東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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2 新異変

「霊夢さん! 霊夢さんしっかりしてください!!」

 

 自分を呼び掛けてくる声で、霊夢は目を覚ました。その時にはもう目の前に人はおらず、誰もいない居間が広がっていた。「あれ、誰もいないのか?」と思う前にもう一度声が聞こえてきた。

 

「霊夢さん……よかった、目を覚ましてくれましたね」

 

 聞き覚えのある声だった。それも、最近何度も聞いたような声だ。

 声の主を自分の中で特定する前に、霊夢は声が聞こえてきた方向に顔を向けた。

 そこには八俣遠呂智の討伐戦に参加してくれ、共に八俣遠呂智を討った仲間である守矢神社の巫女、早苗の姿があった。顔にはひどく安堵したような表情を浮かべている。

 早苗と目を合わせるなり、霊夢は小さく口を動かしてその名を呟いた。

 

「早苗……?」

 

 早苗は霊夢の声を聞いて安堵したのか、大きな溜息を吐いた。

 

「よかった……死んだように眠っていたものですから、吃驚しましたよ」

 

 霊夢はゆっくりと身体を起こして、もう一度早苗の方へ顔を向けた。早苗は自分から見て右の場所に腰を下ろしていた。くしゃくしゃと髪を掻きながら、霊夢は早苗に問いかけた。

 

「私、どのくらい気を失ってた?」

 

 早苗は困ったような表情を顔に浮かべた。

 

「わかりませんよそんなの。っていうか霊夢さん、大変なんですよ!!」

 

 霊夢は早苗の言葉を無視して、数回頭を掻いてからはっとして、気を失う前の事を思い出した。

 自分はあの時、いつもの謎めいた胸痛に襲われて、もだえ苦しんだ。床に倒れて苦悶し、意識がかすれていき、このまま死ぬんじゃないかと思ったその時に、見知らぬ人影が突然目の前に現れて、声をかけてきた。その人物の姿は胸痛で意識が朦朧としていたせいでわからなかったが、声色からして女性である事と、かけてきた言葉だけは覚えている。

 あの人物は「花を咲かせましょう」という、まるで幽香のような言葉を発した後、自分の頬を撫でて「私のかわいい霊夢」などと言った。そして、最後に自分が小さかった頃、眠れなかった時には母がかけてくれた言葉を口にした。自分と母以外は知るはずのない言葉を、自分にかけてきたのだ。その時自分は驚いて、その人の姿を確認しようとして意識を失った。そして、今に至る。

 霊夢は早苗をそっちのけて考えた。もしあの女性が自分が気を失った後、この神社を出て行ったのならば、ひょっとしたら早苗と会っているかもしれない。あの、母の言葉をかけてきた女性の事を……。

 思い付くなり、霊夢はそっちのけられてきょとんとしている早苗に視線を向けて、声をかけた。

 

「早苗! あんたここに来る時に誰かと合わなかった!?」

 

 霊夢の突然な大声に早苗は身体をびくりと言わせて、驚いた。

 

「えぇっ!?」

 

 答えない早苗に霊夢は顔を近付け、もう一度問いをかけた。

 

「だから、博麗神社(ここ)に来る時に誰かと会わなかったかって聞いてんのよ!」

 

 早苗は霊夢にびくびくしながら、ぎこちなく呟いた。

 

「だ、誰とも会ってません。私が来た時には、神社には霊夢さんしかいませんでしたよ?」

 

 霊夢は早苗の両肩を両手で掴んだ。早苗は更に吃驚して身体をびくりと言わせて、顔にひどく驚いたような表情を浮かべたが、霊夢は気にせずに問いかけた。

 

「本当に? 本当に誰とも会ってないの?」

 

 早苗は頷いた。

 

「本当です! っていうか、霊夢さん少し落ち着いてください。何があったんですか?」

 

 言われて、霊夢はもう一度はっとし、早苗の肩から手を離してがっくりと肩を落とした。

 

「あんた……本当に会ってないんだ……」

 

 早苗は首を傾げて、霊夢へもう一度声をかけた。

 

「あの、霊夢さん。霊夢さんが意識を失う前に、何があったんですか?」

 

 霊夢は顔を上げて、早苗と目を合わせた。

 

「聞きたい?」

 

 早苗は何も言わずに頷いた。

 霊夢は早苗から目線を逸らしてから、自分が気を失う前に起きた胸痛と、その時に突然現れた女性について話した。

 話が終わると、早苗はひどく驚いたような表情を浮かべた。

 

「胸痛? 霊夢さん胸痛に苦しめられてるんですか!?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ、今年に入ってから何度か。この前なんか懐夢の目の前で起こしちゃって、懐夢に大泣きされたわ」

 

「永琳さんに診てもらったりしたんですか?」

 

「えぇ診てもらったわ。でも、肝心なのはそこじゃないのよ」

 

 早苗は首を横に振った。

 

「肝心ですよ! だって気を失うほどの胸の痛みですよ? そういうのって若年性の乳癌とか心臓病とか、命にかかわるような病気が起こすんです! それで、なんて診断されたんですか?」

 

 自分に声をかけてきた人物について話そうと思ったのに、胸痛の話を先にしないと気が済まないかのように話す早苗に霊夢は溜息を吐いた。これはもう胸痛の事を話し終えなければ止まらないだろう。

 

「……異常なし」

 

 早苗はきょとんとした。

 

「……へ?」

 

「だから、異常なしって言われたのよ。あんなに強い痛みが走ったのに、どこも悪くない、私の身体は健康そのものだって」

 

 早苗は「えぇぇぇぇ!?」と大声を上げた。

 

「そんなはずないでしょう! きっとその時は手を抜いたんですよ!」

 

 霊夢は思わず苦笑いした。今の早苗の言葉は、永琳に診断してもらって結果を聞いた時の自分の言葉とほとんど同じだったからだ。

 

「あんた、永琳に診てもらった時の私と同じ事言ってる」

 

「だってそうでしょう!? 胸が張り裂けそうになるくらいの痛みに襲われるのに、異常なしなんてありえませんよ! 霊夢さん、もう一度診てもらった方がいいです! もしかしたら重病かもしれませんから」

 

 霊夢は頷き、微笑みを浮かべた。

 

「心配ありがとう。明日辺りにでも行ってみるわ」

 

 早苗は「そうしてください」と言ってうんうんと頷いた。

 直後、霊夢は表情を少し険しくした。

 

「それより私が気になってるのは、私が気を失う前に私の目の前に現れた女性よ」

 

 早苗はあっと言った。

 

「私が会ってないかって言われた女の人の事ですね」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうよ。あの人、突然目の前に現れて、私と先代巫女(かあさん)しか知らないはずの言葉を口にしてきた。いや、そもそもあの人が女性である事自体怪しいんだけどね。あの時目の前ぐらぐらしてたし」

 

 早苗が人差し指を立てる。

 

「だけど、聞こえてきたのは女性の声だったのでしょう? それなら女性以外にないと思いますけれど。でも、もしその人が本当に女性で、霊夢さんと先代の博麗の巫女……即ち霊夢さんのお母様しか知らないはずの言葉を口にしたのなら……その人は……」

 

 霊夢は目を軽く見開く。

 

「何よ……まさか先代巫女(かあさん)だとでも言うの?」

 

 早苗が指を下にして掌を開き、霊夢に掌を見せる姿勢を取る。

 

「だってそうでしょう? 霊夢さんと霊夢さんのお母様しか知らない言葉を話す女性と言ったら、霊夢さんご自身か、霊夢さんのお母様ご本人しか思い付きませんよ」

 

 霊夢は口を閉じて、心で早苗の言葉を否定した。

 確かに早苗の言う通り、自分と母しか知らないはずの言葉を口にした女性と言われれば、思い付くのは自分か母のどちらかだ。しかし、母が来たというのはあり得ない。何故なら母は、自分が十歳の時に異変の解決に向かい、師匠に見殺しにされて死んだのだから。その結果として、自分が今博麗の巫女をやっている。もしあの時母が死なないで生きているのならば、博麗の巫女は母が今でもやっていて、自分は博麗の巫女になっていないはずだ。

 霊夢はキッと目つきを鋭くして、早苗を睨みつけた。

 

「悪いけど、それだけはないわ」

 

 早苗はきょとんとした。

 

「え? 何故ですか?」

 

 霊夢は早苗から中庭の方へ視線を向け、髪の毛をくしゃっと掻いた。

 

「だって母さんは……私が懐夢と同じくらいの歳の時に死んでるもの」

 

 早苗は両手で口を覆った。

 

「そ、そうだったんですか?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「異変に出かけてくるって出て行ったまま。私に技術を教えてくれた師匠によると異変を解決してそのまま死んだらしいわ。……見殺しにされたのよ、その人に」

 

 早苗は「え?」と言った。

 霊夢は早苗の反応を意外に思い、もう一度視線を早苗へ向けた。早苗はこちらを不思議がっているかのような表情を浮かべて、こちらの顔を見ている。霊夢は首を少し傾げ、早苗に声をかけた。

 

「早苗? どうしたのよ」

 

 早苗は表情を変えないまま言い返した。

 

「それって……霊夢さんは霊夢さんのお母様の遺体を見ていないという事でしょうか?」

 

 霊夢は早苗と同じように「え?」と言った。

 

「えぇ見てないわ。教えてもらっただけで、遺体は別なところで火葬されたみたいよ」

 

 早苗は表情を少しだけ険しくした。

 

「こんな事を言うのは何ですが……それは霊夢さんのお母様が生きているという可能性とは結びつきませんか?」

 

 霊夢は思わず目を見開いた。

 実のところ、あの時の女性は母だったのではないかと早苗と話す中で考えた。

 自分は確かにあの時、母は死んだと師匠から聞いた。師匠は嘘を言わない人だったから本当の事だと思った。

 しかし、あの女性の言葉と早苗の意見を聞いてから、ひょっとしたらあの時の師匠の言葉は嘘だったのではないかという疑いが出てきた。今早苗に言われた通り、確かに自分は母が死ぬ瞬間を見ていないし、母の遺体が火葬されたり土葬されたりする瞬間も見ていない。母は自分が見ていないところで死んだのだと師匠に言われて、すっかりその気になっていたが、もしあの時師匠が嘘を吐いていて、今でも母は自分が見ていないところでこっそり生きていて、胸痛に苦しめられる自分の元へやってきたと考えるとあの時女性が母の言葉を口にしたのも納得がいく。

 早苗が言うからには、あれは母である可能性が非常に濃厚だという話だが……。

 

「あの人が……本当に母さんかもしれないって事?」

 

 早苗が頷く。

 

「はい。私としては、そうとしか考えられません。でも、本当なのかって言われると、ちょっと言葉が詰まります」

 

 霊夢は腕組みをした。

 

「そこは仕方がないわね。何にせよ謎だらけな事に変わりはないわ。ほんと、あの人なんだったのかしら」

 

 霊夢は中庭を眺めながら、あの時の女性がもし本当に母だったならと考えた。

 もし母にもう一度会えたなら、母は、博麗の巫女となってこの幻想郷を守っている自分の事を見てどう思うだろうか。ここ十年で変化した幻想郷の情勢を、養子となった懐夢を見てどう思うのだろうか。

 よくできてるじゃないと言って褒めてくれるのかな。それとも全然駄目じゃないと言って失望してしまうのかな。一緒に暮らそうって言ったら、また一緒に暮らしてくれるのかな。それとも駄目っていうのかな。

 

「あの、霊夢さん?」

 

 早苗の声で、霊夢はハッと我に返り、早苗の方へ視線を戻した。

 

「な、なに?」

 

「どうしたんですか? 中庭を見てぼーっとしちゃって……」

 

 霊夢はまた髪の毛をくしゃっと掻いた。

 

「ちょっと考え事をしてただけよ。あんたが『神獣(あれ)』の事を考えて空をぼーっと見つめている時みたいにね」

 

 直後、霊夢はある事を思い出した。そういえば、早苗と神獣はどうなったのだろうか。神獣はこの前の大宴会の時、荷車を咥えて博麗神社に食材などを運び込んで、準備を進める皆の手助けをしたと早苗から聞いた。それに、早苗が神獣と再会した時にも、これからは守矢神社に現れると言っていたと早苗は言っていた。早苗はその後、神獣と会っているのだろうか。ちょっと聞いてみたい……。

 

「そういえば早苗、あんた、あれから神獣と会った? あんたの話だと、守矢神社に現れるみたいな話だったけど……」

 

 早苗は肩を落として俯いた後、首を横に振った。

 

「いいえ。実のところ、あの大宴会の準備の時から、神獣様とはお会いしておりません」

 

 霊夢は驚いた。

 

「どういう事よ。神獣、あんたに会いに来るって話じゃなかったの?」

 

 早苗は頷いた。

 

「確かにあの時、そう言ったように感じ取ったのですが……」

 

 霊夢は腕組みをして、顔を顰めた。

 

「まさか、あんたを騙したとか?」

 

 早苗はかっと顔を上げて、怒鳴った。

 

「そんな事ないッ!!」

 

 早苗の声の激しさに霊夢は驚き、姿勢を崩した。

 早苗は霊夢の目を見て、怒鳴るように言った。

 

「神獣様は私に一度も嘘を吐いてません! 約束は必ず守る方でした! だから、あれが嘘だなんて私は思いません!!」

 

 霊夢は早苗の鬼気迫る様子に少し慄きながら、早苗に尋ねた。

 

「な、なんでそんなに断言できるのよ」

 

 早苗は霊夢から視線を逸らして、呟くように言った。

 

「わかりますよ……八年も一緒にいて、家族のように接していればその人がどんな人なのかくらい……」

 

 早苗はもう一度呟いた。

 

「だから……神獣様が嘘を吐くなんて事は、ありません……」

 

 霊夢は早苗を見たまま視線を下げて、小さく呟いた。

 

「……ごめん」

 

 二人はそのまま黙った。しかし、すぐに霊夢が顔を上げて早苗にもう一度声をかけた。

 

「そういえば、ずっと聞きそびれてたけど……」

 

 早苗は視線を霊夢の元へ戻し、霊夢と目を合わせた。

 

「え?」

 

「あんた……さっき大変とか言ってたみたいだけど、私に何の用があってここに来たの?」

 

 その瞬間、早苗は顔を真っ青にして叫び声に等しき声を上げた。

 霊夢は突然の事に吃驚して、思わず耳を塞いだ。やがて早苗の声が止むと霊夢は顰め面をして声をかけた。

 

「な、何なのよ!」

 

 早苗は焦り、頭を抱えて下を向いた。

 

「私ったら、霊夢さんと話をしてる暇なんかなかったのに悠長に話なんかしてッ……!!」

 

 霊夢は首を傾げた。早苗は頭を抱えながら冷や汗を垂らすくらいに焦っている。これほどまでに焦っている早苗を見たのは意外と初めてかもしれない。

 

「さ、早苗? 何があったのよ?」

 

 早苗は頭を抱えるのをやめてかっと顔を上げ、事情を霊夢に話した。

 何でも、八俣遠呂智の異変の時とは全く違う未確認の妖怪が突然西の町の近隣に出現し、町へ進撃を開始したらしい。この事には早苗達や妖怪の山の妖怪達よりも先に西の町の防衛隊が気付き、町へ入り込ませまいと未確認の妖怪に向けて攻撃を開始したそうだ。しかし、防衛隊の者達の攻撃は未確認妖怪にはほとんど通用せず、未確認妖怪の攻撃は防衛隊に深刻な損害を与えた。結果防衛隊は撤退を余儀なくされ、未確認妖怪は町への進撃を再開した。しかし、この騒ぎに気付いた守矢神社の神奈子、諏訪子、早苗が町を守るために戦い、撤退を余儀なくされた防衛隊と交代する形で未確認妖怪との戦闘を開始。八俣遠呂智の異変の時に現れた、八俣遠呂智の眷属達との戦いの時と同じように攻撃をしていたが、未確認妖怪は神である神奈子、諏訪子の力にも全く動じなかった。やがて未確認妖怪は三人に激しい攻撃を仕掛け、攻撃に当てられた三人はすぐさま追い詰められた。そこで神奈子は早苗に、「妖怪退治の専門業者である霊夢にこの事を知らせ、この未確認妖怪の討伐戦に参戦してくれるよう頼め」と指示を下した。早苗はそれを承り、未確認妖怪の隙を見てその場を離脱。博麗神社にやってきて、今に至るという。

 

「なんですって? また未確認妖怪が現れた?」

 

 早苗は頷いた。

 

「そうなんです! しかも、神である神奈子様と諏訪子様を追い詰めるくらいに、強いんです!」

 

 霊夢は瞬時に考えた。未確認妖怪と言えば、八俣遠呂智の持つ暴妖魔素から生み出された八俣遠呂智の眷属の事だ。しかし、彼らの身体を構成している暴妖魔素は八俣遠呂智が生産、制御していたので、八俣遠呂智が死んで暴妖魔素が幻想郷から排除された今となっては現れる事はない。だが、それとは違う未確認妖怪が現れたという早苗の話が本当なのであれば、『八俣遠呂智ではない新たな脅威』がこの幻想郷に再度現れたかもしれないという事になる。しかもそいつに神奈子と諏訪子が、早苗がここに来る前から追い詰められているのなら、今二人はもっと追い詰められている可能性が大きい。

 霊夢は考えを纏めると立ち上がり、早苗に声をかけた。

 

「そいつは見過ごすわけにはいかないわね。また幻想郷を脅かす存在が現れたのであれば、排除しなければならないわ」

 

 霊夢に続いて早苗が立ち上がる。

 

「そうですよ! というか、早く神奈子様と諏訪子様を助けに行かないと! あぁもうなんでこんなにのんびり話してたんだろう!!」

 

 焦る早苗に霊夢は噛み付くように言った。

 

「多分私が倒れててその原因とかを話してたせいだろうけど、まぁいいわ! さっさと行くわよ!」

 

 霊夢は早苗を連れてさっと居間を出ると玄関で靴を履き、やがて神社の境内へ出ると足に力を込めて地面を蹴り上げてそのまま空へ飛び上がり、早苗に道案内されながら未確認妖怪の現れた場所へ飛んだ。

 

 

            *

 

 

 すっかり晴れ渡った幻想郷の文月の空をしばらく飛んでいると、早苗が急停止し、「あれです!」と言って下方を指差した。視線を向けてみると、そこには傷だらけになりながらゆらゆらと低空飛行をしている神奈子と諏訪子、二人と同じように低空飛行をしている黒い身体の獣のような妖怪の姿が見えた。早苗は傷だらけの二人の神に顔を蒼白とさせたが霊夢は妖怪の方に目を向けた。

 

(本当に見た事のない妖怪だわ……!)

 

 大きさは人よりも一回り大きく、虎のような容姿(かたち)をしているが、色は墨のように黒く、ところどころに赤と紫色で構成された禍々しく刺々しい模様が入っている。しかも腕や足からは刃のような紅い羽のようなものが生えており、胴体からも似たような羽が上に向かって二つ生えている。あのような姿の妖怪など見た事がないし、八俣遠呂智の異変の時にも見る事はなかった。

 

「あれが未確認妖怪か……!」

 

 霊夢が呟いた直後、早苗は急降下して神奈子と諏訪子の元へ向かった。霊夢は早苗がいきなり急降下した事に驚き、静止の声をかけたが早苗には届かず、仕方なく後を追って同じように急降下し、三人の元へ急いだ。 

 やがて三人の近くに辿り着くと、霊夢は神奈子と諏訪子の状態が自分の予想を超えるほど深刻であった事に慄いた。二人の身体はどこもかしこも傷だらけで、呼吸は荒く、服は血で赤黒く染まり、ずたずたになっているうえに足からぽたぽたと血が垂れている。更に神奈子は血が入って開けられなくなってしまったのか、右目が閉じられて、その周囲が真っ赤に染まっていた。一方諏訪子はいつもの帽子が取れて頭から顎にかけて血が何本も垂れており、毛の先を真っ赤に濡らしていた。そんな二人を見て、早苗は顔を真っ青にして狂ったように何度も二人の名前を呼んでいた。

 かつて異変を起こし、自分に勝負を挑んできた神がここまで追い詰められ、無残な姿にされている事が霊夢は信じられなかったが、「こんなの信じられない」と思うよりも先に身体が動き、傷だらけの二人へ近付いた。

 

「あ、あんた達!」

 

 霊夢の声に神奈子と諏訪子は振り向き、目の中に霊夢の姿を映すと、神奈子がはっと笑った。

 

「ようやく来やがったのか。遅いのにも程があるぞ霊夢」

 

 霊夢は「ごめん」と一言謝ると素早く懐から札を数枚取り出し、素早く二人の身体に貼り付けた。その際に札が傷口に触れたのか、二人は呻いたが霊夢は気にせずに「活!」と唱えた。次の瞬間、札は柔らかい光へと姿を変えて二人の身体に吸い込まれるようにして消え、二人の傷口を塞ぎ、血を落とした。

 痛みが引いた事に安堵したのか、二人は溜息を吐き、そのうちの諏訪子が呟いた。

 

「あ、意外と効くねこれ」

 

 霊夢が呆れたように言い返す。

 

「意外は余計よ。それよりも、一体どうしたっていうのよ。二人してこんな怪我して……」

 

「見てのとおりさ。あの妖怪にやられたんだよ」

 

 神奈子に言われて、霊夢は目の前にいる妖怪の姿をもう一度目の中に入れた。

 黒い虎のような禍々しい姿をした未確認妖怪は、こちらの様子を伺っているのか、じっとこっちを睨んで恫喝のうなり声を上げている。だが、こちらを獲物と見なしているのだけは確実なようだ。

 

「なるほど、新種の未確認妖怪か……」

 

 霊夢が呟くと、諏訪子が少し焦ったような声を出した。

 

「こいつ、強いよ。すごく強い……!」

 

「そんなの、あんた達の傷を見ればわかるわよ。……だから私をここに呼んだんでしょ?」

 

 霊夢が札と陰陽玉を出現させて身構えると、神奈子は頷き、同じように身構えた。

 

「あぁそうだ。こいつを倒すには幻想郷最強であるお前の力が必要らしい。だから、力を貸してくれ」

 

 二人に続いて早苗が大幣を構える。

 

「ここで食い止めないと、町に進まれてどれだけの被害が出されるかわかったものではありません。ちょっと怖いですが……何とかして止めないと」

 

 諏訪子が両手に鉄輪を持ち、身構える。

 

「さぁて……今までのお返しと行こうじゃないの!」

 

 最後に霊夢が叫ぶように言った。

 

「さぁ……大人しくしなさいッ!!」

 

 それに応えるかのように、黒虎は力強く咆哮し、霊夢達へ襲い掛かった。

 


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