東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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9 補佐

「おい霊夢、大丈夫か」

 

 聞き覚えのある声で、霊夢は目を覚ました。目を開けて最初に映ったのは見慣れた博麗神社の寝室の天井だった。

 身体には柔らかない何かが当たっている。何だろうと思って感触をもう一度確かめてみたところで、それが自分が普段使っている布団である事がわかった。どうやら自分は布団に寝転がっているらしい。いつの間にか、神社の境内から寝室へ移動したようだ。

 何も考えないまま天井を見つめてぼーっとしていると、もう一度声が聞こえてきた。

 

「よかった。目を覚ましてくれたようだな」

 

 霊夢はゆっくりと声の聞こえてきた方へ顔を向けた。そこには、黒服の霊夢との戦いの時に突然現れた紫の式神、藍の姿があった。藍は畳に座って少し不安そうな顔をしながらこちらをじっと眺めるように見ていた。

 

「藍?」

 

 霊夢の声に藍は頷いた。

 

「あぁ私だ。こんなに早く目を覚ましてくれたという事は、大した傷を負っていたわけではなかったのだな」

 

 藍は霊夢の身体に手を差し伸べてきた。霊夢は藍の手を借りながらゆっくりと上半身を起こして、頭を片手で抱えた。

 

「あんたが、私を助けてくれたの?」

 

 藍は頷いた。

 

「あぁそうだ。お前が突然倒れ込んだものだから、吃驚したよ」

 

 藍の言葉を聞いて、霊夢は思い出した。そうだ、自分はあの時倒れたのだ。黒服の霊夢の猛攻によってできた傷のせいなのか、戦いの疲れのせいなのかわからないが、黒服の霊夢を藍と共に退けた後、急に意識が薄くなってそのまま気を失った。

 藍の話を聞く限り、藍が気絶した自分を境内から寝室まで移動させ、介抱してくれたようだ。

 それを理解するなり、霊夢は藍を横目で見た。

 

「私、あの後からどのくらい寝てた?」

 

 藍は腕組みをした。

 

「三十分だ。もう二時間は寝ているんじゃないかと思ったが、たったの三十分で起きたもんだから驚いたよ」

 

 霊夢は「そっか」と言って、顔を藍へ向け、微笑んだ。

 

「でもありがとう、助けてくれて。あの時あんたが来なかったら、今頃私どうなってた事か」

 

 藍はハッとして、霊夢と少し距離を縮めた。

 

「起きて早々尋ねて悪いのだが、霊夢」

 

 霊夢は少しきょとんとした。

 

「何よ」

 

「お前が戦ってたあれは、一体なんだ?」

 

 霊夢は呆れたような表情を浮かべた。

 

「ごめん藍。それ答えるの、こっちが聞きたい事を聞いてからでいい?」 

 

 藍は「え?」と言った。

 霊夢は目を少し細めた。

 

「あんた、何しにここに来たの? 何であの時ここに現れた?」

 

 藍は「おっと」と言って、苦笑した。

 

「そういえば、お前に話を聞くよりそれを話すのが先だったな」

 

 藍は表情を少し険しくして、話を始めた。

 なんでも、懐夢の育成に取り掛かっている紫が自分への危機を感知したらしく、懐夢の育成で手が離せない自分の代わりと言って藍に式が剥がれなくなる強力な術を施し、博麗神社(ここ)へ藍を派遣したらしい。そして紫の命令通り博麗神社の近くへやってきてみたところ、自分が神社の境内で敵と戦って追いつめられているのが見えて、大慌てであの場に現れたらしい。

 藍の話を一通り聞いて、霊夢は首を傾げた。

 

「紫があんたを?」

 

 藍は頷いた。

 

「そうだ。懐夢がいなくなって手薄になっているお前の元に脅威が迫ってると仰られてな。術を施してもらって来てみたら案の定あの有様だったものだから、慌てて攻撃をしたわけさ」

 

 藍は表情を引き締めた。

 

「霊夢、あれは一体なんだったんだ? お前と同じ姿をしていて、私の名前までも知っていたあれは」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「それが、わからないのよ」

 

「わからない、だと?」

 

 霊夢は黒服の霊夢の事を藍に話した。

 話を理解するなり、藍は顔を少しだけ顰めた。

 

「なんだそれは……あれがもう一人の霊夢(おまえ)だと?」

 

「勿論そんなわけないわ。でも、あいつは私の記憶を知ってるみたいで、しかも同じ力が使えるみたいなのよ。だから、あんたの事も知ってたみたい」

 

 藍は顎に手を添えた。

 

「わからんな……霊夢と同じ姿をしていて、しかも同じ力までも使えるような者なんて、まるで心当たりがない。新しく幻想郷にやってきた奴か?」

 

「わからない。でも、あいつはすごく危険なやつよ。だって、あいつの目的を聞いたら、この幻想郷を滅ぼして新たな秩序の世界とかいうのを作るって言ってたもの」

 

「知っている。奴が去る前にお前が教えてくれたからな。それにしても、一体何者だというのだあれは。新たな秩序の世界というのを作り出して、一体どうする気なのだ。この幻想郷を滅ぼして、どうするというんだ」

 

 霊夢は呆れたような表情を浮かべる。

 

「それがわかれば苦労なんかしないわよ。でも、ろくでもない事なのは確かね」

 

 藍は頷いた後、顎に手を添えた。

 

「そうだが……それにしても恐ろしい存在だなあれは」

 

 霊夢は「え?」と言ってきょとんとした。

 藍は霊夢へ顔を向けた。

 

「だってそうだろう? あいつは幻想郷最強の存在、博麗の巫女であるお前を打ち破った。つまり、この幻想郷にお前を超える存在が現れたって事だろう?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そういう事になるわね」

 

「それはかなり拙い事だぞ」

 

 藍は表情を険しくして、霊夢に話した。

 ここ幻想郷は、最強の存在である博麗の巫女によって秩序を保たれている。何か異変が起きれば博麗の巫女が鎮圧し、幻想郷の平和を保つ。しかし、それはあくまで博麗の巫女を超える存在がいない事が前提であって、もしも博麗の巫女よりも強い存在が現れて、尚且つそれが異変を起こせば博麗の巫女では対処できなくなり、幻想郷の秩序は崩されてしまう。

 

「つまり、私を叩きのめしたあいつは幻想郷の秩序を簡単に崩せるってわけね」

 

 藍は頷く。

 

「そうだ。博麗の巫女を超える強さを持つ存在の出現は、何よりも拙い。

 これは博麗の巫女であるお前も熟知している事のはず」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇわかりきってるわ。何とかしてあいつへの対策を立てないと、冗談抜きであいつに幻想郷は崩されるわ。……八俣遠呂智の時みたいな異変が、また起きようとしているのね」

 

 その時、霊夢はふと黒服の霊夢の言葉を思い出して、考える姿勢をした。

 黒服の霊夢は自分を叩きのめした際に、「貴方は本当にやりたい事をやっていないから力が出せない。わたしはやりたい事をやっているから力を出せている」とかなんとか言っていた。

 あれは一体なんなのだろうか。確かに心の具合によって術の強さが変わるというのは知っているが、自分が本当にやりたい事をやっていないから弱いとは、どういう事なのだ。

 霊夢は『自分が本当にやりたい事』を見つけるべく頭の中と心の中を探したが、全然思いついてこなかった。どんなに考え込んでも、本当にやりたい事など思い付かない。

 

(私が本当にやりたい事……?)

 

 心の中で呟いたその時。

 

「おい、霊夢」

 

 藍の声が聞こえてきて、霊夢はハッと我に返った。きっといきなり考え込み出した自分を不思議に思ったのだろう、少し不安そうな表情を浮かべて、じっとこちらを見ている。

 しかし、その時霊夢は思い付いた。もしかしたら、自分を非常によく見ている紫の式である藍ならば、『自分が本当にやりたい事』を知っているかもしれない。

 霊夢は思い付くなり、藍に問いかけた。

 

「ねぇ藍、私の本当にやりたい事って何かな?」

 

 藍は目を丸くした。

 

「なんだって?」

 

「だから、私の本当にやりたい事って何なのかなって聞いてるのよ」

 

 藍は胸の前で掌を立てて振った。

 

「ちょ、ちょっと待て。何故それを私に聞くんだ。そんな事を聞かれたって私にはわからないよ。自分がやりたい事を知るのは、普通お前自身だろう?」

 

 藍は腕を戻した。

 

「というか、何故そんな事を聞くんだ」

 

 霊夢は黒服の霊夢に言われた事を藍に話した。

 藍は小難しい話をされた時に浮かべるような困った表情を浮かべた。

 

「霊夢は本当にやりたい事をやっていないから勝てなかっただって?」

 

「あいつによるとそういう事らしいのよ。やりたい事をやっていないから、力が出せないって、そう言ってたのよ」

 

 藍は目を閉じて眉間にしわを寄せた。

 

「よくわからんな……だが、その話が本当ならば、お前が本当にやりたい事を出来れば、あいつに勝てるというわけだな」

 

「そうなんだけど……」

 

「だったらそれをやればいいじゃないか」

 

「それがわからないからあんたに聞いたのよ!」

 

 藍は目を点にした。

 

「なんだって?」

 

「だから、私が本当にやりたい事っていうのが私自身わからないのよ」

 

 藍は呆れたような表情を浮かべる。

 

「なんだそれは……随分変な冗談を言うな。自分で自分のやりたい事がわからないだなんて」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「冗談なんかじゃないわ。本当に、本当にわからないのよ

 

 藍は「えぇー」と声を上げた。

 

「お前にわからないなら私にもわからないよ。自分の胸に手を当てて考えたのか? 自分の心に尋ねたのか?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ問いかけたわよ。でもわからない」

 

「そりゃないだろ……あ!」

 

 藍は手をぽん、と叩いた。霊夢は首を傾げる。

 

「え? どうしたの」

 

「お前のやりたい事が何なのかは私にはわからない。だが、連想出来る事ならあるぞ」

 

 藍は人差し指を立てた。

 

「お前が本当にやりたいと思っている事。それは懐夢との生活ではないのか?」

 

 言われて、霊夢は「あ」と言った。

 そうだ。藍の言う通りではないか。自分が今やりたい事と言えば、紫の元に行っているという情報だけを残して消えた懐夢ともう一度再び生活する事だ。これは八俣遠呂智の異変の際、懐夢と喧嘩別れをした時からずっと思っていた事だから、強い願いであり、自分の本当にやりたい事である可能性が非常に高い。

 

「そうか……そういえば私、また懐夢と暮らしたいって思ってるわ」

 

 藍はうんうんと頷き、穏やかに笑った。

 

「そうだろう。お前の本当のやりたい事はそれだ」

 

 その次の瞬間、霊夢は目つきを変えて藍を睨むように見た。藍は紫の式だ。紫は今懐夢を鍛えていて、藍はその状況を知っていると思われる。聞いても、聞いても、「教えられない」の一言で片付けられていたが、今ならば現在の懐夢の状況を吐き出させる事が出来るかもしれない。

 

「じゃあ私のやりたい事の実現のために藍、今の懐夢の状況を教えてくれないかしら」

 

 藍の顔から穏やかな笑顔が消えた。霊夢は続ける。

 

「あんた、教える事は出来ないって言って口を閉ざしてたけど、本当は何が起きてるかくらい知ってるんでしょう?」

 

 藍は俯いた。

 

「それは……そうだが……」

 

 霊夢は噛み付くように藍に言った。

 

「なら、私に教えてくれたっていいんじゃないかしら。あの子を、私を守る存在にするために修行を付けているんでしょう紫は。なら、当初と話が変わった理由をあの子に守られる存在である私に教えるべきなんじゃないかしら」

 

 藍は目を逸らした。霊夢は藍を呼んだ。

 

「藍!」

 

 霊夢の声に藍は顔を顰めて、膝の上で拳を握った後、それまで閉じていた口をようやく開いた。

 

「……これは懐夢から言われていた事だから、口止めていたのだが……そこまで知りたいというのであれば教えてやろう」

 

 霊夢はきょとんとした。

 

「懐夢があんたを口止めていたの? あの子は一体何を隠しているの?」

 

 藍は懐夢に口止められていた話を、霊夢へ話し始めた。

 懐夢が博麗神社に帰ってこなくなったのは、決して紫や藍による強制ではなく、懐夢自身が選んだ事だった。修行を始めてから三日後の出来事だった。

 懐夢の修行を順調に進めていたところ、紫と驚くべき事情を目の当たりにした。それは何かというと、懐夢の術や体術の飲み込みの速さと正確さだ。紫は一つの術を取得するのに十日ほどかかるだろうと思って懐夢に術や体術、そのための学問などをゆっくりと教えた。それでも常人からすれば覚えるのが非常に厳しい内容だから、紫は覚えるのにも時間がかかるだろうと高をくくっていたが、懐夢は紫に教えられた全てをほぼ一日で飲み込み、二日で完了させるという離れ業をやってみせた。

 紫はこの懐夢の取得速度というものに大層驚いたが、もっと驚いたのは懐夢が修行時間の延長を自ら求め出た事だった。紫はなるべく懐夢の身体に負担がかからないようにと思って修行時間を設けていた。しかし懐夢はある修行を終えた後、これでは足りないと言い出したのだ。

 紫は事情を懐夢に説明したが、懐夢は一向に聞こうとせず、「強くなるための修行なら、こんなんじゃ足りない。こんなんじゃ霊夢のために強くなれない」と主張。紫や藍に言われても全く曲げようとしなかった。

 結果、紫は懐夢の意志の強さに折れて、修行時間の延長を決行。その際、「修行が完全に終了するまで博麗神社には帰れなくなる。霊夢にも友達のチルノ達にも会えなくなる。寺子屋にだって行けなくなるよ」と言ったが、懐夢は「構わない」と答えて修行の場に残り、休みをほとんどなくして修行する事を選んだ。

 ここまで聞いて、霊夢は藍に尋ねた。

 

「あの子が、私のところに帰ってこない事を選んだの」

 

 藍は頷いた。

 

「そうだ。あいつは自分の意志で修行の場に残ると言ったんだ。見違えるように強くなってから、胸を張ってお前のところに帰るのが目的らしい」

 

 霊夢は「あぁ」と呟いて、心の中に嬉しさが満ちてくるのを感じた。

 懐夢の事だからそんな事を言い、やってたんじゃないかとは思っていたが、本当に言って、やっていたようだ。それに、早く見違えるように強くなった自分を見せたいなど、如何にも頑張り屋な懐夢らしい。

 それだけじゃない。懐夢は、自分や寺子屋の教師である慧音が認めるほどに知識に貪欲だ。興味がある物事を見つけたりするとすぐに手を伸ばし、わからない事があれば調べ、答えを見つけ出し、知識として飲み込もうとする。それはくだらない雑学から寺子屋の授業内容、幻想郷の根幹に関わるような重要な情報まで、幅広い分野に渡る。

 しかも、それで終わりではないのも懐夢の知識欲の強さの特徴だ。懐夢は最初の物事の答えを見つけたの皮切りに知識欲を増大させて、更なる知識と物事の答えを求め始める。まるでコップや湯呑み茶碗に入った水を一気飲みするように、ぐんぐんと知識を飲み込んでいくのだ。

 それが今、紫の修行に宛てられている違いない。だから、普段ほとんど吃驚する事のない紫も吃驚するような飲み込みの速さが発現しているのだろう。

 

「紫様も私も吃驚したよ。まさか懐夢があんなに呑み込みの早い子だったとは」

 

「そうよ。あの子の知識欲は他人(ひと)より頭一つ飛び抜けているからね。ぐんぐん飲み込むわよあの子は。そして、次々難しい事を覚えさせられても全然忘れないの」

 

「それはわかる。紫様も難しい事をいくつも覚えるから、いくつも忘れてしまうと思っていたようなのだが、全く忘れない彼に非常に驚いていたよ」

 

 霊夢はふふんと笑った。

 

「あの子の事だから、紫との修行は知らない事がたくさん知れる、すごく楽しい事だと思ってるかもしれないわ」

 

 藍は苦笑いした。

 

「修行を楽しいと思えるか……紫様は懐夢にすごい才能があると言っていたが、もしかしたら修行を楽しめることそのものが彼の才能なのかもしれないな」

 

 それには霊夢も同じ気持ちだった。

 懐夢と出会い、共に暮らして様々な事を教えていくうちに、懐夢には人並み外れたところがあると思ってはいた。何故なら、懐夢は普通の妖怪や人間が取得するのに十か月もかかるような術をたった二か月程度で取得し、色んな事をいっぺんに教えられても一つも聞きもらさずに飲み込んで完全に記憶できるなどの、普通の人間や妖怪には早々真似できないような事が出来たからだ。これを見て霊夢は懐夢はすごい才能を持った子なのではないかと思わざるを得なかった。

 しかし、術の事は身体の中に八俣遠呂智がいて、それの影響によるものだったというのが後々わかり、懐夢自身の才能によるものではなかったと判明したが、飲み込みの速さは生まれつきであるという事が懐夢の母親、愈惟の日記によって判明した。

 そして今の藍の話を聞いて、霊夢の中である確信が生まれた。

 懐夢には確かに技術の才能はあるのかもしれない。だが、懐夢の本当の才能とは、教えられた事をすぐさま飲み込めて、忘れずにいられるという事と旺盛な知識欲そのものなのだろう。

 今回の修行は、そんな懐夢にとってはこれ以上ないくらいの喜びに違いない。

 

「それはいいけど……連絡なしで決め付けて、神社に帰ってこなくなったのはいただけないわ。あの子居ないと結構寂しいのよこの神社」

 

 藍は目を丸くした。

 

「え? 懐夢がいないと寂しいのか? 懐夢が来るまでで神社で一人暮らしをしていたのにか?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「一人暮らしをした後に、二人暮らしの充実した日々を送れば、一人暮らしは寂しいってわかるわよ。

 あんたも紫と橙から離れて一人暮らしでもしてみたらどう? 私の気持ちがわかると思うわ」

 

 藍は首を横に振って、呆れたような表情を浮かべた。

 

「それを紫様の式として仕え、橙を式としている私に言うのか? 私がいなくなったら、紫様の式と橙の主は誰がやるというんだ。

 私は一人暮らしなんかできないよ」

 

 藍は霊夢と目を合わせた。

 

「……まぁ、それに近い状態にはなるのだけれどな」

 

 霊夢は首を傾げる。

 

「え? どういう事?」

 

 藍は表情を少しだけ険しくした。

 

「紫様からの命令で、私と橙はしばらくの間ここ博麗神社に滞在し、お前の補佐を受け持つ事となった」

 

 藍の突然の言葉に、霊夢は驚いて声を上げた。

 

「えぇっ!? 何言ってんのあんた!?」

 

 藍はきょとんとしたような表情を浮かべた。

 

「だから、そういう事だよ。私と橙の処はしばらくここになり、戦闘になった際にはお前の補佐を受け持つ事になったんだ」

 

 霊夢は更に驚いた。

 

「えぇぇぇっ!? あんたと橙がここに住む!? ちょっと待ちなさい、聞いてないわよそんなの!」

 

 藍は冷静な声で言った。

 

「この命令が出たのは昨日だからな。お前が知らなくて当然だ」

 

 霊夢は少し落ち着いて、藍に改めて聞いた。

 

「なんで、そんな命令が出たのよ」

 

 藍は説明した。何でも、紫がこれまでにないくらい強い霊夢への危機と異変の気配を感じ取ったらしい。

 普段ならばここで紫が異変の解決霊夢の補佐に就くのだが、紫本人は懐夢を鍛える事に忙しくて手が回せないため、仕方なく藍と橙に霊夢の補佐に回るよう指示したらしい。

 

「じゃあ、あんたがここに来た理由って……」

 

「お前の補佐になるためだ。まぁその前にお前に危機が迫ったものだから、救援のため速めに来させてもらったのだけれどね」

 

 藍の言葉を聞いて、霊夢は嬉しさよりも不安を強く感じた。

 もし補佐に来たのが藍の主である紫だったならば、不安になる事など無かっただろう。何故ならば紫は幻想郷の大賢者で、とてつもない力をその身に宿す妖怪であるという事と、性格は少し癖があるものの戦う時はその力を思う存分に振るって、真面目に戦ってくれる者であるからだ。そんな紫に霊夢は文句を言いながらも、異変の際に紫に何度も助けられている。だから、霊夢は紫と組めば安心できると思えるのだ。

 しかし、今回来たのはその式である藍と橙。二人は確かに結構な力を持ってはいるものの、紫には遠く及ばないし、紫ほど強くない。

 多分戦闘になろうものならば、敵の攻撃を受けて簡単にやられてしまうか、自分の足を引っ張り続けるかのどちらかだ。

 霊夢は考えを纏めるなり、首を横に振った。

 

「それは嬉しいけれど、お断りするわ」

 

 藍は「え?」と言った。

 

「何がだ?」

 

「あんた達じゃ、紫には遠く及ばない。これから起こりうる異変で私の補佐に回っても、すぐにやられるか私の足を引っ張るかのどちらかになりそう。

 だから、あんた達と手を組んで戦う気にはなれないわ」

 

 藍はむっと言って顔を顰めた。

 

「言ってくれるな。あのお前に似た何かに拘束されて動けなかったところを助けてもらったくせに」

 

 霊夢はうっと言った。

 藍は続けた。

 

「お前、あの時私が助けなかったらどうなっていた? もし私があの時現れなければ、あのお前によく似た何かに喰われていたんじゃないのかお前は」

 

 霊夢は藍から目を逸らした。

 確かに黒服の霊夢に拘束されたあの時は、本当に死を覚悟した。自分一人の力ではもう抜け出せないと思ったからだ。多分あそこで藍が現れてくれなければ、藍の言う通り、あの黒服の霊夢に喰われていた、もしくは殺されていたかもしれない。あの時は、確かに藍のおかげで助かった。しかし藍に助けてもらうのと藍と共に戦うのではわけが違う……。

 そう思った直後、藍がもう一度声をかけてきた。

 

「目を逸らしたという事は、あの時私が助けなかったら死んでいたという自覚があるのだな?」

 

 霊夢は黙ったまま何も答えなかった。

 藍は溜息を吐いた。

 

「……まぁ確かに私達は紫様よりも弱い。敵の攻撃を受ければ紫様は耐えれても私達は即死するかもしれない。正直なところ、お前の足手まといになる可能性だって十分にある。

 だけど、一人で戦うのと二人で戦うのではわけが違うだろう? 一人で出来ない事も二人ならば」

 

 藍が話を長くしようとしたその次の瞬間、霊夢は面倒そうな表情を浮かべて「はいはい」と言った。

 

「わかってるわかってるわよ皆まで言わないで頂戴。あんたの言う通りよ。私はあの時あんたが来なきゃ死んでたわ多分。

 私はあんたのおかげで助かった」

 

 霊夢は表情を引き締めて、藍と目を合わせた。

 

「正直不安なところはあるけれど、あぁいう事は今後も起きると思う。……私がまたあぁなった時、助けてくれないかしら。それに、私が力を貸してほしいって頼んだ時は」

 

 言いかけたその時、藍が割り込むように言った。

 

「素直に力を貸してほしい、か。それはつまり、私達を補佐に迎える気になったという事だな」

 

 霊夢は少し目を逸らして頷いた。

 

「そういう事よ。ちょっと不安だけど、私の補佐をやって頂戴」

 

 藍は苦笑いした。

 

「わかったよ。素直じゃないなお前は」

 

 霊夢はそっぽを向いた。しかしその直後、藍が急に表情を険しくした。

 

「ただ、安心してほしい事がある」

 

 霊夢は藍の顔に目を向けた。

 

「なによ」

 

「今はこうして私と橙がお前の補佐となるわけだが、懐夢の修行が終了次第、紫様と強くなった懐夢がお前の補佐になると紫様は言っておられた。

 だから懐夢の修行が終わったら安心していいぞ。なんたって、紫様と懐夢と共に戦う事が出来るのだからな」

 

 言われて、霊夢はふと紫と懐夢と共に戦う時の事を想像した。自分の隣に懐夢がいて、共に攻撃を仕掛けていく。

 そして共にスペルカードを放ち、強力な妖怪を撃破する瞬間が見えて、霊夢は不思議な気持ちになった。

 

「あの子と肩を並べて戦うのか……」

 

 藍は表情を和らげた。

 

「まぁ、懐夢が最後まで修行を通す事が出来たらの話だが。

 ……何がともあれお前の補佐はしばらくの間、私と橙だ。足を引っ張らないように努力しよう」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。頑張って頂戴」

 

 藍はあぁと言って笑みを浮かべた。

 かと思いきや、藍はもう一度表情を険しくした。

 

「それはそうと霊夢。気になった事がある」

 

 霊夢は突然顔を険しくした藍にきょとんとしてしまった。

 

「なによ急にそんな顔をして」

 

 藍は人差し指を立てた。

 

「お前、お前に似たあれが去り際に残した言葉を覚えているか?」

 

 言われて、霊夢は黒服の霊夢の言葉を思い出した。

 ―-「もし貴方が真実を知りたいと思ったならば、今後この幻想郷で次々と咲き始める『黒い花』を摘み取りなさい。そして『黒い花』について探求なさい。そうすれば必ず貴方はわたしの元に、真実に辿り着くわ。まぁ、貴方に出来るのであれば、だけどね」

 黒服の霊夢はそう言って自分達の目の前から消えた。今でも思い出そうとすれば声となって頭の中に響いてくる。

 

「覚えているわ。意味深な事を言っていたわね」

 

 藍は頷いた。

 

「その中で、お前は『黒い花』というのが何なのかわかるか?」

 

「『黒い花』?」

 

「そうだ。私の記憶が正しければ、真実に辿り着きたいと思うのであれ『黒い花』を摘み取れとあいつは言い残していた。私はこの『黒い花』というのがわからんのだが、お前はわかるのか?」

 

 霊夢は考える姿勢をした。

 『黒い花』。それはあの黒服の霊夢が口にした謎の言葉だが、霊夢には既にこれが何を意味するのかわかっているような気がしていた。

 『黒い花』というのは、あの黒虎のような謎の存在の事だ。あれの身体には大きな花の模様が入っていて、あたかも身体に『黒い花』が咲いているようにも見えた。あくまで憶測でしかないけれど、あの黒服の霊夢が言っていた『黒い花』は、あの模様またはあの模様がある存在そのものを指す言葉なのだろう。

 

「わかるわ」

 

 霊夢の答えを聞いて、藍は再度尋ねた。

 

「それは?」

 

 霊夢は昨日倒した黒虎と『黒い花』の関係性についての考えを全て藍に話した。

 霊夢の話が終わるなり、藍は驚いたような表情を浮かべた。

 

「なんだと? 『黒い花』は植物ではなく、突如として出現した謎の存在そのものを指す言葉?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「あくまで憶測だけどね。でも私はきっとその謎の存在こそが、『黒い花』だと思ってる」

 

 藍は顎に手を添えた。

 

「なんなんだその存在は……倒したら中から行方知れずになっていた少年が出て来たなんて。

 そんなわけのわからない事件は聞いた事がないし、そんな生物も見た事がない。しかもその生物はかなり強かっただと?」

 

「えぇ。守矢神社の神奈子と諏訪子が追い詰められていたわ。私が助けなければ早苗、神奈子、諏訪子は死んでたわ多分」

 

 藍はうぅーと軽く唸った。

 

「余計にわからなくなったぞ。一体なんだというのだその生物は」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「わからない。でも、あの存在と黒い服を着た私に似た何かは、関係があると思うの。そうでなきゃ、『黒い花』なんて言わないと思う」

 

「そうだが……でももし違う意味で、全く関係性がなかったらどうするんだ?」

 

「その時はまた調べる。とにかく、今はあの存在と黒服の私に似た何かについての情報を集めましょう。

 あいつは幻想郷を滅ぼすっていう目的を持つ危険存在。絶対にあいつを止めるわよ」

 

 藍は腕組みをして唸りながら、頷いた。

 

 


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