東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

89 / 152
14 巫女の思い、子の思い

 霊夢は慧音との話を終わらせた後、天志廼という名前を幻想郷全体に行き渡らせるように、妖怪の山にいる文の元に訪れて、文々。新聞に天志廼という街についての情報求むという記事を書いてくれるよう頼み込んだ。文は天志廼とはなにかと尋ねてきたが、霊夢は天志廼とはこの幻想郷のどこかに存在するとされる神秘の街であり、もし見つける事が出来れば、それだけで大スクープになると言った。

 霊夢が天志廼という名前を口にすると、まるで餌をもらいに飼い主の元にやって来た犬のように、周りに居た新聞記者の天狗達も集まってきた。

 寄ってきた天狗達はいいネタがあるなら今すぐ教えてくれと言わんばかりの顔をしており、それを見るなり、霊夢はしめたと言わんばかりに天志廼という街についての情報、それに関係しそうな怪しい存在の情報を集めるように依頼。文を含める新聞のネタに困っていた天狗達は喜んで霊夢の指示を承り、霊夢に天志廼についての粗方の情報をくれるように頼み込んできた。霊夢は街の一部で天志廼で作られた鉄を使う人々がいて、天志廼はこの幻想郷の中で最も良質な鉄を作る鑪製鉄所がある街であるという意見が寄せられている事を天狗達に教えた。

 天狗達はそれを聞くなり、早速新聞の制作に取り掛かった。ある者は記事やメモを書き出し、ある者は外に出て幻想郷の空へと飛び立っていった。そんな天狗達の姿を見て、霊夢はこの人達なら大丈夫だろう、すぐに天志廼を見つけてくれるはずだと思い、文に礼を言った後、天狗の里の新聞社から出て、博麗神社に帰るために飛び立とうとした。

 しかしその時、突然背後から声が聞こえてきて、霊夢は動きを止めた。

 

「霊夢」

 

 あまり聞き慣れない声だった。誰だろうと思って振り返ってみると、そこには白と黒を基調とした巫女装束にも似た衣装を身に纏い、手に羽団扇を持ち、背中から大きな黒い翼を生やした、黒く、長い髪の毛を持つ若草色の瞳の女性の天狗が顔に微笑みを浮かべて、霊夢へ目を向けていた。

 その天狗を見るなり、霊夢は驚いたような顔になった。

 

「だ、大天狗!」

 

 この女性の名は大天狗。天狗の里に住まう天狗達の頂点に立ち、幻想郷の大賢者の一人を務めていて、尚且つ新聞記者である文の実の母親でもある天狗だ。

 大天狗は霊夢にゆっくりと歩み寄って、再度声をかけた。

 

「天狗の里にいらしていたんですね」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうよ。あんたは散歩?」

 

 大天狗もまた、霊夢と同じように頷く。

 

「えぇ。ちょっと外の空気が吸いたくなったのです。普段は御殿の中にほぼ籠りきりですから」

 

 霊夢は「そうなの」と言った後、ある事に気付いた。

 大天狗の周りに、誰もいないのだ。

 普通、大天狗くらいの重要人物が外出する際には、近衛や侍女が護衛につくものだが、大天狗の周囲を見ても近衛や侍女と思われる天狗の姿はない。

 

「散歩の割には、随分不用心じゃないの大天狗」

 

 大天狗は首を傾げた。

 

「不用心、といいますと?」

 

「あんたは幻想郷の大賢者で、この里で一番偉い天狗なのよ。なのに、あんたの周りには誰もいない。近衛も侍女もね」

 

 大天狗はくすりと笑った。

 

「なるほど、そういう事でしたら、ご安心ください」

 

 大天狗は霊夢に事情を話した。

 何でも、大天狗を守る護衛は何人もいて、周囲の木の陰や枝の上に潜み、常に感覚を研ぎ澄ませて大天狗に敵が迫ってこないかをどうか見張っているそうだ。

 霊夢はその話の真偽を確認しようと辺りを見回したが、どこかしこも天狗だらけで、どれが大天狗を守る護衛なのか特定する事は出来なかった。だが、少し感覚を研ぎ澄ませてみると、力の強い天狗の気配が感じられため、大天狗の言う護衛がちゃんと存在している事だけはわかった。

 

「そういう事だったのね」

 

 大天狗は羽団扇を手で軽く叩いた。

 

「はい。だから私に危害が及ぼうとした瞬間に、周りの護衛達が流星の如く現れます」

 

 霊夢がへぇと言う。

 

「じゃあ私が今あんたに危害を加えようとしたら、その護衛達は一瞬で私を殺しに来るって事なのね」

 

 大天狗は目を鋭くする。

 

「……私に危害を加える。それは冗談で言っているのでしょうか」

 

 普段穏やかな顔をしている大天狗の目が突然鋭くなった事に霊夢は少し慄き、首を横に振った。

 

「じょ、冗談に決まってるでしょ。あんたに危害を加えたところで私はどういう得をするっていうのよ。

 自分で考えても全然見当が付かないわ」

 

 大天狗は目つきを元に戻し、顔に微笑みを戻した。

 

「ならいいんです。……私もちょっと怖い顔をしてしまいましたね。ごめんなさい」

 

 霊夢はもう一度首を横に振った。

 

「いやいや、あんたが謝る必要はないから。私が言い出したせいなんだから……」

 

 霊夢の言葉を最後に、二人は口を閉じた。

 重い沈黙が少しの間二人を覆ったが、その沈黙は大天狗によって打ち払われた。

 

「そんな事より今日、貴方に会えてよかったです。私、ずっと貴方にお礼が言いたくて」

 

 いきなり話を切り替えた大天狗に霊夢はきょとんとし、首をまた傾げた。

 

「へ? 私にお礼?」

 

 大天狗は顔に笑みを浮かべ、頭を下げた。

 

「八俣遠呂智の討伐、ありがとうございました」

 

「八俣遠呂智の討伐? 一月も前の出来事じゃないの。何よ今更」

 

 大天狗は顔を上げた。

 

「八俣遠呂智が倒されてからというもの、文の調子はすっかり良くなりました」

 

 その言葉を聞いて、霊夢は思い出した。文はいつもハイテンションで明るく振る舞っているが、実は心に大きな傷を作っていて、時折それを思い出して苦しむ。その傷を作ったのが、八俣遠呂智と八俣遠呂智を封印した当時の博麗の巫女だと大天狗が言っていたが、八俣遠呂智は先月、自分達が力を合わせて討伐し、永遠に消し去った。

 霊夢は大天狗の顔を見て、文のトラウマが八俣遠呂智の死により一つ消えた事を察し、顔に笑みを浮かべた。

 

「八俣遠呂智が死んだおかげね」

 

 大天狗は頷いた。

 

「はい。あの白の魔神が倒れたおかげで、文の心の傷は一気に塞がりました。もう八俣遠呂智の事で苦しむ事は、なくなったようなのです。これも、貴方が八俣遠呂智を倒してくれたおかげですよ」

 

「私だけの力じゃないよ。あの時は皆で力を合わせて戦った。私の一人だけだったら、あんな怪物を倒す事は出来なかったと思うわ。しかも、あの時は文もいたのよ」

 

 大天狗は頷いて、苦笑いした。

 娘が八俣遠呂智と戦っていると部下の天狗から聞かされた時、大天狗は生きた心地を感じなかったという。文は八俣遠呂智に強いトラウマを持つ子、そんな子がトラウマの元凶と戦っていると聞かされたのだから、当然だ。

 そしてそんな文が八俣遠呂智のとの戦いに勝利して里に帰ってきた時、大天狗は御殿を飛び出して文の元へ向かい、自分が大天狗である事を忘れて文を抱き締め、わんわんと泣いたらしい。

 大天狗は話し終えると、顔を少し赤くした。

 

「あの時は、他の皆に恥ずかしいところを見せてしまいました」

 

 霊夢は笑顔になった。

 

「それはあの子の母親として当たり前の行動だって言えるんじゃないかしら。他の天狗達だってあんた達が親子だって事を知らない訳じゃないんでしょう。皆だって当たり前だって思ってたはずよ」

 

 大天狗は髪の毛を軽く掻いた。

 

「そうですけど、そういう事は皆の前でやる事ではありません。

 天狗の里を治める者としては、恥ずかしい限りなのです」

 

 恥ずかしそうにしながら、顔に笑みを浮かべる大天狗を見て、霊夢は心にむずむずとした妙な感覚が走るのを感じた。やはり、大天狗は文の母親だ。そうでなければ、あのような娘を想う母親の笑顔など出来ない。

 自分の母も、凛導と自分の事について話す時にあのような顔をしていたのだろうか。

 

「愛されてるわね、文は」

 

 霊夢が呟くと、大天狗がきょとんとして、霊夢に声をかけた。

 

「え、なんですって?」

 

 霊夢はハッと我に返って、首を横に振った。

 

「いや、何でもない。ちょっと独り言を言っただけ」

 

 大天狗はそうですかと言ったが、そのすぐ後に何かに気付いたような顔になって、霊夢へ言った。

 

「文の心の傷は癒えました。ですが、まだ……」

 

 大天狗が言いかけたところで、霊夢もまた思い出した。そうだ、八俣遠呂智は倒れたけれど、まだ八俣遠呂智を封印した博麗の巫女は残っている。しかも、この博麗の巫女は、文の目の前で、文の最愛の父を殺してみせた、言わば仇だ。

 

「文の父さんを殺した博麗の巫女ね……そいつの方が、八俣遠呂智よりも深刻なトラウマなんじゃないかかしら」

 

 大天狗は頷いた。

 

「私にとっては、夫。文にとっては最愛の父でしたからね……八俣遠呂智よりも、あの博麗の巫女の方が、文に深刻な心の傷を負わせたと言えます」

 

 霊夢はじっと考えた。その博麗の巫女は、どうしてそのような事をしたというのだ。

 当時は明治時代だから、その時の博麗の巫女も今と違って、妖怪を普通に虐殺していたのだろうか。それとも、妖怪を殺さなければならない理由が彼女にあって、その理由のために、文の父親である大天狗を殺したのだろうか。どんなに考えても謎だらけで、何も思い付く事はなかった。

 そして、その博麗の巫女は、大天狗の話によれば、大賢者達の手によってこの幻想郷のどこかへ封印された。この博麗の巫女が血胸なんだったのかは、紫や童子が知っているようだが、あの二人はどんなに尋ねてもこの事に関しては口を割ろうとはしなかった。

 大天狗も大賢者だから、あの博麗の巫女の事を知っているかもしれないと思ったが、紫と正直者の童子ですら口を割ろうとしない話を大天狗がしてくれるとは思えなかった。

 

「前に、文が博麗の巫女に対して強い憎悪を持ってるとか言ってたけど、あれはどうなの」

 

「……霊夢に襲い掛かるという事だけはなくなったと思います。貴方はあの子のトラウマの元凶を一つ倒して見せた人ですから。でも、『博麗の巫女は仇である』という思いは、まだあの子の心のどこかに残っているようです」

 

 霊夢は俯いた。

 

「やっぱり、博麗の巫女は許されないのね」

 

 大天狗は首を横に振った。

 

「そんな事はありません。許されないのはあの博麗の巫女であって、貴方ではありません。

 寧ろ貴方は数々の異変を解決し、ついには八俣遠呂智を討伐してこの幻想郷を救った英雄ですよ」

 

 霊夢は何も言おうとしなかった。

 確かに自分はこの幻想郷のために異変を解決させて来たし、八俣遠呂智という強大な敵を討ち倒した。幻想郷の民からすれば、自分は幻想郷の平和を守る英雄なのかもしれない。だが、自分達博麗の巫女は、異変を解決し、幻想郷の秩序を司る存在であると同時に、幻想郷のためならば大量殺戮さえ行う殺人鬼のようなものだ。尊ばれもすれば、憎まれもする。そして今、文が博麗の巫女を憎んでいる。

 ……自分の事ではないとは言うけれど、自分が今世の博麗の巫女。文の憎しみの対象である事に変わりはない。

 

 霊夢は俯いたまま、静かに言った。

 

「英雄かぁ……本当に英雄と言えるのかしらね、博麗の巫女(わたしたち)は。

 現に、文が父さんを殺されて憎悪してるわけだし」

 

 大天狗もまた苦い表情を浮かべ、口元を羽団扇で覆った。

 二人はそのまましばらく黙っていたが、やがて大天狗が口元から羽団扇を遠ざけて、霊夢に問うた。

 

「話を変えますが、霊夢。貴方は文の勤めてる新聞社から出てきたみたいでしたけど、文に何か用事があったのですか?」

 

 霊夢はあぁと言った。

 

「ちょっと深刻な用事があってね。文達の力を借りないとどうにもならないと思ったから、伺わせてもらったわ。皆、心よく受けてくれたから、よかったわ」

 

 大天狗は羽団扇で口を覆った。

 

「ほぅ。それは如何なる用事なのでしょうか」

 

 霊夢は呆れたような顔になって、大天狗の若草色の瞳に視線を向ける。

 

「他人の用事を、そんな軽々しく聞こうとする?」

 

 大天狗は「おっと」と言って、苦笑いする。

 

「ごめんなさい。そういう言葉を聞くと、ついつい知りたくなってしまうのです。

 私も元は文と同じ新聞記者(ブンや)でしたから……」

 

 霊夢も大天狗と同じように苦笑いしたが、そのうちある事を思い付いてハッとした。

 そういえば、大天狗もまた紫と同じ幻想郷の大賢者だ。もしかしたら、霊紗のいる天志廼について何か知っているかもしれない。

 

 霊夢は思い付くと、苦笑いしている大天狗に尋ねた。

 

「ねえ大天狗、教えてほしい事があるの」

 

 大天狗は笑んだ。

 

「なんでしょうか。答えられる範囲で、お答えします」

 

 霊夢は表情を少し険しくした。

 

「私、天志廼っていう地を探してる。この幻想郷のどこかにあるっていう話なんだけど、あんた知ってる」

 

 大天狗の顔から笑みが消えた。

 その表情を読み取って、霊夢は大天狗に一歩歩み寄った。

 

「そんな顔をするって事は、知ってるって事よね。教えて頂戴。天志廼の在り処を」

 

 大天狗は先程と同じように目つきを鋭くした。

 

「……まさか八俣遠呂智の封印の地の次は天志廼へ行こうとするとは。貴方は奇想天外な事をする人ですね。天志廼の在り処ならば、知っていますとも」

 

 霊夢は表情を変えずに尋ねた。

 

「どこにあるのよ」

 

 大天狗はばさっと翼を一回動かした。

 

「尋ねます。霊夢、貴方は何故、天志廼へ行こうとしているのですか」

 

 霊夢は首を傾げる。

 

「質問をしてるのは私なのだけれど」

 

「いいから答えてください。貴方は何故天志廼へ行こうとしているのです」

 

 霊夢は仕方ないと思い、大天狗に懐夢の身に起きた事を全て話した。

 霊夢の話が終わると、大天狗は少しだけ視線を下に向けて、呟くように言った。

 

「なるほど、貴方の大事な子が修行によって化け物のような強さを手に入れて苦しんでいて、苦しみからその子を救いたいがために、その子が修行を行った天志廼へ行き、師匠(せんせい)にお会いしたい、と」

 

 霊夢は頷いた。

 

「彼に修行を付けたのは天志廼にいる人と、紫なの。紫は今音信不通でどこにいるのかわからない。

 だから、天志廼へ行こうとしてるのよ。その師匠に会うためにね」

 

 大天狗は何も言わないまま黙っていたが、やがて顔を上げて、首を横に振った。

 

「申し訳ありませんが、お教えする事は出来ません」

 

 霊夢はむっと言って大天狗にもう一歩近づいた。

 

「何でよ。何で秘密にしたがる」

 

 大天狗は霊夢と目を合わせた。

 

「そもそも天志廼は幻想郷から存在そのものが隠されている場所です。博麗の巫女も、その役目を終えるまでは行く事のない場所なのです」

 

 霊夢は首を傾げた。博麗の巫女も、その役目を終えるまで行く事がないとはどういう事だろうか。

 

「どういう事よそれ」

 

「貴方には関係のない事です。とにかく、私達大賢者は貴方に天志廼をお教えする事は出来ません。

 どうか、天志廼の事は諦めてください」

 

 質問に答える様子を見せない大天狗に、霊夢はぎりっと歯ぎしりをした後、噛み付くように言った。

 

「諦めないわ。いいえ、諦められないわ。私はあの子をあんなふうにした、あの子の師匠っていうのに会わないと気が済まないの。だからあんた達に何を言われようと、引き下がるつもりはないわ」

 

 大天狗は「そうですか」と言って、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「貴方は本当に私達大賢者の意見に従わない人なのですね。そしてそれが、今までとは違う新たな形……」

 

 途中で言葉を区切った大天狗に、霊夢は首を傾げた。

 

「何よ。今何を言おうとした」

 

 大天狗はハッとして、慌てたように首を横に振った。

 

「いえ、何でもありませんよ」

 

 大天狗は霊夢ともう一度目を合わせた。

 

「霊夢。私達大賢者は天志廼についての情報を知っていますが、貴方達にお教えする事は出来ません。もし天志廼に心のそこから行きたいと思っているのであれば、自分の力で探し当ててください。天志廼は貴方の言うように、この幻想郷の中に存在しています」

 

「言われなくたってそうするわよ」

 

 霊夢は大天狗の目を睨んだ。

 

「……しないとは思うけれど、邪魔するんなら容赦しないわよ」

 

 霊夢はそう言ってから地面を蹴り上げて宙へ舞い上がり、妖怪の山の上空へ出ると、そのまま博麗神社の方へと飛んで行った。 

 霊夢が飛び去った後、その場に残された大天狗は、霊夢が消えた空を見ながら小さく呟いた。

 

「……あれが、新たなる博麗の巫女の形……なのでしょうか」

 

 

        *

 

 

 霊夢は妖怪の山から出ると、秋の空を駆けて、博麗神社の上空へ戻ってきた。

 境内に静かに着地して、まず最初に懐中時計を確認した。文字盤は午後三時三十分を指している。――寺子屋の午後の授業が終了して、懐夢が帰って来ている時刻だ。

 今日は懐夢の事で色々な事があり、色々な事がわかった日だ。それに、懐夢に非常に強いショックが与えられてしまった日でもある。懐夢は無事に帰って来ているだろうか。

 霊夢は懐夢の霊力を探そうと、感覚を鋭くした。すぐに、懐夢の霊力の位置が特定できた。懐夢は今、神社の中にいる。

 

「帰って来てる……」

 

 霊夢はなるべく音をたてないように歩き、神社の玄関へ入り込んだ。

 

「ただいまー」

 

 神社の中は霊夢が声を出しても森閑としていた。懐夢はどこかにいるようだが、全く声が帰ってこない。神社の中にいるのだけは確かなはずだと言うのに。

 

「懐夢? 懐夢いるの?」

 

 霊夢は神社の中に上がって、居間、洗面所、風呂場、台所、寝室を歩き回り、懐夢の事を探したが、一向に見つからなかった。縁側の方も探してみたが、やはり懐夢の姿はない。

 霊夢はおかしいなと思い、更に感覚を鋭くして霊力を読み取ろうとした。しばらく続けると、霊力の位置が読み取れた。……書物庫の方だ。だが、書物庫はいくら掃除しても誇り臭さが抜けず、懐夢が入る事を嫌がり続けている部屋だ。そんな書物庫から、懐夢の霊力が感じられる。

 

「書物庫に……?」

 

 霊夢は呟いた後、廊下を歩き、書物庫の前に辿り着いた。出かける時に開けっ放しにしておいた書物庫の戸は、いつの間にか閉じられている。そして、中からとても強い懐夢の霊力を感じられる。

 霊夢は何も言わず、戸を叩いて応答を待つ事すらせずに、戸に手をかけ、開いた。むっと埃と古紙が混ざり合ったような臭いが鼻を突いたが、霊夢は気にしなかった。戸を開けて早々、部屋の奥の壁の前に体育座りをしている義弟(おとうと)の姿が目に飛び込んできたからだ。

 

「懐夢」

 

 懐夢は反応を示さなかった。

 霊夢は戸を閉めて、ゆっくりと音をたてないように懐夢に歩み寄って、目の前に来たところで腰を低くした。それでも、懐夢は反応を示そうとも、動こうとすらしなかった。

 霊夢は一瞬、懐夢が眠ってしまっているのかと思ったが、懐夢が足と肩をすくめた事によって、ちゃんと意識がある事を察し、声をかけた。

 

「……大変だったね」

 

 静かに言ったが、懐夢は何も返そうとしなかった。

 霊夢は続けた。

 

「話なら、全部慧音から聞いたわ」

 

 懐夢は更に肩と足をすくめた。

 その後、ようやく懐夢が口を開いた。しかし、顔は下を向いたまま動かなかった。

 

「じゃあ放っておいてよ」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「放っておけないわよ。あんな目に遭ったって聞いたら、尚更ね」

 

 懐夢は小さな声で言った。

 

「遭ったんじゃない。遭わせたんだ。そしたらみんな、ぼくを怖がるようになっちゃった」

 

 霊夢は俯いた。

 

「妖夢の事ね……竹刀で思いっきり叩き付けたそうね。そして、武道場の床を一部壊して使えなくしてしまった。結果、みんなから化け物呼ばわりされるようになってしまったって聞いたわ」

 

 懐夢の声に怒りが混ざった。

 

「わかってるなら、放っておいて」

 

 霊夢は溜息を吐いた。

 

「放っておけないって言ってるでしょう。たった一人の大事な家族が化け物呼ばわりされてる状況を、放っておけるわけがないわ」

 

 懐夢は蹲った。

 

「だって仕方ないよ。ぼくは化け物扱いされるような存在になっちゃったんだから」

 

 霊夢は懐夢を見つめたまま言った。

 

「そんな事ないわ。貴方は化け物じゃなくて、<博麗の守り人>でしょう」

 

 懐夢はかっと顔を上げた。

 

「化け物だよ!!」

 

 懐夢がいきなり怒鳴ると、霊夢は身体をびくりと言わせた。

 懐夢はぎりぎりと歯ぎしりをした。

 

「みんながぼくを、化け物だって言うんだ。強くなったぼくに、言うんだ。

 強くなる事は、化け物になる事だったんだ」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「そんな事はないわ」

 

「そうだよ!」

 

「そんな事は、ないわ」

 

「そうだよッ!! そうじゃなかったら、みんなあんな目でぼくの事を見ないよ!

 あんなふうに、ぼくの事を化け物扱いしたりしないよ! なのにみんな、ぼくの事を化け物扱いするようになって……!!」

 

 泣きながら怒鳴り散らす懐夢を見て、霊夢は懐夢がどういう状況に置かれているのか、どんな事を考えていたのか、わかったような気がして、言葉を失った。

 懐夢はきっと、みんなに力を見せれば、自分の事を頼りになる存在だと、いざとなった時に自分達を守ってくれる存在なのだと認識してくれると思っていたのだ。自分はこんなにも立派になった事を知らしめたかった、認めてもらいたかったのだ。だがみんなは、新しい力を手に入れて、暴れ狂う獣の如く力を振り回し、相手を叩きのめした懐夢を見るなり、懐夢が化け物になってしまったと認識した。そして、懐夢の事を化け物扱いするようになり、避けるようになってしまった。

 これは懐夢が、時と力の使い方を間違えてしまったから、起きてしまった事だ。修行を積み重ね、心身共に鍛え上げたのなら簡単に気付けそうな事だと言うのに、懐夢は気付いていない。慧音の言っていた、、『精神修養が欠如した修行』を施されたというのは本当のようだ。

 霊夢は懐夢の身体に手を伸ばし、抱き寄せた。

 懐夢は一切抵抗せず、寧ろ、むしゃぶりつくように霊夢の身体に抱き付いた。

 胸に顔を押し付けて泣いている義弟(おとうと)の身体を抱き締め、その長くなった髪の毛を撫でながら言った。

 

「貴方は化け物なんかじゃない。貴方はね、力の使い方を間違えちゃっただけなのよ」

 

「使い方を間違えた?」

 

「そうよ。貴方は力を使っちゃいけないところで力を使ってしまったから、みんなにそう思われるようになっちゃったのよ。だから、ね、みんなに正しく力を使ってるところを見せてあげれば、みんなは貴方を化け物扱いしなくなるわ」

 

 霊夢は息を吸った。

 

「だから、力の使い方を」

 

 その時、懐夢が割り込むように言った。

 

「駄目なんだ」

 

「え?」

 

「わからないんだ。使い方が、わからないんだ」

 

 霊夢は腕を緩めて、義弟の顔を見下ろした。

 

「どういう事?」

 

「わからない。戦いに似た状況になると、『攻撃しなければならない相手には容赦するな』って言葉が頭の中を埋め尽くして、刀を振ってる感覚と、スペルカードを使ってる感覚だけになっちゃうんだ。それで、気付いたら敵が傷付いてるんだ」

 

 霊夢は顔を蒼くした。

 

「そ、それってどういう事なの。力を使う時に、意識が消えるってわけなの?」

 

 懐夢は頷いた。

 霊夢は下を向いて、考えた。

 戦闘に近しい状況になると、『攻撃しなければならない相手には容赦するな』という言葉だけが頭の中に残り、感覚は刀を振っている感覚とスペルカードを使っている感覚だけが残るというのは、力を振るう者としては明らかに異常だ。例えるならば、その時だけ()()()()()()()()()()()かのようだ。

 もし懐夢の言っている事が本当ならば――いや、懐夢は嘘を言わない子だから今言っている事は真実だ。懐夢は、力を使用する際に、力に意識を食われているのだ。

 黒犬と戦ったあの時も、刀を振るっている時とスペルカードを使っている時は、きっと意識が喰われていたのだ。そして妖夢と一戦交えた時も、力に意識を食われて、あのような結果を導いてしまったのだ。

 

(なんて事なの……)

 

 霊紗と紫は、こんな幼気(いたいけ)な子供になんと恐ろしい事をしたというのだろう。

 そして懐夢をこのまま放っておいたら、何をやらかしてしまうか、わかったものではないし、意識を取り戻した時に懐夢がどれだけのショックを受けてしまうかも、わかったものではない。

 懐夢を、『力に意識を食われる子』に、させておくわけにはいかない。

 

「……わかったわ、懐夢」

 

 懐夢は顔を上げた。

 霊夢は険しい顔をして、懐夢に言った。

 

「一緒に行こう、天志廼に。そこで霊紗に会って、力の使い方を教えてもらいましょう。

 そうすれば、貴方が化け物扱いされる事はなくなって、<博麗の守り人>と思われるようになるわ」

 

 懐夢は驚いたような顔になった。

 霊夢は続けた。

 

「だからね懐夢、霊紗や紫の約束を、貴方に破ってほしいの。

 ……私に天志廼の場所を教えて頂戴」




次回、天志廼への道開ける?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。