東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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エピローグ『双つ夢の譚』開始。


双つ夢の譚
1 平和を取り戻した世界で


 

 霊華との決戦を終えた後、霊夢達は平和が戻った幻想郷へ帰ったが、当初計画していた大宴会の開催はなかった事にした。

 

 皆、これまでにない戦いを勝利した安堵と疲労で動けなくなり、住処に帰ってしっかりと休んだ方がいいという意見が上回ったため、大宴会は延長される事となったのだ。その開催日は懐夢の提案で霜月の十七日にとなり、更に懐夢の提案で、街の集会所を貸し切っての開催となる事になった。

 

 霊華が倒された日は霜月の十三の日。霊夢達は四日後の十七日の開催を目指して、街で準備を始めたのだが、何故か、皆は霊夢が準備に参加する事を拒んだ。

 

 霊夢は自分も準備すると言い張ったが、一同はまるで聞いてくれず、「霊夢はこれまでの一番の功労者だから、準備に参加する必要はない。霊夢は大宴会に参加して楽しむだけでいい」と言って、霊夢を跳ね除けてしまった。

 

 一人だけ仲間外れにされているような気を感じながらも霊夢は複雑な気持ちのまま頷き、十七日の大宴会の開催を待った。

 

 一方、大宴会の開催される予定の街は、<黒獣(マモノ)>の襲撃から復興し、更にそこに天志廼を失った民達が移民。結果として<黒獣(マモノ)>の襲撃で空いた穴は塞がり、更に天志廼の民と街の民達はすぐに打ち解けあい、街は元の活気を取り戻していた。

 

 天志廼という住処を失った霊紗はというと、街の寺子屋の武道場に住まう事となり、同時に武道場の管理者、指導者となって街の子供達に武道を教える職に就き、今後幻想郷に何かしらの異変が起きた場合に、霊夢の補佐として立ち向かう事ともなった。

 

 力強い味方がすぐ近くに来てくれた事に霊夢は喜び、懐夢は心を躍らせたが、どちらの心にも、もう霊紗と手を組んで戦う事もないだろうという気持ちがあった。

 

 幻想郷に、あれ以上の異変が来るとは、もう思えなかったのだ。きっとこれからの異変はレミリアや幽々子達とぶつかった時のような、ごっこ遊びだけで済むようなものだろう。もう八俣遠呂智や喰荊樹、霊華の時のような異変はもう起こらないだろうという、確かな気持ちが、霊夢と懐夢の心にはあった。

 

 もう何も起こるまい……そう思いながら、霊夢と懐夢は博麗神社でのんびりと大宴会の日である十七日を待った。

 

 

 

       *

 

 

 

 十四日 午前四時 迷いの竹林 永遠亭

 

「おーい、おーい、永琳いるかー」

 

 早朝から診療所の準備を始めていた永琳は、玄関方面からの声に気付いた。こんな早くから誰なのだろうかと思ったが、聞こえてくる声色で、永琳は客が誰なのかを悟った。椅子から立ち上がり、廊下を歩き、玄関の戸を開けてみると、『それ』はいた。

 

「妹紅。こんな時間にどうしたのよ」

 

 藤原妹紅。輝夜に因縁があり、夜になると時折殺し合いを行う蓬莱人。まさかこんな時間から輝夜と殺し合いをしに来たのか。

 

「もしかして、輝夜と殺りにでも来たの?」

 

 妹紅は首を横に振った。

 

「違うよ。見りゃわかるだろ」

 

 永琳は妹紅の身体を見つめた。妹紅に集中していて気が付かなかったが、妹紅は人をおぶっていた。

 

「人……? 急患?」

 

 妹紅は頷いた。

 

「そうだよ。迷いの森を歩いてたら人間の気配を感じて、超高速で行ってみたら、見つけたんだ。かなり衰弱してて、危ない状態だから早く八意印の栄養剤とか投与してやってくれ」

 

 永琳は妹紅に背負われている人に目を凝らした。髪の毛は黒に限りなく近い茶色で、髪型はショートヘア。やせ細ってはいるものの、顔は比較的形がよく、並大抵の人よりは美人と言える女性だった。更に女性は刀を背負っていたのだが、その姿を一通り見つめて、永琳はハッとした。

 

「この人は……街の妖怪退治屋!」

 

 妹紅が首を傾げる。

 

「あ?」

 

 妖怪退治屋。近頃、街の方に移り住んできたという、流浪の女性の事だ。その女性は街にやって来るや否、悪事を働く妖怪を優れた霊力と剣技で退治するという働きを見せつけた。

 

 しかも女性は誰に頼まれているわけでもなく、悪事を働いている妖怪を容赦なく斬り捨て、人々を妖怪による被害から助け出すなどの偉業を果たすものだから、そのうち街や近隣の村の人々は女性を信頼し、妖怪の被害あらば多額の報酬金を支払う事を条件に女性に依頼をするようになった。

 

 当然と言うべきなのか、女性は人々からの依頼を快く承り、悪事を働く妖怪を容赦なく斬り捨てた。そしていつしか、女性は妖怪退治屋と呼ばれるようになったのだ。

 この事を妹紅に話してやると、妹紅はさぞ興味深そうに背中の女性に目を向けた。

 

「ほぉー、この人はそんな事をやってる人だったのかい」

 

「えぇ。だけど妙だわ。報酬金はちゃんともらっているから、ちゃんと食べていると思っていたのに、全然痩せているわ……」

 

「妖怪を殺すうちに食欲がなくなったとか?」

 

「わからないわ。とにかく診療所へ運びましょう。てゐ!」

 

 永琳は永遠亭の奥に向かって、助手のてゐを呼んだ。そのほぼ直後に、てゐは廊下を駆けて姿を現し、玄関へ飛び込むようにして永琳の隣に並んだ。

 

「何でしょうか、お師匠様!」

 

「妹紅に背負われてるこの人を、診療所のベッドへ。結構重度な衰弱具合だから、うどんげの事も呼んでおいて。薬品投与による集中治療を行うわ」

 

「了解!」

 

 てゐは妹紅から女性を受け取ると、そのまま診療所の方へと駆けて行った。その忙しない後ろを姿を見つつ、永琳は女性の事を思い出しながら、呟いた。

 

「何があったのかしらね。結構有名な人だったのに……」

 

「さぁな。だけど、運んでくる途中、何か言ってたような気がするな」

 

 永琳は妹紅に向き直す。

 

「何かって、何を?」

 

「わからないんだ。すっごく薄らとだったから。でもなんか、名前とか単語のように聞こえたな」

 

「……私の集中治療を受ければ、ひとまずどんな人でもすぐに目を覚ますわ。彼女が目を覚ましたら、事情を聴いてみましょう。襲い掛かって来なければだけど」

 

「頼んだよ。私もちょっと気になるから、後で教えてくれ」

 

「承っておきましょう」

 

 そう言って、永琳は妹紅を帰して永遠亭内に戻り、診療所へと急いだ。

 

 

 

        *

 

 

 

 女性の治療は一時間ほどかけて、永琳、鈴仙、てゐの手によって成功に終わった。

 

 女性に見られた症状は軽い栄養失調による衰弱と疲労。これらは全て永琳の製作した薬品によって治療され、女性の身体にはすぐさま健康が戻った。しかし、治療が終わって薬の効果が表れ、女性の身体に健康が戻って来ても尚、女性は目を覚まさず、三時間ほど経った午前七時でも意識を取り戻す事はなかった。

 

「意識、戻りませんね」

 

 鈴仙が椅子に腰を掛けながら言うと、永琳がそれに頷く。

 

「ええ。意識が戻るのにはもう少し時間が必要みたい。根気よく待つしかないわね」

 

 鈴仙がつまらなそうな表情を浮かべる。

 

「お師匠様、放っておいてもいいんじゃないでしょうか。ここまで目を覚まさないとなると、他の事をやっておいた方が有意義なのでは」

 

「普通はそうするんだけれど、この人に限ってはそうはいかないのよ」

 

「どういう事ですか」

 

「この人は妹紅に運ばれてきたのだけれど、妹紅によると、運ばれている間に何か譫言を言っていたそうなのよ。この人は街で有名な妖怪退治屋……その人に何があったのか、気になってね」

 

 鈴仙が不安そうな表情を浮かべる。

 

「妖怪退治屋ですか。まさかいきなり私に襲いかかって来るとかないでしょうね?」

 

「それはないわよ。刀はてゐに運ばせておいたし、服の中に隠し持っていた短刀と大量のお札も預からせてもらった。今の彼女に攻撃をする手段はないわ。ただ強力な霊力を持ち合わせているって言われているから……スペルカードとか発動させられるかもしれないわね」

 

「ちょっと、やめてくださいよ。今この場でスペルカードなんか使われたら、大変な事になってしまいますよ」

 

 永琳が溜息を吐く。

 

「まぁそうなったら鎮静剤を打ち込んで眠らせるからいいんだけれどね。とにかく、何か言わないかしら。妹紅の時に言っていたから、今でも言いそうな雰囲気なんだけれど」

 

 鈴仙が女性の方に目を向ける。

 

「わかりませんよ。三時間経った今でも何も言わないんですから」

 

 

 永琳が「そうね」と言ったその時だった。今まで完全に不動だった女性の口元が、動きを見せた。

 

「と………………と……………」

 

 二人は吃驚して、声を止めた。鈴仙が振り向き、小さな声で言う。

 

「お師匠様、今!」

 

「静かにして!」

 

 永琳は鈴仙と自らの口元を抑え込み、完全に声を出さなくした。女性は再度、声を漏らした。

 

「……と………………と……………」

 

 同じ言葉を口にして、女性の譫言は止まった。「と、と」。途切れながら、女性はそう言っていた。しかしそれだけでは全く意味が分からない。「と、と」、何を意味する言葉なのか、はたまた名前なのか、全然理解できなくて、鈴仙が顔を顰める。

 

「『と』だけじゃわかりませんよ……」

 

 永琳は考え込むような姿勢になって、『と』が含まれる言葉をいくつも頭の中で唱えた。しかし、『と』だけなので、やはり何なのかはわからない。せめてもう一文字くらい言ってもらえればわかるかもしれないが、女性の譫言は止まってしまっている。

 

「せめてもう少し教えてくれれば……」

 

 永琳が願うように呟いたその時、再び女性の口が動きを見せた。そればかりか、女性の両腕が上がり、何かを求めるように動き始める。

 

「む……む……いむ……」

 

 二人はもう一度吃驚して、息をひそめ、女性の声を聞いた。

 

「いむ……か…………いむ……」

 

 その時に、二人は目を見開いた。今、一つの言葉を女性が発したような気がする。少し舌が足りていないみたいで、聞き間違いだったのではないかと思ったが、女性はもう一度言った。

 

「いむ……かい……む……かいむ……かいむ……かいむかいむ……」

 

 女性の声がはっきりと聞き取れた。『かいむ』。女性はそう言った!

 そして、その言葉を聞き取る事に成功した二人は驚き、顔を見合わせた。

 そのうちに、鈴仙が言う。

 

「お師匠様、今この人、かいむって!」

 

「かいむ……皆、無いの皆無(かいむ)? それとも霊夢のところの懐夢(かいむ)……?」

 

 鈴仙が何かを思い出したように言う。

 

「そういえばお師匠様、前に例から聞いたって言ってましたよね? 懐夢君の故郷は滅んでしまったって……」

 

「えぇ。懐夢は故郷を失って博麗神社に住んでいるわけだけど……でも、この人のかいむはあのかいむの事なのかしら」

 

「わかりませんけれど、多分人名である事だけは確かだと思います。この人は……かいむという人を探しているんです」

 

「かいむなんて名前の人はこの幻想郷にも結構いそうだけれど……私達の知るかいむといえば博麗懐夢しかいないわ。ひょっとしたらこの人は懐夢の故郷の生き残りかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 

 鈴仙が立ち上がる。

 

「どうしましょうか、お師匠様。懐夢君に来てもらいますか」

 

 永琳が頷く。

 

「えぇ、懐夢の関係者ではないとは言い切れないからね。ここは一つ懐夢に来てもらって、この人に覚えがないか確認してもらいましょう。うどんげ、博麗神社に向かって、懐夢に来るよう頼んで!」

 

 鈴仙は承りましたと言って、診療所を出て、永遠亭から飛び立ち、博麗神社へと急いでいった。女性と二人、診療所に残された永琳は女性の事を見て、考え耽った。

 

 そういえば、この女性の髪の毛はどこか懐夢のそれに似ているような気がする。懐夢の髪の毛も黒に限りなく近い茶色だが、この女性の髪の毛も黒に近い茶色をしている。それに顔の形も、どこか懐夢に近いような気がしてならない。……この女性がかいむなんて言葉を口にしたせいなのかもしれないが。

 

「いずれにせよ、目を覚ましてくれればわかる事……」

 

 永琳が呟き、腕組みをしたその時だった。

 女性の口から大きく声が漏れて、その瞼が開いた――。

 

 

 

        *

 

 

 

 博麗神社。霊夢と懐夢は朝食を終えて、居間で休んでいた。これまでは、午前八時に朝食だったが、霊華が来た時から起床時間及び朝食の時間は午前七時となっており、ほぼ毎日その時間に起きて、朝食を摂っていた。そのためなのか、霊夢は霊華がいなくなってからも起床時間を七時にし、霊華が抜けた分を補うように、懐夢と共に朝食の支度をするようになっていた。

 

 そうして、二人で朝食を摂り、後始末をして食器を片づけ、霊夢と懐夢は居間へ赴いて、座り込んだ。その中、霊夢は霊華の抜けた穴と言うのがとても大きかった事を、しみじみと感じていた。

 

 話しかけても霊華はいないし、朝起きれば支度をしていてくれた霊華の姿もない。そもそも、元は自分と懐夢の二人で暮らしていたから、霊華が抜けたという事は霊華が来る前に博麗神社に戻っただけだ。――そうとわかっていても、一緒に暮らしていた霊華がいなくなってしまったという事実を、寂しく感じないでいる事は出来なかった。

 

 多分、今の自分は沈み込んでいるのだろう。そう思いながら懐夢の方を見てみると、懐夢は体育座りをして、頭の足の間に入れていた。落ち込む時に決まってやる座り方だ。

 

「寂しいわね、霊華がいなくなったら」

 

 懐夢は頷いた。

 霊夢は続けて言う。

 

「また私達二人でご飯の準備とかしなくちゃいけないね。霊華に頼って多分、腕がなまってなければいいのだけれど」

 

 懐夢は静かに言った。

 

「なんだか神社が広くなったように感じる」

 

「そうよね。住んでた人がいなくなるだけで、神社が広く感じるようになる……貴方がいなかった時の博麗神社を思い出すわ」

 

 懐夢はそれに答えず、霊夢に問うた。

 

「ねぇお姉ちゃん」

 

「なぁに」

 

「どうすれば、霊華さんと一緒に居られたんだろうね。どうすれば、霊華さんを死なせずに済んだんだろう」

 

 霊夢は俯いた。霊華はあの胸の紋様から神力を受け取り続けて、反動を抑え込んでいた。そしてそれを失った時に、それまで使い続けた神力と術の反動を受けて、死んでしまった。どうすれば、霊華と一緒に居られたのかと考えるならば、霊華が記憶を取り戻した原因である、博麗大結界への干渉が無かったなら、霊華と今でも居れただろう。

 

 しかし、霊紗によれば、あの時に霊華が協力してくれなければ博麗大結界は喰荊樹によって崩壊させられていたという。だからあの時、霊華が博麗大結界に干渉しなければ、幻想郷は滅んでいただろう。幻想郷は助かった。だが、その代わり霊華は記憶を取り戻し、幻想郷を脅かす存在となり、死んだ。もう、どうにもならなかったのかしれない。

 

「霊華、か。どうすれば、まだ一緒に居られたんでしょうね。全然思いつかないわ」

 

 懐夢は顔を上げず、そのまま霊夢にもう一度問いかけた。

 

「お姉ちゃんは、これでよかったって思ってる?」

 

 霊夢は一瞬考え込み、頷いた。

 

「冷たいって言われるかもしれないけど、そう思ってるわ。だってあのまま霊華を放置してたら幻想郷は滅ぼされていたし、何より霊華は母親や妹の事を思い出せないまま、苦しみ続けていた。霊華が死んだのは、霊華の苦しみがようやく終わった事であるって、正直思うわ。霊華はきっと……あれでよかったのよ」

 

 懐夢は頷いた。

 

「そうだよね……霊華さんはずっと苦しそうだったし、記憶を取り戻す前も、何だか苦しそうにしてた。霊華さんは、やっと苦しみから救われたんだね」

 

「えぇ。それに、もし霊華が記憶を取り戻さなかったら、霊華は記憶を取り戻す事に終わりなく苦しみ、もがき続けていたと思うの。だから、寂しいけれど、霊華はあぁなってよかったんだわ。きっと……」

 

 霊夢は膝で歩いて懐夢に近付き、その頭に手を乗せた。

 

「霊華に言われたよね。私達で、幻想郷を守ってって。だから懐夢……霊華の分まで、霊華が望んだ幻想郷を生きて、守っていこう。それが、新しい私達の使命のはずだから。

 ……だから、もう落ち込むのはやめましょう」

 

 霊夢が言っても、懐夢は頷くだけで、俯いたままだった。

 霊夢は首を傾げて、懐夢に声をかける。

 

「懐夢? どうしたの? まだ、何かあるの」

 

 懐夢はくぐもった声で言った。

 

「お姉ちゃん。お姉ちゃんを喰荊樹から助けて、ぼくが死にかけた時、ぼくはおとうさんに逢って、戻って来れたって言ったよね」

 

 霊夢はきょとんとして、その時のことを思い出した。確か、あの時懐夢は衰弱死を迎えるだけだったはずなのに、一気に回復して、目を覚ました。その時に懐夢は、「おとうさんが言った場所に走ったら戻って来れた」と、言っていた。

 

「そう言ってたわね。それがどうかしたの」

 

「あの時、どうしておかあさんが来なかったのかなって思って。どうして、おとうさんと一緒にいなかったのかなって……」

 

 流石に、霊夢は返答に困った。死んだあとの事なんかわからないから、どうして懐夢の父……矢久斗(しぐと)と一緒に母である愈惟(ゆい)が現れなかったのかと聞かれても返答できない。そもそも、どうして死にそうになっている懐夢の精神世界に、霊魂となっているはずの矢久斗が現れたのかという事自体、あまりよく理解できていない現象であるため、増々わからない。

 

「えっと……なんでかしら……その場に愈惟さんが居合わせていなかっただけかもしれないし、そもそも冥界は広いらしいから、道に迷ってたとか……」

 

 懐夢は身を縮めた。

 

「……もしかして、おかあさんは、本当はぼくの事嫌いだったのかな」

 

 霊夢は吃驚した。

 

「な、なんでそうなるのよ」

 

「だっておかしいもん。おとうさんが出てきて、おかあさんは来てくれないなんて。おかあさんはやっぱり、ぼくの事が」

 

 霊夢は懐夢の両肩に掴んだ。吃驚したのか、懐夢は顔を上げて、霊夢と目を合わせた。

 

「そんな事ないわ。愈惟さんは貴方の事を精一杯愛していたわ。そうでなきゃ、日記にあれだけ貴方の事を書くはずない。貴方はどこまで読んだかわからないけれど、あの日記は沢山、貴方の事が書いてあったのよ。貴方のどんなところが好きだとか、貴方のどんなところが愛おしいだとか。だから、間違ってもそんな事だけはない」

 

「ほんとうに……?」

 

「本当よ。だから、そんな事を言うのはやめて頂戴」

 

 そう言って、霊夢は懐夢の身体を抱き締めた。

 

「貴方は愛されていたのよ。愈惟さんからは特に、ね」

 

 懐夢は小さく言った。

 

「じゃあ、何でおかあさんはあの時……」

 

「わからないわよそんな事。でもね、愈惟さんが貴方を愛してなかったなんて事だけはないから――」

 

 言いかけたその時に、玄関から戸を叩く音が飛び込んできて、霊夢は言葉を止めた。

 

「霊夢、懐夢君、いる―!?」

 

 霊夢は懐夢の身体を離し、二人揃って玄関の方へ目を向けた。聞こえてきた声は、聞き覚えのある声色だった。

 

「こんな時間に、お客さん?」

 

 懐夢が言うと、霊夢は眉を寄せた。

 

「何かしら、こんな朝早くから……」

 

 霊夢は懐夢に声をかけた後に立ち上がり、懐夢を連れて玄関へ赴いた。そこに立っていたのは、白紫色の長い髪の毛で、頭に兎の耳を生やし、早苗曰く外の世界の女子高生によく似た服を身に纏っていて、永遠亭の永琳の弟子をやっている赤い目の少女こと、鈴仙・優曇華院・イナバだった。急いで飛んできたのか、髪の毛が少し乱れていて、息を切らしている。

 

「鈴仙。こんな時間にどうしたのよ」

 

 鈴仙は息を整えて、霊夢に言った。

 

「突然だけど、霊夢。街の妖怪退治屋って知ってる?」

 

「へっ?」

 

「街の妖怪退治屋よ。知らない?」

 

 鈴仙に言われるまま、霊夢はふと考えた。そういえば、異変の対応で忙しくてあまり気にしていなかったけれど、<黒獣(マモノ)>の異変が始まった頃くらいから、街の方で妖怪退治屋と謳われる女性が現れたというのを街の人から聞いた事がある。

 

 なんでも、防衛隊顔負けと言われるくらいに腕の立つ女性で、刀と術を操り、悪事を働く妖怪を切り捨て、退治する事で街は周辺の村の人々を助けて、妖怪の被害に悩まされていた人々から絶大な信頼を得ているらしい。

 

 その結果として、その女性は妖怪退治屋として名を馳せるようになったそうなのだが、その女性の事は話に聞いただけで、会おうとは思わなかったため、実際に会った事もなければ姿を見た事も無い。

 

「そういえば……そんな人の話を聞いたような……それがどうしたのよ」

 

「その人が、意識不明の重体で永遠亭に運ばれてきたのよ。姫様と死闘を繰り広げる妹紅が運んだの」

 

 霊夢は顔を顰める。明らかに、自分達に関係性のある話とは思えない。

 

「……それがどうしたっていうの。私と懐夢との関係性は?」

 

「その女性の事は私達が治療したのだけれど……」

 

 鈴仙は険しい表情を浮かべた。

 

「そしたらその女性、譫言で「かいむ」って言葉を口にしたのよ。何かを求めるような仕草をしながら」

 

 霊夢と懐夢は思わず驚いた。

 

「なんですって?」

 

「かいむって……ぼくの名前ですか?」

 

 鈴仙は首を横に振る。

 

「わからないの。でも、女性の口振りからして「かいむ」っていうのは人名だとしか思えないし……私達の中じゃ、かいむっていう名前の人は、貴方しかいないから……」

 

「その人は、ぼくを探してるんですか」

 

 その横で、霊夢は『考える姿勢』を取った。その女性が何者なのかはわからないし、どうしてかいむなどという言葉を口にしたのかというのも不明だが、鈴仙曰く『かいむ』は人名であるとの事。かいむという名前の人はここにいる懐夢以外にもこの幻想郷に沢山いそうなものだが、もしそのかいむがここにいる懐夢の事を差しているのであれば、その女性には一つの疑惑が浮かび上がる。それは……。

 

「まさか、懐夢を知る大蛇里の生存者!?」

 

 懐夢は吃驚したように霊夢へ身体を向ける。

 

「大蛇里の、生存者だって?」

 

「本当はどうなのかわからないけれど、もし貴方の事を呼んでいるのであれば、そうとしか思えない。何らかの事情で大蛇里の襲撃から生き延びて、街で妖怪退治をしていたのかしら……とにかく、その人がかいむって名前を口にしたんなら、懐夢を会わせる必要性はあると思う」

 

「そのために来たのよ。ほら、わかったならすぐに飛んで! もしかしたらその人が目を覚ましているかもしれないから!」

 

 そう言って、鈴仙は玄関から出て地面を蹴り、上空へ舞い上がった。その後を追って、霊夢と懐夢も玄関を出て鍵を閉め、地面を蹴って上空へ舞い上がり、その女性がいると思われる永遠亭へと急いだ。

 

 

 

       *

 

 

 

 鈴仙の後を追って迷いの竹林の中を飛ぶと、すぐさま永遠亭に辿り着いた。永遠亭の前では、てゐの率いる兎妖怪達が洗濯をやっていたが、三人は気にせずに中へ入り込み、八意診療所へと足を運んだ。

 

 そして、八意診療所の前に来たところで鈴仙は立ち止まった。中から声が聞こえてきている。どうやら永琳と女性が話をしているらしい。

 鈴仙が扉の前で小さく呟く。

 

「この声は……女性が目を覚ましたんだわ」

 

 霊夢と懐夢はごくりと呟いた。凛導の計らいに騙された天志廼の民達によって滅ぼされた、霊華の妹である瑠華が建造したという村、大蛇里。その生き残りかもしれない女性が待つ診療所の中に入った瞬間の事を考えると、わけもなく緊張してくる。ましてや、懐夢の事を知っているかもしれないから尚更だ。

 鈴仙は二人に尋ねる。

 

「二人とも、入るわよ。準備はいいわね」

 

 二人は頷いた。鈴仙もまたそれに頷き、診療所の扉を叩いた。

 

「お師匠様、お連れしました」

 

 診療所の中から声が聞こえてくる。

 

「ご苦労様うどんげ。入って頂戴」

 

 鈴仙は扉を開き、診療所の中へ入り込んだ。後に続いて、霊夢と懐夢は、薄らと薬品の匂いが漂う診療所の中へと入り込んだ。診療所の中はまるで森の中のように静かであったが、入ってすぐに永琳の姿が見えて、その静けさの中に永琳の声が広まった。

 

「あぁそう、この子よ。私達が知る、貴方が口にしていた「かいむ」っていう名前と同じ名前を持つ人は」

 

 霊夢と懐夢は永琳の顔が向けられている方向に目を向けた。そこにはベッドが一つあり、鈴仙が言った通り、女性が使用していたのだが、女性は既に目を覚まして、その身体を起こしていた。

 歳は二十八歳くらいに見え、髪の毛は黒に限りなく近い茶色で、ショートヘアだった。痩せているが、永琳の薬品を投与されたおかげなのか、血色はよい。だが、そんな事がどうでもよくなるような事が、直後に起きた。

 

 その女性と顔が合ったところで二人は驚いた。女性の瞳の色は、懐夢のそれと同じ、藍色だった。女性が見慣れた懐夢の瞳と同じ色をしていた事だけでも驚きだったのだが、霊夢はそれよりも、女性の顔を見て言葉を失った。

 

 女性の顔付が、とても、懐夢によく似ていた。

 見間違いではない、普段から見慣れた懐夢に似た顔が、そこにあるのだ。この世界に二つとないはずの顔に、よく似た顔の女性。その顔を見た瞬間に、霊夢は頭の中を、記憶の中を隅々まで、懐夢と同じ顔をしている人物の事を探した。そして、そのすぐ後に探し当てた。

 

 直接会った事はないけれど、懐夢と同じ顔をしている、いや、懐夢とよく似た顔をしている人物の事を知っている。だけど、何故その人が今ここにいるというのだ。何故ならその人は既に……そして、その人は……。

 

 思って、懐夢の方へゆっくりと目を動かしたその時に、懐夢は驚愕しきって無表情となった顔で、小さく呟いた。

 

「お……かあ……さ……ん……?」

 




次回、最後の急展開の始まりへ。

















後三回だけ続くんじゃ。

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