど、まあ、この状況でお姫様抱っこで助けられたら、あたし、有無を言わさずその人にフォーリンラブしてしまうだろう。あたしは先日のスキャンダル事件をなんとか乗り越えたばかりだ。できればこれ以上のトラブルは避けたい。でも、助けてくれたのが燈なら、恋に落ちても許される。ヴァルキリーズ公認カップルの誕生である。うん。めでたしめでたし……でもないか? 燈に恋したら、それってエリと三角関係になるってことじゃないのか? そいつはマズイな。あたし、シャイニング・ウィザードの餌食になりたくない。

 

 ……まあいい。それは恋に落ちてから考えよう。そもそも燈と決まったわけじゃないし。

 

 あたしは恋に落ちる決意をし、硬く閉ざしていた目を開けた。さあ、あたしを救ってくれたのは、あたしを力強く抱きしめてくれたのは、あたしのハートを射止めたのは、どんな素敵な方なの?

 

 そこには。

 

 岩のように大きな掌。丸太のように太い腕。岩のように盛り上がったたくましい胸板。獣のように剥き出しになった犬歯。獣のような息づかい。獣のような鋭い目。ゾンビのような腐った土色の肌。

 

 …………。

 

 って、コイツ! ノートンじゃねぇか!! 瑞姫が作った筋肉ゾンビ。生きてたのか!?

 

 ばっ! と身をひるがえし、ノートンのお姫様抱っこから逃れる。燈の刃に刺された左目の傷は、すでに塞がっていた。何という回復力だ。くっそー。恋が始まる予感がしたのに――じゃなくて、せっかく助かったのに、ここでまたノートンと戦闘になったら、あたしたちなんかあっという間にあの世行きだ。

 

 いや。これはきっと、神様が与えてくれたチャンスだ。運命は自分の手でつかみとれ――そういうメッセージを感じる。少なくともあたしが犠牲なれば、美咲は逃げられる。よーし。やってやろうじゃないの。

 

 あたしは気を失っている美咲の頬をぱちぱちと叩いた。「美咲、起きて。美咲」

 

「うーん、ダメです若葉先輩。この肉まん、干からびてマズそうです」

 

 寝言を言う美咲の頭に鉄拳を叩き込む。がばっと起き上った美咲は、きょろきょろと辺りを見回し、そばにいたノートンに気づいた。

 

「なんか頭が痛いと思ったら、アイツがやったんですね」立ち上がり、右手を前に出して構える。「ふん、お前のパンチなんか、若葉先輩のゲンコツに比べたら、痛くもなんともないよーだ」

 

 もう一発喰らわせてやろうか。拳を握る。いや、今はやめておこう。握りしめた拳を緩め、美咲の肩に手を置いた。「美咲、よく聞いて。今からあたしがアイツの気を引き付けるから、あなたは、このボートで脱出しなさい」救命ボートのバックパックを渡す。

 

「そんな! ダメです! 若葉先輩を置いて行けません! 若葉さんが戦うなら、あたしも一緒に戦います! 若葉さんが逃げるなら、あたしも一緒に逃げます! あたしたちはもう、二人で一人の存在なんですから!!」

 

 ……まあ、そう言うと思ったよ。これじゃあさっきと同じだ。議論してもムダだろう。

 

「分かったわ。じゃあ、一緒に逃げましょう。でも、あのノートンから二人とも逃げるのは、かなり難しいだろうから、気合入れなさいよ?」

 

「わっかりましたーっ!」右拳を左胸に当てる美咲。ヴァルキリーズ誓いのポーズだ。こんなことを仕事以外でやるのは美咲くらいだけど、あたしも、同じポーズを返す。

 

 二人でノートンを睨みつける。さあ、どこからでもかかってきなさい。二人で、逃げて逃げて逃げまくってやる!

 

 だが、ノートンは。

 

 両腕を振り上げて胸を叩いたり、牙をむき出しにして威嚇したりすることも無く。

 

 ただ、じっと立ちつくし、こちらを見ているだけだった。

 

「……先輩、なんか、様子が変じゃないですか?」美咲も異変に気づいた。

 

 確かにおかしい。さっきまでのノートンとはまるで違う。燈と対峙した時のように興奮している様子は無い。敵意を感じない。見た目はごつくて怖いけど、実は心優しい獣みたいだ。

 

 考えてみたら、敵意が無いんだったら、最初からあたしたちを受け止めたりしないよな。

 

 あたしは睨むのをやめ、ノートンに向かって微笑みかけた。

 

「あなた。もしかして、あたしたちのことを助けてくれたの?」思い切って話しかけてみる。

 

「……先輩、アイツに言葉が通じるんですか?」美咲が小声で訊く。

 

「……分かんないけど、瑞姫の命令は聞いてたみたいだし、ある程度は分かるんじゃないの?」あたしも小声で答えた。

 

 ノートンは、じっとあたしたちを見つめている。

 

 そして。

 

 ゆっくりと、口を開けた。

 

「……カ……」

 

 何か、言おうとしている。

 

 まさか、ノートンは喋れるのだろうか? ゾンビとは言っても元は人間だし、言葉が分かるなら喋っても不思議ではない。

 

「……カ……リ……ワ……カ……」

 

 ノートンは、絞り出すように、苦しそうに、言葉と思われる声を紡いでいく。

 

「……エシ……タ……カラネ……」

 

 カ、リ、ワ、カ、エシ、タ、カラネ……?

 

 …………。

 

 借りは返したからね?

 

 借りって何だ? あたし、ノートンに貸しを作った覚えはないぞ?

 

 それが伝えたかったことのすべてだったのか。

 

 ノートンが、優しく微笑んだ……ような気がした。

 

 そして、岩のような大きな右手を上げ。

 

 これまた岩みたいにごつごつと盛り上がった左胸に当てた。

 

 ――へ? あれって、ヴァルキリーズ誓いのポーズか? 何でノートンが? さっきあたしたちがやったのを見てマネしたのか?

 

 戸惑うあたしたちに、ノートンは背を向ける。

 

 その時、ノートンの左脇腹に。

 

 大きな傷跡が見えた。

 

 ちょうど、ナイフで脇腹を刺され、それが完治したような傷跡。

 

 ノートンは振り返ることなく。

 

 そのまま、船の奥へ走って行き、やがて、姿が見えなくなった。

 

「……なんだったんですかね? あの子」美咲がきょとんとした顔で言った。「なんか、悪いゾンビさんには見えませんでしたね」

 

「……そうね」あたしは、静かに応えた。

 

 ――――。

 

 一瞬、後を追うべきか、と、思ったけれど。

 

「……先輩? そろそろここも崩れそうですし、とりあえず、外に出ませんか?」美咲が言った。

 

 天井からは、雨のように砂や瓦礫のかけらが降り注いでいる。船全体の傾きもひどくなる一方だ。これ以上建物中にいるのは危険だ。

 

 あたしは、美咲を連れ、建物の外に出た。

 

 そして、振り返ることなく。

 

 ――ありがとう。

 

 船の中に消えたノートンに、お礼を言った。

 

 

 

 

 

 

 建物の外に出たあたしたちは、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。

 

 今、あたしたちがいるのは、五階の中央左側の公園。船に乗って三日目、吉岡紗代と森野舞に襲われ、現れた亜夕美が紗代の左脇腹を薙刀で刺し、紗代を助けるため、あたしと亜夕美が戦った、あの場所だ。

 

 ここに来たのは、考えがあってのことだった。今、船は進行方向右側に向かって傾いている。もしこの先、建物が崩れたとしたら、船の右側に、大量の瓦礫が降り注ぐことになるだろう。だから、左側から脱出する方が安全だ、と、判断し、ここへ来たのだ。

 

 しかし、これが大きな間違いだった。

 

 公園に着き、救命ボートを海に下ろすため、手すりから身を乗り出し、下を確認したのだけれど。

 

 海が見えないのだ。

 

 船全体が右側に傾いているため、左側から下を見ても、見えるのは船の側面だけなのだ。救命ボートを下ろそうとしても、船の側面に当たってしまう。ここからでは脱出できない。

 

 ならば、反対側に移動しよう、と、当然考える。危険だけど、脱出するにはそれしかない。

 

 そう思ったところで、根本的な問題が発生した。

 

 救命ボートが、破損していたのだ。

 

 恐らく、屋上から落下し、ノートンに受け止められたときだろう。衝撃で、ボートに穴が空いてしまっていたのだ。これでは膨らまない。

 

 最後の望みをかけ、オータム号に備え付けられている救命ボートを探した。しかし、瑞姫の言った通り、すべて破壊され、使えなくなっていた。ご丁寧に、救命胴衣の最後の一着まで、である。

 

 脱出する方法は、全て無くなった。後は、船が沈むのを待つだけだ。

 

「……まあ、前にも言いましたけど」美咲があたしの腕を取り、そっと、肩に頭を寄せてきた。「あたし、若葉先輩となら、タイタニックしてもかまわないと思ってますから」

 

「そうだね――」あたしは、反対側の手で、美咲の頭をなでる。「今なら、あたしもそう思うよ」

 

 ゾンビを倒し、ノートンを倒し、瑞姫を捕まえ、みんなを脱出させた。ここまで来てあたしたちだけが脱出できないのは無念だけど、まあ、屋上から落ちて一度は諦めた命だ。ここまでこれただけでも良しとしよう。

 

「まあ、タイタニックなら、あたしたちのどちらか一人は助かるわけだし。生存確率五〇パーセントなら、悪くないでしょ」あたしは言った。

 

「えー。ダメですよ。あたしと若葉先輩は、もう、一心同体なんですから。生き残るなら一緒に、死ぬ時も一緒に、です」

 

「何言ってんの。それこそダメだよ。どっちかが死んでどっちかが助かるなら、そうしなきゃ。もしその時が来たら、あたし、遠慮なく美咲を沈めるからね」

 

「そんなぁ。それはヒドイです、先輩。そりゃあ、あたし、先輩の為なら命を投げ出す覚悟ですけど」

 

「フフ。ありがと」

 

「先輩?」

 

「うん?」

 

「あたし、若葉先輩と出会えて、本当に、良かったと思ってますから」美咲が、あたしの胸に顔をうずめた。

 

「あたしも、あなたに出会えてよかったわ」

 

 あたしは、美咲の身体を抱きしめた。

 

 沈みゆく船の中にいるのに、こうしていると、何故だろう? 心が落ち着く。何も怖くない。船が沈むのも、建物の崩壊に巻き込まれるのも、命を落とすのも。

 

 今、あたしが怖いのは、あなたと離れてしまうことだ。

 

 あたしはあなたを離さない。決して。

 

 だから。

 

 あたしは、美咲の身体を、強く、強く、抱きしめた。

 

 バラバラという音とともに、潮の香りを含んだ夜風が吹き渡る。あたしの頬を、身体を、包み込む。夜明け前の冷たい風は、激しい戦いで火照ったあたしたちの身体を、心地よく冷ましてくれる。

 

 風がまた、吹き渡った。あたしの髪が、美咲の髪が、振り乱れる。バラバラと音が鳴る。

 

 …………。

 

 ちょっと、風、強くないか?

 

 そりゃあ、太平洋のど真ん中だ。遮るものなんてないから、風が強いのは当たり前だけど、せっかくいい雰囲気なんだから、ちょっとは遠慮しろよな。それに、あのバラバラという音は何だ? まだ夜明け前だぞ? 時間を考えろ。

 

 と、あたしが顔を上げると。

 

 …………!?

 

 頭上に、小型のヘリコプターが飛んでいた!

 

 この風と、バラバラという音は、あのヘリコプターだったんだ!!

 

 ヘリの操縦席から顔を出したのは、なんと、エリだった。「若葉さん? そんなところで、何やってるんですか? ラブラブしている所申し訳ないんですけど、早く脱出しないと、その船、沈みますよ?」

 

 エリの声に美咲も顔を上げる。そして、ぱっと、表情が明るくなった。

 

 そうか。瑞姫の用意した脱出手段って、ヘリだったんだ。だから屋上に逃げたんだな。

 

「脱出する方法が無いんだったら、乗って行きますか?」エリは、操縦席から縄梯子を投げた。「瑞姫さんもいますから、座るところ、もう無いんで、それに掴まってください」

 

「ありがとう! エリ!! ホントに助かる!!」あたしは目の前に落ちてきた縄梯子を掴んだ。「でも、エリってヘリの操縦ができるんだ? いつ免許取ったの?」

 

「免許? そんなの、持ってるわけないじゃないですか?」平然とした顔で言う。

 

 は? 免許を持っていない?

 

 ヘリコプターって、免許を持たずに運転していいのか? 絶対ダメだろう。緊急事態ならしょうがないとはいえ、車や船とはわけが違うぞ?

 

「大丈夫ですよ。ちゃんと、マニュアル読みましたから」ニッコリと笑うエリ。

 

 ……ヘリって、マニュアル読んで操縦できるものなのだろうか? それ以前に、ヘリにマニュアルなんてあるのか? 美咲と顔を見合わせる。美咲も不安を隠せない。

 

「……まあ、アロムが初めてガダンムに乗った時もマニュアル読んで操縦してたし、大丈夫じゃないかな?」なんの根拠にもならないことを言ってみるあたし。

 

「昭和のことはよく分かりませんけど、エリ先輩がスーパーコーディネーターだって言うのなら、分かる気はします」

 

 イマイチ美咲と話がかみ合わないけど、まあいい。どの道脱出手段は他にない。エリがニュータイプであることを祈ろう。

 

 あたしは縄梯子を掴み、美咲を先に上らせ、その後に続いた。縄梯子を上るのは意外と難しいけれど、何とかしがみつく。

 

「じゃあ、行きますよ! しっかり掴まっててくださいね!!」

 

 エリの声とともに。

 

 ヘリは、ゆっくりと、船から離れて行った。

 

 そして、そのわずか数分後。

 

 船に立つビルが、真ん中から、轟音を響き渡らせ、崩れ落ちて行った――。

 

 まさに、危機一髪だった。あと少しでも脱出が遅れたら、あたしたちは瓦礫の中に消えていただろう。

 

 あたしは、今、命があることに心から感謝し。

 

 崩れゆく船を、じっと、見つめた――。

 

 

 

 

 

 

「ところで、若葉さんって、泳げますか?」

 

 しばらくヘリで飛んだところで、操縦席のエリが言った。

 

「へ? 何? 急に? まあ、人並みには泳げるけど?」縄梯子に掴まった状態で、あたしは答えた。

 

「美咲はどう? 泳げる?」エリは美咲にも同じことを訊く。

 

「うーん。ちょっとこの腕じゃ、泳げないかもしれないです」骨折した左腕を見せる美咲。

 

「そう。実は、あたしも泳げないんです。と、いうことで、若葉さん、お願いしますね」

 

 お願い? さっきからエリは何を言ってるんだ?

 

 エリは続ける。「このヘリ、さっきからずっと下降してるんです。上昇させようとしてるんですけど、全然言うこと聞いてくれなくて。マニュアルには一人乗りって書いてあったから、たぶん、それが原因だと思うんですけど」

 

 …………。

 

 いや、たぶんじゃなくて、どう考えてもそれが原因だろ! いくらあたしたちがアイドルで標準体重より軽いとはいえ、さすがに四人は乗り過ぎだろ!

 

 下を見ると、海面がどんどん近づいてきている。ホントに下降している。このままでは墜落だ。

 

「着陸方法とか、よく分からないんで、このまま落ちますね。若葉さんの、仲間は絶対見捨てない、って言葉、信じてますから!」

 

 その、エリの言葉を最後に。

 

 ざぶーん、と、ヘリは海の上に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 

 

 

 どうなったんだ? 目を開ける。ぼやけてよく見えない。息を吸い込もうとしたが、できなかった。苦しい。どうやら、海の中のようだ。マズイ。死ぬ。パニックになりそうな心を、何とか落ち着かせる。そう。こういう時こそ、冷静な判断力が必要だ。大丈夫。まだ海に落ちたばかりだ。息はまだ持つ。冷静丁寧正確に対応すれば、きっと助かるはずだ。まずは、上下の確認だ。海に放り出されパニックになると、どっちが上でどっちが下なのかも分からなくなる。海面に出ようともがいて海の底に向かって行く、なんてことは、笑い話ではなく、本当に起こりうることなのだ。素早く周りを確認する。頭の上にヘリが見えた。すぐに沈んだりするものじゃないから、あっちが海面だろう。よし。上下は把握した。次は、泳げない娘を助けないと。さらに見回すと、すぐそばに、瑞姫の姿が見えた。いまだシャイニング・ウィザードのダメージから回復していないらしく、気を失い、動かない。まずはあの娘から助けないと。あたしは海水をかき分け、瑞姫のそばまで泳いだ。腕を肩に回す。よし。これでひとまず上昇だ。足をバタつかせ、海面を目指す。

 

 しかし。

 

 その足を、何者かが掴んだ。

 

 そして、海の底に引きずり込もうとするかのように、強い力で引っ張る。なんだ!? 漁師を海の底に引きずり込むという妖怪海河童か!?

 

 見ると、エリが両足にしがみついていた。泳げないというのは本当らしい。あたしにすがりつく。それは仕方ないけど、足を掴んだら上にあがれないだろ! 放せ! 足をバタバタしてみるが、エリはぎゅっとつかんで放さない。仕方ない。なんとか片腕だけでやってみよう。あたしは左腕に瑞姫、両足にエリという枷をつけ、右腕で海水をかき分け、何とか上昇を試みる。お? 意外といけるぞ。よし。もうすぐ海面だ。助かった!

 

 と、思ったところに。

 

 また、妖怪海河童……ではなく、今度は美咲が、あたしの腕にしがみついてきた。こら! やめんか! 両手両足の自由を奪われて、どうやって上にあがるんだよ! せっかく海面が目の前なのに、また沈み始める。息もそろそろ持たない。なんとか上にあがろうともがくけれど、あたしの自由を奪う手枷足枷共が邪魔をし、どんどん沈んでいく。マズイ。これは本格的にマズイ。こんな最後の最後で、まさか信じていた仲間に裏切られて命を失うことになろうとは。いや、諦めるのはまだ早い。道はまだある。そう。あたしの生への道を邪魔するこいつらを見捨てればいい。簡単なことだ。

 

 ……と、最後の最後でとうとう「仲間は絶対に見捨てない」というポリシーを曲げそうになった時。

 

 救いの神が、舞い降りた。

 

 ざぶん、と、華麗に海に飛び込んだ、水着姿のツインテールの少女。その姿は、まるで伝説の人魚姫のよう。あたしの身体を抱くと、瑞姫と、エリと、美咲の四人同時に、一気に上昇した。

 

 海面に顔を出す。全員一斉に、大きく息を吸い込んだ。ああ! 燈ちゃん!! あなたがヴァルキリーズにいてくれて、ホントに良かったよ!

 

「おーい! こっちこっち!」

 

 遠くで呼ぶ声がする。あの声は……由香里だ!! 声のした方を見ると、海面に浮かぶ小さな明かりが、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。救命ボートだ! やった! 今度こそ助かった!!

 

 泳げない三人は全て燈に任せ、あたしたちはボートに向かって泳いだ。しかし、燈はあのノートンとの戦いで右足をケガしたはずなのに、よく三人も抱えて泳げるな。訊いてみると、「たとえ両手両足を切断されて海に放り込まれても泳げるように、普段から修行している」という答えが返ってきた。どういう想定の修行だよ、それ。てか、どうやってそんな修行するんだよ。謎だ。燈、恐るべし。

 

 やがてあたしたちは、由香里たちの手で救命ボートに引き上げられた。

 

 ボートには、由香里も、深雪も、亜夕美も、遥も、睦美も、みんな、誰ひとり欠けることなく、そこにいた。

 

 そして、このボートの後ろに、ロープで繋がれ、もう一台のボートがある。祭たち、先に脱出したメンバーだ。こちらも、誰ひとり欠けることはない。

 

 あたしは、由香里と抱き合う。エリは、燈と抱き合う。美咲は、遥や亜夕美たちに頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。祭たちも、手を叩いて喜んでくれる。

 

 

 

 

 

 

 船が、大きな爆発を起こした。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、沈んでいく。

 

 あたしは、沈みゆく船を見つめ。

 

 そして――。

 

 この海に出て、初めて。

 

 泣いた。

 

 脱出できたメンバーは、みんな無事だ。予断を許さない大きなケガをしている娘もいるけれど、とりあえずは、無事に脱出できた。

 

 その一方で。

 

 救えなかった命も、ある。

 

 アイドル・ヴァルキリーズのメンバーが。かけがえのない仲間が。

 

 あの船の中に、残っている。

 

 十二人もの尊い命が、失われた。

 

 そして。

 

 それ以上に多くの命が、失われた。

 

 乗客、乗務員。すべて合わせれば、五千人近い数の命が。

 

 今、目の前で沈んでいく。

 

 なぜ、こんなことになったのか。もう、分からない。あたしたちがあの船に乗らなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。そう思うと、悔しくて、申し訳なくて。

 

 あたしは、声を上げて、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 やがて、陽が上る。

 

 その朝日の眩しさに、美しさに、心奪われ。

 

 

 

 

 

 

 あたしたちはずっと、泣き続けた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 それから一〇時間後。

 

 付近を航行中のハワイの湾岸警備隊の巡視船に発見されたあたしたちは、無事、救助された――。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

Day 7 生存者

 

 

 

生存者

 

 

 

 神崎深雪(重傷)

 

 藍沢エリ(重傷)

 

 遠野若葉(軽傷)

 

 桜美咲(重傷)

 

 白川睦美(軽傷)

 

 沢井祭

 

 前園カスミ

 

 降矢可南子(重傷)

 

 橘由香里

 

 夏川千恵

 

 滝沢絵美

 

 倉田優樹

 

 宮野奈津美

 

 秋庭薫

 

 浅倉綾

 

 神野環

 

 本郷亜夕美(重傷)

 

 水野七海(軽傷)

 

 栗原麻紀(軽傷)

 

 朝比奈真理(軽傷)

 

 雨宮朱実(重傷)

 

 黒川麻央(重傷)

 

 一ノ瀬燈(軽傷)

 

 篠崎遥

 

 林田亜紀

 

 沢田美樹

 

 上原恵利子

 

 佐々本美優

 

 西門葵

 

 鈴原玲子

 

 藤村椿

 

 山岸香美

 

 森野舞(重傷)

 

 緋山瑞姫(重傷)

 

 早海愛子(重傷)

 

 並木ちはる(軽傷)

 

 

 

死亡・ゾンビ化

 

 

 

 宮本理香

 

 高杉夏樹

 

 本田由紀江

 

 根岸香奈

 

 桜井ちひろ

 

 藤沢菜央

 

 大町ゆき

 

 小橋真穂

 

 白石さゆり

 

 村山千穂

 

 高倉直子

 

 

 

不明

 

 

 

 吉岡紗代

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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