ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

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Day 6 #10

 警察署を脱出し、ゾンビの少ない三階を通って船の後方へと移動し、階段を上がって、あたしたちは、燈たちが立てこもっていた四階の劇場へ逃げ込んだ。愛子が持っていた鍵で手錠を外す。エリが真理たちの様子を見た。真理は精神的なショックは大きいものの、外傷は無く、大きな心配はない。ゾンビの肉を食べさせられた麻紀も、衰弱は激しいが目立った外傷は無かった。問題は、親指を咬み続けた麻央だ。今のところ命に別状はないものの、親指は損傷が激しく、不衛生な場所に長時間いたため、感染症を起こす可能性もある。薬はあるものの、安心はできない。何より、骨がむき出しになるまで親指を咬み続けた精神状態が心配だ。これ以上自傷行為に走らないようベッドに縛り付けることにしたけど、それが果たして正しい対象方法なのか、誰にも分からない。エリは看護資格を持っているとはいえ、医者ではないのだ。簡単な傷の手当てはできても、心の傷はどうしようもない。

 

 もちろん、一番の問題は、右腕を切断された朱実だ。出血は止まり、病院から調達したモルヒネを投与して、今のところ落ち着いてはいるものの、当然安心はできない。早く専門の医者に見せないと、取り返しのつかないことになる。

 

 そして、もうひとつ問題がある。

 

 突然、ヴァルキリーズの仲間であるはずの愛子とちはるに襲撃された。そして、あたしたちが連れ帰った仲間は、精神的にかなり追いつめられ、酷い怪我をしている。当然みんなから、何があったのか訊かれた。黙っておくことは、もうできない。あたしは、全てをみんなに話した。今回のゾンビ騒動は、全て、瑞姫が企てたこと、瑞姫と愛子たちの残酷な実験によって、千穂やゆきたちが命を落としたこと。この船で起こっていることを、全て。

 

 話を聞いたみんなは、大きな衝撃を受けた。当然だろう。このゾンビ騒動を巻き起こしたのがヴァルキリーズのメンバーで、しかも、大切な仲間を殺されたのだから。

 

 そして、当然のごとく。

 

 仲間を殺した愛子とちはるをどうするか、という話になる――。

 

 

 

 

 

 

「――とりあえずさ、愛子さんは、もう片方の腕も折ってやろうよ。そうすれば、腕を切断された朱実の気持ちが、少しは分かるでしょ」

 

「そうだね。ちはるさんの方はどうする?」

 

「うーん。菜央はお腹を引き裂いて死んだそうだから……コイツの腹も引き裂いてやろうよ。それか、全身の血を抜かれたゆきみたいに、コイツの血も抜いてやるか」

 

「あはは。それ、楽しそう。首掻き切って逆さ吊りにしようよ。ニワトリみたいに」

 

 二期生の林田亜紀と上原恵利子が、ロープで縛られた愛子とちはるを見下ろしながら、楽しげな口調で、二人の処分について話し合っていた。亜紀と恵利子は、エリほどではないにせよ、普段愛子たちから嫌がらせを受けていた二人だ。

 

 愛子が、憎しみと殺意を込めた目で、亜紀たちを見る。

 

 亜紀は、挑発的な視線を返した。「なによ、その目。あんた、自分の立場、分かってる?」

 

「……調子に乗るんじゃないよ。ただじゃおかねぇからな」低い、凄みを込めた声で言ったけれど、今の愛子では、何の迫力も無い。

 

 亜紀は恵利子と見つめ合い、そして笑った。「はは。ただじゃおかないだって。やっぱり、分かってないみたいだね」

 

 亜紀は右足を振り上げると、思いっきり、愛子の左腕を蹴った。燈に折られた腕だ。悲鳴が上がる。床を転げまわる。その姿を、楽しそうに見つめる亜紀たち。

 

「……てめぇ……殺してやる……」ちはるが睨む。

 

「殺してやる? あんたバカか? 今、その相談をあたしたちがしてるんだよ!」恵利子のつま先が、ちはるの腹に食い込んだ。うずくまり、せき込むちはる。

 

 さらに一撃加えようとする恵利子を、遥が引き離した。「ちょっと! やめてください!! 殺すだなんて、そんなこと、あたしは認めません!」

 

「はあ? 認めない? 何であんたの意見を聞かなきゃいけないのよ?」遥を睨む恵利子。「あんたまさか、キャプテンにでもなったつもり?」

 

「そ……そんなつもりは、無いですけど」

 

「だったら、生意気に先輩に意見してんじゃないわよ。黙って見てな」

 

 どん、と、恵利子は遥を突き飛ばした。

 

「恵利子――」静かな声で言ったのは燈だった。腕を組み、壁にもたれかかっている。

 

 鋭い目で、恵利子を睨んでいた。

 

 忍者が、獲物を定めた時の目だ。

 

 その視線だけで、恵利子は怯んでしまう。

 

 燈は、恵利子を睨みつけたまま言う。「遥は、リーダーがいなかったこのグループを、ここまで導いてくれたんだよ? 遥がいなかったら、あたしたちはどうなっていたか分からない。それをあんたは、今さら先輩面して従わせようと言うの?」

 

 口調は穏やかだけど、それが余計に、迫力を持たせている。

 

「……そ、そんなことはないよ」恵利子は、遥から離れた。「あたしだって、遥には感謝してる。ゴメン。悪かったよ。ちょっと調子に乗り過ぎた」

 

「でも、だからって、愛子さんとちはるさんを、このままにしておくってことはないでしょ?」亜紀が言った。「仲間を殺したんだよ? 許せないよ」

 

「まあ、そうだね」燈は目を伏せた。

 

「燈はどうなのよ? あなたは、この二人をどうすべきだと思うの?」

 

「あたしは別にどちらでもいい。まあ、遥にはいろいろ助けてもらったし、遥の意見に従うよ。遥が処分しないって言うならそうするし、もし殺せって言うなら、あたしが殺してもいい」

 

「なによそれ……自分の意見は無いわけ? いかにも忍者様らしいね。主君の言うことには黙って従う、ってか?」

 

 バカにするような口調の亜紀だけど、燈は目を伏せたまま、特に何も言い返さなかった。亜紀は、フン、と、鼻を鳴らすと、今度はエリの方を見た。「エリ、あんたはどう思うの?」

 

「あたし? うーん、あたしも別に、どっちでもいいかな?」エリは、いつものおすまし顔で答えた。

 

「何を他人事みたいに言ってるのよ。この二人には、エリが一番迷惑してたでしょうが? 何かあるたびに因縁つけられて、絡まれて、いくらエリが二期生最高順位だからって、あれはヒドイと思ってたのよ」

 

「え? 亜紀、そんな風に思っててくれてたの?」目を丸くし、口元に手を当てるエリ。

 

「当たり前でしょ? あたしたち、同期の仲間なんだから」

 

「ゴメン。全然気づかなかった。あたし、亜紀のこと誤解してたよ。亜紀は、愛子さんたちに目をつけられたくないから、なるべくあたしに関わらないようにしてるんだと思ってた。だって、あたしが絡まれてる時とか、一度も味方してくれたことなかったじゃん」

 

「そ……それは……」二の句が継げない亜紀。さすがはエリと言うべきか。相手の痛いところをつくのがうまい。

 

 エリは、急に真面目な顔になる。「亜紀たちの言うことはもっともだよ。仲間が何人も殺された。それなのに、何もしないっていうんじゃ、殺された娘たちがあまりにも可哀想だよ。あの娘たちの気持ちを考えたら、この二人は殺した方がいいのかもしれない。でも、亜紀たちが言ってることは違うよね? 亜紀、あなたはただ、前から気に入らなかった先輩を処分できるチャンスだから、みんなを煽ってるだけ。殺された娘たちのことを思ってのことじゃない、自分のために言ってるの。そんな意見には、賛成できないわ」

 

 エリの言葉を聞いて。

 

 他の娘たちも、みんな、亜紀に批判的な視線を向けた。

 

「まったく……どいつもこいつも腰抜けばっかりだね。仲間を殺されたんだよ? アイドル・ヴァルキリーズの大切な仲間が、何人も、この二人に殺されたんだよ? それなのに何もしないの? 許すって言うの? 仲間を何だと思ってるのよ!?」

 

 みんなに向かって、訴えかけるように言う亜紀。その言葉に、みんな顔を伏せ、亜紀と目を合わさないようにする。

 

 みんな、どうしていいか分からないのだ。

 

 亜紀の言うことも分かる。仲間を殺されたんだ。このままにしておけない。でも、殺せ、とはっきり言うこともできない。だから、関わらないようにするしかない。

 

「……て言うかさ、亜紀」エリが言う。「そんなに愛子さんたちを殺したいんなら、みんなの意見なんか訊かず、さっさとやっちゃえばいいでしょ? 何なら、この斧、貸すよ?」

 

 エリは、亜紀の目の前に斧を突きつけた。

 

「あ……あたしにやれって言うの!?」数歩下がる亜紀。

 

「そりゃそうでしょ? これだけみんなを煽っておいて、肝心のことは他の人にやらせようって言うの? いくらなんでも、それはムシが良すぎるんじゃない?」

 

 下がった亜紀を追いかけるように、エリはさらに前に出た。斧の刃先が亜紀の鼻に触れるくらいの距離だ。

 

 亜紀は斧を受け取らない。

 

 代わりに。

 

「じゃ……じゃあ、若葉さんはどう思ってるんですか?」

 

 あたしの方を見た。

 

 その一言で。

 

 全員の視線が、一斉に、あたしに向けられる。

 

 亜紀が言う。「若葉さんは、愛子さんたちに朱実が酷い目に遭わされるのを……みんなが殺されたのを、実際に見たんですよね? 若葉さんは、この二人をどうしますか?」

 

 あたし――あたしは、どうしたいんだ?

 

 亜紀の言う通り。

 

 あたしは見てきた。多くの仲間が、瑞姫たちの手によって命を奪われたのを。ゾンビの心臓を移植された千穂。ゾンビと血液を入れ替えられたゆき、ゾンビと人工授精させられた菜央、ゾンビのエサにされた真穂、ゾンビとなったさゆりと直子、右腕を切断された朱実。

 

 殺したい――そういう思いは、ある。

 

 目の前で、朱実の腕を切断された。朱実は、ショックで一度死んだ。その時、あたしは生まれて初めて、殺意というものを抱いた。本気で、瑞姫を殺してやりたいと思った。その気持ちは今も変わらないし、愛子とちはるに対しても同じだ。

 

 ――そうだ。

 

 こいつらは仲間を殺したんだ。

 

 あたしの大切な仲間を、かけがえのない仲間を、殺したんだ。

 

 殺意が膨れ上がる。黒い炎となり、燃え上がる。

 

「な……なあ、若葉」愛子が口を開いた。「悪かったよ。あたしたち、どうかしてたんだ。反省してる」

 

 ――――。

 

 反省してる――だと?

 

 仲間を何人も手にかけておいて、反省してると言うのか? それで、許されると思っているのか?

 

 黒い炎は、なおも燃え上がる。

 

「あたしたちはただ、瑞姫にそそのかされただけなんだよ。実際、みんなを手にかけたのは瑞姫なんだし。あたしたちは、ちょっと手を貸しただけさ。もう二度と、こんなことはしないよ。だから、殺すなんて、言わないでよ。仲間じゃないか?」

 

「――仲間?」

 

「そう! 仲間だろ? あたしたちは、五年間も一緒に頑張ってきた、アイドル・ヴァルキリーズの仲間だ! あたしたちは過ちを犯した。それは認める。でも、過ちを犯したら、もう仲間じゃないのか? 若葉にとって、仲間って、その程度のものだったのか? 違うだろ?」

 

 ――過ちを犯したら、もう仲間じゃない。

 

 その言葉が、あたしの胸に突き刺さり。

 

 そして。

 

 決めた。

 

「――そうだね。仲間だよ」

 

 それは、自分でも驚くほど。

 

 低い、静かな口調だった。

 

「そ……そうだよ……仲間……だよ……」愛子の声に、力が無くなる。

 

 今のあたしは、どんな顔をしているだろうか?

 

 愛子も、ちはるも、亜紀も、遥も、エリも、燈さえも。

 

 みんな、恐ろしいものを見る目を、あたしに向けている。

 

「みんな、仲間だったんだ」あたしは、一歩、愛子たちに近づいた。「千穂も、ゆきも、菜央も、真穂も、朱実も、さゆりも、直子も! みんなみんな、あたしの! 大切な仲間だったんだ!!」

 

 叫び。

 

 さらに近づく。

 

「それを……それを! お前が! お前たちが!! 奪ったんだ!!」

 

 エリの手から、斧を奪い取る。

 

 エリが、遥が、燈が、止める間もなく。

 

 あたしは、斧を振り上げ。

 

「あたしの仲間を! 返せええぇぇ!!」

 

 恨みを、憎しみを、殺意を込め。

 

 思いっきり、振り下ろした――。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 がつん――と。

 

 

 

 あたしの振り下ろした斧は、愛子の、数センチ横の、硬いコンクリートの床を叩き。

 

 衝撃で、斧は、柄の中央から、真っ二つに折れ。

 

 その勢いで宙を舞った刃は、ちはるの側に、ごとん、と、落ちた。

 

 

 

 怯えた目で、あたしを見上げる、愛子とちはる。

 

 あたしは、肩で大きく息をしながら、二人を見下ろす。

 

 何なんだ……。

 

 何なんだ! これは!!

 

 叫ぶ。

 

 もうそれは、心の叫びなのか、本当の叫びなのか、分からない。

 

 なんであたしは、愛子を、ちはるを、瑞姫を、殺したいだなんて思っているんだ!

 

 なんで亜紀は、恵利子は、愛子とちはるを殺す相談をしているんだ!

 

 なんで愛子は、ちはるは、瑞姫は、みんなを殺したんだ!

 

 なんであたしたちは、こんな殺し合いをしてるんだ!

 

 あたしたちは仲間だったはずだ! ほんの数日前まで、一緒に夢に向かって走っていた、苦楽を共にした、一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に頑張った、仲間だったはずだ!

 

 それなのに!

 

 なんで、こんなことになったんだ!

 

 なんで……こんなことに……。

 

 …………。

 

 あたしには――殺せない。

 

 そう。

 

 殺せないんだ。

 

 恨みはある。憎しみはある。殺意はある。

 

 でも。

 

 あたしには、殺せない。

 

 そんなことをしたら、あたしも、愛子たちと同じになってしまうから。

 

 そして。

 

 殺せと煽った、亜紀や恵利子たちも、同じになってしまうから。

 

 それは、また、大切な仲間を、失ってしまうことだから。

 

 そんなことは、もうイヤだ。

 

 あたしは、仲間を護る。

 

 戦うことだけが、仲間を護ることではない。

 

 間違いを正すのも、仲間を護ることだ。

 

 だから、あたしには殺せない。誰にも殺させない。

 

 許すわけではない。認めるわけではない。見逃すわけではない。

 

 ただ、殺さない。

 

 もうこれ以上、仲間を失わないために。

 

 そして。

 

 こんなことは、もう、終わりにしよう。

 

 どんな理由があろうとも、仲間同士で争うなんて、仲間同士で命を奪うなんて、もうごめんだ。

 

 みんな――みんな、あたしの、大切な仲間なのだから。

 

 だから、これ以上は、どうか――。

 

 

 

 みんな顔を伏せ、ただ黙って、あたしの話を聞いていた――。

 

 

 

 その時。

 

《なーんだ。結局殺さないの? つまんないね》

 

 それは、瑞姫の声だった。

 

 部屋を見回すけど、もちろん、瑞姫がいるわけはない。今のは、生の声ではない。しかし、トランシーバーでもない。もっと大きな、部屋中に響くような音。

 

《あんたが斧振り上げた時は、ちょっと期待したんだけどね。結局あんたって、人一人殺すことも、助けることもできない、なのに口だけは達者なヤツだったんだね》

 

 これは……館内放送?

 

 船内には、いたるところにスピーカーが備え付けられている。何か、緊急事態があった時、船内全ての人に、一斉に呼びかけるためのものだ。

 

 部屋を見回す。天井の隅に、室内全体を映すためのカメラがぶら下がっている。

 

《そう。それで、ずっと見てたよ。あんたに愛子たちを殺す度胸があれば、少しは見直したんだけどね。ガッカリだよ》

 

 愛子のトランシーバーは燈が持っている。あたしはそれを受け取り、スイッチを入れた。「瑞姫! 今どこにいるの! 七海をどうする気!?」

 

《あー。ごめん、もうトランシーバーは捨てちゃったから、そっちの声は聞こえないよ。だから、こっちの用件だけ伝えるね。最後の実験をしたいから、今夜一時に、ショッピングモールまで来なさい。いいわね?》

 

 実験?

 

 この上まだ、何かしようというのか?

 

 瑞姫。あんたは、どこまで――。

 

《安心して。一人で来い、なんて言わないから。そうね……最低一〇人は連れて来な。そうじゃないと、面白くないから。じゃ、待ってるからね》

 

 それで、放送は終わった。

 

 瑞姫……今度は、何を企んでいるんだ。

 

 と。

 

《燈? 遥? 聞こえる? 返事して?》

 

 今度は、遥が持っているトランシーバーだ。由香里の声だった。遥はトランシーバーを取り出し、応えた。「はい。遥です」

 

《今の放送聞いた? あれ、瑞姫だよね? 愛子を殺すって、どういうこと? 何が起こってるのか、知ってる?》

 

 遥は、あたしの方を見る。あたしは、代わるよ、と、手を出した。

 

「若葉さんに代わります」

 

 遥からトランシーバーを受け取った。「由香里? 若葉よ」

 

《若葉!! 良かった! 無事だったんだ。もう。警備員室出た後、全然連絡が取れないから、心配したよ》

 

「ゴメン。ちょっと、いろいろあってね。今から戻るよ。そしたら、全部説明する」

 

 自分でも、声に力が無いのが分かる。それである程度察してくれたのか、由香里は。

 

《そう……分かった。気を付けてね》

 

 それだけ言って、通信は切れた。

 

 あたしは、遥にトランシーバーを返した。「遥。あたしは一度、操舵室に戻るよ。由香里たちに、全部話してくる。また連絡するよ。十二時までには、必ず。その時は、協力をお願いするから」

 

「はい。任せてください」遥は力強く答えた。

 

 あたしは燈の方を見る。「燈も、お願いね」

 

 燈は、短く「はい」と応えた。

 

「エリはどうする?」

 

「あたしも一度、操舵室へ戻ります。黙って出てきて、みんなに心配かけましたし、美咲にゲームを返さないといけませんしね」そう言って、エリは笑った。

 

「そうだね」あたしも笑う。「じゃ、行こうか」

 

 遥のグループにも、看護資格を持ったシスタークラスの娘はいる。朱実たちは、ひとまず任せて大丈夫だろう。エリと二人で、控室を出ようとする。

 

「あ、若葉さん」遥が呼んだ。振り返る。

 

 遥は深々と頭を下げた。「さっきは、スミマセンでした」

 

「ん? さっきって、何が?」

 

「その……警察署で、偉そうに命令して、説教して、しかも、ぶったりして……本当に、申し訳ありませんでした」

 

「なんだ、そんなことか。謝る必要なんてないよ。悪いのはあたしなんだし。むしろ、感謝してる。それに、あの時の遥、カッコよかったよ? 正確に状況判断して、テキパキと指示出して、由香里みたいだった」

 

「そんな……由香里さんみたいだなんて……あたしは、そんなつもりじゃ……」

 

「遥……本当に、ありがとうね。みんなを護ってくれて」心の底から、そう言った。

 

 遥がいてくれたから、このグループには、犠牲者が出ていない。

 

 それがどれだけすごいことか、今のあたしには、よく分かる。

 

「いえ、あたしなんて、何にもしてませんよ。でも、ありがとうございます」遥は照れたように笑った。

 

 あたしは、部屋を出ようとして。

 

 ――――。

 

 天井の、監視カメラを見つめた。

 

 瑞姫はまだ、あのカメラでこちらを見ているのだろうか?

 

 分からない。見ているかもしれない。もう見ていないかもしれない。

 

 あたしは、折れた斧の柄を、力いっぱい、カメラに向かって投げた。

 

 斧の柄は、見事に命中し。

 

 カメラはバラバラになり、床に落ちた。

 

 あたしは、しばらくそれを見つめ。

 

 そして、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

「――ところでエリ、いくつか訊きたいことがあるんだけど?」

 

 劇場の控室を出てからしばらくして、あたしはエリに向かって言った。

 

「はい。何でも訊いてください」いつものおすまし顔のエリ。

 

「エリって、プロレス好きなの?」

 

「は? プロレスですか?」さすがに予想外の質問だったのか、目を丸くするエリ。「何でですか?」

 

「警察署で、真理たちを助けるために留置場に向かおうとしたとき、エリ、『やる前から負けることを考えているバカはいない』って言ったじゃない? あれって、プロレスラーのアントニオ猪樹の名言だよね?」

 

「アントニオ猪樹って、“燃ゆる闘魂”の人ですよね? あの人の言葉だったんですか? 知りませんでした」

 

「それに、いつだったか、ゾンビ相手に、ケンカキックとか、トラースキックとか、プロレスの蹴り技使ってたし」

 

「ああ。あれは、あの時も言いましたけど、たまたま思いついただけですよ。プロレスなんて野蛮なスポーツ、あたしは興味ありません」

 

 ……さっきまで斧を振り回してゾンビをやっつけまくってたヤツが、プロレスを野蛮と言うのか。

 

「それに――」と、エリは続ける。「『やる前から負けることを考えているバカはいない』って言葉は、スポーツ選手とか、芸人さんとか、結構いろんな人が言ってると思うんですけど」

 

 確かにそうだな。あまりに有名すぎて、いろんな人が使ってる。プロレスを知らない人が使っても、特に不思議ではない。それに、エリは今、猪樹さんのことを“燃ゆる闘魂”と言った。言うまでも無いけど、正確には“燃える闘魂”である。こんな簡単な間違いをするとは、エリがプロレス好きだと思ったのは、やっぱり気のせいかな。

 

「……訊きたいことって、それですか?」エリの表情がいつもおすまし顔に戻る。

 

「ううん。もちろん違う。えーっと……あ、そうだ。昨日、突然あたしたちのグループを離れたのは、瑞姫を捕まえるためだったの?」

 

「はい。そうです」

 

「よく瑞姫が犯人だって分かったね? いつ気付いたの?」

 

「そうですね……はっきりとした確信があったわけじゃないですけど、なんとなく気づいたのは、操舵室に移動した時くらいからですね」

 

 操舵室に移動した時って、船に乗って二日目だよな? 船内がゾンビだらけになったその日じゃないか。そんな段階から、もう瑞姫を疑ってたのか?

 

 エリは言葉を継ぐ。「あのとき、船の中でゾンビになってない人は、あたしたちヴァルキリーズのメンバー以外、誰もいませんでした。それは、ヴァルキリーズのメンバーが、ゾンビ菌に対して抵抗があるから――つまり、ワクチンを接種していたから、だと思ったんです。でも、どう考えても、メンバー全員がワクチンを接種する状況なんて無いんですよ――あたしの特製ドリンク以外は」

 

 そうだ。

 

 操舵室で美咲が言った通り、ワクチンを接種しているとしたら、エリのドリンク以外には無いのだ。

 

「でもあたしは、ドリンクにそんなもの混ぜていません。そこで気づいたんです。ワクチンは、瑞姫さんがくれた塩じゃないかって」

 

 塩?

 

 そうか。エリ、初日に言ってたっけ。瑞姫からお土産に塩をもらい、それをドリンクに使った、って。その塩に、ゾンビ菌のワクチンが入っていたのか。

 

「そして、操舵室に立てこもって次の日の夕方、亜夕美さんのグループの理香さんがゾンビ化したと聞きました。それで、瑞姫さんが犯人だと確信したんです。理香さんは、ドリンクを飲んでいませんでしたからね」

 

 理香がゾンビ化したのを聞いたって、その話は由香里にしかしてないんだけどな。エリ、立ち聞きしてたのか。ま、いいけど。

 

「さらにその次の日の夜、若葉さんがペイントスプレーで監視カメラを塗りつぶしているも見ました。何でそんなことしてるんだろう、と考えて、気づきました。瑞姫さんが、監視カメラで見ているからだって」

 

「それで次の日、グループを出るなんて言い出したの?」

 

「はい。ホントの目的は、警備員室へ行って、瑞姫さんを捕まえることでした。だから、若葉さんに相談したんです。でも、あの時点であたしが、『瑞姫さんが犯人だ』、と言っても、若葉さんは信じなかったと思うんです。だから、それは言わず、とりあえず燈たちは警備員室にいる、ということにして、一緒に行こうとしてたんです。あ、ちなみになんですけど、ホントはあの時、若葉さんとあたしと美咲の三人で行きたかったんです。でも、あの日、何故か若葉さんは、ずっと深雪さんと一緒にいたので、しょうがなく深雪さんにも話しました」

 

 ああ。あの日は亜夕美が深雪を襲うんじゃないかと心配してたからな。

 

「でも、若葉さんにも深雪さんにも止められました。まあ、それは想像してたことです。あたしが出て行くなんて言っても、二人が認めるなんて思えませんでしたから。なので、こっそり、トランシーバーで燈と連絡を取ったんです」

 

 エリが誰かと連絡を取っていたようだ、と、由香里が言ったのはこれだな。

 

 うん? でもそれだと、エリが燈に連絡を取ったのは昨日ということになる。一昨日、ゲームセンターで燈が背後にいた亜夕美に気が付いたのは、密かにエリと連絡を取っていたからじゃないのかな? あたしはそのことも訊いてみた。

 

「ああ。燈なら、それくらい気づきますよ。あの娘、耳がすごくいいんです。あの娘の背後を取るのは、よっぽどの武術の達人じゃないと無理ですよ。調子がいい時は、わずかな空気の動きも分かるって言ってましたし」

 

 ……空気の動きを読むって、もはやマンガの世界だな。

 

「燈と連絡を取ったのは賭けでした」エリはしみじみとした口調で言った。「燈は、あたしのことを疑ってる、と思いましたから」

 

「でも、燈はエリの話を信じてくれたんだ」

 

「はい……バカですよね。あたしの作り話かもしれないのに、同期で親友だからって理由だけで、あたしの話を信じてくれたんです。まったく、忍者が聞いてあきれますよ」

 

 確かにね。二日前、ゲームセンターで会った時、燈は、「誰も信用しない」とか言ってたのに。

 

 まあ、親友って、そんなもんだよな。理屈じゃないんだよ。

 

「――それで」あたしはエリに向かって言う。「燈と一緒に警備員室へ行ったんだ」

 

「はい。でも、瑞姫さんはもう移動した後でした。どこに行ったかは見当も付きません。でも、必ずどこかで、監視カメラの映像を見ていると思いました。今はネットワークの機能を使えば、映像を無線で飛ばすくらい、簡単ですからね。そこで、今回の作戦を思いついたんです」

 

 つまり、燈がエリに変装して劇場に残り、エリが燈に変装して外をうろつけば、その映像を見た愛子たちは、必ず劇場にやってくる……というわけか。

 

「深雪さんの持っていた機械を使い、瑞姫さんのトランシーバーの電波を受信できたのはラッキーでした。まあ、あれが無くても、燈が愛子さんを訊問すれば、すぐに分かったんですけどね。燈は、そういうのも心得てますから」

 

 それって、どんなのだろう? 忍者の尋問――考えただけで怖いな。

 

「――まあ、そんな感じですね。すみません。なんか、若葉さんを騙したみたいになってしまって。それに……もっと早く行動していれば、朱実たちも助けられたかもしれないのに。本当に、申し訳ありません。全部、あたしの責任です」

 

 エリは、深く、深く、頭を下げた。

 

 そんな……エリは、何も悪くない。

 

 悪いのはあたしだ……あたしに、力が無かったから……。

 

「若葉さん――」エリの表情が、いつになく真剣になる。「もう、こんなことは、終わりにしましょう」

 

 静かに言った。

 

「――そうだね」

 

 あたしは、大きく頷いた。

 

 本当に――。

 

 こんなことは、もう終わりにしよう。

 

 仲間同士で殺し合うなんて、もう終わりだ。

 

 明日で終わらせよう。

 

 仲間同士で、殺し合うのも。

 

 瑞姫の、残酷な実験とやらも。

 

 この、悪夢の航海も。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 あたしの、アイドル・ヴァルキリーズとしての活動も。

 

 

 

 全て、明日で終わりだ――。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

Day 6 生存者

 

 

生存者

 

 

 

 神崎深雪(重傷)

 

 藍沢エリ(咬まれる)

 

 遠野若葉(軽傷)

 

 桜美咲

 

 白川睦美

 

 沢井祭

 

 前園カスミ(咬まれる)

 

 降矢可南子(咬まれる・重傷)

 

 橘由香里

 

 夏川千恵

 

 滝沢絵美

 

 倉田優樹

 

 宮野奈津美

 

 秋庭薫

 

 浅倉綾

 

 神野環

 

 本郷亜夕美(重傷)

 

 栗原麻紀(軽傷)

 

 朝比奈真理(軽傷)

 

 雨宮朱実(重傷)

 

 黒川麻央(重傷)

 

 一ノ瀬燈

 

 篠崎遥

 

 林田亜紀

 

 沢田美樹

 

 上原恵利子

 

 佐々本美優

 

 西門葵

 

 鈴原玲子

 

 藤村椿

 

 山岸香美

 

 森野舞(重傷)

 

 早海愛子(重傷)

 

 並木ちはる(軽傷)

 

 

 

死亡・ゾンビ化

 

 

 

 宮本理香

 

 高杉夏樹

 

 本田由紀江

 

 根岸香奈

 

 桜井ちひろ

 

 藤沢菜央

 

 大町ゆき

 

 吉岡紗代

 

 小橋真穂

 

 白石さゆり

 

 村山千穂

 

 高倉直子

 

 

 

不明

 

 

 

 水野七海(軽傷)

 

 緋山瑞姫

 

 

 

 

 


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