東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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10 夢想天生

 霊夢は八俣遠呂智によって瓦礫の中に埋められる瞬間を見て、呆然としていた仲間達の視線を再び浴びながら、瓦礫の中より復帰した。

 地面を蹴り上げて上空へ舞い上がり、八俣遠呂智と丁度目を合わせられる高さで止まると、八俣遠呂智の火を司る首と目が合った。そこで霊夢は少し意外だと思った。

 今まで自分達を小蟲のように思い、恐れの一つも抱かなかった八俣遠呂智が今、自分と目を合わせて怯えたような表情を浮かべている。あれだけの攻撃を加えたというのに自分が死んでいなかった事が余程予想外だったらしい。

 

「よくもどかどかと隕石降らせてくれたわね。そのお礼、今からやったげるわ!」

 

 霊夢はスペルカードを構えると、カードは瞬く間に光へ変わり、草薙剣に吸い込まれるように消えた。博麗の巫女の持つ調伏の力を受けて草薙剣は新緑色の輝きを宿し、霊夢は輝く草薙剣を叩きつけるように振り下ろした。

 

「神霊「夢想封印」!!」

 

 霊夢の叫びと共に草薙剣に宿っていた光は七色の光を放ついくつもの巨大な光弾となって放たれ、目の前に鎮座する火を司る首に流星の如く飛び、首へ着弾するなり炸裂。光の大爆発を起こし、山のように巨大な火の首を呑み込んだ。爆発はすぐに止んだが、それよりも先に火の首が光の爆発の中から姿を現し、そのまま轟音を立てて近くの山へ倒れ込んだ。

 山のように巨大な蛇が何百倍も小さな人間に倒される光景に、見ていた一同はごくりと唾を飲み込み、仲間を倒された他の蛇達は戸惑いを見せる。

 戸惑う首達を見るなり、霊夢はこれ見逃しとスペルカードを構えて、先程と同じように草薙剣に宿らせると、もう一度思い斬り振り下ろした。

 

「霊符「夢想封印」!!」

 

 霊夢のスペルカードによって草薙剣が宿した光は七色に輝く光弾となって発射され、八俣遠呂智の全ての首の目元へ飛来し、眼球に当たったところで炸裂し、大爆発を起こした。爆発に目を呑み込まれた首達は悲鳴を上げて悶絶し、首を地面や山へ叩きつけたり、のた打ち回ったりした。

 八俣遠呂智の動きが止まった隙を見て霊夢はその場を離脱。呆然と空中で立ち尽くしている魔理沙達の元へ駆けつけた。

 

「みんなッ!」

 

 霊夢の一声に一同はハッと我に返り、やってきた霊夢へ視線を向け、そこで大いに驚いた。

 霊夢の開いていたはずの穴が綺麗さっぱり消えており、霊夢自身も何事もなかったようにしている。だが、八俣遠呂智の攻撃を受けたせいなのか、服がぼろぼろになってしまっていた。

 やがて、紫が霊夢へ声をかけた。

 

「霊夢、無事だったのね……?」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「全然無事じゃなかったわ。お腹に穴は開けられるし骨は折られるし、埋葬されかけるるしで」

 

 早苗が恐る恐る霊夢へ話しかける。

 

「で、でもお腹の穴は塞がってますよ? というか跡一つ残さず完治してます……」

 

 霊夢は草薙剣を一同に見せた。

 

「多分草薙剣(これ)のおかげ。これが私に迫ってきた『死』を斬り払って、私の身体を治してくれた。それに、さっきよりも大きな力が漲ってくるのを感じる。流石、人間が使うべく作られた神器ってところね」

 

 神奈子がえっへんと呟く。

 

「そりゃそうだろう。私達神が作ったものなのだからな」

 

 霊夢は一同を見回した。先程まで四十人近くいたのが、二十人あたりにまで減ってしまっている気がする。

 

「大分少なくなったわね。皆、八俣遠呂智の攻撃に巻き込まれたの?」

 

 魔理沙が頷いた。

 

「そうだよ。アリスを含め、あのメテオにかなりの数が落とされちまったんだ」

 

 霊夢は顔を顰めた。

 あの時アリスが八俣遠呂智の放った熱光弾に当たって撃墜される瞬間を見てはいたが、自分の見ていないところで予想を超える数が熱光弾に撃墜されていたらしい。

 もし誰も撃墜されていなかったのなら勝機はあったのだが、ここまで減らされてしまってはあの蛇の前では火力不足だ。攻撃を仕掛けたところで返り討ちにされてしまう。

 

「この数じゃ、力を合わせてもあいつを倒すのは難しそうね」

 

 輝夜が顰め面をする。

 

「とかなんとか言うけど、あんた今、火の首を圧倒したじゃない。あんな感じで他の首も倒せないの? あんた一人でどうにかなるでしょ?」

 

「ならないわよ。あぁやって攻撃を仕掛けたところで、すぐに復帰する首が現れてそいつに不意を突かれてやられるわ。さっきと同じ状態にさせられるのがオチかも」

 

 霊夢は八俣遠呂智の首を指差す。

 

「それに、今あいつらにぶつけた夢想封印だって目くらまし程度にしかならないわ。それに首にどんなに攻撃を仕掛けたところで、本体がある限りあいつらは何度だって復活する」

 

 妖夢が刀を構え直す。

 

「そこで、紫殿が最初に言った作戦だな。首を封じて本体を滅する」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうよ。それをもう一度やる必要があるのだけれど」

 

 魔理沙が一同を見回し、険しい表情を浮かべた。

 あの時は、四十人近くいたからこそ、八俣遠呂智の首に致命傷を与えて動きを封じ、本体へ攻撃をする事が出来た。だが、今はその八俣遠呂智も暴妖魔素を吸って強化され、仲間達も二十人程度に減ってしまっている。先程と同じ作戦を実行するには困難を極めるだろう。

 

「無理そうだな……さっきはもっといたのに、みんなやられちまった」

 

 霊夢は魔理沙へ顔を向けた。

 

「でも、誰も死んでないんでしょう?」

 

「わからないよ。あれだけの容赦ない攻撃を受けたんだ、死んだ奴もいるかもしれない」

 

 輝夜が永琳に身体を向け、指示を下した。

 

「永琳、みんなこの辺りに墜ちただろうから、生きてる人いるかどうか探して」

 

「わかったわ。ダメもとで、生体反応を探る術を使ってみる」

 

 永琳は目を閉じ、目の前に蒼い光で構成された、不思議な模様が描かれた魔方陣を出現させて、意識を集中させた。そして術を終了して目を開けるなり、永琳は目を見開いた。

 

「……撃墜された人、全員生きてるわ!」

 

 他の一同は驚きの声を上げ、そのうち妹紅が永琳へ尋ねる。

 

「ほ、本当なのか!?」

 

 永琳は頷いた。この辺りの生体反応を探ってみたところ、撃墜された者達から生きているという波動が返ってきたらしい。だが飛び上がってくる様子がないので、気を失ってるか、怪我して飛べなくなってる可能性が高いそうだ。

 それを聞くなり、霊夢はにっと笑みを浮かべた。

 

「なるほど、それなら安心ね。誰も死んでなくてよかった」

 

 慧音が不思議がるような表情を浮かべて、霊夢へ視線を向ける。

 

「どういう事だ?」

 

 霊夢はぐるっとまわり右をして、一同の方へ身体を向け、表情を引き締めた。

 

「みんな、これから八俣遠呂智との最後の戦いに臨む事になるけれど、みんなには気を付けてもらいたい事があるの」

 

 霊夢は目を閉じ、一呼吸置いてから開くと、一同に向けて力強く言った。

 

「あいつの攻撃を、出来る限り受けないように、ううん、あいつからの攻撃を喰らわないで、あいつを倒すよう立ち回ってもらいたいの。私はこれから、全ての回復札を使うわ」

 

 早苗が焦ったように言う。

 

「か、回復札を全部使うって……」

 

 魔理沙が続く。

 

「何に使うんだよ? 第一、お前の回復札がなくなったら私達の回復の手段はほぼなくなったと同然になるぞ?」

 

 パチュリーが腕組みをする。

 

「私も回復術を使えるけれど、貴方の使う回復札よりも効果は低いわ」

 

 永琳が顰め面をする。

 

「私も使えるけれど……でもこれだけの人数にかけれるほどの余裕はないわ。やっぱり貴方もいないと」

 

 霊夢が呆れたような表情を浮かべて、溜息を吐く。

 

「だから言ってんじゃないの。八俣遠呂智からの攻撃を受けないように立ち回れって」

 

 幽々子が物事が上手く解せないような表情を顔に浮かべ、霊夢へ目を向ける。

 

「というか、そもそも貴方はこれから何をするつもりなの?」

 

 霊夢は得意そうににっと笑うと、ぼろぼろになった懐から回復に使う札を全て取出し、ばっと扇のように広げた。

 

「こうするのよ」

 

 霊夢はすぅっと息を吸って目を閉じ、精神を集中させた。直後、霊夢の持っていた札は瞬く間に柔らかい光となり、草薙剣へ吸い込まれた。草薙剣は先程の激しい閃光とは違う柔らかい光を刀身に宿し、霊夢は目を閉じたまま草薙剣を両手で握った。

 そしてかっと目を開くと同時に草薙剣をぐおんっと振り回した。

 

「活ッ!! !」

 

 草薙剣に宿っていた光は刀身が振り回されるのと同時に辺り一面にばらまかれた。

 解き放たれた光はゆらゆらと雪のように一帯に降り注ぎ、地面や倒れた者達の身体へ近付くと、そこへ吸い込まれるようにして消えた。辺り一面が柔らかい光に包まれて、一同は戸惑いながらきょろきょろと見回した。

 やがて、慧音が呟く。

 

「な、何をしたのだ霊夢は」

 

 その中、妹紅が慧音へ声をかけた。

 

「慧音、傷が治ってる」

 

 慧音は自分の身体を見た。先程まで八俣遠呂智の攻撃の断片を受けて傷だらけになっていたのだが、いつの間にか傷が全て消えている。どういう事だと思い、妹紅の身体へ視線を向けたその時、霊夢の放った柔らかい光がゆらゆらと漂ってきて、妹紅の身体へ吸い込まれるようにして消えた。直後、妹紅の身体の傷が瞬く間に塞がったのを見て、傷が消えた理由を悟った。

 

「なるほど、回復札を全部使って、ここら一面に回復術を放ったのだ。だけど、それにしてはやりすぎているような……」

 

 直後、下の方から声が聞こえてきた。

 

「先生ー!」

 

 慧音はきょとんとして、声の聞こえてきた方へ視線を向けた。そこには先程八俣遠呂智の攻撃を受けて撃墜されたチルノ達、チルノ達を庇おうと被弾して撃墜された幽香の姿があり、こちらに向かって飛んできていた。しかも身体の全ての傷がなくなっていて、八俣遠呂智の攻撃を受けたとは思えないほど元気そうにしている。

 そんな学童達との姿を見て、慧音は思わず声を上げた。

 

「お前達!」

 

 チルノ達はすぐに慧音達と同じ位置まで登ってきた。

 慧音はチルノ達の傍に寄り、声をかけた。

 

「無事だったのだな」

 

 慧音の問いかけにはリグルが答えた。何でも、八俣遠呂智の熱光弾を受けて気を失っていたそうだが、突然目が覚めて、身体を見てみたところ傷がなくなっていて、重かった身体も泡のように軽くなっていたので戻ってきたという。更に、戦闘も続行可能だそうだ。

 それを聞いて、慧音は霊夢の行動がようやく解せた。霊夢は今戦える者達だけではなく、倒れた者達も回復させ、この場に復帰させるために全ての回復札を使い、術を放ったのだ。周りを見てみれば、熱光弾にやられて落とされた者達が続々と復帰して生き残った一同と合流し、いつの間にか、元のメンバーに戻っていた。

 慧音はふっと笑みを浮かべた。

 

「ここまで大きな回復術を使うなんて、すごいじゃないか霊夢」

 

 撃墜された者達が続々と合流してくる光景は紫の目にも移り、紫は思わず唖然としてしまった。

 

「まさか、ここまで大きな回復術を放つ事が出来るなんて……」

 

「これも、博麗の巫女の力というものでしょうね。もっとも、草薙剣による強化も入っているでしょうけれど」

 

 考え込もうとした直後に背後から声が聞こえてきて、紫は思わず振り返った。

 そこには、八俣遠呂智の攻撃を受けて撃墜された藍と橙の姿があり、藍は顔に微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 いつの間にか復帰している二人の姿を見て、紫は小さく呟いた。

 

「藍、橙」

 

 藍は紫の元へ寄り、小さな声で言った。

 

「色々思うところはあるでしょうけれど、それはこの戦いが終わってから考える事にしませんか?」

 

 紫は一瞬きょとんとして、すぐに顔に微笑み浮かべた。

 

「それもそうね……今は八俣遠呂智の討伐に全力を尽くさなきゃいけなかったわね」

 

 紫は表情を引き締め、霊夢の方へ身体を向けると、思い斬り声を上げた。

 

「霊夢! 落とされた人達は無事に戻ってきたわ! 今ならもう一度、作戦を実行できるわよ!」

 

 霊夢は紫へ視線を向け、その険しい表情を一瞬目に映すと、すぐに一同へ視線を戻し、大きな声で叫ぶように伝えた。

 

「皆! 今度こそあの蟒蛇を倒すわよ!!」

 

 霊夢は作戦を一同に説明した。

 八俣遠呂智はあのような巨体になり、生半可な攻撃など通用しなくなった。普通の弾幕や並大抵のスペルカードを撃ち込んだところで、首を拘束するどころか、傷一つ付ける事さえできないだろう。

 では、どうすればいいのかというと本体の攻撃に成功した時に仕掛けた方法である、首に一斉に最大出力のスペルカードを放って八俣遠呂智の首の動きを止める戦法を使う。

 一同が一斉にスペルカードを放って首を拘束したに等しくなったところで霊夢が草薙剣で首を全て斬り落とす。全ての首が落ちたところで本体は首の再生を始めるだろうが、首が再生しきる前に霊夢が本体へ辿り着き、最大出力のスペルカードを放つ。そこで、完全に八俣遠呂智を仕留める。

 霊夢の説明はここで終わり、すぐ後に魔理沙が尋ねた。

 

「さっきと同じやり方か。だけど、そんなの上手くいくのか?」

 

 妖夢が続く。

 

「それに首を斬り落とすと言ったって、そんな事が出来るのか?」

 

 さとりが腕組みをする。

 

「あの蛇だってその戦法で一度破れています。同じ手が通じるとは思えないのですが」

 

 続々と問いかけが一同から起こると、霊夢は怒鳴った。

 

「そんな事わかりきってるわよ!!」

 

 あまりの声の激しさに一同は背筋をびくんと言わせた。

 霊夢は俯いて、静かな声で続けた。

 

「だけどね……もうここにいる人達しか八俣遠呂智を倒す事は出来ないの。出来る戦法はもう出し尽くしたわ。いいえ、戦法はまだあるかもしれないけれど、もう何をしたところであんな強力になったあいつには効かないでしょう。私達に残された最後の方法は、あいつに私達の全てをぶつけるだけよ」

 

 霊夢は力強く言い放った。

 

「出来る出来ないじゃないの。やるしかないのよ」

 

 霊夢の言葉に一同は息を呑んだ。

 辺りを重い沈黙が覆う中、魔理沙がその沈黙を打ち砕いた。

 

「霊夢の言う通りだな。もうあいつにこれ以上の作戦が通用するなんて思えない」

 

 早苗が頷く。

 

「ですね。もう私達の全てをぶつける以外、方法が思いつきません」

 

 紫が続く。

 

「そうじゃないわ。私達の全てを一つにしてぶつけるのよ。そうすれば、進化を遂げた八俣遠呂智だってただでは済まない。私の叡智でもこれ以外の方法は思いつかないわ」

 

 慧音が溜息を吐き、苦笑する。

 

「最後の作戦は力押しという事か。全く笑わせるが、やらせてもらおうじゃないか」

 

 慧音を皮斬りに続々と作戦に乗る声が上がり、やがて全員が霊夢の作戦に乗る事を表明した。

 それとほぼ同時に八俣遠呂智が復帰し、上空へ集まった一同へ視線を向けて咆哮、上空に向けて熱光弾の元となる粒子を放出した。それに気付いた一同は咄嗟に八俣遠呂智の方へ身体を向けて交戦体勢をとったが、それとほぼ同時に雲の上から熱光弾が飛来してきた。

 しかし、熱光弾が一同の元へ届く前に霊夢が指示を下した。

 

「みんな! 散らばって! 首にラストワードを撃ち込んで!!」

 

 霊夢の掛け声と共に一同は散開し降り注いできた熱光弾の雨を回避。四から五人からなる組になって八本の巨大な首の元へ向かい、対峙した。ほぼ同時にそれぞれの首は熱光弾の豪雨と光、闇、雷、火炎、冷気、水流などといったそれぞれが司るものを巨大な渦のような形にして放出し、立ち向かってきた者達を薙ぎ払おうとした。

 一同は八俣遠呂智より放たれる攻撃の全てを霊夢の指示通りに回避しながら力を溜め込み、十分に溜め込んだところで一斉に最大出力のラストワードを放った。

 かつてこの幻想郷で異変を起こした者達の口から最後のスペルカードの名が叫ばれた直後に、辺り一帯を熱線、熱弾、光弾、レーザー光線、斬撃の暴風雨が包み込み、熱光弾の豪雨に負けじと言わんばかりに吹き荒れて、山の如く巨大な蟒蛇とその本体である発光する蒼水晶を悉く呑み込んだ。

 絶えず放たれる熱弾と光弾の暴風雨に邪魔されて、蟒蛇は自身を護り敵を殲滅する熱光弾の豪雨を発生させるべく放出していた粒子と爆炎や水流を放射するのをやめ、口を閉じた。

 一同の目的はその時点で果たされたが、それでも尚熱弾や光弾の暴風雨は吹き止まず、蟒蛇の角をへし折り、鱗を爆散させて甲殻を割り、閉じた口を無理矢理開かせた。まるで流星群のように空を飛び交う無数の熱弾と光弾は、逃さんと言わんばかりに開いた蟒蛇の口の中へ入り込み、炸裂。口の中に走った猛烈な衝撃と痛みに山のような巨体を持つ蟒蛇は悲鳴を上げ、その動きを止めた。

 

 その時、八俣遠呂智の視線から離れた場所で首の動きが止まるのを待っていた霊夢は目を光らせた。

 止まった。八俣遠呂智の全ての首の動きが、一同の攻撃によって拘束されたも当然の状態になった。

 

「今だ!」

 

 霊夢は目を閉じ、自身のラストワードにして最高の奥義であるスペルカードを目の前に突き出して、光に変えると他のスペルカードと同じように草薙剣へ吸い込ませた。

 直後、草薙剣は猛烈な閃光を放ち始め、それとほぼ同時に、霊夢の周囲に七つ、陰陽玉の形をした光の玉が姿を露わし、それらはまるで円を描くように霊夢の周囲を回り始めた。

 やがて霊夢がかっと目を開くと、霊夢の身体は突如として強い光に包まれ、まるでシルエットのようになった。そして光が止むと、霊夢の身体はまるで硝子になったかのように半透明になり、その背中からは先程身体を包み込んだ光がオーラのように絶えずゆらゆらと揺れている。

 霊夢は辺りを見回した。

 先程よりも音が静かに聞こえ、度重なる爆発によって吹き荒れていた風も感じない。

 だが周りを見渡すと、まるで視力が規格外の数値に行ってしまったかのように、遠くにあるものもぼやけずにはっきり見えた。ここからでは米粒のような大きさで、普通はぼやけてしまう八俣遠呂智の首の目も、首と戦う皆の姿も、八俣遠呂智の本体の中に閉じ込められている懐夢の姿もはっきり見える。

 

「さぁ行くわよ……」

 

 霊夢は大きく深呼吸をすると八俣遠呂智へ狙いを定め、足に力を込めて空気の壁を蹴るように急加速。八俣遠呂智へ突撃した。

 霊夢が粗方八俣遠呂智に接近すると、八俣遠呂智は敵の接近に気付いたのか、それまで相手にしていた一同を無視し、くるりと首を迫り来る霊夢の方へ向け、上空に粒子を放出。粒子は無数の熱光弾となって飛ぶ霊夢の元へ嵐のように降り注いだ。

 しかし、熱光弾は霊夢の身体に直撃しても爆発せず、そのまますり抜けて地面へ落下、地面に着弾したところでようやく爆発した。その後次々と霊夢の身体に熱光弾が襲い掛かったが、どれも霊夢に当たる事なくすり抜けて地面へ落ち、霊夢は無傷のまま突き進んだ。

 八匹の蟒蛇が激怒し、更なる熱光弾の雨を降らせる中、霊夢は草薙剣を両手で持ち、壁を蹴るようにして更に加速。夜空を斬り裂いて泳ぐ彗星のように飛翔し火を司る首を目指した。

 ぐんと火の首との距離を縮めたところで目を凝らした。目に飛び込んでくる映像は非常にゆっくりに見えて、火の首の様子を丸々観察する余裕さえもあった。その時、霊夢は火の首を覆う甲殻が砕けている部分を見つけた。仲間達の集中攻撃を受けて砕かれたのだろう。

 霊夢は甲殻の砕けている部分に狙いを定めると、即座に方向転換し、その部分目掛けて突撃した。

 ぐんっと距離が縮まり、やがて激突する寸前のところで、霊夢は草薙剣に力を込めて思い斬り振るい、甲殻が砕けた場所を斬り裂いた後、火の首から離れた。直後、火の首の頭がずばっという音と共に大量の血を噴出しながら轟音を立てて地面へもげ落ち、地面を赤黒く染め上げた。

 同時に霊夢の周りを飛ぶ陰陽玉のうち一つがその光を激しくさせ、霊夢は火の首が沈黙した事を確認すると、そのまま流れるように風の首を狙って飛び、火の首と同じように甲殻の薄い部分を斬り裂き、頭を斬り落とした。

 八俣遠呂智の首を斬り裂く際、刃が肉を斬り裂く嫌な手応えを感じたが、霊夢は気にせずに飛び回り、次々と首を斬り落としながら、口の中で何度も懐夢の名を呟いた。

 

「懐夢……懐夢、懐夢、懐夢、懐夢」

 

 懐夢と出会った時の驚き、懐夢が博麗神社に住む事になった時の驚きと嬉しさ、懐夢と一緒にいるという楽しさ、懐夢と一緒に食べた料理の美味しさ、懐夢と一緒に寝た時の愛おしさと暖かさなどといった懐夢と一緒に送った日々の事は頭の中に浮かび上がり、涙が溢れ出てきて、鋭くなっていた視覚が若干ぼやけてきた。しかし霊夢は袖で涙を拭う事なく飛び続け、懐夢との思い出を思い出しながら、仲間達の攻撃によって弱った蟒蛇の頭を斬り落とし続けた。そして気付いた時には首は一本を残して全て斬り落とされて地面へ倒れ込んでおり、自分の周囲を回る陰陽玉も、全てが強い光を纏っている状態になっていた。

 

「いける!」

 

 霊夢はぐるんっと方向転換すると本体へ狙いを定め一気に加速。本体目掛けて、まるで八俣遠呂智が降らせる熱光弾の如く突撃した。

 流星の如く空を駆け、本体への距離が一気に縮まっていく最中、霊夢の目の前に生き残った首が躍り出て立ち塞がった。

 霊夢は気にせずに加速し続けたが、首は口内より閃光の渦を放射して霊夢の身体を吹き飛ばそうとした。しかし硝子のように半透明となった霊夢の身体に、閃光の渦は当たる事なくすり抜けて行き、霊夢は閃光の渦の中で草薙剣を構えて更に加速し、叫んだ。

 

「邪魔を、するなぁぁぁぁぁぁぁぁッ!! !」

 

 霊夢の叫び声が辺りに木霊するより先に草薙剣の刃は首の口腔へ突き刺さったが、霊夢はそのまま加速を続け、首を巻き込んだまま本体へ突撃した。

 山のように巨大な首を高速で引きずりながら本体と距離を詰め、やがてがきんっという刃が硬い何かにぶつかって、その中へ入り込んだような音と手応えを感じ、霊夢は本体に辿り着いた事を察した。

 

(着いた……!)

 

 霊夢は思い切り力を込めて、先程よりも深く八俣遠呂智の本体の内部へ草薙剣を食い込ませた。

 本体は断末魔を上げるかのごとく激しい閃光を放ち、霊夢の目を焼こうとしたが、霊夢は目を覆う事もせず草薙剣を両手で握り、自分の持つ全ての霊力、神通力を草薙剣へ流し込んだ。霊夢の力を受けて草薙剣がより強い閃光を放ち、本体も苦悶の声を上げるのごとく激しい閃光を放つ。

 ようやく終わる。長きに渡って幻想郷を襲い続けた異変の元凶が、大昔の魔神が死に絶える。そして、あの子との生活を、取り戻す事が出来る。あの子を基に復活して、あの子を身体に閉じ込めた忌々しい魔神から、あの子を助け出す事が出来る。

 

「私の……私の懐夢(おとうと)を……」

 

 草薙剣への注入が終了した。

 草薙剣から放たれる、目が眩んでしまいそうになるくらいの閃光に包まれながら、霊夢は叫んだ。

 

「返せぇッ!!」

 

 霊夢はより深く草薙剣を本体へ突き刺した。断末魔を上げるかの如く本体が今まで発した事がないくらいに激しい閃光を放つ。

 草薙剣とそれが突き刺さっている巨大な水晶より放たれる、何もかもが真っ白に染まるくらいの閃光に呑み込まれながら、ラストワードを叫んだ。

 

「……夢想天生」

 

 霊夢の宣言した瞬間、霊夢の身体とその手に握られる草薙剣に注ぎ込まれていた博麗の巫女が元来持つ霊力、神通力、調伏の力が閃光と共に放出され、魔を滅する大爆発が発生。上空を覆っていた暗雲を一つ残らず吹き飛ばし、忌々しい魔神の心臓を、一匹だけ残った蟒蛇を、悉く呑み込んだ。

 

           *

 

 霊夢が八俣遠呂智の首を次々と斬り落とし、やがて本体へ突っ込んだ光景はそれまで首と戦っていた者達の目にも映っていた。

 そして、霊夢が本体へ突っ込んだその十数秒後に、霊夢を中心に光の大爆発が発生し、目を焼くような閃光を放たれた。一同は霊夢が無事かどうか見続けたかったが、たまらず目を覆い、八俣遠呂智から目を逸らした。

 猛烈な閃光は目を覆っていても感じるくらいで、とても長い間辺りを真っ白に染め続けた。

 やがて閃光が弱まり、完全に消えると、一同は目を覆うのをやめて八俣遠呂智の方へ再度視線を向けたが、そこで大いに驚いた。

 先程まで鎮座していた巨大な水晶が、そこから生えるようにして動いていた蟒蛇が、いつの間にか消えてなくなっている。辺りを見回しても、傷だらけにされた山が広がっているだけで、あの八俣遠呂智の姿はどこにもなかった。そして、先程まで八俣遠呂智が暴れ狂っていたのが嘘のように穏やかに風が吹き、辺りは森閑と静まり返っていた。

 魔理沙がきょとんとした表情を浮かべた。

 

「……や、やったのか?」

 

 輝夜の「永琳」という声掛けが来る前に、永琳は咄嗟に、魔力の波を観測する術を周囲に向けて放った。それも、まるでこの幻想郷に存在するすべてを観測するかのような、これまでやってきたものよりも広範囲かつ精密な術だ。

 永琳はしばらく術を使い続けたが、やがて終えると、さぞ驚いたような表情を顔に浮かべ、ぽつりと呟いた。

 

「八俣遠呂智及び暴妖魔素……完全消滅。幻想郷のどこを探しても、暴妖魔素は存在しないわ」

 

 永琳の言葉に一同は一斉に注目を集めた。

 鈴仙がさぞ驚いたように永琳へ声をかける。

 

「ど、どういう事ですか? 暴妖魔素が消えてるなんて……」

 

「そのままよ。今まで存在してた八俣遠呂智と暴妖魔素が、全部消えてなくなってるのよ」

 

 魔理沙がきょとんとした表情で呟く。

 

「という事は……八俣遠呂智が倒されたって事か?」

 

 アリスが続く。

 

「というよりも、完全に消滅したってところじゃないかしら……」

 

 一同があまりに突然の事にきょとんとしていると、早苗がある事を思い出して声を上げた。

 

「そ、そうだ、霊夢さんは!?」

 

 その言葉に一同ははっとした。そういえば、八俣遠呂智は消滅したが、それに立ち向かっていった霊夢の姿が見当たらない。それに、八俣遠呂智に呑み込まれていた懐夢もだ。

 一同は辺りを再度見回し、二人がいないかどうか、地面、山の斜面、木の間などを隈なく探した。その時、文が声を上げた。

 

「居ました! あそこに、霊夢さんが!」

 

 文はかつて八俣遠呂智の本体が鎮座していた場所を指差した。

 一同揃ってそこへ視線を向けると、そこに霊夢の姿があった。だが霊夢は地面にうつぶせになって倒れていて、全く動く気配を見せていなかった。

 

「霊夢ッ!」

 

 魔理沙を先頭に一同は霊夢の元へ駆けつけた。そして地面へ着地すると、魔理沙と早苗と慧音が一番に霊夢の元へ辿り着き、そのうち魔理沙が霊夢の身体を抱き上げて、ゆすった。

 

「霊夢! 霊夢しっかりしろ!!」

 

 霊夢の身体に傷は見られなかった。しかし、激しい突風か衝撃波にでも晒されてしまっていたのか、服がこれまで以上にぼろぼろになっていて、髪型をポニーテールにしているリボンが外れて、髪の毛が解かれていた。だがそれ以前に、霊夢は上空で見た時と同じように、動く気配を見せなかった。目も口も閉じられていて、動かない。

 早苗は霊夢へ声をかけた。

 

「霊夢さん! 霊夢さん!!」

 

 その時、霊夢の口が少し開き、声が少し漏れた。

 慧音が早苗や魔理沙と同じように声をかけると、霊夢はゆっくりと瞼を開いて、きょろきょろと辺りを見回した。やがて魔理沙達を目に入ると、小さな声で皆の名を呼んだ。

 

「魔理沙……早苗……慧音……」

 

 霊夢の声に霊夢の近くにいる者、他の一同は安堵の溜息を吐いた。あまりに動かなくなっていたものだから、てっきり死んでしまったのではないかと思われたが、そうではなかったのだ。

 霊夢はゆっくりと身体を起こし、頭を片手で抱えた。

 

「なにが……どうなったの……?」

 

 慧音が答えた。

 

「お前は勝ったんだよ。八俣遠呂智は、この世から永久に消滅した。

 幻想郷は、守られたんだ」

 

 霊夢は「あぁ」と言って頭をくしゃくしゃと掻いた。

 

「勝ったのか私……どうりで身体の中の霊力とかがすっからかんになってるわけだわ」

 

 その時、霊夢ははっとした。

 八俣遠呂智は消滅した。だが、呑み込まれていた懐夢はどうなったのだろう。

 霊夢は少し慌てて、辺りを見回した。

 

「そうだ……懐夢は? 懐夢は今どこに?」

 

 霊夢に加わって、一同も辺りを見回した。

 辺り一面、傷だらけになった地面が広がっているだけで、懐夢らしき人影は見当たらなかった。

 一同が少し焦りを覚える中、紫が肩を落として、悲しげな表情を浮かべた。

 

「……残念だけど……懐夢は八俣遠呂智と一緒に」

 

「ん? あれはなんだ?」

 

 藍に途中で割り込まれて、紫は驚いて言葉を止めた。

 隣を見ると藍がある一角を指差していて、一同の注目がそこに集まっていた。

 他の者達と同じように藍の指差す先を見てみたところ、そこで黒髪の裸ん坊の男の子が霊夢と同じように地面にうつ伏せになって倒れ込んでいた。

 見た事のない男の子が倒れているのを不思議がったのか、慧音が最初に口を開いた。

 

「なんだ? あの少年は」

 

 その時、霊夢はさっと立ち上がり、驚く一同を無視しながら男の子の元へ駆けた。

 男の子の傍まで行くと、男の子の身体を抱き上げて、顔をこちらに向かせた。

 男の子の顔は、血の気が抜けているように真っ白で、先程の霊夢と同じように目と口を閉じていた。しかし、霊夢は男の子の顔を一目見ただけでこの子が懐夢である事を理解した。

 何故なら懐夢は、本当は髪の毛が黒にものすごく近い茶色の子なのだから。

 

「懐夢……懐夢!」

 

 霊夢は懐夢の身体をゆすった。懐夢の身体は雪のように冷たくなっていて、生気を感じさせなかった。

 何より、霊夢がどんなに声をかけて揺すっても、それに答える気配を見せなかった。――まるで、初めて懐夢と出会った時のようだった。

 

「懐夢、懐夢!」

 

 もし自分があの時の自分だったら、何も思わなかっただろう。ただ目の前に一人の男の子の遺体が転がっているだけだと思って、火葬でも土葬でも街の人にしてもらったところだろう。何の感情も抱かずに。

 

「懐夢、懐夢、懐夢、懐夢ッ!!」

 

 今は、懐夢がこうして起きない事が恐ろしい。身体を揺すって、返事が返ってこないことを確認する度に心の中に恐怖という水が湧いて出てきて、胸の中でどんどんと脈打つ心臓が上に上がって、だんだんと口元に近付いてきているような錯覚すら覚える。

 そして瞬く間に恐怖の水は心の中でいっぱいになり、それは大粒の涙となって瞳から溢れ出てきた。

 

 ようやく異変が終わったのに。

 

 ようやく八俣遠呂智が死んだのに。

 

 取り込まれた懐夢が、ようやく出てこれたのに。

 

 また一緒に暮らせるかもしれないのに。

 

「懐夢……懐夢、懐夢……」

 

 お願いだから。

 

 お願いだから、どうか……。

 

「目を……目を開けて……懐夢……目を開けて……」

 

 心の中で必死に祈り、雪のように冷たくて動かない懐夢の身体を、霊夢は強く抱きしめた。

 その時だった。

 

「……くるしい」

 

 霊夢はきょとんとして、懐夢の身体を目の前に持ってきた。

 今、懐夢が言葉を発した気がする。自分の胸の中で、何か言った気がする。

 気になって、霊夢はもう一度懐夢に声をかけた。

 

「……懐夢?」

 

 直後、懐夢は口から小さな声を漏らすと、ゆっくりとその瞼を開いた。

 瞼に隠れていた藍染めのような藍色の瞳が姿を現し、やがて、霊夢の姿をそこに映した。

 懐夢の口が同じようにゆっくりと動き、小さな声を出した。

 

「……霊夢……」

 

 懐夢の声を聴いた途端、霊夢は呆然として、懐夢を抱いたまま全身を力が抜けてしまった。

 生きていた。

 死んではいなかった。

 元の姿を取り戻して、ちゃんと生きていた。

 それがわかると、ぶわっと涙が出そうになったが、その前に懐夢が口を動かした。

 

「……やっぱり……霊夢が助けてくれた……」

 

 霊夢は再びきょとんとした。

 懐夢はまだ夢の中にいるかのようなふわふわとした声で続けた。

 

「ずっと見てたよぼく。霊夢がぼくを助けようとして、傷だらけになりながら八俣遠呂智と戦ってるところ。それで、霊夢は最後まで戦って、ぼくを助けてくれた」

 

 懐夢は弱弱しく笑顔になった。

 

「ありがとう霊夢……それと、ごめんなさい」

 

 霊夢は少し首を傾げた。

 懐夢は軽く下を向いた。

 

「ぼく、霊夢がぼくの事何もわかってない人だって思った。

 このこと、神社を飛び出した後に、慧音先生に話したんだ。そしたら、すっごく怒られた。

 お前は霊夢の事を何にもわかっていないって」

 

 懐夢は顔を上げた。

 

「慧音先生から聞いたよ。霊夢は、ぼくのために、ぼくがしっかり暮らしていけるようにずぅっと長い間悩み続けてくれたんだってね。おかあさんの日記を読みながら、ぼくの事を必死に知ろうとして、ぼくのために真剣に悩んでくれたんだって……」

 

 懐夢は目を閉じた。

 

「それ聞いた時、すっごく霊夢に謝りたくなった。今こうしてぼくが生きてられるのは全部霊夢のおかげだってわかって、神社を勝手に飛び出したことを、あんな事を言っちゃったのを謝りたくなった」

 

 懐夢は目を開いて、霊夢と目を合わせた。

 

「でも本当は、すごく嬉しかったんだ」

 

 霊夢はもう一度きょとんとした。

 懐夢は微笑みを浮かべた。

 

「霊夢がぼくのために真剣に悩んでくれてたって事を知ったときは、謝りたくなったけど、本当はとても嬉しかった。霊夢が精一杯ぼくの事を考えてくれたっていうのがわかって、すっごく嬉しかった。

 それだけじゃないよ。ぼくが倒れて、博麗神社に戻ってきて、霊夢と二人きりになった時、本当はぼく、起きてたんだ」

 

 霊夢は目を丸くした。

 懐夢は続けた。

 

「あの時、霊夢は酷い事を言って神社から飛び出したぼくに、「心の底から大好き」って言ってくれた。あの時は何もできなかったけど、本当はすぐお礼を言いたくなるくらい嬉しかった。

 その後、ぼくが目を覚まして、何もわからなくなってた時に、あのおまじないをかけてくれたのも、嬉しすぎて困るくらい嬉しかった。早く元気になって霊夢に全部謝ってお礼を言いたいって思った」

 

 懐夢は目に涙を浮かべながら、にっこりと笑った。

 

「霊夢、ありがとう。ずっとお礼を言えなくて、ごめんなさい。

 勝手に神社を飛び出したりして、霊夢の事何もわかってない事を言っちゃって、ごめんなさい」

 

 懐夢の言葉と聞き、笑顔を見た途端、ぶわっと涙が溢れ出てきて、霊夢はたまらず裸ん坊の懐夢の身体を強く抱き締めた。それからか細い声を出して、懐夢へ伝えた。

 

「それ、ここで言うべき事……?」

 

 懐夢は苦笑いした。

 

「違うかも。でも本当に言いたかったんだ……ごめんなさい」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「いいの……いいのよ懐夢。私こそごめんなさい。私はずっと、貴方に嘘を吐いてた。ずっと、貴方を騙してた。それが、貴方にとってどれだけ酷い事なのか全然わかろうとしないで続けてた。貴方の事を、何一つわかろうとしてなかった」

 

 霊夢は懐夢の本来の色に戻った髪に顔を埋めた。

 

「ごめんなさい。懐夢、ごめんなさい」

 

 二人はそのまま黙った。

 しかしすぐに懐夢が霊夢の胸の中で再び口を開いた。

 

「ねぇ、霊夢」

 

 霊夢は懐夢を身体から少し離した。

 懐夢は顔を上げて、霊夢ともう一度目を合わせた。

 

「ぼく……博麗神社に帰りたい。また、霊夢と一緒に暮らしたい」

 

 懐夢の言葉を聞いた途端、霊夢は、心の中にあった恐怖や悲しさと言った感情がすべて消えて、嬉しさが溢れんばかりの勢いで湧いてきたのを感じた。そしてそれはすぐに心から溢れ出て、涙となって出てきた。

 その最中、懐夢の声が聞こえてきた。

 

「ねぇ、駄目?」

 

 霊夢は何も言わずに懐夢の身体を思い切り強く抱き締めて、小さく呟いた。

 

「いいに、決まってるじゃない。一緒に、帰りましょう……」

 

 懐夢が胸の中で頷いたのを感じると、霊夢は大声を出して泣いた。

 懐夢が出て行ってしまったあの時からずっと願っていた事が、叶った瞬間だった。

 


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