懐夢の傍に寄り添い、皆の帰りを待っていたところ、皆は出て行ってから僅か三十五分程度の時間で帰ってきた。
あまりに早い到着に霊夢はまさか負けて帰ってきたのでないかと思って心配したが、咲夜に肩を借りているレミリアを見て、ほっとした。出撃していった皆は、無事にレミリアを戻す事に成功したのだ。
そのうち、皆は紫の指示で居間に行った。しかしその中で居間に行かないで、その場に残った者たちがいた。それは、草薙剣を持った早苗と魔理沙だった。
中でも魔理沙はひどく驚いたような顔をして、霊夢に状況を報告し始めた。
「すごかったぜ霊夢!」
霊夢は腕組みをする。
「そんだけじゃわからないわ。何がどうすごかったの?」
魔理沙によると、早苗が持っていた草薙剣は本当にレミリアを見つけだしたらしい。見つかったレミリアは
更に、他の者達との連携を取りながら攻めたところ、わずか十分程度でレミリアを倒してしまえたそうだ。
その後、裸ん坊で異形の竜から出てきたレミリアに、咲夜が懐から出したスペアの服を着せ、その場にいた治癒術を使える者達がレミリアに治癒術を使い、元気に動き回れるくらいにまで回復させたそうだ。しかし、暴妖魔素によって精神を汚染されていた後遺症なのか、うまくバランスを保って歩く事が出来なかったそうで、咲夜に肩を借りていたそうだ。
「そうだったの。でももう大丈夫ね。あの子もこの神社に入ったから、体内から暴妖魔素を排除する事に成功したはずよ」
霊夢は早苗と草薙剣を見た。
「それにしても、強力な暴妖魔素妖怪を簡単に倒してしまえるなんて、早苗も強くなったものね」
早苗は首を横に振った。
「違います。全てはこの草薙剣のおかげですよ。適当に振り回すだけで、竜となったレミリアさんを倒し、元に戻せたんですから」
霊夢はふぅんと言ってから、目を半開きにして笑みを浮かべた。
「あんた、意外と剣のセンスあるんじゃない? 巫女やめて剣士になったら?」
早苗はぷいっとそっぽを向いた。
「だから違います! それに、巫女をやめたらだれが守矢の巫女をするんですか!」
霊夢は「くふふ」と笑った。
しかしその直後、魔理沙が何かを思い出したように言った。
「あ、そうだ霊夢。もう一つ発見があったぜ」
霊夢は魔理沙の方を向いた。
「何があった?」
魔理沙は説明を始めた。
何でも、三つ首の竜が、再び幻想郷に姿を現していたらしい。
それを聞くなり霊夢は驚いた。
「またあれが出てたの?」
魔理沙は頷いた。
「あぁ、レミリアを元に戻した後に襲いかかってきたんだ。その時は早苗が草薙剣で倒してくれたんだが……」
魔理沙が早苗を横目で見ると、早苗が魔理沙から引き継いだように言った。
「その死骸を永琳さんが調べた結果、その妖怪の身体は、暴妖魔素で出来ていたんです」
霊夢はやっぱりかと思い、顎に手を添えた。
先程紫が、今まで自分達が戦ってきた「未確認妖怪」と呼ばれる存在は、新たに幻想郷に現れた妖怪なのではなく、暴妖魔素を媒介にして現れた、八俣遠呂智が暴れまわっていた時に同じように暴れまわっていた、昔の妖怪であると言っていた。最初それを聞いた時には信じられなかったが、今の魔理沙達の話を聞いて納得できた。紫の話は本当だったのだ。
だが、問題はそこではない。問題は、大蛇里の跡に突如として現れた三つ首の竜が、再びこの幻想郷に現れ、更にそれが暴妖魔素を媒介として復活した昔の妖怪であった点だ。
つまりこれは、あの時の三つ首の竜も暴妖魔素の塊のようなものであり、更に暴妖魔素はあの時からこの幻想郷に存在していたという事を意味する。
謎の妖怪だった三つ首の竜が暴妖魔素だったという真実を思い、霊夢は表情を険しくして、呟いた。
「まさか……暴妖魔素がそんな前からあったなんて……」
「あの、霊夢さん」
「何よ」
早苗は少し表情を険しくした。
「こんな事を言うのは何ですが……暴妖魔素に感染した人達を、もう一度教えてもらえませんか」
霊夢は首を傾げたが、とりあえず早苗の要求に応じて、これまで暴妖魔素に感染して異形の妖怪と化した妖魔達の名前を全て教えた。
早苗はそれを聞くなり、すぐに問いをかけてきた。
「リグルさん、大妖精さん、ルーミアさん、そしてレミリアさん……霊夢さん、この人達に何か共通点のようなものは存在しませんか?」
霊夢は「え?」と言ってきょとんとした。
「共通点ですって? 何でそう思うのよ」
早苗は軽く顰め面をした。
「気のせいかもしれませんけど、私、この四人に共通点があるような気がしてならないんです」
霊夢はますます首を傾げた。
「本当に? でもこの四人に共通点なんて……」
考えたその時、霊夢はハッとした。……早苗の言う通りだ。この四人には、共通点があった!
それは何かというと、懐夢の友達である事だ。リグル、大妖精、ルーミア、レミリアは全員、懐夢と友達で、リグルは蛍を共に見る、大妖精は共に買い物をする、ルーミアは二人で授業を受ける、レミリアは軽い茶会をするなどと、懐夢の友達の中でも比較的長い時間、懐夢と接触している者達だった。四人の共通点は、これだ。
(待てよ……?)
それだけではない。確か、リグル達だけではなく、近くにいたチルノとミスティア、レミリアの近くにいた美鈴とフランドールもまた、暴妖魔素による症状を起こしていた。そしてその者達もまた、懐夢の近くに比較的長い時間いた者達だ。
しかし、それが暴妖魔素の感染と何かしらの関係があるとは思えない。
そもそも、どうして懐夢と一緒にいた者達が、暴妖魔素に感染したというのだろうか。懐夢と暴妖魔素は無関係であるはずなのに、一緒にいる者達が何故か暴妖魔素に感染して、暴走や狂暴化を起こしている。
(これじゃあまるで……)
懐夢が暴妖魔素の根源みたいではないか。
懐夢が暴妖魔素を撒き散らして、もしくは懐夢が暴妖魔素を呼び寄せて、一緒にいる者達に感染させているみたいではないか。
そんなはずない。そんな事が、あるはずない。
霊夢は軽く首を横に振ると、考えていた事をとりあえず頭の片隅に仕舞い込み、早苗の問いかけに答えた。
「……共通点っていえば、四人とも妖魔である事くらいじゃないかしら。あと女の子である事」
早苗はむっとした。
「そんな事わかりきってます。私が聞いてるのはそれ以外の共通点ですよ」
霊夢はわざとらしく髪の毛をくしゃっと掻いた。
「それ以外の共通点ねぇ……」
その時、魔理沙が何かを閃いたように言った。
「あれ、この四人って確か、懐夢の友達の中でも懐夢と仲良くしてる奴らじゃないのか?」
霊夢はぎょっとして魔理沙を見た。
直後に早苗があ! と言った。
「確かにそうですね! でも、懐夢くんは関係ないんじゃないですか? 現に懐夢くん自身も暴妖魔素に感染してしまっていますし……」
早苗の言葉に魔理沙は「そっか」と言って顰め面をした。どうやら、自分の推測が外れていると思ったらしい。
それに気付いて、霊夢は思わずほっとしてしまった。しかしその直後に、魔理沙が呟いた。
「でも、何かしらありそうなんだよなぁ……懐夢とあの四人……」
霊夢は魔理沙に割り込むように言った。
「別にそんな事はどうだっていいわ。今はとりあえず、八俣遠呂智を封印しなおして、暴妖魔素を幻想郷から完全に排除するのが先決よ」
霊夢は早苗の方へ顔を向ける。
「早苗、草薙剣の準備は出来たんでしょう?」
早苗は「え?」と言った後、気付いたように頷いた。
「あ、はい。草薙剣の準備はどうやら完了したみたいです」
霊夢は首を傾げた。
「どうやら? どうやらってどういう事よ?」
早苗曰く、草薙剣を振るって戦っても、草薙剣が覚醒したような変化は見られなかったという。
現に、今早苗が抱えている草薙剣も、出て言った時となんら変わっていない。
「どういう事よ。その剣は強い妖魔と戦う事で目覚めるんじゃなかったの?」
「わかりません。それに、強い妖魔だと思われるレミリアさんですけど、この剣を使ったら簡単に倒してしまえたので、もしかしたらレミリアさんじゃ足りないのではないかと……」
早苗が言ったその時、どこからか声が聞こえてきた。
「いいえ、十分よ」
声の聞こえてきた方向は、玄関の外だった。
三人でその方向を見てみたところ、そこには街を守りに出かけていた紫の姿があった。
霊夢は紫の姿を見るなり、声をかけた。
「紫!」
紫はそっと玄関の中へ入ってきた。
「レミリアを元に戻す戦い、無事に勝てたようね」
早苗が頷いて、出ていった時と変わらない姿をした草薙剣を紫に見せる。
「あの、紫さん。草薙剣、何も変わらないんですけど」
魔理沙が続く。
「本当に覚醒したのかこれ?」
紫は頷いた。
「えぇ覚醒しましたとも。気付かないだけでね」
紫は早苗から草薙剣をもらうと、霊夢へ差し出した。
「柄を握ってごらんなさい、霊夢」
霊夢は半信半疑のまま差し出された草薙剣を握った。
次の瞬間、突然草薙剣は眩い若草色の閃光を放ち始め、紫以外の一同は目を瞑った。
そして閃光が収まり、次に目を開けたその時、霊夢に握られた草薙剣は若草色の刀身に白色に輝く不思議な模様を宿していた。その模様は、何かの文字のようにも見える。
草薙剣のあまりに突然な変化に、紫以外の全員があんぐりと口を開いて唖然とした。
そのうち、霊夢が口を動かした。
「な……何よこれ……」
紫はふふんと笑った。
「覚醒した草薙剣が、博麗の巫女である貴方の持つ調伏の力と共鳴して、元の姿を取り戻したのよ」
早苗は紫を見た。
「え? 元の姿を取り戻した? というか、本当に覚醒してたんですか?」
紫は頷いた。先ほども言った通り、草薙剣はレミリアを倒した時点でもう覚醒する準備が整っていた。しかしそれは、あくまで『覚醒する準備が完了した』だけであって、『覚醒した』わけではない。だから、早苗達がレミリアを倒した時点では何も変わらなかったのだ。
だが、その状態で調伏の力を持つ霊夢に握られた事によって、博麗の力と共鳴、覚醒した。だから閃光を放ち、外見を変化させたのだ。
それを聞いた魔理沙は噛み付くように言った。
「な、なんだよそれ! あの時の説明と違うじゃないか!」
紫は額に二本ほど指を当てた。
「ごめんなさい。説明の内容を間違えてしまったわ。あの時は街が危険で私も少しテンパっていたから」
魔理沙がもう一度「なんだよそれ」と言うと、霊夢が割り込むように言った。
「なるほど、事情は分かったわ。草薙剣、これで覚醒したのね?」
紫は姿勢を戻すと、もう一度頷いた。
「えぇしましたとも。今なら、八俣遠呂智の封印にも使えるわ。
封印は早い方がいい。皆のところへ行きましょう。封印の説明を行うわ」
霊夢達は頷き、紫と共に皆が集まっている居間へ戻った。
居間へ入ってみたところ、先程の者達が全員集まっており、霊夢が変化した草薙剣を持っているのを見るや否、大きな声が上がったが、紫がすぐにそれを静め、それを加えた説明を始めた。
草薙剣はレミリアとの戦いと霊夢との接触によって覚醒した。今ならば八俣遠呂智の封印に使う事が出来る。
そしてその八俣遠呂智の封印だが、博麗の巫女である霊夢を主として行う。
まず、封印の地へ赴き、最奥部にて霊夢が封印の術を発動させる。しかしこの術の発動には博麗の巫女と草薙剣の力だけでは不十分である。そこで、同行する者達の約半数に霊夢へ力を供給を行ってもらう。そうする事によって、封印の術を発動させるには十分な力となり、封印の術は発動する。
しかし、この儀は封印される八俣遠呂智が何らかの抵抗をしてくる可能性を孕んでいる。もしも八俣遠呂智の抵抗が始まり、それに霊夢が巻き込まれてしまったら、封印は失敗。八俣遠呂智は復活を遂げてしまうだろう。
そこで、残った約半数の登場だ。その者達が拘束の術を使って八俣遠呂智の動きを封じる。そうすれば霊夢に危害が及ぶ事はなくなり、八俣遠呂智の封印は成功する。
これで、封印の儀は完了。八俣遠呂智とその身体を構成する暴妖魔素は封印の中へと戻され、幻想郷中に充満する暴妖魔素は一つ残らず死滅するという事だ。
紫が説明を終えると、一同はざわつき、その中で慧音が挙手した。
「私達に八俣遠呂智を拘束しろだと? そんな事が出来るのか?」
紫は答えた。
「出来るわ。といっても、八俣遠呂智が抵抗してくるというのはあくまで可能性があるだけだから、気にしないでいいかも」
続けてアリスが挙手する。
「本当に上手くいくんでしょうね?」
「それは貴方達の努力次第。この幻想郷を守りたいという意思が少しでもあるんなら、全力を注ぐ事ね」
一同はどこか腑に落ちないような声を出したが、紫は気にせずに、草薙剣を持つ霊夢へ声をかけた。
「あと霊夢、お願いがあるのだけれど」
霊夢は紫と目を合わせた。
「何よ」
「懐夢を、封印の地に連れてってあげられないかしら?」
霊夢は驚いた。
「何言ってんのよ。懐夢は今寝たきりで動けないわ。
それに、どうして連れて行く必要があるのよ」
紫は表情を険しくして言った。
今、懐夢の身体は暴妖魔素に侵されている。半妖であるにもかかわらず、だ。
その暴妖魔素は、普通の暴妖魔素ではない、特別なものである可能性があり、八俣遠呂智が封印されたとしても懐夢の身体から消えない危険性があるらしい。
それを消すには、封印の儀の際に放出される、大きく強化された調伏の力を直接浴びせる必要があるという。そうする事によって、懐夢の身体の暴妖魔素を完全に消し去る事が出来るそうだ。
霊夢は紫の話を聞くなり、少し首を傾げた。
「それ、本当なの? 本当にそんなのが効くわけ?」
「えぇ。かつて八俣遠呂智が暴れまわってた時、懐夢と同じ事になった妖魔がいてね。それの治療法が、今言った方法だったのよ。だから懐夢にも同じように聞くと思うわ」
霊夢はふぅんと言った後、寝室の方を見た。
「でも本当に大丈夫かしら……運んでる最中に何か起きなきゃいいんだけど……」
紫は微笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。貴方が負ぶっていけば、きっと。
それに、貴方に負んぶされてれば、あの子だって安心できるはずよ」
「私が……負ぶっていく……?」
紫は頷いた。
「えぇ。剣は早苗辺りに持っていかせるわ。必要になった際に懐夢と取り換える形で渡させるから、貴方は懐夢をここへ……」
紫はそう言うと、皆の方を向いた。
「さぁ、これから八俣遠呂智の封印の地へ向かうわ。心の準備が出来た人から、神社の外に出て、境内で待っていて頂戴!」
紫が言い放つと、居間に集まっていた者達は続々と居間を出て、境内へ歩き出した。同時に紫も一同の中に紛れていた式である藍と橙の元へ向かい、居間を出て行った。
しかし、その中から魔理沙、早苗、文、レミリア、慧音の五人、そして懐夢の友達且つ慧音の学童達であるチルノ達が霊夢の元へ集まってきた。
霊夢がその事に驚くと、魔理沙が霊夢へ声をかけた。
「いよいよだな、霊夢」
早苗が続く。
「やるんですよね? 私達で八俣遠呂智の封印を」
霊夢は頷く。
「そうらしいわ。いいえ、そうみたい」
文が少し不安そうな顔をする。
「本当にいくんですよね……白の魔神のいる場所に……」
霊夢は文を見る。
「文……あんたは無理についてこなくていいのよ。大天狗のいる天狗の里に戻りなさい」
文は黙った。
直後に、アリスが声をかけた。
「八俣遠呂智ねぇ……まさか伝説の怪物と私達が関わる事になるなんてね」
霊夢はアリスを見る。
「えぇ。まさか
続けて、慧音が声をかけてきた。
「八俣遠呂智もそうだが……今、紫と懐夢について話をしていたようだが……どうかしたのか?」
チルノが続く。
「懐夢、何かするの? 何か、すごい事するの?」
霊夢は先ほど紫から聞いた話を、皆に話した。
それを聞くなり、魔理沙が驚いたように言った。
「えぇっ!? 懐夢を封印の地の最奥部まで負ぶっていくだって!?」
霊夢は頷いた。
「紫によるとね」
早苗が焦ったように言う。
「そ、そんな事をして大丈夫なんですか?」
「わからないわ。でも私、懐夢の治し方はわからないから、ここは紫に頼るしかない」
アリスが顎に手を添える。
「紫は八俣遠呂智が暴れていた時代に戦っていた妖怪の一人……確かにその言葉は信用に足りるわ」
ルーミアが胸で手を組む。
「懐夢、早く良くなるといいね」
リグルが頷く。
「うん。早くまた一緒に遊びたいからね」
霊夢はチルノ達を見て微笑んだ。
「そうね……あの子もきっとあんた達とまた遊べる日を待ち望んでいる事でしょうし、早いところこの異変を終わらせに行こうかしら」
霊夢はそう言うと、早苗に草薙剣を差し出した。
「早苗、草薙剣、あんたが持ってなさい。私は懐夢を負んぶするから、持てないわ」
早苗は霊夢から草薙剣を受け取ったが、少し困ったような顔をした。
「いいですけど……私じゃ草薙剣の力を引き出せないんじゃ……」
「封印の地に着いたら懐夢と取り換えるからさ。だから、お願いね」
早苗は小さく「わかりました」と呟いた。
その直後、霊夢は「懐夢を連れてくる」と言って居間を出て、懐夢のいる寝室へ向かった。
寝室の前に来て、戸を開けてみると、先程と同じように懐夢が自分の布団で寝ていた。
相変わらずだが、顔色は良くないし、息も少し荒い。何より、暴妖魔素に侵されているせいか、かなり苦しそうだ。
霊夢は静かに懐夢の傍に寄ると、腰を下ろし、額のあたりを優しく撫でた。
「懐夢……これから動くけど、我慢してね……」
その時だった。懐夢が口を開き、うんうんと小さく声を出すと、ずっと閉じたままだったその目を開いた。霊夢は「あっ!」と驚いて、懐夢へ顔を近づけた。
「懐夢……? 懐夢!?」
懐夢は霊夢の声を聞き取ったのか、霊夢の方へ顔を向けた。
そこで、霊夢は「え?」と言って唖然としてしまった。
懐夢の左目、藍色の瞳が、右目と同じ紅色に変わっているのだ。
(何これ……!?)
まさか、これも暴妖魔素のせいだというのだろうか。
暴妖魔素は、懐夢の目の色を変えるまで、懐夢の身体を侵食したとでもいうのか。
と思っていたその時、懐夢がか細い声を出して、喋った。
「……だぁれ……?
ぼん……やりして……よくみえ……ない……」
懐夢は続けて言った。
「ねぇ……そこにいるの……は……だれ……?
においも……しないから……わかんな……い……」
懐夢の言葉を聞いて、霊夢は今の懐夢の状態を察した。
懐夢は今、目がほとんど見えない状態になっていて、目の前に映る自分さえも誰なのかわからない状態に陥ってしまっている。更に、鋭い嗅覚を持つ自慢の鼻もどうやら使い物にならなくなっていて、匂いで目の前にいる人が誰なのかを察する事もさえもできなくなってしまっているようだ。
それがわかった途端、霊夢は胸の中にひんやりとした風が吹いてきたような気を感じた。まさか、あんなに元気だった懐夢が、こんなになってしまっているとは、思ってもみなかったし、気付けなかった。
霊夢はぎゅっとスカートの裾を握りしめたが、懐夢の声でそれをやめた。
「ねぇ……そこにいるのは……だぁれ……?」
その時、霊夢はふと自分が今何をするべきなのか、わかったような気がした。
今、懐夢は自分の目の前にいる人間が誰なのか、そもそも人間であるのか妖怪であるのかわからず、怯ているに違いない。こちらを、怖がっているのだ。
怯える懐夢を慰める時には、『あれ』だ。
懐夢に嘘がばれた時から、やる事を躊躇っていたが、今はそんな事どうだっていい。
今はただ、この子を、安心させられればいい。
いや、安心させてやりたい……。
霊夢は自分の左掌を軽く見ると、そっと懐夢の頭に差し伸べ、乗せた。
そしてそのまま懐夢の頭を優しく、そっと撫でて、呟いた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
いつもやっていた、懐夢が怯えた時とかによくやっていた、『おまじない』。
それをやった途端、懐夢は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑みに変えた。
「この……かんじ……そこにいる……の……は……」
霊夢は割り込むように言った。
「今はおやすみなさい。次に目が覚める時には、ちゃんと目も見えるようになってるし、匂いもわかるようになってるわ」
霊夢は懐夢の上半身を軽く抱き上げ、そのまま身体で覆うように抱きしめた。
「さ、もうお眠り。大丈夫だから。
だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
霊夢は何度もおまじないを呟きながら、懐夢の頭を撫でた。
しばらくすると、懐夢はいつの間にか眠りに就いていた。
だが、その呼吸は苦しそうじゃなく、顔色も少し良くなっているように見えた。顔には、安心したような表情が浮かべられている。
「早く……しなきゃ……」
霊夢は表情を険しくすると懐夢の身体を抱き上げて、そのまま負んぶすると、居間の方へ身体を向けた。
そして、すぐさま八俣遠呂智の封印の事と、懐夢の事を考えて呟いた。
「幻想郷を支配しようとしてたっていう
霊夢は居間へ走り、今に残っていた者達と合流すると、そのまま神社を出た。
やがて境内に集まっていた一同と合流すると、全員ほぼ同時に飛翔。
封印の地を目指して飛んだ。
次回、八俣遠呂智の封印の地へ