ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
目を覚ますと、昨日と同じ、二段ベッドの中だった。世界最大級の豪華客船・オータム号の操舵室、クルー用の仮眠室である。
今の夢は、半月くらい前に行われた握手会での出来事だ。ランキング6位の“オルトリンデ”、一ノ瀬燈が、インドのファンの人と左手で握手をしようとしてトラブルとなったけど、キャプテンの由香里が見事に解決したのである。まさかイングリッシュなんて高度な言語を由香里が自由自在に操るなんて夢にも思わず、びっくりすると同時に、ますます尊敬することになったのだった。さすがは大学卒業のダークナイトである。
さて、と。
時計を見ると、十時を過ぎている。えーっと。昨日寝たのも十時くらいだったような。げ。十二時間も寝てたのか。まいったね。ここ数年は仕事が忙しく、普段の睡眠時間は三~四時間が当たり前だったけど、ゾンビ騒動のおかげで思わぬ休暇が舞い込んだ。目覚まし時計を掛けないで寝ると、こんなに眠れるんだな、あたし。ま、こんなチャンスはめったにない。日本に帰ればまた忙しい日々が待ってるだろうから、いまのうちにたっぷり寝だめしておこう。
なんて不謹慎なことを考えながら、仮眠室を出て洗面所に行き、顔を洗って歯を磨き、軽く身支度をして食堂へ向かう。今朝も祭ちゃんのおいしい朝食が頂けるかな、と、ウキウキしていたら。
「若葉さん、ちょっと来てください」
操舵室の方からエリが走ってきた。そう言えば、操舵室の方が騒がしい。
「おはよ、エリ。何かあったの?」
「はい。それが、朝から美咲の姿が見えなくて」
「美咲の? そりゃまたどうして?」
「まだ分かりませんけど、恐らく、一人で外に出たんじゃないかと……」
一人で外に? そりゃ、マズイな。
この操舵室に立てこもった日、みんなで話し合い、外に出る場合はキャプテンの由香里の許可を取り、必ず二人以上で行動する、と決めていた。美咲は空手の達人だから簡単にゾンビにやられたりはしないだろうけど、それでも何が起こるかは分からない。船内を一人で行動するのは、あまりにも危険すぎる。
あたしはエリと一緒に操舵室へ行った。立てこもっているメンバー全員が集まっていた。挨拶もそこそこに、事情を訊く。
「えっと、最後に美咲さんを見たのは、あたしです」沢井祭が手を上げて言った。「昨日は一緒の部屋で寝ました。十二時前だったと思います。あたしが起きたのは五時過ぎ。その時は、美咲さんはベッドで寝てました。あたしは皆さんの朝ご飯を作るため食堂に行きました。で、七時半に部屋に見に行ったときには、姿がありませんでした。その時は、操舵室内のどこかにいるんだろうな、と思ってたんですけど……」
「十時になっても誰も姿を見てないから、今、操舵室内を全部探したところ」由香里が言った。「どこにもいないわ。入口のカードキーが一つ無くなってるから、たぶん、外に出たんだろうね」
あたしは手のひらに拳を打ち付けた。「あのバカ……何やってんのよ」
「それで、探しに行こうって話になったんだけど……」由香里があたしの方を見た。
「もちろん、あたし、行くよ」言われるまでも無い。今回のゾンビ騒動が起こってから、あたしはほとんど役に立っていない。こういう時は、率先してあたしが動くべきだ。
「ゴメンね。ホント、助かるよ」すまなさそうに言う由香里。「でも、一人じゃ危険だから、誰かと一緒に、ね」
「分かってる。えっと……」メンバーの顔を見る。美咲がいないので、残っているメンバーには、本格的に武術をやってる娘はいない。キャプテンの由香里と、ランキング1位のブリュンヒルデ・神崎深雪が、剣道の初段を持っているだけだ。由香里はキャプテンなのでここに残った方がいいだろう。あたしは深雪の顔を見た。「……ゴメン、深雪。一緒に来てもらっていい?」
「うん、もちろんよ」深雪は笑顔で応えた。最初はゾンビに怯えて戦うこともままならなかったけれど、今ではエースの自覚に目覚め、頼りになる存在だ。
あたしと深雪はそれぞれ部屋に戻り、木刀と竹刀を持ってきた。祭がおにぎりを持ってきてくれたので、それでお腹を満たす。よし。これでゾンビどもに襲われても大丈夫だ。
「じゃあ、行ってくるね」あたしはみんなに向かって言った。
「うん。二人とも、気を付けて」由香里が応える。
深雪と目を合わせ、お互い頷いた。
外にはゾンビどもがたくさんいる。あたしたちはもう何度もゾンビと戦い、倒してきたけれど、それでも、外に出るのが危険なことには変わりない。できればずっと、安全な操舵室に立てこもっているのが一番だ。でも、そういうわけにはいかない。美咲は今、危険な船内に一人でいるのだ。仲間が危険にさらされている以上、それを放っておいて、自分だけ安全な場所にいるなんてできない。
よし。
あたしは意を決し、扉を開けた。
と、そこに――。
「あ、若葉先輩、深雪先輩、おはようございます」
のんきな声でぺこりと頭を下げる背の低い娘が一人。背中にリュックを背負っていて、まるで遠足帰りの小学生のようだ。
「…………」
決した意が行き場を失い、言葉が出てこない。
「美咲!!」由香里が叫ぶ。
「あ、はい。チーフ。ただ今戻りました」美咲は右手を握って左胸に当てるヴァルキリーズの忠誠ポーズをした。あまりにいつも通りの振る舞いに、怒りすら湧いてきた。あたしたちがどれだけ心配したと思ってんだ。
「ただ今戻りましたじゃないわよ! あんた、どこ行ってたの!?」叫ぶあたし。
「あ……えーっと、まあ、いろいろと用事がありまして」美咲はポリポリと頭を掻いた。
「用事って何!? どんな用事があったって、誰にも言わずに、一人で外に出るなんて、何考えてんのよ!!」
「あ……えっと……その……スミマセン」しょぼんとなる美咲。
「ま……まあ、無事で良かったよ」深雪が言った。「とりあえず、中に入ろ。話はそれからで、ね」
と、いうわけで、あたしたちは美咲を連れて中に入った。
「――で、どこに行ってたわけ?」
操舵室奥のソファーに美咲を座らせ、あたし、由香里、深雪、エリの四人で事情聴取を開始する。
「……ですから……ちょっと、いろいろと用事がありまして……」美咲の答えは歯切れが悪い。
「だから、その用事ってのを訊いてんの!」思わず声が大きくなる。
「それは……その……言うと若葉先輩、絶対怒りますし……」
「大丈夫。もうすでに怒ってるから」
「……チーフ……助けてください」由香里を見る美咲。
「うーん。若葉が怒るのも当然だしね。外に出るときはあたしの許可を取ってから、必ず二人以上で、って、決めたでしょ? どうして守らなかったの?」子供を優しく注意する母親のような口調の由香里。
「うう……スミマセン。あたし、どうしても、我慢できなくて……」ぎゅ、っと、リュックを抱きしめる美咲。
我慢できない?
それで、ピンときたあたし。
あたしは美咲のリュックを指さした。「それ、何が入ってるの?」
「え!? これは……その……何も入ってません!!」いきなりうろたえる美咲。分かりやすい娘だ。
「何も入ってないなら、別にいいでしょ? 中を見せなさい」容赦なく追及する。
「でも! 何も入ってないんだから、見せなくてもいいじゃないですか!」リュックを背中に隠す。
それを。
ひょい、っと、後ろに回り込んだエリが取り上げた。「……おっと、結構重いですね」
「あ! ダメです! 返してください!!」美咲はすぐに飛びつくけれど、エリは華麗なステップでひらりとかわし、あたしの隣にやって来た。
「若葉さん、どうぞ」
エリからリュックを受け取る。開けると、そこには予想通り……。
「みーさーきー」リュックの中身を見せながら、あたしは美咲を睨みつけた。由香里と深雪は中を見て、目を丸くして驚いた。
リュックの中には、白くて大きなゲーム機と、ゲームソフトがたくさん入っていた。美咲が家から持ってきて、初日の夜、ホテルの部屋で一緒に遊んだ、通称「箱」と呼ばれるゲーム機だ。
「美咲、あなたまさか、こんなものを取りに行ってたの?」呆れ顔の深雪。そりゃそうだ。たかがゲーム機を取りに行くために一人でゾンビだらけの船内に出て行ったなんて、正気の沙汰とは思えない。
「ま、そんなことだろうと思いましたけどね」エリは見抜いていたようで、ため息とともに言う。
「美咲……あんたねぇ……」さすがの由香里もフォローの言葉が出てこない。
「……と、いうわけだから。美咲、覚悟はいいね」
あたしは拳を握り、はーっ、と息を吹きかけた。勝手に一人で外に出た挙句、その理由はゲームを取りに行ったと来たもんだ。これは、特大の鉄拳をお見舞いしなければいけない。
「そんな……ごめんなさい! もう絶対、みんなに黙って外に出たりしませんから、許してください!」
手を合わせて謝る美咲。もちろんあたしは許す気など無い。美咲は由香里を見る。さすがの由香里も止める気はないようだ。美咲は深雪とエリも見るけど、当然誰も止めない。
あたしは拳を振り上げた。
「……若葉先輩……だって……だって……あたし……」美咲の目に、涙が浮かんだ。そして、ついに美咲は泣き出してしまった。「あたし! 寂しかったんです!!」
は? 寂しかった? 何言ってんだ?
「だって……だって……そうじゃないですか……若葉先輩、昨日の夜も、その前の夜も、毎晩チーフとばっかり寝て……約束したじゃないですか……この船にいる間は、あたしと一緒の部屋で寝るって……」しゃくりあげながら言う。
まあ、確かに船内での宿泊は美咲と一緒の部屋にしたけれど、あの時と今とでは全然事情が違う。船の中はこんなゾンビだらけの状態になったんだ。一応あたし、最年長だし、キャプテンと話し合わなければいけないことも多いわけで。
「――分かってるんです」美咲は涙を拭いながら言った。「若葉先輩は、チーフと話し合わなければいけないことがたくさんある、って。それは分かってるんです! だからガマンしたんです。でも、やっぱり寂しいんです! だから……だから!! せめて、ゲームで遊んで、若葉先輩のいない寂しさを紛らわそうと思ったんです!!」
拳を握りしめて言う美咲だけど、正直、何言ってるのか分からない。前から常々思っていたのだけれど、この娘はあたしのことをどう思っているのだろうか? 単なる先輩後輩の関係ではないような視線や言動を、時々感じる。早く言えば、あたしに対して恋愛感情を抱いているのではないか、と、思うことがあるのだ。アイドル・ヴァルキリーズは恋愛禁止という鉄の掟があるのだけれど、残念ながらメンバー同士の恋愛は禁止されていない。女子高などでも女の子同士の恋愛は少なくは無いと言うし、この娘もそんなタイプなのだろうか?
美咲を見る。昨日と同じ、仕事が忙しくて夫から相手にされない新妻のような視線(涙目バージョン)を向けている。
そんな目で見られても困るんだけどな。あたしは今、仕事が楽しくて、恋愛なんてしてるヒマがないほど忙しい。美咲だって同じはずだ。というか、それ以前にあたしはいたってノーマルな人間だ。美咲を恋愛対象として見るなんて無理。何とか言ってよ、という目でみんなの方を見ると。
「――そうだったんだ。分かるよ、美咲の気持ち」そう言って、深雪が美咲の頭をなで、慰めた。
……はい? 美咲の気持ちが分かる、だって? 深雪、何言ってんだ?
「そうだね」と、今度は由香里が美咲の肩に手を回した。「ゴメンね、美咲。今、船の中はこんな状態だし、キャプテンとして、若葉に相談しなきゃいけないことがあったから、仕方が無かったのよ。でも、安心して。あたし、決して、あなたから若葉を取ろうなんて思ってないから」
……おいおい。由香里まで何言ってんだ。いつからあたしは美咲のものになったんだ。二人ともどうかしてるぞ? 何とか言ってやってくれ、という視線を、エリに向ける。
エリは、はあ、と、大きくため息をついた。二人とも何言ってるんですか? という表情。おお。そうだとも。言ってやれ言ってやれ。二日前、「ゾンビに咬まれた娘がゾンビになるかもしれない」と言い出した睦美を黙らせたあの論理的思考で、こいつらの目を覚まさせてやってくれ。
エリが言った。「……これは、若葉さんが責任を取るしかないですね」
そうだ! あたしが責任を取るしかないんだ!
…………。
何だって?
「当然じゃないですか」と、エリがあたしの方を見る。「若葉さんには、美咲の保護者としての責任があります。この娘を放置して、こんなに悲しませて、こんな騒動を起こすほど、美咲は悲しんでいたんですよ? これはもう、どう考えても若葉さんが悪いです。責任を取ってください」
いや、いつからあたしが美咲の保護者になったんだよ。責任を取るって何だよ? なんであたしが悪くなってんだよ。
みんなを見る。由香里も深雪も、「あなたが悪い」という視線を向けている。いつの間にか完全アウェーの空気だ。
「とりあえず、キャプテンとして命じるわ」と、由香里。「若葉は今日一日、美咲と一緒にゲームで遊んであげること。いいわね?」
おいおい。なんでそうなる? この非常時に一日中ゲームをやれ、だって? それがキャプテン命令? 冗談じゃないぞ。
「良かったね! 美咲!」深雪が言った。「これで、若葉もあなたの大切さを思い出してくれるわ!」
だから、お前も何を言ってるんだ。
エリが、あたしに小悪魔のような視線を向ける。「若葉さん。ヴァルキリーズにとって、キャプテンの命令は絶対です。しっかりと、美咲の心を癒してあげてくださいね」
……ああ! どいつもこいつも何言ってんだ! もっと冷静になれ! 美咲は一人で勝手に外出して、しかもその理由が「ゲームがやりたかったから」だぞ? 何でそれがあたしのせいになるんだよ? 何でその責任をあたしが取るんだよ? 何でその責任の取り方が一日中美咲とゲームなんだよ? おかしいだろ? コイツら、完全に美咲の術中にハマってやがる。
ふと、美咲を見ると。
――若葉先輩、あたしと、ラブラブゲームしてくれますよね?
胸の前で手を組み、祈るようなポーズで、涙をいっぱいに溜めた目で、あたしを見つめている。
その、まっすぐな、濁りのない、純粋な視線を浴びていると。
――――。
あたしは、にっこりと微笑んで。
「……分かったわ、美咲」
と、思わず言ってしまった。
……しまった! 今のは無し!
そう言おうとしたけれど。
「やったぁ!! ありがとうございます!!」
美咲は、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。
「良かったね! 美咲!」
「おめでとう! 美咲!」
「これでもう、若葉はあなたのことを忘れないわ!」
エリ、由香里、深雪が、口々に美咲を祝福する。
そんな姿を見ていたら。
…………。
……はあ。ま、しょうがないか。確かに今は非常時だけど、一日くらい、ゲームで遊んで過ごす日があってもいいだろう。
「じゃあ、若葉先輩! さっそく行きましょう!!」
美咲はリュックを背負うと、子供のような無邪気な表情で言った。
よし! そうと決まれば、今日はとことん遊んでやる! 美咲! 覚悟しなさい!
あたしは美咲と手をつなぎ、テレビのある仮眠室へ向かった。
「あ、そうだ!」仮眠室のドアを開けたところで、美咲が思い出したように言う。「チーフに報告することがありました」
「ん? 何?」ソファーに座る由香里がこちらを見る。
「えっと、ホテルの部屋からゲームを取って、帰る途中、燈先輩と遥ちゃんに会いました。『みんなによろしく』って、言ってましたよ」笑顔で言う美咲。
そっか。燈と遥に会ったのか。あの二人、元気にしてるかな。
…………。
何だと?
燈と遥に会った?
「ん? 若葉先輩、どうかしましたか?」きょとんとする美咲。
「いや、どうかしましたか? じゃなくて。美咲、今、何て言った?」
「へ? えっと、燈先輩と遥ちゃんに会った、って、言いました」
「あんた、何でそれを早く言わないの」
「だって、誰も訊かなかったから……。そんなことより! 早くゲームしましょう! 先輩向けの、簡単操作で熱くなれるゲーム、ありますから!!」
あたしの手を引き、部屋の中に入ろうとする美咲。
あたしは、その手を振りほどき。
ゴン!
美咲の頭に特大の鉄拳をお見舞いした。