ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
「では、決着をつけましょうか?」
逃亡を図る瑞姫の前に、ついに姿を現した真の黒幕――ではなく、武術もできる白衣の天使・藍沢エリは、不敵な笑みを浮かべると、瑞姫に向けて竹刀を構えた。
「ふん。あたしは別に、あんたと決着をつけるようなことは無いけど?」わずかにあごを上げる瑞姫。「まさかあんた、まだあのスパイダー・マスターマインドの対戦のこと、根に持ってんじゃないでしょうね?」
「もちろん、根に持ってますよ?」ニッコリと笑うエリ。「あんな屈辱を受けたのは、人生で初めてでしたから」
瑞姫は大きくため息をついた。「やれやれ。こんなめんどくさい娘に付きまとわれるくらいなら、あんな大会、出るんじゃなかったよ。まあいいわ。特別に相手をしてあげるよ。でも、これっきりにしてよね」
そう言うと、瑞姫は金属の棒を取り出した。長さが二〇センチくらいだけど、大きく振ると、倍の長さに伸びた。伸縮式の特殊警棒だ。以前、あたしや亜夕美を襲った森野舞も使っていたけれど、それとは少し形が違う。グリップ部分が不自然に太く、トリガーのようなものが付いている。
瑞姫が、そのトリガーを引く。すると、バチバチ! と、電流が流れる音がして、特殊警棒は、わずかに青みがかった光を放った。まさか、スタンガン付きの警棒か!?
「改造して、通常よりも出力を上げてあるから、気を付けてね」挑発するように笑う瑞姫。
「それは、ご忠告どうも」エリは、いつものおすまし顔で言った。
瑞姫は、ふん、と、鼻を鳴らすと、腰を落とし、特殊警棒を構えた。
エリは、竹刀の先を振りながら、瑞姫との間合いを計る。
エリ、大丈夫だろうか? エリはヴァルキリーズで義務付けられた週二回の剣道の稽古に積極的に参加はしているものの、深雪や由香里と違い、段位は取得していない。あんなスタンガン付きの特殊警棒を相手に、どう戦うつもりなのだろうか。
冷たい潮風が駆け抜けた。
先に動いたのは瑞姫だった。特殊警棒を振り上げ、エリに襲い掛かる。大振りで、決して早くはない一撃だけど、ヘタに受けるのは危険だ。少しでも体に触れた瞬間、電流が身体を駆け抜けるだろう。それも、あの瑞姫が改造したスタンガンだ。もしかしたらそれだけで死んでしまうかもしれない。
エリは身を引き、瑞姫の攻撃をかわした。一度は空を切った警棒は、すぐに動きを変えてエリに襲い掛かった。再び身を引くエリ。瑞姫は警棒を振り回し、容赦なくエリに襲い掛かる。エリは後退するしかない。
「どうしたの? エリちゃん? まさか怖気づいちゃった? 逃げてばかりじゃ勝てないよ?」瑞姫が挑発する。
いや――。
エリは、決して逃げているわけじゃない。
瑞姫の挑発に応じず、エリは、落ち着いた目で、瑞姫の攻撃をかわしている。隙を窺っている。
やがて。
瑞姫の振り回す警棒が、目に見えて遅くなった。息が上がっている。瑞姫のクラスはウィザードだ。シスターとソーサラーの混成クラス。武術は義務付けられていないから、こういう戦いには慣れてないだろう。
対するエリは、無駄のない動きで瑞姫の攻撃をかわしていて、息一つ乱れていない。勝負はもう、決まったも同然だった。
何度目の攻撃か。瑞姫が振り下ろした警棒は、虚しく空を切った。もはや、ハエが止まりそうなほどの遅さだ。
その瞬間。
エリが一気に踏み込んだ。振り下ろした竹刀が、正確に瑞姫の右手を捉えた。鋭い小手だ。瑞姫の顔が歪む。特殊警棒を落とした。乾いた金属音を響かせ、コンクリートの床を転がる。瑞姫が慌てて拾おうとするけれど、一瞬早く、エリが警棒を蹴った。警棒は勢いよく転がり、下のフロアに落ちる。それを呆然と見つめる瑞姫。完全に隙だらけだ。そこへ――。
「やあぁ!!」
気合とともに、エリが面を打ち込んだ!
ばしん! と、奇麗な音が鳴り響く。
エリの戦う意思、エリの竹刀の動き、エリの身体の動き――全てが、完璧だった。
気・剣・体。
全てが一致し、剣道は、初めて一本となる。
エリのその一撃は、まぎれも無く、一本だった。
瑞姫が崩れ落ちる。
その姿を、竹刀を構えたまま見つめるエリ。残心も、一本には必要な要素だ。
エリは、倒れた瑞姫の姿をしばらく見つめ。
「よしっ!」
拳を握って、思いっきり、ガッツポーズをした。
……あーあ。やっちまったよ。一本取り消しだ。
剣道において、ガッツポーズは厳禁なのである。対戦相手に対する礼に欠けるとされ、一本が取り消されるのだ。
エリは左手を腰に当て、竹刀で自分の肩をトントンとたたきながら、倒れた瑞姫を見下ろす。「あたし、一応シルバーナイトなんで、ウィザードの瑞姫さんに、戦って負けるなんてありえませんよ」
完全に相手を見下した態度のエリ。まあ、あの娘が瑞姫に礼を尽くすなんてありえないか。別に試合じゃないからいいんだけどね。
瑞姫が、頭を押さえて、ゆっくりと体を起こした。憎々しげな表情でエリを睨む。
エリは涼しい顔でその視線を受ける。
「まだやる気ですか? もう勝負はついてると思いますけど?」挑発するような口調。「それとも、まだ何か武器がありますか? どんな武器を持ってたって、無駄だと思いますよ? そもそもウィザードなのに、肉弾戦を挑むのが間違いですよ。ウィザードならウィザードらしく、魔法でも使ってください」
エリの挑発に、瑞姫は。
「フ……フフ……フフフフ……」
不気味に、笑い始めた。
「あらら。頭叩いたから、おかしくなっちゃいましたか?」口元を手で押さえるエリ。
「大丈夫だよ。そんなヤワな頭してないから」瑞姫は立ち上がり、エリを睨んだ。「あんたの言う通りだよ。あたしはウィザード。最初から魔法を使うべきだった」
エリの顔から笑みが消える。魔法? 瑞姫、何をする気だ。
「一つしかないから、あんまり使いたくなかったけどね。ま、いいや。また作ればいい。作り方は頭の中に入ってる」
そう言って。
瑞姫は、何か取り出した。
細長い、プラスチックの容器だった。注射器のように見える。
先端のキャップを外し、針がむき出しになった。
それを。
瑞姫は、自分の太ももに刺した。
中に入っている液体を、体の中に注入する。
あ……あれって……ノートンを作るためのウィルスだって、言ってなかったっけ?
瑞姫が、あの、筋肉の化物になるのか? 燈ですら倒すのに苦労した、あの、ノートンになってしまうのか?
「安心しな。これは、スコーピオンのウィルスとは、ちょっと違うから」瑞姫が言う。「スコーピオンのものより、かなりウィルスの活動力を弱めてある。効果はすぐに現れるけど、長続きはしない。一時間もすれば元に戻れる。スコーピオンほどの化物にもなれない。せいぜい、筋力が二倍になるくらいさ」
筋力が二倍? ドーピングみたいなものか?
「まあ、二倍もあれば、あんたなんか十分だろ!?」
瑞姫が地面を蹴った。拳を振り上げ、エリに襲い掛かる。そのスピードは、さっきとはまるで違っていた。鋭いパンチだ。エリは竹刀で受け止めるけれど、強烈な一撃に、ガードを崩された。ガラ空きになったお腹に、瑞姫の反対の拳が食い込んだ。エリの身体がくの字に折れ曲がる。膝をついて倒れたところに、今度は右の回し蹴りが飛んできた。咄嗟に竹刀で受け止めるけれど、やはり、ガードしきれない。エリの身体は、大きく吹き飛ばされた。すぐに立ち上がり、竹刀を構える。その顔からは、さっきまでの余裕は完全に消えていた。
「ははは。いい顔するじゃないか。そそるよ」今度は瑞姫が挑発する。「どうする? 別に逃げてもいいよ? あたしはあんたになんか興味ないから」
エリは、その言葉を無視し、瑞姫に向かって踏み込んだ。気合とともに面を狙う。鋭い一撃だった。完璧に決まったと思った。しかし、瑞姫の右手が信じられないスピードで動き、竹刀を掴んだ。そのまま引っ張る。体勢が崩れるエリ。その顔に、瑞姫の左拳が炸裂した。大きくのけ反り、竹刀を手放してしまうエリ。瑞姫は竹刀を投げ捨てると、さらにもう一発、エリの顔面に拳を打ちこんだ。吹っ飛び、倒れるエリ。完全に形勢が逆転していた。それでも立ち上がろうとするエリのお腹を、瑞姫が蹴り上げた。エリは身体を丸めて激しくせき込み、赤黒い血を吐き出した。
「ざまあないね、エリ」うずくまるエリを見下ろす瑞姫。「まあ、ここで待ち伏せしてたのがあんたで良かったよ。いくらウィルスを注射したとはいえ、他のヤツだったら、勝てなかったかもしれないからね」
確かに、それはそうかもしれない。
注射をしてから劇的に強くなった瑞姫だけど、そのパンチは、決して早い方ではなく、威力もノートンとは程遠い。燈はもちろん、亜夕美や美咲、もしかしたらあたしでも勝てるかもしれないくらいだ。
でも、エリは本格的な武術を習っているわけではない。剣道も段位は取っていない。シルバーナイトのクラスに属しているとはいえ、やはり、エリの武器は看護資格なのだ。今の瑞姫を相手に戦うのは無理だ。まして、竹刀を失ってしまったとなると……。
それでもエリは、立ち上がろうとする。
「まったく……往生際が悪いねぇ!!」瑞姫は、またエリのお腹を蹴り上げた。エリの身体は大きく吹っ飛ぶ。
ダメだ。このままじゃ、エリが危ない。なんとか向こう側に助けに行けないだろうか? 橋は壊れていて渡れない。飛ぶのもムリだ。一度下に降りれば行けそうだけど、それだと時間が掛かり過ぎる。くそ! せめて、エリが武器を持っていれば……。
そうだ、あたしの木刀!
「エリ! これを!」
あたしは、エリに向かって木刀を投げた。
片膝をついた状態ながらも起き上がったエリは、うまく木刀をキャッチする。
その背後に、瑞姫が立った。
振り向きざまに、木刀を横薙ぎに振るう。
木刀は、瑞姫の右ひざを捉えた。
しかし、その瞬間。
木刀は、真ん中から真っ二つに折れてしまった。
しまった。この一週間、ゾンビ相手にかなり酷使してきたから、もう限界だったのかも。
再び武器を失ったエリの顔面を、瑞姫の拳が襲う。吹き飛ぶエリ。今度こそダメか……そう思ったけれど。
倒れたエリは、間髪を入れず、すぐに起き上がった。
そして瑞姫を睨みつけ。
言葉にならない雄叫びを上げた。
相手を威嚇する――というよりは、自分自身に気合を入れる。そんな雄叫びだ。普段のエリからは考えられないような姿だった。
「どうしたの、急に?」笑う瑞姫。「普段のお嬢様キャラはどうしたの? まるで女子プロレスラーみたいだよ? ま、あんたにはその方が似合ってるけどね」
「そうですね。あたしもそう思いますよ」エリも笑う。「あたし、意外とこういうの、キライじゃないのかもしれません」
「へぇ。あんたマゾだったんだ。意外だね。じゃあ、遠慮なく殴ってやるよ!」
拳を振り上げる瑞姫。
エリは、腰を落として構え。
振り下ろされた拳を、顔面で受け止める。数歩後退するエリ。しかし、倒れない。鋭い眼光で瑞姫を睨む。「どうしました? 最初の頃より、パンチの威力が落ちてますよ?」
「なんだって?」瑞姫の表情から笑みが消える。
「ひょっとして疲れました? 薬で筋力が二倍になっても、体力は二倍にはならないみたいですね。いい歳なんですから、無理しない方がいいですよ?」瑞姫を挑発する。
確かに、瑞姫の息はかなり乱れていた。肩を大きく揺らし、苦しそうな表情だ。パンチの威力が落ちているというのも間違いないだろう。いい歳というのは余計だけれど、エリの言う通りだ。
「はん。言うじゃないか。でもね……」瑞姫が、おもむろに近づいた。「今のあんたを倒すくらい、わけないんだよ!」
右の拳を打ちおろす瑞姫。
エリは逃げず、顔面で受け止める。倒れない。鋭い眼光を返す。「あたしを倒す? そんなヤワな攻撃で、あたしが倒れると思いますか?」
「だったら、倒れるまで殴ってやるよ!」
左の拳を打ちだす。エリはかわさない。やはり真正面から受け止める。そして、倒れない。「それで終わりですか? 全然効かないんですよ! もっと来てくださいよ!」
右の拳を振るう瑞姫。受け止めるエリ。
左の拳を振るう瑞姫。倒れないエリ。
右、左、右、左……と、交互に拳を打ちだす瑞姫。それをすべて受け、倒れず、エリは瑞姫を睨み続ける。ダメージは確実に蓄積しているはずだ。それでもエリの目は鋭い。心は折れない。
「効かねぇって言ってんだよ!! もっと来いやコラァ!!」
吼える。
その気迫に。
瑞姫の拳が止まった。
誰がどう見ても、瑞姫の方が優勢だ。瑞姫は息こそ乱れているものの、肉体的なダメージはほとんどない。対するエリは、殴られ続け、もうボロボロだ。
それでも、エリは倒れない。どうすれば倒れるのか、瑞姫にも分からない。だから、攻撃をためらう。
「来ないんだったら、こっちから行くぞぉ!!」
エリが大きく振りかぶった。右の拳を放つ。だけど、エリに殴り合いのケンカの経験なんかないだろう。パンチと呼ぶにはあまりにも軽い一撃だった。なんとか瑞姫の頬を捉えたもの、全く効いていない。瑞姫は忌々しげにエリの拳を払うと、再びエリの頬に右パンチを放つ。エリは一瞬ふらつき、倒れそうになる。が、やはり倒れない。なんとか踏みとどまると、勢いをつけ、プロレスの水平チョップのような恰好で、右の手刀を瑞姫の胸に打ち込んだ。パシン! と奇麗な音が鳴る。だが筋力二倍の瑞姫には効いていない。今度は瑞姫が水平チョップを打った。重い一撃に、エリはよろよろと後退するが、また耐えた。そして勢いをつけ、今度は瑞姫の前で軽くジャンプし、右の肘を斜めから振り下ろした。ジャンピングエルボーのような恰好。瑞姫の左の鎖骨付近にヒットする。体重をかけた攻撃は、ついに瑞姫の体勢を崩した。数歩後退する瑞姫。だが踏みとどまり、倒れない。再び拳を打ち出す。受け止め、耐え、反撃するエリ。
……なんか、プロレスの打ち合いみたいになって来たな。
「エリせんぱーい!! がんばってくださーい!!」大声でエールを贈る美咲。そんな場合じゃないのだけど、実はあたしも、さっきから胸が高鳴るのを抑えられないでいる。興奮してきている自分がいる。
だから。
「やっちまえぇ!! エリ!!」
手すりから身を乗り出し、拳を振り上げ、あたしも声援を贈った。
「オラァ!!」すでに完全にお嬢様キャラが崩壊しているエリは、普段からは想像もできないような野蛮な言葉遣いで、左のローキックを、瑞姫の右ひざに打ち込んだ。瑞姫の表情が苦痛に歪む。いいぞ、イケる!
「ヤロウ!!」瑞姫のインテリキャラも崩壊している。右足のミドルキックを、エリの胸に叩き込んだ。強烈な一撃に、さすがのエリも怯んだ。瑞姫はここぞとばかりに攻める。さらに一発、ミドルキックを叩き込んだ。エリは倒れないけれど、完全に反撃は止まった。二発、三発、と、次々と瑞姫のミドルキックが炸裂する。ダメだ。もはやこれまでか……?
そう思った時。
六発目のミドルキックを、エリは両手でつかんだ。
予想外の行動に、瑞姫の顔に戸惑いが浮かぶ。
エリは、瑞姫の足首を左脇に挟み。
右腕を、瑞姫の膝を下から突き上げ。
そのまま瑞姫の足を体に巻き込むような恰好でくるっと回転しながら倒れ、瑞姫を投げた!
大きく弧を描いて飛び、硬いコンクリートの地面に背中を叩きつけられる瑞姫。
渾身の反撃に、あたしと美咲は拳を振り上げて歓声を上げる。
……って、今の、ドラゴン・スクリューじゃないのか?
ふと、冷静になるあたし。
ドラゴン・スクリューとは、ドラゴンと呼ばれた名プロレスラー・藤浪辰爾の考案した技だ。投げ技のように見えるけど、足首と膝を巻き込んで投げるため、どちらかと言えば関節を痛めつける技である。見た目も派手で、完全なプロレス技だ。しかし、エリはプロレスには興味がないと言ってなかっただろうか? なんでドラゴン・スクリューを知ってるんだ?
……まあ、ドラゴン・スクリューはかなりポピュラーな技だ。藤浪以外にもいろんなレスラーが使っていて、プロレス好きのお笑い芸人も、よくバラエティ番組で披露している。それをマネしたのかもしれない。
エリが立ち上がる。瑞姫も立ち上がった。両者ほぼ同時に動いたけれど、わずかに瑞姫の方が早かった。瑞姫の右拳がエリにヒットする。ふらつくエリ。瑞姫はそのまま左、右、と、再びラッシュを浴びせかける。一方的に攻められるエリ。
しかし、エリは瑞姫の拳を身を屈めてかわすと、一瞬の隙を突き、瑞姫の右足を取った。
そして再び、ドラゴン・スクリューで瑞姫を投げた!
大きく弧を描き、瑞姫はまた地面に叩きつけられる。
今度はエリが素早く立ち上がった。ダウンしている瑞姫の左足を取る。そのままくるっと回転し、自分の右足に、瑞姫の左足を巻きつける。
……ちょっと待て! それってもしや、4の字固めか!? 説明不要のプロレス技の代表だ!!
だが瑞姫は、ロックされる前に右足でエリの胸を蹴った。大きく後方に飛ばされ、尻餅をついて倒れるエリ。
「てめぇ! ぶっ殺してやる!!」今度は瑞姫が先に立ちあがった。
しかし、一歩踏み出したところで、跪いて崩れ落ちた。右ひざを抱え、苦しんでいる。効いてる。右ひざへの木刀の攻撃から、ローキック、そして、今のドラゴン・スクリュー二連発が効いてるんだ! これはチャンスだぞ!!
エリが立ち上がった。
右ひざを立て、跪いている瑞姫。
エリは、どう攻めるんだ?
その時、あたしはふと。
この船に乗って二日目、ゾンビ騒動が起こったあの日、エリがゾンビ相手に、ケンカキックやトラースキックといったプロレスの蹴り技を披露していたのを思い出した。
ケンカキックと言えば長野正洋、トラースキックと言えば橋下真也。
この二人の名前が出れば、当然思い浮かぶのは――。
武東敬司。『ジーニアス』『ナチュラル・ボーン・マスター』『プロレスの申し子』などと呼ばれ、日本はもちろん、アメリカマット界でも大活躍。長野、橋下と三人で、かつて“闘魂三銃士”と呼ばれた天才プロレスラーだ。
――そう言えば。
ドラゴン・スクリューからの4の字固めは、武東の得意戦法だ。まさかエリは、それをマネしたのか?
……いやいや。エリはプロレスには興味がないと言ってたんだ。ドラゴン・スクリューも4の字固めも、有名すぎる技だ。プロレスに興味がない人が知っていても、全然不思議じゃない。あの日のケンカキックやトラースキックも、思いつきでやったと言っていた。
でも、もしエリが、実はプロレスに詳しかったとしたら――。
右ひざを立てて立ち上がれない瑞姫。少し離れたところに立っているエリ。これは、あの技を出すチャンスだぞ!?
エリは、空に向かって気合の叫び声をあげると。
瑞姫に向かって、走った。
瑞姫は立ち上がれない。
まさかエリ、アレをやるのか? 本当にやるのか!? おい!?
エリは、瑞姫の右ひざに左足を乗せ、踏み台にして駆けあがると――。
瑞姫の顔面に、右ひざを叩き込んだ!!
出たぁ!! シャイニング・ウィザード!! 武東敬司の超ド危険必殺技だ!! 危険すぎて、お笑い芸人もマネしないぞ!? まして、絶対に思いつきなんかで出せる技じゃないぞ!? あいつ、絶対プロレス好きだろ!?
エリの強烈なシャイニング・ウィザードを喰らった瑞姫は、大きくのけ反り。
ゆっくりと、後方に倒れた。
そのそばに、スタっ、っと、エリが軽やかに着地する。瑞姫を見下ろす。
瑞姫は首を上げ、起き上がろうとするけれど。
もはや、力は残っていなかった。がくんと首をうなだれ、意識を失った。
美咲が「やったああぁぁ!!」と、右手を上げてぴょんぴょんと跳ね回る。
エリは、親指に中指と薬指をつけ、人差指と小指を立てる、影絵で言うキツネの形を両手に作り、それにキスをすると。
「イイイイイイィィィヤアアアアアァァァ!!」
その手のまま両手を広げ、空に向かって、勝利の雄叫びを上げた。
「……なんですか、アレ?」きょとんとした表情の美咲。あたしは、フフッ、と、ほくそ笑む。
あれは、武東敬司が勝利の時にやるポーズだ。いや、武東だけでなく、他のプロレスラーや、プロレス好きの人たちもよく使っている。その意味は――“プロレスLOVE”。
あたしも右手で影絵のキツネを作り(本当はオオカミを意味する形だけど)、エリに向かって突き上げた。訳が分からず戸惑っていた美咲も、マネして右手でキツネを作り突き上げる。
しばらく空を見上げ、勝利の余韻に浸っていたエリ。
しかし、はっと我に返り。
あたしたちの方を見ると、気まずそうに、両手を後ろに隠した。コホン、と咳払いをし、Vサインにして出す。しかし、もう遅い。エリのプロレス好きは確定した。
「ナイスファイト! エリ! かなり打たれてたけど、大丈夫?」
「ええ、全然平気です」おすまし顔に戻るエリ。「まあ、こんなぼこぼこの顔にされて、しばらくファンのみんなの前に顔は出せませんけどね」笑った。もう、いつものお嬢様キャラだ。
「そう。良かった」あたしも笑顔を返す。
船が、また大きく揺れた。さらに傾いている。勝利の余韻に浸っている場合ではなさそうだ。早く戻って、脱出しないといけない。
しかし、あたしたちのいる建物とエリのいる建物を繋ぐ橋は崩壊している。エリはこちらに来ることはできない。
「エリ、そっちはどうなってるの? 脱出できそう?」訊いてみる。
「はい。この向こうに、瑞姫さんの用意した脱出方法があるので、それを使います」
「そう。なら良かった。じゃあ、あたしたちは向こうから脱出するよ。あ、エリ。瑞姫のことだけど――」
「分かってますよ」そう言って、エリは気絶している瑞姫を背負った。「仲間は絶対に見捨てない、ですよね? 瑞姫さんも、一緒に脱出しますから、安心してください」
「ありがとう、エリ。じゃあ、あたしたちは行くよ。気を付けてね。後で、必ず会おうね」
「はい。若葉さんも、美咲も、気を付けて」
エリはあたしたちに背を向けると、後ろの建物の階段を上り始めた。
よし、あたしたちも、早く脱出しよう。長かったこの船の旅も、これで終わる。
「あーあ。なんかあたしたち、最後の方、全然見せ場が無かったですね」美咲が残念そうに言った。
「は? 見せ場?」
「はい。あたしはあのタンクに一発KOされちゃいましたし、若葉さんも走り回ってただけで、結局何もできませんでしたし、おいしいところはみんな、エリ先輩や燈先輩や遥ちゃんに取られちゃいました」
「悪かったわね、走り回ってただけで。でも、それでいいんだよ。これからのヴァルキリーズは、あたしみたいな古株じゃなくて、エリたち若い世代が、担っていくんだから」
「だったら、あたしが活躍してないの、マズイじゃないですか!!」
「あはは、そうだね。美咲、来年のランキング、かなり順位落とすんじゃない?」
「あわわ。それはイヤです。ちょっと待っててください。あたし、今から下にいるゾンビ、全部やっつけてきます」
「そう? じゃあ、頑張ってね。あたしは先に脱出してるから」背を向け、そのまま進む。
「あーん、若葉先輩、待ってくださいよぉ。あたしにも見せ場をくださぁい」泣きながら追いかけてくる美咲。あたしはクスクスと笑いながら歩く。
……なんて、冗談を言ってる場合じゃないんだよな。ホントに急がないと。
来た道を戻り、最初の建物につながる橋から下を見ると、自分が今、どれだけ危険な状況にいるのか、イヤでも思い知る。
橋の下は、さっきの揺れで崩れ落ち、大きな穴が開いている。穴の底は見えない。恐らく、五階まで崩れ落ちているだろう。このまま船が傾き続ければ、船が沈むよりも早く、建物が崩れ落ちることも考えられる。
「美咲、行くよ」
気を引き締め、駆け出そうとした。
と、その時。
あたしの身体が、がくん、と、大きく沈んだ。
――え? 何?
そう思った時には。
あたしの身体は、宙に浮いていた。
はぁ? 宙に浮いている? そんなバカな。
でも、足元を見ると、何も無かった。深い、とてつもなく深い、まるでブラックホールのような大きな穴しかなかった。
「先輩?」美咲が不思議そうな顔で見ている。その美咲が、遠ざかって行く。
あれ? あたし、ひょっとして、落ちてる?
そう気づいた瞬間、一瞬で状況を理解する。
橋が、半分だけ崩壊したんだ。
向こう側の建物が、ゆっくりと、崩れていくのが見えた。穴の中に吸い込まれていくのが見えた。
すべては、一瞬の出来事のはずだけど、あたしには、スローモーションの映像のように見えた。
美咲が遠ざかる。空が遠ざかる。全てが、遠ざかる。
もしかして、これで終わり?
このまま落ちれば、当然、助かるはずがない。
ゾンビを倒し、ノートンも倒し、瑞姫も倒した。後は脱出するだけなのに、こんなところで終わりなの?
落ちる。落ち続ける。重力には逆らえない。
あたしは、ゆっくりと――。
暗黒の穴の中に飲み込まれるように、落ちて行った――。