東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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懐夢について新たな事実発覚。
ちょっとグロ注意回。


2 命蓮寺

 人間の里の「街」、そのはずれにある大きな寺。

 その名は命蓮寺。

 かつて魔界より帰還した船を改築して建てられた寺であり、今現在は聖白蓮が住職を務めている。

元々は、妖怪を救うために建てられた寺であったが、そのうち人間も隔たりなく受け入れるようになり、宝船が変化した縁起のいい寺として、里の人間や妖怪達から信仰を集めている。

 その門前に、深緑色のセミロングで薄赤色を基調とした服を身に纏い、頭から茶色い犬のような耳を生やした少女が一人。その名は幽谷響子。

 響子は命蓮寺に住まい、住職である聖の仏道の弟子と命蓮寺の石畳の掃除当番をやっている。

しかし、水無月という事もあってか落ち葉はほとんど無く、掃除はすぐに終わってしまった。

 しかも、少し気温が高いせいで、喉が渇いてしまった。

 

「喉乾いたなぁ……あ、そうだ。川に行こう」

 

 この近くには川があり、その川の水はとても澄んでいて美味しく、渇いた喉を潤すにはもってこいだ。

思い付くなり、響子は竹箒を持ったままその場を離れて、清水の流れる川へ向かった。

 ちょっと歩くと、水の流れる音が聞こえてきた。更に歩くと、川が見えた。

 

「あったあった!」

 

 響子は早速川に近付き、水辺まで来ると近くに竹箒を置き、地面に膝をついて両手で川に流れる指が痺れるほど冷たい清水をすくい、喉を鳴らして飲んだ。

 清水は瞬く間に渇いた喉を潤し、生き返ったような気が頭の中に溢れた。

 まぁ、そこまで暑くないのでそんな気はほんの少ししか感じなかったが、とにかく渇いた喉を潤せてすっきりした。

 

「はぁ……さてと、命蓮寺に戻らなきゃ」

 

 一息吐き、立ち上がろうとふと視線を川上の方へ向けたその時、響子はある事に気付いた。

 川上の方から何かが流れてくる。大きさ的に、山の方から来た流木だろうか。

 響子は目を細めた。そして、流れてきたものの正体を理解した時、響子はひどく吃驚した。

 人だ。九歳くらいの子供が、真っ直ぐこちらに向かって流れてきている。

 

「人!?」

 

 響子はぴょんっと軽く浮かび上がり、川の真上まで来て服の袖を捲り、流れてきた子供の身体を両腕で掴んだ。人間だったならば重く感じたかもしれないが、妖怪である響子は子供の身体は普通の重さと感じた。

 響子は子供を抱えて近くの岸辺に降りると、子供を地面に寝かせた。

 子供は赤茶色のセミロングヘアで、黒と青を基調とした上着を着て上着と同じ色の袖を付け、蒼い袴を履いていた。

 ずっと流されてきたのか、髪の毛の先から靴の先までびっしょりと濡れていた。

 顔の形と髪の毛の長さからして、女の子だろうか。

 しかし着ているものは男のがよく着るものだ。恐らく、男の子だろう。

 この少年は生きているのだろうか。どれだけ流されてきたのかはわからないが、死んでいるか死んでいないか確認せねば。

 

「……生きてるのかな……?」

 

 響子は少年の頬を軽く叩き、声をかけた。

 

「あの、大丈夫ですかー?」

 

 響子が声をかけると、少年は顔を動かして僅かに声を出した。

 ……生きている!

 死んでいたならばともかく生きている以上放っておくわけにはいかない。

 

「早く聖さんのところに知らせないと!」

 

 響子は少年の身体を負ぶると、そのまま急いで命蓮寺へ戻った。

 

 

           *

 

 

 暖かい何かが全身を包んでいるような感触で懐夢は意識を取り戻した。

 目を開け、ぼんやりと天井を眺めた。その天井は見慣れた博麗神社の寝室ものでも、寺子屋の教室のものでもない天井だった。

 形的に、神社のものによく似ていた。

 身体を起こすと、腹の辺りが少し痛んだ。ふと身体を見てみると、着ているものがいつもの服ではなく、白い寝間着のような服だった。服から匂いが漂ってきたが、嗅いだ事のない匂いだった。

すぅっと息を吸うと、お香のような匂いが鼻へ流れ込んできた。どうやら、どこかでお香をたいているらしい。

 それにしても、ここはどこだろうか。

 

「おや、目が覚めたようですね」

 

 部屋のどこかから声が聞こえてきた。

 ふと声の聞こえた方向を見てみたところ、そこには黒と白を基調としたドレスのような衣装を身に纏い、頭の上の方の髪の毛は紫色だが、下に行くにつれて金色に色が変わっている特殊な長い髪の毛で、胸が大きい、金色の瞳の女性が立っていた。

 何故かはわからないが、不思議な雰囲気を女性から感じた。

 

「よかったわ。ちゃんと目を覚ましてくれましたね」

 

 女性はこちらに歩み寄り、やがて畳の上に腰を降ろした。

 懐夢は女性を不思議がり、声をかけた。

 

「ここは……それに……おねえさん……は……?」

 

 女性は微笑んだ。

 

「おや、突然の事に混乱してしまっているようですね。ここは命蓮寺。そして私は住職の聖白蓮です。貴方は、この近くを流れる川の上流の方から流されてきて、私の仏道の弟子に拾われたんです」

 

 懐夢はひとまず女性の名前と現在地を把握した。

 命蓮寺と言えば街のはずれにあるという宝船が変化して生まれたという縁起のいい寺だ。

 話を聞いてから行ってみようとは思っていたが、まさかそこに辿り着いてしまっているとは思ってもみなかった。

 ちなみに白蓮曰く今懐夢の着ている服はここ命蓮寺に住まう者達が着る寝間着の一つで、懐夢が着ていた服は洗濯され、干されているらしい。

 何せ川を流れてきたものだからびしょ濡れで、とても着れない状態だったという。

 

「貴方を運んできた子は幽谷響子という子なのですが、酷く驚いていましたよ。「聖さーん!川から男の子がー!」なんて言って。まぁ私も他の子達も結構驚いたのですが」

 

 白蓮は穏やかに笑った。そのおかげなのか、不思議な雰囲気は感じるものの、懐夢は白蓮を怖いとは思わなかった。

 その直後、廊下の方から誰かが歩いてきた。

 

「聖ー、坊主の頭に乗せる手ぬぐいと水持ってきたぞ」

 

 やってきたのは、髪の毛が少し癖のあるダークグレーのセミロングで、頭から鼠のものと思われる丸い耳を生やし、先の方が切り抜かれた奇妙なセミロングスカートを着て、肩に水色のケープを羽織り、腰から長い鼠のもの思われる尻尾を生やした深紅の瞳の少女だった。手には水桶を抱えていた。

 少女は部屋に入ってくるなり、起きている懐夢に反応を示した。

 

「って……なんだ。起きたのか坊主」

 

 懐夢は少し頭を下げた。

 少女は桶を置くと聖に歩み寄り、やがてその隣に座り込んだ。

 白蓮はやってきた少女に懐夢が起きた時間などを伝えた。

 それを聞いた少女は腕組みをして軽く溜息を吐いた。

 

「なんだ。じゃあ結局濡れた手ぬぐいなんか必要なかったんじゃないか」

 

 少女が言っていると、白蓮が懐夢に話しかけた。

 

「この子はナズーリン。先程話した響子と同じく私の弟子です」

 

 ナズーリンは軽く頷いた。

 その直後、懐夢はある事を思い出した。

 白蓮、ナズーリンと名を聞いたが、自分はまだ名を教えていない。

 

「あ、ずっと言い忘れていましたけど、僕の名前は懐夢。百詠懐夢です」

 

 懐夢が名乗ると、白蓮は「おっとそうでした」と言った。どうやら白蓮自身も懐夢に名を聞くのを忘れていたらしい。

 その直後ナズーリンは懐夢の顔に顔を近付けて覗き込むように見た。懐夢はそれにびくりと反応を示し、顔を少し赤らめたが、ナズーリンは気にせず口を開いた。

 

「なるほど……響子によるとキミは男らしいが、女みたいな顔をしているな。それに、半妖だな」

 

 懐夢は驚いた。

 

「え、なんで僕が半妖だってわかったんですか?」

 

 ナズーリンは懐夢の顔から顔を遠ざけた。

 

「その目だよ。キミの左目は藍色で街でよく見る"人間の目"だが、右目は私と同じ深紅で"妖怪の目"だ」

 

 ナズーリンに言われて懐夢は自分の顔を思い出した。

 そういえば、自分の両目は色とパターンが違う。

 左目は母と同じ藍色で母の目と同じパターンだが、右目は父と同じ深紅色で父の目と同じパターンだ。

 まさかこれが、半妖の証になっているとは気付かなかった。

 

「それに、軽く口を開けてごらん」

 

 懐夢は口を軽く開けた。

 ナズーリンは懐夢の口の中を軽く見た。

 

「その鋭利な二本の八重歯。それも妖怪のものだ」

 

 再度言われて懐夢は自分の歯の事も思い出した。

 そういえば自分の八重歯は鋭利だ。肌に突き刺せば普通に血が出るくらいに。

 父もかなり鋭利な八重歯を持っていたからどうやらこれは父から譲られたものらしい。

 言われて初めて自分の半妖らしいところに懐夢は気付いた。

 

「ところでキミはどこから来たんだ? やはり街の方か?」

 

 言われて懐夢ははっとある事を思い出した。

 リグルの住む森に現れたあの妖怪だ。

 自分はあの時竜の尾に吹っ飛ばされて川に落ちたのだろう。それでそのまま流されてここまで来たのだろう。

 あれからどのくらい経ったかわからない。

 けれどもしあれからあまり時間が経っていないのであれば、あいつはまだあの森で暴れているかもしれない。

 そして、皆を襲っているかもしれない。

 

「白蓮さん、ナズーリンさん、今何時ですか!?」

 

 懐夢が突然声を出すと白蓮は驚いたような反応を示し、ナズーリンは懐から時計を取り出して文字盤を諳んじた。時計の針は午後一時を示していた。

 ナズーリンは時計の文字盤から目を逸らすと懐夢の方へ目を向けた。

 

「午後の一時だ。それがどうかしたのか?」

 

 言われて懐夢は何も言わずに立ち上がった。

 白蓮達は驚き、懐夢に声をかけた。

 

「懐夢駄目ですよ! 貴方、怪我をしてるんですよ!?」

 

「そんな怪我をしたままどこへ行くんだ坊主」

 

 言われて懐夢は首を傾げた。

 先程動こうとした時には軽く痛みが走ったが、今はすっかり引き、どこにも傷があるような感じはしない。

 白蓮とナズーリンが何の話をしているのか、いまいちよく理解できなかった。

 

「傷? 傷なんてないですよ?」

 

 懐夢の答えに白蓮とナズーリンは目を丸くした。

 懐夢の服を脱がせたその時、彼の身体には、ところどころ大きな青痣があった。

 それに右腕と左足は骨に皹(ひび)が入っているのか、大きく腫れていた。

 とても動いてはいけないような状態だった。なのに、懐夢はそれはないと言う。

 

「嘘を吐くんじゃない坊主。キミがここに運ばれた時、キミの腹には大きな青痣が、右腕と左足は大きく腫れていたんだぞ。動けば痛くて仕方がないはずだ」

 

 懐夢はふと上着の袖と袴の裾を捲った。

 そしてナズーリンの言う右腕と左足を見た。

 しかし、右腕と左足はナズーリンの言うように腫れてはいなかった。どう見ても普通の自分の右腕と左足だ。左腕、右足と見比べても全然大差がない。

 それを見た白蓮とナズーリンは驚いた。

 

「あれ……腫れが引いてる……!?」

 

「馬鹿な……あんなに腫れていたのに……!?」

 

 ナズーリンは続けて、懐夢に腹を見せるよう言った。

 懐夢はそれに従い、服を捲ってナズーリンと白蓮に腹を見せた。

 白蓮とナズーリンは再び驚いた。

 懐夢の腹にあった大きな青痣が、跡形もなく消えてしまっている。

 まさか、この短時間で治ったというのだろうか。

 まじまじと懐夢の腹を見つめてナズーリンは呟いた。

 

「……傷がこんな短時間で治ってしまうなんて……こんな馬鹿な事があるのか……?」

 

 そのうち懐夢が困ったように「まだですか?」と問うとナズーリンはハッとして懐夢の腹から目を離した。懐夢はナズーリンが目を話すと服を戻した。

 直後、白蓮が懐夢に声をかけた。

 

「懐夢、何故貴方は突然どこかへ行こうとしたんです? 貴方に、何があったのですか?」

 

 懐夢は白蓮の問いかけに答える形で、出来事を全て話した。

 友達の住む森に見た事のない妖怪が現れて暴れ回っている事、見た事のない妖怪に襲われてここまで飛ばされてきた事を。

 それを聞いた二人の内ナズーリンが腕組みをした。

 

「見た事のない妖怪だって? なんだそれは」

 

「首が七本ある大きな蜥蜴(トカゲ)の妖怪です」

 

「首が七本ある巨大な蜥蜴? それは竜ではありませんか?」

 

 懐夢は白蓮の方を向いて首を傾げた。

 

「竜?」

 

 白蓮は顎に手を当てた。

 

「えぇ。そこまでくればもはや蜥蜴ではなく竜でしょう」

 

 白蓮はその長命故に天狗、河童、ネズミや蛇の妖怪や鵺など様々な妖怪を見てきているが、竜の妖怪などというものは見た事がないし、聞いた事すらもない。

 もし懐夢の言っている事が本当なのであれば、一大事だ。

 そんな凶暴な竜の妖怪が暴れ回っているのであれば、いずれ街に来て被害を及ぼすかもしれない。

 ここは一つ、その龍の妖怪が本当に存在しているのか確認しなければならない。そして、実在していたのであれば倒さねばならない。

 

「懐夢、博麗の巫女である霊夢にその事は知らせていますか?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「あの時友達の一人に霊夢にこの事を教えてって頼んだから、きっと今頃霊夢もその妖怪と戦ってるかもしれない」

 

 それを聞いたナズーリンはぴくっと反応した。

 

「なんだ。随分と霊夢と馴れ馴れしくしているような言い草だな」

 

 懐夢はナズーリンに視線を向けた。

 

「うん。だって、僕霊夢と一緒に住んでるし」

 

 その一言を聞いて白蓮とナズーリンは目を丸くして驚いた。

 そして、その内の白蓮はある話を思い出した。

 この前新聞記者の射命丸文が命蓮寺に取材に来ていたが、その時ちらりと博麗神社に新しい住民が出来たと言っていた。

 もしかしたらこの子がその博麗神社に新たに住まう事になったものなのではないだろうか。

 

「もしかして懐夢、貴方が文の言っていた博麗神社の新住人ですか?」

 

 懐夢は頷いた。

 その反応を見たナズーリンは驚いて白蓮と懐夢を交互に見た。

 

「博麗神社の新住人!? え、あの霊夢と一緒に暮らしていると言うのか!? あのケチ巫女の!?」

 

 懐夢は再度頷いた。

 その直後白蓮が少し咳払いをして、懐夢に話しかけた。

 

「……では懐夢、再度尋ねますが、霊夢は今その未確認の妖怪の元に向かっているのですね?」

 

 懐夢は少し考えたが、やがて再度頷いた。

 

「……そうですか。なら大丈夫でしょう。彼女が出たのであれば、もう大丈夫です」

 

 白蓮が落ち着いたように言うと、懐夢は窓の方を見た。

 霊夢が出たとはいえ、チルノ達の無事は確認できていない。

 チルノ達の無事が気になって仕方ないし、第一その妖怪が霊夢が勝てる相手なのかすらもわからない。 霊夢の無事すらも心配になって来た。

 

「でも行かなきゃ! みんなが……危ない!」

 

 その時ナズーリンが鋭く懐夢に言い放った。

 

「馬鹿な真似はやめろ坊主。キミが行ったところで、足手まといになるだけだ」

 

 白蓮が険しい表情を浮かべた。

 

「ナズーリンの言うとおりです。貴方はその妖怪の元へ向かうべきではありません。ここでしばらく、

じっとしていてください」

 

「でも……」

 

 俯く懐夢に白蓮が近付いた。

 

「きっとお友達が心配なのでしょう。でも大丈夫です。あの博麗霊夢が向かったのであれば、その場にいる善良な妖怪達は守られます。彼女は幻想郷を守る人ですから」

 

 白蓮に言われて懐夢は頷いた。

 確かに、霊夢の強さは幻想郷一だ。霊夢の力をもってすれば自分達が苦戦したあの竜の妖怪も簡単に倒されるだろう。

 そして、チルノ達の事も守ってくれるはずだ。

 

「とにかく、キミは先程まで大怪我をしていたんだ。しばらくはじっとしていた方がいい。というか、君の服もまだまだ乾かないからな」

 

 ナズーリンに言われて懐夢は頷き、布団に座り込んだ。

 白蓮は立ち上がるとナズーリンの隣に戻った。

 そして、懐夢の方を見てある事を考えた。

 

 この子は半妖だ。

 この子から半妖の持つ独特の魔力の流れを感じる。

 だが、それとは違う魔力の流れもこの子から感じる。

 妖怪のもの、人間のもの、どれと照らし合わせても、一致しない奇妙な魔力の流れを、この子から感じる。

 この魔力は一体何なのだろうか。

 ただ、これだけはわかる気がする。

 この子は、"普通"ではない。

 普通の半妖とは何か"違うもの"を持っている。

 それが一体何なのか、わからないが。

 博麗神社に住んでいると聞いたから、霊夢に聞けば分かる気がする。

 

「ゆっくり休んでください。妖怪の討伐は」

 

 その時ナズーリンが白蓮の肩を叩いた。

 白蓮はナズーリンの方を見て、驚いた。ナズーリンが血の気の抜けたような顔をしていたからだ。

 

「ナズーリン?」

 

「ごめん聖、ちょっと席を外すよ……」

 

 ナズーリンは立ち上がるなり部屋から出て、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 明らかに今のナズーリンの顔は普通ではなかった。

 突然、あんなふうになるなど今まで無かった。一体何があったのだろうか。

 気になって仕方がない。

 

「懐夢、お腹空いたでしょう? 今お粥を作ってきますので、待っててください」

 

 そう懐夢に言って白蓮は立ち上がり、ナズーリンの後を追った。

 命蓮寺の中は森閑としていた。と言っても、弟子達がほとんど買い物や野暮用で出払っているせいなのだが。

 それにしてもナズーリンはどこへ行ったのだろうか。時間的にあまり遠くへは行けていないはずだが。

 

「う゛えぇッ」

 

 その時、どこからか声が聞こえてきた。

 方角からしてトイレからのようだ。

 行ってみるとそこは本当にトイレで、戸が開いていた。

 そして便器の前にしゃがみ込み便器に向かっているナズーリンの後姿があった。

 

「うッ……お゛え゛ぇぇぇぇぇぇッ」

 

 ナズーリンの声と共にびちゃびちゃという水に何かが落ちるような音が聞こえた。

 それを見た白蓮は青褪め、ナズーリンのすぐ傍まで近づき、声をかけた。

 

「な、ナズーリン!? 大丈夫ですか!?」

 

 ナズーリンはゆっくりと顔を白蓮に向けた。ナズーリンの顔は真っ青で、血の気が抜けきっていた。

 

「ひ……ひじ……り……うぷッ……お゛えぇぇッ」

 

 ナズーリンは再び便器に顔を向け、胃液を吐き出した。

 便器の中はどろりとした吐瀉物で満たされていた。

 ナズーリンの嘔吐が止まると、白蓮は便器の水を流すレバーを引き、吐瀉物を全て流した(流れたものは外の世界のトイレの水の流れ吐く場所に行くらしい)。

 

 ナズーリンは全て吐き出したのか、近くの壁に負いかかり、座り込んだ。

 白蓮は血の気の抜け切った顔をして、冷や汗を浮かべたナズーリンに話しかけた。

 

「ナズーリン……どうしたのです? 具合が悪いんですか?」

 

「この顔が……具合のいい顔に見えるのかい」

 

 ナズーリンの言葉に白蓮は答えなかった。

 そればかりか、再度問いをかけた。

 

「どうしたんですナズーリン。突然嘔吐なんて……」

 

 ナズーリンは全てを話した。

 実はナズーリンは懐夢のいる部屋に入った三分後辺りから異様な気分に襲われ始め、その一分後には懐夢から離れたいという気に襲われ始め、更にその一分後には強い吐き気に襲われ、いても立っていられなくなり、トイレに駆け込んで嘔吐したと言う。

 

「懐夢から離れたいという気に襲われた……?」

 

 ナズーリンは頷いた。

 

「何でなのかは全く分からないけれど……聖、私はあの坊主の世話から降りるよ……あの坊主には……近付きたくない……」

 

 白蓮は承った。

 

「わかりました。貴方は部屋で休んでいてください。懐夢の世話は私がしますし、服さえ乾けばあの子は自分の家に帰ると思います」

 

 ナズーリンは頷くと、ふらふらとした足取りで部屋まで歩いて行った。が、その途中で立ち止まって振り返り、白蓮の方を見た。

 

「聖……あの坊主……普通じゃないよ……気を付けた方がいい……」

 

 ナズーリンは白蓮に言い残すと、再びふらふらとした足取りで部屋まで戻って行った。

 懐夢から普通でない気を感じていたのは自分だけではなかった。

 ナズーリンもまた、懐夢から普通でない気を感じていたのだ。

 もしかしたらナズーリンの体調不良は、懐夢から出る見た事のない魔力の流れが原因なのかもしれない。……いや、そうとしか考えられない。

 やはり、霊夢に彼の事を詳しく聞く必要がありそうだ。

 

「とりあえず……お粥煮ないと」

 

 白蓮は立ち上がると、台所へ向かった。

 

 

 

             *

 

 

 

 一方その頃霊夢達はというと、リグルの住む森へ向かっていた。

 そしてどこがリグルの住む森なのか、大妖精の案内がなくともわかった。

 ある森の一角から煙が上がっている。

 皆がそれに驚き、煙の方へ近付くと、焦げくさい臭いがして来て、煙の正体が何なのかわかった。

 そして、早苗が叫んだ。

 

「森が燃えてます!!」

 

 木々が、燃えている。

 恐らく何者かが火を放ったのだろう。

 そしてそんな事をする者はここ幻想郷ではあまりいない。

 いるとすれば、未確認の妖怪だろう。

 間違いなくあのあたりに未確認の妖怪は居る。

 

「チルノちゃん!!」

 

 大妖精は森が燃えているのを見ると、一目散に燃える森の中へ飛び込んだ。

 

「お、おい大妖精!?」

 

「追うわよ!」

 

 魔理沙が驚くとアリスが一同に声をかけ、一同は大妖精の後を追って燃える森の中へと飛び込んだ。

 森の中は四方八方火の海で、木々や草は焼け爛れ、水は火を映し赤く光っていた。

 強い熱風が辺り一面を包みこんでおり、動物や虫達の気配は完全になくなっていた。

 燃える森の中を見て、霊夢は呟いた。

 

「派手に燃えてるわね……」

 

 魔理沙が辺りを見回した。

 

「あぁ。それよりも大妖精どこ行った?」

 

 四人は大妖精を探した。

 しかしどこを見ても火の海で、大妖精の姿はない。

 しかしその時、アリスが何かに気付き、指差した。

 

「皆、あそこ!」

 

 アリスの指差した場所は森の奥の方で、そこに大妖精の姿があった。

 よく見れば傷付いたチルノ、ミスティア、ルーミア、リグルの姿も確認できた。

 どうやら大妖精はチルノ達を見つけ、急行したようだ。

 

「大妖精!」

 

 四人は大妖精の元へと急ぎ、声をかけた。

 大妖精は四人が来ると、早速頼み込んだ。

 

「みなさん、チルノちゃん達を火が回っていない場所まで運んでください! このままじゃチルノちゃん達、森と一緒に燃えちゃいます!!」

 

 大妖精に言われて、四人は倒れている四人に声をかけた。

 しかし、誰一人としてそれに答えを返す事はなかった。どうやら気を失ってしまっているようだ。

 それを見て魔理沙はぎりっと歯軋りをした。

 

「くそっ! 全員気絶してる! なんて悪いタイミングで気絶してるんだよ!」

 

「しかも全員傷だらけ……とにかく、大妖精さんの言うとおり、この子達を火のまわっていないところまで運びましょう!」

 

 早苗がリグルを負んぶすると、続けて魔理沙はミスティアを、アリスはチルノを、霊夢はルーミアを負んぶした。

 その時、霊夢はある事に気付いた。

 チルノ、ミスティア、ルーミア、リグル、大妖精と一緒に遊んでいたはずの懐夢が居ない。

 

「大妖精! 懐夢は!? 懐夢はどこに行ったの!?」

 

 霊夢が噛み付くように大妖精に言うと、大妖精は焦ってしどろもどろした。

 

「か、懐夢さんは、えと」

 

 その時、アリスが怒鳴った。

 

「霊夢! 今はこの子達よ! この子達を安全なところへ避難させないと!」

 

 言われて霊夢は渋々頷き、火の手の回っていないところを見つけて声を出した。

 

「皆! 森の奥の方よ! 森の奥の方はまだ燃えてない!」

 

「よっしゃ! そこに向かって突っ走るぞ!」

 

 魔理沙の掛け声とともに一同は森の奥目掛けて走り出した。

 森を包む熱風と火の海の中を抜け、しばらく走り続けていると火の手がやんだ。

 火が来ていないところに、辿り着くと一同は負ぶっていた四人を地面に降ろした。

 そして、四人の体の状態を見て、驚いた。

 

「酷い傷と火傷……一体何がこんな……」

 

 アリスが呟くと、大妖精が言った。

 

「きっとあの……首が七つある蜥蜴の妖怪です!あの妖怪が、チルノちゃん達を……」

 

 大妖精が言いかけたその時、霊夢が突然燃える森の方へ引き返して飛び始めた。

 突然の事に残った四人は驚き、そのうちの早苗と魔理沙が声を出した。

 

「ちょっと霊夢さん!?」

 

「お、おい霊夢!?」

 

 霊夢は二人の声を無視し、やがて熱風吹き荒れる火の海の中へ戻ってきた。

 どこを見ても燃える木々と炎で埋め尽くされている。

 

「懐夢……どこ……!?」

 

 懐夢は紛れもなくチルノ達と共に遊んでいた。

 チルノ達が見つかり、懐夢だけが見つかっていないという事は、まだこの燃える森のどこかにいる可能性があるという事だ。

 

「懐夢! どこ懐夢!」

 

 火の海となった森に、霊夢の声が響き渡ったが、炎のせいであまり遠くまで飛んで行ってくれないうえに、返事も聞こえない。

 

「懐夢!! 懐夢―――――!!」」

 

 霊夢は必死に叫んだが、返事はない。

 まさか、この炎に呑まれて……焼け死んでしまったか?

 いや、それは、そんな事はない。そんな事があってたまるか。

 

「霊夢!霊夢――――――――!!」

 

 その時、森の奥の方から声が聞こえてきた。

 見てみればそれは、魔理沙、アリス、早苗の三人だった。

 魔理沙は来るなり怒鳴った。

 

「どうしたっていうんだよ! 急に火の中に飛び込みやがって!」

 

 霊夢は三人に頼み込んだ。

 

「急で悪いんだけど三人とも、懐夢を探して頂戴!まだこの燃える森のどこかにいるみたいなのよ!」

 

 その時、早苗が霊夢と目を合わせた。

 

「それなんですが霊夢さん、大妖精さんの話によると」

 

 早苗は大妖精から聞いた懐夢の事を話した。

 大妖精によると懐夢は蜥蜴の妖怪に遭遇した際に大妖精に蜥蜴の妖怪が現れた事を霊夢に伝えろと言った次の瞬間に蜥蜴の妖怪に吹っ飛ばされ、森の奥へ消えたという。

 大妖精はその一部始終を見た後霊夢の元へ来ており、大妖精によれば懐夢の消えた方向は大きな川のある方向らしい。

 霊夢はそれを聞くなり閃いた。もしかしたらその川のある方向に、懐夢は居るかもしれない。

 生きているかどうかは……わからないが、生きている事を祈るしかない。

 しかし、どこに川があるのかわからない。

 大妖精なら知っているかもしれない。

 霊夢は早苗からすべての話を聞くと、早速大妖精の位置を問いかけた。

 早苗によると大妖精は先程の地点でチルノ達を見ているという。

 

「わかったわ……大妖精のいる位置まで戻るわよ!」

 

 霊夢は言うなり三人と共に火の海を出て、先程の地点まで戻った。

 そこには早苗の言うとおり、気を失ったチルノ達と大妖精の姿があった。

 霊夢は大妖精を見つけるなり、話しかけた。

 

「大妖精、この森の大きな川ってどこ!? どこにあるの!?」

 

 大妖精は突然の問いかけに酷く驚いていたが、やがて大きな川の位置を話した。

 この森の東側の方向にあるらしい。

 

「なるほど……東側ね! わかったわ! 魔理沙、早苗、アリス、行くわよ!」

 

 霊夢が三人に声をかけたその時、その内の魔理沙が逆に霊夢に声をかけた。

 

「待てよ霊夢! チルノ達はどうするんだよ。このまま放っておくわけにはいかないだろ」

 

 アリスが続いた。

 

「同感よ。少なくともこの子達の傷は結構重い方よ。早くどこかで治療してやった方がいいわ」

 

 言われて霊夢はチルノ達を見た。

 確かに、チルノ達の傷と火傷はかなり重い。このまま放っておくと、傷が化膿したりして酷くなるかもしれないし、どんどん衰弱していくかもしれない。それに何より、この森の火を鎮火しなければ。

 懐夢を探したいが、今のところはとりあえず魔理沙とアリスの意見に従った方がいいかもしれない。

 

「……そうね……大妖精、使って悪いけど慧音のところに行って、慧音にこの事を話して頂戴。それで空が飛べる人をできるだけ多く呼ぶよう言って頂戴」

 

 大妖精は頷いた。

 

「わかりました。慧音先生にこの事を知らせてきますので、みなさん、チルノちゃん達を見ていてください」

 

 大妖精が四人に頼み込み、飛び上がろうとしたその時、大妖精の背後から音が聞こえてきた。

 それはまるで大きな何かが歩いたような音で、かなり近かいところで鳴ったのか、かなり大きな音だった。

 それを聞いた五人の内大妖精は飛び上がるのをやめ、他の四人は一斉にその方向を見た。そして驚いた。

 大妖精の背後に長く太い尾と藍色の鱗に身を包んだ胴体から七本の首を生やしている巨大な竜がいた。

 そしてその鋭い眼孔は大妖精へと向けられており、七つの首の内の一つが口を開いた。それに大妖精は気付いていない。

 

「大妖精! 避けろ!!」

 

 魔理沙が叫んだその時初めて、大妖精は自分の後ろにあの竜がいる事に気付いたが、それと同時に竜はその口から火炎を大妖精に向けて放射した。

 大妖精は驚き、咄嗟に避けようと飛んだが、

 

「……あぁぁぁうッ!!」

 

 竜の口より放たれた爆炎は大妖精の体や頭を逸れたものの、その翼を包み込み、焼いた。

 大妖精は翼を焼かれる熱さと痛みにバランスを崩し、地面へ勢いよく落ちた。

 

「大妖精!」

 

「このッ!」

 

 魔理沙は箒に跨って飛び上がり、上空へ上がると一本の瓶を懐から取り出して竜の首に向けて投げ付けた。瓶は回転しながら竜へ飛び、やがて竜の首に直撃すると爆発した。

 それにより竜の注意は魔理沙の方へ向いた。

 同時にアリスが魔理沙に声をかけた。

 

「魔理沙、貴方何をするつもりなの!?」

 

 魔理沙は身体の向きを森の北の方へ向けた。

 

「私がこいつを森の更に奥まで連れてくから、その間にお前らの誰かが慧音のところへ行くんだ!」

 

 早苗が驚いたように言った。

 

「囮になろうっていうんですか!?」

 

 早苗が言うと、魔理沙は北側へ向けて高速で飛び始めた。竜はその後を追って駆けて行った。

 その直後、大妖精に寄り添った霊夢が早苗に言った。

 

「どうやら本当に私達のうちの誰かが慧音のところに行く必要があるみたいよ。大妖精……拙い事になってる」

 

 早苗とアリスは振り返って大妖精を見た。

 大妖精は目を瞑り、苦しんでいた。

 その翼は焼け爛れており、飛べそうにない。

 声をかけてもろくに答えを返してもくれない。

 

「その娘、飛べそうになさそうね」

 

 アリスが呟くと霊夢が早苗の方を見た。

 

「早苗、悪いんだけどあんた慧音のところに向かってくれる? この娘達は私が強力な結界で守って、位置をわかりやすくしておくから」

 

 早苗は少し驚いたような仕草をしたが、やがて頷いた。

 

「わ、わかりました。でも霊夢さん達はどうするんです? この娘達を結界で守っておくって……?」

 

「私とアリスは魔理沙の後を追ってあの竜を叩くわ。あの竜、放っておいたら明らかに拙そうだから。悪いけど行って頂戴」

 

 霊夢が言うと、早苗は頷き、上空へ上がって街の方角へ飛んだ。

 一方霊夢は倒れた五人を強力な守護結界で包むと、アリスを連れて魔理沙と竜の向かった方角へ飛んだ。

 

 




懐夢の追加設定。
実は左目藍色、右目紅色のオッドアイ。
口を開けると八重歯が見える。

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