東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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5 子の帰還

 突如として霊夢の目の前に現れ、結界を展開して霊夢を黒犬の攻撃から守った子供。――見覚えのある後ろ姿の子供。その子供が振り返った時に見えた顔で、霊夢は酷く驚いた。

 

「懐……夢……?」

 

 子供の顔は、今年の冬に神社にやってきて、修行に出るまでずっと一緒に暮らしてきた少年、懐夢の顔と同じだった。霊夢は目の前の少年が懐夢である事が信じられずに、もう一度少年に声をかけた。

 

「懐夢、貴方なの?」

 

 少年は頷いた。その直後に少年が浮かべた微笑みを見て、霊夢はまた驚いた。

 少年の微笑みもまた、懐夢が浮かべるものと同じだったのだ。

 霊夢は確信を得た。間違いない、自分の目の前にいるのは、修行のために神社から出て行っていた、懐夢だ。

 

「懐夢……貴方なのね懐夢!」

 

 懐夢はもう一度頷いた。その時霊夢は胸の中いっぱいに嬉しさが溢れ出てくるのを感じたが、すぐさま懐夢が霊夢に声をかけた。

 

「それより、あれを倒すんでしょう?」

 

 懐夢に話しかけられて、霊夢はハッと我に返った。そうだ、あの黒犬を放っておくわけにはいかない。もしあの黒犬を街へ向かわせてしまったら、防衛隊も防壁も根こそぎ倒される。――街は黒犬の思うがままに蹂躙されて、何人もの人と妖怪が黒犬に殺されてしまう事だろう。

 幻想郷を護る存在である博麗の巫女としても、幻想郷の民としても、街を『血みどろの沼地』に変えるわけにはいかない。

 霊夢が懐夢の隣に並ぶと、魔理沙と早苗が歓喜にも、驚きにも似た声を上げた。

 

「か、懐夢!?」

 

「懐夢くん!?」

 

 早苗の隣で、懐夢を見ながら紗琉雫が呟く。

 

「なんだ、あの子供(ガキ)……」

 

 皆の注目を懐夢が集める中、霊夢が懐夢へ黒犬についての説明を施した。

 

「懐夢、気を付けなさい。あの化け物、ものすごく強いわよ。火炎弾と冷気弾をそれぞれ二つの首から撃ってくる」

 

 懐夢が黒犬の様子を確認しながら答える。

 

「さっきもそれで霊夢を攻撃してたね」

 

「それだけじゃないわ。街の防衛隊の皆があいつに簡単に壊滅させられてるうえに、並大抵の攻撃じゃびくともしない。現に私達が攻撃を重ねてるけど、あいつはまだ生きてる。そんな簡単に倒せる相手でもないみたいよ」

 

「それでも倒さなきゃいけない事に変わりはないよ」

 

 懐夢は背中に手を伸ばして、背中にかけている刀の柄を掴んでさっと抜き放ち、構えた。

 それを横で見ていた霊夢は更に驚いた。刀の刀身はまるで鏡のように磨き込まれていて、日の光を受けて美しく輝いている。それを見ただけで、名工によって創造(つく)られた業物である事がわかった。

 

(懐夢がこんな刀を……)

 

 いつの間に手に入れたのだろうか。

 そう思った直後、懐夢が声をかけてきた。

 

「霊夢、あいつの頭を狙えばいいんだよね?」

 

 霊夢はもう一度はっとして、札と封魔針を構えた。

 

「えぇそうよ。あいつは頭を壊されれば死ぬはず。それに右の頭の右目はさっき仲間が潰したから視界が塞がってるわ」

 

 懐夢は「わかった」と答えた後、その場で宙返りし、空気の壁を蹴るようにして、矢の如く黒犬へ飛び込んだ。懐夢が接近すると、黒犬は懐夢に狙いを付けて息を吸い、火炎弾と冷気弾を吐き出す準備をした。

 黒犬の動きを見て魔理沙が声を上げる。

 

「懐夢避けろ! 火炎弾が来るぞ!」

 

 懐夢は黒犬の動きを見ながら、小さく呟いた。

 

「そんな事、させないよ」

 

 そう言って、懐夢は懐に手を入れて一枚のカード状の紙を取り出した。それがスペルカードである事に気付くと、霊夢はまた驚いた。

 懐夢のスペルカードは八俣遠呂智が身体の中から消えた時に八俣遠呂智と共に消失した。それを懐夢がまた持っているという事は、あれが懐夢が修行で習得したしたスペルカードである事を意味する。

 

(懐夢、本当にスペルカードを!)

 

 霊夢が心の中で言った次の瞬間、懐夢は手に持ったスペルカードを発動させた。

 

「霊符「夢想封槍」!」

 

 懐夢の宣言の直後、懐夢の周囲に七色に輝く光が集まり、複数の七色の光槍を形作った。それはまさしく、懐夢が最初に取得したスペルカードの発動によって具現する構想そのものだった。

 光槍は黒犬への顔にその矛先を向けて狙いを定め、一目散に飛んだ。黒犬は光槍を確認すると火炎弾と冷気弾を放出するのを断念し、迫り来る光槍を避けようと身体を動かしたが、その次の瞬間に光槍のうち一本が黒犬の右の顔の額にに突き刺さった。

 黒犬は悲鳴を上げて暴れ回ろうとしたが、次々と光槍が黒犬の巨体へ突き刺さり、黒犬は身動きが取れくなって、身体のいたるところから鮮血を噴出させながらその場に倒れ込んだ。

 懐夢はくるんっと空中で宙返りして後退すると、黒犬の方へ顔を向け、もう一度スペルカードを構え、発動させた。

 

「霊符「夢想封槍・烈」!!」

 

 懐夢が力強く宣言すると、懐夢の周囲に再び七色に輝く光が集まり、七色の光槍を形作った。しかしその数は先程よりも遥かに多く、まるでここら一体の空を埋め尽くすと言わんばかり数だった。

 懐夢の作り出した無数の光槍を見るなり、魔理沙と早苗は唖然として、紗琉雫は何度も瞬きをして、霊夢は声を上げて驚いた。

 

「こ、これを懐夢が……!?」

 

 そして懐夢が腕を振るうと、周囲に現れた全ての光槍は矛先を黒犬に向け、夏の日の夕立の如く、大気を切り裂きながら猛スピードで地上の黒犬へ飛んだ。黒犬は降りかかる光槍の豪雨に震え上がり、身体を固くして耐え凌ごうとしたが、光槍は黒犬の防御を易々と突き破り、黒犬の身体に突き刺さった。無数の光槍の豪雨は黒犬の皮の翼を切り裂き、鋼のように硬くなった毛を、筋肉を引き裂き、黒犬の身体を見る見るうちに光の針が生える剣山へと変えた。

 光槍の豪雨をその身に受けて黒犬が動けなくなったのを確認すると、懐夢はその場で空気の壁を蹴るような動きをして急加速し、一気に黒犬へ接近して、光槍が突き刺さって脆くなった黒犬の首元へ刃を食い込ませた。

 刃は吸い込まれるように黒犬の首元へ入り込んで行き、やがて懐夢が強く力を込めて、刀身を黒犬の身体の外へ出させると、黒犬の頭のうち右の方がずばっという嫌な音を立て身体から離れ、大量に血を噴き出して辺りを赤黒く染めながら地面へ落ちた。

 その瞬間を見つめて、早苗はごくりと息を呑んだ。

 

「く、首を切り落とした……」

 

 霊夢は口内に溢れ出てきた唾を呑み込んだ。

 今の瞬間は、自分が八俣遠呂智の首を切り落とした瞬間に酷似していた。またあのような光景を見る事になったのが霊夢は信じられなかったが、それを自分ではなくて、一月前まではろくに戦闘を行う事すらできず、相手に血を流させるような真似などを絶対にしようとしなかったお人よしの懐夢がやっているという事が何よりも信じられなかった。

 霊夢が懐夢の攻撃にほぼ唖然としていると、黒犬の身体から離れた懐夢が一同へ声をかけた。

 

「皆、動きを止めて弱らせたよ! 今のうちに力をぶつけて、止めを刺して!!」

 

 懐夢の言葉は全員に届き、一同は魂消ながらも頷き、そのうち魔理沙が懐夢へ指示を下した。

 

「なら懐夢こっち来い! 攻撃に巻き込まれちまうぞ!」

 

 懐夢は一瞬きょとんとしてすぐに表情を戻すと、「わかった!」と答えて黒犬から離れ、霊夢の隣に並んだ。

 

「霊夢!」

 

 霊夢は頷いて、一同に声をかけた。

 

「よし……みんな行くわよ!」

 

 紗琉雫が霊夢へ声をかけ返す。

 

「また動きを止めんじゃねえぞ博麗!」

 

 霊夢はその心配はないと思った。懐夢が現れてからというもの、声は全くと言っていいほど聞こえてこない。今ならば、声に邪魔される事なくあの黒い犬の化け物に止めを刺す事が出来る。

 

「心配いらないわ。今なら、いけるわ!」

 

 そう言って、霊夢はすぅっと息を吸い、思い切り声を出した。

 

「一斉射撃!!」

 

 霊夢の力強い号令が辺りに木霊すると、一同は一斉にスペルカードを構え、発動させた。

 

「恋符「マスタースパーク」!!」

 

「神籤「乱れおみくじ連続引き」!!」

 

「雷槌「空帝大連雷」!!」

 

「神霊「夢想封槍」!!」

 

「神霊「夢想封印」!!」

 

 それぞれの宣言の後、魔理沙は極太のレーザー光線を、早苗は無数の起爆性の札を、紗琉雫は強力な電撃を纏った矢を、懐夢は巨大な光の槍を、霊夢は強い輝きを放つ巨大な七色の光弾を忌々しき黒き犬の怪物に向けて放った。

 最初に早苗の放った起爆性の札が黒犬の元へ到達し、その身体に付着した。可と思いきや紗琉雫の矢が黒犬の身体に突き刺さり、更にそこに懐夢の放った巨大な光槍が飛来して黒犬の身体へ突き刺さり、更に霊夢の放った光弾が追い打ちをかけるように黒犬の元へ飛び、それとほぼ同時に魔理沙の放った極太のレーザー光線が到達して、黒犬を呑み込んだ。

 その瞬間、黒犬の身体に付着していた他の者達の『攻撃』が一斉に炸裂、破裂、暴発し、平原を丸ごと吹き飛ばしてしまうかのような大爆発を引き起こして黒犬を悉く呑み込んだ。

 その際に、辺り一面の地面が削られて分厚い土煙となって舞い上がり、黒犬の姿が完全に隠れて見えなくなった。もんもんと立ち込める分厚い土煙を目を細めてみながら、早苗が呟いた。

 

「や、やったんでしょうか」

 

 紗琉雫が早苗の隣に並び、弩を土煙に向けて構えた。

 

「わからない。死体が確認できるまで気を抜くな」

 

 紗琉雫の意見に霊夢も賛成だった。あの黒犬は早苗の弾幕、魔理沙のレーザー光線、紗琉雫の猛烈な雷撃を喰らっても平然と生き残っており、懐夢に首を切り落とされてもまだ生きていた。ひょっとしたら今もまだあの土煙の中で生きているかもしれないのだ。

 霊夢は懐夢に声をかけた。

 

「懐夢、気を付けなさい。まだ生きてるかもしれないわ」

 

 懐夢は頷き、刀を握り直した。

 しかしその直後、強い風が吹いて土煙が流されて、中の様子が見えてきた。

 土煙が晴れて最初に見えてきたのは、一同の一斉攻撃を受けた黒犬だった。黒犬は身体のいたるところが焼き焦げていて、残った頭の目、鼻、口、耳から血を流して、地面に横たわって動かなくなっていた。

 霊夢は他の者達を連れてゆっくりと黒犬に近付いた。耳を澄まして黒犬の呼吸音を聞こうとしたが、黒犬から呼吸音が聞こえてくる事はなかった。――黒犬は息絶えていた。

 

「ようやくくたばったわね……」

 

 霊夢が呟くと、魔理沙、早苗は安堵の溜息を吐き、紗琉雫は身体を伸ばし、懐夢は胸を撫で下ろした。

 そのうち、早苗が安堵した声を出した。

 

「よ、よかったぁ……」

 

 魔理沙は手で額を拭った。

 

「マジで今回はやばかったな。勝てたのが不思議に思うわ」

 

 紗琉雫が早苗と顔を合わせる。

 

「早苗、大丈夫か? 怪我とかしてないか?」

 

 早苗は頷き、にっと笑った。

 

「大丈夫です。紗琉雫様が来てくれたおかげで」

 

 紗琉雫もまた安堵したような表情を浮かべた。

 

「そうか、よかった。それなら、いいんだ」

 

 その横で、霊夢はじっと黒犬の身体を見ていた。――やはり、同じだ。あの黒虎と同じ黒い花の模様がこの黒犬にもある。それに、こいつと初めて接触した際に、黒虎と戦った時に感じた邪気がもう一度感じられた。これから察するに、黒虎と黒犬が同じ存在であると考えても間違いはなさそうだ。

 しかし、肝心な事がわからない。それは、結局この黒犬が一体何なのかという事だ。

 『黒い花』だという事は圧倒的な戦闘能力と身体に走る模様から理解できるが、どうして発生したのか、同じ『黒い花』である黒虎とどういった関係性があるのか、いつ頃からこの幻想郷に存在していたのか、全くと言っていいほど推測できない。

 そもそも『黒い花』というものも、黒服の霊夢が作り出していると思われるものである事以外、何なのかわかっていない。どうやって生み出されているか、あるいはどうやって発生しているのか。

 

「一体、こいつって……」

 

 顎に手を添えて考えていると、隣に魔理沙がやってきた。

 魔理沙は横たわる黒犬の亡骸を注視しながら呟いた。

 

「何なんだよこいつは。滅茶苦茶強かったけど八俣遠呂智の未確認妖怪じゃないみたいだし、暴妖魔素妖怪でもないみたいだし。霊夢はこいつが何なのかわかるのか?」

 

 霊夢が目を黒犬の亡骸に向けたまま答える。

 

「私にもわからないわ。正体がまるで掴めない」

 

 魔理沙が両手を腰に当てる。

 

「そうだろうな……でもさ、こういうのってだいたい文献とかに載ってたりしないか。八俣遠呂智の時みたいにさ」

 

 霊夢は首を横に振った。自分も黒虎と戦った後、この存在が文献や古書に載っていないかどうか探してくれと慧音に頼んだ。

 その結果は否。慧音はどんなに文献を読んで探しても黒虎のような存在に関する情報は見つからなかったと自分に告げた。そして慧音は、あの存在は八俣遠呂智のように古代から存在していたものではなく、現代に現れた全く新しいものであると結論を出した。

 

「残念だけどそれはないわ」

 

 魔理沙が腕組みをして霊夢を見つめる。

 

「どうして」

 

「慧音に文献を調べてって頼んだら、こんなのは昔にもいなかったって答えが出てきたのよ」

 

「つまり文献には載ってないって事か」

 

「そういう事よ。さてと、どう調べるべきかしらこれ」

 

 霊夢が呟いたその時だった。突然、黒犬の亡骸は突然霧のように細かくなって崩壊し、土煙のようになった。近くにいた霊夢と魔理沙は驚いて黒犬の亡骸から離れ、懐夢、早苗は驚きの声を上げた。

 

「な、何、何なんです!?」

 

 懐夢が目を見開く。

 

「怪物の身体が……!」

 

 紗琉雫が早苗の前に出て指示を下した。

 

「近付くな! 何が起こるかわからないぞ」

 

 一同が身構えて注意深く黒い霧に注目する最中、霊夢はふと黒虎の事を思い出した。

 黒虎を倒して少し時間が経った頃、黒虎の亡骸もこんなふうに瞬く間に崩壊して黒い霧となって消えた。その時に、今起きている事がよく似ている。いや、完全に同じと言っていいかもしれない。だが、もしも今があの時と同じならばあの黒い霧の中からは……。

 そう思っていると、黒い霧は瞬く間に薄くなり、やがて消えてしまった。そしてその黒い霧の中からあるものが出てきて、霊夢達はまた驚いた。

 黒い霧の中から姿を現したのは地面に横たわる人だったのだ。その姿を更によく見てみれば、鎖帷子と鎧を身に纏った黒い髪の毛の女性だった事がわかった。

 早苗が震えた声を出した。

 

「女の……人……?」

 

 一同が凍りついたように動きを止めて女性が倒れている光景を眺める中、霊夢はゆっくりと倒れている女性に歩み寄った。その時霊夢は少し足音を大きく立てたが、女性はまるで動く気配を見せなかった。

 女性のすぐ傍まで来ると、霊夢はしゃがみ込んで女性の首元に人差し指と中指を当てた。とくん、とくんと脈打っているのが感じられた。

 

「大丈夫、生きているわ」

 

 霊夢の声に、一同はほっと胸を撫で下ろした。

 直後、早苗が何かに気付いたような表情を浮かべた。

 

「あれ、その鎧……」

 

 霊夢は振り返って早苗と顔を合わせた。

 早苗はゆっくりと歩み寄って女性の傍まで来て、霊夢の隣にしゃがみ込んだ。

 

「早苗、何なのよ」

 

 早苗は霊夢と顔を合わせた。

 

「この鎧、街の防衛隊の甲冑ではありませんか?」

 

 霊夢は目を丸くしてもう一度女性の身体に纏われている鎧を見た。

 女性の鎧は、自分に助けを求めてきた青年が身に着けていた甲冑とほとんど同じものだった。これは間違いなく、街の防衛隊に配給される甲冑だ。

 

「本当だわ……これ、街の防衛隊の甲冑よ」

 

 魔理沙が驚く。

 

「なんだって? なんでその人が街の防衛隊の甲冑なんか着てるんだ?」

 

 紗琉雫が早苗の隣に並んで腕組みをする。

 

「犬の化け物に喰われていたんじゃねえのか? んで、犬の化け物の身体が消えたから中から出てきたんじゃ?」

 

 霊夢は顎に手を添えた。

 それはないだろう。女性の身体は全く傷がない。もし本当に食べられていたのであれば胃酸にやられて皮膚などが傷だらけになっているはずだ。

 

(それに……)

 

 霊夢は黒犬の身体が霧散して中から女性が出てきたという出来事に出くわして、黒虎と戦って黒虎を撃破した後、亡骸が霧散して中から少年が出てきたというあの時の事を思い出さざるを得なかった。

 これは、あの時と同じだ。あの時と同じ現象が起きたとしか考えられない。

 霊夢は共に黒虎を討伐した仲である早苗に顔を向けた。

 

「ねぇ早苗、これ、あの時に似てない?」

 

 早苗はきょとんとした。

 

「あの時と言いますと?」

 

 霊夢は黒虎の時の事を早苗に話した。

 早苗は驚いたような表情を浮かべた。

 

「あ、そうですね! 確かにあの時似てる……いいえ、同じであるような気がします」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうでしょう。多分これ、あの時と一緒よ」

 

「でも、どうしてこんな事に? どうしてあの時と同じように中から人が?」

 

 霊夢は眉を寄せた。

 

「それがわかれば苦労しないわよ」

 

 その時だった。背後の方から、霊夢達を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「博麗さんー!!」

 

 霊夢は立ち上がり、背後に目を向けた。生き残った防衛隊と思われる者達数人がこちらに走ってきているのが見えた。その中には自分に助けを求めてきた青年の姿もあった。

 やってきた防衛隊の生き残りを見て、魔理沙が口を開いた。

 

「あの人達、防衛隊の生き残りか」

 

 防衛隊の者達はすぐに霊夢達の傍までやってきて、その内の一人である例の青年が霊夢に声をかけてきた。その手には大きな槍が握られている。

 

「博麗さん、応援に来ました! 例の怪物は?」

 

 霊夢は呆れたかのような表情を浮かべて、両手に腰を当てた。

 

「もう倒したわよ。ちょっと遅かったわね」

 

 青年は驚いた。

 

「えぇっ! 本当に勝ったんですか!」

 

 霊夢は目を細めた。

 

「何よその私達が負ける事が前提だったみたいな言い方」

 

 青年は戸惑いの表情を浮かべてあたふたとした。

 

「だ、だって俺達をいとも簡単に壊滅させたんですよ!」

 

 霊夢は溜息を吐いた。

 

「この私を誰だと思ってんのよ。私が博麗の巫女だったからあんたは私に助けを求めたんでしょうが」

 

 青年は縮こまった。

 

「そうですけど……でも、こんなに短時間で倒してしまうなんて……」

 

 霊夢はくしゃっと髪の毛を掻いた。

 

「まぁ苦労はしたけどね。あんた達を壊滅させた事に納得できるくらいに強い奴だったから」

 

 直後、紗琉雫が割り込むように言った。

 

「おい防衛隊の皆さんよ。これはどういう事なんだ」

 

 防衛隊の者達は紗琉雫に視線を向けた。

 青年が紗琉雫へ声をかけた。

 

「と、言いますと?」

 

 紗琉雫は霊夢の傍に横たわる女性を指差した。

 

「お前さん方を壊滅させた怪物を倒したら、中からこの女が出てきたんだよ。

 お前さん方と同じ甲冑を着てるから、お前さん方の仲間だろ?」

 

 防衛隊の者達は倒れている女性に目を向けて、驚きの声を上げた。

 そのうちの一人である青年が女性に駆け寄り、しゃがみ込んだ。

 

「こいつは……!」

 

 早苗が青年に声をかける。

 

「貴方達のお仲間の方でしょう?」

 

 青年は頷いた。

 

「はい、そうです。でも……まさかこいつが……」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

「どうしたのよ。何なのよその人は」

 

 青年は説明を始めた。

 何でも、この女性は防衛隊の中で唯一の女性隊員で、あまり運動神経に優れておらず、防衛隊のチーム全体の足を引っ張る存在だったらしい。

 女性はその事を何よりも気にしており、強くなりたいと渇望していて、防衛隊の中でも最も訓練や実戦に励んでいたそうだ。しかしそれは中々実る事がなく、苦い思いをしていたところに防衛隊の隊長が現れ、戦い方や立ち回り方の説教をされたらしい。

 女性は逃げるように防衛隊から姿を消し、そのまま行方不明となっていたそうだ。

 霊夢は腕組みをした。

 

「そんな事が……」

 

 青年は頷いた。

 

「えぇ……でもまさか、あの化け物の腹の中から出てくるなんて……」

 

 青年は女性の身体に手を伸ばし、抱きかかえて立ち上がった。

 

「とにかくこいつは俺達の駐屯基地で保護します」

 

「そうして頂戴。それと、もしその人から話を聞く事が出来たら、その事を寺子屋の慧音に話してくれるようにしてくれないかしら。

 慧音も私と同じように街を守る人だから、街に関わる貴重な情報を欲しているはずよ」

 

 青年は頷いた。

 

「了解しました。寺子屋のハクタク様ですね。こいつから何か聞き出せたら、話しておきます」

 

 霊夢がお願いというと、青年は頭を下げた。

 

「皆様、ありがとうございました。貴方方のおかげで、街は守られました。戦死した隊長の代わって、お礼申し上げます。このご恩は、いずれ返させていただきます」

 

 霊夢は青年の言葉に一瞬きょとんとしたが、霊夢が声をかける前に青年達防衛隊は去って行ってしまった。

 直後、魔理沙は背伸びをした。

 

「はぁ、まさかまたあんなのと戦う事になるなんてな」

 

 早苗が溜息を吐く。

 

「そうですよね。買い物で終わると思ったら、まさかの戦闘ですものね」

 

 霊夢も同じ気持ちだった。早苗と突然出かける事になって、買い物をして、買い物だけで一日が終わると思っていたら、いきなり防衛隊の者に助けを求められて、『黒い花』と戦う事になったのだから。いくら戦闘慣れしてるとはいえ、疲れてしまった。

 そう思っていたその時だった。

 

「霊夢」

 

 呼びかけられて、霊夢は声の聞こえてきた方向を向いた。そこには、懐夢がいた。

 突然修行をすることになって、神社から姿を消し、連絡一つ寄越さず、何日経っても帰って来ず、ひょっとしたら自分の見ていないところで死んでしまっているのではないかと思ってしまう事さえあった。その懐夢が今、そこにいる。

 懐夢は心配そうな表情を浮かべて、もう一度声をかけてきた。

 

「霊夢、今の奴強かったね。怪我とかしてない?」

 

 霊夢はゆっくりと懐夢に歩み寄って、やがて懐夢の目の前まで来たところで立ち止まった。

 いつまでたっても答えを返さない自分を不思議がっているのか、懐夢はきょとんとしていたが、霊夢にとってそんな事はどうでもよかった。

 今、目の前に懐夢がいるのだ。一月前からずっと会いたいと思っていた懐夢が、目の前にいる。

 そう思っただけで水が湧き出るように心の中に嬉しさが満ち、それはやがて涙となって瞳から溢れ出てきた。

 

「え、霊夢?」

 

 声を掛けられても、霊夢は何も言わないまま自分よりも少し小さい義弟(おとうと)の身体にそっと手を伸ばし、そのまま抱き締めた。

 

「馬鹿……馬鹿!!」

 

 霊夢は懐夢の身体を強く抱きしめて、髪の毛に顔を埋めた。

 

「何が怪我とかしてないよ! いきなりいなくなって、どこにいるかも教えないで、連絡の一つも寄越さないで、一月も散々心配させといて最初に言う言葉がそれ? 馬鹿な事を言わないで頂戴!」

 

 懐夢は霊夢の胸の中で「あぁ……」と言って、霊夢の背中に手を回した。

 

「霊夢に強くなったぼくを見せたくて、連絡しないように頼んで、帰らなかったんだ。

 ごめん、ごめんなさい」

 

 霊夢は更に強く懐夢の身体を抱き締めた。

 

「許さない。一緒に神社に帰って、一緒にご飯を食べて、一緒に寝るまで貴方を許さないんだから」

 

 懐夢は霊夢の胸の中で頷き、霊夢の背中を摩った。

 

「わかった。一緒に神社に帰る。一緒にご飯を食べて、一緒に寝る」

 

 二人はそのまま口を閉じた。しかしそのすぐ後に霊夢が再び口を開き、声を穏やかにして懐夢に言った。

 

「……だけど、戻って来てくれて、帰って来てくれてありがとう」

 

 霊夢はそのまま小さく呟いた。

 

「……おかえりなさい、懐夢」

 

 懐夢は霊夢の胸の中で微笑んだ。

 

「ただいま、霊夢」

 

 霊夢は懐夢を抱き締めたまま、しばらく動かなかった。

 懐夢もまた、霊夢の胸の中でじっとしたまま動かなかった。

 


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