東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

22 / 152
エピソード・ルーミアⅠ

ガチグロ注意回。



5 瑠空

 翌日、寺子屋。

 チルノ、ミスティア、大妖精が寺子屋に無事にやって来た。

 チルノとミスティアと大妖精の怪我は完治し、いつもの元気さを取り戻していた。

 だが、三人が揃っても、残りのリグルだけは現れず、五人の前から姿を消したままだった。

 

 チルノはやってきたミスティアに懐夢と大妖精と自分とで考えた計画を説明した。

 ミスティアは苦笑いしながらも承諾してくれ、計画の実行に参加すると言った。

 これにチルノは大喜びし、懐夢と大妖精は思わずミスティアに頭を下げた。

 この計画は、ルーミアのおしゃれのリボンを外すだけというあまりにくだらない計画だからだ。慧音の秘密の描かれたリボンを外し、その秘密を諳んずる事。それこそが、この計画。

 ……どこからどう見ても、くだらない計画だ。それに、失敗したら確実に慧音の逆鱗に触れるものでもある。

 懐夢は既に慧音に酷い目に遭わされていたので、失敗する事を恐れてチルノにも何度もやめようと言っていたが、チルノはどんなに言っても計画を取り下げてはくれず、ついに当日まで来てしまった。

 

「よぉぉし! とうとう計画の日がやってきた! 皆、準備はいいね!?」

 

 異様に気合の入っているチルノに、懐夢と大妖精とミスティアは苦笑いしながら頷いた。

 しかし、そのうちの懐夢がチルノに投げかけた。

 

「ねぇ、やっぱりやめない? 失敗したら慧音先生に怒られるよ」

 

 懐夢が恐れているのは失敗だけではなかった。

 懐夢は、昨日からずっと異様な胸騒ぎに襲われていた。それは、チルノにルーミアのリボンの話を持ち込んだ直後から起きた。

 その胸騒ぎを感じ続けて懐夢は、何か良からぬ事が起きてしまいそうな、そんな気がしてならなかった。

 しかし、チルノは懐夢を睨んで、言い返した。

 

「ほんと、腰抜けねぇ懐夢は! 失敗を恐れたら新しい事を発見できないよ!!」

 

「そ、そうだけど……」

 

 懐夢が縮こまると、ミスティアが言った。

 

「大丈夫だよ。怒られる時は皆で怒られればいいんだから」

 

 ミスティアの言葉を聞いても懐夢は安心できなかった。

 というか、もはや怒られることが前提になってしまっているような気がする。

 恐らくこの計画が慧音にばれようものならばあの狼のような形相で睨んで怒鳴ってくるだろう。

 あの時の怖さと来たら! どんなに忘れようとしても全然忘れられない。

 

「君達は知らないんだよ! あの時の慧音先生、すごく怖かったんだから!」

 

 懐夢が言うと、ミスティアと大妖精が顔色を変えた。

 

「ど、どのくらいですか?」

 

「その頭をバリバリと噛み砕いてあげようかって言ってるくらい」

 

 その言葉にミスティアと大妖精は震え上がった。

 慧音の形相とかが想像できてしまったらしい。

 そのうち、大妖精が顔を青褪めさせながらチルノに言った。

 

「ち、チルノちゃん。やっぱりやめない? きっとルーミアさんも嫌がると思うし、ね?」

 

 その時、チルノが目を輝かせた。

 それを見た三人は、背筋が凍りそうになった。……チルノは何か思いついたらしい。

 

「慧音先生が怖い顔になる……それほどまでに知られたくない秘密が書かれてる!!」

 

 チルノは呆れんばかりのプラス思考だった。

 どうやら懐夢の言葉を聞いて、慧音が恐ろしい形相になるほどの秘密がリボンに書かれていると考えてしまったらしい。

 

「うっはぁ! ますます知りたくなってきたぁ! ルーミアのリボンに書かれた慧音先生の秘密!!」

 

 その目を輝かせる顔を見る限り、もはやこの計画をやめるつもりは無さそうだ。

 

「わかったよ……もうやってみようか。正直、慧音先生の秘密見てみたいし」

 

 懐夢が諦めた様子で言うと、他の二人も同じように頷いた。

 もはややめさせようとすることそのものが無意味であると、三人は理解していた。

 

「あぁ~、早くルーミア来ないかなぁ~!」

 

 チルノが呟くが、懐夢はルーミアが今日寺子屋に来ることそのものが心配だった。

 昨日のルーミアの様子はどこかおかしかった。

 リボンを握られた途端動きを急に止めたり、慧音先生としか呼ばないはずなのに上白沢先生と呼んだりして、最後は急に具合を悪くして帰っていった。

 一度は心配ないだろうとは思ったが、途中心配になってきて、それ以降ずっとルーミアが心配で仕方がなかった。

 

(ルーミア……大丈夫かなぁ……)

 

 その時、部屋の入口の戸が開き、教室の中に誰かが入ってきた。

 見てみるとそれはルーミアだった。

 

 四人はまさかにルーミアの登場に驚いたが、そのうちの懐夢は立ち上がってルーミアに歩み寄った。

 

「ルーミア! 身体の方はもう大丈夫?」

 

 ルーミアは笑みを浮かべて答える。

 

「大丈夫だよ。もうすっかり良くなっちゃった」

 

 懐夢は安心した。

 様子を見る限り、ルーミアは完全に元の元気を取り戻している。どうやら本当にただ体調を少しだけ崩しただけだったようだ。

 

 その時、チルノが続けてやってきたルーミアに歩み寄った。

 

「ルーミア~~~~~~~!」

 

 ルーミアは首を傾げてチルノを見た。

 

「何?」

 

「そのリボン、なんなの?」

 

 チルノに言われるとルーミアは目を上に上げた。

 

「リボン……もしかしてこれの事?」

 

「そそ。それって何なのかなーって気になっちゃって」

 

 チルノの問いかけにルーミアは答えた。

 このリボンはルーミアが生まれた時から巻かれていたらしく、本人も何回か気にして撮ろうとしたことがあるらしいが、何か不思議な力に跳ね返されて、触る事すら出来なかったらしい。 

 

 それを聞いた四人は首を傾げた。

 ルーミアの頭についているのに、どうして自分が触る事が出来ないのだろうか。自分の付けているリボンのはずだというのに。

 

「どういう事なのそれ」

 

「わかんない」

 

 懐夢の問いにもあいまいな答えをルーミアは返した。

 リボンの事は本人にもよくわかっていない事らしい。

 

「はっは~ん……それほどまでに知られたくない秘密が隠されてるんだねぇ……?」

 

 チルノが怪しく目を光らせると、ルーミアは恍けたようにチルノを見た。

 

「秘密?」

 

「そ。あんたのリボンにはね、慧音先生の秘密が書いてあるんだよ」

 

 その途端、ルーミアはチルノと同じように目を輝かせた。

 

「本当!? 慧音先生の秘密見てみたい! ねぇこれ」

 

 ルーミアが言ったその時、懐夢の頭の中に一点の光が走った。

 あの時ルーミアのリボンを外そうとしたら慧音は激しく怒った。ただのおしゃれのリボンに触っただけだというのに、恐ろしいまでの形相で怒鳴ってきて、痣が出来るほど強く手を掴んできた。

 チルノはこれを聞いて、慧音がルーミアのリボンに知られたくない恥ずかしい過去を書き込んで、ルーミアに付けた。それを見られるのを嫌がって怒ったのだと言った。

 しかし、ルーミア本人によればリボンは生まれた時から付いているとのこと。そしてそれから一度も外した事が無いらしい。

 この時、チルノとルーミアの主張は矛盾する。

 一度も外れた事のないリボンに、本人に気付かれず、尚且つ周りから見えない位置に書き込みを入れるのは不可能に等しい。

 もし、あのリボンに書き込みを行うならば、本人に付けられる前か、本人が寝ている間にひっそりと外して書き込み、再度付け直す必要がある。

 それに、チルノはあれは慧音が秘密を隠すために付けたものだと言っているが、そもそもあれは本当に慧音が付けたものなのだろうか。しかし、これの答えは簡単に弾き出せた。

 もしあのリボンが慧音によってつけられたものなのであれば、慧音はルーミアの出生に関わっているという事になり、慧音が生まれてきたルーミアに何らかの意図でリボンを付けたという答えが弾き出される。あの、本人が触る事すら出来ない不思議な力を持つリボンを。

 だが、もしあれが慧音によって付けられたものではないというのであれば、慧音があんなに怒った理由があやふやになるし、第一慧音はあのような自分とはほとんど関係のない事で怒る人じゃない。

 あれは間違いなく、慧音が付けたものだ。ルーミアの出生に関わり、あれを付けたのだ。

 己が付け、何らかの意味を持っているものだからこそ、慧音はあんなに怒ったのだ。

 

 ……しかし、だとしたらそれは何故だろう。

 何故、慧音はルーミアの出生に関わる必要があったのだろう。

 何故、あのようなリボンをルーミアに付けたのだろう。

 何故、あのリボンはルーミアが触れないようにできているのだろう。

 泉が湧くように次から次へと疑問が出てきて、頭の中が疑問という名の泉で埋め尽くされてしまった。

 その疑問を解決しようと考え込んでも、全然答えが出てこない。

 ……答えを知りたい。あのリボンに隠された秘密の答えを、知りたい。

 

「むぅぅ!?」

 

 その時、チルノ、大妖精、ミスティアの声が聞こえてきた。

 何かと思って考え込む姿勢をやめて、その方向を見てみると、チルノと大妖精とミスティアがルーミアのリボンに手を伸ばし、苦悶の表情を浮かべていた。

 

「な、なにやってんの?」

 

 チルノに話を伺うと、ルーミアのリボンを外そうとしているのだが、ルーミアのリボンの放つ不思議な力に跳ね返されてリボンに触れる事すら出来ずにいるという。

 

 懐夢はこれに違和感を感じた。

 ……昨日確かに自分はルーミアのリボンに触れて、引っ張れた。

 なのに今チルノ達が、つけている本人のルーミアがどんなに手を伸ばしても触れる事すら出来ずにいる。

 

 「んー、駄目です。私達じゃ触る事すら出来ません」

 

 リボンの不思議な力に防がれて、大妖精は諦めたように言った。

 そのうち、チルノとミスティアとルーミアも、リボンに触れる事をやめた。

 どうやってもルーミアのリボンに触れる事が出来ないらしい。

 しかし、自分はあの時触れる事が出来た。

 

(どうして皆触る事が出来ないの……? )

 

 更に、よくよく考えてみたところ、彼女らの種族は妖怪と妖精だ。

 もしかしてあれは、妖怪は触れないようにできているのではないだろうか。

 これに気付くと、懐夢は四人に言った。

 

「ねぇ、僕ならいけるかもしれない」

 

 四人の注目が懐夢に集まる。

 懐夢が四人に昨日の事と思い付いた事を話すと、そのうちのルーミアが思い出したように答えた。

 

「そっか! 確かにあの時懐夢は私のリボンに触れてたもんね」

 

 大妖精があっと閃く。

 

「このリボンに宿るは妖怪を跳ね返す力……確かに半妖である貴方ならいけるかもしれません」

 

 懐夢は頷いた。

 

「ルーミア、やってみるよ」

 

 ルーミアもまた頷いた。

 

「わかった。やってみて」

 

 懐夢はルーミアに歩み寄るとその頭に手を差し伸べた。

 やがてその手がリボンに触れると、周りの三人があぁっと驚きの声を上げた。

 ……懐夢が触れた。自分達では触れる事すら出来無かったルーミアのリボンに。

 

「触れた……」

 

 懐夢は呟くと、ルーミアのリボンを外し始めた。その時、懐夢は思わず驚いた。

 ルーミアのリボンは普通の巻かれ方をしておらず、複雑に入り組んだ巻かれた方をしていた。

 まるでこの前霊夢がやっていた知恵の輪のようだ。

 

「えっと……ここをこうやって……ここをこうして……」

 

 試行錯誤を重ねる内に、布の知恵の輪のようなリボンは徐々に緩んできた。

 そして他の者達がじっと見つめる中、懐夢がもう一手加えると、とうとうルーミアのリボンは外された。

 

「外……せた」

 

 その瞬間、チルノ、大妖精、ミスティアは大声を上げて、懐夢に駆け寄った。

 

「外れたぁ!! んで、慧音先生の秘密はどこにー!?」

 

 四人は早速ルーミアのリボンを広げて見た。

 しかし、どこを探してもそれらしきものは書いていない。

 ルーミアのリボンは、何も書かれていない、特殊な力を持った赤い布だった。

 

「あれ……何も書かれてない……?」

 

「そ、そんな馬鹿な!?」

 

 懐夢が呟くと、チルノは焦ったように言って懐夢の持つ赤い布を見た。

 血眼になるつもりで、赤い布を隅々まで見た。

 だが、どこにも文字らしきものも模様もない。

 やはり、どんなに見てもただの赤い無地の布だ。

 

「何も書かれてないなんて……ん?」

 

 その時、懐夢はふとルーミアを見た。

 ルーミアは姿勢を崩して、畳の上に座り込んでいた。

 顔に血の気が無く、目も虚ろになっている。

 懐夢はリボンを持ったままルーミアに歩み寄って、腰を落とした。

 

「ルーミア? どうしたの?」

 

 ルーミアは答えない。

 だが、その直後、ルーミアは顔を上げた。

 

「ここは……」

 

 懐夢、チルノ、大妖精、ミスティアはきょとんとした。

 

「ルーミア?」

 

「……いッ」

 

 懐夢が再度声をかけたその時、ルーミアは突然両手で頭を抑えた。

 頭痛を感じているらしい。

 

「ルーミア? 頭痛いの?」

 

 ミスティアが声をかけると、ルーミアは頭を抑えるのをやめた。

 そして、ルーミアは顔を上げ、他の者達は驚いた。

 ルーミアの瞳は開いていたが、どこも見おらず、不安定に揺れていた。

 

「あ……あぁ……わたし……が……とうさまと……かあさま……を……」

 

 他の者達は、異変に気付いた。

 明らかにルーミアの様子がおかしい。

 この場にルーミアはいるのだが、まるでルーミアがルーミアでなくなっているような気すら感じる。

 

「る、ルーミア……?」

 

 チルノが声をかけたその時、

 

「うっ……お゛ぇぇぇ゛ぇッ」

 

 ルーミアが突然その場に胃液を吐き出した。

 突然の事に皆が驚き、ルーミアを囲むように寄り添った。

 

「だ、大丈夫ルーミア!?」

 

 ルーミアは答えるばかりか、自分の吐き出した物を見た。

 

「……ひぃッ……」

 

 周りの者達もルーミアの吐き出した物を見た。

 そこには、醜く溶けかかった筋肉のようなものと皮膚のようなものと骨、腸(はらわた)のような肉、溶けかけた人間の指がいくつか転がっていて、胃液は血のように真っ赤で、髪の毛のような黒い毛が散らばっていた。

 一同はそれが何なのかすぐに理解した。

 ルーミアは人間を食べる妖怪だ。

 その腹から出てきたという事は、これは、ルーミアの食べた人間だったものだ。

 直後、ルーミアは両手で頭を抑えた。

 

「あ……あぁ……とうさま……かあさまだけじゃない……わたしは……ほかのひとも……たべ……」

 

 次の瞬間、ルーミアは金切声(かなきりごえ)を上げながら床に倒れ、狂ったように足をばたつかせながら床を転げまわった。

 周りの者達は驚き、暴れるルーミアを抑えると、そのうちの懐夢がルーミアに声をかけた。

 

「る、ルーミア!? どうしたの!? しっかりしてよ!!」

 

 チルノ、大妖精、ミスティアが続けて声をかける。

 

「ど、どうしちゃったのよルーミア!?」

 

「ルーミアさん! しっかりしてくださいルーミアさん!!」

 

「ルーミア! ルーミアってば!!」

 

 四人はルーミアを抑え込んだが、ルーミアの暴れる力は思ったよりも強く、すぐに解放してしまい、弾き飛ばされてしまった。

 四人は思わず息を呑んだ。

 あそこで暴れているのは、本当にルーミアだというのだろうか。

 あの能天気で明るく、暖かいルーミアであるというのだろうか。

 

(ルーミア……なんで……? ) 

 

 リボンを外してから、もはやルーミアが別な存在になってしまったようにも思えた。

 そしてそのルーミアだったものは、今も尚目の前で狂ったように暴れている。

 どうすればいいのか、全くわからなかった。

 

 その時、教室の入口の戸がぴしゃっと開いた。

 

「どうした! 何かあったのか!?」

 

 やって来たのは慧音だった。どうやらルーミアだったもの叫び声を聞いて何事かと思って駆けつけてきたらしい。

 

 懐夢は慧音を見るなり、大声を出した。

 

「先生! ルーミアが! ルーミアがぁ!!」

 

 慧音はその光景を見て驚いた。

 ルーミアが、床で転げまわって暴れている。

 

「何があった………………あっ」

 

 慧音は気付いた。

 狂ったように転げまわるルーミアの頭からリボンが無くなっている。

 そしてそのリボンは今、自分に声をかけてきた懐夢が握りしめている。

 ……まさか、懐夢がルーミアのリボンを取ってしまったというのだろうか。

 

「……くッ」

 

 慧音は軽く歯軋りすると、ルーミアへ駆け寄り、狂ったように暴れるルーミアを抑えつけてうつ伏せにすると、その項に向けて手刀を叩き付けた。

 ルーミアは金切声をあげるのをやめ、がくっと床に伏した。

 慧音の一撃を受けて、気絶してしまったらしい。

 ルーミアの金切り声が止まると、重い沈黙が部屋を覆った。

 この部屋にいる全員が下を向いてしまって、顔を上げれず、声を出せずにいる。

 

 その時、慧音がルーミアを抱えて立ち上がった。

 慧音に一同の注目が集まると、慧音は口を開いた。

 

「……懐夢……リボンを持って付いて来い。その他の者達はここでじっとしていろ」

 

 慧音はそう言うと、教室の出口へ向かった。

 懐夢は小さく「はい」と答えて慧音の後を追い、残った者達は黙ったままじっとした。

 

    *

 

 慧音が向かったのは教務室だった。

 慧音は教務室に着くと靴を脱いで畳の上に上がり、畳の上にルーミアを寝かせ、その身体に近くに置いておいた毛布を掛けた。

 一方懐夢はというと、教務室の入口の前でリボンを握りしめて立っていた。

 

「何をしている。さっさと入れ」

 

 そんな懐夢に慧音は声をかけた。

 懐夢は頷き、靴を脱いで教務室の中に入り、畳の上を歩いた。

 

「座れ」

 

 慧音に言われて、懐夢はその場に座った。

 懐夢はそのまま慧音を見た。

 慧音は、じっとルーミアを見たまま動かなかったが、そのうち口を開いた。

 

「……この子のリボンを外したのは、お前だな?」

 

 懐夢は頷いた。

 慧音は更に言った。

 

「……何故そんな事をした。あれほどそれに触ってはならないと言ったというのに」

 

 懐夢は俯いた。

 慧音に答えを返す事が出来ない。

 

「言いつけは絶対に守る。そうではなかったのか?」

 

 懐夢は何も答えなかった。

 慧音は更に懐夢に言った。

 

「もう一度問おう。何故そのような事をした?」

 

 懐夢はか細い声で答えた。

 

「知りたかったから……慧音先生が触るなっていう、ルーミアのリボンの秘密を知りたかったから……」

 

 慧音はまた溜息を吐いた。

 

「知るなと言われていたというのにか?」

 

 懐夢はぎゅっとリボンを握りしめた。

 ルーミアのリボンに触れて、慧音に怒鳴られたあの時、懐夢は正直なところ慧音が腹立たしかった。

 怒るだけ怒って、何故怒ったのか、どうして怒る必要があったのか教えてくれなかったからだ。

 懐夢は重要な事を教えず、人を無知なままにする姿勢が大嫌いだ。

 そして、知りたくても知る事が許されない歯がゆい思いも、大嫌いだ。

 だからこそ、あの時慧音が怒った理由、ルーミアの頭のリボンの意味を求めて、ルーミアのリボンを外して見せるというチルノの計画に乗ったのだ。

 

 懐夢はリボンを握りしめた後、ぎりっと歯軋りをした。

 それを慧音は横目で見て、溜息を吐いた。

 

「……そうだったな。お前は、知る事に楽しみを感じる奴だったな。それで、ルーミアのリボンについて教えてくれない私に腹を立てて、自分で答えを見つけ出そうとルーミアのリボンを外すに至ったのか」

 

 懐夢は頷いた。

 慧音はまた軽く溜息を吐くと、身体を懐夢の元へ向けた。

 

「……こうなってしまった以上、お前にルーミアとそのリボンの事について話さなければならないのだが、かなりきつい話になる。それでも、聞くか?」

 

 慧音の問いに懐夢は頷き、慧音の目を見た。

 慧音は懐夢と目を合わせて、気付いた。

 懐夢の目は、いつも自分の授業を聞く時と全く同じ目つきになっていた。

 

「わかった。話そう。ルーミアに何があったのかを……全て」

 

 慧音は、そう言うと懐夢に話を始めた。

 

 ―――ある時、瑠空(るあ)という一人の少女が居た。

 瑠空は母と父の三人で街で暮らしていて、服屋を営んでいた。

 瑠空の両親の作る服は、街でも評判が高く、売れ筋も好調。瑠空の家は決して貧しくはなかった。

 服を作る二人の娘である瑠空本人も、いつかは父と母の服屋を継ごうと考えていて、そのために慧音の経営する寺子屋に通って日々勉学に励んでおり、試験の成績もよく、性格も穏やかで優しく人当たりがよく、休みになれば父と母の手伝いをするなど、誰から見られても健気な子であると思われる少女だった。

 瑠空の通う寺子屋の教師である慧音も、瑠空の事を気に入っていた。

 瑠空本人も慧音の事を気に入っていたらしく、寺子屋に来ればよく話をしてきた。

 教師というものは常に公平でなくてはならない。しかし、教師だって人間だ。

 成績も良くて性格も明るく、人当たりのいい子にはついつい目をかけてしまう。まさに瑠空がそれだった。

 慧音は、そんな瑠空の将来が楽しみで仕方がなかった。

 瑠空が大人になって服屋の経営者になったら、ぜひとも服を買いに行きたいとも考えていたし、瑠空本人も是非とも買いに来てくださいと言ってきた事もあった。

 瑠空の未来は明るい。慧音はずっとそう考えていた。

 

 瑠空が十一歳になった年のある日、慧音の元に訪問者が現れた。

 それは、瑠空の両親だった。

 二人共、顔から血の気を無くして、焦っていた。

 そして、そのうちの瑠空の父親の背を見てみると、父に負ぶられてぐったりとしている瑠空の姿があった。

 慧音が何事かと尋ねてみたところ、驚くべき答えが返ってきた。

 

 ―――瑠空に妖怪が取り憑いた。

 

 瑠空の両親は顔を青褪めさせながら、そう言った。

 慧音は本当かどうか確認しようと、瑠空に近付き、妖怪の放つ妖気、妖力を感じ取ろうとした。

 ……瑠空の両親の言葉は真だった。実際に、瑠空から妖怪の放つ妖気と妖力が感じ取れた。

 間違いなく、瑠空に妖怪が憑いていた。

 

 妖怪が人に取り憑くというのは珍しい事ではない。

 妖怪は人間の怖れより生まれるものだが、必ずしも実体を持って生まれてくるわけではない。

 時に、実体を持たず、魂だけの状態で生まれてくることもある。

 実体を持たぬ魂として生まれた妖怪は実体を求めてこの世を彷徨い、そして良さそうな実体を見つけると取り憑き、その者を侵して確たる生命(いのち)容姿(かたち)を手に入れようとする。

 そして妖怪に憑かれた者の意識と存在は破綻し、憑いた妖怪と融合するようにして消える。

 残った身体は妖怪のものとなり、取り憑いた妖怪は生命(いのち)容姿(かたち)を手に入れる。

 瑠空は、今まさに妖怪に身体を侵され、存在を奪われそうになっている状態だった。

 推測するに、もう一週間ほどで瑠空は妖怪と化すだろう。

 

 慧音はこれを知ると、瑠空の両親に瑠空を捨て、殺すよう頼み込んだ。

 妖怪に憑かれた以上、もう瑠空の妖怪化を抑える事は出来ない。

 このまま放っておけば瑠空は妖怪と化し、両親の娘ではなくなり、様々な人間に危害が及ぶようになる。

 慧音はそう言って、瑠空の両親に頼んだ。

 しかし、瑠空の両親はこれを受けて入れてはくれなかった。

 両親は妖怪になっても我が娘である事に変わりはないと言い、帰っていってしまった。

 

 慧音は考えた。

 瑠空の両親は、瑠空を宝物だと言って愛していた。

 その宝物を手放すつもりなど、更々ないに違いない。

 しかし、瑠空はそうは言っていられない状態になっていた。

 あのまま、両親の思うまま瑠空を放置していたら、瑠空は妖怪と化し、あの二人に真っ先に襲いかかるだろう。

 そして、あの二人を妖怪の本能のまま、食い殺すであろう。

 それだけは、何としても避けねば。

 

 その時慧音は自分の能力に気付いた。

 自分の能力は「歴史を食べる程度の能力」。ある歴史を人々の記憶から消し去り、なかった事にする能力だ。

 これを使えば、両親に気付かれないように瑠空を殺した後、街の歴史、皆の記憶から瑠空を消し、瑠空という存在を無かった事に出来る。誰にも気付かれず、誰も傷付けず瑠空を殺す事が出来る。

 しかし、考えたところで慧音はどうやっても瑠空を殺す気になれなかった。

 瑠空は自分にかなり懐いていたし、自分自身も瑠空を気に入っていた。

 あの()の存在がこんな事の為に無意味に消えてしまうのが、惜しくて、悔しくて、悲しくて仕方はなかった。しかし、このままあの()を放置するわけにはいかない。

 慧音は何度も自分に街のため、この人間の里のためであると言い聞かせた。

 しかし、()を殺す気にはどうしてもなれなかった。

 だが、このままでは瑠空は妖怪となってしまう。

 このまま、妖怪と化す瑠空を見ているしかないのか。

 瑠空の存在が破綻する有様を、ただ見ているしかないのか。

 

 その時慧音はある事を思い出した。

 以前研究した術の一つに、"ある意識"を封じ込めるという術があった。

 それは、その名の通り人間に(まじな)いをかけ、存在してはならない、あるいは存在させたくない"ある意識"を封じ込めるという術だ。

 慧音はこれに閃いた。

 これを使えば、身体の妖怪化を防ぐ事が出来なくとも、妖怪としての人格、本能を封印する事によって、瑠空を真の意味で妖怪化から守る事が出来る。

 慧音はこれを思い付くと、早速その術の研究を再度開始した。

 

 術はその三日後に完成し、慧音は完成した術を一枚の赤い布へ彫り込んだ。

 これを瑠空に付ければ、瑠空に取り憑いた妖怪の意識と本能は封じ込められ、瑠空は意識と存在を保つ事が出来る。

 これさえつけてしまえば、瑠空の妖怪化は心配いらなくなる。

 あの()を、その身を侵す妖怪から守る事が出来る。

 慧音はそう思いながら、瑠空の妖怪化が進行する夜を待った。

 

 そして、夜が来ると慧音は街中を歩き、住宅街の中に存在する瑠空の家へ向かった。

 角を二つほど曲がり、瑠空の家が見えてきたその時、耳に奇妙な音が聞こえてきた。

 

「瑠空? 瑠空、やめて! 瑠空……ぁッ……ああああああああああああああああッ!! !」

 

「瑠空! 瑠空、やめろ……やめろぉ!! ぐあああああああああああああ……ッ!! !」

 

 それは、瑠空の両親の叫び声だった。

 慧音は顔を青褪めさせて、瑠空の家へ走った。

 瑠空の家の入口の戸を開き、中に入ったが、そこに誰もいなかった。

 声の発生源を探していると、奥の部屋の戸から明かりが漏れているのが見えた。

 慧音はその位置に向けて一目散に走り、その戸を開いた。

 

 慧音は呆然とした。

 部屋の壁の四方八方にどす黒い血がこびり付き、床には大きな血溜まりと、千切られた人間の腕と脚と、上半身を失って臓器が飛び出した下半身、どこかの部位と思われる肉と千切れた腸が散乱していた。

 その地獄絵図の中に、ひっそりと佇む少女の姿があった。

 それはまさしく、今妖怪化を封じてやろうとしていた瑠空だった。

 瑠空は、血まみれの唇を捲り上げ、歯を剥き出しにして人間の腕をバリバリと音を立てて咀嚼していた。

 あまりの光景に頭が痺れ、目の前で起きている事が信じられず慧音は凍り付いたように呆然と、血だまりの中肉を喰らう少女を見ていた。

 ……遅かった。自分が来るよりも先に、自分の予想よりも早く、妖怪の人格が瑠空の中で目覚めてしまった。今瑠空が捕食しているのは、己の両親だ。あの声は両親の断末魔だったのだ。

 その時、血塗れの瑠空がこちらを向き、目を合わせてきた。

 慧音は呆然としたまま、瑠空と目を合わせた。

 瑠空の目つきはあの穏やかな瑠空の目つきではなかった。

 瑠空の目つきは完全に妖怪の目つきに変わっていた。

 その次の瞬間だった。瑠空は突然頭を押さえて苦しみ出したのだ。

 慧音は瑠空の苦悶の声で我に返り、苦しむ瑠空に駆け寄った。

  

 やがて苦しみが治まったのか、瑠空はゆっくりと首を動かして慧音を見た。

 瑠空の目つきは、元の瑠空の目つきに戻っていた。

 瑠空は、慧音と目を合わせるや否、周りを見回した。

 

「え……なに……これ……うっ……ぷっ」

 

 瑠空は転がる肉と内臓を見ると、その場に嘔吐した。

 瑠空より吐き出された嘔吐物は、醜く溶けかかった筋肉のようなものと皮膚のようなものと骨、(はらわた)のような肉、溶けかけた人間の足の指と真っ赤に染まった胃液だった。

 瑠空は己が吐き出した嘔吐物を見て、顔色を真っ青にした。

 ―――瑠空は気付いてしまったのだ。

 先程まで一緒にいたはずの父と母の姿が見当たらない。その理由が、自分が食い殺した事である事に。

 自分が妖怪となって、父と母を喰らった事に気付くと、瑠空は狂ったように叫び、暴れ始めた。

 

 慧音は叫び暴れる瑠空の項に一撃を叩き込み、気絶させた。

 瑠空が大人しくなると、慧音は己の行動が遅すぎた上に甘かった事に慄いた。

 瑠空の心は短時間で完全に崩壊した。

 自らが妖怪となって最愛の父と母を喰い殺したというショックは瑠空の心を完全に且つ簡単に破壊した。

 もはや、瑠空が瑠空として生きていくのは不可能であると、慧音は悟った。

 

 慧音はふと、自分の手に握った布を見た。瑠空に憑いた妖怪の妖怪としての本能を封じ込めるための術式が彫り込まれた布を。

 ……瑠空はもう普通に生きていく事が出来ない廃人となった。

 そんなふうに生かすくらいならば、いっその事廃人となった瑠空を封じ込めて、瑠空の身体を取り憑いた妖怪に引渡し、街の外で妖怪として生きさせた方が幸せだろう。誰にも知られず、瑠空という存在を捨てて、妖怪として生きた方が……幸せに違いない。

 慧音は布の術式を一部書き換えると、気を失った瑠空の髪の毛に複雑な結び方で結びつけた。

 結果、瑠空の身体に呪いが施され、廃人となった瑠空の意識は封じ込められ、瑠空の身体は妖怪のものとなった。

 この時、一匹の妖怪が、この幻想郷に誕生した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。