東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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6 大賢者の思い

「あの……屑……ッ!!」

 

 忌まわしき天狐に出会って軽く話をした後、霊夢は他の者達を連れて天志廼を出た。しかし、あの忌まわしき天狐、凛導のいた天志廼を出ても、霊夢の苛つきは治まるところを知らなかった。まだ凛導に睨まれているかのような感覚が残り、今もどこかで凛導に見られているのではないかという錯覚すらも感じる。いや、もしかしたら睨まれているのかもしれない。この幻想郷は、あいつに支配されているのだから。

 

「絶対に許さない……許さない……許さない……!!」

 

 他の者達も霊夢の苛つき様にひどく驚き、戸惑いを隠せずにいた。

 その内の一人である魔理沙が霊夢に声をかける。

 

「霊夢、一体どうしたっていうんだよ。何でそんなに怒ってるんだ」

 

 霊夢は答えなかった。

 更に慧音が問いかける。

 

「私も気になるぞ。どうしたんだ霊夢。何をそんなに怒っている。

 あの凛導という男と出会ってから、お前なんだかおかしいぞ」

 

 またも霊夢は答えない。

 早苗が霊夢から感じられる雰囲気に冷や汗をかきながら、小さく言う。

 

「なんだか、因縁の相手を目の前にしてたかのように見えましたが……」

 

 霊夢は一向に答えを返そうとしなかったが、紫が鋭く言った。

 

「霊夢、少し落ち着いた方がいいわ。近くに天狗の里があるから、そこで一旦休憩させてもらいましょう」

 

 霊夢はぎゅっと拳を握りしめた。やはり、聞こえていない。

 直後、文が霊夢の目の前に躍り出た。

 

「そうですよ。霊夢さん達なら、里の皆は大歓迎です。味自慢の茶屋もありますから、そこで休憩しましょうよ」

 

 霊夢は顔を上げて、目の前で機嫌を取っているかのような顔をしている文の目を睨んだ。

 この天狗は過去に父を亡くしている。だが、母は今も大天狗として生きていて、文を里の誰よりも愛している。文自身も、里の天狗を収める大天狗から愛情をたっぷりもらっている。いつも、いつも、愛されている。そんな天狗が、自分の何がわかると言うのだ。

 

「文、あんたはいいわよね。実の母さんが生きてて」

 

 霊夢の言葉に皆が驚き、文の顔から笑みが消えた。

 皆が驚いて動かない中、懐夢が霊夢にそっと近寄り、拳を握りしめている霊夢の手を、自らの両手で包み込んだ。

 

「霊夢、駄目だよ、そんな言い方」

 

 霊夢の拳を握る力が強くなったのを懐夢は感じたが、懐夢は気にせずに包み込み続けた。

 直後、紫が霊夢に再度声をかけた。

 

「霊夢、文の言う通りよ。貴方、今一度頭を冷やした方がいいわ」

 

 霊夢は懐夢の手を振り払って、目の前にいる笑みを失った天狗に言った。

 

「……文、茶屋はどこ。案内して頂戴」

 

 文はハッとして、頷いた。

 

「わ、わかりました。まずは、天狗の里へ行きましょう」

 

 文が天狗の里の方角に身体を向けて歩き出すと、霊夢も、そして他の者達もまたその方向へ歩き出した。その最中は、誰一人として口を開く事はなかった。

 天狗の里に辿り着くと、文の案内を受けながら、忙しそうに行き交う天狗達の間を抜けて、一同は文の言う味自慢の茶屋を目指した。道行く天狗達が睨んでこないせいか、天志廼にいた時よりもよっぽど歩きやすく感じた。

 しばらく歩くと、文が立ち止った。文の目の前に視線を向けてみたところ、一件の茶屋があった。風貌は街にある喫茶店に似ていない事もない。しかし丁度誰も利用していないのか、客の姿はなかった。

 

 

「ここが、天狗の里で最も美味しいと評判のお店です。どうぞ、寛ぎください」

 

 一同は赤い布の被された椅子に腰を下ろした。すぐ後にこの店の主と思われる女性の天狗が中からやってきて、店の品物が描かれた紙を差し出してきた。紫がそれを受け取り、流すように読んだ。店の品物の描かれた紙には、麦茶、緑茶、玄米茶と言った茶、団子や大福、羊羹と言った和菓子の名が並んでおり、その下に価格が書かれている。

 この中で、気持ちを落ち着かせる効果があるのは麦茶だ。麦茶を飲ませれば、霊夢も落ち着く事だろう。あとは懐夢に団子だ。

 

「とりあえず、三色団子を一つ、麦茶を七人分出してもらえるかしら」

 

 店主は畏まりましたと答えると、店の中へと戻って行った。その数分後、店主はお盆の上に麦茶の入った大きめのコップを七つ、三色団子の二つ乗った皿を乗せて出てきて、お盆を一同の座る椅子の端に置いた後、「ごゆっくり」と言って再び店の中へ戻った。

 紫はお盆の上に乗るコップを一つずつ手に取り、文、魔理沙、早苗、慧音、懐夢の順に渡していき、更に、懐夢には三色団子が二つ乗った皿を「食べなさい」と言って手渡した。そして最後のコップを霊夢へ手渡そうとしたが、霊夢は腕組みをして、視線を森の方へ向けたまま動く気配を見せなかった。顔には強い怒りの表情が浮かべられており、意識がまだ天志廼の凛導に向けられたままになっている事を紫に悟らせた。

 

「霊夢、ほら、麦茶よ」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「いらない」

 

「そんな事言わずに、これを飲んで落ち着きなさい」

 

「いらないって言ってるでしょ。魔理沙辺りにでも渡しなさい」

 

「霊夢、彼が憎いのはわかるわ。でも、今は彼を憎む時じゃない。ここは、天志廼ではないし、凛導もここにはいないわ。だから、気持ちを落ち着かせなさい」

 

 霊夢は紫の方へ視線を重そうに動かし、紫の手に持たれているコップを奪い取るように受け取って紫を驚かせると、そのまま勢いよく麦茶を口に運び、ごくんごくんと音を立てて一気に飲んだ。

 麦茶を飲み干し、コップの中を空にすると、霊夢は溜息を吐き、コップを紫に差し出した。

 

「ご馳走様。でももう一杯欲しい」

 

 紫は苦笑いし、店主にもう一度声を掛けようとしたが、文が遮った。

 

「その必要はありません」

 

 紫が「え?」と言って文に視線を向けると、文は霊夢に歩み寄り、手に持っている麦茶の入ったコップを差し出した。

 

「霊夢さん、私のをどうぞ」

 

 霊夢は顔を顰めた。

 

「あんたは自分で飲みなさいよ。別にあんたのをもらってまで飲みたいわけじゃ……」

 

「そう仰らずに。麦茶って、ムカついてる時に飲むと効果あるんですよ」

 

「そうなの」

 

「そうですよ。ですから、どうぞお飲みください」

 

 霊夢は「ありがとう」と小さく呟くと、文からコップを受け取り、中の麦茶を口に運んだ。冷たい麦茶が喉を通り、胃の中に落ち込むと、心の中がすーっと涼しくなるような気がして、段々と高まっていた気持ちが落ち着いてくるのを、霊夢は感じた。……文の言っている事は、本当だったようだ。

 

「落ち着かれましたか」

 

 文がそっと微笑むと、霊夢は頷いた。

 

「えぇ。なんだか落ち着いてきた。ありがとうね」

 

「どういたしまして」

 

 一方、霊夢と文のやり取りを横から見ていた魔理沙達は、霊夢の事が気にかけていた。そもそも、霊夢がおかしくなったのは、天志廼であの凛導などという天狐と出会ってからだ。霊夢はあの凛導と出会うなり血相を変えて、激しい憎悪に満ちた顔をして、言葉も非常に乱暴になっていた。霊夢があんなふうになるところは初めて見たし、凛導との因果関係も気になって仕方がない。

 霊夢の事を気にしている一人である慧音が、霊夢に聞こえないように懐夢に尋ねた。

 

「懐夢、霊夢は一体どうしたんだ」

 

 その時、慧音は気付いた。紫がせっかく団子を頼んで渡してくれたというのに、懐夢は一口も団子を食べていない。そればかりか、麦茶にすらも口を付けていなかった。ただ縮こまって、何もない地面をただ見つめているだけだった。

 

「おい懐夢、どうした」

 

 慧音の声が届いたのか、懐夢はハッと顔を上げて、慧音と目を合わせた。

 

「なんですか、慧音先生」

 

「いや、お前達の様子がおかしいからさ」

 

「ぼく達の様子がおかしい、ですか?」

 

 慧音の一つ隣に並んでいる魔理沙が頷く。

 

「そうだよ。霊夢といい懐夢といい、なんだかおかしいぜ」

 

「そうかな」

 

 慧音が少し遠くにいる霊夢へ目を向ける。

 

「なぁ、霊夢はどうしたんだ。あの男と出会ってから、霊夢の様子がおかしいぞ」

 

 懐夢は「あぁ」と小さく言って、また俯いた。

 魔理沙が懐夢へ尋ねる。

 

「凛導だっけか。あいつと霊夢、どんな関係なんだ」

 

 懐夢は霊夢へ目を向けた。あの天狐……凛導との因果関係を話される事は、きっと霊夢はよく思わないだろう。だけど、凛導が霊夢にやった事は、魔理沙や慧音にも話したほうがいいかもしれない。しかし、そこを霊夢に見られるのはよくない。

 懐夢は立ち上がり、紫に声をかけた。

 

「紫師匠、ちょっとトイレに行きたくなったので、トイレ探してきます」

 

 懐夢の言葉には、文が反応を示した。

 

「そうですか? 公衆トイレのある場所なら私が案内しますけど」

 

「あ、そっか。文ちゃん、ここ出身だったもんね。またで悪いけど、案内してもらえるかな」

 

「任せてくださいな」

 

 文は霊夢から離れて、懐夢に近寄ると、「トイレはこちらです」と言って、再び案内を始めた。その後を懐夢が追い始めると、魔理沙、慧音、早苗もまた文の後を追い始めた。自分と紫を覗いた全員がトイレに向かい始めた事に霊夢は流石に驚き、離れていく一同に声をかけた。

 

「ちょ、あんた達もトイレ行くわけ?」

 

 魔理沙が手を振った。

 

「麦茶飲んだら催した。ちょっと行ってすぐ戻ってくるからなー」

 

 そう言って、一同は天狗の里の奥の方へ消えて行った。

 

 

       *

 

 

 しばらく歩くと、天狗達があまり見られない場所に通りかかった。ここならば、霊夢や紫にはもちろん、道行く天狗達にも聞かれない。

 

「丁度良かった。文ちゃんも連れてこれて」

 

 懐夢が立ち止ると、文は振り返った。

 

「へ、どういう事ですか」

 

「トイレに行きたいっていうのは嘘なんだ。だから、ちょっと面倒をかけさせちゃって、ごめん」

 

 文は立ち止まり、身体を懐夢の方へ向けた後、首を傾げた。

 

「か、懐夢さん?」

 

 懐夢は辺りにいる者達を見回して、深呼吸をした後、表情を険しくした。

 

「みんなは、霊夢がどうしてあぁなったか、気になるんだよね」

 

 懐夢は軽く目を閉じて、開いた。

 

「あの……天志廼で出会った凛導って人は、霊夢のおかあさんを殺した人なんだ」

 

 懐夢の言葉に一同は驚きの声を上げ、魔理沙が慌てたように言う。

 

「あいつが、霊夢の母さんを殺した奴?」

 

 慧音が顎に手を添える。

 

「霊夢の母親……という事は、先代の博麗の巫女か?」

 

 懐夢は頷く。

 

「そうです。凛導は、霊夢がぼくくらいだった時に起きた異変で、霊夢のおかあさんを巻き込ませる形で殺したんです」

 

 早苗が戸惑ったように言う。

 

「え、で、でも、何でそんな事を。どうして、先代巫女をそんなふうに……?」

 

「凛導にとって、霊夢のおかあさんは、邪魔だったそうです」

 

 魔理沙がきょとんとする。

 

「邪魔? 邪魔ってどういう事だ。だって、博麗の巫女は幻想郷を維持していくには必要不可欠なんだろ? なんでそれが邪魔なんだ」

 

「そういう邪魔じゃないよ。凛導が邪魔だと思ったのは博麗の巫女じゃなくて、霊夢のおかあさん自身だったんだ。だから、霊夢のおかあさんを殺したんだ。そして……霊夢を博麗の巫女に就かせたんだ」

 

 慧音が懐夢に問う。

 

「懐夢、それはどこの情報だ。霊夢から聞いたのか」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「霊夢からも聞きましたけど、更に詳しい話は、霊紗師匠が教えてくれました」

 

 早苗が悲しそうな表情を浮かべる。

 

「だから霊夢さんはあの時、あんなに怒っていたんですね。本当に、親の仇を目の前にしていた……」

 

「そうです。霊夢からしたら、凛導はこの幻想郷で最も憎むべき相手です。だからあんなふうに、怒ってたんです」

 

 魔理沙が呟くように言う。

 

「凛導……か。でも、何で邪魔だったんだ。一体、どういう理由が……」

 

「ぼくにもよくわからない。霊紗師匠も、その辺りは教えてくれなかったから……」

 

 重い沈黙が辺りを覆ったが、それをすぐに慧音が破った。

 

「とりあえずわかった事は……霊夢にとって凛導はこれ以上ないくらいに会いたくない人物だったという事だな」

 

 懐夢は何も言わずに頷いた。

 直後、それまで一言もしゃべっていなかった文が、ようやく口を開いた。

 

「霊夢さんもですか……でも、博麗の巫女だって過去に……」

 

 魔理沙が俯く文へ目を向けた。

 

「ん、どうしたよ文」

 

 文はハッと顔を上げて、首を横に振った。

 

「何でもないですよ。ただの独り言です。ただ……」

 

 懐夢が首を傾げる。

 

「ただ?」

 

「霊夢さんも散々な目に遭わされたんですね。あの凛導っていう男の人に」

 

 慧音が頷き、腕組みをする。

 

「そうだな。少なくとも、霊夢は私達が思っている以上に苦しんでいる人間だった。私達は、その事に全く気付く事がなかった。懐夢から話を聞く、今この時まで」

 

「これからは、どうしていけばいいんでしょうか」

 

 早苗が言葉を漏らすと、懐夢が俯いた。

 

「ぼくにもわかりません。でも、ぼくは霊夢と一緒に、今起きてる異変に立ち向かっていきたいと思ってます」

 

 魔理沙が頷く。

 

「そのとおりだな。まずは今の異変を解決させる事が先決だ。霊夢と凛導について考えるのはその後だ」

 

 一同は頷いたが、文が続けて言った。

 

「ところでこの話、霊夢さんに話すべきでしょうか」

 

 慧音は首を横に振った。

 

「話さない方がいいだろうな。凛導の話題を出されて嫌な思いをするのは霊夢だ。霊夢の前では凛導が関連した話はしない方がいい」

 

 一同は頷いた。

 

 

 

        *

 

 

 

 一方茶屋では、霊夢と紫が他の者達が戻ってくるのをじっと待っていた。

 しかし、中々一同が戻ってこない事に、霊夢は不信感に似た気持ちを抱き始めていた。

 

「紫、トイレってこんなに時間かかるものかしらね」

 

「トイレの長さは人によって変わるものだからね。あの中に一人くらい、長いのがいたんじゃないかしら。またはトイレが混み合ってて中々使えないとか」

 

「そんなところかしらねぇ」

 

「そんなところだと思うわ」

 

 霊夢は隣に座る紫をちらと横目で見た。霊紗の言っていた、凛導を倒し、博麗の巫女を大を生かすための小ではなく、大の中の一つへ戻すという『変革』。その『変革』を考えだし、今まさに実行へ移そうと企てている首謀者が、隣に座って茶を飲んでいる。これまでは妖怪の大賢者、自分の異変解決に積極的に協力を申し出てくる協力者としか思っていなかったが、自分の親の仇である凛導を打ち倒し、自分を含めた博麗の巫女を犠牲者にする必要を無くす『変革』の首謀者だと聞いてから、紫のイメージががらりと変わった。そして、何だか話しかけるのが少しだけ難しくなったような気を感じた。

 

「ねぇ紫」

 

「なぁに」

 

「霊紗から聞いたよ。『変革』の話」

 

 紫は顔色一つ変えずに言った。

 

「聞いたでしょうね。私が『変革』について霊夢に話してって霊紗に頼んだんだからね」

 

 霊夢は驚いて、紫と顔を合わせた。

 

「そうだったの」

 

「でも驚かされたわ。本当は霊紗を博麗神社に向かわせて『変革』の事を話させるつもりだったのに、貴方達ったら直接天志廼に突入して霊紗の元に来たんだもの」

 

「それはあんた達が懐夢をあんな状態にしたからでしょ。っていうか、懐夢を強くしたのも、『変革者』の一人にするつもりだったからだそうね」

 

「そうよ。あの子には驚くべき才能があった。貴方と同じ博麗の力に適合しているっていう奇跡的な才能をね。だから、私達はあの子に博麗の巫女が受ける修行と全く同じものを受けさせた。まぁ、五ヶ月かかるはずの修行を一ヶ月で終わらせたのには、流石に魂消てしまったけどね」

 

「ほんとにね。私もそれには驚かされたわ。ほんと、あの子には驚かされっぱなしよ」

 

 

 紫が穏やかな表情を浮かべる。

 

「でも、貴方があの子を養子として迎えたのは、決して間違いなんかじゃないって言えるわ。あの子は、優しくて素直で、温かさを感じさせてくれる子だわ。修行してて、しょっちゅうそう思ったわ」

 

 やはり、紫は凛導と反対の意見を言う。凛導は懐夢の事を認めていなかったけれど、紫はこうして懐夢の事を認めて、しかも修行を付けてくれた。紫と凛導は同じ大賢者でありながら、正反対の考え方を持つ者同士だ。どっちに味方するかと言われたら、紫の方が断然付きたいと思える。

 そんな事を考えながら、霊夢は紫を眺めていたが、やがて紫は溜息を吐いて、軽く下を向いた。

 

「……あの子を見てると、昔の事を思い出すわ」

 

「昔の事? 何かあったの?」

 

「ううん。話す程度の事でもないわ。でもまぁ、貴方が望むのであれば、いつか話してあげましょう」

 

「えぇー。今聞きたい」

 

「駄目よ。この話がどうしても聞きたいっていうのであれば、この異変を終わらせる事ね」

 

 霊夢は表情を険しくした。

 

「異変を終わっても、まだ終わりじゃない」

 

「……そうね。『変革』があるものね」

 

 霊夢は紫の目をまじまじと見つめた。

 

「紫、今回ばかりは、あんたに全力で協力しようと思ってる。『変革』、絶対成功させよう」

 

 紫は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑んだ。

 

「そう言ってもらえると心強いわ」

 

「でも、一つ聞きたい事がある」

 

「何かしら」

 

「凛導はこの幻想郷を自分にとって都合のいい形にして、支配してるって霊紗から聞いた。紫は凛導の目的とか知らないの」

 

 紫の顔から笑みが消えた。

 霊夢は詰め寄るように続けた。

 

「あいつは何人もの博麗の巫女を犠牲にして、何をしようとしてるの。何のために、幻想郷を支配してるの。大賢者のあんたなら、わかるんじゃないの」

 

 紫は俯き、悔しそうな表情を浮かべた。

 

「残念だけど、彼の目的については、私も知らないの。……彼がどうしてこんな体制を強いるようになったのかは、わかるんだけどね」

 

「それは話せる?」

 

 紫は頷き、少し小さな声で話し始めた。

 

「貴方は、懐夢から聞いた八俣遠呂智の伝説をまだ覚えてる?」

 

「覚えてる」

 

「じゃあ、八俣遠呂智を封印した巫女の事は?」

 

「覚えてるわ。確かその後に大罪を犯して八俣遠呂智みたいに封印されたそうね。皮肉な事に。それがどうかしたのよ」

 

 紫は俯いた。

 

「……その大罪を犯して封印を犯した巫女は、凛導の愛弟子だったのよ」

 

「愛弟子?」

 

「そうよ。その愛弟子が封印されてから、彼はおかしくなった。そしていつの間にか、幻想郷の支配者になっていた。言っておくけど、凛導は昔、あんな人ではなかったのよ。私も、あの頃のあの人とは仲良くしてたわ。今となっては、見る影もないけどね」

 

 霊夢は頭の中で、凛導と紫が仲良くしている構図、凛導が愛弟子と接している構図を考えようとしたが、いくら思考を回してもその構図が浮かび上がる事はなかった。まぁ、それが出来ないのは昔の凛導を知らないせいだが。

 

「そして、あの巫女は、あの子は、私にとっての……私の……」

 

 その時、霊夢は紫の瞳から頬へ、一つの粒が流れ落ちるのに気付いた。

 

「紫?」

 

 紫はハッと顔を上げて、首を傾げた。

 

「あ、ごめんなさい。何かしら」

 

 霊夢は袖で手を包むと、そのまま紫の頬に当てて、涙を拭った。

 いきなり頬に袖を当てられて、紫は驚いたように言った。

 

「ちょっと、霊夢?」

 

「あんた、自覚ないの? 泣いてるわ」

 

 紫は「え?」と言って拭かれていない方の頬を触って、手が濡れた事に気付くなり、苦笑いした。

 

「あら、いやだわ。いつの間に……」

 

 紫は自分の服で涙を拭うと、溜息を吐いた。

 

「ほんと、天志廼とあの『家』にいるのは駄目ね。すぐこうなっちゃうんだから……」

 

 霊夢は「どういう事よ」と聞きたくなる気持ちをじっと我慢した。きっとこれもまた、触れられたくない話だ。気にはなるけれど、聞いてはならない。

 そう思った直後、紫は顔を上げて、険しい表情を浮かべた。

 

「……話を戻すわ。凛導にも、凛導の事情があるのでしょう。

 でもね霊夢。私は凛導の行いを許すつもりはないの。彼の行いは、止めなければならない。博麗の巫女が生贄にされるこの体制は、壊して、変えなければならないものよ」

 

「それはわかってる。どんな事情があっても私は凛導を許すつもりはない。だから、『変革』は必ず成功させる。成功させて……凛導の支配を終わらせる」

 

 紫は頷き、霊夢の頭に手を乗せた。

 

「期待してるわね、霊夢」

 

「うん。……それはそうと、紫」

 

「なぁに?」

 

 霊夢は先程から疑問に思っていた事を、紫に告げた。

 

「あんた、何か今日は雰囲気違うわね」

 

「はい? 私はいつもどおりだけど?」

 

「いや、全然いつもどおりじゃないわ。いつもの胡散臭い感じがない」

 

 紫は苦笑いした。

 

「う、胡散臭い? 私ってそんなふうに思われてたの?」

 

「少なくとも、私を含めた皆が思ってるわ。懐夢はどうかわからないけど」

 

 紫は掌を広げて、自分の顔を覆った。

 

「やっぱり駄目だわ……感覚があの頃に戻っちゃってる……天志廼とあそこは駄目だわ」

 

「何よ、さっきから駄目、駄目って」

 

 紫は顔から手を外し、微笑んだ。

 

「『変革』が終わったら聞かせようかしらね……」

 

 霊夢は「あ、そう」と言って黙った。

 直後、遠くから声が聞こえてきた。

 

「霊夢―、紫師匠―!」

 

 霊夢と紫は声の聞こえてきた方角へ顔を向けた。少し遠くに先程トイレに行ってくると言って行方をくらました者達の姿があり、言いだした張本人である懐夢がこちらに手を振っていた。

 

「遅かったじゃないの―!」

 

 霊夢が声をかけると、一同は二人の元に駆け寄ってきた。

 そのすぐ後に、魔理沙が頭を掻きながら苦笑いした。

 

「ごめんごめん。待たせちまったな」

 

 紫が文に目を向ける。

 

「文の案内があったというのに、随分と時間がかかったのね」

 

 文が両掌を広げて首を横に振る。

 

「あややぁ。まさかあんなに混んでいるとは思ってもみなかったもので」

 

 慧音が頷く。

 

「そうだな。流石天志廼、トイレの混み方も違うな」

 

 早苗が苦笑いする。

 

「あの慧音さん、ここは天志廼じゃなくて天狗の里です」

 

 慧音がおっとと言って、早苗と同じように苦笑いした。

 

「そうだった、そうだった。天志廼からは出たんだったな。だが、あの混み方は尋常じゃないぞ。多分集団食中りでもあったんじゃないか」

 

「それもないと思いますけれど」

 

 霊夢は懐夢に声をかけた。

 

「それで、貴方は用足せたの?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「すっきりした。でもあのトイレの混み方はもうやだなぁ」

 

 霊夢は「そう」と言うと、椅子から立ち上がって、苦笑いし合っている一同に声をかけた。

 

「さてと、私はこれで博麗神社に帰るけど、あんた達はどうするんだっけ」

 

 魔理沙が答える。

 

「私も家に帰るぜ。今日はいろいろあって疲れた」

 

 早苗が続けて答える。

 

「私もそうさせてもらいたいと思います。神奈子様と諏訪子様へのお土産話も沢山ありますしね」

 

 文が満面の笑みで答える。

 

「私もここでお別れしたいと思います。纏めたい事も色々ありますしね」

 

 紫が続けて答える。

 

「私も帰って休もうと思うわ。というか、かなり眠くて仕方ないわ」

 

 慧音が続ける。

 

「私も帰ろうと思う。懐夢への処方はとりあえず完成したみたいだからな」

 

 霊夢は軽く溜息を吐いた。

 

「私もみんなと同意見。今日はここら辺でお開きにしましょう。それじゃあみんな、今日はありがとうね」

 

 霊夢の一声に一同は頷き、店主にそれぞれ飲食したものの料金を支払った後解散。上空へ飛び上がり、それぞれの帰る場所へと帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――うん、うん。しっかりと探究してきたようね。偉い、偉い。

  それに、贄の方も……うん、目星を付けた子達で問題なさそうね。

  さてと、これから色々始まるわけだけれど、貴方はどこまでいけるかしらね。

  でも、簡単には壊れないでね。……あ、壊れはしないわね貴方の場合。

  何にせよ、これからが楽しみだわ。

 

 

 

 

         *

 

 

 

 

 

――ついに来た。今の世界は非常に安定している。

  今ここで放ったとしても、問題あるまい。

  さぁ、解き放とう。今ならば、生きていける。

――さぁ、目を覚ませ。

 


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