東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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5 封印の地で

 八俣遠呂智の封印の要を全て揃え、一同は封印の地へ向かった。

 街を飛び越え、妖怪の山の中へ入りしばらく歩くと、封印の地の入り口である大きな石造りの扉が姿を現した。

 そこで、以前ここに来た事がある霊夢は驚いた。

 大賢者の持つ鍵が三つなければ開かないはずの扉が、まるで口を開けたように開きっぱなしになっていて、封印の地内部に続く道をこちらに見せつけていたのだ。

 霊夢は振り向いて、背後にいる紫へ声をかけた。

 

「紫、これはどういう事?」

 

 紫は目の前に聳える扉を目視した後、答えた。

 

 紫は一同を神社に集める前に、封印の準備を行うため、封印の地へ一度入ったらしい。

 それだけではなく、式神の攻撃対象である妖魔を混じらせた一同のため、中を守っている式神達を他の大賢者の手を借りて機能停止に陥らせたそうだ。だから、皆が封印の地へ入り込んでも、式神に襲われる心配はないらしい。

 紫が説明を終えると、魔理沙が目を半開きにして声をかけた。

 

「どこまでほんとかねぇ。以前霊夢が入った時には一番強い式神が霊夢に襲いかかったそうじゃないか」

 

 早苗が不安そうな表情を顔に浮かべる。

 

「その時みたいに、式神が私達に襲いかかってくるんじゃ……」

 

 一同は「えぇー!?」と驚いたような声を上げた。

 紫は振り向いて、早苗のような表情をしている者達に伝えた。

 

「大丈夫です。この中の式神は絶対に貴方達を襲わない状態になっているから、安心して入って頂戴」

 

 紫の呼びかけが聞いたのか、不安そうな表情を浮かべていた者達の数名は徐々にその表情を元に戻し、やがて安堵したような表情を浮かべた。

 しかしその直後、霊夢が再度声をかけた。

 

「でも、私の時みたいに式神が襲ってくる可能性はないわけじゃないから、注意して進みなさいね」

 

 一同は表情を引き締めた。

 その直後、霊夢の背中で眠っていた懐夢が呻き声にも似た声を出した。

 霊夢は驚いて、懐夢へ声をかけた。

 

「懐夢!?」

 

 霊夢は懐夢の顔色を見ようとしたが、何せ負ぶっているものだから、丁度見えない。今、懐夢がどんな顔をしているのか、どのような様子なのか、全然わからない。

 その時、霊夢はふと閃いた。今、すぐ隣に紫がいる。紫ならば、今懐夢がどのような状態なのか、見えているはずだ。

 

「紫、懐夢は今どんな状態?」

 

 紫は懐夢の顔色を見た後、伝えてきた。

 

「彼の状態は最悪よ。息も荒いし、すごく苦しそうにしてる」

 

 輝夜の近くを歩く鈴仙が、永琳に声をかける。

 

「師匠、これも暴妖魔素(ぼうようウイルス)のせいですか?」

 

 永琳は顎に手を添える。

 

「そうよ。でも、彼はやっぱり変よ。他の子達が起こさなかった症状を起こしているのだから」

 

 てゐが鈴仙に続いて声をかける。

 

「やっぱり半妖なせいですかなぁ? 感染した子達との違いと言えば、妖魔と半妖である事ぐらいでしょう?」

 

 永琳は頷く。

 

「そうだけど。でも、同じ半妖である霖之助さんは感染しなかったのよ?」

 

 輝夜が口をはさむ。

 

「どうでもいいじゃないのそんな事。どんなに議論したところで、彼が暴妖魔素に感染してしまった事実は揺るがないでしょうに」

 

 続いて、魔理沙が険しい表情を顔に浮かべる。

 

「懐夢だけじゃない。この幻想郷には暴妖魔素にやられて、正気を失っている奴らがたくさんいるはずだ」

 

 アリスが頷く。

 

「暴妖魔素の母体である八俣遠呂智を封印するというのは、そういった妖魔達を助けるという意味もある。そうだったわよね、紫?」

 

 紫は答えなかった。

 アリスは無反応な紫を不思議がって、紫の方を見直した。紫は、少し悲しそうな表情を浮かべて、ある一点を注視したまま動かずにいた。アリスは紫の視線に何があるのか気になり、紫の視線の先を見た。

 そこには今、話に出ていた懐夢がいた。相変わらず、苦しそうにしている。

 アリスは少し首を傾げて、紫に再度声をかけた。

 

「紫、何故彼をじっと見ているの?」

 

 紫はようやく口を開き、小さな声を出した。

 

「なんでもないわ。ただ」

 

 一同に見つめられる中、紫はそっと霊夢に近寄ると、その背で眠っている懐夢の頭に手を乗せ、そっと撫でた。

 

「こんなに苦しんでいて、可哀想と思っただけよ。暴妖魔素でこんなに苦しんでいる子を見るのは、私も初めてだから」

 

 霊夢はむっと言って、軽く怒った。

 

「なら、さっさといくわよ。八俣遠呂智を封印してしまえば、暴妖魔素は消えるんだから」

 

 霊夢は振り向いて、八俣遠呂智の封印の要である草薙剣を大事そうに抱えている早苗の方を向き、声をかけた。

 

「早苗、その剣、大事に抱えてなさいよ。間違ってもどこかに落っことさないように」

 

 霊夢に真面目な顔でからかうような事を言われて、早苗はぷいっとそっぽを向いた。

 

「大丈夫です。こんなに大きなものを落としたら、音で気付きますから」

 

 早苗の後ろにいる神奈子と諏訪子が腕組みをし、そのうちの神奈子が続く。

 

「それに、万が一でも早苗が草薙剣を落っことしたら、私達が拾うから大丈夫だ」

 

 諏訪子がふふんと鼻を鳴らす。

 

「もし草薙剣を落っことして見失っても、神器の放つ神通力を感じ取る事で一発特定できる。だから落としても大丈夫さ」

 

 早苗が振り向いて、怒ったような表情を浮かべながら二人に文句を言う。

 

「もう! 神奈子様も諏訪子様も、私の事を信用しなさすぎです! 私はこんなものをどこかに落っことしたりなんかしませんよ!」

 

 神奈子は「それもそうか」と言って苦笑いし、諏訪子は柔らかく、ころころと笑った。

 直後に、慧音が皆に声をかけた。

 

「口論するのはいいが、そろそろ先へ進むべきではないのか? こんな事をしている間にも、暴妖魔素の更なる拡散と八俣遠呂智の封印の解除は刻一刻と迫っていると思うのだが」

 

 霊夢は頷いた。

 

「みんな、お喋りはこのくらいにして、封印の地へ入るわよ」

 

 霊夢の言葉に一同は頷き、ぞろぞろと封印の地の中へと入りこんだ。

 

 封印の地の中は相変わらず真っ白な石で壁と床を構成しており、まるで神殿を思わせるような内観だった。紫に案内されてやってきたときに何も変わっていないように見えたが、霊夢は唯一、あの時と今の違いが分かった。

 それは、式神がいない事だ。以前来た時は、いかにも強力そうな人型の式神が神殿の中を警備していたが、今は、どこを見ても式神の姿はない。入る前に聞いた、「妖魔がいる自分達のために式神を機能停止に陥らせた」という紫の話はどうやら本当だったらしい。

 と思っていると、一同の騒がしい声が後ろの方から聞こえてきた。振り返ってみれば、皆封印の地のあちこちを見ながら、がやがやと騒いでいて、そのうちの一人である魔理沙が呟いた。

 

「すげぇ! ここが封印の地か!」

 

 さとりが辺りを興味深そうに見まわしながら呟く。

 

「魔神、八俣遠呂智の封印の地ですか。とても魔神が眠っている場所とは思えないですね」

 

 藍が続く。

 

「このような場所が幻想郷に……なんと神々しい場所だ」

 

 封印の地の内装に目を奪われて、騒ぎ、前に進もうとしない一同に、霊夢は呆れ、怒鳴った。

 

「皆! 見とれてる場合じゃないでしょうが!」

 

 一同は騒ぐのをやめなかった。

その時、紫が一同の中から出てきて、やがて霊夢の隣で立ち止まった。

 霊夢は紫に、苛立った様子で声をかけた。

 

「紫、あの人達を黙らせて頂戴。これじゃあ先に進めないわ」

 

 紫は小さく頷くと、騒ぐ一同の方へ身体を向け、やがて大きく息を吸い込むと、それを吐き出すように大きな声を出した。

 

「注目―――――――――――――――ッ!!」

 

 封印の地全体に響き渡るかのようにな、大きな声に一同は驚き、その発生源である紫の方へ視線を向けた。紫は無数の視線を受けながら、言った。

 

「貴方達に聞きたい事があるわ。今貴方達の中に、誰がいるのか、教えて頂戴」

 

 一同は首を傾げたが、やがて紫の問いかけに答えるように名乗りだした。

 まず紅魔郷異変を起こした者達。この場にはレミリア、フランドール、咲夜、パチュリー、美鈴、チルノ、大妖精、ルーミアがいて、ほぼ全員揃っている。

 次に西行妖の異変を起こした者達。この場には幽々子、妖夢、藍に橙に紫がいた。

 次、永夜異変を起こした者達。この場には輝夜、永琳、鈴仙、てゐ、リグル、ミスティア、慧音、妹紅と、ほぼ全員揃っていた。

 その次、花映塚の異変を起こした者達。この場には文だけがいた。

 四季映姫と小野塚小町は地獄の防衛で、幽香は花を守るためにこの場にはいない。

 次、地底の異変を起こした者達。この場にはさとりだけがいた。他の者達は暴妖魔素を退ける結界が張られた、童子の守る鬼の街に避難しているらしい。なお、同時から派遣されたらしい、娘の萃香がこの場にいる。

 その次、風祝の異変を起こした者達。この場には筆頭である早苗、神奈子、諏訪子、にとりがいた。その他の者達は大天狗が守る天狗の里に避難中だそうだ。

 最後に、星蓮船の異変を起こした者達。この場には白蓮と星だけがいた。その他の者達は街に避難済みだそうだ。

 名乗りは星で終了。集まったメンバーは、ほぼあの時温泉に行ったメンバーだった。

 一同をぐるっと見回すと、紫はうんうんと頷いた。

 

「なるほど、強い人達がたくさん。これだけいれば、いけるわね」

 

 霊夢は溜息を吐いた。

 

「数は多いけど結束力がないわね。上手くいくか、心配だわ」

 

 紫が静かに答える。

 

「大丈夫よ。これからやる事は、皆が力を合わせないと絶対に成功しないから、いやでも力を合わせるでしょうね」

 

「そうだといいのだけれど」

 

 紫は霊夢に苦笑いすると、再び一同に声をかけた。

 

「さぁいくわよ。八俣遠呂智の封印は、もうすぐよ。ついてきなさい」

 

 紫と霊夢が歩き始めると、一同は二人を追って歩みを再開した。

 かつて通った道を再び通り、しばらく進んで、水場の上にかかる橋を通り、階段を下ると、問題の場所である封印の場へたどり着いた。

 初めて封印の場を見る霊夢と紫以外の者達は、初めてここに入り込んだ時のように、きょろきょろと辺りを見回した。

 そのうち、魔理沙が驚愕したような表情を浮かべて、呟いた。

 

「広ぇ……」

 

 早苗が呟く。

 

「ここが、私達が見れなかった、封印の場……」

 

 その中で、一人レミリアが紫へ視線を向け、腕組みをした。

 

「それで、どうすればいいのかしら? ここが八俣遠呂智を封印する儀を行う場所なんでしょう?」

 

 紫は振り返った。

 

「奥までついてきて頂戴。話はそこからよ」

 

 紫は霊夢を連れて部屋の奥へ歩き出し、一同も後を追って部屋の奥へ進んだ。そして奥の方にある巨大な祭壇らしき場所の手前につくと、紫は足を止め、霊夢と一同も同じように止まった。

 霊夢が紫へ声をかけた。

 

「ここって確か、草薙剣が刺さってた場所よね? ここで儀を行うのね?」

 

 紫は頷くと、一同の方へ身体を向け、草薙剣を抱く早苗へ声をかけた。

 

「早苗、草薙剣を霊夢に渡しなさい」

 

 早苗は返事をすると霊夢へ駆け寄った。

 やがて早苗が今にも霊夢の元へ辿り着こうとしたその時、紫は霊夢の方を向いて、声をかけた。

 

「霊夢、懐夢を私に」

 

「え? いいけど……」

 

 霊夢は背中を紫に向けた。紫はさっと懐夢の身体に手を伸ばし、懐夢を抱き上げた。

 それとほぼ同時に早苗が霊夢の元に着いて、今まで大事そうに抱えていた草薙剣を差し出した。

 

「霊夢さん、これを」

 

 霊夢は草薙剣の柄を握った。直後、草薙剣はその刀身を輝かせて、また文字のような模様を浮かび上がらせた。

 同時に、霊夢は身体の中に力がみなぎってくるのを感じた。どうやら草薙剣が力を与えてくれているらしい。準備は万全だ。

 

「さてと紫、封印の儀ってどうやる」

 

 先程まで紫がいた場所を見直して、霊夢はきょとんとした。

 紫がいない。紫が抱えていた懐夢もだ。

 霊夢は不思議がって、辺りを見回した。

 

「あれ、紫どこにいった?」

 

 その時、早苗が指差した。

 

「霊夢さん、祭壇です。紫さん、祭壇にいます」

 

 霊夢は早苗の指さす方を見た。そこは確かに巨大な祭壇で、その中央に、懐夢を抱え、こちらに背を向けている紫の姿があった。

 霊夢が紫を呼ぼうとしたその時、後ろにいた魔理沙が隣までやってきて、声を上げた。

 

「おい紫、何やってんだよ! こっち来て封印のやり方を教えろよ!」

 

 紫は答えず、そっと祭壇の上に懐夢の寝かせた。

 その行動を不審に思ったのか、式神である藍が霊夢の隣まで歩いてきて、不安そうな声で紫に言った。

 

「紫様、何をしておられるのです。そこに懐夢を置いて、何をなさるつもりですか」

 

 霊夢は吃驚して、藍を見た。紫の式神である藍ならば紫の行動の理由がわかるかもしれないと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 

「藍、あんたもわからないの? 紫が今何をしようとしてるとか」

 

 藍は頷いた。

 

「あぁわからん、何せ何も聞かされていないものでな」

 

 霊夢は驚いて、即座に考えた。

 紫は基本的に、自分のやる事はまず式神である藍に伝えてから実行する。

 だが藍の話によれば、紫は藍に何も言わずに、あのような行動をとったらしい。

 式神である藍にも言わないなんて、これから何をするつもりなのだろうか。

 

 その時、沈黙を貫いていた紫が、とうとうその口を開いた。

 

「封印の必要はないわ」

 

 その言葉に一同がきょとんとした次の瞬間、激しい暴風が懐夢のいる方から吹いてきた。

 突然の事に霊夢を含んだ一同は対応できず、吹き飛ばされて、部屋の入り口付近まで逆戻りし、壁に激突。そこでようやく動きを止めた。

 

「な、何が……!?」

 

 霊夢は暴風が吹いてきた祭壇を見た。祭壇では激しい竜巻のような嵐が、強い閃光を放つ稲妻を出しながら逆巻いていた。

 あまりに激しい嵐のせいで、祭壇の方は何も見えない。勿論、祭壇にいた懐夢もだ。

 霊夢は吹き荒れる嵐の中、声を振り絞って叫んだ。

 

「懐夢―――――――ッ!!」

 

 そのうち、早苗を左手で抱えた神奈子が腕で目を少し隠しながら、祭壇の方を見た。

 

「何が始まった!?」

 

 霊夢の隣で帽子を押さえている魔理沙が叫ぶ。

 

「知るかよ! いったい何が、何が起きるんだよ!?」

 

 直後、藍が主人が中にいると思われる、吹き荒れる嵐に向かって叫んだ。

 

「紫様、紫様―――――――ッ!!」

 

 その直後だった。霊夢の目に、こちらに歩いてくる人影が映った。

 誰かと思って注意深く見てみれば、それは紫だった。

 暴風で帽子が飛んでしまったのか、金色の長髪を思い切り揺らしながら、こちらにゆっくりと歩いてきていた。

 紫の姿は霊夢だけではなく、他の者達の目にも映ったようで、そのうちの一人である白蓮が叫ぶように言った。

 

「紫さん、一体何が!? 何が起きたのです!?」

 

 紫は答えないで、霊夢と目を合わせた。

 かと思いきや、小さく息を吸って、呟いた。

 

「まだ時間はあるわ……」

 

 一同は「え?」と言った。

 紫は一同を無視して、霊夢に言った。

 

「博麗霊夢さん。

 私達、『幻想郷の大賢者』は、貴方に命じます」

 

 紫は一呼吸置いて、続けた。

 

「八俣遠呂智を、滅しなさい。私も協力します」

 

 霊夢は瞬きをして、「は?」と言った。

 理解できなかった。

 いきなり嵐が起きたと思ったら、紫が八俣遠呂智を滅せよと言ってきた。今まで散々封印と言っていたのに。

 突然、やる事を変えてきた。もうなにがなんだかわからない。

 それを代弁するかのように、魔理沙が紫に噛み付くように言った。

 

「違う違う! 私達が聞きたいのはそんなんじゃない!!」

 

 アリスが頭を軽く抑えながら続ける。

 

「私達が聞きたいのは、この状況よ! 何が起きてるの!?」

 

 魔理沙とアリスだけではなく、他の者達も続々とこの状況を説明せよ、一体何が起きているのだと続けて紫に怒鳴った。

 紫は答えず、俯いて、黙っていたが、一同の怒号が大きくなるや否、顔を上げた。

 

「……今、八俣遠呂智が復活するわ」

 

 一同は驚愕した。

 そのうち、慧音が口をパクパクさせて呟いた。

 

「な、なんだと……」

 

 妹紅が続く。

 

「ちょ、ちょっと待てよ! 封印はどうした!? 私達は、お前は、八俣遠呂智を封印するためにここに来たんじゃないのか!?」

 

 その時、永琳が何かに気付いたように言った。

 

「まさか、貴方の本当の狙いって……!」

 

 紫は頷いた。

 

「そうよ。八俣遠呂智を封印するのなんて嘘。私の本当の目的は、八俣遠呂智を復活させる事にあったの」

 

 一同が唖然とした。

 そのうち、さとりが険しい表情を浮かべた。

 

「私達を騙していたのですね……」

 

 幽々子が悲しげな表情を浮かべる。

 

「紫……なんでそんな?」

 

 紫は小さく深呼吸をすると、一言呟いた。

 

「時間はまだある。すべて、教えましょう」

 

 紫は瞳を閉じて、説明を始めた。

 何故、八俣遠呂智を復活させたのか。それは、幻想郷の大賢者全員で決めた事だったからだ。

 確かに、このままいけば八俣遠呂智を封印する事は出来た。しかしそれでは意味がない。

 封印は年を重ねる毎に劣化する。今封印したところで、また将来、今幻想郷で起きている事と同じような事が繰り返される。封印したところで、八俣遠呂智との鼬ごっこは終わらない。いや、終わらせる事が出来ないのだ。

 この幻想郷の存亡をかけた鼬ごっこを終わらせるにはどうすればいいか。答えはひとつ、八俣遠呂智を封印するのではなく、完全に滅するのだ。

 八俣遠呂智を完全に滅してしまえば、もう封印をかける必要はなくなり、鼬ごっこは終わる。

 

 しかし、八俣遠呂智を滅するには、一度封印を完全に解除し、この世に甦らせる必要があった。

 それは何故か。この封印の場には、『八俣遠呂智の身体の情報』と『八俣遠呂智を構築する大量の暴妖魔素』しか封印されておらず、本体である『八俣遠呂智の魂』は封印されていない。

 かつて、八俣遠呂智は封印される寸前で、自らの魂を身体から切り離して幻想郷へ放ったのだ。これは別に不思議な事ではない。

 八俣遠呂智ほどの存在となれば、身体が蒸散する前に消滅させられるなどの絶体絶命の危機に陥った際、自分自身である魂を身体から分離させ、逃避する事が出来る。八俣遠呂智は封印される寸前でこの方法を使い、身体から魂を切り離し、逃走を図ったのだ。

 結果、封印されたのは『八俣遠呂智の身体の情報』と『八俣遠呂智を構築する大量の暴妖魔素』だけで、『八俣遠呂智の魂』は幻想郷に解き放たれたままになった。。

 だが、元々身体を持っていた魂という性質上、逃げた八俣遠呂智の魂は身体の封印が解かれた際には、身体へ帰ってきて復活を遂げる。身体と魂が揃ったその時こそ、八俣遠呂智を完全に滅却する唯一の機会。大賢者達は逃げた魂の後を追い、厳重に警戒して、魂を監視した。いつ妙な行動を起こしてもいいように。

 

「そして、封印の限界が来るのが、今年の夏だった。

 私達はこれを狙い、今年で八俣遠呂智を完全に滅ぼそうと、計画を画策したわ。八俣遠呂智の封印をわざと解き、魂を呼び寄せ、完全復活を遂げたところで滅するという計画をね」

 

 一同は沈黙したままだった。

 紫は続けた。

 

「でもね……そこで私達にとって、予想外の出来事が起きたの」

 

 それは、幻想郷に解き放たれていたにも関わらず今まで一切動きを見せなかった八俣遠呂智が、ある半妖に取り憑いて、そこで復活を遂げようと行動を始めた事だ。

 八俣遠呂智は半妖に取り憑くなり自分の身体を構成する物質である暴妖魔素をその半妖を媒介にして生産を開始。更に自己増殖させて徐々にその数を増やして幻想郷に広めていった。

 この動きを見て大賢者達は八俣遠呂智の狙いを即座に察知した。八俣遠呂智は暴妖魔素を生産し、増殖させた後にそれを取り憑く半妖の元に集め、元の身体を作り出し、その半妖をベースにした形で復活しようとしていたのだ。もう封印された身体など、放っておいて。

 大賢者達はこれに焦り、八俣遠呂智の封印の解除を早くする事を決定し、今、復活させるのに至った。

 それを聞いた一同はある事に気付き、そのうち、早苗が恐る恐る尋ねた。

 

「ま、まさか、その半妖というのが……」

 

 紫はゆっくり頷いた。

 

「そう。博麗神社にやってきて、霊夢と家族同然に過ごしていた男の子……百詠懐夢よ」

 

 一同は顔を蒼褪めさせた。

 紫は目の前にいる霊夢に声をかけた。

 

「霊夢、貴方はあの子に別な妖魔が取り憑いていると言っていたわね」

 

 霊夢は唖然としたまま頷いた。

 自分は、懐夢の異常ともいえる能力の獲得速度やその性能、更に一度死んだのに蘇生したなどという現象や髪の毛の色や眼の色が変化したなどという不可解な現象を、全て取り憑いている妖魔のせいだと思って、どうすれば懐夢の身体から出させる事が出来るか考えた続けていた。だが、まさかそれが八俣遠呂智などという怪物とは思っていなかった。

 けれど、そうとわかると辻褄が合う部分が非常に多い。

 まず、博麗神社だ。彼は博麗神社に入り込むと、能力が使えなくなったりしていた。それは多分、八俣遠呂智という桁外れに強大な妖魔の力が、博麗の力によって阻害されるせいだ。だから彼は、博麗神社では能力を使えなかったし、空を飛ぶ事もできなかったのだ。

 次に懐夢の治癒能力だ。懐夢は、どんなに大きな怪我を負っても、すぐに治癒してしまう桁外れに強力な治癒能力を持っていた。それは、八俣遠呂智がせっかくの取り憑き先である懐夢を死なせないために行っていたに違いない。

 それだけではない。懐夢は外に出ると時折酒を欲しがる事があった。多分、蟒蛇と言われるほど酒好きの八俣遠呂智が取り憑いていたせいだったのだろう。しかもそれも、博麗神社に来る事によってなくなっていた。これもまた、博麗の力が八俣遠呂智を阻害していたからなのだろう。

 考えれば考えるほど、八俣遠呂智と懐夢の関係が明るみに出てきて、身体に震えがきた。

 

「そんな……懐夢が……八俣遠呂智の……」

 

 考えていると、魔理沙が呟いた。

 

「懐夢が暴妖魔素の根源……?

 って事は、リグル達があぁなった理由って!」

 

 紫は頷いて、慧音の後ろに隠れるチルノ達へ視線を向けた。

 

「そう。あの子が撒き散らした暴妖魔素に感染したためよ」

 

 永琳が焦ったように言う。

 

「でも貴方は、暴妖魔素は封印から溢れ出てきているものだって」

 

 その時、輝夜が割り込んで、目つきを鋭くした。

 

「どうせ、それも嘘なんでしょう?」

 

 永琳がきょとんとすると、紫は頷いた。

 

「そうよ。あの時貴方達に話したのも嘘。この幻想郷に広まる暴妖魔素は、全て懐夢の身体から発生し、自己増殖を無限に繰り返したもの」

 

 一同からまた「なんだって!?」という声が上がる。

 そのうち、慧音が何かに気付いたように言う。

 

「懐夢が暴妖魔素の根源だと? まさか彼の中の暴妖魔素が博麗神社にいたにもかかわらず消滅しなかった理由は!」

 

 紫は瞳をゆっくりと閉じた。

 

「それは、消滅しては生み出されるを超高頻度で無限に繰り返していたからなのよ。その有様は、私達から見れば、消滅せずに生きているように見えてしまう」

 

 妖夢が険しい表情を浮かべる。

 

「という事は……未確認妖怪の出現、妖魔達が感染し発症する感染症、暴妖魔素といった全てを纏めたこの異変の犯人は……」

 

 紫は瞳を開いた。

 

「何度も言うように、百詠懐夢よ。彼こそがこの異変の根源。そして……」

 

 紫は軽く後ろに首を回し、横目で一同を見た。

 

「その黒幕である八俣遠呂智は、これから懐夢を基礎にして復活を遂げる」

 

 その一言に一同は凍りついた。

 しかし、すぐに魔理沙が歯を食い縛って、歯ぎしりをした。

 

「わかんねぇ……わかんねぇよ!」

 

 紫は「ん?」と言って魔理沙を見た。

 魔理沙は拳を強く握りしめて、噛み付くように言った。

 

「この異変の犯人が、暴妖魔素の根源が、全ての元凶である八俣遠呂智の取り憑き先がよりによって懐夢である理由が、わかんねぇ!」

 

 魔理沙に続いて、チルノが叫ぶように言う。

 

「そーだよ! なんでなのさ! なんで懐夢が、あたいの友達がこんな異変の犯人なんだよ!」

 

 紫は首を横に振った。

 

「わからないわ。でもある時生命力を大きく失って死にかけた、蛇の妖怪と人間の間に生まれた彼が、器として丁度良かったのかもしれないわね。それ以外の理由も沢山ありそうだけど」

 

 紫は表情を険しくし、目つきを鋭くした。

 

「でも、何を言ったところで懐夢が八俣遠呂智になる現実は変わらないわ」

 

 直後、それまで沈黙を貫いていた霊夢が、俯いたまま紫に尋ねた。

 

「……懐夢が八俣遠呂智の基礎になったら、懐夢はどうなるの」

 

 紫もまた同じように俯いた。

 

「何も残らないわ。意識も、身体も、全部八俣遠呂智に同化してしまって、何も残らない。多分だけど……」

 

 霊夢は顔を上げて、先程まで懐夢がいた、激しい光を放つ嵐が逆巻く祭壇へ視線を向けた。

 懐夢が、八俣遠呂智と同化すれば、懐夢は八俣遠呂智に呑み込まれる形で消える。そして今、懐夢は八俣遠呂智へ呑み込まれようとしている。

 

 ここで終わりだというのか。

 まだ今まで嘘を吐いていた事を、謝ってすらいないというのに、終わりだというのか。

 もう仲直りする事は出来ないのか。

 もう一緒に暮らす事も出来ないのか。

 もう一緒に寝る事も出ないのか。

 もう一緒にご飯を食べる事も出来ないのか。

 もう、『おまじない』をしてあげる事は出来ないというのか。

 

 そんなの、そんなの嫌だ。

 

「懐夢……」

 

 霊夢はゆっくりと立ち上がると、草薙剣をしっかり握り、暴風に逆らいながら前へ走った。突拍子もない行動に、紫を含んだ他の者達が驚愕と焦りと生死の声を上げたが、霊夢は全てを無視して走った。

 暴風に流されそうになりながらも踏ん張り、祭壇まで辿り着くと、息が絶え絶えになった。とてつもない風で呼吸が上手く出来ず、強い光を浴び続けて目がちかちかして、よく見えない。

 更に稲妻と風の音が全ての音を掻き消してしまっていて、耳もよく聞こえない。

 それでも、なんとか逆巻く嵐の中を見てみたところ、懐夢が閉じ込められているのが見えた。

 目がちかちかしているせいなのか、走る稲妻の放つ閃光のせいなのか、身体が光っている気がする。

 しかし霊夢は気にせず、草薙剣を力いっぱい握りしめた。

 

「懐夢……今そこから出してあげる……!」

 

 霊夢は懐夢を閉じ込める檻の役割を果たしている嵐を切り裂こうと、草薙剣を振るった。

 しかし、草薙剣の刃が嵐に当たった次の瞬間、かきんっという金属音が鳴り響き、刃が弾かれた。

 霊夢はきょとんとして、目を見開いた。

 

「な、なぜ?」

 

 霊夢はもう一度草薙剣を振るった。嵐に当たった瞬間、また刃が弾かれて、霊夢は大きくよろけた。

 その時、ようやくわかった。この嵐の他に、懐夢を包み込む形で結界が張られている。刃を弾いてくるのはこれだ。

 そして、この結界を張っているのは、復活の基礎となる懐夢を渡さんとしている八俣遠呂智だ。

 霊夢は激しい怒りを抱いて、草薙剣を振るい続けた。

 

「八俣遠呂智、その子はあんたのじゃない! 返しなさいッ!!」

 

 何度斬っても、その度に弾かれた。だが、霊夢はやめようとはしなかった。

 

「返しなさい、返しなさい!! その子を、返しなさい!! その子は、お前のじゃないッ!! !」

 

 力を込めて、何度も何度も剣を振るった。

 だが、結界は一向に割れる気配を見せず、こちらの刃を弾き返してくるだけだった。

 暴風に耐えながら剣を振るっていたせいか、次第に身体に力が入らなくなり、霊夢は草薙剣を落としてしまった。

 霊夢はがくりと膝を付き、懐夢に覆いかぶさるように崩れたが、結界に阻まれて、止まった。

 先程まで心を満たしていた激しい怒りは悲しみへと変わり、大粒の涙があふれ出てきた。

 

「なんで……なんでなのよ……」

 

 泣き始めたその時、地面が揺れ始め、風と稲妻の音に混ざって石が砕けるような音が聞こえた。

 直後、隣に誰か来た。足音を聞く限り、二人来たらしい。

 

「霊夢大変だ! 封印の地が、崩れ始めた!!」

 

 魔理沙の声が、左の方から聞こえてきた。やってきた二人のうち一人は魔理沙らしい。

 直後に、今度は右の方から声が聞こえてきた。

 

「八俣遠呂智が、一緒に封印されてた暴妖魔素が、封印の地を突き破って復活します!!」

 

 早苗の声だった。どうやら、やってきた二人は魔理沙と早苗だったらしい。

 そして今、この封印の地は崩落しようとしているそうだ。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「懐夢……なんで……どうして……」

 

 全く動こうしない霊夢に、早苗はもう一度声をかけた。

 

「霊夢さん、どうしたんですか! しっかりしてください! このままじゃ、崩落に巻き込まれちゃいますよ!!」

 

 霊夢は嗚咽を混じらせながら、呟いた。

 

「……どうして、こうなるのよ」

 

 答えぬ霊夢に早苗は強く声をかけた。

 

「霊夢さんッ!!」

 

 その時、霊夢はかっと早苗の方へ顔を向け、叫んだ。

 

「今度こそ、今度こそ一緒にいられると、思えたのにッ」

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で叫ぶ霊夢に、今度は魔理沙が力強く声をかけた。

 

「霊夢ッ!!」

 

 霊夢は答えを返さなかった。

 直後、すぐ近くに天井が落ちてきた。揺れは一層激しくなり、天井も壁も次から次へと床に降り注いでいる。

 このままじゃ、生き埋めになるのもの時間の問題だ。

 その時、後ろの方からアリスの声が聞こえてきた。

 

「魔理沙! 天井に、地上に行ける穴が開いたわ!」

 

 魔理沙は振り向いた。そこで、アリスが上を指さしていた。他の者達はいつの間にか姿を消している。

 

「ここから出れる! みんなはもう出たわ!」

 

「アリス!」

 

「早く霊夢をこっちに! 生き埋めになるわよ!!」

 

 魔理沙は頷くと、早苗に素早く指示を下した。

 

「早苗、そこに落ちてる草薙剣はお前が持て! 私は霊夢を外まで運ぶ!」

 

 早苗は「はい!」と言って、霊夢の近くに落ちている草薙剣をまた抱えた。

 魔理沙は霊夢の肩に素早く手を伸ばし、自分の肩を貸すと、立ち上がった。

 そしてその状態のまま、素早くアリスの示した場所まで飛んだ。そこで上を見たところ、先に光が見える巨大な縦穴がばっくりと開いていた。

 

「なるほど、脱出口か。早苗、飛ぶぞ!」

 

 早苗はもう一度「はい!」と言って、一足先に地上目掛けて縦穴へ飛び込んだ。

 魔理沙も続いて飛ぼうとしたが、その前にふと祭壇の方を見た。

 巻き起こる嵐はその強さを増しており、もう近づく事さえも困難な状態になっていた。そしてその中に、懐夢はいて、今まさに八俣遠呂智に呑み込まれようとしている。

 お前の異変を解決してやると言ってやったのに、何もできない現状をまざまざと感じて、魔理沙は叫んだ。

 

「……懐夢……くそぉぉぉッ!!」

 

 魔理沙は叫ぶと、霊夢を掴んだまま思い切り地面を蹴り、縦穴を飛び抜け、地上へ出た。

 


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