ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
「実は……あたし、このグループを、出て行こうと思ってます」
エリは、あたしと深雪の顔を交互に見て、そして、言った。
……は?
グループを出て行く? つまり、この操舵室から出て行くということ?
あまりに予想外の言葉だった。深雪を見ると、同じく全く予想していなかったようで、目を丸くして驚いている。
「出て行くって……どうして?」
「すみません。理由は、今はまだ言えません。ただ、この操舵室が危険だ、とかではないので、安心してください。ちょっと、個人的な理由からです」
「でも……出て行って、どうするつもりなの?」
「燈たちのグループに入れてもらうのがベストだと思ってますが……昨日、由香里さんから聞きました。メンバーの誰も信用せず、協力を拒んでるとか。由香里さんや若葉さんのことを信用してないくらいですから、燈はあたしのことも信用しないと思います。もし燈に拒まれたら、どこか他の、安全な場所を探すしかありません。それで、二人にお願いがあるのですが……」
「……何?」
「できれば、あたしと一緒に来ていただけないか、と」
「ええっ!?」
深雪と同時に声を上げる。
あたしと深雪が、エリと一緒に行く? つまり、三人で別行動しようってこと?
「無茶を言ってるのは分かっています。でも、今の燈のグループには、リーダーと呼べる人がいません。ゾンビと戦うだけなら、燈一人でも十分だと思います。でも、グループで行動する以上、やはり、みんなを導いてくれる人が必要だと思うんです。残念ながら、燈はそういうタイプではありません」
確かに、それはそうだけど。
もしかしたらエリは、燈たちのことを心配しているのだろうか?
エリと燈は同じ二期生で、その中でも特に仲の良いことで知られている。リーダー不在の燈グループのことを心配して、こんなことを言い出したのだとしても、不思議ではない。
……いや。
それなら、理由を隠す必要はないだろう。「燈たちが心配だから、あっちのグループへ行きたい」と、正直に言えばいい。もし燈に断られたら、戻ってくることもできる。
でも、エリは出て行く理由を「個人的なこと」と言い、そして、もし燈に合流を拒否されても、戻ってくるつもりはないようなのだ。何か、他の理由があるに違いない。
深雪を見た。深雪も、いきなりのことに困った顔をするだけだ。
あたしはエリに向き直った。「ゴメン、エリ。それはできないよ。エリも見たでしょ? ゾンビ騒動が起こった最初の日、みんなで部屋に立てこもって、これからどうするか話し合った。あたしはみんなの意見をまとめるどころか、ケンカを止めることもできなかったのよ? あたしはリーダーなんてガラじゃない。それは、深雪も同じだよ。だから、出て行くなんて、言わないで。この操舵室が船内では一番安全なんだし。それに、エリが出て行ったら、みんな困るよ。みんな、頼りにしてるんだから。ね?」
深雪を見る。エリに向かって、笑顔で頷いた。
「…………」
エリはうつむき、黙ってしまった。
あたしは言葉を継ぐ。「……それでも、どうしても出て行かなければいけない理由があるなら、まずは、それを教えて」
「それは……」エリは顔を上げず、その先を言い淀んだ。よほど言いづらいことなのだろうか。
と。
「それは――あたしが来たから、でしょ?」
食堂の方から声がした。三人一斉にそちらを見る。
亜夕美だった。刃先に白い布を巻いた薙刀を持ち、純白の胴着に紺の袴という、いつもの恰好。こちらへやってくる。ソファーの側に立ち、エリを見下ろした。
エリの表情が険しくなる。まっすぐに亜夕美を見つめ返した。「――どういうことでしょうか?」
「睦美から聞いたよ。あたしたちのグループと合流しよう、って相談してた時、エリ一人だけ反対したそうじゃない。あたしが危険人物だから、って」
二日前の話だな。睦美め……また余計なことを。
亜夕美の言葉に対し、エリは言い返す。「確かに言いましたけど、今は、そのことは関係ありません。それに、最初に合流を拒否したのは、亜夕美さんのグループの方だ、って、聞いてますけど?」
あちゃー。エリの悪いクセが出てしまった。売られたケンカは、たとえそれが先輩相手でも喜んで買う。ここはウソでも、「そんなことは言ってません」って言っとけよ。
亜夕美の表情も険しくなる。一色触発の雰囲気だ。
「ちょっと。やめなさいよ」二人の間に割って入る。こんな時にケンカなんてされたらたまらない。
二人はしばらく睨み合っていたけれど、やがて、亜夕美が「フン」と、鼻で笑い、視線を逸らした。「別にあんたたちが出て行く必要はないよ。あたしが出て行けばいいだけのことだ。七海たちを探さなきゃいけないし、これ以上ここで厄介になるつもりはない」
エリも目を逸らす。「本当に、亜夕美さんは関係ないんですけどね……まあ、どうしてもそう思いたいのなら、あたしは別にかまいませんけど」
だから、やめろっての。ホント、このクセさえなければ、いい娘なんだけどな。
エリはソファーから立ち、あたしと深雪を見た。「すみません、お二人とも、さっきの話は忘れてください。――失礼します」
そして、仮眠室の方へ早足で歩いて行った。
亜夕美はしばらくその背中を見つめていたけれど、やがて姿が見えなくなると、視線をソファーに座る深雪へと移した。
数日前の亜夕美の言葉が頭をよぎる。
――あいつが死んでたら、あたしがブリュンヒルデだったのに。
瞬間、しまった、と思った。木刀は仮眠室に置いたままだ。あたしは深雪を護るために昨日から一緒にいるのに、何で武器を持ち歩いてないんだよ。
こめかみを汗が伝う。もし本当に亜夕美が深雪を襲ったとして、はたして素手のあたしに亜夕美を止めることができるだろうか? 無理だろう。そもそも、武器を持っていたとしても、あたしが亜夕美に勝てるかどうかも怪しいのだ。
深雪は、亜夕美が話に入って来た時から、窓の外に視線を移し、「あたしは関係ない」と言わんばかりの態度を取っている。相変わらず亜夕美と口を利く気はないらしい。
亜夕美は再び鼻を鳴らし、今度はあたしの方を見た。「――じゃ、あたしは行くよ。一応、世話になったね」
そっけない口調で言って、亜夕美は背を向け、そのまま操舵室を出て行った。
ふう。良かった。とりあえず、大きな問題は起こらなかった。やっぱ、あたしの考えすぎだったかな? あたしは、どさっとソファーに腰を下ろした。
「……あれ? 行かないの?」と、深雪が言った。
「へ? 行かないって、どこへ?」
「あの娘と一緒に、七海たちを探しに。一人は危険だから、外に出るのは必ず二人以上で、って、決まってるじゃん」
あ、そうだった。緊張しててすっかり忘れてたよ。亜夕美って、ずっと一人で行動してたみたいだし。まあ、あの娘のことだから、一人でもゾンビなんかに殺られたりはしないだろうけど。でも、一時的だったとはいえ、あたしたちのグループに身を置いた以上、あたしたちのルールに従うべきだろうな。
でも、な……。
「うーん……」と、唸り、考えるあたし。
さて、どうしたものか。
亜夕美が深雪を襲う可能性を否定できない以上、深雪のそばを離れるべきではないと思う。亜夕美のそばにいれば同じこと……とは言い切れない。亜夕美が本気で深雪を襲うつもりなら、あたしなんていくらでも撒けるだろう。それがゾンビだらけの外ならなおさらだ。深雪のそばにいた方がいい。
しかし、今は七海たちを探すのが最優先事項だ。それに、亜夕美と七海は幼馴染。いくらなんでも行方不明の幼馴染を放っておいて、深雪を襲うなんてことはないだろう、とも思う。
ここに残るべきか、追うべきか……迷うあたし。
と、深雪が。
目を細めて、じっと、あたしの顔を見ていた。
「……な……何?」考えていることが見透かされてしまったような気がして、思わず声が上ずってしまうあたし。
「……なんか、昨日からずっとあたしと一緒にいるけど、もしかして若葉、あの娘があたしを襲うとか思ってない?」
ぎく。な……何で分かったんだろ?
いや、これは単なる深雪の推測だ。バレているわけじゃない。ここは平静を装い、やり過ごすべきだ。「へ? 亜夕美が深雪を襲う? 何のために?」
「例えば、『あたしが死ねば自動的にあの娘がブリュンヒルデになるから』とか?」
ぎくぎく。何と言う推理力。ポアロやマープルもビックリだ。
「……若葉って、ホントに分かりやすいよね」深雪は笑った。「大丈夫。あの娘は、あたしを襲ったりなんかしないよ」
「そりゃあ、あたしもそう思うけど、でも、分かんないじゃん」
「分かるよ」深雪は、自信にあふれた口調でそう断言した。「あたしを殺して、それでブリュンヒルデになれたとして、そんなことに何の意味があるの? あの娘とあたしが武術で戦えば、あの娘が勝つに決まってる。そんなの、誰だって分かるよ。でも、アイドル・ヴァルキリーズのランキングは、武術のランキングじゃ、ない。確かにあの娘は、誰よりもブリュンヒルデの座を狙っている。あたしに勝ちたいって思ってる。でも、それは武術じゃなくて、アイドルとしてだよ。だから、あの娘は絶対にあたしを殺したりなんかしない。むしろ、絶対に生きてほしい、って、思ってくれてるよ。生きて日本に帰って、そして、正々堂々アイドルとして勝負して、あたしに勝ちたいはずだから」
深雪は、ゆっくりとした口調で語った。
その瞬間。
昨日から続いていた心の中のモヤモヤが、一気に晴れていった。
そうだ……そうだよ。
深雪の言う通りだ。
亜夕美はただブリュンヒルデの称号が欲しいんじゃない。アイドルとして、深雪に勝ちたいんだ。深雪がいなくなり、自動的にブリュンヒルデになって、それで満足するような娘ではない。亜夕美が深雪を襲うなんて、ありえない。
あたしは、何をバカなことを考えていたのだろう。ちょっと自己嫌悪。
「しかし、あの娘ってホント、素直じゃないよね」深雪は大きく伸びをする。「『あたしは一人で大丈夫』みたいに言ってたけど、ホントは絶対手伝ってほしいはずだよ。今頃、なんであんな態度取ったんだろう、って、悔やんでるんじゃないかな?」
「――そうかな?」
「そうだよ。あの娘、典型的なツンデレだもん。こっちがツンツンすれば、向こうもツンツンで返してくるの。だから、こっちがデレデレで行けば、向こうもデレデレで返してくるよ」
確かに、そういうところはあるな、亜夕美は。
しかし。
今の深雪、口調が楽しそうに見えるのは、絶対に気のせいではないだろう。
「ん? 何?」あたしがじっと見ているのに気が付き、深雪は目を丸くする。
「あ、いや、何と言うか、深雪が亜夕美のことをそんな風に言うなんて、ちょっと意外だな、って、思って」
「そう? そんなことも無いと思うけど」ちょっと照れたように目を逸らす深雪。
「お互い嫌い合ってても、やっぱり相手のことはよく分かってるんだね」
「うーん。嫌い合ってる、っていうのは、ちょっと違うかな。あの娘はどうか知らないけど、少なくともあたしは、あの娘のこと、すっごい尊敬してるもん」
おおっと。今、衝撃発言が飛び出したぞ? 深雪が亜夕美のことを尊敬している? 普段冷戦状態で一切口を利かない二人の関係からは想像もできない言葉だ。
深雪は、静かな口調で語り始めた。「今だから言うけど……あたしね、初めのころ、ブリュンヒルデをやるのが、すっごくイヤだったの。ほら、デビュー時のランキングって、ファンの投票じゃなく、プロデューサーが決めたじゃない?」
そうなのだ。ファンの投票によるアイドル・ヴァルキリーズのランキングが始まったのはデビュー二年目からで、一年目のランキングは、デビュー前のレッスン等を見て、プロデューサーが決めたのだ。そこで1位のブリュンヒルデに選ばれたのが深雪、2位のロスヴァイセに選ばれたのが亜夕美だ。
あの時は、メンバーの間でも衝撃が走った。一期生の中で、歌もダンスも上手だったのは亜夕美だ。薙刀で全国制覇をした実績もあり、ヴァルキリーズのコンセプト『歌って踊れる戦乙女』という条件に、ぴったりハマる。みんな、亜夕美を中心にチームを作っていくのだと思っていた。
でも、選ばれたのは、歌もダンスもそれほど上手くなく、武術の経験も無い深雪だった。
「あたし、あの頃は毎日、『なんであたしなんかがブリュンヒルデに選ばれたんだろう?』って、悩んでた。だってそうでしょ? あたしよりも歌もダンスも武術もうまい人が、後ろで歌って踊ってるんだよ? それだけでもすごいプレッシャーなのに、公演する度に、テレビや雑誌に出る度に、いろんな人からバッシングされて……あたし、ホントにブリュンヒルデを……ううん、アイドル自体を辞めたかったの」
そう。
深雪は考えていることをあまり表に出さないタイプだけれど、あの頃、慣れないブリュンヒルデの座に悩んでいたことは、誰の目にも明らかだった。
当時、アイドル・ヴァルキリーズはデビュー直後だったので、世間的に知名度は低かったけれど、そのコンセプトから、アイドル雑誌やネットのアイドル系サイトでは、それなりに注目されていた。しかし、その内容は否定的なものが殆んどだった。それも仕方がないかもしれない。『歌って踊れる戦乙女』をコンセプトとしているのに、先頭に立っているのは、武術はもちろん、歌もダンスも素人同然だけど、ルックスだけは抜群の深雪なのだから。
――コンセプトは斬新だけど、結局は見た目で売り出そうとしている。
日々、そんなことを言われ続けた。
それが、深雪にとってどれだけつらい言葉だったかは、想像に難くはない。
そして、二年目の春。
ファンの投票によるランキングが始まった。
その、第1回のランキングで、1位になり、ブリュンヒルデの称号を獲得したのは、深雪ではなく、亜夕美だった。
「あたし、すっごく、ホッとしたんだよね」深雪は自嘲気味に笑う。「やっと、なるべき人がブリュンヒルデになった。もう、あたしはバッシングされなくて済む……って。でも、そんな感情はすぐに消えた。あたし、亜夕美の後ろで歌ってて、悔しかったの。あたしがあれだけ嫌だったブリュンヒルデを、亜夕美がすごく嬉しそうにやってるのが悔しかった……ううん、違うね。あたし、羨ましかったんだと思う。アイドル・ヴァルキリーズの先頭に立って、あれだけ輝くことができる亜夕美が、すごく羨ましかったんだと思う。あたしも、亜夕美みたいになりたい、って、思った」
そう……そして。
翌年の第2回ランキング――今朝夢で見たあの日。
深雪は、見事にブリュンヒルデに返り咲いた。
そして、その後は快進撃を続け。
四年連続ブリュンヒルデの座を守り、『神撃のブリュンヒルデ』と呼ばれるまでになったのだ。
「――今のあたしがあるのは、ホントに、亜夕美のおかげだよ」深雪は、遠くを見つめるような目で言う。「亜夕美には、ホントに感謝してる。亜夕美がいなかったら、あたし、絶対アイドルなんて続けられなかったもん」
深雪の、亜夕美の呼び方が。
いつの間にか、「あの娘」から「亜夕美」に変わっていた。
――あたしは、あの娘のこと、すっごい尊敬してるもん。
さっきの深雪の言葉に、ウソはないだろう。そう思った。
「――あ、ゴメンね。なんか、変な話、しちゃって」
「ううん、そんなことないよ。ありがと。深雪の本音が聞けて、良かった。でもさ、それ、あたしなんかより、直接本人に言ってあげなよ? 亜夕美、きっと喜ぶと思うよ? それで、二人は仲直り。アイドル・ヴァルキリーズは、さらなる高みを目指すことができる……どう?」
「うーん、どうだろうね? あたしと亜夕美って、たぶん、そんな簡単な関係じゃないと思うんだ」
「…………?」
「あたし……怖いの。亜夕美と仲良くなるのが。今のライバル関係が崩れたら、もう、お互い成長できなくなるんじゃないかって。今はお互い口も利かず、ただ競い合ってるから、成長できているけど……もし、仲良くなったら、競い合うこともしなくなっちゃうんじゃないか、もう成長できなくなるんじゃないか……そう思うと、怖いの」
うーん。そういうものなのだろうか? 難しいな、ライバル関係って。あたしには、ライバルと呼べるような人は、特にはいないからな。
「――まあ、深雪の気持ちは分かったよ。あたし、行って来るね」あたしは席を立つ。
「うん。亜夕美をお願いね。あの娘、薙刀の腕は確かだけど、一人だと暴走するかもしれないから、しっかりブレーキかけてあげて」
「うん。任せて」
あたしはウィンクをすると、仮眠室に戻り、愛用の木刀を取ってきた。
食堂に由香里の姿は無かった。まだ寝ているのだろう。まあ、日々キャプテンの激務で精神的に疲れているのに、昨日は一日中ゾンビと戦って、体力的にも疲れさせてしまった。今日くらいはゆっくりさせてあげよう。外に出るのはキャプテンの許可を取って、必ず二人以上で。許可は出てないけど、七海を探すのを反対したりしないだろう。亜夕美と一緒だから、二人だしね。
「じゃあ、行ってくる。由香里には、よろしく言っておいて」あたしは笑顔で言った。
「うん。気を付けてね」深雪も笑顔で応えた。
ドアを開け、外に出る。
でも、その足を止め、振り返った。
「ねえ、深雪、一つだけ、訊いていい?」
「何?」
「歌もダンスも武術も亜夕美に負けてるのに、それでも自分が1位に選ばれる理由って、何だと思ってる?」
「――それはやっぱり、顔でしょ?」右手の人差指と親指を顎に当て、ぴくぴくと眉を動かす深雪。
「……あ、やっぱりそう思ってるんだ」
「うん。だってあたし、そこだけはメンバーの誰にも負けてる気がしないもん」そう言って、深雪は胸を張った。
……いや、例え本気でそう思ってても、一応否定しろよ。
あたしたちはしばらく無言で見つめ合い。
どちらからともなく、笑い合った。
そして、あたしは亜夕美を追った。