ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
《――若葉ね? 大丈夫? みんな無事!?》
あたしは、涙が出そうになるのをこらえ、答える。「あたしは無事だよ。他のみんなも、大丈夫。あ――」
可南子の方を見る。
可南子は、ゾンビに咬まれて怪我をした。今は大丈夫そうだけど、エリが言うには、感染症を引き起こして、最悪死ぬ可能性も否定できないそうだ。
でも、それをみんなに知られると、余計な不安を与えてしまう。今は黙っておくべきだ。
「――可南子がゾンビに咬まれたけど、心配しないで。エリが手当てしたから。そっちはどうなの?」
《こっちも大丈夫。みんな、あたしの部屋に立てこもってる》
お互い無事を確認し、あたしたちは大きく息を吐いた。みんなの方を見て頷く。それで伝わったようで、みんなも安堵の息をついた。
《……他のグループの娘たちはどう? 誰か、連絡付いた?》由香里が訊いてきた。
「ううん。ケータイが繋がらなくて。そっちはどう?」
《こっちもダメ。内線電話を鳴らしても、誰も出ない。出たの、若葉だけだよ》由香里の声のトーンが落ちた。
誰も出ない。つまり、少なくとも他の所も、ここと同じような状況なのだろう。最悪の場合、すでに――。
《――まあ、簡単にやられるような娘たちじゃないから、心配ないよ。どこか、安全な場所に避難したんだと思う》
あたしの心中を察したかのように、由香里が言った。
確かに、その通りだ。
亜夕美のグループにも、燈のグループにも、愛子のグループにも、あたしや美咲のように、本格的な格闘技を習っている娘がいる。あのゾンビ、凶暴だけど、決して強くはない。由香里の言う通り、簡単にやられたりはしないだろう。
由香里が言う。《あたしたちもどこか安全な場所に避難した方がいいと思うんだけど……そっちの状況はどう?》
「とりあえず部屋の近くのゾンビは片づけたから、今のところは安心だと思う。でも、まだ同じフロアにゾンビの姿は見えるし、深雪や睦美の部屋のドアはゾンビに壊されてた。いつまでも安全じゃないと思う。――そっちは?」
《こっちはちょっと危ないかな。ケガしてる娘はいないけど、部屋の前にゾンビがいてね。ドアをバンバン叩いてる。冷蔵庫とかテーブルとか、あるものでバリケード作ってるけど、それもいつまで持つか……》
それはマズイな。早く対策立てないと。でも、どうすれば……?
《――考えがあるんだけど》由香里が、重々しく行った。
「考え?」
《うん。たぶんこの船の中で一番安全で、ここから比較的近いところがあるの。そこに行こうと思う》
この船で一番安全で、ここから比較的近い――どこだろう? 考えても分からなかったけれど、由香里の口調は自信に満ちていて、不思議な期待感がある。
「それは、どこ?」息を飲み、訊いた。
《――操舵室》
由香里は、短く答えた。
操舵室? 船の操縦とかするところだ。
由香里はゆっくりと言葉を継ぐ。《これだけの規模の船だもの。操舵室は、シージャック対策がしてあると思うの。テロリストたちに乗っ取られたりしないように。だから、中に入ることができれば、これ以上に安全な場所はないわ》
「――――」
思わず、黙ってしまう。
その沈黙を誤解したのか、由香里は不安げな声で。《ダメ……かな?》
「ううん! そんなことない!」慌てて否定する。言葉が出てこなかったのは、由香里の考えが、あまりにも的確だからだ。
由香里の言う通り、この船の中で操舵室以上に安全な場所はない。すでに閉ざされている可能性もあるけれど、まさか助けを求めに来た人を追い返したりもしないだろう。行ってみる価値はある。
《よし。そうと決まれば、さっそく向かいましょう》力強い声で、由香里が言った。《今あたしたちがいるのが10階。若葉たちがいるのが、11階。操舵室があるのは最上階、18階のさらに上。若葉たちがいるのは、エリの部屋だね? とりあえず合流しよう。今からそっちに向かうわ》
「ちょっと待って」そう言って、あたしは考える。由香里があたしたちの部屋に来る。上の階に向かうのだから、もちろんそれが効率的だけど、本当にそれで大丈夫だろうか? 今、由香里と一緒にいるメンバーは、夏川千恵、滝沢絵美、倉田優樹、宮野奈津美、秋庭薫、浅倉綾、神野環、の8人だ。残念ながら、あたしや美咲のように、本格的な格闘技を習っている娘はいないはずだ。
アイドル・ヴァルキリーズのメンバーは、ほとんどの娘が何らかの武術の心得がある――ヴァルキリーズのキャッチコピーだけど、実をいうと、実戦レベルの腕前の娘はあまり多くない。ヴァルキリーズに入る前からなんらかの格闘技を習っている娘もいるけれど、ほとんどの娘は、入ってから習い始めるのだ。推奨されているのが剣道で、メンバーならば、週2回、無料で稽古を受けられるようになっている。その目的は、武術を学ぶというよりも、精神を鍛えたり、体力づくり、筋力トレーニングといった意味合いが強い。なので、みんなの腕前の方はというと、正直、今ひとつだ。まあ、所詮は週2回の稽古なので、それは仕方がないだろう。
それでも、真面目に稽古に取り組み、段位を取得する娘もいる。その1人が、ランキング1位のブリュンヒルデ、神崎深雪だ。深雪はヴァルキリーズに入ってから剣道を始め、わずか3年で初段を取得した。もちろん、週2回以上、自主的に稽古をしていないと不可能だ。
由香里たちのグループの中では、ただ1人、キャプテンの由香里だけが初段を取得している。後のメンバーは無段だ。ゾンビたちは決して強くはないけれど、このメンバーで移動するのは、少し不安だ。
……よし。
「由香里たちはそこで待ってて。あたし、迎えに行くよ」そう言った。
《え? そんな? ダメだよ。あたしたちがそっちに行った方が早いんだし》
「ううん。由香里たちのメンバーには、まともに戦える娘がほとんどいない。あたしたちはもう何体もゾンビを倒しているから、大丈夫だよ。それくらいはさせて」決意を込めて言う。
そう。
それくらいはしないと、あたしは、みんなに申し訳がない。
さっき睦美たちは、あたしにリーダーとして、みんなを導いてくれることを期待してくれた。でも、あたしはそれに応えることができなかった。みんなの意見をまとめることもできず、ケンカを止めることすらできなかった。あたしにはリーダーの資質なんてない。そのことが、よく分かった。
でも、それはもう心配ない。
由香里たちのグループと合流すれば、由香里がみんなを導いてくれるだろう。何と言っても、由香里はあたしたちアイドル・ヴァルキリーズ全48名を束ねるキャプテンなのだから。
だったら、あたしはあたしにできることで、みんなの役に立とう。
あたしは剣道二段。高校時代は全国大会に出場した経験もある。アイドル・ヴァルキリーズには武術のランキングはないけれど、もしそれがあれば、比較的上位にランクインする自信がある。絶対に、由香里たちの助けになれるはずだ。
《――分かった。じゃあ、待ってる。でも、絶対に無理はしないでね》由香里がそう言った。
「うん。すぐに行くから」
あたしは電話を切り、そして、みんなに由香里の案を伝えた。操舵室がこの船の中で恐らく最も安全で、なおかつ、ここから比較的近いこと。睦美は一も二も無く賛成し、美咲やエリも同意した。カスミと可南子はそれでも不服そうな顔をしていたけれど、今、それを議論しているヒマは無かった。下の階で、由香里たちが待っている。ゾンビがドアを破ろうとしているのだ。急がなければいけない。由香里たちと合流するという点に関しては、2人とも反対はしなかった。
「わっかりましたー。じゃあ、若葉先輩。さっそく行きましょう!」美咲はいつものようにヴァルキリーズ忠誠のポーズをして、外に出ようとする。
「いえ。美咲、あなたは残って」あたしは、美咲を止めた。
「へ? ここに、ですか?」きょとんとする美咲。
「ええ。この階にはまだゾンビたちが残ってる。また襲ってこないとも限らない。もしそうなったら、みんなのことを護ってあげて」
「あ……そうですね。分かりました」頷く美咲。「でも、いくら若葉先輩でも、1人じゃ危なくないですか?」
「大丈夫。他の娘に一緒に来てもらうから」あたしは美咲にウィンクして、今度はエリの方を見た。「エリ、竹刀か木刀、持ってない?」
「あ、はい。あります」
エリはクローゼットを開けて中を探り、竹刀を取り出した。エリも一応剣道を習っているから、素振り用に持ち歩いているのだ。
「あたしでお役に立てるかは分かりませんけど、それでも良ければ、お供します」竹刀を構え、笑顔で言うエリ。
「ありがとう。でも、エリも残って、可南子のこと看てて。竹刀、借りるね」
あたしはエリから竹刀を受け取る。そして、深雪を見た。「――あたしは、深雪と一緒に行ってくる」
そう言うと、全員の視線が、一斉に、深雪の方を向いた。
アイドル・ヴァルキリーズのランキング、4年連続第1位。神撃のブリュンヒルデ・神崎深雪――。
しかし、深雪は部屋の隅で膝を抱き怯えている。自分が選ばれるなんて予想もしていなかったのか、目を丸くして、呆然と、みんなの顔を見る。
「はい、これ」竹刀を差し出した。
「何……これ……?」何を言われているのか分からない、という表情の深雪。
「今から下の階に行って、由香里たちを連れてくるの。ゾンビがたくさんいると思うから、武器がいるでしょ?」
「そんな……あたしにあの化物と戦えって言うの!?」
「そうよ。剣道初段、持ってるでしょ? 十分戦えるよ」
「そう……だけど……でも! 剣道なんて、ヴァルキリーズでやらなきゃいけないからやってるだけで、あんな化物と戦うためにやってるんじゃない! あたしは行かない。あたしは、絶対に行かないから!!」
深雪は、堰を切ったように喋り始めた。
喋ることで、自分を護るかのように。
喋ることを止めれば、ゾンビと戦わされる――そう思っているかのように。
深雪の口は止まらない。
「あたしなんかより、美咲や由香里の方が強いでしょ!? そうだよ! 由香里は強いもん。あたしなんかが迎えに行かなくったって、大丈夫だよ! きっと、向こうから来てくれるよ! だから、ここで待ってれば――」
それは、普通の女の子としては当然なのかもしれないけれど。
彼女は――普通の女の子ではないのだ。
だから。
「――深雪!!」
あたしは、これ以上ないほどの大声を上げ。
喋り続ける深雪を黙らせた。
部屋にいる全員が、驚いた表情であたしを見る。
あたしは、深雪と同じ高さの目線に立ち、まっすぐに見つめた。
「仲間が待ってるんだよ。この下の階で、あたしたちが助けに来るのを待ってるんだよ!? あなたはブリュンヒルデなの。アイドル・ヴァルキリーズランキング、4年連続1位の『神撃のブリュンヒルデ』なのよ! こんな時、あなたが先頭に立って戦わなくてどうするのよ!!」
叫ぶように、訴えた。
深雪は、あたしの目を見ているけれど、その瞳は怯えたままだ。
分かっている。自分が、どんなに理不尽なことを言っているのか。
ヴァルキリーズは、所詮はアイドルグループだ。歌って踊れる戦乙女――それはあくまでもコンセプトであり、設定上のことだ。本格的な武術の使い手も少なくはないけれど、多くは、義務付けられているから、あるいは、筋力トレーニングのため、体力作りのため、心を鍛えるため――いずれも、アイドルとして活動するに、剣道の稽古をしているのだ。敵を倒すためではない。深雪もそうだろう。
そんな彼女に、「戦え」なんて言うのは、酷な話だ。それは十分に分かっている。
それでも。
深雪に、戦ってもらわなければならない。
由香里は、こんな状態でも、キャプテンの責務を果たそうとしている。あたしたちを導こうとしている。
だから深雪も、エースとしての――ランキング1位・ブリュンヒルデとしての責務を果たさなければいけないのだ。
たとえそれがアイドルの仕事ではなくても、あたしたちが、アイドル・ヴァルキリーズとして行動する限り、ブリュンヒルデは、常にみんなの先頭に立たなければいけないのだ。
それがどんなに理不尽なことであっても。
あたしはもう一度、竹刀を差し出した。
深雪は、迷いを捨てきれない表情で、あたしと竹刀を交互に見ていたけれど。
やがて、竹刀を握った。
あたしは笑顔を見せ、そして、立ち上がった。深雪もゆっくりと立つ。
「じゃあ、行ってくるね」みんなに言う。
美咲が両手の拳を握り、胸の前で振った。「若葉先輩、深雪先輩、気を付けてくださいね!」
深雪は、不安げに笑って、それに応えた。
あたしはエリを見て、「お願いね」と、目で訴えた。エリは黙って頷いた。
あたしはドアのノブに手を掛け。
――よし。
外に出た。