ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

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Day 6 #02

 目を覚ますと、いつもの通り、世界最大級の豪華客船・オータム号の操舵室、クルー用の仮眠室、二段ベッドの上だった。

 

 今の夢は、半年ほど前に行われた、第3回特別称号争奪戦の様子である。頭脳ゲーム『スパイダー・マスターマインド』の大会を、ヴァルキリーズが誇るインテリアイドル緋山瑞姫が制し、見事、特別称号“Our Heroine(俺たちのヒロイン)”を獲得したのである。

 

 しかし、この大会の後、瑞姫とエリの間には、大きな溝ができてしまった。

 

 と、言うのも、この話には後日談があり。

 

 大会の優勝者には、特別称号の他に、次に発売されるCDシングルの曲で、最前列の中央、いわゆるブリュンヒルデの位置で歌うことが許されるのだけれど。

 

 なんと、瑞姫は「あたしには向いていない」という理由で、シングル曲への参加自体を辞退したのである。

 

 これにより、2位のエリが繰り上がりで最前列中央に配置されることになった。

 

 ブリュンヒルデのポジションは、アイドル・ヴァルキリーズのメンバーにとっては憧れであり、ほとんどの娘は、たとえそれが繰り上がりであっても、その位置に立てるのならばうれしいはずだけれど。

 

 残念ながら、エリはメンバー内でも群を抜いてプライドの高い娘だった。本来なら、大会で敗北したのにご褒美だけもらう、なんて受け入れるわけはない。しかし、ここでエリまで辞退すると、今回のイベントそのものがおじゃんになりかねない。プライドも高いがプロ根性も高いエリは、辛酸をなめる思いで、繰り上がりによる最前列中央のポジションを務めたのだった。

 

 ――こんな屈辱は、生まれて初めてです。

 

 完成した曲をテレビで初披露した後、エリはあたしにこう打ち明けた。その時の顔が、いつも以上に天使のような笑顔だったため、あたしは恐怖に震えたのだった。

 

 それ以来。

 

 エリは、テレビ番組や雑誌のインタビューなどで瑞姫のことに触れられると、「確かに、二十代後半の人にブリュンヒルデのポジションは荷が重いでしょうね」とか(ちなみに瑞姫は二十四歳なので、まだ二十代前半である)、「この前あるマンガで、『女子大生 卒業すれば ただのブス』って川柳を見つけたんですよ」とか、瑞姫だけでなくあたしや由香里までも被弾する乱射口撃を始めた。事務所やプロデューサーが手をまわしてくれたので、問題のありそうな発言はことごとく握り潰されたけれど、ただでさえ深雪と亜夕美の不仲説で大変だった時期に新たな抗争が勃発しそうになり、本当にヒヤヒヤしたものだ。

 

 幸い瑞姫はエリの挑発には応じず、エリもひと月ほどで落ち着きを取り戻し(その間、キャプテンの由香里や親友の燈が必死に説得したのは言うまでもないが)、全面戦争には至らなかった。先日瑞姫が地方ロケに行った時、エリにお土産を買ってあげたらしいし、二人の間には、もう遺恨は残っていないだろう。そう思いたい。

 

 さて、と。

 

 時計を見ると、九時少し前だった。食堂では祭ちゃんのおいしい朝食が待っているだろう。ベッドを下りる。

 

 と、その時。

 

 背後に、何者かの気配を感じた。

 

 振り返ると――。

 

「がおー」

 

 腐った土色の肌と、血の涙を流す瞳をした人物が、そこにいた。

 

 ――え? ゾンビ?

 

 一瞬、理解できなかった。しかし、それはまさしく、ここ数日船内で数えきれないほど木刀を振るい、倒してきたゾンビの姿だった。

 

 両手を上げ、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。

 

 抱きつき攻撃だ。その瞬間、反射的に体が動く。右足でゾンビの腹を蹴る。

 

「グエッ」

 

 踏み潰されたカエルみたいな声を上げ、ゾンビは尻もちをついて倒れた。その隙に、いつも寝るときに枕元に置いている愛用の木刀を取る。ゾンビの動きを警戒しつつ、部屋の様子をうかがう。他には誰もいなかった。あたしとゾンビの一対一。少し安心する。ゾンビは一体だけならば大した脅威ではない。簡単に倒せるだろう。心に余裕が生まれると、疑問が湧いてきた。ここは操舵室内の、クルー用仮眠室だ。操舵室の入口は強固な扉で閉ざされ、ゾンビなんかに突破できる代物ではない。では、何でこんなところにゾンビが……?

 

 そう言えば――。

 

 昨日あたしは、誰かと一緒に寝たはずだ。記憶を探る。そうだ。久しぶりに、美咲と一緒に寝たんだった。二人で同じ部屋なのは初日以来で、美咲はすごく嬉しそうにしてたっけ。もう一度部屋を見回す。やはり、あたしとゾンビ以外は誰もいない。美咲は先に起き、食堂か操舵室に行ったのだろうか? それならいいけど、まさか、すでにゾンビに殺られたりはしてないだろうな?

 

 イヤな考えが頭をよぎった瞬間、あたしは気づいた。気が付いてしまった。

 

 お腹を押さえ、ゲホゲホとせき込んでいるゾンビが、クマのイラストがプリントされたカワイイパジャマを着ていることに。

 

 それは、美咲がいつも愛用しているパジャマだった。

 

 まさか、このゾンビは、美咲!?

 

 信じられないけれど、目の前のゾンビは、一五〇センチほどの小柄な身長にFカップと思われるバストと、顔色以外は美咲そのものだ。

 

 ああ! なんてことだ! ついにあたしたちのグループにも、ゾンビ化するメンバーが出てしまった!

 

 目眩がしたけれど、ここで嘆くわけにはいかない。

 

 ゾンビとなった以上、美咲はあたしに襲い掛かり、食べようとするだろう。ゾンビにとってあたしたちは、食欲を満たすためだけの存在なのだ。ついに、決断の時が来た。ゾンビになった仲間をどうするか? 結論は出ている。ゾンビ化した人は、もう元には戻らない。ひたすら生存者を襲い続ける。放っておけば、あたしだけでなく、由香里や深雪たちにも襲い掛かるだろう。殺るしかない。ああ、かわいそうな美咲。せめてあたしの手で、すみやかにあの世に送ってあげるわ。あたしは一気に踏み込み、美咲ゾンビに木刀を振り下ろした。

 

 ガツン!

 

 驚いたことに、あたしの木刀は、固い床を叩いた。美咲ゾンビは、床を転がり、あたしの右側へ移動した。

 

 そんな!? ゾンビがあたしの攻撃をかわした!?

 

 これまで数えきれないほどのゾンビに木刀を振るって来たけれど、かわされたのは初めてだった。もちろん、手加減をしたわけではない。一撃で葬ることが、今、あたしが美咲にしてあげられる、最高の愛だと思ったから。そもそも、どんなに手加減をしたところで、ノロマなゾンビに攻撃をかわされるなんてことはありえないだろう。

 

 いや、相手はあの美咲のゾンビなのだ。侮ってはいけない。

 

 もう一度、ゾンビに向けて木刀を振るう。今度は、喉を狙っての突き攻撃だ。今度こそ、成仏してね、美咲!

 

 しかし!

 

 バシン! なんと、あたしの渾身の突き攻撃を、美咲ゾンビは右腕ではじいたのだ。空手の内受けという防御だ。まさか、空手の技まで使うなんて! このゾンビは、あたしの手には余るかもしれない。でも、他のメンバーに殺らせるわけにはいかない。あなたを殺るのはこのあたし。それが、あなたに対する愛だから。

 

 はじかれた木刀を、すぐに胴に向けて打ち込む。後ろに跳んでかわす美咲ゾンビ。間髪入れず面を打ち込む。本当にこのゾンビは手強いぞ。

 

「ちょ……ちょっと待ってください!!」

 

 聞きなれた美咲の声でゾンビが喋った。空手を使う上に喋るとは、何て恐ろしいゾンビだ。これじゃあまるで、美咲が生きているみたいじゃないか。でも、あたしは惑わされない。連続して攻撃を繰り出す。

 

「先輩! あたしです! 美咲です。あなたのカワイイ後輩の、美咲ですってば!」

 

 分かってる。あなたが美咲だってことは分かってる。だからこそ、あたしの手で殺るのだ。あたしの手で、ゾンビ化という永遠の苦しみから解き放ってあげるのだ。だからさっさと死ねコラ。そもそもあたしは、前からあんたのそのムダにデカい乳が気に入らなかったんだよ。

 

 美咲ゾンビの頭めがけて、必殺の面を打ち込んだ。しかし、美咲ゾンビは真剣白羽取りの恰好で、木刀を受け止めた。そのまま左の脇の下に挟みこむ。これじゃあ木刀が使えない。なんて卑怯なゾンビだ。

 

 美咲ゾンビが右手を上げた。自分の髪の毛を掴む。そのまま上に引っ張った。ズボッ、と、顔が抜けた。

 

 ……は? 顔が抜けた?

 

 見ると、美咲ゾンビの手には、目と鼻と口の部分が空洞の、ゾンビの頭が握られていて。

 

 目の前には、つやつやで血色のいい肌の色をした、いつもの美咲の顔があった。

 

「ほらほら! 美咲ちゃんですよ! みんなのアイドル、桜美咲ちゃんです! これ、マスクですよ! ゾンビのマスク!」必死にアピールする。

 

 あたしは美咲の顔と、美咲の右手のゾンビの顔を見比べた。確かに美咲は生きているようであり、右手に握られているのはマスクのようだ。

 

 あたしは、ホッと胸をなでおろし、木刀を下げると。

 

 美咲の頭に、特大の鉄拳をお見舞いした。

 

 

 

 

 

 

「もう……そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。カワイイジョークなのに」食堂へ向かいながら、美咲は頭の大きなたんこぶをなで、唇を尖らせた。

 

「時と場合を考えなさい。そんなのが、ジョークになるわけないでしょ。まったく、ホントに退治するところだったんだからね?」

 

「……でも先輩、途中から気が付いてませんでしたか? それに、なんかあたしの胸がどうのこうの言ってたような気がしたんですけど」

 

 ぎくっ。いかんいかん。あたし、普段みんなから、思ってることが顔に出やすいと言われるし、考えてることを無意識に喋ってたりしてるらしいからな。気を付けないと。

 

「……そんなことより、あんた、あんなゾンビマスク、どこから持ってきたのよ」

 

「ショッピングモールのおもちゃ屋さんで見つけたんです。若葉先輩と、ゾンビごっこをしようと思って」

 

 一昨日、ゲーム機を取りに一人で勝手に外に出た時だな。やっぱりコイツ、ショッピングモールにも行ってたのか。

 

「何が悲しくて、こんなゾンビだらけの船の中で、わざわざゾンビごっこをしなきゃいけないのよ」あたしは呆れ口調で言った。

 

「だって、エリ先輩があたしのゲーム機を隠したまま出て行ったから、退屈なんですもん。そうだ。花火もあるんで、今夜、一緒にやりませんか?」

 

「あんたねぇ、勝手に持ってきて、それ、窃盗よ。立派な犯罪。日本に帰ったら、警察に突き出してやるから」

 

「ちゃんとお金は置いてきましたよぅ。それに、こんな状況なんですから、固いこと言いっこ無しです」

 

 まあ、それはそうだな。あたしだってコンビニでスポーツドリンクを頂いたし、この操舵室に立てこもって、みんなで食料を食い漁っている。美咲のことをとやかく言う資格は無いか。

 

 なんてことを言い合いながら、食堂に入ると。

 

「――このままだと、みんなの負担ばかり大きくなって、メリットは何もないと思うんだよ」

 

「でも、追い出すわけにはいかないでしょ?」

 

「だから、どうにかして、って、言ってるんじゃない」

 

 食堂の奥の方で、メンバーが何人か集まって、何やら話し合っていた。言い争う、というほどではないけれど、どうやら議論が白熱しているらしい。メンバーの中には睦美がいた。また何かめんどくさいことを言い出したのかもしれない。まあ、その隣には由香里がいるから、ケンカになったりすることはなさそうだ。あたしはとりあえず、祭ちゃんのおいしい朝食を優先することにした。カウンターへ向かう。今朝のメニューは、食パンにスープとサラダだ。いつもと違いシンプルなメニューだ、というわけではない。カウンターの側のテーブルには様々なトッピング具材が、まるでバイキングのように並べられていて、そこから好みのものを選ぶことができるのだ。ハムやチーズ、タマゴにソーセージなどの定番のものから、納豆になめたけにシャケフレークにとりそぼろといった和風もの、ホイップクリームやチョコクリームやあんこに各種フルーツといったデザート系まである。もちろんトースターもあるから、アツアツホットサンドにすることもできるし、バターやジャムでシンプルに食べることもできる。うーむ。もはや祭ちゃんのご飯は、この船の中での最大の楽しみとなっている。美咲じゃないけど、船の中での暮らしは退屈そのもの。船内には娯楽施設がたくさんあるけど、ゾンビだらけだから当然遊びになんて行けない。食べることくらいしか楽しみがないのだ。毎回様々な料理でみんなを楽しませてくれる祭。少し前、映画で、南極の観測所に赴任し、観測員たちにおいしい料理を振るって楽しませる料理人を描いた作品を見たけれど、これからは祭のことを、南極料理人ならぬゾンビ船料理人と呼ぶことにしよう。

 

 あたしは食パンの上にハムとツナとチーズと、サラダの野菜を適当に乗せ、オーブントースターで軽く焼いてピザトースト風にし、トースト一枚にすべての具を乗せようとしている美咲をほっといて、奥で白熱議論をしている睦美たちの側の席に座った。とろけるチーズと様々な具材の奏でるハーモニーに舌鼓を打ちながら、睦美たちの話を聞く。どうやら、昨日グループに合流した舞について話し合っているらしい。

 

 昨日、大けがをした深雪と亜夕美と舞の治療を終えた後、何故こんなことになったのか、を、メンバーから訊かれた。もはや隠しておくことはできないと思い、全てを話すことにした。亜夕美のグループで理香がゾンビ化し、その結果、ちひろや夏樹たちが死んだこと、舞と紗代はおかしくなり、メンバーを殺し、あたしや亜夕美たちも殺されそうになったこと。みんな大きなショックを受け、泣き叫んだり意識を失ったりする娘までいた。なんとかみんなを落ち着かせたけれど、睦美が「何で仲間を殺したヤツを助けるんだ」と言い始めた。まあ、今回は睦美が一方的に理不尽なことを言っている、とは言えない。睦美の意見に賛同する娘も多かった。しかし、あたしや由香里を始め、深雪や亜夕美たちで何とか説得し、ここに置くことだけは認めてもらったんだけど、何も無かったように一緒にいるわけにもいかない。舞は今、両手両足をロープで縛り、奥の仮眠室のベッドに縛り付け、みんなで交代で見張るようにしている。当然、意識を取り戻した舞がそんな状態に納得するわけも無く、縄を解けだのなんだのうるさいのだ。もちろん、ずっとベッドに縛り付けておくわけにもいかない。食事をあげないといけないし、定期的にトイレに行く必要もある。その度に、舞が暴れ出す危険性があるのだ。

 

「だからって、点滴にカテーテルっていうのは、さすがに可哀想でしょ?」と、呆れ気味な口調の由香里。そんな意見が出てるのか。

 

「それは分かってるわよ。だから、他の場所に行ってもらおうって、言ってるんでしょ?」と、鼻息が荒いのは睦美だ。どうやら、また舞を追い出そうとしているらしい。いつもなら放っておく所だけれど、今回はそうもいかない。今回ばかりは、睦美の意見に賛同する娘も多いのだ。

 

「だから、いくら舞が仲間を殺したからと言って、見捨てて追い出すようなことはしないって、言ってるでしょ? これだけは、絶対に変わらないわ」

 

「だから、なにもゾンビの中に裸で放り出そうって言ってるんじゃないの。どこか、他の安全な場所に行ってもらいたいの」

 

 言葉の中に「だから」が多いのは、結論が出ず、議論がループしているからだろう。もう何度も同じことを言っているのだ。お互い譲らないのだから当然だろう。

 

「……って、若葉、さっきから何、『あたしは関係ない』みたいな顔してるのよ? 大体、あんたが舞を連れてきたから、こんなことになってんでしょ?」と、睦美があたしを睨んだ。あちゃー。飛び火してきたよ……なんて言ってられないか。睦美の言う通り、舞を連れてきたのはあたしなんだから。すべてを由香里に押し付けておくわけにはいかない。

 

 それに。

 

「……まあ、追い出すっていうのは論外だけど、確かに、ベッドに縛り付けておくのは問題があるかな」あたしはピザトーストの最後のひと口を飲み込み、そう言った。「見張ってるのもいろいろと神経を使うし、危険だし、さすがに舞も可哀そうだしね」

 

「それは、確かにそうだね」と、由香里が同意する。「どこか、閉じ込めるのに適した場所があればいいんだけど」

 

 閉じ込める所か。そんな場所があるかな? もちろん、この操舵室は広いから、仮眠室のひとつを、舞を閉じ込める部屋にしてもいいんだけど、残念ながらすべての部屋は内側から鍵を開け閉めする構造になっている。まあ、ドアの前にテーブルやイスを置いて簡単に開かないようにしたり、ショッピングモールのホームセンターから南京錠を持ってきて取り付けるという手もある。それでも、食事とトイレの問題は解決しない。いくらホームセンターがあるとはいえ、さすがに簡易トイレまでは置いてないだろうし。

 

 と、あたしの隣の席に、三枚の食パンに、それぞれ洋系、和系、デザート系の具材を山盛りに乗せた美咲が座った。「閉じ込める場所だったら、警察署なんか、どうですか? 確か、初日にチーフが言ってませんでしたっけ? この船には警察もいて、留置場もあるって」

 

 言ったのが美咲だったから、思わず、あんたは黙ってなさい、と言いそうになったけど。

 

 …………。

 

 悪くないんじゃないか? それ。

 

 留置場なら内側からは開けられないから、縛ったりする必要はないし、ベッドもトイレもある。よく分からないけれど、たぶん食事を中に入れる専用の窓なんかもあるのだろう。当たり前だけど、まさしく人を閉じ込めておくのに最適の場所だ。みんなも、その手があったか、と、納得した表情。あたしは、ナイスアイデアを出したご褒美に、美咲の頭を撫でてやった。へへへ、と、美咲は得意げに笑った。

 

「でも、そこまで連れて行くのには、それなりにリスクが高いわよ?」と、由香里が言った。

 

「警察署って、どこにあるんだっけ?」訊いてみる。

 

「確か、三階の中央だよ」由香里が応えた。「病院とかも、そこにあったはず」

 

 三階の中央か。確かに、ゾンビだらけの船内を、両手を縛った舞を連れて移動するのは、ちょっと大変そうだ。舞だってスキを見て逃亡するかもしれない。

 

「それに、留置場に舞一人放っておくわけにはいかないでしょ? 誰かが残らなきゃいけない。今、別行動するのは、あたしは認めないよ」

 

 いかにもキャプテンらしい、冷静かつみんなの安全を考えた意見だ。当然、この操舵室を捨て、みんなで警察署に移動するのもリスクが高い。

 

 でも、留置場というのは悪くないアイデアだと思う。何か、問題点を解決する、いい方法は無いだろうか? みんなで考える。

 

「あのー。お取込み中のところ、スミマセン」

 

 と、恐縮そうに食堂に入ってきたのは、四期生の浅倉綾だ。

 

「ん? どうしたの?」由香里が応える。

 

「操舵室に来てもらってもいいですか? 誰かがドアを叩いてるみたいなんです」

 

 うん? 誰かがドアを叩いてる?

 

 あたしと由香里は顔を見合わせる。誰かが来たということだろうか?

 

 とりあえず話し合いはいったん保留にし、あたしたちは操舵室へ向かった。

 

 ドアの前に行くと。

 

 ドンドン……ドンドン……。

 

 低く、鈍い音が聞こえる。確かに誰かがドアを叩いているようだ。

 

「誰!? 誰かいるの!?」

 

 あたしはドア越しに大声で呼びかけてみたが、返事は無かった。相変わらず、ドンドンとドアを叩くのみ。

 

「返事が無いってことは、ゾンビかな?」由香里に訊く。

 

「どうだろ? これだけ分厚い扉だからね。声が聞こえてないのかも」

 

 確かに、その可能性は高いかな。なんせ、ここはシージャック対策が施された部屋なのだから。

 

「こんな時のために、インターホンがあるんじゃないの?」後ろから睦美が言う。ドアの横には、確かにインターホンが付いている。

 

「あ、それ、さっき試したんですけど、壊れてるみたいです」綾が言った。

 

 スイッチを入れてみる。画面は真っ暗なままだ。「もしもーし、聞こえますかー?」と、話しかけてみるけれど、スピーカーから返って来るのはノイズだけだった。

 

 ……あれ? これって、ひょっとしてあたしのせいか? 一昨日、由香里に言われて、操舵室内と近くの監視カメラをペイントスプレーで塗りつぶしたけど、ドアのすぐ上にあったやつ、監視カメラじゃなくて、インターホンのカメラだったのかも? カメラとマイクが一体になってるやつだったら、マイクまで壊れてもおかしくはない。

 

 まあ、睦美に知られるとまた文句を言われそうなので、ここは知らんぷりをしておこう。

 

「……でもこれ、こっちの声は聞こえてるんじゃない?」と、睦美が言った。「若葉がインターホンで呼びかけてから、ドアを叩く音、止まったよ?」

 

 睦美の言う通りだった。ドンドンという音は聞こえない。あたしが呼び掛けたことで、向こうもインターホンに向かって話しかけているのかもしれない。

 

 しかし、壊れていることに気づいたのか、再びドアがドンドンと叩かれ始めた。

 

 さて、どうしたものか。

 

 ドアの外に誰かいるのは間違いない。生存者だったら開けてあげないといけないけれど、ゾンビという可能性も十分にある。もし、ものすごく大量のゾンビが押しかけているような状態だったら、ドアを開けるのは危険だ。なんとか、相手の正体を確かめる方法は無いだろうか?

 

「あのー」と、チョコバナナトーストをかじりながらやって来たのは美咲だ。「あたし、こういう時、相手のことを確認する、とっておきの方法を知ってます」

 

「相手を確認する方法? どんな?」

 

「まあ見ててください」美咲はトーストを一気に頬張ると、インターホンのボタンを押した。「あの、これから出す質問に、“はい”ならノック一回、“いいえ”ならノック二回で答えてください。いいですか?」

 

 なるほど。ノックの音でコミュニケーションを取ろうということか。考えたな。

 

 美咲の呼びかけに。

 

 ドン。

 

 ノックが一回返ってきた。“はい”ということだ。どうやら、言葉は通じているらしい。その時点でゾンビではないような気がするけれど、油断はできない。美咲は質問を続ける。

 

「えーと、ヴァルキリーズのメンバーの娘ですか?」

 

 返ってきた答えは。

 

 ドンドン。

 

 ノックは二回。“いいえ”だ。メンバーではない。

 

 続いて美咲が質問する。「じゃあ、船のスタッフの方ですか?」

 

 ドンドン。ノックは二回。“いいえ”だ。

 

「じゃあ、お客さんですか?」

 

 ドンドン。“いいえ”。

 

「――ヴァルキリーズのメンバーでも、船のスタッフでも、お客さんでもない?」由香里が不安そうに言う。

 

「じゃあ――ゾンビさんですか?」

 

 美咲が質問を続けた。バカげた質問だとは思うけど、メンバーでも、スタッフでも、お客でもなければ、残るはゾンビということになる。

 

 しかし。

 

 ドンドン。

 

 返ってきたノックは二回。“いいえ”だ。

 

 言い知れぬ恐怖が襲う。

 

 メンバーでも、スタッフでも、お客でも、ゾンビでもない――じゃあ、一体、この扉の向こうにいるのは何なのだ。

 

「えっと……人間、ですよね?」と、美咲。

 

 返ってきた反応は。

 

 ドンドン。

 

 二回。“いいえ”。人間じゃ――ない?

 

「じゃあ……幽霊……ですか?」

 

 美咲が、さらに馬鹿げたことを言う。「何言ってんのよ」と、ツッコむことはできない。人間でも、ゾンビでもなければ、当然思い浮かぶのは幽霊だ。まさかそんなことはないだろう。そう思う。そう思いたい。お願いだから、“いいえ”と言ってほしい。ノックを二回返してほしい。

 

 しかし、返ってきた答えは。

 

 ドン。

 

 一回。“はい”だ。

 

「いやあぁ!」綾が悲鳴を上げる。耳を押さえ、しゃがみこんだ。あたしは綾の肩を抱き、小さく、大丈夫、大丈夫、と繰り返す。何の根拠も無いけれど。

 

「あ……あは、幽霊……だそうですよ……若葉先輩……どうしましょう?」美咲、ドアから離れる。

 

「あたし達に何かするつもりなのかな……?」と、睦美。

 

「聞いてみます……あの、あたし達に何か、危害を加えたりは、しないですよね……?」

 

 息がつまる。ノックが返ってくるまでの時間に、窒息死してしまうのではないかと思えるほどに。それはほんの数秒なのだろうけど、永遠とも思える時間。いや、本当に永遠に返事が帰って来ない方がいいのではないか、そう思う。

 

 でも――。

 

 ドンドン。

 

 ノックは――二回。“いいえ”。危害を加えるということだ。

 

 綾はあたしの胸に顔をうずめて泣いた。睦美もあたしに抱きついて来た。由香里は呆然と立ち尽くしている。あたしは両手で綾と睦美の二人を抱き、必死で、大丈夫、大丈夫だから、と、根拠のない言葉をかけ続ける。あたしのこの言葉には何の説得力も無いことは、みんな分かっていると思うけど、それでも、あたしはそう言うしかない。

 

「ま……まさか、殺すつもり……ですか?」美咲が言った

 

「美咲さん! もうやめてください!」綾が泣きながら叫ぶ。

 

 すると――。

 

 ドン!

 

 全員、ビクッと、肩を震わせる。

 

 今までに無い大きな音。ドアが壊れるかと思うくらいの大きな音だった。

 

「いやああぁぁ! もういやぁぁぁ!!」泣き叫ぶ綾と睦美。あたしも震えが止まらない。

 

「い……今、一人ですか?」美咲はなおも質問を続ける。

 

 ドンドン!

 

 ノックは二回。

 

「ふ……二人ですか?」

 

 ドンドン!

 

 ノックは二回。

 

「な……何人ですか? ぜ、全員で、ノックしてください……」

 

 静寂。そして――。

 

 

 

 ドン……ドン……ドン……ドン……ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――。

 

 

 

 

 

 

「……って、どこかで聞いたような怖い話やってる場合か。これ、どう考えてもメンバーの誰かでしょ?」と、あたし。他の人がこんな気の利いた反応をするとは思えない。ゾンビに言葉が分かるとは思えないし、まして幽霊なんてもってのほかだ。

 

「まあ、そうでしょうね。あたしもそう思います」美咲も同意する。コイツ、分かっててやってたな。

 

「なんだ。幽霊じゃないんですか。怖がって損しました」綾、さっきまで泣いてたのがウソのようなケロッとした顔。

 

「ま……まあ、最初からそうじゃないかと思ってたんだけどさ」強がるような口調の睦美。どうやらこの娘は本気で怖がっていたようだ。

 

「これだけノリのいい反応をして、かつ、ゾンビだらけの船内を移動できるくらい武術の腕がある娘と言えば……愛子とちはるかな?」由香里が、メンバーの性格を熟知した、キャプテンらしい分析力を披露する。

 

「じゃあ、とりあえず開けようか?」あたしがみんなに言う。反対意見は出なかった。まあ、ゾンビであることも否定はできないので、一応用心し、あたしは木刀、由香里は竹刀を構え、美咲が扉を開けた。すると。

 

「ああ! やっと開けてくれた! もう! ゾンビに追われて危機一髪の状況だったら、どうするつもりだったのよ? まったく。この分厚い扉たたくの、結構大変なんだからね?」

 

 大声で文句を言いながら入ってきたのは、予想通り、愛子とちはるだった。文句を言うくらいなら断れよ……と内心思いつつも、あたしたちは笑顔で二人を迎えた。

 

 早海愛子と並木ちはる。二人とも一期生で、愛子は柔道、ちはるは、アメリカの軍隊で使用されている格闘技・マーシャルアーツの使い手だ。二人ともかなりの腕前で、インターネットの大型掲示板を中心によく話題になる「アイドル・ヴァルキリーズ格闘ランキング」では、常に上位に位置している。しかし、正規のランキングはこのところ低迷しており、愛子は16位、ちはるは24位だ。そのことをかなり気にしているのか、自分たちより上位にランクインした後輩メンバーに対し、イヤミを言ったり、パシリに使ったり、些細なことで怒鳴ったりする。この船で初日に行われたコンサートの後、ドリンクを配るエリに絡んで行って、もめそうになったのも記憶に新しい。ヴァルキリーズでは問題児とされている二人だ。

 

 とは言え、かけがえのない仲間であることには変わりない。お互いの無事を確認し合い、そして、再会を心から喜んだ。

 

 

 

 

 

 


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