東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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2 先々代巫女

 霊夢達は紫を後を追って、天志廼の街の中を歩いていた。

 天志廼の街並みは人間の里の街とは大きく異なり、道行く人も人間や妖怪と様々で、着られている服も人間の里の街ではあまり見られない、赤や水色といった派手な色合いの和服ばかりだった。そして、民家や店屋の前ではまだ午前の十時だというのに露店が出て居て、料理人達が汗をかきながら、頑丈そうな鉄で出来た鍋に満ちた油で肉や野菜を揚げたり、大きな黒い中華鍋で様々な食材を炒めたりしている。

 

「こんな時間から露店が出てるのね。人間の里の街の方じゃ夕方くらいにならないと出ないのに」

 

 前を歩く紫が言う。

 

「ここではこれが日常よ。天志廼と人間の里の街は大きく違うの。

 興味があるなら後で散策でもしてみるといいわ」

 

 慧音は歩きながら腕組みをする。

 

「後でな。今は霊紗に会うのが先決だ。私達はそのためにこの街へ来たんだからな」

 

 その最中、早苗はまるで何かにじろじろと見られているかのような違和感を感じて、辺りを見回した。道行く人々が自分達を不思議そうな目でじろじろと見つめている事に気付いて、早苗は眉を寄せながら紫に声をかけた。

 

「紫さん、どうしてここの人達は私達の事をこんなにじろじろと睨んでくるんですか」

 

「それも後で話すわ。今は霊紗のところへ行くのよ」

 

 魔理沙が顰め面して、街行く人々の目を見ながら、呟く。

 

「だけど、この注目はきついものがあるよ」

 

「我慢なさい」

 

 紫の答えに魔理沙はちぇっと言って顔を少し下へ向けた。

 霊夢も道行く人々の視線を浴びながら歩き続けていたが、その最中、待ち行く人々の視線が自分よりも懐夢に強く集まっている事に気付き、周りの人々に気付かれないように周囲に目を向けた。懐夢に注目を寄せる人々は、まるで懐夢に強い疑問を抱いているかのような表情を浮かべている。目の動きを見る限りでは、どうやら懐夢の『目』を見ているらしい。

 霊夢は人々の疑問そうな顔を見るなり、心の中に不快感が湧いてくるのを感じて、懐夢に気付かれないようにそっと近付き、懐夢の服についている帽子を引っ張り上げて懐夢の頭に被せた。

 懐夢は突然の事に吃驚したのか、「うわっ」と悲鳴にも似た声を上げて、すぐに霊夢の方へ顔を向けた。

 

「れ、霊夢?」

 

 霊夢は小声で懐夢に指示を下した。

 

「なるべく顔を見られないように、出来るだけ下を向いて歩きなさい」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「そんな事しなくても、ぼくは霊夢達よりも先に天志廼に」

 

 霊夢は懐夢の言葉を遮るように言った。

 

「いいから、聞きなさい」

 

 懐夢は黙り込み、納得できないような顔をしたが、やがて頷いて顔を下に向け、そのまま歩みを続け出した。

 待ち行く人々の視線を浴びながら、歩みを進め続けていると、耳元に不思議な歌声が届いて、霊夢は顔を上げた。

 複数の女性による歌声だった。それも、かなり近いところで歌われているらしい。

 いったいどこから聞こえてくるのだろうと思って辺りを見回してみたところ、近くにある建物の中で十数人の女性達が歌を歌いながら、大きな木でできた装置を、一定間隔で足で踏んで動かしているのが見えた。何かを作っている事に間違いはなさそうだが、何なのだろう。

 

(なんだあれ)

 

 人間の里の酒造施設にもあのような大きな装置があるが、酒を造っているわけではないらしい。その証拠に、建物の中から酒の匂いはしてこず、その代わりと言わんばかりに焦げ臭さが混ざった鉄の臭いが、熱風と共に外へ流れ込んできている。

 この建物は何なのだろうと思って上を見上げたところで、霊夢はこの建物が街の入り口から見えていた、山のような形をした巨大な建物である事に気付き、驚いたような顔になった。そして、街の入り口で懐夢が、街の奥の方にある山のような形をした建物こそが、この天志廼の最大の名物である踏鞴製鉄所だと言っていた事を思い出した。

 

(ここが、踏鞴製鉄所……)

 

 道行く人々の視線を気にしないように、紫の足取りだけを見ながら歩いていたら、いつの間にかこんなところにまで来ていたらしい。

 街の入り口から見た時には遠くに見えていた山も、今はとても近いところに見える。いや、今でも山からはかなり離れた位置にいるのだが、山が尋常でないくらいに大きくて、すぐ近くにあるように見えている。

 

「山があんな近くに……」

 

 魔理沙が山を見ながら言う。

 

「いや、まだ道がある。だからかなり離れているはずなんだが……でかすぎないか、あの山」

 

 文が唖然としたような表情を浮かべて、魔理沙のように山を見つめる。

 

「もしかしてあれ、妖怪の山より大きいんじゃないでしょうか」

 

 早苗が驚きの声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そもそもこの天志廼は、幻想郷の中で最も大きな山である妖怪の山にあるんですよ? 妖怪の山の中に、さらに大きな山があるって事は、あそこの山はどれだけの標高に……?」

 

 紫が呆れたような声で言う。

 

「少なくとも、外の世界にあるエベレストとかいう山よりかは標高は低いから安心なさい。それに、登山するわけじゃないんだから、山の事を考える必要はないのよ」

 

 霊夢は紫に尋ねる。

 

「それはわかったわ。ところで、このまままっすぐ進むのかしら。本当にこの先に霊紗がいるんでしょうね?」

 

 紫が頷く。

 

「えぇいるわよ。今回ばかりは何の嘘もつかないで案内しているから、付いてきて頂戴。私も貴方達と話がしたいの」

 

 慧音が眉を寄せる。

 

「ならば話しながら進めばよかろう」

 

 紫は首を横に振った。

 

「一般人に聞かれたくない話なのよ。だからここで話す事は出来ない」

 

 魔理沙が手を項へ回し、組む。

 

「全く、どんな話やら」

 

 紫は答えずにただ歩みを進めるだけだった。

 直後、街の入り口で話し合った時からずっと紫と話をしていない懐夢が、ようやく紫へ声をかけた。

 

「あの、紫師匠」

 

 紫は即座に答えた。

 

「今は黙っていなさい。話なら後でじっくり聞かせてもらうわ」

 

 懐夢は俯いて、口を閉じた。

 その時に、霊夢は、懐夢が紫や霊紗から天志廼の場所を教える事を止められていた事を思い出した。そして、同時に自分がほぼ無理矢理懐夢から天志廼の場所を聞き出した事も、思い出した。

 紫は多分、懐夢に怒っているのだろう。教えてはならないよと釘を刺したのに、自分に天志廼の場所を教えて、天志廼に自分を入れさせたのだから。怒って当然だ。……まぁ、どうして紫が懐夢に天志廼の場所を教えてはならないと釘を刺したのか、その理由はわからないが。

 何にせよ、その辺りも含めて紫から聞き出さなければ。

 霊夢はそう思うと、懐夢の頭を軽く撫でて、すぐに手を戻した。いきなり頭を撫でられて懐夢は少し吃驚しているかのような表情を浮かべた顔をこちらに向けてきたが、霊夢は気にせずにただ歩みを進めた。

 そのまましばらく進んでいると、人が全く見えなくなり、料理や鉄の臭いと、街が持つ独特の騒がしさが消えた。気付けば、辺りが天志廼の街ではなく、街と西の町を繋ぐ農道のような場所になっていた。そして、目の前にはあの巨大な山が聳え立ち、少し遠くへ目を向ければ、山への登山口が見えている。いつの間にか、目的地である山の麓まで来ていたらしい。

 霊夢が登山口をじっと見つめていると、紫が背を向けながら声をかけてきた。

 

「ほら霊夢、見えてきたわよ。あの奥に、懐夢の修行場所があるわ。そこに、霊紗はいる」

 

 霊夢は懐夢に問うた。

 

「本当に?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「そうだよ。ぼくはあそこで修行してたんだ」

 

 慧音が目つきを鋭くする。

 

「そしてあそこに、霊紗という人物がいるわけか」

 

 直後、魔理沙が文に不思議そうな顔をした。

 

「そういえば文、お前さっきからカメラを動かしてないな。どうしんだ?

 いつものお前だったら、写真撮りまくってるだろ? あんな山とか、天志廼の製鉄所とかさ」

 

 文が不安そうな顔をする。

 

「なんでしょうかね……なんというか、カメラを動かす気にならないんです。とんでもない、大スクープのはずなのに、調子が出ないんです。この街の事を、撮る気にならないんです」

 

 早苗が文へ視線を向ける。

 

「いいじゃないですか。たまにはカメラを休ませてあげた方がいいですよ」

 

 文が困ったような顔をする。

 

「何で撮る気になれないんだろう……」

 

 霊夢は振り返り、文を視界入れた。

霊夢も魔理沙達と同じように文の行動が不思議だった。いつもの文ならば、天志廼の風景を見た瞬間に、カメラのシャッターを黙視できないくらいの速度で動かし、写真をとりまくるはずだ。だのに文と来たら、この街に来てから一回もカメラを動かす様子を見せていない。

 それに、街に来てから感じている妙な懐かしさにも似た感覚も、ずっと続いたままになっている。扉も自分が触れた事によって開いたし、この地は自分と何かある場所だとでもいうのだろうか。

 今考えてもよくわからないので、考えるのをやめて視線を戻してみたところ、いつの間にか紫と懐夢が登山口に移動していて、懐夢が登山口のすぐ前で手を振っていた。

 

「霊夢―、みんな―!」

 

 懐夢の呼び声で霊夢達は自分達が取り残されている事に気付き、一旦話し合うのをやめて紫と懐夢が待つ登山口を目指し、農道をかけた。そして登山口の前まで来ると、紫が声をかけてきた。

 

「さぁ、この先よ。この先に、霊紗がいるわ」

 

 霊夢は登山口へ目を向けた。まるで守矢神社の入り口のような階段があり、上の方へ続いている。

 

「この先ね……」

 

 霊夢が呟くと、紫が何も言わずに石段を上がり始めた。霊夢は声をかけて紫を止めようとしたが、紫は気にせずに石段を上がって行ってしまった。

 その場にぽつりと残された霊夢は紫の行動に苛立ちを感じ、一同に声をかけて、紫と同じように石段を上がり始めた。

 かなり昔に作られたものなのか、石段は傷んでいて、あちこちに苔や草が生えていた。それに、守矢神社や博麗神社のそれと比べると傾斜が急で、あまり上りやすくなかった。

 更に石段を上がり続けていると、鳥居が見えてきた。「この先にあるのは神社なのか?」と思い、鳥居に取り付けられている石版に彫られている文字へ目を向けるなり、霊夢は思わず声を上げた。

 

「なッ!?」

 

 鳥居の石板に彫られていた文字。それは自分の家である博麗神社と同じものだった。つまりこの先には博麗神社が存在しているという事になる。

 

「博麗……神社……?」

 

 この事には他の者達もすぐに気付き、次々と驚きの声を上げた。

 そしてその中の一人である慧音が、唖然としたような表情を浮かべて、呟く。

 

「どういう事だ……何故博麗神社の文字がある?」

 

 魔理沙が同じように言う。

 

「これってなんだ、つまり、この先にあるのは博麗神社だっていう事なのか!?」

 

 霊夢は懐夢へ顔を向けた。

 

「懐夢、これって!?」

 

 懐夢が不安そうな表情を浮かべる。

 

「ぼくもずっと思ってたんだ。修行する場所に、なんで博麗神社の鳥居があるんだろうって……」

 

 霊夢は視線を懐夢から鳥居へ戻すと、あれの正体を探りたいと言う思いに駆られて、一目散に石段を駆け上がった。そして石段を登り切り、鳥居の先にあるものへ視線を向けたところで、きょとんとした。鳥居の先にあったのは、博麗神社や守矢神社よりも非常に大きな神社の形をしている建物だった。

 霊夢がきょとんとしていると、後ろから他の者達も上がってきて、目の前にある建物を見てまた唖然としたような顔になった。そのうち、魔理沙が呟くように言った。

 

「な、なんだこの建物」

 

 早苗が続く。

 

「神……社?」

 

 慧音が腕組みをする。

 

「これが博麗神社? まさかな……」

 

 文が首を横に振る。

 

「博麗神社なわけがありませんよ。それどころか、守矢神社や天狗の里の御殿よりも大きい建物です」

 

 霊夢は目の前に聳える大きな建物に目を向けながら、懐夢に問うた。

 

「ここが、貴方が修行していた場所なの?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「うん。ぼくはここで霊紗師匠、紫師匠と修行を積んだんだ」

 

 霊夢はごくりとつばを飲み込んだ。

 まさか、懐夢が修行を受けた場所が、こんな神社のような建物だとは思ってもみなかった。そして、それの前に鳥居があり、そこに博麗神社と掘られた石板があるのも。何もかも、想像もしていなかった事ばかりだった。

 一同が驚いていると、建物の入り口と思われる場所から人が一人外へ出てきた。

 霊夢はすぐにそれに気付き、中から出てきた人物に目を向けた。

 それは、自分達よりも早く先に進んで姿を消していた紫だった。

 

「紫!」

 

 中から出てきた時、紫は俯いていたが、霊夢に声を掛けられるなり顔を上げた。

 

「……早く中へ入りなさい。霊紗が貴方達を待っているわ」

 

 紫はほぼ無表情だった。霊夢はどうして紫があのような顔をしているのか腑に落ちなかったが、とりあえずそれは全て霊紗に尋ねようと思い、紫に頷いて見せた。

 

「わかったわ。皆、行くわよ」

 

 霊夢が神社のような建物に歩み始めると、一同もまたその後を追うようにして建物の中を目指して歩き出した。霊夢達が建物に歩み寄ってくると、紫は振り向き、建物の中へと入りこんだ。

 

      *

 

 建物の中には靴を脱いで上がった。霊夢は建物の中に張りこむなり、辺りを注意深く見まわしたが、本当に神社のような内装だった。いや、神社というよりも命蓮寺などの寺の形に近く、部屋の一つ一つが博麗神社、守矢神社、命蓮寺などと比べても圧倒的に広く、大きかった。歴史ある建物なのか、木の床も土壁もくすんでいて、窓もなかった。

 

「ここが、霊紗の住む場所?」

 

 廊下を歩きながら霊夢が問うと、懐夢がそれに答えた。

 

「そうだよ。ここが、霊紗師匠の家なんだ」

 

 慧音が腕組みをしながら、周囲を見回す。

 

「随分と古い建物だな。築二百年以上は過ぎているんじゃないか?」

 

 早苗が慧音に声をかける。

 

「建物ってそんなに持つんですか? そんな年月なら何回か建て直さなきゃいけないと思うんですけど」

 

 その時、魔理沙は気付いた。柱や床は一見すると古びたものに見えるが、よく見ると新しいものだというのがわかった。どうやら、古びて駄目になったところだけを新品の木材などで補強するという手法を用いて、この建物を維持しているらしい。

 

「いや、そんなに長くはもたないだろうよ。だから、古くなって壊れた部分だけを新品で補強してるんだ。辺りの床とかそんな感じだぜ」

 

 魔理沙が補強されている部分を指差すと、文がおぉと声を上げた。

 

「本当ですね。あの部分とか、新しい木材が使われています。なんていうか、継接(つぎは)ぎみたいですね」

 

 一同の話を聞いて、辺りの柱や床に目を向けて、霊夢は不思議だなと思った。

 この建物は確かに、尋常ではないくらいに古い。慧音の言う築二百年以上が間違いではない気がするほど、古い。

 ここまで古くなった建物など、普通ならば建て直しをするだろう。だが、この建物は古くなった一部を新しいものと差し替えるという奇妙な手法を用いて、全体を建て直すような事はしていない。まるで、新しく建て直す事を拒んでいるかのようだ。

 この辺りも、霊紗が知っているのだろうか。

 

「聞いてみる価値、ありね」

 

 霊夢が呟いた直後、霊夢達の前を歩き続けていた紫が足を止めた。

 紫が立ち止った事に一同は驚き、慌てて立ち止まると、霊夢が声をかけた。

 

「ちょっと紫! いきなり立ち止まらないで頂戴」

 

 その時、霊夢は気付いた。紫の目の前には博麗神社にあるものとほとんど同じ形状の、閉じられた襖があった。

 紫はゆっくりと振り向いて、霊夢と顔を合わせた。

 

「ついたわよ霊夢」

 

 霊夢がきょとんとすると、紫は視線を前の方へ戻し、口を開いた。

 

「霊紗、お客さんが到着したわよ」

 

 襖の中から声が聞こえてきた。

 

「入れてくれ」

 

 紫は頷き、襖に手を差し伸べて、ゆっくりと開いた。

 襖の中は博麗神社の居間に似た部屋だった。部屋の角に柱があり、奥の方には床の間があって、掛け軸が飾られている。そしてその部屋の中央に、一人の女性がぽつりと正座していた。

 その女性の姿を見るなり、霊夢は息を呑んだ。 

 袖のない紅い服とその下に黒色の、身体に貼り付いているかのような質感の服を身に纏い、紅く、非常に長い袴のようなスカートを履き、霊夢のそれと同じような袖を腕に付けており、髪は腰に届くくらいに長く、美しい黒髪で、胸が大きい、整った顔立ちの女性だった。歳は見た目からするに、二十代後半くらいだろう。しかし俯き、目を閉じているせいで、目の色が何色七日まではわからなかった。

 女性の服装が自分の服装と似ている事に気付くと、霊夢は思わず、上擦った声を上げてしまった。

 

「貴方は、博麗の巫女?」

 

 一同が驚いたように目を見開くと、女性は顔を上げてその目を開いた。

 開かれた女性の瞳の色は鳶色で、薄暗い部屋の中でもしっかりと目の前にいる霊夢の姿を映していた。

 女性は真っ直ぐに霊夢の赤茶色の瞳を見つめると、やがて口を開いた。

 

「――どうしてそう思う」

 

 霊夢はじっと女性の目を見つめた。

 女性が如何にも自分の答えを聞きたがっているかのように思えたので、霊夢は素早く付け加えた。

 

「なんていうか、服装とか目の色とか、髪の毛の色とか、博麗の巫女をする人によく似てるから……まぁ、勘、だけど」

 

 女性の顔に納得の色が浮かんだ。かと思えば、女性は霊夢の隣にいる懐夢と目を合わせた。

 懐夢は何も言わずにいたが、やがて女性は霊夢へ目を戻し、声をかけた。

 

「中に入って座れ。立ち話もなんだろう」

 

 霊夢は頷き、一同を連れて部屋の中へ入り込み、正座をした。

 皆が座った事を確認してから、女性は霊夢の目を見ながら言った。

 

「申し遅れたな。私の名は霊紗。君の勘の通り、かつて博麗の巫女としてこの幻想郷を守っていた者だ」

 

 霊紗の発言に、一同は驚きの声を上げて、そのうちの霊夢が驚きを交えた声出した。

 

「は、博麗の巫女ですって!?」

 

 霊紗は頷いた。

 

「そうだ。君の代から二つ前の代のな。所謂『先々代巫女』だ」

 

 早苗が口をはさむ。

 

「という事は、先代巫女が霊夢さんのお母様なら、先々代巫女である貴方は霊夢さんのお婆様という事ですよね」

 

 霊紗はもう一度頷いた。

 

「そうなるな。まぁ博麗の巫女はそんなものではないから、私は霊夢の祖母ではないのだがな」

 

 霊紗は霊夢へ目を向けた。

 

「君は私を知らないかもしれないが、私は君の事をよく知っているよ、霊夢」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

霊凪(れいな)に育てられ、九歳の時に霊凪からもぎ離され、数々の異変を解決し、ついには八俣遠呂智さえも倒してみせた、『奇跡の巫女』。他の者達の名もわかるぞ」

 

 霊夢はうなじがぞくりとしたような気を感じた。

 霊凪。それは先代の博麗の巫女、即ち母の名だ。霊紗は今、母の名を口にした。

 

「何で貴方が母さんの名前を?」

 

 霊紗は小さな苦笑を浮かべた。

 

「霊凪は私が育てた娘だからだ。そして本来ならば、霊凪が死んだ後、君の面倒は私が見る予定だった」

 

 懐夢もこれは初耳だったようで、驚いたように言った。

 

「霊紗師匠が、霊夢のおかあさんのおかあさんだったんですか」

 

 霊紗は頷いて見せた。

 

「そうだよ。懐夢」

 

 魔理沙が首を傾げた。

 

「え? あんた霊夢の母さんの母さん? って事は理論上は霊夢の祖母ちゃんだよな?

 でもあんた、二十代に見えるぞ? そんなに早く博麗の巫女を引退したのか?」

 

 霊紗は苦笑を浮かべた顔で魔理沙に尋ねた。

 

「……私の年齢、知りたいか?」

 

 魔理沙は頷いた。

 霊紗は静かに言った。

 

「知って得があるのかどうかわからないが、教えておこう。

 私の年齢なら、今年で四十九になる。所謂おばさんだ」

 

 霊紗の言葉に紫以外の全員が驚きの声を上げて、言い出しっぺの魔理沙が尋ねた。

 

「よ、四十九歳!? とてもそうには見えないんだぜ!?」

 

 文が続く。

 

「ど、どんな若作り方法を……!?」

 

 霊紗は頷いた。

 

「していない。私は普通の人間じゃないのでな。……話が逸れてしまったな。

 その辺りの話は、後で時間が余った時にでも言うとしよう」

 

 霊紗は溜息交じりに言った。

 

「……お前には誰にも天志廼の場所を教えてはならないと教えたはずだが……ここに霊夢が来たという事は、お前は天志廼の場所を霊夢に教えたという事だな、懐夢」

 

 霊紗は霊夢へ目を向ける。

 

「霊夢。君は随分と拙い事をしたものだな。懐夢というなどという、一般人の男の子を大賢者達の許可なく、養子に迎え入れるなどという事をしてしまったんだから」

 

 霊紗は懐夢の顔を見つめた。

 

「懐夢がもし女の子だったならば、後継者にふさわしい子を博麗の巫女が自ら選んだのだと考えただろう。しかし、少女と間違えるような顔をしているけれど、懐夢は礫とした男の子だ。博麗の巫女にはなれない」

 

 霊夢は懐夢の肩を両手で掴み、自分の方へ寄せると、霊紗をきっと睨んだ。

 

「……拙い事をしたのは、あんた達の方じゃないの」

 

 霊紗は首を傾げた。

 慧音はいったん立ち上がって霊夢の隣に来ると、そこでまた腰を下ろし、頭を軽く下げた。

 

「私の名は上白沢慧音と申します。人間の里の街にある寺子屋で教師をしている者です。そして、横にいる博麗懐夢は私の大事な教え子の一人です」

 

 霊紗は「それで」と言った。続けろという意思表示だ。

 慧音は霊紗の意思表示を理解し、霊紗に言った。

 

「どのような理由(わけ)経緯(いきさつ)があってそうなったのかはわかりませんが、懐夢は潜在能力を認められ、貴方方の元へ修行を積む事になったと霊夢から聞きました。そして、懐夢はこうして貴方方のところから私達のところへ帰ってきました」

 

 霊紗は頷いた。

 

「そうだ」

 

 慧音は懐夢の顔をちらと見てから、霊紗を睨んだ。

 

「しかし、帰ってきた懐夢は強すぎていました。修行の際に付けた力に意識を喰われ、私の友人の一人に酷い怪我を負わせました。しかも授業中に」

 

 霊紗は目の色を変えずにただ慧音の言葉を受け入れた。

 

「そうか。そんな事があったか」

 

 慧音は静かな怒りを露わにした。

 

「その事でこの子は酷く傷付きました。普通の修行をしたのならば、こんな事にはならないはずです。

 懐夢に一体どんな修行をつけさせたのかを、教えてもらえないでしょうか」

 

 霊紗は霊夢を見つめた。

 

「霊夢、教えなかったのか? 懐夢がどのような修行を受けたのかを。紫が事前に君に言ったはずだ」

 

「言ったわ。でも、こんな結果になるなんて誰が予想できたと思ってんの」

 

「予想できたはずだぞ。何故ならば、懐夢の受けた修行は君が受けた修行と同じで、そして力も君が継承したものと同じ、『博麗の力』だ。それを一般人に使えばどうなるかくらい、君でも予想がつくはずだ」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「懐夢は確かに素晴らしいくらいに強くなってたわよ。私と組んで戦ってくれた時も、すごく頼もしかった。だけど、この力を振るっていいのは戦闘の時だけでしょ? 戦闘の時以外に出しちゃいけないもののはずよねあれは。……少なくとも私は師匠からそう教わったわ」

 

 霊夢はぎゅっと懐夢の肩を握りしめた。

 

「でも、この子の場合、戦闘でもないのに力を出してしまったのよ。

 それも、その時の力を制御できなかったと言っていたわ。あんたは制御できない力をこの子に与えたのよ」

 

 霊紗は視線をそらさずに霊夢の言葉を一つ一つ受け止め、やがて霊夢に言った。

 

「それのどこがいけない? 私はその子にとんでもない才能が眠っているのを感じて、修行を積ませ、眠っていた才能を開花させたのだ。結果として懐夢は君を守れるくらいに強くなった。それに懐夢は強くなることを望んでいた。……その望みを叶えてやっただけなのだが、私達は」

 

 霊紗は懐夢の瞳を睨むように見た。

 

「それに、懐夢はとても運の良い子だし、修行中何度も吃驚したよ。もしこの才能を持っていなかったならば、博麗の巫女の持つ力をもらう事も出来ず、ただの半妖のままだったのだからな。咎められるよりも、感謝されたいところだ」

 

 霊夢は声を荒げた。

 

「懐夢は化け物になりたかったんじゃないわ!!」

 

 霊夢の怒鳴り声に、霊夢の後ろにいる三人は背筋をびくんと言わせて、懐夢は思わず霊夢の顔を見た。

 慧音がそれに続くように、静かな怒りを秘めた声で言った。

 

「……本来ならば、些細な事で力を出したりはしない。そういうふうに修行をさせるのだから。

 だが、戦闘でもないのに力を出してしまったという事は、そういうものが欠如した修行をしていたという事だ」

 

 慧音は霊紗を睨んだ。

 

「……お前達は懐夢に、精神修養を欠如した不完全な修行を施していたと私は推測した。どうだ、あってるか」

 

 霊紗はしばらく黙った後に、言った。

 

「……あぁそうだ。この子の精神は鍛えていない。私達はあくまで技術と力を彼に与えただけだからな。そして、彼を博麗の巫女を異変から守る<博麗の守り人>にしたんだ」

 

 霊夢は怒鳴るように言った。

 

「何故? あんた達は何でそんな修行を懐夢に施したの? 制御できる力を振るって、博麗の巫女を守るのが、<博麗の守り人>なんじゃないの。今の懐夢は、制御できない力に振り回される化け物みたいなものじゃないの」

 

 霊紗は首を横に振った。

 

「そんな事はない。懐夢は完全な<博麗の守り人>だ。現に君と一緒に戦闘を行い、異変から君を守ったんだろう? ならば懐夢は十分に<博麗の守り人>だ」

 

 霊紗は右掌を広げた。

 

「先程も言ったように、これは懐夢に才能があったからこそ、懐夢が自ら望んだ事だからできた事なのだぞ。感謝してほしいものなのだが……何を望んでいるんだ、君達は」

 

「わからないかしら。私達が何を望んでいるのか」

 

 霊紗は目つきを鋭くした。

 

「君達の望みはずばり、懐夢の持つ力を制御できるものにしろという事か」

 

 慧音は頷いた。

 

「そうだ。戦闘の時以外に力が出ないようにな」

 

 霊紗は「そうか」と言って、立ち上がった。

 

「ならば早速とりかかろう。懐夢を少しの間借りるが、いいか」

 

 霊夢はきょとんとして、霊紗を見つめた。

 

「え、そんな簡単にできる事なの?」

 

 霊紗は頷いた。

 

()()()()()だからな。聞かないわけにもいくまい。

 それと霊夢、君達は今、幻想郷で起こっている新たな異変に苦戦しているようだな」

 

 霊夢は驚いたような顔になった。

 

「どうしてそれを」

 

 霊紗は答えず、視線を西の方へ向けた。

 

「この建物の西の方に大きな書物庫がある。もしかしたらそこにこの異変に関連する資料があるかもしれない。懐夢の追加修行が完了するまでそこで調べているといい。あと、もう一つ」

 

 霊紗は霊夢の瞳を見つめた。

 

「懐夢の修行が終わったら、一人で私のところへ来てくれないか。

 君には話さなければならない事があるんだ」

 

「わかったわ。……ちゃんと懐夢の力を制御できるものにしなければ、許さないわよ」

 

 霊紗は苦笑した。

 

「その心配はないよ、さぁ懐夢、いくよ」

 

 


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