東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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6 『母』の記憶、『妹』の記憶

「ま、まさか……!!」

 

 紫は小さく頷いた。

 

「そうよ。霊華の娘、夫が……妖怪に殺されてしまったのよ。それも、彼女の目の前で」

 

 紫の言葉に、一同は凍り付くように身動きを止めて、言葉を失った。

 その沈黙を最初に破ったのは、幽々子だった。

 

「な、何故? どうしてそんな事が起きてしまったの」

 

 童子が溜息交じりに言った。

 

「言っただろう。当時の妖怪達は博麗の巫女を憎んでいたと……その時の妖怪達は八俣遠呂智が倒された事を悔しがり、八俣遠呂智を倒してしまった博麗の巫女を恨み、極限まで苦しめてやろうと考えていたのだ。博麗の巫女を苦しめるためならばどんな手段も躊躇わない、とな」

 

 霊紗が紫に言う。

 

「では幸せそうだった霊華がああなった理由とは……」

 

「妖怪に家族を、全ての幸せを奪い尽くされたからよ。ようやく手に入れた幸せを奪われて、あの子の心はついに折れた。人間と神、妖怪はわかり合えると思いは潰れて消え、妖怪は滅されるべき存在である――そんな思いが彼女の心を支配した。それ以来彼女は……妖怪を殺し尽くし、完全に浄化し、幻想郷を人間と神だけが暮らせる世界に帰る事を目標に動き出した。黒かった髪の毛は白くなって、瞳には光がなくなって……もう、霊華は別人になってしまったのよ」

 

 紫は俯いた。

 

「前から私達は考えていたの。もしも、博麗の持つ力が何らかの理由で暴走してしまったら、どうなってしまうのか。自分達で手に負えるものなのかって。……壊れたあの子の力は私達が危惧していた以上のものになっていたわ。ううん、それだけじゃないの。

 

 あの子の持つ力は原点から代々受け継がれて、様々なものを取り込み、進化した力だったの。あの子の力が原点のままだったなら、なんとかできたかもしれない。でも、変異、進化したあの子の力は私達ではどうする事も出来なかった。妖怪達は見るも無残に殺されていき、幻想郷は浄化されていったわ。その時の霊華はずっとこう叫んでいた」

 

 紫は顔を覆った。

 

「お前達さえいなければって……」

 

 一同は「あぁ」と言って沈黙した。これだ、懐夢の話に出てくる巫女の『大罪』とは。

 紫は続けた。

 

「……その後、霊華を倒す事は出来ないと判断した私達は、死に物狂いで考えて、霊華を八俣遠呂智と同様に封印する作戦を思い付き、決行した。私達は戦った。これまで自分達を守ってくれていた博麗の巫女と。いくら感謝しても足りない霊華と。そして私達は先代の大天狗と言う尊い犠牲を払いながら……<災いの巫女>である霊華を幻想郷の辺境に封印したの」

 

 それまで黙っていた妖忌が口を開いた。

 

「その戦いに、俺も参加した。あの時は本当に死を覚悟したな」

 

 文の隣で話を聞いていた大天狗が俯く。

 

「暴走した博麗の巫女と言うのは予想以上に恐ろしいものでした。何をやっても歯が立たず、追い詰められる一方……封印できたのは奇跡と言うほかありません」

 

 童子が顎に手を添える。

 

「それからだったな……凛導の言動がおかしくなり始めたのは」

 

 霊夢と霊紗が反応を示すと、紫が言った。

 

「霊華が封印された後、凛導は突然大賢者の最高権力者になると言い出して、実際にそうなった。そして、ほとんど私達に相談せずに、博麗の巫女の地をここで途切れさせて、力だけを受け継がせて、博麗の巫女を続けて行くという制度を生み出した。反論を許されず、私達はただそれに従うしかなかった」

 

 霊紗が拳を握る。

 

「その時からか……凛導が私達に感情制御や記憶消去などを行うようになったのは」

 

 紫は頷いた。

 

「我が子を封印してしまった凛導は完全に狂った。巫女に選抜された娘に感情制御や記憶消去などの術をかけて、人形のような博麗の巫女を生み出し、幻想郷を護らせる。そして今後の幻想郷に少しでも不都合なものがあれば、どんな非道な手を使ってでも排除する、まるで暴君と言えるような存在に、霊華のおとうさんは変わってしまったの。私はそれが許せなくて、『変革』などを計画するようになった。博麗神社も、霊夢達が暮らしているあそこに移されて、街も同じように移された。かつて博麗神社だった場所は役目を終えた博麗の巫女が隠居する施設になり、街はやがて復興し、製鉄業で盛んな天志廼の街になった」

 

 霊夢は俯いて、拳を握った。凛導が変わった原因……というよりも、根源が霊華であったというのが、どうも腑に落ちなかった。

 紫は続けた。

 

「しかしまさか、その理由が遥か未来で記憶を失わせた霊華を生きさせるためだったなんて、私は思いもよらなかった。彼の非道な行いの数々は全て、封印した霊華を解き放つ事の出来る世界を実現させるためだったのよ。その結果として、霊夢の元に記憶を失った霊華が住むようになっていた。彼はいつの間にか、封印した霊華から記憶を抜き取っていたの」

 

 霊紗が腕組みをする。

 

「では、何故霊華は突然記憶を取り戻した? 記憶は凛導が管理していたのだろう」

 

「……彼は霊華から抜き取った憎しみの記憶を、博麗大結界の中へと流したの。博麗大結界は一部の者くらいしか興味を示さないもの。記憶を失った霊華は博麗大結界に興味を示さず、静かに暮らしていくものだと考えていたのでしょうね」

 

 懐夢が言う。

 

「けれど霊華さんは喰荊樹の侵喰を抑え込むために、博麗大結界に触れてしまった……」

 

 霊夢が苦虫を噛んだような顔になる。

 

「その結果があれって事ね……」

 

 直後、魔理沙が何かに気付いたような顔になって、紫に声をかけた。

 

「そういえば、霊華の片割れである瑠華はどうしたんだ。山奥の村に連れて行かれたとか……」

 

 紫の顔に苦笑が浮かんだ。

 

「霊華を封印した後、私は瑠華に会いに行ったわ。捨てたも当然の瑠華に、ね。そこに行ってみたら、私は思いっきり驚いた。だって、本当に小さかったはずの村が、二倍くらいに大きくなっていたんですもの。そしてそこでは、人間と妖怪が共存していたのよ。その光景に私は驚くしかなかったんだけど、その時に現れたのよ、髪の毛が黒くて、藍色の瞳が特徴的な女性、瑠華がね。

 

 最初は追い返されるんじゃないかって思ったんだけれど、瑠華は私が村に現れた事に大いに喜んだわ……

 

 

 

 

          *

 

 

 

「おかあさん……!?」

 

 いつの間にか大きくなった山奥の森。そして十七歳前後に見えはするけれど、子供を三人ほど連れている、藍色の瞳が特徴的な大きくなった瑠華の姿。紫はその二つに呆然としてしまっていたが、やがて瑠華の声で我に返った。

 

「おかあさん、おかあさんだよね!?」

 

 瑠華は駆け寄って、紫を再度驚かせた。紫はぎこちなく瑠華の名を呼ぶ。

 

「瑠華……瑠華なのね……」

 

「そうだよ! すっごく久しぶりだねおかあさん。何年ぶりだっけ?」

 

 小さい時と同じような能天気ぶりに、紫は混乱を隠せなかった。

 てっきり、瑠華は自分の事を憎んでいると思っていた。霊華を博麗の後継者に選抜した時、博麗神社から瑠華を追い出す……瑠華を捨てるのと同じ事になったのだから。瑠華は大層山奥の村で暮らしながら自分の事を憎んでいると思っていたが、瑠華は完全に真逆だった。

 

「瑠華……貴方は……」

 

 その時、瑠華の背後から声が聞こえてきた。何事かと思って目を向けたところで、紫は酷く驚いた。そこにいたのは、人間と神と敵対しているはずの、大きな体が特徴的な妖怪だった。手には大きな木材が持たれている。

 

「村長、この木材はどこへ運べばよろしいんでしたっけ」

 

 瑠華は振り向き、笑顔で言った。

 

「それは向こうの方だよ。もう少しで木材の運搬は完了だから、頑張ってね」

 

 妖怪はわかりましたと答えて、村の奥の方へと歩いて行った。その光景を、紫は思わず目を点にして見てしまった。妖怪が、瑠華のいう事を聞いて、歩いて行った。妖怪が、瑠華を襲わなかった。これは一体どういう事なのだろうかと思ったその時に、瑠華は振り向いて、紫の手を取った。

 

「さぁさぁおかあさん、立ち話もなんだから、私の家に来てよ。旦那は今狩りに出かけていていないけれどさ」

 

 紫は驚きながら、瑠華に賛成した。確かにここで立ち話をしているわけにもいかないし、何より瑠華の住居、この村の事、妖怪達の事など、気になる事がごまんとある。

 

「わかったわ。案内して頂戴、瑠華」

 

 瑠華はうんと頷いて、紫と子供達を連れて村の奥へと歩き出した。村の中には至る所に妖怪と村民がいたが、妖怪は村人に敵意を見せておらず、穏やかに過ごしていた。そればかりか、手を取り合い、協力し合って住居を立てたり、物を運んだりしているのだ。

 今の幻想郷の人間と妖怪の関係と照らし合わせると驚くべき光景に紫は少し唖然としながら、村の中を歩き続けた。そして、瑠華が立ち止った頃には、目の前に大きな木造式の建物があった。

 

「これが、貴方の家?」

 

「そうだよ。おかあさんを入れるのは初めてだね。さぁどうぞ~」

 

 紫は頷き、瑠華に言われるまま家の中に入り込んだが、そこでまた驚いた。瑠華の家の中はかなり広く、木の匂いが香る静かな家だったのだが、その内装はどこか、三人で暮らした博麗神社の内装によく似ていた。

 

「ここが、貴方の家……」

 

 瑠華は頷いて紫を居間に該当する部屋に導き入れると、紫に椅子に座ってと声をかけた。紫は言われるまま椅子に座ったが、そのすぐ隣の椅子に瑠華は勢いよく座った。

 

「どう、ここが私の家だよ。私達が暮らした博麗神社によく似てるでしょ?」

 

「えぇ。とてもよく似ている気がするわ。というか霊華、聞きたい事があるのだけれど……」

 

「わかってるよおかあさん、皆まで言わないで。私が村長って呼ばれてる理由でしょう?」

 

「え、えぇ。そうだけれど……」

 

 瑠華はふふんと言った。

 

「私ね、おかあさんと霊華ちゃんのところを離れて、この村に来たわけだけど、ここで色んな事をやったんだ。そしたら村はもっと豊かになって、いつの間にか私が村長になってたんだ。それで、大きな家も建ててもらえたんだよ」

 

 瑠華の色々端折られた話に紫は苦笑いした。瑠華は昔から、少し面倒な話があると、端折って話す癖があった。……この辺りは、小さい頃から変わっていない。

 

「なるほど、貴方は貴方で頑張ったのね」

 

「うん。色んな事をして、色んな人や妖怪と会って、村を大きくして、結婚して、子供産んだ」

 

 紫は聞きたかったことの二つ目を思い出して、瑠華に声をかける。

 

「そうだ霊華。聞きたい事はまだあるんだけど」

 

「わかるよ。人と妖怪が一緒に暮らしてるのが信じられないんでしょう」

 

 紫はきょとんとする。瑠華はふふんと笑った。

 

「この辺りは旦那と、私をここまで連れて来た妖怪の人が言っていたんだけど、私って人や妖怪を惹きつけて、穏やかにしちゃう力があるんだって。だからこの村の人と妖怪達はわかり合えてるし、仲良くしてるし、一緒に暮らしてるんだ」

 

「貴方が、妖怪を惹きつけたの?」

 

「そうらしいんだけど、私はそうじゃないと思うんだよ、おかあさん」

 

 瑠華は改まったように言った。

 

「本当はさ、人間と妖怪はわかり合える種族なんだよ。ここに来た妖怪達はどれも私の話を下心なく聞いてくれたし、わかってくれた。そうでなきゃ、今頃この村に妖怪はいないし、ひょっとしたら妖怪達の手で滅ぼされてたかもしれない。でもそうじゃないから、人間と妖怪はわかり合えるって思うんだよ。そしてそれは、この世界に住む妖怪全部に言える事だと思う」

 

 紫は呆然としたまま、じっと瑠華の話を聞いていた。あの時手放してしまった、手放す事になってしまった瑠華が、まさかここまで立派になっているとは思ってもみなかったし、霊華がやろうとして失敗した事を、成し遂げているのだ。人間と妖怪の共存という、不可能だと思われた事を……瑠華はこの村で成し遂げている。

 

「それにね、おかあさん」

 

 紫は瑠華の顔を見つめた。瑠華はにっこりと笑った。

 

「おかあさんは妖怪なのに、人間の私達を育ててくれたじゃない。もし、私達がわかり合えない種族だったら、私達はおかあさんに育てられなかったよ。だから出来るよ、人間と妖怪の共存は!」

 

 紫はじっと瑠華の事を見つめていたが、やがて瑠華が言った。

 

「だからね、おかあさん。こんな歳にもなって我儘を言うようだけれどさ、おねえちゃんに……霊華ちゃんに会わせてくれないかな」

 

 紫は「あっ」と言って、目を見開いた。瑠華は構わず続ける。

 

「霊華ちゃん、博麗の後継者になって、妖怪と戦ってるんでしょう。そんな事は必要ない、妖怪と戦い合う必要なんかない、人間と妖怪はわかり合えるって、霊華ちゃんに教えたいんだ」

 

 瑠華は近くにいる子供三人をいっぺんに抱き上げて、紫に見せつけた。五歳くらいの男の子、四歳くらいと三歳くらいの女の子の三人で、どの子供も藍色の瞳をしていた。

 

「この三人が、私の子供なの。産んでは授かって、産んでは授かってを繰り返したら三人になっててさ。この子達を霊華ちゃんに見せたいんだ。霊華ちゃんいつの間にか叔母さんになっちゃったんだよーってね!」

 

 紫は三人の子供の姿を見て思わず口を覆った。やはり知らないのだ、いや、こんなに外から隔離されたような村に暮らしている瑠華が知るわけがない。霊華が家族を殺されて狂いだし、封印されてしまった事など……。

 

「でもさ、流石に私一人だけだと味気無さ過ぎだからさ、おかあさんと一緒に霊華ちゃんのところに行きたいな。それにおかあさんにも色んな話がしたいしさ、時間をかけてゆっくりと……」

 

 その時、瑠華は母の目からぼろぼろと涙が零れて行っているのに気付いて、驚いた。瑠華は咄嗟に懐から一枚の布を取り出して、紫に差し出した。

 

「ちょっとおかあさん、どうしたの。もしかして初孫に会えたのがそんなに嬉しかったの?」

 

 紫は俯いた後に、そっと立ち上がり、瑠華を、そしてその子供達の身体を抱き締めた。いきなり抱き締められて、瑠華とその子供達はきょとんとする。

 

「お、おかあさん?」

 

 紫は小さな声で言った。

 

「……瑠華。霊華はね、もういないのよ」

 

 その言葉を聞いた途端、瑠華は言葉を止めた。紫が身体を離してやると、瑠華の顔には、驚きのあまり固まってしまったかのような表情が浮かんでいた。

 

「霊華はね……妖怪との戦いで……死んじゃったのよ。だからもう……どこにもいないのよ」

 

 紫が俯き、子供達が首を傾げる中、瑠華は突然苦笑いし始めた。

 

「お、おかあさんも人……いや、妖怪か。おかあさんも妖怪が悪いねぇ。そんなわけないでしょう。だってあの霊華ちゃんだよ? 私よりも何倍も強くて、博麗の後継者に相応しい霊華ちゃん。そんな霊華ちゃんが死ぬわけないじゃない」

 

 紫は何も言わずに俯き続けた。瑠華はもう一度紫に言う。

 

「ねぇおかあさんってば。嘘だってわかるんだよ。おかあさんは昔から嘘を吐いて私達をからかったりしてたけれど、私はもう大人なんだよ。だからそんな嘘を吐いたって駄目。本当の事言ってよ」

 

 紫は首を横に振った。

 

「こればかりは嘘じゃないわ、瑠華。霊華はもういないのよ。もう、いないの……」

 

 瑠華は紫の両肩に手を乗せた。

 

「おかあさん、嘘吐くのやめてよ。霊華ちゃんが死んだなんて、嘘でしょ」

 

 紫と同じように瑠華の瞳から涙が零れだす。

 

「ねえってば、嘘だって言ってよ。霊華ちゃんが死んだのなんて、嘘だって言ってよ! おかあさん! おかあさんん――――――ッ!!!」

 

 瑠華の声が、家中に響き渡ったが、紫はそれに答えようとはしなかった。やがて瑠華はその場に膝を付いて崩れ、口を覆って泣き出した。

 

「そんな……なんで、なんで……なんで霊華ちゃんが……おかあさんが来たから……また三人で、家族で揃えると思ってたのに……なんで……」

 

 紫は腰を落とし、瑠華に話しかけた。

 

「瑠華……今、霊華は妖怪に殺されたって言ったけれど、本当は違うの」

 

 瑠華は顔を上げて、紫と目を合わせた。

 紫は少し躊躇うような仕草をした後に、瑠華に全てを話した。霊華がどのようにして博麗の後継者となり、どのような目に遭ったのかを、全て。

 紫の話が終わると、瑠華は信じられないような顔になって、呟いた。

 

「妖怪が……霊華ちゃんの家族をみんな奪ったの……?」

 

「えぇ。妖怪は霊華の全てを奪ったの。……それで、霊華は壊れてしまった。その乞われた霊華を止めるために、私は霊華を手にかけて、誰にも理解できない場所にあの子を封印した」

 

「霊華ちゃんが……壊れた……? それって、どうする事も出来なかったの……?」

 

「えぇ……私の力と知恵を持ったとしても、どうする事も出来なかった」

 

 紫は苦笑いと微笑みが混ざったような表情をして、瑠華に言った。

 

「私が憎いかしら、瑠華。私は霊華を殺したも当然よ。何なら、今すぐ追い出してもらったって構わないわ」

 

 瑠華は俯いた後に、小さく言った。

 

「おかあさんは……霊華ちゃんを助けてくれたんだよね」

 

 紫は「えっ」と言った。瑠華は俯いたまま、胸の前で手を組んだ。

 

「きっと、そんなふうになって、霊華ちゃんは辛くて、苦しかったと思う。そんな霊華ちゃんを止めたって事は、おかあさんは霊華ちゃんを助けたって事でしょ」

 

 紫は瑠華に問うた。

 

「貴方は、私が憎くないの、瑠華」

 

 瑠華は頷いた。

 

「私、ずっとおかあさんにお礼が言いたかったの。おかあさんは妖怪の身で、血がつながってない人間の私達をここまで育ててくれた。おかあさんがいなかったら、私達は生きていなかった。そして私達に、妖怪と人間はわかり合える種族なんだって事をわからせてくれた」

 

 瑠華は顔を上げた。顔に涙の跡が出来、目が紅く腫れていたが、瑠華は気にせずに言った。

 

「私はこの村の村長を続ける。そして、人間と妖怪がわかり合える種族だって事を、この世界全体に教えて行く。それでいつかこの世界を、人間と妖怪が共存できる世界にする。私達はこの村でそれが出来たんだ、世界全体だっていつか出来る。これを霊華ちゃんが目指してたのなら、私がそれを受け継いで、続けて行く」

 

 紫は険しい表情を浮かべる。

 

「貴方……やる気なの」

 

 瑠華は再度頷く。

 

「私はやると決めたらやるよ。どんなに辛くても、絶対に成し遂げて見せるから」

 

 紫は瑠華の藍色の瞳をじっと見つめていたが、同時に瑠華から、とてつもない意志の力を感じ取っていた。瑠華ならば、本当にやってしまうかもしれない。霊華が出来なかった事を、瑠華がやってのけるかもしれない。そんな気に紫は駆られていた。

 

「……そう。それじゃあ私はそのために、貴方にやってもらいたい事があるわ」

 

 紫は瑠華に人差し指を立てた。

 

「……貴方は今日から「博麗」という名前を捨てなさい。この村全体に、貴方が「博麗」の者でなくなった事を伝えるの。そして、今日この瞬間から、別な苗字で名乗りなさい。貴方の、人間と妖怪が共存できる世界を作ると言う目的に、博麗という名前は必ず障害になるわ。だからなるべく、障害にならないと思う苗字を自分で作りなさい。それが、貴方の名前になるわ、瑠華」

 

「私が、私の家族が、博麗じゃなくなる……」

 

「そうよ。貴方はこれから博麗じゃなく、この村の村長として、そして人間と妖怪が生きる世界を実現させる者として生きて行くの」

 

 瑠華は何かを考え込むような仕草をした後に、顔を上げて紫に言った。

 

「わかったよおかあさん。今、名前が思いついた。これからそう名乗って生きて行くね」

 

「えぇ、頼んだわよ瑠華。私の愛する娘……」

 

 

 

 

「瑠華はその名前を教えてはくれなかったけれど、ちゃんと名前を変えた事だけは確実だった。そして私は、それを最後に瑠華と会うのをやめたわ。瑠華と関わったら、周りの妖怪達が、瑠華が博麗の者だって気付いてしまうと思ったし、何より狂っている凛導が瑠華に何をけしかけるかわかったものではなかったからね。

 

 そして、八俣遠呂智の名が幻想郷から消えたとしても、その伝承……正確な伝承がその村にだけは残った。その事もあって、更にその村にはいつしか蛇の妖怪達が住むようになり、こう呼ばれるようになった」

 

 懐夢が驚いたような顔で言った。

 

「大蛇里……!?」

 


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