霊夢は魔理沙と合流した後、喫茶店を出て再び街を歩いていた。
その最中、魔理沙は腹を弱く叩きながら満足そうな顔をして呟いた。
「あのクリーム餡蜜、美味かったなぁ。あれ、また食べたいよ」
魔理沙の言葉には霊夢も同意見だった。確かにあのクリーム餡蜜は見事なまでに盛られた濃厚な味わいのクリームと小倉餡が求肥、寒天、白玉に絡まり、しつこくない甘さと様々な食感が楽しめてとても美味しかった。今まで様々な和菓子、洋菓子を食べてきたが、あそこまで美味しかったのは中々ない。
それに、あぁいう甘いお菓子は懐夢の大好物だ。きっと懐夢が見たら喜んで食べる事だろう。懐夢が帰ってきたら、また一緒に食べに行こうと、霊夢は思った。
考えていたところ、早苗が魔理沙に頷いて、顔に笑みを浮かべた。
「そうですよね! 幻想郷でもあんなにいいお菓子に巡り合えるなんて、思っても見ませんでした。今度また食べに来ましょう」
早苗は霊夢に視線を送った。
「勿論、その時は懐夢くんも一緒ですよ」
霊夢は一瞬きょとんとしてしまったが、すぐに微笑み、頷いた。
「そうね。懐夢もあぁいうのは大好きだから、きっと喜ぶわ」
魔理沙が横目で霊夢を見る。
「そうなんだよな。あいつ男の子のくせに甘い物すっげぇ好きなんだよな」
霊夢は両掌を広げた。これは紫から聞いた話なのだが、女の子と男の子を比べて、甘い食べ物が好きと答えるのは女の子が多いと考えがちだが、意外にも男の子の方が多いらしい。懐夢もその一人というわけだ。
「男の子が甘い食べ物やお菓子を好むっていうのは珍しい事じゃないみたいよ。懐夢もその例に漏れないって事よ」
早苗が人差し指を立てる。
「でも修行中じゃあ、甘い食べ物やお菓子なんて食べさせてもらえませんよねきっと。懐夢くんもあまりいい思いをしてはいないと思います」
霊夢は早苗に顔を向けて頷いた。
「そうよ。だから帰って来たら甘い物食べさせてあげないと」
早苗と魔理沙は霊夢に頷き、その内の魔理沙が辺りの店を見回した。
「さてと、それはそうとして次はどこに行くんだ? どの店に入ろうと思ってるんだ」
霊夢も同じように周囲の店を見回す。
「そうねぇ……あんまり考えてなかったわ。どこ行きましょうか」
直後、早苗が目を輝かせた。
「それなら服屋はどうでしょうか。沢山の新作が入ったと広告にありました。きっといい服が見つかると思いますよ!」
霊夢が目を細めて早苗を見た。
「服やねぇ……そう言うけど、あんまり派手だったりお洒落過ぎる服は嫌ね。服を着るんじゃなくて、服に着られる事になっちゃうからね」
魔理沙が腕組をする。
「服に中身が追い付いてないってやつだな。私はこの服で十分だよ。香霖の作ってくれるこの服が一番相性がいい。だからそんなに服屋に売ってるような服は着たいと思わないし、第一私が店屋の服を着たら、それこそ服に着られる事になっちまいそうだ」
霊夢もまた魔理沙と同じ意見だった。数えきれないほどの服の中で最も気に入っている
自分の服を見回して、軽く袖の裾を引っ張った。
「私も同じ意見ね。霖之助さんの作ってくれるこの服が毎回いい感じのデザインだから、服屋の服には満足出来ない」
早苗が苦笑いする。
「そんなものでしょうか」
「そんなものね。服屋に行くのはやめておきましょう」
魔理沙が困ったような表情を浮かべる。
「それじゃあどうするんだよ。どこ行くんだよ次は」
霊夢は腕を組んで上を向き、次に向かう店をどこにするべきか考えながら呟いた。
「そうねぇ……」
思考を巡らせて、もう少しで思い付きそうと思ったその時。
「いたいた、おーい、博麗さん!」
霊夢は背後からの声に驚いて、思わず振り向いた。行き交う人々を掻き分けるようにして、誰かがこちらに向けて走って来ているのが見えた。
誰だ、あれはと思って三人揃って目を細めていると、やがて向かって来ている人の姿がはっきりしてきて、霊夢は驚いた。
こちらに向かって走って来ているのは、この街の防衛隊に所属している者に配備される甲冑に身に纏った青年だった。それもかなり焦っているのか、
向かってくる青年を見て、魔理沙が呟く。
「何だありゃ? あの鎧、この街の防衛隊のじゃないか?」
霊夢は頷いた。
「えぇ。私を呼んでるから、私に用事があるんだろうけど……」
そう言った直後、青年は霊夢達に追いついて、その場で息を切らした。
行きを荒げて上半身を屈ませる青年に、霊夢は声をかけた。
「どうしたんですか?」
青年は顔を上げた。
「大変です! 街の外に見た事のない黒い妖怪が出現しました!」
三人は驚きの声を上げて、そのうち霊夢が青年へもう一度尋ねた。
「見た事のない黒い妖怪ですって?」
青年は顔を蒼くした。
「はい! いや、あれは本当に妖怪だったのか……とにかく恐ろしい姿をしていて、すごく強いんです」
「それで、防衛隊は? 街の外にそういうのが出れば、防衛隊が迎撃するんでしょう?」
青年は頷いて、状況を話した。
青年を含めた防衛隊はその突如として出現した妖怪らしきものが安全な妖怪かそうではないのか確認すべく、妖怪と接触した。しかしその直後、妖怪らしきものはすごい力で暴れ出し、防衛隊に襲い掛かった。防衛隊は止む無く妖怪らしきものとの戦闘を開始したが、その妖怪らしきもの力はこれまで防衛隊が戦ってきたそれを遥かに上回っており、激しい攻撃を受けた防衛隊は多数の死傷者を出して瞬く間に壊滅し、撤退を余儀なくされた。
青年を含めた防衛隊の生き残りは駐屯基地に敗退した後、この事を霊夢に伝えなければならないと考え、青年を派遣。青年は街の中を歩いている霊夢達を見つけてここまで来たそうだ。
その話を聞いて、霊夢は青年に尋ねた。
「妖怪らしきもの……それに殺された人の数は?」
青年は俯いた。
「二十人を優に超えています……いいえ、ひょっとしたら三十人は死んだかもしれません。何せ、ものすごい力を持つ存在だったもので……」
青年の口から出た死傷者数を聞いて、早苗は口を覆った。
「そんなに殺されたんですか……街の防衛隊の人達が……」
青年は頷いた。
「俺達防衛隊は精鋭ですから、並みの妖怪は討伐できるんですが……俺達でも歯が立たない相手でした」
魔理沙が続けて青年に尋ねる。
「そいつはどんなのだったんだ? 身体が黒いのは確かなんだろ?」
青年は魔理沙に顔を向けて頷き、その妖怪らしきものの特徴を述べた。
妖怪らしきものの特徴はまず頭が二つある大きな犬のような姿をしていて、身体は墨のようにどす黒く、身体のあちこちに赤と紫の刺々しく禍々しい模様が走っている点だという。
その妖怪らしきものは二つの頭からそれぞれ火炎と冷気を吐き、噛み付きで人間の身体を千切り、突進で大木をへし折るほどの力を持っていて、しかも並大抵の攻撃ではびくともしないほどの防御力までも持っているという。
それを聞くなり、霊夢はやはりと心の中で呟いた。青年が黒い妖怪という言葉を発した時点で、防衛隊の者達を殺した妖怪らしきものの正体が掴めたような気がしていたが、青年の説明で確信へと変わった。
防衛隊の者達と交戦し、防衛隊を壊滅させて退けさせた妖怪らしきものの正体。恐らくそれは、黒服の霊夢の言っていた『黒い花』、あの時戦った黒虎と同じようなものに違いない。
守矢神社の神である神奈子と諏訪子を半殺しにして自分ですら苦戦させるような戦闘力を持っているのが『黒い花』である黒虎だったのだから、それと同じ『黒い花』であれば、途轍もない力で暴れ回り、戦闘の精鋭の集まりである防衛隊を軽々と壊滅させたというのにも納得がいく。
もしあれが街の近くで暴れる事に飽きて街の中へ侵入しようものならば、街は瞬く間に壊滅するだろう。そんな事は許してはいけない。
霊夢は考えを纏めると、表情を険しくして青年に言った。
「ねえお兄さん、そいつって今はどこにいるの」
青年は霊夢に顔を向けた。黒い花だと思われる妖怪は、今は街の北西にいるらしい。そこで街の中に攻め込む機会を伺っているそうだ。
聞くなり、霊夢は街の北西の方角に身体を向けた。
「成る程、あっちの方ね。あいつが生み出した異形は……」
魔理沙は霊夢の呟きに首を傾げた。
「霊夢、行くのかよ? っていうか、大丈夫なのかそんなのと戦って」
霊夢は一瞬考えた。正直なところ、防衛隊を壊滅させた『黒い花』と戦うのは不安だ。黒虎の時だって命からがらで勝ったのに、それと同類もしくはそれ以上の力を持った『黒い花』ならば勝ち目はない。戦ったところで返り討ちに遭い、防衛隊の者達のように命を落としてしまうのがオチだろう。
だが、ここで逃げ出してしまったら博麗の巫女の名が廃れるし、何より多くの死傷者を出して街は壊滅してしまう。そんなのを幻想郷の秩序を守る者としても、幻想郷の民の一人としても許す事はできない。
それに、もし妖怪が『黒い花』ならば、その近くに黒服の霊夢が現れているはず。『黒い花』と戦う時は黒服の霊夢と接触するチャンスだし、もし黒服の霊夢がいなくても『黒い花』は黒服の霊夢の計画の末端、幻想郷を滅ぼそうと動く、滅さなければならない存在だ。
だからいずれにせよ、防衛隊を壊滅させた『黒い花』は倒さなければならない。
「そいつは倒さなきゃいけないわ。そんなのを放っておいたらいずれ街に入り込んで壊し尽くすわ。街の人々が、防衛隊の人達の二の舞になってしまう。私は、行かなきゃならないわ」
霊夢は振り返り、青年に鞄と買い物袋を手渡した。いきなり荷物を押し付けられた青年は吃驚して、霊夢に問いかけた。
「ちょ、博麗さん、なんですかこれ」
「私の鞄と買い物袋よ。私はその妖怪を討伐しに行くから、博麗神社まで届けておいて」
青年はえぇー!と声をあげた。
霊夢はニコッと笑って青年と目を合わせた。
「盗難防止用の札が中に張られているから、盗もうとしても場所は丸わかりよ。もしそれを剥がそうとしたら札が周囲の魔力を吸い込んで爆発して貴方を木っ端微塵にするから、気を付けてね」
青年は顔を真っ青にして震えあがった。かと思えば、早苗も同じように自分の荷物を青年に渡した。
「私のも博麗神社に運んでおいてくださいね。何かしたら霊夢さんと同じように爆発するので、気を付けてくださいよ」
青年はもう一度震え上がった後、霊夢に言った。
「りょ、了解いたしました。街の防衛隊の一人として、凶暴な妖怪を退治してくれる博麗の巫女である貴方の荷物を神社へしっかりとお運びいたします!」
霊夢はにっこりと笑った。
「えぇ、お願いね」
青年ははっと言うと、神社の方へ走って行ってしまった。
それを見た魔理沙は目を半開きにして霊夢と早苗を睨むように見た。
「今のって、嘘だよな?」
霊夢は首を横に振った。あの鞄には特殊な気を放つ呪符が中に貼られており、その気を辿っていけば必ず鞄へ辿り着く事が出来るようになっている。更に、あの鞄の開け口には特殊な封印が施されていて、自分以外では開ける事が出来ないようになっているのだ。だから盗難されてもどこにあるかわかるし、盗難した相手は鞄を開く事が出来ないから中のものを盗む事が出来ない。
「いいえ。盗難防止のためにそういうのは搭載しておいたわ。流石に自爆はしないけどね」
魔理沙は早苗に声をかけた。
「早苗のも同じか?」
早苗は首を横に振って苦笑いした。
「いいえ。私のは普通の鞄です。霊夢さんのように特殊な術は一切施されてはいませんので盗難対策はありませんが、お財布は懐の中に入っていますので、事実上あれは空っぽの鞄です」
二人の言葉を聞いて、魔理沙は青年が気の毒だと思った。仲間を散々殺されて、慌てて助けを求めに来たのに二人から荷物を運ぶよう言い渡されて、更に自爆機能が付いているなどという嘘を吹き込まれて怯えながら博麗神社に向かう事になってしまったのだから。……まあ後半はほぼ霊夢と早苗の悪意のある嘘のせいなのだが。
と思っていると、霊夢が表情を引き締めて言った。
「さてと。問題の妖怪らしきものを倒しに行くわよ。早苗、魔理沙、戦闘準備は?」
早苗もまた表情を引き締めて、問題ありませんと答えた。戦闘に使う道具は常に肌身離さず持ち歩いているので、いつでも戦闘が出来るらしい。
一方、魔理沙も同じように戦闘準備は出来ていると答えた。箒とミニ八卦炉はいつも持ち歩いている物だからいつ何時戦闘になっても平気だそうだ。
そして霊夢。霊夢もまた二人と同じように戦闘準備は出来ていた。封魔針と封魔札はいつも懐に入れているし、いざとなったら陰陽玉を召喚して出せる。それに何より強力なスペルカードもあるから戦闘にはいつでも対応可能だ。
三人そろって準備完了出る事を確認するなり、霊夢は『黒い花』と思われる妖怪がいる北西の方角に再び身体を向けた。
「よし……いくわよ!」
霊夢は地面を思い切り蹴り上げて空へ舞い上がり、そのまま北西の方角へ勢いよく飛んだ。それに続いて早苗と魔理沙も上空へ舞い上がり、霊夢の後を追う形で正体不明の妖怪らしきものがいると思われる北西の空へ飛んだ。
*
青年のいう方角を目指して飛んでいたところ、街を抜けて、この前黒虎と戦ったような平原に出た。
霊夢は平原の上空まで来ると一旦止まり、『黒い花』がいないかどうか探して辺りを見回した。やがて魔理沙と早苗も霊夢へ追いつき、同じように『黒い花』を探し始めた。
「どこだ……防衛隊の皆をやった妖怪ってのは……」
魔理沙が周囲を見回して呟くと、早苗が同じように呟いた。
「どこかにいるはずです……どこかに……」
三人して周囲を見渡すその最中、霊夢は気付いた。……やはり憶測通りだった。この辺り周辺に『黒い花』が放つ独特の邪気が感じられる。防衛隊を襲い、壊滅させたのは黒服の霊夢が口にしている『黒い花』に間違いない。そしてその『黒い花』は、確実にここの近くにいる。
「どこ……どこよ『黒い花』……!」
霊夢が思わず呟くと、魔理沙が不思議がって霊夢に尋ねた。
「え、『黒い花』?」
更にその呟きは早苗にも聞こえていたらしく、早苗もまた尋ねてきた。
「え、霊夢さん、『黒い花』とは?」
霊夢はもう一度気付いた。そういえば、『黒い花』についての説明を聞いているのは藍だけで、早苗と魔理沙には『黒い花』の事を説明していない。だから自分が『黒い花』という言葉を発した事に不思議がったのだろう。
「そういえばあんた達には教えてなかったわね。『黒い花』っていうのは……」
霊夢が話を始めようとしたその時、辺り一面に力強い獣の咆哮が木霊した。
突然の事に三人は驚いて、もう一度辺りを見回した後、霊夢が言った。
「今のって、『黒い花』……!?」
魔理沙が焦る。
「いやいや、なんだよ『黒い花』って! 今のはどう聞いても何かの咆哮だぜ!?」
早苗が緊迫した表情を浮かべる。
「今の……まさか防衛隊の皆さんを襲った妖怪の鳴き声!?」
霊夢は封魔針と札を取り出して、身構えた。
「二人とも、構えて! いるわ!」
霊夢の号令に早苗と魔理沙が従い、それぞれ武器を構えたその時、霊夢は『黒い花』の邪気が一気に濃くなったのを感じた。……いる。それも自分達のすぐ近くに、いる!
次の瞬間、霊夢は邪気が自分達の更に上空で強くなったのを感じて、ハッと顔を上へ向けた。そして、驚いた。そこには、青年の言っていた通り墨のようにどす黒い毛並みの犬の身体と二つの犬の頭を持ち、身体に赤と紫の刺々しくて禍々しい模様を走らせている巨大な怪物がこちらを睨んでいた。
だが、霊夢がそれよりも驚いたのは、黒い犬のような怪物は自分達の身の丈の三倍はあると思えるほど巨大で、更に背中から皮の翼を生やして空を飛んでいた事だ。あの青年の話では背中に翼があるとは聞いていなかったというのに。
その時だった。黒犬は息をその場で強く吸い始めた。まるで次の瞬間に何かを吐き出そうとしているかのように。それを見た途端、霊夢は黒犬が次に何をしようとしているのかすぐに理解して焦り、早苗と魔理沙に声をかけた。
「二人とも、回避! 攻撃が来るわ!!」
早苗と魔理沙が霊夢の指示に驚いた直後、黒犬はその口から火炎と冷気の砲弾にも等しき弾を霊夢達に狙いを付けて放った。霊夢は黒犬の弾を発する際の爆発するような音で気付き、どうにか回避しようとしたが、早苗と魔理沙があまりに突然の事に対応できなくなってしまっている事にも気付いた。今回避すれば自分は避けきれるが、早苗と魔理沙はどう考えても攻撃を喰らってしまう。
霊夢は素早く思考を巡らせて結論を出すと、素早くスペルカードを構え、発動させた。
「夢符「二重結界」!!」
霊夢の掛け声を出して腕を前方へ突き出した直後、霊夢の目の前に二重に張られた結界が出現、その次の瞬間に黒犬の放った火炎弾と冷気弾が直撃し、火炎と冷気の大爆発を引き起こして結界を飲み込んだ。
三人は結界に守られて攻撃を受ける事はなかったが、火炎弾と冷気弾が結界に激突して爆発した瞬間、結界を支えるために突き出していた腕に電撃が流れたかのような強い痛みが走り、霊夢は悲鳴を上げた。
「ッ痛!!」
霊夢が悲鳴を上げて顔を顰めた直後、霊夢達を守った二重の結界は硝子のようにばらばらに割れ、消えてしまった。霊夢はその場で息を切らし、痛みの走った腕を残った腕で抑えた。
その瞬間をまじまじと見て、魔理沙は唖然としてしまった。
「れ、霊夢の結界が一撃で……!?」
早苗もまた唖然としていたが、すぐに我に返って霊夢へ声をかけた。
「れ、霊夢さん、大丈夫ですか!?」
霊夢は振り返り、いきなり二人を怒鳴りつけた。
「何ぼけっとしてんのよ!! さっさと動けっつってんでしょうがッ!!」
霊夢のあまりに激しい声に二人はびくんと背筋を伸ばしたが、すぐにその指示に従ってその場から離れた。同時に、黒犬もそれぞれの頭で二人に視線を向けて、霊夢を視線の外へ追いやった。
その隙を突いて霊夢はその場から離脱して黒犬から比較的遠い位置に飛んで、黒犬の身体を舐めるように注意深く見た。……この犬、あの時の黒虎に似ている。色も、身体に入っている模様の感じもあの時とほとんど同じようなものだ。それに放っている邪気だって黒虎とほとんど同じだ。やはりこの犬も……。
そう思ったその時、霊夢はあるものを黒犬の身体から見つけて、黒犬が黒虎と同類の存在である事に気付いた。
「あれは……!」
花だ。黒犬の模様の中に、紅い線で構成された、桜の花によく似た形をした模様がある。あれがあるという事は、黒虎と同類の存在、『黒い花』である事に他ならない。そしてあれが『黒い花』ならば、近くに
「どこ、どこよ!」
霊夢は
「どこなのよ!!」
その時、魔理沙は気付いた。いつも強敵と戦闘になったら敵から目を離さなくなる霊夢が、辺りをきょろきょろと見まわして何かを叫んでいる。今目の前にいるこの黒い犬の怪物すらも、目に入っていないように見えた。あのままでは、黒い犬に狙いを付けても気付けない!
魔理沙は焦りながら、霊夢へ声をかけた。
「ど、どうしたんだ霊夢!?」
霊夢は気付かなかった。その次の瞬間、霊夢が注意をしていない事に気付いたのか、黒犬が視線を霊夢へと向けた。霊夢に狙いが定められたと魔理沙は気付くなり、スペルカードを発動させた。
「そっちじゃねえ! 魔符「ミルキーウェイ」!!」
魔理沙の叫びの直後、魔理沙の目の前に青い光の魔方陣が出現し、そこから無数の星屑のような光弾が発射された。光弾は真っ直ぐ黒犬の元へ向かい、黒犬の身体に付着したところで爆発し黒犬の身体を焼き焦がした。しかし、黒犬は魔理沙の攻撃を受けようともびくともせず、ゆっくりと霊夢から魔理沙へ視線を動かして、怒りに満ち満ちた表情で魔理沙を睨みつけた。
黒犬と目が合って魔理沙は震えあがったが、それよりも魔理沙が恐ろしいと思ったのは攻撃を受けたはずの黒犬が全くと言っていいほどダメージを受けた様子を見せなかった事だ。あれほどの光弾幕をぶつけたというのに、黒犬の身体には傷一つついていないように見える。
(あいつ……!)
どうやらあれは霊夢の防御を容易く破る攻撃力を持っているだけじゃなく、鉄の壁のような防御力も兼ね揃えているらしい。流石、街の戦闘の精鋭集団である防衛隊を軽々と壊滅させただけある。だが問題はそこではない。本当に問題なのは、霊夢が黒犬を全く目に入れる事なく辺りを見回している事だ。霊夢は貪欲に何かを探しているかのように辺りを見回して、狂ったように何かを叫んでいる。一体どうしたというのだろう。あれでは黒犬と戦いに来ているようには見えないではないか。
「霊夢!!」
魔理沙が霊夢の名を叫んだ直後、魔理沙を睨みつけていた黒犬は牙を剥いて魔理沙へ飛びかかるように襲い掛かった。魔理沙は驚いて箒に跨り、黒犬の突進攻撃を当たる直前で回避したが、黒犬はよほど魔理沙に怒っているのか、魔理沙に攻撃を避けられてもそのまま翼をはばたかせて魔理沙を追いかけた。
一方早苗はというと、魔理沙を狙う黒犬を魔理沙から離すべく攻撃を仕掛けようとしていたが、それよりも霊夢の事が気になって仕方がなかった。霊夢は黒犬の攻撃から自分達を護ってから全く動こうとしておらず、ただ周囲を見回して何かを叫んでいる。しかも魔理沙が追われているという事にも全く気付いていないように見えた。いつもの霊夢だったらあんな事はしないというのに。
「霊夢さん! 妖怪が魔理沙さんを!!」
早苗の叫び声が辺りに木霊した。にもかかわらず、霊夢はただ辺りを見回しているだけで何もしようとしない。声が聞こえなかったようだ。これだけ近い距離で、木霊するくらいの声量で呼びかけたというのに。
先程霊夢は自分達に何をやっているんだと言ったが、今は霊夢がその状態だ。
「霊夢さん! 何をやってるんですか!!」
その直後、魔理沙の声が聞こえてきた。
「早苗、聞こえるか!?」
早苗は魔理沙のいる方を見た。魔理沙は黒犬に追われて、噛み付かれそうになりながら炸裂瓶や光弾と熱弾の弾幕で黒犬を攻撃し続けていた。
そんな状態で、魔理沙は自分へ声を届けてきた。
「お前は霊夢を気付かせろ! こいつの狙いは私が引き受ける!」
早苗は焦って声を上げた。
「魔理沙さん!!」
直後、黒犬は双頭の口から火炎弾と冷気弾を発射して魔理沙を攻撃し始めた。魔理沙は飛んでくる火炎と冷気の弾の間を縫うように飛びながら、戸惑う早苗に指示をした。
「こいつは多分霊夢の力がなきゃ倒せない! お前は何としてでも霊夢を気付かせて、こいつに攻撃させるようにしてくれ!」
そう言うと、魔理沙はぎゅんと加速して黒犬と距離を取った。かと思いきや、黒犬が逃がすものかと言わんばかりに加速。逃げ回る魔理沙を追いかけた。そして黒犬との距離が大きくなったのを確認するなり、早苗は霊夢のいる方へ向かって飛んだ。
霊夢の元へ辿り着くと、早苗は霊夢の名を呼んだ。
「霊夢さん、どうしたんですか!」
霊夢は答えなかった。先程と同じように辺りを見回して動かない。そして、「どこだ、どこにいるんだ」となんだかよくわからない言葉を吐き散らすように連呼している。いつもの霊夢からすると到底考えられない行動に早苗は戸惑いながら、もう一度霊夢の名を呼んだ。
「霊夢さん、霊夢さんどうしちゃったんですか!?」
霊夢は答えない。そのうち早苗は霊夢の行動に怒りを覚えてきて、霊夢の背に手を叩き付けるかのように触れた。
「霊夢さんッ!!」
「うわあぁッ!!!」
霊夢は驚いたような声を上げて後退、早苗から距離を取ったところで早苗の方を見た。その時、霊夢の顔に激しい怒りの表情が浮かんでいるのが見えて早苗は驚いたが、その次の瞬間に霊夢の表情が激しい怒りの表情からきょとんとしたかのような表情に変わって、早苗はもっと驚いてしまった。その直後、霊夢はぼそりと呟いた。
「あれ……早苗?」
霊夢の言葉で早苗はハッと我に返り、ぶるぶるっと数回首を横に振った後霊夢に怒鳴るように言った。
「何やってるんですか霊夢さん!! すごく危険な妖怪と戦ってるのに、何で攻撃しようとしないんですか! 今、魔理沙さんが追いかけられてるんですよ!!」
霊夢は戸惑ったような仕草をして静かに言った。
「で、でも、あれがあれだから、近くにあれが……」
「何をわけのわからない事を言ってるんですか!! そんな暇があるなら戦ってくださいよ! 街が危険に晒されているんですよ!!」
霊夢はもう一度辺りを見回した後、すまなそうな表情を浮かべて早苗に軽く頭を下げた。
「ごめん」
早苗は少し穏やかな声で言った。
「そうですよ。しっかりしてください。幻想郷を守る博麗の巫女である貴方がその調子でどうするんですか」
霊夢は軽く下を向いた。
「ごめん。ちょっと気が動転してたわ。気付かせてくれてありがとうさな」
霊夢が言いかけたその時、二人の耳に魔理沙の声が飛び込んできた。
「やばい!! 二人とも避けろッ!!」
魔理沙の声に驚き、二人は声の聞こえてきた方向に顔を向けた。そこは自分達からすれば上方向だったのだが、魔理沙を追い回していたはずの黒犬の姿がいつの間にかそこにあり、黒犬は先程と同じように息を吸い込んで火炎弾と冷気弾を次の瞬間に放とうとしていた。黒犬の姿を見るなり、早苗は唖然とした後呟いた。
「い、いつの間に……?」
その刹那、黒犬は溜め込んだ息を吐き出すように火炎弾と冷気弾を口から二人へ向けて放った。火炎弾と冷気弾の発射を確認するなり、霊夢は早苗に指示を出した。
「早苗、今度こそ避けるわよ!!」
早苗に指示を出した直後、霊夢は急上昇して火炎弾と冷気弾の射線から退き、火炎弾と冷気弾の射線を今一度見たが、そこで思わず驚いてしまった。
早苗がまだ火炎弾と冷気弾の射線に残ったままだったのだ。どうやら先程と同じように黒犬が自分達の近くに現れて弾を放ってきたという突然の事に対応できず、その場に取り残されてしまっているらしい。
「早苗! 何やってんのよ!!」
早苗は霊夢指示通り身体を動かそうとした。しかし、一向に身体は動こうとしてくれない。迫り来る火炎弾と冷気弾を、避けようとしてくれない。完全に怖気付いてしまって、身体が動かない。
黒い犬がいきなり現れて弾を撃ってきた。それを避ける事が出来るのなんて、博麗の巫女である霊夢くらいだ。地位も力も劣る自分が、そんな事を真似できるはずがない。
時間がスローモーションみたいに非常にゆっくりになっているように感じた。全てがゆっくりになって、火炎弾と冷気弾がゆっくりとこちらに迫ってきているように見える。当然、自分の身体は凍りついたように動かなくなっているので、火炎弾と冷気弾を避ける事は適わない。このまま、迫り来るあれに当たるしかないのだ。
恐らくあれは防衛隊の人達を殺した火炎弾と冷気弾に違いない。それを喰らったならば、どうなるのだろうか。やはり防衛隊の人達と同じように吹き飛んで死ぬのだろうか。
いや、そうだろう。そもそも自分は霊力などは防衛隊の人達よりもの身体は防衛隊の人達よりも強くない。そんな自分があんなのを喰らおうものならば、一瞬にして吹き飛んで死ぬ事だろう。
一瞬で死ぬ……。
「早苗ッ!!」
そう思ったその時、自分を呼ぶ声がして早苗は考えを止めた。
しかも聞こえてきた声は魔理沙と霊夢の声色ではない。全く別な声色だった。だが、誰の声なのかはわからない。
こんな時に、誰が自分を呼んだのだろうか。それとも、空耳なのか。
そう思った直後、目の前が真っ黒になって、ぐぉんと身体を持ち上げられたかのような感覚と共に髪の毛が強く靡いた。頭に少し柔らかいものが、顔に少し硬いような柔らかいような温かい何かが当たっていて、顔に強い風が吹き付けてきている。そのせいで、目を開けようとしてもなかなか開ける事が出来ない。そして、ようやく目を薄らと開いた時、一番最初に見えたのは空だった。
「あれ……」
早苗はきょとんとしてしまって、動く事が出来なかった。しかし空は動いていて、身体を持ち上げられているような感覚は続いている。いつまで経っても火炎弾と冷気弾が飛んでくる気配もない。一体何が起きたのか、全く理解できない。
その時、風に混ざって声が聞こえてきた。
「無事か、早苗」
声は上の方から聞こえてきた。早苗は声の主を探そうと顔に当たるものに頬を擦り付けながら上を見て、驚いた。そこには最近やってきた神奈子と諏訪子の腐れ縁の神、紗琉雫の顔があった。
そこで早苗は、いつの間にか自らが紗琉雫に抱かれている事に気付いた。
「紗琉雫……様……?」
ぽかんとしたまま声をかけると、紗琉雫はもう一度問いかけてきた。
「大丈夫か早苗」
早苗は紗琉雫に言われるまま自分の身体を確認した。どこにも傷はないし火炎弾と冷気弾の直撃を受けたような感じもないしどこも痛くない。……特に異常はないようだ。強いて言えば紗琉雫に抱かれているせいで動けないくらいだ。
「大丈夫です。怪我一つしてません」
早苗の答えを聞いた途端、紗琉雫の表情は安堵したような穏やかなものへ変わった。
「そうか、よかったよ」
「それにしても紗琉雫様、どうしてここに?」
紗琉雫は顔を黒犬の方へ向けた。
「それはあとで教える。今はあれを倒すのが先決だろ。それに……」
紗琉雫はその場で緩やかに止まると、早苗を身体から離した。
その際に、早苗は紗琉雫の背中を見て驚いた。この前見た時には何もなかった紗琉雫の背中に、まるで天使のそれのような純白の大きな翼が生えているのだ。いや、純白ではなく、紗琉雫の髪の毛のように先端だけが空色になっている。
(紗琉雫様に……翼が……)
早苗は思い出した。そういえば、烏天狗である文も飛行する際に背中に翼が現れる。紗琉雫もそれと同じで、空を飛行する際には翼が生えるのだろうか。
考えていたその時、紗琉雫が声をかけてきた。
「お前、強い敵との戦いで俺の強さを測るんだろう? それも同時にやらせてもらおう」
そう言って紗琉雫は早苗よりも前に出ると、懐に手を伸ばして、勢いよく引っ張り出した。
紗琉雫の懐から現れたものを見て、早苗はもう一度驚いた。それは、雪のように白く塗装され、弦が六本も付けられている大型拳銃のように大きな
紗琉雫の実力とは。