東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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11 暴れ狂う力

 懐夢は寺子屋の前まで来て驚いた。妖夢の言っていた通り、寺子屋から見て右の方にあった空き地に、いつの間にか立派な武道場が出来ていた。

 少し近付いただけで真新しい建物だけが持つ独特の木の匂いが感じられるため、出来てまだ日が浅い事がわかる。

 武道場を見ながら、懐夢は隣にいる妖夢へ声をかけた。

 

「ここが、武道場ですか」

 

 妖夢が頷く。

 

「そうだよ。ここが武道場。学童達が剣道や武道などといった身を守る術を学ぶために設立されたんだ」

 

 妖夢は懐夢の方へ顔を向けた。

 

「さてと、ここでお別れだね。私はこれから剣道の授業のために武道場へ向かうよ。

 懐夢君はひとまず慧音先生のいる教務室に行って。慧音先生も懐夢君の事心配してたからさ」

 

 懐夢はあっと言って思い出した。そういえば、霊夢もそうだが慧音にも全くと言っていいほど連絡をしていなかった。学童の事になると結構心配性になる慧音の事だ、さぞや心配をしてくれていた事だろう。……会った瞬間頭突きが飛んできて、授業開始ぎりぎりの時間まで説教されるかもしれないが、会わないわけにはいかない。

 

「わかりました。教務室に向かいますね」

 

 懐夢はそう言って妖夢と別れると、一月ぶりに寺子屋の中へと入りこんだ。

 戸を開けて玄関に入ると、畳と木、紙と墨の匂いが鼻に流れてくるのを感じた。

 懐夢はその場に立って辺りを見回してみたが、寺子屋の風景は何一つ変わっていなかった。まぁたった一月で中が変わっていたらそれはそれで大変な事なので、変わっていないのは当然と言えば当然なのだが。

 

(まずは、慧音先生のいる教務室だったね)

 

 懐夢は心の中で呟いた後、一月ぶりの廊下を歩いて、やがて教務室で立ち止まった。

 自分は一月ぶりに慧音に会うし、慧音もまた自分と一月ぶりに顔を合わせる。しかも何の連絡もなしに寺子屋に来なかったから、無断欠席扱いだ。会って早々頭突きをもらう可能性だってある。

 懐夢はゆっくりと深呼吸をすると、教務室の戸を拳で軽く二回叩いた。こん、こんという音が廊下に小さく響くと、教務室の中から声が聞こえてきた。

 

「誰だ、入る前に名を名乗れ」

 

 教務室の中から聞こえてきた慧音の声を耳に入れるなり、懐夢は戸の前で名乗った。

 

「博麗です、慧音先生」

 

 直後、教務室から人が歩いて来るような音が聞こえ、その数秒後に戸が開き、中から慧音が姿を表した。

 慧音は戸の前に立っている懐夢を見るなり、驚いたような表情を浮かべた。

 

「懐夢!」

 

 懐夢はゆっくりと頭を下げた。

 

「おはようございます、慧音先生」

 

 直後、慧音はいきなり懐夢を怒鳴り付けた。

 

「馬鹿者!!」

 

 いきなり怒鳴られて、懐夢はびくりと驚き、慌てて顔を上げた。慧音の顔には怒りと心配が混ざったような表情が浮かべられていた。

 やはり怒られた。怒られる覚悟をしてはいたけれど、実際に怒られてみると来るものがあった。

 慧音は表情を変えないまま懐夢を怒った。

 

「どこで何をしていた! 一月も連絡をせずに無断欠席をして! 皆がどれだけ心配していたと思っている!」

 

 懐夢はしゅんと縮こまり、小さな声で謝った。

 

「ごめんなさい。ちょっと一月くらい、寺子屋を空けてでもやらなきゃいけない事がありまして……」

 

 慧音はふんと鼻を鳴らした。

 

「博麗の巫女を守る存在になるために修行をしていたそうだな。八雲紫の元に弟子入りをして」

 

 懐夢はきょとんとした。慧音が自分の事情を突然話してきた。

 

「どうしてそれを?」

 

 慧音は髪の毛をくしゃっと手で掻いた。

 

「霊夢から聞いたのだ。懐夢が修行するために消えたとな」

 

 続けて慧音は両手を腰に当てて、顔を懐夢に近付けた。

 

「全く、突然修行を始めて私達の目の前から姿を消し、散々心配させた挙げ句、修行をしている事を霊夢に話させ、しかも連絡すらしないとは、言語道断というものだ」

 

 懐夢は更に縮こまり、慧音に謝った。

 

「反省してます」

 

 慧音は懐夢から顔を遠ざけて腕組みをした。

 

「霊夢と喧嘩にならなかったか」

 

 懐夢は頷いた。

 

「喧嘩にはなりませんでした」

 

 慧音は「そうか」と言った後、懐夢の頭の上に手を乗せた。

 

「お前の行動はとても誉められるようなものではない。だが、そのまま失踪せずに無事に帰ってきただけよしとしよう」

 

 懐夢はきょとん、として顔を上げ、慧音と目を合わせた。

 慧音は顔を少し穏やかにした。

 

「もう少し遅く帰ってきたら、頭突きを喰らわせていたところだが」

 

「そ、そうだったんですか。それなら本来五ヶ月かかる修行を一ヶ月で満了させておいてよかったです……」

 

 慧音は目を見開いた。

 

「何? お前今何と言った?」

 

 懐夢は「え?」と言ってから、五ヶ月かかる修行を一ヶ月で満了させて、師匠である紫師匠を驚かせた事を話した。それを聞き終えるなり、慧音は大いに驚きの声を出した。

 

「なんだと? 選ばれた少女が博麗の巫女になるための修行を、たったの一ヶ月で満了だと? どういう事だそれは!?」

 

 慧音に両肩を掴まれて、懐夢はびくりとした。

 

「だから、ぼくの呑み込みがよかったからっていって、一ヶ月で修行が終わったんです」

 

 慧音は懐夢の肩を掴んだまま尋ねた。

 

「途中で中止になったとか、破門されたとかではなくてか?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「はい。修行が終わる時に満了だって言われました。技術は全て教えたって……」

 

 慧音は懐夢の肩から手を離し、考えた。

 いくら呑み込みがよかったとしても、五ヶ月かかる修行をたったの一ヶ月で満了させたなどというのはあり得ない。信じる事など、出来やしない。

 だが、今まで教師をやってきて、懐夢が嘘を吐かない素直な子であるという事実は嫌というほど実感している。今だって、懐夢は嘘を吐いておらず、真実だけを言っている目をしている。――いつも自分に話をする時にする、真実を語る目を。

 だから、懐夢は嘘を言っていない。信じ難いが、懐夢の五ヶ月の修行を一ヶ月で終わらせたという話は事実だ。

 だがそうとなると、懐夢は常人は勿論、達人ですらこなせるかどうか怪しい事をやってのけている事になる。どんな人でも出来ないような規格外な事を常人、ただの半妖の十歳の子供である懐夢が……。

 多分この事は霊夢が詳しく知っているだろう。授業が終わったら尋ねてみる必要がありそうだ。

 慧音は考えを纏めて納得すると、懐夢に声をかけた。

 

「そうだったのか……たったの一ヶ月で五ヶ月かかる修行を修了するとは、普通では考えられない事だ。一体何をしたんだお前は」

 

 懐夢は博麗神社から通う事、修行時間を長くする事、修行する事が楽しくなって来て夢中で取り組み続けた事を慧音に話した。

 慧音は懐夢からの話を聞き終えると、軽く溜め息を吐いてから、顎に手を当てた。

 

「修行する事が楽しくなって気付いたら、五ヶ月かかる修行が終わっていた、か」

 

 懐夢は頷いた。

 

「ぼくは何も考えずに取り組んでいただけです。そしたら修行が終わって、師匠が驚いていました」

 

「当たり前だ。五ヶ月の修行を一ヶ月で終わらせるなどという規格外な事をされれば誰だって驚くに決まっている」

 

 直後、慧音は懐夢の頭に手を乗せて、くしゃくしゃと髪の毛を撫でた。

 

「本当にお前という奴は、私や皆を驚かせるような事ばかりやってみせるな。いろんな人を驚かせて、ついには大賢者である八雲紫すらも驚かせたのだから、とんでもない事だよ」

 

 懐夢は小さく言った。

 

「やっぱりぼくは普通じゃないんでしょうか」

 

 慧音は頷いた。

 

「あぁ。普通ではないよ。常人ではとても出来ないような事を平気でやってのけた規格外だ」

 

 慧音は先程とは違って、優しく、穏やかに懐夢の頭を撫でた。

 

「そんな規格外のお前を学童に持てて、私はとても鼻が高いよ」

 

 懐夢は慧音の目を見つめた。

 

「鼻が高い?」

 

「うん。五ヶ月の月日を要する修行を一ヶ月で修了させられたのは、紛れもなくお前の才能だ。その才能を持てている事には誇りを持つんだぞ」

 

 懐夢はまたきょとんとしてしまった。妖夢に言われた事と同じような事を慧音が言ったからだ。

 それに、妖夢の言っていた通り、慧音は自分の事を鼻が高いと言ってきた。常人では考えられないような事を、化け物のような事をやった自分を、だ。

 

「本当に、誇りを持って良い事なんですか」

 

 慧音は頷いた。

 

「当たり前だ。お前は普通の人じゃ出来ないような事を成し遂げる事が出来た。これは十分に誇りを持って良い事だぞ。威張り散らしては駄目だが」

 

 懐夢は胸の中がひんやりして、妖夢に誉められた事によって消えていた、自分が化け物のような扱いを受けていたのではないかという不安が蘇ってきたのを感じ、俯き、不安そうな表情を顔に浮かべた。

 慧音は懐夢が不安そうな顔になった事に気付いて、もう一度声をかけた。

 

「どうした懐夢。浮かない顔をして」

 

 懐夢は小さな声で言った。

 

「やっぱりぼくは、化け物みたいな扱いなんでしょうか」

 

 慧音は首を傾げた。

 

「化け物? 何をわけのわからない事を言っている」

 

 懐夢は慧音に不安の事を話した。

 懐夢からの話が終わると、慧音は苦笑いした。

 

「なるほど、皆があまりに自分の事に驚くから、皆が自分の事を化け物のように思っているのではないかと思い、不安になったわけか」

 

 懐夢は頷いた。

 慧音は軽く溜息を吐いた。

 

「大丈夫だよ。誰もそんな事は思っていない。本当にただ驚いているだけさ」

 

「そうでしょうか」

 

 慧音は腰を下げて、目の高さを懐夢と同じにした。

 

「懐夢、一つ尋ねようか。お前は何のために強くなった? 何のために修行をしていたんだ?」

 

「霊夢のためです。ぼくを助けて、養って、守ってくれてた霊夢に恩返しがしたくて、強くなろうと思って、紫師匠のところに行きました」

 

 慧音はうんうんと二回頷いた。

 

「そうか。それじゃあ、それは実現出来たか。お前は本当に強くなれたのか」

 

 懐夢は考えた。確かに必死に修行を続けて、満了になった時紫師匠から「貴方は博麗の巫女の側近でいれるほど強くなった」と言われたし、霊夢と一緒に戦って強い妖怪みたいなのを倒す事が出来た。こんなの、修行をするまでは絶対に出来ない事だっただろう。自分は、強くなった。

 

「ぼくは、強くなれました。霊夢と一緒に戦って、悪い妖怪を倒す事が出来ました」

 

 慧音は「そうなのか」と言って一瞬驚いたような表情を浮かべて後、すぐに表情を穏やかなものにして、懐夢の頭に手を乗せた。

 

「そこまで出来たという事は、お前は本当に霊夢のために強くなる事が出来たという事だ。そして、これから霊夢と一緒に戦い、霊夢を守って行けるという事だよ」

 

 慧音は手を懐夢の顔へ移し、懐夢の頬に手を当てた。

 

「多分、お前は自分が強くなれたという実感がないのだろう。

 でもお前は強くなれたんだよ。だからその事を誇らしく思え。そして、自分は博麗の巫女の隣に並んで戦う者であると胸を張れ。そうすれば周りの目など気にならない」

 

 それを聞いて、懐夢は先程よりも強く不安が薄くなっていき、そして完全に消え去ったのを感じた。

 

「本当に、そうやっていいんですか」

 

「あぁいいともさ。だから、もうそんな顔をするな。せっかく一月ぶりに帰ってきたんだから。そして……」

 

 慧音はにっこりと笑った。

 

「おかえり、懐夢。よく戻って来てくれたよ」

 

 懐夢は胸の中が温かくなるのを感じ、ぱぁっと表情を明るくさせて、返事をした。

 

「ただいま戻りました。慧音先生」

 

 慧音はよろしいと言って懐夢の頭を軽く二回叩くと、腰を上げた。

 

「そうだ懐夢。ここまで来る途中に何か気になるものはなかったか」

 

 懐夢は首を傾げた。

 

「気になるもの、ですか?」

 

「うん。実はお前がいない間に、この辺で変化があったんだが、わかったか?」

 

 懐夢は思い出した。きっと、妖夢の言っていた武道場の事だ。

 

「寺子屋の隣にある武道場ですか」

 

 慧音は頷いた。

 

「そうだよ。あれはな」

 

 慧音が説明を始めようとすると、懐夢が割って入り、その話は指導者である妖夢から直接聞いたと言った。その話を聞くなり、慧音は先程の懐夢と同じように軽くきょとんとした。

 

「なんだ、妖夢に会って話を聞いていたのか」

 

「はい。武道場では、剣道の授業が行われてるって聞きました」

 

「そうだ。街の教育者達の間で決まったんだよ。火曜と木曜に剣道の授業が入っている」

 

 懐夢は今日の曜日を思い出した。

 今日は火曜日だ。だから午前中に剣道の授業がある日という事になる。

 

「今日は火曜日ですから、剣道がありますね」

 

「そうなんだが、お前はどうしたい?」

 

「え?」

 

 慧音は話した。なんでも、自分がいない間に始まった授業なので、自分がその授業に参加するかどうか、まだ決まっていないらしい。

 

「となりますと?」

 

「剣道に参加するかどうかだよ。剣道に参加するっていうなら、お前も剣道をする事になるし、参加しないと言うなら皆が剣道をしている間、私の授業を受けてもらう事になる」

 

 慧音は両掌を広げた。

 

「だがお前は剣道の何倍もの過酷な修行をしていた身だ。学童がやる剣道の授業などぬるま湯に浸かるようなもの、ぬる過ぎるものなはずだ。だから無理に剣道を選択せず、私の授業を受けると言う選択肢の方がいいはずだ」

 

 懐夢は一瞬考えた。確かに修行は学童達がやる剣道の授業がぬるま湯に見えるくらいに険しいものだった。それを乗り越えた自分からすれば、剣道をやる価値など皆無で、慧音の授業を受けていた方が有意義だろう。

 だが、それでは駄目だろう。皆が剣道をやっているのに、自分だけ別な事をしているのは不公平だと思われるだろうし、何より間違っている事をしているような気がして、気持ち悪くて授業どころではないだろう。それに、修行の時に剣道も習ったから、皆に教える事だって出来る。自分は、剣道に参加するべきだろう。

 

「いいえ、ぼくも剣道やります」

 

 懐夢が言い放つと、慧音は驚いた。

 

「本当なのか? 本当にやる気なのか」

 

「やります。ぼく、剣道も修行の時に習ったので、他の皆に教えられる事もあるはずです」

 

 慧音は懐夢の目を見た。懐夢の目には真剣の色が浮かび上がっていた。

 それだけで、慧音は懐夢が本気で剣道をやりやがっている事を理解し、懐夢に言った。

 

「いいだろう。やるといい。お前の分の胴着、面、竹刀は全て武道場にあるからそれを使え。

 授業開始は九時からだから、早めに行くんだぞ」

 

 懐夢は「はい」と答えると、失礼しましたと言って寺子屋を立ち去り、武道場へと駆けこんでいった。

 その後ろ姿を見て、慧音はふと思った。

 懐夢は霊夢と肩を並べて戦えるくらいに強くなったと言っていた。だけど、それがどれほどのものなのかまではわかっていないし、どれほどの強さなのか、気になる……。

 

(ちょっと見に行ってみるか)

 

        *

 

 武道場に入り込み、指導者である妖夢と軽く話をしていると、続々と学童達がやってきて、久々の懐夢の姿を見て驚き、喜びの表情を浮かべて声をかけたり話しかけたりしてきた。懐夢もまた、久しぶりに見る他の学童、友人達に感動して、他愛もない会話を弾ませた。

 そして授業が始まる十分前になると、懐夢は妖夢から更衣室の中に懐夢用の胴着、袴、面などがあると教わり、更衣室に向かった。

 

 更衣室の中を探っていると、綺麗に畳まれていて、『博麗』と名前が書かれた胴着、袴、面、胴当て、小手、垂を見つけた。どうやらこれが妖夢の言っていたものらしい。近くには沢山の籠が入っている棚があるので、ここで服を着替えればいいのだろう。

 懐夢は服を脱ぐと、胴着を身に着けて袴を履き、胴当て、垂を付けて手拭いを頭に巻き付け、続けて面を付けて、最後に面を付けると、自分の名前が彫られている竹刀を手に持った。その時、懐夢は修行の時にこうやって剣道防具を身に着けて霊紗と剣術の修行をした事を思い出した。修行が終わってから、剣道の道具を扱う事など無いだろうと思っていたが、まさかこのような形でまた剣道をやる事になるとは思ってもみなかった。

 

 そんな事を考えていると、男子学童達が話をしながら続々と更衣室に入ってきた。授業開始十分前だから準備をしなければと思って来たらしい。

 既に着替えていた懐夢は、皆の着替えの邪魔になるだろうと思い、道場へ戻ってきた。

 そうしてしばらく待っていると、道場に剣道防具を身に着けた学童達が集まり、同じく剣道防具を身に着けた妖夢が「集合」と号令。学童達は妖夢の元へ集まり、三列に並ぶと、日直が「礼」と一同に指示を下し、その指示を受けた学童達が礼をしたところで授業が開始された。

 

 最初は足運びの練習だった。剣道は足の運びが重要視される武術なので、これをしっかり身につけておかないと全く戦う事が出来ないと霊紗にひたすら教え込まれたのを懐夢は思い出した。

 妖夢が始めと号令をかけると、学童達は前後左右に足を運ぶ練習を始めた。懐夢も同じように足の運びをやったが、他の学童達の動きを横目で見て、修行をしている時の自分を思い出して楽しい気分になった。

 足の運びの練習が終わると、次は散開して素振りの練習が始まった。学童達は竹刀が当たらない距離を作り合うと、縦斬りの素振りを開始。懐夢も同じように素振りを始めたが、その時、腕に違和感を覚えた。……この竹刀、妙に軽い。

 妖夢の話によれば、この竹刀は、真竹を使用した、かなりの重量を持つ半妖用の竹刀だという。しかし、全くそんなふうには思えず、本当に真竹なんてものが使われている竹刀なのかと疑いたくなるほど軽く感じるものだった。まるで、木の棒を持っているような感覚だ。

 だが今は授業中。この事を伝えるのは授業が終わってからだ。

 そう考えてから、懐夢は他の学童達と同じように素振りを始めた。

 

 素振りが終わり、招集がかかった時、懐夢は驚くべき出来事に出くわした。指導者である妖夢が突然、自分を指名し、試合をしたいと言い出したのだ。

 これには学童達も懐夢も大いに驚き、懐夢はどうしてそんな事を言い出すのかと妖夢に尋ねた。

 妖夢曰く、なぜこんな事を言い出したのかというと、自分の足の運び方や竹刀の振り方、その太刀筋を観察していたところ、見事だと感じて剣士の血が騒ぎ出して、試合がしたくなってしまったかららしい。

 懐夢は妖夢の言葉がどうにも腑に落ちなかったが、博麗の守り人になるための修行を始めてからというもの、数々の妖怪や人間を打ち倒してきた白玉楼の剣士と謳われる妖夢の、その剣捌きが気になっていた。

 今ここで試合をすれば妖夢の太刀筋や剣捌きを見る事が出来、剣術の参考に出来るかもしれない。

 懐夢は思考を巡らせて、結局妖夢との試合を受けると言う答えを導き出し、妖夢へ伝えた。

 その際に、周りの学童達が、この中で剣道をやらせたら最強である妖夢に挑むのかと驚きの声を上げ、懐夢に制止を呼び掛けたが、懐夢はそれらに首を横に振り、妖夢と試合をすると断言。

 学童達が見守る中で、指導者である妖夢との試合を、懐夢は始めた。

 

 礼をして立ち上がり、足を揃え、竹刀を構えて互いに目を合わせる。

 竹刀を構えたまま微動だにしない妖夢の目を見つめながら、懐夢は小さく言った。

 

「それじゃあ、よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。私は強いから、注意した方がいいよ」

 

「……いきますッ」

 

 懐夢はぎゅっと竹刀を握りしめて足に力を込め、勢いよく床を蹴り上げて前方に飛び出し、妖夢へ竹刀を振り下ろした。妖夢は迫り来た懐夢の竹刀をすかさず自分の竹刀で防いだ。ばちんっ、という竹と竹がぶつかり合った際に鳴るような、乾いた大きな音が道場に木霊し、周りの学童達がおおっと声を上げる。

 二人はぎりぎりと音を立てながら鍔迫り合いをすると、懐夢の方が先に後退し、妖夢との距離を取った。かと思うと、すかさず妖夢が前進し、懐夢に向けて縦斬り、『面』を仕掛けた。懐夢はハッとして右方向へ身体を動かし、妖夢の竹刀を回避。竹刀が振り切られて、妖夢の面ががら空きになった事を咄嗟に確認すると、仕返しと言わんばかり前へ踏み込み、妖夢が仕掛けてきたものと同じ『面』を仕掛けた。

 しかし妖夢は懐夢よりも早く体勢を立て直し、右方向へ身体を動かして懐夢の側面に回り込み、懐夢の竹刀が振り切られた瞬間を見計らって懐夢の面へ縦斬りを再度仕掛けた。

 懐夢がやられる! と学童達が息を呑んだその瞬間、懐夢はその場で素早く腰を落として体勢を低くし、そのままぐるんっと身体を回した。

 妖夢の竹刀は懐夢の身体と共に回り、遠心力を纏った竹刀に弾かれ、更にその衝撃を受けて妖夢は若干後退、竹刀を振り上げる形でよろけてしまった。その瞬間を見た学童達は驚きの声を上げる。

 懐夢は妖夢がよろけたのを瞬時に確認すると、その隙逃すものかと言わんばかりにくるりと体勢を直し、がら空きになった妖夢の胴当てに向けて横斬り、『胴』を放った。しかしその刹那、妖夢はやられるものかと思ったのか、素早く竹刀を胴当ての前に立てて懐夢の竹刀を防いだ。再び竹刀がぶつかり合い、先程よりも大きな、乾いた音が鳴り響いた。

 再度鍔迫り合いが始まり、二人の顔が近付くと、妖夢は冷や汗をかきながら懐夢へ声をかけた。

 

「今、構えが崩れていたんだけど」

 

 懐夢は妖夢の言葉に返さず、妖夢の竹刀を押し続けた。そのうち、妖夢が懐夢の竹刀を弾いて隙を作ろうとしたが、懐夢は一瞬の隙を作っただけですぐに体勢を立て直し、妖夢へ振りかかった。

 

        *

 

 一方その頃、こちらは慧音。

 慧音は剣道の授業がどうなっているのか気になり、武道場へやってきたのだが、来て早々驚いてしまった。先程自分も剣道の授業に参加すると言って武道場へ向かっていった懐夢が、指導者である妖夢と試合を繰り広げていたからだ。

 しかも、白玉楼の剣士と謳われていたから寺子屋の剣道の授業を受け持つ事になった妖夢と、懐夢はほぼ互角の戦いを繰り広げている。妖夢の竹刀が迫れば咄嗟に回避または防御し、隙を見つければ一気に攻め込んでいく。

 こんな事、以前では絶対にありえないものだった。明らかに、懐夢は依然と比べて別人のように強くなっている。

 

(まさか、あんなに強くなるとは……)

 

 そう思った直後、慧音はある事に気付いた。

 懐夢の構えが、徐々に崩れてきている。いや、崩れてきているというよりも剣道の構えではなくなって、本当に戦闘をしているかのような動きになってきていると言った方が正しいのかもしれない。

 それに、妙だ。懐夢が、グルグルという奇妙な声を出している。――違う、声ではない。喉の音だ。懐夢は妖夢に一発入れて後退する度にシッと喉を鳴らし、間合いを取る時にはグルグルと喉を鳴らして、攻撃を仕掛ける時には低く、ドスの利かせた声を出している。その様子はまるで、興奮して狂暴化し、獲物に噛み付きかかる獣のようだった。もはや剣道の試合をしているなどとは考えてもいないのだろう。

 

 妖夢が攻撃を防いだ際に鳴る竹刀の音もどんどん大きなものへと変わって行っている。どうやら時間が経つにつれて懐夢の力が上がってきているらしい。そして、試合を始めた時と別人のようになっている懐夢の相手をしている妖夢は、その動きに戸惑いと焦りを混ぜ始めてきている。あんな少年があのような動きを始めるのだ、戸惑い、焦って当然だ。

 かと思った刹那、懐夢が獣が吼えるような声を出して妖夢に胴――横斬りを仕掛けた。妖夢は胴を守ろうと、咄嗟に胴当ての前に竹刀を立てる防御体勢を取ったが、懐夢の高速で振られる竹刀が妖夢の胴を守る竹刀に直撃した瞬間、乾いた大音と共に竹刀が妖夢の手から外れ、宙を舞った。あまりの光景に唖然としている学童と慧音の視線を浴びる中、懐夢は妖夢の面に狙いを定めると、妖夢へ攻撃を仕掛けるべく後方にある左足に力と体重を込めた。

 その次の瞬間、懐夢の左足が着いていた床はバキバキッという激しい音を立ててへし折れて窪み、蹴り上げると折れた床が妖夢の竹刀のように宙を舞った。

 そして、懐夢は大声を出しながら力いっぱい竹刀を振りかぶり、妖夢の面目掛けて振り下ろした。

 竹刀はほぼ刹那と言っていいほどの時間で妖夢の面に直撃。乾いた轟音が道場中に鳴り響き、懐夢の右足のあった床が左足の時と同じように折れて飛び、竹刀の直撃を受けた妖夢はたまらずその場に叩き伏せられた。

 更に、妖夢の面に当たった懐夢のしなやかな竹刀もまた折れて宙を舞い、凍り付いたように動かない学童達の視線を浴びながら、からん、と音を立てて床に落ちた。

 ……勝負は決した。しかし、その場にいた誰もが、この戦いが剣道の試合だったなどという事を覚えてはいなかった。

 他の学童達が凍りついたように見つめる中、懐夢は折れた竹刀を持って、ただ立っていた。


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