東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

16 / 152
10 紅い魔の館

「それじゃ……行ってくるわね霊夢」

 

 え。

 

「いい子にして待ってるのよ」

 

 いやだ。

 

「大丈夫よ。ちゃんと帰ってくるから」

 

 駄目。

 

「もう、霊夢は心配性ねぇ。大丈夫よ」

 

 行っては駄目。

 

「……私はね、行かなくてはいけないわ。だって私は博麗の巫女、この幻想郷を守る存在だもの」

 

 そんなもの捨てればいい。

 

「捨てるわけにはいかないわ。だって使命だもの」

 

 いやだ。

 

「そういうわけにはいかないのよ。わかって頂戴、霊夢」

 

 お願い……いかないで。

 

「……」

 

 ……!!

 

 やだ。

 

 いやぁッ。

 

 行かないで。

 

 母さん。

 

 行っては駄目。

 

 行かないで。

 

 行かないで母さん。

 

 いかないで!!

 

 

 

 

「いかないでぇ!! かあさんッ!!」

 

 霊夢は布団から飛び起きた。

 辺りを見回せば、そこはいつもと変わらぬ博麗神社の寝室だった。

 身体を見てみれば、全身に汗をびっしょりかいていて、心臓が強く脈打っていた。

 どうやら、今のは夢だったらしい。

 

(……どうして今更あんな夢を……)

 

 時は、自分が九歳くらいの時に起きたあの異変の時で、異変の解決に向かおうとした母を止めようとしていた。

 何故なら母は、あの異変に解決に向かってしまったがために命を落としてしまったのだから。……自分の前から消えてしまったのだから。

 しかし、母は止まってくれなかった。

 何度叫んでも、何度呼び止めても止まってくれず、行ってしまった。

 結果、母は死んでしまった。

 

(……母さん……ッ)

 

 少し思い出しただけで、腹の底から震えが出てきた。

 身体がガタガタと震えて、水が桶を満たすように心を恐怖と悲しさと寂しさが満たしていき、心臓が口元までせり上がってドンドンと脈打っているような錯覚さえ覚えた。

 こんな恐怖を感じたのはいつ以来だろうか。

 

 どうしたらいいのかわからない。

 この気持ちをどこへ仕舞ったらいいのかわからない。

 気持ちは心に仕舞うものだが、心は恐怖と悲しさと寂しさが混ざり合った泥水のような気持ちでいっぱいで、これ以上詰め込んだら破裂してしまいそうだ。

 

 霊夢は無意識に右見た。

 そこはかつて、母が寝ていた場所だ。

 自分がよく悪夢で飛び起きた時には、母を起こして抱いてもらったものだ。

 けれど、もうそこに母の姿はない。

 代わりに、懐夢の姿があった。かつて母の寝ていたところは、懐夢が寝ているところになっている。

 懐夢は穏やかに呼吸を繰り返して、眠っていた。

 霊夢は体を引きずりながら布団から出て懐夢に近付き、懐夢の体を揺すった。

 

「懐夢……おき……て……」

 

 霊夢に揺すられると、懐夢はすぐに目を覚まして、声を出した。

 

「れい……む……?」

 

 小さく名を呼んで、目を数回擦った後、懐夢は驚いた。

 霊夢が血の気が抜け、とても不安そうな顔をしてこちらを見ていたからだ。

 

「どうし……たの?」

 

 尋ねた瞬間、霊夢は何も言わずに手を差し伸べてきて、やがて懐夢を抱くとそのまま強く抱きしめた。

 突然の事に懐夢は戸惑った。

 霊夢の抱きしめる力は若干強く、手の当たっているところが少し痛い。鼻には霊夢の匂いが流れ込んでくる。

 霊夢の胸の中で顔を上げると、一つの小さな雫が頬に落ちてきた。

 霊夢は、ぎゅっと目を瞑って少し嗚咽を出しながら泣いていた。

 

「霊夢?」

 

 呟くと、霊夢はぎゅっと懐夢を抱き締めて、言った。

 

「ごめんなさい……とても怖い夢を見てしまって……こうせずには……いられないの……」

 

 霊夢は顔を懐夢の髪に埋めた。

 懐夢は、それに思わず驚いてしまった。

 あのいつも無愛想で強気な霊夢が、こんなに弱弱しく泣いている。

 

(一体どんな夢を見たんだろう)

 

 尋ねたいと思ったが、懐夢はそれをぎゅっと抑え込んだ。

 霊夢はきっと辛くて仕方なくなるような夢を見たのだ。それを話させるのは、思い出させるのはいくらなんでも酷だと、九歳の懐夢でもわかった。

 

「少しだけ……少しの間だけでいいから……このままでいさせて……」

 

 霊夢に言われると、懐夢は霊夢の胸の中で頷き、霊夢の背に手を回し、軽く撫でた。

 よく自分が泣く時に、霊夢が背を摩ってくれるように。

 その後、数分程度霊夢は泣き続け、やがて泣き止むと懐夢から離れた。

 

「……ごめんね。いきなり起こして柄にもないところ見せちゃって……嫌だったでしょう」

 

 懐夢は首を横に振った。

 霊夢は微笑した。

 

「そう……今夜の事は、忘れて頂戴。それじゃあ、お休み」

 

「霊夢」

 

 自分の布団に戻ろうとした霊夢を懐夢は呼び止めた。

 霊夢が懐夢の方を再度向くと、懐夢は言った。

 

「……今夜、霊夢と一緒に寝たい」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

「どうして?」

 

「どうしてでも。とにかく、霊夢と一緒に寝たいんだ。駄目?」

 

 懐夢が尋ねると、霊夢は首を横に振った。

 

「……いいわよ。一緒に寝たげる」

 

 霊夢が笑むと、懐夢は喜んだ様子で霊夢の布団に入り込んだ。

 やがて霊夢も布団の中に滑り込んだ。

 懐夢が居てくれるおかげか、布団の中は暖かかった。

 

「あったかいわ」

 

 呟くと、そのままゆっくりと瞳を閉じた。

 そして懐夢から寝息が聞こえ始めると、霊夢は瞳を開いた。

 そこには懐夢の寝顔があった。

 懐夢は寝付きが思ったよりも早く、いつも霊夢よりも先に寝付く。

 だから、霊夢は比較的簡単に懐夢の寝顔を見る事が出来るのだ。

 

「……」

 

 霊夢は微笑むとすっと懐夢の顔に手を伸ばし、懐夢の頬を軽く指先でくすぐった。

 やがて手を戻すと、霊夢はゆっくりと瞳を閉じ、夢の中へと滑り込んで行った。

 

 

 

 

                 *

 

 

 翌朝、時計の目覚ましの音で目を覚ました。

 霊夢は起き上がり、時計の目覚まし音を止めると、ぐっと背伸びして、身体を戻すと周りを見た。

 そこはいつもと変わらぬ寝室であったが、懐夢と懐夢の使っている布団はなかった。

 いつも通りの時間に起きたかと思って時計を見てみると、時計の針はいつもの起床時間よりも一時間早い午前九時を指し示していた。

 霊夢は首を傾げた。

 昨日、午前八時に時計の目覚ましを設定して眠ったはずだ。

 だのに、時計の目覚ましは九時に鳴った。設定時間が、一時間ずれている。

 

「なんで……?」

 

 霊夢は何故時計の設定がずれていたのか気になったが、とりあえず気にしないようにして立ち上がり、布団を畳んで押入れの中に片付けると寝間着を脱ぎ、胸に晒を巻き、昨日の内から用意しておいた、いつもの服を着ると居間へ向かった。

 

 霊夢はそこで驚いてしまった。

 居間のテーブルに、簡素だが白飯、味噌汁といった朝食が用意されていたからだ。

 そしてテーブルの傍には懐夢が座っていた。

 

「あ、霊夢おはよう」

 

 懐夢は霊夢に気付くと声をかけてきた。

 霊夢は相応の答えを返した。

 

「えぇおはよう」

 

 霊夢はテーブルのすぐ近くの場所に座ると、懐夢を見た。

 

「ねぇ懐夢」

 

 霊夢が尋ねようとしたその時、懐夢が割り込むように言った。

 

「この朝食は何なのって聞こうとしたでしょ?」

 

 懐夢は言った。この朝食は、全て自分が用意したものであると。

 霊夢はそれを聞いて大して驚きはしなかった。懐夢の料理の腕ならば可能だとわかりきっているからだ。

 

「それはわかるわよ。それよりも時計よ時計」

 

 霊夢は時計の事を懐夢に話した。

 すると懐夢は「あー!」と言って、事情を霊夢に話した。

 時計の設定がずれていた理由。それは懐夢が霊夢よりも早く起きて、時計の設定をずらしたかららしい。本人によれば、霊夢は夜中に飛び起きたから、いつもの時間に目を覚ましては眠いのではないかと思ってやったそうだ。

 

「そ、そうだったの」

 

 霊夢は少し驚いた。

 懐夢が、前と比べて気遣いが上手になっているような気がする。

 前までは身の程知らずで中途半端な気遣いばかりで、霊夢の手伝いが必要不可欠だったというのに、今回はしっかりとしている。そしてちゃんと一人でこなせている。

 

(驚いたわ……こんなに早く成長するなんて……愈惟さんの日記に書かれていた事は本当だったのね)

 

 霊夢が驚いた顔で懐夢を見ていると、懐夢は首を傾げて霊夢に声をかけた。

 

「霊夢? どうしたの?」

 

 霊夢はハッとした。

 

「あ、いやなんでもない。それよりも貴方の分は?」

 

「霊夢が起きてくる前に食べちゃった」

 

「そうなの」

 

 霊夢は納得すると目の前にテーブルに手を伸ばし、置かれていた自分の箸を手に持った。

 

「どれどれ、いただこうかしら」

 

 霊夢は味噌汁の入った椀を手に取って味噌汁を啜った。

 その時、霊夢は違和感を感じた。

 味噌汁の色と味が、普段自分が作るものより薄い。

 

「薄いわね。お味噌けちった?」

 

 懐夢はムッとした。

 

「わざと薄味にしたんだよ。濃い味よりも気持ちが落ち着くでしょ?」

 

 言われて霊夢は驚いた。

 

 

(ここまで気を遣ってくれるなんて……)

 

 霊夢は軽く微笑むと、続けて味噌汁を啜って白飯を食べた。

 

 朝餉を終えて台所へ食器を持って行って洗い、食器を片付けると霊夢は居間へ戻ってきた。

 霊夢はそこで不思議に思ってしまった。いつも休日だとチルノ達と遊ぶために出かけていく懐夢が居間でじっとしていたからだ。

 

「懐夢? 今日は出かけないの?」

 

 尋ねると懐夢は頷いた。

 

「今日はずっと神社にいるよ。霊夢と一緒にいる」

 

 霊夢はふーんと言った。

 

「そうなの。じゃあ、神社の中の掃除を一緒にやってもらいたいんだけど、いいかしら?」

 

 懐夢はわかったと言って立ち上がった。

 

「霊夢―、それに懐夢―」

 

 その時、玄関から声が聞こえてきた。

 二人が聞いた事のある、少女のような声だ。

 

「あの声って……」

 

「やれやれ。朝っぱらから妙な客が来たわね」

 

 霊夢は懐夢を連れて玄関へ来た。

 そこには、この前懐夢と知人になったとされるレミリアの姿があった。

 

「レミリア!」

 

 懐夢が呼びかけると、レミリアは掌を立てた。挨拶代りの意思表示だ。

 霊夢は目を補足として、レミリアに声をかけた。

 

「何の用事よ。また弾幕ごっこやりに来たわけ? それとも私と話に?」

 

 レミリアは軽く溜息を吐いた。

 

「そうじゃないわ。私が用があるのは懐夢よ」

 

 レミリアが懐夢の方を見ると、懐夢は首を傾げた。

 

「え? 何かあったっけ?」

 

 レミリアは大きな溜息を吐いて首を横に振った。

 

「貴方、忘れたの? 先週の約束」

 

 言われて懐夢は「あ!」と大きな声を出して思い出した。

 先週、紅魔館へ遊びに行く約束をしていた事を。

 

「そうだった! 紅魔館に行くんだった! あ、でも……」

 

 懐夢は少し戸惑った様子で霊夢を見た。

 今日は霊夢とずっと一緒にいると言ったばかりだと言うのに、それを破って、レミリアと紅魔館に行ってしまって大丈夫なのだろうか。

 懐夢が思い詰めたその時、霊夢は笑んで懐夢と目を合わせた。

 

「大丈夫よ。行ってきなさい」

 

 霊夢は懐夢の思いを悟ったように言った。

 懐夢は心配そうな顔をした。

 

「本当?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。私は大丈夫だから、行っておいでなさい」

 

 霊夢が懐夢の頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でると、懐夢はレミリアの方を見た。

 レミリアは何やら不思議そうな顔をして二人を見ていた。

 

「何かあったの?」

 

「なんでもないわ。さぁ、行きなさい」

 

 レミリアが問うと、霊夢がそれを弾き飛ばすように懐夢をレミリアの元へ押し出した。

 懐夢は軽く振り向いて霊夢の方を見ると、頷いた。

 

「レミリア、案内して」

 

「え、えぇ。わかったわ」

 

 レミリアは了解すると懐夢を連れて神社から離れた。

 そして石段を降り切ったところまで来るとレミリアは立ち止まって北の方を向いた。

 

「さてと……紅魔館はここから北にあるんだけど、徒歩で行くにはどうしたものかしらねぇ……」

 

 レミリアが腕組みすると、懐夢はその必要はないとレミリアに言った。

 レミリアは少しきょとんとした様子で懐夢の方を見た。

 

「どういう事?」

 

「僕、飛べるようになったんだ。昨日」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 それを聞いた途端、レミリアの顔に笑みが浮かんだ。

 

「それなら話は早いわ。案内するから、行きましょう」

 

 懐夢は頷き、二人はほぼ同時に地面から足を離して上空へ飛び上がった。

 

 

                *

 

 

 レミリアに案内されながら飛び、懐夢は紅魔館の正面門のところまで来て降りた。

 懐夢は正面門からでも見える紅魔館の姿に驚き、じっと眺めた。

 

「ここが……紅魔館……」

 

 紅魔館は博麗神社の何倍も大きく、見た事のない形をしていた。

 こんな建物があるなんて、世界は広いものだと懐夢は実感した。

 直後、横にいるレミリアが声をかけてきた。

 

「外観は気に入ったかしら?」

 

 懐夢は頷いた。

 

「そう。じゃあ中を案内するわね。行きましょう」

 

 レミリアが正面門に向かって歩き出すと、懐夢もその後を追って歩き出した。

 その後すぐに正面門の前に着いたが、門の前には緑色を基調とした変わった服を身に纏った赤色の長い髪の毛の女性が立っていた。

 女性はレミリアを見つけるなり声をかけてきた。

 

「あ、レミリアお嬢様、お帰りなさい」

 

「ただいま」

 

 女性に答えを返すなり、レミリアは懐夢にこの女性が何なのか説明した。

 この女性の名前は紅美鈴といい、紅魔館の門番をやっているそうだ。

 レミリアの説明が終わると、美鈴がレミリアに一つ問を掛けた。

 

「お嬢様、そちらのぼっちゃんは?」

 

 レミリアは答えた。

 

「百詠懐夢。今霊夢のところで世話になっている子で、私の友達よ」

 

「へぇへぇ、お嬢様のお友達……」

 

 美鈴は目を点にした。

 

「え? お嬢様にお友達?」

 

 レミリアが腕組みをした。

 

「そうよ。そうよね懐夢?」

 

 懐夢は頷いた。

 その途端

 

「お嬢様にお友達ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 美鈴は狂ったように叫び、門をこじ開けて紅魔館の中目掛けて駆けて行った。

 懐夢は呆然として美鈴が走り去る姿を見ていた。

 

「どうしちゃったの美鈴さん」

 

「……気にしないでいいわ。入りましょう」

 

 レミリアは苦笑して懐夢の手を掴むと、そのまま懐夢を引いて紅魔館の中へ向かった。

 その頃、中では美鈴の情報が伝わったのか、軽い恐慌が起きていた。

 紅魔館内に建てられているヴワル魔法図書館に住まう紫色の長い髪の毛で白紫色の服を身に纏った魔法使いの少女パチュリー・ノーレッジは荒ぶった様子で本を捲りながら廊下を駆けまわり、紅魔館で働くメイド達の長で、同時にレミリアの世話を担当している銀色の髪の毛の女性十六夜咲夜は何を思ったのか如雨露の中に紅茶の茶葉を入れて湯を注いでいる。

 レミリアはこれらと出会うと、その者について懐夢に詳しく教えた。

 懐夢は紅魔館に住まう者達が恐慌している様を見て軽く戸惑ったが、レミリアに無視しろと言われたのでとりあえず無視し、レミリアに案内されるまま歩いた。

 そのうち椅子とテーブルが備え付けられているベランダまで来て、その椅子に二人で腰を掛けた。

 

「な、なんか皆戸惑ってたみたいだけど……」

 

「無視しなさい」

 

 先程の者達の事を思い出して、戸の方を見て言うと、レミリアは再び先程同じ事を言った。

 

「さてと、それじゃ、お話ししましょうか」

 

 テーブルに肘を付いて、レミリアが言うと懐夢はレミリアの方を向いた。

 しかし何から話せばいいのかわからない。

 

「何から話せばいいかわからないっていう顔をしているわね。それじゃ、貴方の故郷の事とか話してくれるかしら?」

 

 懐夢は頷き、とりあえず大蛇里の事を話した。

 

「なるほど……そんな村があったのね。私も幻想郷にいて長いけど、知らなかったわ」

 

 言われて懐夢は少し不安になった。

 皆に大蛇里の話をすると皆口を合わせて知らなかったと言う。

 そんなに影の薄い村だったのだろうか大蛇里は。

 

「それに貴方もご両親から愛されて育ったのね。いい事だわ」

 

 レミリアが少し俯くのを見て懐夢は首を傾げた。

 

「貴方"も"? レミリアに家族はいないの?」

 

 レミリアは懐夢から視線を逸らし、外の方を見てフッと笑った。

 レミリアには、父と母と妹が一人いるらしいが、父と母はだいぶ前にヴワル魔法図書館のどこかに封印され、妹はこの館の地下室に幽閉されているらしい。

 懐夢はレミリアの家族が何故そんな事になっているのか気になったが、これ以上踏み込むまいと思って聞かなかった。

 しかしそれでも、唯一生存している妹の事が気になってしまい、尋ねた。

 

「その妹さんは何で幽閉なんてされてるの?」

 

 レミリアは懐夢と目を合わせた。

 

「危ないからよ。かなり気が触れてて力も異常なまでに強い。もし何も考えずに会おうものなら爆破されてしまうわ。命が惜しければ、地下室には近付かない事をお勧めするわ」

 

 懐夢は震え上がり、そのままもう一度尋ねた。

 

「レミリアは家族がそんな事になってて寂しくないの?」

 

 レミリアは首を横に振り、微笑した。

 

「全然。だって咲夜とパチェと美鈴がいるし、調子がいい時なら妹にも会えるし、外に出れば霊夢や貴方もいるわけだし。寂しくなんかないわよ」

 

 それを聞いて懐夢は安心した。

 話をしてくれなかったからてっきり一人で住んでいて、寂しい思いをしていたのではないかと思っていたが、それは違った。

 レミリアは自分と同じだ。友達や知り合い、家族に等しい人々がいるから寂しくない。

 

「レミリアも僕と一緒なんだね」

 

「え?」

 

 懐夢が呟くと、レミリアは首を傾げた。

 懐夢は苦笑した。

 

「あ、いや何でもないよ。それよりも、この紅魔館の中にある図書館ってすごく大きいんだよね? どんな本があるの?」

 

 レミリアは図書館のある方を向いた。

 

「どんな本って……少なくとも貴方じゃ理解できないような本ばかりよ。まぁ本に関して聞きたいんだったら図書館のパチェに聞くといいわ」

 

 レミリアが視線を戻すと懐夢はふーんと言った。

 その様子を見てレミリアは懐夢に一つ問を掛けた。

 

「もしかして図書館に行きたいの?」

 

 懐夢は頷いた。

 その正直さを見てレミリアは思わず苦笑した。

 

「そう。じゃあ行きましょうか」

 

 レミリアが椅子から立ち上がると懐夢もまた立ち上がり、図書館へ向けて館の中を再び歩き出し、その数分後二人はヴワル魔法図書館に辿り着いた。

 

「うわぁ!」

 

 懐夢は思わず息を呑んだ。

 図書館はとてつもなく広く、薄暗く、むっと古紙の臭いが漂ってきた。

 見渡す限り本がぎっしり詰め込まれた本棚だらけで、まるで本棚の森だった。

 耳を澄ませば、大きな時計が時を刻む音が聞こえてきた。

 

「ここがヴワル魔法図書館。歴史から魔法書まで様々な本が置かれているわ」

 

 レミリアが軽く説明をすると、懐夢がある事に気付いて図書館の奥の方を指差した。

 

「ねぇレミリア、さっきのパチュリーが居る」

 

 レミリアはその方向を見た。

 そこには机に伏せているパチュリーの姿があった。

 先程は荒ぶった様子で本を捲りながら廊下を駆けまわっていたが、いつの間にか図書館へ戻ってきていた。

 

「本当だわ。どうやら暴走をやめたみたいね」

 

 二人でゆっくりとパチュリーに歩み寄り、レミリアが声をかけるとパチュリーはその顔を起こした。

 

「レミィ……それに……レミィの友達……?」

 

 少しぽかんとした表情をしているパチュリーを見て、懐夢は名乗った。

 

「百詠懐夢だよ。まだ名乗ってなかったね」

 

 その次の瞬間パチュリーはがばっと立ち上がり、懐夢の手を掴むとそのまま引っ張り、レミリアから少し離れた位置にしゃがみ込み、懐夢にヒソヒソ声で話した。

 

「貴方、何か弱みを握られているんでしょう? レミィに、友達だと偽れって言われてるんでしょう?」

 

 突然の言葉に懐夢はきょとんとした。

 そして、その後すぐにそれを否定した。

 

「それは違うよ。何も弱みなんか握られてない。僕達はちゃんとした友達になったんだ」

 

「嘘を言わないで頂戴! あの我儘放題のレミィを許容できるはずないわ! 貴方、やっぱり友達だって偽れって言われてるんでしょう? あ! まさか弾幕勝負で叩き伏せられて」

 

 パチュリーが必死になって言ったその時、

 

「……全部聞こえてるわよパチェ」

 

 突然の一声にパチュリーと懐夢は飛び上がった。

 声の聞こえてきた後方を見てみれば、そこには腕を組んで仁王立ちしているレミリアの姿があった。その目つきは刃のように鋭く、じっとこちらを睨んでいた。

 

 その視線にパチュリーが縮こまると、懐夢がパチュリーに声をかけた。

 

「パチュリー、今言ったけど、僕達は本当に友達だよ。弾幕勝負もやってないし、弱みだって握られてない」

 

 パチュリーは軽く首を傾げた。

 

「本当?」

 

 懐夢は目を細めた。

 

「……なんでそんなに信用できないの? レミリアに友達出来るのってそんなにすごい事なの?」

 

 聞いた途端、パチュリーは目つきを変えた。

 

「そりゃそうよ! レミィに友達ができるなんて、砂漠に雪が降ったり南極に灼熱の夏が来たり、大都市の上空に異星人のマザーシップが飛来して巨大昆虫をばら撒いて侵略を開始するくらいの天変地異に等しい」

 

「パチェ」

 

 妙な事を言い出すパチュリーの背後に突っ立っていたレミリアの表情を見て懐夢は震え上がった。

 レミリアが、その頭を噛み砕いてやろうかと言わんばかりの恐ろしい表情をしてパチュリーを睨み付けていたのだ。今にもパチュリーに噛み付いてしまいそうだ。

 

「と、とにかく椅子とテーブルもある事だし、座らせてよ。事情、話すからさ」

 

 懐夢が言うとパチュリーはとりあえず納得し、元の位置に戻って椅子に腰を掛けた。

 懐夢とレミリアもまたパチュリーと同じテーブルに腰を掛けた。

 パチュリーは二人に話しかけた。

 

「それで、どういった経緯があってレミィと懐夢は友達になったの?? っていうか、貴方は一体何なの懐夢」

 

「僕は……」

 

 懐夢は事情を、自分の事を先程と同じように話した。

 パチュリーは全てを聞くと、ふぅんと言って頷いた。

 

「なるほど。貴方があの天狗の新聞に書かれてた博麗神社の新住民の男の子なのね。あの霊夢と一緒に暮らしてるなんて、きつくない?」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「きつくなんかないよ。寧ろ、楽しい」

 

 パチュリーは「そう」と言って一つ溜息を吐いた。

 直後、レミリアがそっぽを向いて言った。

 

「それにしても意外よね。あの霊夢が他人を神社に住ませるなんて。そんな事絶対にしないと思ってたのに……」

 

「二人って、どれくらい霊夢と一緒にいるの?」

 

 懐夢が問うとレミリアは視線を戻し、パチュリーが少し目を上に向けた。

 

「どのくらいって……ざっと一年半くらいじゃないかしら。前に異変を起こしたのが一年半前くらいだから」

 

 レミリアが続けた。

 

「結構長い付き合いだと思うわよ」

 

 二人の答えを聞いたその直後、懐夢は突然ある事を思い出した。

 昨夜の霊夢の事だ。何故いきなり思い出したのかはよくわからないが……。

 

 あの時の霊夢の顔色は普通ではなかった。その時は霊夢の言葉もあってか、怖い夢を見て恐ろしい気分になっただけだと思っていたが、今思い返してみると、疑問に変わった。

 霊夢はどんな夢を見たのだろうか。

 この幻想郷で恐れるものなど持たない霊夢が恐れるものとはなんだろうか。

 この二人ならば……知っているのだろうか?

 

「ねぇレミリアにパチュリー、霊夢が怖がってるものって何?」

 

 二人はほぼ同時に首を傾げた。

 

「霊夢が怖がっているもの?」

 

 懐夢は頷いた。

 二人は何故そんな事を聞くのだろうかと気になったが、とりあえず霊夢が恐れているものを考えた。

 しかし、どんなに考えても曖昧なものしか思いつかない。

 博麗神社の信仰が無くなる事か?

 はたまた飢餓になる事か?

 はたまた幻想郷が無くなる事か?

 

「えぇっと……思いつかないわねぇ。霊夢は紅い霧にも怯えずに、吸血鬼である私にも、幻想郷の賢者の1人である八雲紫にも恐れを抱かずに挑んだから……怖いものなんてないんじゃないかしら」

 

 レミリアが言うと、パチュリーが懐夢へ問いを返した。

 

「何故そんな事を聞くの?? 何かあったの?」

 

 懐夢はぎくっと反応を示したが、やがて首を横に振った。

 

「いや、なんでもないんだ。ただ、レミリアやパチュリーの方がそういう事に詳しいんじゃないかなって思って」

 

 懐夢が苦笑すると、二人は思わず首を傾げた。

 

 

 

 

一方その頃

 

「さてと……明日の授業は何をするかな……歴史にするかな」

 

 寺子屋の教務室。慧音は今また同じように明日の授業内容を考えていた。

 自分の中では、明日の授業は歴史にするつもりだ。

 内容は、伊邪那岐と伊邪那美の話、天照大神や月夜見神や素戔嗚尊などが登場する神話だ。この辺りの話は比較的面白く、話を喜んで聞く学童達もそれなりに多い。

 これを実行すれば、学童達は集中して授業に取り組んでくれるはず。

 

「うん。明日は歴史にしよう」

 

 慧音は明日の授業を決めると早速その授業内容を書き始めた。

 やるところを決めたとはいえ、ちゃんと大事な点などをまとめ、教えてやらねばならない。

 

「さてと……どうするかな」

 

 慧音が筆を手に取り、筆記帳に文字を書き始めようとしたその時、入口の戸を叩く音が部屋に飛び込んできた。

 前にもこんな事があり。その時にやって来たのは霊夢だった。

 

「なんだ……また霊夢か?」

 

 慧音は小声で呟くと筆を机に置き、立ち上がって入口の戸を開けた。

 

「どちら様だ……」

 

 慧音は苦笑した。

 入口の戸の外にいたのは、この前と同じく硬い表情を浮かべた霊夢だった。

 

「霊夢……か。どうした。また何か困った事があったのか」

 

 霊夢は頷いた。

 

「あんたに聞きたい事があって来た」

 

 慧音は苦笑した。

 

「そうか。中に入るといい。聞いてやるよ」

 

 慧音が手招きして部屋の中へ入ると、霊夢もその後を追い、靴を脱いで畳みの上に座った。

 慧音もまた霊夢の前に座り、用件を尋ねた。

 

「今度は何があったんだ?」

 

 霊夢は表情を変えずに口を開けた。

 

「懐夢が空を飛べるようになったわ」

 

 慧音は驚いた。

 

「ほ、本当か?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。それで今日空を飛んで紅魔館まで行ったわ」

 

 慧音は腕を組み下を向いて考え込んだ。

 霊夢の言葉が本当なのかどうか確認が取れていないのでわからないが、もし本当なのだとすれば普通の半妖ならば取得に十か月以上かかる能力を、懐夢はたった二ヶ月という尋常じゃない速度で体得している。はっきり言ってしまえば、異常だ。

 

「もうそんなにまで……スペルカードと言い今回と言い、とんでもない速度で能力を取得している……」

 

 慧音が呟くと霊夢は眉を軽く寄せた。

 

「そんなに懐夢の能力の体得速度はすごいの?」

 

「あぁ。少なくとも一般の半妖なら十ヶ月以上かかってしまうほどものだ。それを彼は二ヶ月で手に入れている……」

 

 慧音が言うと、霊夢は人差し指を立てた。

 

「それで、こっからが本題なんだけど彼のその能力、何か不安定みたいなのよ」

 

 慧音は視線を霊夢へ向けると、首を少し傾げた。

 

「不安定?」

 

 霊夢は手を下げた。

 

「そう。彼、博麗神社にいるとスペルカードを使ったり空を飛んだり出来なくなるみたいなのよ。んで、博麗神社から出れば使えるようになったりで、すごく不安定なのよ」

 

 慧音はもっと首を傾げた。

 

「どういう事だそれは。まるで意味が分からんぞ」

 

 霊夢は軽く溜息を吐いた。

 

「私も分からないから聞いてんじゃない。この意味不明現象の正体、慧音わかる?」

 

 慧音は先程と同じように下を向き腕を組んでまた深々と考え始めた。

 博麗神社にいると能力が使えなくなり、出ると使えるようになる。

 特殊な力を扱う者にそのような現象が起こった事は、今までない。

 もし可能性として考えられる事があるとすれば……。

 

「……博麗神社に彼の能力を妨げる何かがあるとしか考えられんな」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

「神社に? なにそれ?」

 

「わからん。だがそれ以外の原因が見つからないのだ。……盥(たらい)回しになるかもしれんが、こういうのはいっその事八雲紫に聞いた方がいいんじゃないか?? 私は歴史には詳しいがあいつほどではないからな。この手のものはあいつの方が詳しいはずだ」

 

 慧音に言われて霊夢はふと考えた。確かにこの手の事は、幻想郷が誕生する前から生きていて、様々な知識を持ち合わせている紫の方が詳しそうだ。

 

「そう……ね。わかった。紫のところに行ってみる」

 

 霊夢は慧音に礼を言うと立ち上がり、寺子屋を去ろうとしたが、慧音が呼び止めた。

 

「霊夢、懐夢の事だが……やはり彼には普通と違う"何か"がある。少し注意した方がいい」

 

 霊夢は大して何も答えを返さず、寺子屋を出て上空へ飛び上がり、八雲紫の家がある地帯へ向かった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。