東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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13 過去の日記

「リグル」

 

 ぽーっとした懐夢が小さく呟くと、リグルは吃驚したような顔になり、懐夢から少し遠ざかった。

 かと思えば、リグルは目線を懐夢から逸らし、胸の前で手を組んだ。

 

「か、懐夢……」

 

 懐夢に目を向けず、そっぽを向いたまま、リグルは指をぎこちなく動かした。

 

「久し、ぶり、元気に、してた?」

 

 懐夢からの返事はなかった。リグルはどうしたのだろうと思って懐夢の顔を見ようとしたが、恥ずかしさにも似たよくわからない気持ちが心の中に溢れてきて、中々懐夢へ目を向ける事が出来なかった。

 リグルは深呼吸をして、その気持ちを何とか抑え込み、懐夢に目を向けたが、そこで驚いてしまった。

 見慣れた懐夢の藍色の瞳から、大粒の涙が次々と溢れ出て、頬へ流れて行っている。

 

「か、懐夢?」

 

 リグルが声をかけたその直後、懐夢は何も言わずにリグルへ抱き付いた。あまりに突然の出来事に、リグルは顔を真っ赤にして慌てひしめいた。

 

「懐夢!?」

 

 リグルが再度名を呼ぶと、懐夢は嗚咽を混ぜながら言った。

 

「リ、グル、リグ、ル」

 

 リグルは慌てながら応じた。

 

「なな、な、なに?」

 

 懐夢はリグルの身体に顔を押し当てて、くぐもった声を出した。

 

「ぼく、化け物に、なっちゃ、た」

 

 懐夢の言葉に、リグルはきょとんとして慌てるのをやめて、懐夢に問うた。

 

「え? どういう事?」

 

 懐夢は先程よりもはっきりした言葉遣いでリグルに言った。

 

「ぼく、化け物になっちゃった」

 

 リグルは驚いた。

 

「それってどういう事?」

 

 懐夢はリグルに今日起きた事、慧音に言われた事を全て話した。

 リグルは懐夢の話を黙って聞いていたが、その最中何度も驚いたような声を上げて、懐夢の話が終わったところで、懐夢に声をかけた。

 

「妖夢さんを怪我させたの?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「気付いたら、妖夢さんが怪我をして倒れてて、持ってた竹刀が折れて、床が滅茶苦茶になってたんだ」

 

 リグルは信じられなかった。懐夢は確かに戦闘を行う事もあるけれど、相手を傷付けたり、血を流させたりする事を何よりも嫌う人だ。だから、自分のみに危険が迫っている時以外、進んで相手を怪我させるような真似をする事は無い。

 懐夢の言っていることは、今までの懐夢を見てきたリグルからすれば、嘘だとしか思えなかった。

 

「それって、本当なの? 外の誰かが妖夢さんを怪我させて、その罪を懐夢に擦り付けたとか、そういうのじゃないの」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「ぼくがやったんだ。ぼくが、妖夢さんを叩きのめしたんだ。

 そしたら、慧音先生がぼくの事を化け物だって言って」

 

 リグルは懐夢の体を抱き締めた。

 

「そんな事、そんな事ないよ!」

 

 懐夢はリグルの言葉に答えなかった。

 しばらく黙った後、懐夢は小さな声で言った。

 

「ぼく、強くなりたくて、修行した。<博麗の守り人>っていう存在になれたって思ってた。

 でも、違った。ぼくは化け物になったんだ。化け物になっちゃったんだ」

 

 リグルはもう一度首を横に振った。

 

「そんな事無いよ!! 懐夢は化け物なんかじゃない! 懐夢は、私の知ってる懐夢のままだよ!」

 

「でも、でも……」

 

「……私はどんなことがあっても懐夢を怖いなんて思わない。懐夢は懐夢なんだって、思えるよ」

 

 懐夢は「え?」と言って驚いたような顔になった。

 リグルは続けた。

 

「それに、懐夢はすごく強くなったんでしょ? それって化け物って思う事じゃなくて、もっと誇るべき事なんじゃないかな」

 

 リグルの言葉を聞いて、懐夢は今朝、妖夢と慧音に言われた言葉を思い出した。しかし、それはきっと、先程の出来事によって消えた。慧音も妖夢も、自分の事を化け物だと思うようになっただろう。

 懐夢は俯いた。

 

「それ、妖夢さんと慧音先生にも言われた。その時は誇れる事なんだって思った。

 でも、誇っていいことなんかじゃなかったんだ」

 

 懐夢は目をぎゅっと閉じた。瞼の僅かな隙間から涙が零れた。

 

「ぼくは強くなったんじゃない。化け物になっただけだったんだ」

 

 懐夢が泣き出すと、リグルは懐夢の身体をきつく抱き締めたが、懐夢に声をかけようとはしなかった。いや、かける言葉が見つからないと言った方が正しいのかもしれない。

 自分達妖怪は化け物と言われる事くらいに強いのは、とても光栄な事だし、自分は強いんだと誇れる事だ。

 だが、半妖の懐夢からすれば、化け物呼ばれるのは非常に嫌な事なのだ。自分達とは違って、強くなりすぎたくなかった。

 だからこうして苦しんでいるに違いない。

 リグルは、ただただ懐夢の身体を抱き締めていたが、そのうち懐夢に声をかけた。

 

「そんな言い方、駄目だよ」

 

 リグルは懐夢の頭に手を当てた。

 

「懐夢は化け物なんかじゃない。もう一回言うけど、私は懐夢を化け物なんて思わない。懐夢を一人きりになんてしない」

 

 リグルは懐夢の身体を更にきつく抱きしめた。

 

「だから、そんな言い方しないで。どんなことになっても、懐夢は懐夢だよ」

 

 懐夢は何も言わなかった。しかしその直後、懐夢は顔を上げてリグルと目を合わせた。

 

「何でリグルは」

 

 リグルは首を傾げる。

 

「え?」

 

「なんでリグルはそこまで言ってくれるの。皆はぼくから離れて行ったのに」

 

 言われて、リグルは再び顔を紅くした。

 懐夢を気に掛ける理由は分かっている。だけど、今はそれを言っていい時ではないだろう。

 今そんな事を言ったら、懐夢に余計なショックを与えるだけで終わってしまう。……そんな気がしてならなかった。

 懐夢から視線を逸らし、そっぽを向きながら、リグルは小さく言った。

 

「……一番の友達だから」

 

 懐夢はぴたりと泣き止んで、リグルにもう一度声をかけた。

 

「え?」

 

 リグルは懐夢の顔をちらと見てから、再度言った。

 

「私の中じゃ、懐夢が一番の友達なの」

 

「一番の、友達?」

 

 リグルは頷いた。

 

「そうだよ。なんていうか、他の人よりも、他の友達よりも、仲良くしたいって思える友達。私にとってのそれが、懐夢、貴方なんだ」

 

 リグルは顔を下に向けた。

 

「ほら、懐夢って寺子屋に来てから、私が解けない問題に当たると、その解き方とか教えてくれたじゃない。

 それに懐夢はさ、森が焼かれて蟲の皆が全部死んだ時、私を元気付けてくれたし、私が暴妖魔素に呑み込まれて、もっとたくさんの蟲達を殺した時も、元気付けて、慰めてくれた。もし、あの時懐夢がいてくれなかったら、私、立ち直る事なんてできなかったと思うんだ」

 

 リグルの話を聞いて、懐夢はリグルが暴妖魔素に感染して、夥しい数の蟲達を殺してしまった時の事を思い出した。あの異変が終わり、霊夢達が次の異変を解決するために神社を出て行ったあと、自分とリグルだけが神社に残されたのだが、あの時のリグルは蟲達を殺してしまったショックで、言葉もろくに話せず、ただ大声で泣くだけの状態だった。

 懐夢はそんなリグルを必死に慰め、元気付けた。住処をもう一度失ってしまったのなら、チルノ達に頼んで家を貸させてもらえばいいと提案した。

 しかしリグルはそんなの無理に決まってると言って、懐夢の提案を頑なに否定。

 懐夢は提案を受け付けてくれず、泣き続けるリグルに困り果ててしまったが、その後神社にチルノ達が運び込まれてきた事で、事情は一変した。

 慧音達の治療を受け、意識を取り戻した時、懐夢はこれを逃すものかと言わんばかりに、チルノにリグルの事情を全て話し、リグルをチルノ達の住まう家に住ませてやれないかと必死になって頼んだ。

 結果は応。チルノはリグルの事情を全て把握してくれて、リグルを自分の家に住ませる事を受け入れてくれた。更に、懐夢はひそかに探しておいた様々な蟲達が群生している森をリグルに教え、チルノ達の家にしばらく暮らして、落ち着いたらその森に行って蟲達と仲良くなり、住処を築けばいいとリグルに再度提案した。

 リグルはチルノ達に必死に頼み込む懐夢の姿と、密かに蟲達のいる場所を探してくれていた事に心打たれたのか、泣き止んで笑顔を取り戻し、懐夢の提案に乗ってくれた。その後、リグルはチルノ達の住む家へ住む事になったのだった。

 

「ぼくのおかげ……?」

 

「そうだよ。懐夢がいてくれたから、私は立ち直れた。

 懐夢がいてくれたから、私はここまでこれた。だから、私にとっての一番の友達は、懐夢なんだ」

 

 リグルはにっと笑った。

 

「だから、私は懐夢がどんなになっても化け物だなんて思わない。もし誰かが懐夢を化け物っていうなら、私はそれを間違ってるって言える。

 それに、慧音先生がそう言ってたなら、明日私は慧音先生に言うよ。懐夢は化け物なんかじゃありませんって」

 

 リグルは懐夢の頭に手を当てて、髪の毛をそっと撫でた。

 

「だから、そんなふうに自分を化け物だなんて言わないで。

 貴方は化け物なんかじゃない。貴方は私の一番の友達、博麗懐夢だよ。

 大事なものを守るための力を手に入れる事が出来た、懐夢だよ」

 

 リグルに抱き締められて、穏やかな声を聞いた途端、氷のように冷え切っていた心の中が温かくなって、するすると悲しさが抜けていくのを感じた。かと思えば、ふいに目の前が滲み、何も見えなくなった。懐夢は必死に涙を堪えようとしたが、どんなに息を吸って求める事は出来ず、懐夢はリグルにしがみ付き、わんわんと大きな声を出しながら、泣いた。

 リグルはじっと、懐夢を抱き締めたまま動かなかった。

 

 

 

        *

 

 

 博麗神社、午後一時三十分。

 こちらは霊夢。霊夢は昼餉を済ませた後、書物庫に籠って『黒い花』の事を調べていた。

 しかし、本棚から本を取り出して読み進めても、八俣遠呂智の時と同じように歴代の博麗の巫女の日記だとか伝記ばかりで、果ては術式だけが書かれたメモ帳のようなものばかりだった。どこにも、黒い花に関する情報は書かれていない。

 今手に持って、目を通している本だって歴代の博麗の巫女の日記帳だ。無論、黒い花に関する事は描かれていない。

 霊夢は溜息を吐いて、手に持っていた本を本棚に戻した。

 

(やっぱり、ないかぁ……)

 

 これだけ探しても見つからないという事は、『黒い花』は過去に出現したものではないという事だ。つまり、『黒い花』への対策は、今世を生きる博麗の巫女である自分が作り出さなければならないもので、過去を生きた博麗の巫女達の情報には頼れないものという事だ。

 

(あれへの対策は、私の手でやるしかないのか)

 

 そうなると、実に厄介だ。今まで交戦してきた『黒い花』はまだたったの二匹。情報が全くと言っていいほどとれていない。だから、対策を立てようにも『黒い花』の正体が何なのか、『黒い花』を倒すと何故人が出てくるのか、そもそもどうやって『黒い花』が発生しているのか、あの『黒い花』のエネルギー源は一体何なのか、何一つ掴めていない。身体の器官などを調べようにも、生命活動が停止したら霧散してしまうから、調べる事も出来ない。

 ならば『黒い花』生み出していると思われる黒服の霊夢に尋ねればいいのではないかと思った事もあったが、生憎黒服の霊夢がどこにいるのかもわからないし、黒服の霊夢は幻想郷を滅亡させるという非常に危険な野望を持った人物、出会ったら何を言われて、どんな目に遭わされるかわかったものではない。それに黒服の霊夢は自分と同じ姿をしているので、気持ち悪くて会いたいと思えない。だから黒服の霊夢は駄目だ。あんなの、頼れるわけがない。

 では遥か昔、幻想郷が生まれる前から生きている紫はどうだとも思ったが、紫は家にすらいないし、連絡を取ろうとしても全く反応を示さない。完全に、行方知れずな状態だ。沢山の書物を格納している魔法図書館のパチュリーに尋ねても、この山のような本の中からそんな情報を見つけ出すのは、数ヶ月かかると言われた。だから、パチュリーにも頼れない。

 

(どうすればいいのよ……)

 

 霊夢は溜息を吐きながら、目の前の本棚に並ぶ本へ目を向けた。

 とある背表紙を見たその時、霊夢はハッとした。背表紙に妙な事が書かれている本がある。

 

(何かしら)

 

 霊夢はその本に手を伸ばし、本棚から本を取り出すと、その背表紙に着目した。

 背表紙には『双子の巫女の記録』と書かれている。

 

(双子の巫女? 博麗の巫女に双子の時があったって事かしら)

 

 興味がわいてきて、霊夢はその本を開いて中身に目を向けた。

 その時、思わず驚いてしまった。本の紙が尋常でないほど黄ばみ、傷んでいる。この黄ばみと傷み具合からしてかなり昔に書かれた本だという事がわかったが、文字の方はしっかりしていて、比較的容易く読む事が出来た。

 

(どれどれ……双子の巫女ってどんな感じなのかしらぁ)

 

 興味津々な様子で、霊夢はページに書かれている文字を読み始めた。

 

――めいじ 弐ねん しち月じゅうごにち ひっ記しゃ はくれい るか 五さい――

  きょうはれいかちゃんとはくれいじんじゃのそとでいっぱいあそんだ。れいかちゃんはちょっとしたことでころんだりしてなきだしちゃうけれど、るかがよしよししてあげるとなきやんでくれる。きょうもあそびながら、いっぱいよしよししてあげた。

  おかあさんはれいかちゃんがおねえちゃんだから、れいかちゃんがしっかりしないとへんだよっていってたけど、れいかちゃんは、ぜんぜんそんなふうにおもってないみたい。

  もしるかがおねえちゃんで、れいかちゃんがいもうとだったら、へんじゃなかったのかもしれないのになぁ、なんでれいかちゃんがおねえちゃんで、るかがいもうとなんだろ。

  でもいいや。れいかちゃんがしっかりするまで、るかがまもってあげればいいんだから。あしたもがんばるぞー! いっぱいあそぶぞー!

 

 一頁読み終えて、霊夢は苦笑いした。

 今読んだページは全て小さい子供が書くような平仮名だけが書かれていた。どうやらこれもまた日記らしい。

 霊夢は本を閉じて表紙を見た。そこには背表紙と同じように『双子の巫女の記録』と書かれている。

 それだけではなく、記入者『博麗霊華・瑠華』とも書かれている。どうやらこれが双子の名前であるらしい。今読んだページには最初に「きにゅうしゃ はくれい るか 五さい」と書かれていたので、あれは双子の片割れである『瑠華』という者が五歳の時に書いたものなのだろう。

 文中から察するに、瑠華は、霊華という者の妹らしく、霊華と瑠華は母親との三人暮らしだったようだ。そしてその母親もまた、博麗の巫女だったのだろう。……何代目なのかはわからないが。

 そして、この霊華と瑠華も母親から力を継承されて博麗の巫女となったのだろう。

 

(あれ、でもおかしいな)

 

 博麗の巫女で養育される子供は、一人だけのはずだ。博麗の力に適合している『一人の子』が博麗の巫女の元で育てられるわけだから、博麗神社に二人、子供がいるなどという状況にはならない。霊華と瑠華は双子だとあるが、文中から察するにこの二人は同時に博麗神社に暮らしている。これはつまり、二人揃って博麗の巫女の力に適合していて、博麗の巫女に育てられていたという事になる。

 

(博麗の巫女が、二人いた時代があったって事かしら……)

 

 日記の中身が気になり、続きを読もうとしたその時、玄関の方から声が聞こえてきた。

 

「霊夢、霊夢いるか」

 

 霊夢は玄関の方へ視線を向けた。聞こえてきた声は、非常に聞き慣れている慧音の声だった。

 

「慧音?」

 

 霊夢は手に持っていた本を本棚に突っ込むと、書物庫を出て、声の聞こえてきた玄関へ向かった。

 廊下を歩き、今を通り抜けて玄関へ辿り着くと、玄関先に慧音が立っていた。顔には非常に険しい表情が浮かべられている。

 霊夢は慧音の表情を気にせずに、声をかけた。

 

「慧音じゃないの。どうかしたの」

 

 その時、霊夢は気付いた。慧音と言えば寺子屋の経営者且つ学童達の教師、普通ならば授業中なはずだ。

 

「っていうか何であんたここにいるのよ。授業はどうしたの」

 

 慧音は表情を変えず、霊夢をじっと見つめながら言った。

 

「授業なら阿求に任せてきた。お前と話がしたくてな。

 いや、正確に言えば、お前しか会う事の出来ない人物に話を伺いたいんだ」

 

 霊夢は腕組みをして、首を傾げた。

 

「何よ。私しか会う事の出来ない人物って」

 

 霊夢は腕組みをやめた。

 

「まぁいいわ。あんた、ただならない顔してるから、居間に案内するわ。話はそこでしましょう」

 

 慧音は頷くと、靴を脱いで床に上がった。

 霊夢は慧音を導きながら来た道を戻り、居間へ入り込むと、テーブルの前に腰を下ろし、慧音に前の方へ座るように指示。慧音は霊夢の指示を聞き入れ、言われた位置に座った。

 慧音が座ったところで、霊夢は再度慧音に声をかけた。

 

「それで、何の用事で私のところに来たんだっけ」

 

「お前しか会う事の出来ない人物に話を伺うためだ」

 

「私しか会う事が出来ない人ですって? それは何」

 

「八雲紫だ。彼女は懐夢の師匠となって彼に修行を付けたんだろう」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうだけど……あんた、紫に会いたいわけ?」

 

 慧音は首を横に振った。

 

「正確には、紫ではなく、霊紗という人物に会いたいのだ」

 

 霊紗。その名前を聞いて、霊夢は咄嗟に思い出した。霊紗と言えば、懐夢に技術や体術などを教えていたとされる人物だ。

 

「霊紗かぁ……懐夢から聞いたのね」

 

「そうだ。懐夢から聞いたんだ」

 

「なるほど、あんたは霊紗って人に会いたいわけか。それは何故かしら」

 

 慧音の頬にさっと血がのぼるのが見えた。

 

「懐夢を化け物に変えた張本人だからだ」

 

 慧音の言葉を聞いた直後、霊夢は表情を険しくした。

 今、慧音は懐夢を化け物と言った気がする。

 

「ちょっと待ちなさい慧音。あんた今、すっごく聞き捨てならない事を言った気がするんだけど」

 

 慧音は表情を変えないまま、静かに言った。

 

「霊夢、お前は懐夢の保護者でありながら、知らないのか。懐夢がどういう状況になっているかを」

 

「わかってるわ。あの子は修行を積んで、<博麗の守り人>っていう存在になって帰ってきた。

 すっごく強くなってたわ。この前なんか、私と手を合わせて戦ってくれたしね」

 

 ぎりぎりと音が聞こえるくらいに歯を食い縛りながら、慧音は震え始めた。

 

「その事に、お前は何の疑問も抱かなかったのか」

 

「へ?」

 

「今の懐夢が普通の子供だと、お前は思っているのか」

 

 霊夢は顔を顰めた。

 

「何を言うのよ。っていうか、何が言いたいのよ。

 何か、悪い事もでもあったっていうの」

 

 慧音は頷き、今日の午前中に起きた事件の事を全て霊夢に話した。

 それを聞くなり、霊夢は驚愕したような顔になった。

 

「懐夢が、妖夢を叩きのめした、ですって?」

 

 慧音は頷いた。

 

「そうだ。あの時の懐夢は、まるで獣のようだったよ。周囲の目も、化け物を見るような目だった」

 

「妖夢が何か、懐夢を怒らせるような事をしたんじゃないの?」

 

 慧音は首を横に振った。

 

「剣道の試合をしていただけだ。その最中、彼は突然動きを変えて妖夢へ襲い掛かり、妖夢に怪我をさせたところで、ようやくその動きを止めたんだ」

 

 霊夢は信じられなかった。懐夢は確かに戦闘できるくらいに強くなったし、この前だってあの『黒い花』と戦って、勝利を収めた。

 でも懐夢が武器を振るって戦うのはあぁいう非常に危険な存在が現れた時だけだ。そうでもない相手にはそんな事をしたりしない。

 

「ちょっと信じられないわ。懐夢はそんな子じゃないもの。変な嘘を吐いてるんなら、今すぐに撤去なさい」

 

 慧音は何も言わずに霊夢と目を合わせた。その時、慧音の目を見て、霊夢は慧音が嘘を言っていない目をしている事に気付いた。……慧音の話は、本当らしい。

 

「嘘、吐いてないのね」

 

 慧音は静かに頷いた。

 

「嘘ではないよ。現に、その事について話がしたくて、私はここに来たのだからな」

 

 霊夢は顔を片手で覆った。

 

「何で、何で懐夢がそんな事をしたのよ。あの子はそんな子じゃないのに……」

 

 慧音は霊夢に、懐夢の話を聞いてから、自分の中で考えた事を話した。

 それを聞くなり、霊夢は驚いたような表情になった。

 

「あの子が、不完全な修行をしていた?」

 

「あぁ。あいつの修行は精神修養が欠如している。だから、剣道の試合で本当の戦闘をしているような気になって、容赦なく相手に襲い掛かったんだ」

 

 慧音は俯いた。

 

「今のあいつは、自分の中の力を制御する方法を知らず、ひとたび戦闘に近しい状況に置かれれば容赦なく力を振り回す化け物だ」

 

 霊夢は怒鳴った。

 

「そんな言い方ないでしょ!」

 

 慧音は霊夢以上の声を出して怒鳴った。

 

「事実だ! あいつは本当に化け物なんだよ! 化け物になってしまっているんだ!」

 

 あまりの声の激しさに、霊夢は黙ってしまった。

 慧音は深呼吸をしてから、静かに霊夢に言った。

 

「だからお前の元を訪ねたんだ。懐夢をあんなふうにした霊紗という人物に詰め寄るために」

 

 霊夢は静かな怒りを秘めた声を出した。

 

「なんで私なのよ。私だって霊紗の居場所なんか知らないわ」

 

 慧音は顔を上げて、懐夢から聞いた事を霊夢に話した。

 

「霊紗は天志廼にいる。そしてその天志廼の場所を、紫が知っていると聞いた。

 お前は紫とよく話をしているから、紫に会う手段を知っているのではないかと思って、来たんだ」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「……悪いけど、私もあいつの居場所はわからないわ。家に行ってみたけれど、完全に不在。

 今あいつがどこで何をしているのか、わからないのよ」

 

「連絡は取れないのか」

 

「取れないわよ。だってあいつは基本的に、向こうから用事がある時しか私の前に出てこないもの。

 連絡手段なんか教えてくれないし、家に行ったって不在がほとんどだし」

 

 慧音は自分の足を叩いた。

 

「くそ! 何故肝心な時に現れないのだ!」

 

 霊夢は自分の中に慧音が抱いていると思われる気持ちと同じような気持ちが湧いてくるのを感じた。

 懐夢に間違った修行を付けさせて、化け物と罵られるような状態にした紫と霊紗が許せない、居場所を突き止めて、迫って対策を聞き出さなければ気が済まないという怒りにも似た気持ちが。

 しかし、霊紗は天志廼というどこにあるのかわからない場所に隠れているときた。だから、懐夢の事を問い詰める事だって出来ない。

 紫は天志廼の場所を知っているそうだが、どこにいるかわからないから聞き出せないし、恐らく聞いたところで教えてはくれないだろう。紫には頼れない。

 

 だが……天志廼がこの幻想郷の中にあるのは確かな事だ。幻想郷の民全員に天志廼の捜索の依頼を発行し、探してもらえば、見つかる可能性がある。

 

「こうなったら、やるしかないわね」




霊夢の探求、さらに深まる。

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