東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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10 剣士の教え

 翌日、午前八時半。懐夢は一カ月ぶりに寺子屋へ行こうと街の中を歩いていた。

 一ヶ月も行方不明に近い状態になっていたんだから、今日寺子屋に行ったら騒ぎになるわよと霊夢が神社を出る際に言っていたが、懐夢は本当にそんな事になるのはないかと思っていた。何故かというと、街を通る時に、自分を「一日寺子屋に通う子」として覚えている人達に久しぶりと声を掛けられているからだ。

 普通、寺子屋に通う学童達のうち、人間の学童は午前九時から午後十二時までの時間帯、妖怪の学童は午後一時から午後四時までの時間帯寺子屋に通う。しかし自分は人間と妖怪の間に生まれた『半妖』であるために両方の授業を受ける必要があるのではないかと言われ、午前と午後両方の授業を受けているのだ。自分以外の半妖の学童達はたくさんいるのだけれど、そういう学童達は大概午前中を選んでいて、午後の授業に来る事はない。

 しかし慧音の話によると午後の授業を受けている半妖はいるにはいるそうだが、そういう学童達は自分達が使っている教室は使っておらず、別な教室で、別な教師に教わっているらしい。

 これを聞いて、懐夢は慧音以外に教師がいるのかと慧音に尋ねた事があったが、慧音によると、阿求という慧音のように人に教えられるくらいの知識を蓄えた少女がその半妖達の教師をやっているという答えが返ってきた。懐夢は少女が教師をやっているのかと驚いてしまったが、十分できているから心配ないよと言われてしまった。

 それ以降懐夢は何度かその人に会おうと考えたが、チルノ達との遊びや修行もあって、なかなかその人に会う事が出来なかった。

 しかし、今ならば時間にも余裕がある。その少女に会う事も可能であるはずだ。寺子屋が終わったら探してみよう。

 そんな事を考えながら歩みを進めて、もうじき寺子屋に辿り着こうとしたその時だった。

 

「懐夢君? 懐夢君?」

 

 背後から呼び声が聞こえてきて、懐夢は振り返った。

 そこには白玉楼の西行寺幽々子の世話をしながら庭師をやっていて、霊夢と共に八俣遠呂智を倒した仲間の一人である剣士の少女、魂魄妖夢の姿があった。

 妖夢の姿を見つけて、懐夢は声をかけた。

 

「妖夢さん」

 

 懐夢が妖夢へ駆け寄ると、妖夢もまた懐夢へ歩み寄った。

 妖夢の目の前まで来ると、懐夢は妖夢へ一礼した。

 

「おはようございます。今朝もいい朝でしたね」

 

 妖夢は頷いた。

 

「うん、いい朝だったよ。それにしても、久しぶりだね」

 

 懐夢はにっと笑んだ。

 

「一月ぶりです。一月ぶりに寺子屋へ行きます」

 

「随分と間が空いてるんだね。一月の間、何をしていたの?」

 

 懐夢は一瞬、妖夢に修行をしていた事を話すべきか迷ったが、街を巻き込んだ異変を解決して、八俣遠呂智を霊夢と共に倒した事がある妖夢になら話しても大丈夫だと判断し、妖夢に話した。

 

「修行をしていました。ここからかなり離れたところで」

 

 妖夢は驚いたような表情を浮かべる。

 

「修行? 何の修行?」

 

「強くなるための修行です。剣とか、術とかの」

 

 妖夢は顎に指を軽く添えた。

 

「剣と術の修行かぁ。どれくらいの?」

 

 懐夢は首を傾げた。

 

「どれくらいと言いますと?」

 

「剣と術の修行だって、程度はあるよ。武人のためくらいとか、剣士のためくらいとかね」

 

 懐夢は一瞬頭の中で考えた。紫師匠(せんせい)は自分は武人でも剣士でもない、博麗の巫女を守る存在、〈博麗の守り人〉だと言っていた。だから、自分は武人でもなければ剣士でもない、博麗の巫女を、霊夢を守るために戦う〈博麗の守り人〉になるための修行をしていたと答えればいいだろう。

 

「〈博麗の守り人〉になるための修行です」

 

 妖夢は首を傾げた。

 

「〈博麗の守り人〉?」

 

 懐夢は〈博麗の守り人〉について、出来る限りわかりやすく妖夢に説明した。

 妖夢は懐夢の説明を聞き終えるなり、また驚いたような顔をした。

 

「という事は何、貴方はもう一人の博麗の巫女になったっていうの?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「紫師匠がそう言ってました。もう一人の博麗の巫女に近しい力を持つ存在を生む事で博麗の巫女を守るんだって」

 

 妖夢は難しい事を考えているかのような表情を浮かべた。

 

「ただの半妖の子供に博麗の巫女になるための修行を凝縮したものを施すなんて、どれだけ過酷な修行になるか、想像が付かないよ。少なくとも常人じゃ到底耐え切れないものになるはず」

 

 妖夢は懐夢の藍色の目と自分の目を合わせた。

 

「そんなものをあの紫様が行うなんて……懐夢君は、よくそんな修行を乗り越えたね。辛かったでしょ?」

 

 懐夢は胸の前で手を組んだ。

 

「確かに少し辛くはありました。でも知らなかった事を沢山知れて、自分が強くなっていくのを実感できて、修行は嬉しくて楽しいものでもありました」

 

 懐夢が顔に笑みを浮かべると、妖夢は息を呑んだ。

 

「修行を楽しいと思えたの?」

 

「はい。それに師匠は、ぼくの修行は五ヶ月ほどかかるものだって最初に言ってたんですけど、たった一ヶ月で満了になって、ひどく驚いていました」

 

 妖夢は驚愕したような表情を浮かべる。

 

「五ヶ月かかる修行をたったの一ヶ月で終わらせてしまったの?」

 

 懐夢は頷いて、不思議がるような顔で妖夢を見つめた。

 

「そんなに驚くほどおかしい事なんでしょうか」

 

 妖夢は首を横に振った。

 

「おかしいどころの話じゃないよ。普通五ヶ月かかるはずの修行がわずか一ヶ月で満了になったっていう事は、君が普通では考えられないくらいの速度で修行内容を呑み込んだって言う事だから……」

 

 妖夢は目付きを少し鋭くして、懐夢の目を見た。

 

「君にはただならない才能っていうのがあるんだろうね。少なくとも常人からはかけ離れているものが」

 

 懐夢は不安そうな表情を浮かべる。

 

「普通の人とは違うもの……」

 

 妖夢の言葉を聞いて懐夢は胸の中がひんやりとしてくるのを感じた。修行をしていたとき、霊紗師匠と紫師匠が自分が修行に打ち込んでいる姿を見て驚いていた事があった。何も言われなかったからその時はなんで驚かれているのかわからなかったけど、今の妖夢の言葉でようやくわかった。霊紗師匠と紫師匠は、修行に一生懸命に打ち込んで、次々と技術を習得していく自分が、常人とはかけ離れた存在だったから驚いていたのだ。常人では耐えきれない、習得するのにひどく時間を要する技術を次々習得していく自分が、化け物のように見えていたのだろう。

 霊夢のために強くなりたいという一心で取り組んでいたけれど、それがまさか常人では考えられない事だったなんて。そう思うと、腹の奥から震えが来て、中で何かが蠢いたかのように、胸がざわざわと気持ち悪く騒いだのを懐夢は感じた。

 その時、妖夢が心配そうな表情をして声をかけてきた。

 

「懐夢君、そんな顔をしないで」

 

 ハッと我に帰り、懐夢は妖夢の顔を見つめた。

 妖夢はすまそうな顔をして、懐夢に軽く頭を下げた。

 

「言い方が悪かったね。懐夢君は常人では考えられない事を出来たんだ。それはそんな顔をする事じゃなくて、胸を張っていい事なんだよ」

 

 妖夢は笑みを顔に浮かべて、懐夢の両肩に手を乗せた。

 

「なんたって、普通の人じゃ出来ないような事を成し遂げてみせたんだから。懐夢君はすごいよ」

 

 懐夢はきょとんとした。

 

「ぼくが、すごい?」

 

 妖夢は頷いた。

 

「そうだよ。懐夢君はすごい子だよ。だからそんな顔をしないで。きっと貴方を教えた師匠も、慧音先生も鼻が高いって思うはずだよ」

 

 懐夢は胸のざわつきが治まり、代わりに安心感と安堵が湧いてきて胸の中がじんわりと温かくなるのを感じた。

 

「普通の人じゃ出来ないような事を成し遂げたのは、すごい事……」

 

 妖夢はにっこりと笑んだ。

 

「そうだよ。まぁ威張り散らすのは駄目だけど、もっと誇っていい事だよ」

 

 懐夢は妖夢と同じようににっこりと笑った。

 

「わかりました。ありがとうございます妖夢さん」

 

 妖夢はどういたしましてと言って懐夢の肩から手を離した。

 直後、懐夢は妖夢の背中の方を見て気付いた。妖夢の背中には細長い棒を中に入れているかのような袋がかけられている。まるで剣道をたしなむ人が背負う竹刀の入った袋のようだ。

 気になって、懐夢は妖夢へ尋ねた。

 

「ところで、妖夢さん。その背中の細長いものは?」

 

 妖夢はちらと背中の方へ目を向けた後、懐夢へ目を向け直した。

 

「あぁ、そういえば懐夢君は知らなかったね」

 

 妖夢は何故この細長いものを持っているのか、理由を話し始めた。

 何でも、懐夢が修行に行っている間に寺子屋の方で剣道の授業が実施される事になったそうだ。その理由はというと、数カ月に一度行われる街の教育者、指導者、執政者達の集まりの際、最近発生して幻想郷の脅威となった八俣遠呂智の異変のような事がまた起きた時のために、危険から身を守る(すべ)を教えた方がいいという話が持ち上がった。

 これには、八俣遠呂智の異変の経験から、それはやるべきだという意見が数多く上がり、身を守る術として教えるものは話し合いの結果剣道となり、寺子屋の授業の一環として実施される事になって、急遽として寺子屋の近くに武道場が建設された。

 そして剣道の指導者には白玉楼で働く剣士、魂魄妖夢が慧音の推薦で選ばれた。妖夢は突然の話に戸惑い、やるかやらないべきか迷ったそうだが、幽々子に社会勉強のためにやってみなさいと背中を押されて、結局やると決めたそうだ。

 

「だからこれは竹刀だよ。今日の授業で使う、私の愛刀」

 

 懐夢はへぇと言って妖夢の背中にかかっている竹刀を見つめた。そういえば、普段の妖夢は腰に二本の刀を携えているが、今日はそれすらも確認できない。どうやら今日の妖夢は本当にただ剣道の指導をするためにやってきているようだ。

 

「愛刀っていえば、妖夢さんはいつも腰に二本刀をかけていますけど」

 

 妖夢はあぁと言った。

 

「楼観剣と白楼剣の事だね。いつもはあれで戦ったりしてるけど、今日は持ってきてないよ。今日は剣道の指導に来てるだけだから、戦う必要はないでしょ?」

 

「楼観剣と白楼剣? そんな名前が付いてるんですか」

 

「そうだよ。妖怪によって鍛えられた刀と魂魄家の家宝の刀なんだ。まぁ今は必要ないけどね」

 

 妖夢は懐夢の背中に目を向けた。

 

「それはそうとして、懐夢君、何でそんなものを寺子屋に持ってきてるの」

 

 懐夢は自分の背中の方へ目を向けた。そこには出かける時には片時も遠くへ置いてはならないと霊紗師匠から教わった、天志廼で作られた刀がある。

 

「これは、修行の時にもらって、どんな時でも近くに持っていなさいって教わった刀です」

 

 妖夢は懐夢の言葉を聞いて無言で頷き、興味津々そうに目を光らせて刀を見つめていた。やはり剣士という肩書を持つ者としては、刀が気になっているらしい。

 懐夢は鞘に入った刀を手に取ると、妖夢に差し出した。

 

「見ますか?」

 

 妖夢は頷いて、刀を受け取った。

 

「見てみるよ。どれどれ……」

 

 妖夢は刀に目を向けると、まず鞘を舐めるように見つめた。

 刀の刀身を包んでいる鞘は漆塗りが施されており、日の光を浴びて黒い光を放っている。見回しても模様らしきものは見つからないので、完全に無地の鞘のようだ。まぁこの辺りは刀の鞘の標準と言えるので、どうでもいいのだが。

 次に、柄に目を向けた。柄には青色に色が付けられていて、この街で売られている刀よりも握りやすそうな形をしている。自前の楼観剣には桜の模様や花を模した飾りが付けられているのだが、流石男子の使う刀と言ったところか、そのようなものは見られなかった。

 典型的な男子が使う、武骨な刀だ。

 妖夢は懐夢に声をかけた。

 

「刀身も見ていいかな」

 

 懐夢はどうぞと言って笑んだ。妖夢は頷くと、そっと鞘から刀を抜いた。

 姿を現した刀身を見て、妖夢はごくりと音を立てて息を呑んだ。

 刀身は、日の光浴びる事で輝きを放ち、顔を向けると、まるで鏡のようにそれを映すくらいに磨き抜かれているほどの美しいものだった。使い込まれているのかいないのかわからないが、刃先の方を見ても刃こぼれしている様子は見られず、くすみも確認されない。切れ味も楼観剣に匹敵するほどのものだろう。これらから察するに、純粋で上質な玉鋼が使われた業物のようだ。しかもこれを使っているのが懐夢のような十歳の子供だから、尚更驚きだ。

 

「すごい刀……街の刀とは比べ物にならないくらいの業物だよ。一体どこで作られたの?」

 

天志廼(あましの)っていう、ぼくが修行するために行ってた街です」

 

 妖夢は首を傾げた。

 

「天志廼? 初めて聞いたな……どこにあるの?」

 

 懐夢は困った顔をした。

 天志廼の場所は修行のために行っていたからわかる。だから教える事だって出来る。

 しかし、修行が終わった時、紫師匠と霊紗師匠から天志廼の場所は決して教えてはならないよと釘を刺された。それを自分に伝えてきた時、紫師匠と霊紗師匠はとても険しい顔をしていたから、天志廼を知られてはならない、大きな理由があるのだろう。

 それに二人は自分に修行を付けてくれて、技術を教えてくれた。そんな二人の気持ちを裏切るのは、絶対に嫌だ。――だから、天志廼の場所を教えるわけにはいかない。

 懐夢は表情を少しだけ険しくして、首を横に振った。

 

「ごめんなさい。教える事は出来ません」

 

 妖夢はきょとんとした。

 

「え、何で?」

 

「師匠から口を止められているんです。天志廼の場所は教えてはいけないって」

 

 妖夢は少し顔を顰めた。

 

「そうなの……それなら仕方ない。天志廼の場所は自分で探す事にするよ。

 でもこの刀はいい刀だね。戦闘にはもってこいだよ」

 

 妖夢は刀を懐夢へ返して、顔を厳しいものへ変えた。

 

「でも、それを持っているのは」

 

 妖夢が言い切る前に懐夢は頷いた。

 刀の取り扱いには細心の注意を払えと霊紗師匠に嫌というほど教わった。

 しかしそれと同時に、どんな時、どんなことにも対応できるように近くに置いておけとも教わった。

 

「わかっています。だから細心の注意を」

 

 言いかけると、妖夢は首を横に振って割り込んできた。

 

「そういう事じゃない。寺子屋にいる時は、慧音先生のところに預けておきなさい。

 その刀を持って寺子屋の教室に入るのは間違いだよ」

 

 懐夢は顰め面をした。

 

「この刀を持ってる事が、そんなに駄目な事なんですか」

 

「寺子屋に持ち込むのが駄目って事だよ。懐夢君は刀の使い方を知ってるみたいだし、その恐ろしさだって知ってる。だけど懐夢君以外の子供達は懐夢君の刀を見たら興味を持つし、刀の恐ろしさなんて、全然知らない」

 

 妖夢はもう一度懐夢の両肩に手を乗せた。

 

「そんな子達が刀を振り回しでもして他の人に当ててしまったら、どうなるかくらいわかるでしょう」

 

 懐夢は俯いた。確かに、妖夢の言う通りだ。寺子屋には自分よりも年上、年下、同じ年の学童達が沢山いて、その中には防衛隊の活躍を見て、防衛隊に憧れ、防衛隊の持つ刀に興味を持っている学童だって沢山いる。

 けれど、その中で刀の恐ろしさを知っているのは数えるくらいしかいないだろう。もし刀の恐ろしさを知っている学童がこれを見れば、恐ろしい武器だと思って手を出さないだろうけれど、知らない学童から見ればこの刀は憧れの防衛隊が持っている物と同じもの、これ以上ないくらいに魅力的な武器だ。

 もしもそんな学童達がこの刀を手にすれば、防衛隊の真似を始めて振り回す可能性が高い。そしてその時に、人や妖怪に刃を当ててしまったら、当たり所によっては殺害してしまうだろう。そんな事になったら、とんでもない事が起こるのは想像するに容易かった。

 

「わかります」

 

「そうでしょう。だから、寺子屋には行ったらその刀は慧音先生に預けて。

 刀は軽々しく扱っていいものでは決して」

 

 妖夢が言いかけたところで、懐夢は割り込むように言った。

 

「でも、もしそうやっておいて、異変が起きて、大事な人が危険に晒されるような事になったらどうすればいいんですか」

 

 妖夢は「え?」と言った。

 懐夢は顔を続けた。

 

「今はいつ異変が起きてもおかしくはない状況だって霊夢は言ってました。

 もし刀を手放している時に異変が起きて、大事な人がそれに巻き込まれたら、どうすればいいんでしょうか。刀を無くしておいて、どうやって、失いたくない大切な人を守るんでしょうか」

 

 懐夢は顔を上げた。

 

「もし、危険が迫った時に大事な人を守る事が出来なくなるんなら、ぼくは妖夢さんの言葉には従えません」

 

 懐夢の鋭く光る藍色の瞳を見て、妖夢は静かに息を呑んだ。

 まさか、あの懐夢の口からこんな言葉が飛び出してくるとは思ってもみなかったし、慧音の話では懐夢は素直な子で、口答えはしてこないと聞いていたから、懐夢がこうして口答えしてくるとも思っていなかった。……だが妖夢が驚いたのはそんな事ではなかった。

 妖夢が本当に驚いたのは、懐夢が途轍もない意志を宿している目をしていた事だ。これまで意志を宿した目をしている人を何人か見てきたが、懐夢はそれらのどの人物よりも強い目をしている。まるで、懐夢が十歳の子供である事を忘れさせてしまうように。

 そして、その目を見ただけで、妖夢は懐夢の思い、考えている事がわかったような気がした。

 懐夢は刀を手放す事を拒んでいるが、ただ刀を、武器を手放してしまう事を嫌がって屁理屈を言っているのではない。

 懐夢は、恐れているのだ。武器を手放す事によって力が十分に発揮できなくなり、守らなけれなばらない人の命が失われてしまう事を恐れている。だからこうして、刀を手放す事を拒んでいるのだ。

 いや違う。刀を手放す事ではなく、守るべき人を守れなくなる事を拒んでいると言った方が正しい。

 そしてその守るべき人、守りたい人というのは、霊夢の事だ。懐夢は霊夢を守れなくなる事を、ここまで拒んでいるのだ。

 ……その様子はまるで幽々子を守りたいと思っている自分のようだった。

 妖夢は唖然としたかのような表情を浮かべて、懐夢に小さく声をかけた。

 

「懐夢君は、何でそこまで……」

 

 懐夢は何も言わずに妖夢と目を合わせていた。

 その目を見ていると、妖夢は、懐夢はこれ以上何を言われても折れないという事を理解して逆に折れ、溜息を吐いた。

 

「なるほどね……わかったよ。その刀は持っていくといいよ」

 

 懐夢はきょとんとしたような表情を浮かべた。

 妖夢は懐夢の目の前に人差し指を立てた。

 

「ただし、もし異変が起きて、守りたい人のところに危険が迫っているのを感じたら、何もかもかなぐり捨てて守りたい人のところへ向かいなさい。そして、守ってあげるんだよ、その人の事を。

 そして、寺子屋にいる間は細心の注意を払って、刀を誰にも触らせないようにするんだ。わかったね?」

 

 妖夢が話し終えると、懐夢は表情を引き締めた。

 

「わかってます。ぼくはそのために、強くなったんですから」

 

 懐夢が言うと、妖夢は軽く溜息を吐き、懐夢の頭を軽くぽん、ぽんと叩いた。

 

「懐夢君、本当に十歳?」

 

 懐夢は静かに頷いた。

 

「十歳です。来年の三月で十一歳になります」

 

 妖夢は「そう」と言って懐夢の肩から手を離した。

 

「さてと、長々と話してしまったね。目的地は同じ寺子屋だし、一緒に行こうか」

 

 懐夢は笑み、頷いた。

 その笑顔を見ながら、妖夢は心の中で考えた。

 懐夢の話によると、懐夢に修行を付けたのは幽々子の旧友である紫だと言っていた。つまり懐夢を十歳と思わせないほどにまで成長させたのはほかでもなく、紫だ。

 懐夢を身の丈に合わないほどに急成長させて、強く育て上げて、どうするつもりなのだろうか。

 

(紫様は、何をお考えになってこんな事をしたのだろう)

 

 妖夢はそんな事を考えながら、懐夢と共に寺子屋へ歩き始めた。




次回、久々の寺子屋回。

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