ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
「――あたしは、皆様から頂いた今回のこの順位に誇りと自信を持ち、あたし自身と、そして、アイドル・ヴァルキリーズのために、これからもずっと、努力し続けようと思います。今日は本当に、ありがとうございました!!」
あたしは、会場に集まってくれたファンの方々に向かって、深く、深く、頭を下げた。
会場内は拍手と歓声に包まれる。あたしは頭を上げる。ステージの下には、まだ名前を呼ばれていないヴァルキリーズのメンバー。そして、その向こうには、今日、このイベントを見るために集まってくれたファンのみんなが、あたしを称えてくれている。あたしはとびっきり笑顔をみんなに贈り、高々とトロフィーを掲げた。扇状のアクリルプレートの中央には、大きく“3位”の文字が刻まれている。
やがてスタッフの人が、こちらへ、と、案内する。あたしはみんなに手を振りながら、ステージの左側から舞台裏へと下がった。
今日は、アイドル・ヴァルキリーズ最大のイベント、ランキング発表の日だ。上位九名には特別な称号が与えられることから、ファンの間では『称号争奪戦』とも呼ばれている。今年で2回目。あたしは、去年と同じ3位をキープし、称号ゲルヒルデを護った。でも、称号よりも、去年と同じ3位をキープできたことが嬉しい。それはつまり、この一年のあたしの活動が、ファンのみんなに認められたということである。アイドルとして、何よりも嬉しいことだ。
「ああ! やっと終わったぁ!!」
会場から見えない位置まで来て、ようやく重圧から解放されたあたしは、その場にしゃがみ込んだ。心臓が大きく鼓動している。息も乱れている。喉はカラカラだ。ただ椅子に座り、順位の発表を聞いて、ステージに上がり、数分のスピーチをしただけなのに、まるでフルマラソンを終えたかのような疲労感。そして、達成感。
しゃがんでしばらく余韻に浸っていると、奥からキャプテンの由香里がやって来た。「お疲れ、若葉。3位、おめでとう」
「由香里も、おめでとう」あたしは笑顔で応えた。
由香里の胸には、4位の文字が刻まれたトロフィーが抱かれている。去年の6位から2ランクのアップだ。アイドル・ヴァルキリーズ結成当初は、どこか頼りないところも多かった由香里だけれど、今では誰もが認める立派なキャプテンへと成長した。今年の順位は、それをファンのみんなにも認めてもらえた証拠である。
「……しかし、このランキングって、ホントに毎年やるのかな?」あたしはため息とともに言った。
「そりゃ、そうでしょ? こんなに沢山のファンが集まって、盛り上がってくれるんだもん。総票数も去年の倍以上に増えてるし。やめるなんてありえないでしょ?」当然のように言う由香里。
「だよねぇ……」
はぁ。と、あたしはもうひとつため息をついた。
見ている方は楽しいかもしれないけれど、このランキングイベント、やってる方は大変なのだ。なんせ、アイドルグループのメンバーの人気に、ランクをつけようというのである。グループでアイドル活動をしている以上、メンバーの間に人気の差が出るのは仕方がないことだけど、わざわざそれを明確にするのだ。ハッキリ言って大きなお世話である。しかし、ヴァルキリーズのメンバーである以上、拒むことはできない。たとえどんなに残酷な結果が待っていようとも、である。
舞台裏を見回す。すでにランクの発表を終えたメンバーが、それぞれの順位が刻まれたトロフィーを胸に、今回の結果について話し合っている。去年からランクを上げた娘、下げた娘、その表情は対照的だ。特に、大きくランクを下げた娘には、キャプテンの由香里ですら、声をかけられない場合もある。こんなことを毎年続けようと言うのだ。しかも来月には、ヴァルキリーズに二期生が加入することが決まっている。つまり、来年からはランキングにあたしたちの後輩も加わるのだ。当然、後輩に抜かれる娘も出てくるだろう。ランキングでは、それすらも明確になる。考えただけでも胃が痛い。
「ま、しょうがないよ。このランキングのシステムは、ヴァルキリーズ最大の目玉だからね。メンバーの宿命だと思って、受け入れるしかないね」
まるで悟りを開いたような表情の由香里。あたしもいつか、あんな風に達観できるようになるのだろうか? ムリだ。ムリすぎる。
「それでは、第2位の発表です!」
会場内に響く司会者の声と、そして、歓声。いよいよ、第2位の発表だ。
ヴァルキリーズのメンバーは現在全二十四名だけど、ランキングが発表されるのは16位からだ。さすがに下位のランクまで全部発表するほど悪趣味ではないらしい。名前を呼ばれていないメンバーはまだ十人いるけれど、実質、二人に絞られていると言っていい。去年のランキングで2位を獲得した神崎深雪と、1位を獲得した本郷亜夕美だ。
つまり、2位の発表は、同時に1位の発表でもあるのだ。
二年連続のベスト2がほぼ確定した二人だけど、そのキャラは対照的だ。
深雪は、ヴァルキリーズでは珍しいお嬢様タイプの娘だ。『歌って踊れる戦乙女』をコンセプトとしたアイドル・ヴァルキリーズからは、真逆のキャラだと言えなくもない。一応、ヴァルキリーズメンバーとして義務付けられた週二回の剣道の稽古をやっていて、それなりに上達はしているけれど、まだまだ武道なんて呼べるレベルではない。
対して亜夕美は、まさしくアイドル・ヴァルキリーズの象徴のような娘である。高校時代に薙刀で全国制覇をし、武術、体力ともに申し分ない。
正直に言うと。
今年のランキングを制するのは、やはり亜夕美だろう、と、あたしは思っている。
いや、たぶんあたしだけではないだろう。メンバーのみんな、ファンのみんな、ほとんどの人が、そう思っているはずだ。
ヴァルキリーズのイメージにぴったりとはまっているのは、どう考えても亜夕美だ。歌やダンスに関しても、亜夕美は深雪よりも優れている。それはたぶん、メンバー全員が認める所だろう。
亜夕美が今回のランキングを制すれば、二年連続の1位獲得となる。そうなれば、1位の称号“ブリュンヒルデ”は、完全に亜夕美に定着すると言っていい。名実ともに、アイドル・ヴァルキリーズの顔となれるのである。
司会者が、真っ白な封筒を開け、中からカードを取り出した。あれに、2位の娘の名前が書かれてある。
「それでは、発表します。第2位。最終獲得票数、四千二百八十五票――」
最初は静かに。
そして、力強く、2位の娘の名前を読み上げた。
「――本郷亜夕美!!」
その瞬間。
会場は、今日一番のどよめきに包まれた。
驚きの声と、喜びの声と、拍手と、床を踏み鳴らす音。すべてが混じり合い、まるで雷鳴のような音が、会場内に響き渡る。
――今呼ばれたのは、亜夕美?
司会者の声は耳に残っている。確かに本郷亜夕美と言った。聞き違いではない。
だけど。
それを受け入れることができない。
そんな? 亜夕美が負けた? 信じられない。
戸惑いを隠せない。由香里もビックリしている。舞台裏にいるメンバー全員が同じ思いのようだ。
しかし、あたしたち以上に戸惑っているのが。
ステージ下の、亜夕美本人だった。
亜夕美は、何が起こったのか分からないという表情で、ステージの上と、メンバーと、客席の方を、順番に見て言った。
その拍手が、歓声が、視線が。
自分に向けられていると気付き、ゆっくりと席を立つ。
そして、ステージへ続く階段を上がった。
ステージ上に立った亜夕美に、スタッフがトロフィーを渡した。そこにははっきりと、2位の文字が刻まれている。
もう、間違いはない。
今年の称号争奪戦、亜夕美は2位。称号は“ブリュンヒルデ”ではなく“ロスヴァイセ”なのだ。
ステージの真ん中にはマイクが立っている。名前を呼ばれた娘は、そこで、短いスピーチをするのだ。
亜夕美がマイクの前に立った。
どよめきが消え、会場内が静寂に包まれる。
しかし――。
言葉が出てこない。
それは、特に珍しいことではない。どんなに事前にスピーチの内容を考えていても、名前を呼ばれ、ステージに上がり、マイクの前に立ち、会場中の視線を浴びた瞬間、全てが消え去ってしまうのは、ここまで名前を呼ばれたメンバーの誰にも経験がある。
亜夕美は沈黙し続ける。それが十秒になり、三十秒になり、一分になった。
その間、亜夕美は胸にトロフィーを抱き、焦点の定まらない目で、ステージの下を、会場内を、見ていた。
がんばれ! しっかり! ファンからの声援が飛ぶ。それも、沈黙が二分を越えたあたりから、ざわめきの中に消えた。
「あ……え……と……」
ようやく声を出す亜夕美。
会場内が再び静まり返る。
「……すみません。頭の中が真っ白で、今は何も言えそうにありません……」
普段の亜夕美からは想像できないような、小さな声だった。
「……今日は、本当に、ありがとうございました……」
亜夕美は、深く頭を下げた。
スピーチはそれだけだった。亜夕美は、まるで夢遊病者のような足取りで、ステージ左側から舞台裏へと下がった。観客のざわめきの中にわずかばかりの拍手が混じる。あまりにも後味の悪い、2位の発表だった。
「お疲れ、亜夕美」
由香里が声をかけたけれど、亜夕美は無言で通り過ぎた。まるで、あたしたちなんて目に入っていないかのように。奥にいた水野七海が駆け寄ってくる。亜夕美の幼馴染だ。でも、彼女の声にも、亜夕美は応えなかった。
あたしも声をかけようとしたけれど、由香里に止められた。今はそっとしておこう、ということだろう。確かに、キャプテンの由香里や幼馴染の七海が声をかけても応えないのに、あたしなんかに何かできるはずもない。あたしは黙って頷き、そして、ステージに視線を戻した。
「それでは、いよいよ第1位の発表です!」
司会者の言葉に、再び会場が湧き上がる。
発表するまでも無い。深雪以外にはありえないのだから。それでも、観客の期待感はますます高まっていくようだ。
「――最終獲得票数、四千五百三十六票……神崎深雪!!」
その声とともに。
会場は、さっき亜夕美が呼ばれた以上の歓声と怒号に包まれた。
席を立ち、観客の方を向いた深雪は、深く、深く、頭を下げた。そしてステージに上がる。その顔は、すでに涙でぐしゃぐしゃだ。
スタッフが、深雪にトロフィーを渡す。あたしたちの持っている物よりも一回り大きい。そして、力強く刻まれた“1位”の文字。アイドル・ヴァルキリーズの頂点に立った証だ。
「みなさん!! 今日は本当に、ありがとうございます!!」
スタンドマイクを握りしめた深雪は、スピーカーが割れるのではないかと思うほどの大声で言った。さらなる拍手と歓声が鳴り響く。舞台裏のメンバーも手を叩き、「おめでとう!」と、祝福の言葉を飛ばした。あたしも、由香里も、知らず、手を叩いていた。
と、その時。
がしゃん! と、何かが壊れる音が、舞台裏に響いた。
振り返ると。
肩で大きく息をする亜夕美がいる。その足元には、プレートと台座の部分が真っ二つに割れた無残な姿のトロフィーが転がっていた。
うっかり落としたのではないだろう。恐らく、亜夕美が床に叩きつけたのだ。
舞台裏は、一瞬で静まり返った。
「亜夕美……落ち着いて」
七海が声をかけ、肩に手を掛けるけど、亜夕美はそれを振り払う。
「――納得がいかない」
静かな口調で言った。
みんな、何と声をかけていいか分からず、ただ黙っている。
「何なのこれは? なんであたしが2位なの? あたしがあの娘に負けてるっていうの? 歌も、ダンスも、武術も、あたしは何ひとつ、あの娘に負けてないでしょ?」
徐々に興奮してくる亜夕美。
誰に向かって言ってるのかは分からない。この場にいる全員に言っているようでもあり、自分自身に言ってるようでもある。投票したファンに向けて言ってるようでもあるし、ステージ上の深雪に向けて言っているようでもあった。
「分かってるよ、亜夕美。それはみんな、分かってるから」七海が落ち着かせようとするけれど。
「じゃあなんであの娘が1位なのよ!!」
吼える亜夕美。
七海も黙るしかない。
亜夕美は、自嘲気味に笑った。「分かってるわよ。結局、アイドルだから容姿が第一なんでしょ? かわいければ歌もダンスも適当でもやって行けるんでしょ!? あの娘の武器はそれだけだもんね。ふん! くだらない。こんな茶番、やってられないわよ!!」
亜夕美は、足元に転がる2位の文字が刻まれたプレートを、思いっきり蹴り飛ばした。勢いよく壁にぶつかったプレートは、粉々に砕け散った。
気持ちは分からなくはないけれど、いくらなんでもやり過ぎだ。メンバーの若い娘の中には、怯えて泣き出した娘もいる。何とかしなきゃ。あたしは由香里の方を見た。
「――――」
思わず、息を飲む。
由香里は、今まで見たことが無いほど、怖い顔をしていた。
由香里はヴァルキリーズのキャプテンだ。ときにはメンバーを叱ることもある。普段は優しい由香里も、叱るときは別人のようになることもある。そんな中でも、今の由香里は、今までで一番怖い顔をしていた。
「亜夕美――」
ゆっくりと口を開いた。
振り返った亜夕美は、由香里の顔を見て、一瞬怯んだ。
今のヴァルキリーズのメンバーの中で、武術で最も優れているのは、間違いなく亜夕美だ。
そんな亜夕美すらも怯ませるほど、由香里の眼光は鋭く、怖かった。
由香里は、静かな、それでいて重みのある口調で言った。
「――本気でそんな風に思っているなら、あなたはこの先絶対、深雪には勝てないよ」
あたしは、そこで目を覚ました――。