東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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5 『母』の記憶、『巫女』の記憶

 霊華が去った後に、一同は続々と目を覚まして、助け合いながら博麗神社へと帰還した。霊華との戦闘が開始された場所は博麗神社の上空であったが、戦っているうちに移動していたらしく、博麗神社には一切の被害が出ていなかった。

 

 博麗神社に一同が辿り着くと、回復した霊紗と、医療道具を持って駆け付けた霖之助によって、境内にて即行で回復術の使用と治療が行われた。紗琉雫の持つ神獣の治癒力を前もって使っておいたおかげなのか、一同は早く傷を治して、戦闘に復帰できる状態になったが、誰一人として霊華との戦闘を再度行おうと言い出さず、戦意を失ったままだった。中にはこのままではいけない、やはり霊華と戦うべきだと、次第に言い出した者もいたが、霊夢が一同が気を失っていた間に起こった事を全て説明すると、その者達は全て戦意を失ってしまった。

 霊華と戦うべきだと言った魔理沙が、霊夢に呟く。

 

「……なんだよそれ。藍が本気になって戦ったら、どでかい式神を召喚して藍を倒した。どういう事だ」

 

 霊夢は体育座りをして顔を足の間に入れて、返した。

 

「そのままよ。あいつはもっとすごい手を残していたのよ。それこそ、私達を完敗させるくらいにね」

 

 傍にいるアリスが手で目元を隠しながら、言う。

 

「何なのよ……もう何なのよ……夢なら覚めてよ……あんなのが敵だなんて、悪夢だわ……」

 

 霊夢は顔を上げて辺りを見回した。そこには今まで戦い続けてくれた仲間達がいたが、どのものも、戦意を完全に無くしたように茫然と座り込んでいた。その様子は、霊華という名の絶望そのものに打ちひしがれて動けなくなっているように見えた――いや、実際そうなのだろう。

 

 現に霊華はどんなに攻撃を仕掛けても傷付かず、現実離れしたかのような出力の術を放ち、最終的には超巨大な式神を召喚して、最強の妖魔を討った。ありとあらゆる方法を、ありとあらゆる方法で打ちのめしてくる。何をしても返り討ちにされる。これを絶望と呼ばずに何と呼ぶのだろう。

 

「駄目だわ。あいつに勝てる方法が思いつかない。お手上げ……」

 

 そう言ったその時、近くにいる早苗が呟いた。

 

「そもそも、何なんですかあの人は。一体、何者なんですか」

 

 霊夢は神社の中の方へ目を向けた。霊華は謎だらけで、何者なのかわからないままだ。それを知っているのが、これまで霊華に不審な反応を示していた紫であると思われるのだが、紫は倒れて気を失ったままだ。話を聞く事でさえ、出来ない。

 

「わからないわ……ほんと、なんなのよ、あいつは」

 

 そう言って、霊夢が溜息を吐いたその時だった。突如、博麗神社の鳥居の方から声が聞こえてきた。

 

「博麗の巫女……博麗の巫女はいないか」

 

 霊夢はふと顔を上げた。今、誰かに呼ばれたような気がする。それも、聞き覚えのない声で。こんな時に客人だろうか。

 

「誰よ、一体……」

 

 霊夢は懐夢を連れて立ち上がり、声の聞こえてきた博麗神社の入り口の方へ向かった。実際、その辺りには騒ぎが起きており、ただならぬ出来事が発生している事を霊夢と懐夢に悟らせた。

 いったい何が来たのだ。そう思って人混みをかき分けて、やってきた人物を見つけたところで霊夢は少し驚いた。

 やってきた人物。それは、深緑と若草色の二色から構成された侍のような着物を身に纏い、腰に二本の刀を携え、白く長い髪の毛と立派な白い髭を生やした、厳格な風貌の紅い目の老人だった。

 

「貴方は一体……」

 

 その時、霊夢と懐夢は気付いた。老人の傍を、妖夢と同じ魂のような、尾のある白いものが浮かんでいる。これは即ち、妖夢と同じ半人半霊という事を意味する。

 

「それ、妖夢さんと同じ……!」

 

 直後、背後から人混みをかき分けて、何者かが姿を現した。物音を聞いて何事かと振り向いてみれば、そこには全身の至る所が包帯だらけで、ぼろぼろになった衣服を身に纏った魂魄妖夢の姿があった。

 妖夢は何やら焦ったような、混乱しているような表情をして、霊夢の目の前に立っている老人の事を見つめていた。

 

「妖夢……!」

 

 霊夢に目もくれず、妖夢は口を動かした。

 

「お師……匠……」

 

 その言葉に、霊夢は驚いた。そういえば、前に妖夢から自分には祖父であり、師匠である人がいると聞いた事がある。先代の白玉楼の庭師であり、腕の立つ剣士だったそうだが、名前は思い出せない。

 

「確か……確か貴方は……」

 

 その時、妖夢の隣に幽々子が姿を現し、吃驚したように言った。

 

「貴方……妖忌(ようき)!」

 

 その一言で、霊夢は思い出した。

 そうだ、魂魄妖忌。それが妖夢の師であり、祖父である者の名だ。

 霊夢は妖忌に目を向けた。どうして妖忌がここへ来たのか。もしかして、先程自分の事を呼んでいたのは妖忌なのでは。

 そう思った直後に、妖忌はその口を開いた。

 

「お前達……その様子から察するに、既にアレと交えたようだな」

 

「アレ……ですって?」

 

 受け答えたその時、妖忌の背後に大天狗と童子の姿がある事に霊夢は気付いた。

 かと思えば、二人は妖忌の隣に並び、そのうちの童子が霊夢に言った。

 

「博麗の巫女。八雲紫はここだな」

 

「え、えぇ。紫なら神社の寝室で治療を受けてる……」

 

 その時、霊夢は気付いた。童子の背中に、藍がいる。九尾となって霊華と戦い、敗北を喫した藍が、傷だらけになって童子に負われているのだ。

 

「藍!!」

 

 童子は頷いた。

 

「この紫の式神については後々話そう」

 

 大天狗が霊夢に話しかける。

 

「文は、文はどちらでしょうか」

 

「文も博麗神社の居間で治療を受けてる。でもあの子は私達の中でも一番重傷を受けてたから、治療にも時間がかかってるわ」

 

 大天狗は口元を両手で覆った。霊夢が童子に声をかける。

 

「それで童子さん。どうしてここに来たの。貴方達は」

 

「今は紫の元へ案内してくれ。そこで話をしよう」

 

 霊夢はとりあえず頷き、やってきた妖忌、童子、大天狗という奇妙な三人組と、近くにいた懐夢、魔理沙、早苗、妖夢、幽々子、そして重要関係者である霊紗連れて、神社の中に招き入れた。

 三人を休んでいる紫の元に連れて行ったところ、そこで紫と文が目を覚ましており、大天狗は全身の至る所を包帯で巻いている娘の姿に驚愕したが、娘の安否を確認できたのか、その場で静かに泣き出した。

 童子は目を覚ました紫に藍を見せつけ、藍が無事である事を教えて、紫に式神の術をかけさせた後に、紫の隣に横たわらせた。そして、妖忌は寝室に集まった霊夢、懐夢、早苗、魔理沙、霊紗、紫、文、大天狗、童子、妖夢、幽々子を座らせると、紫に声をかけた。

 

「大賢者八雲紫。幻想郷中に溢れる尋常ではない神通力と調伏の力、そしてこの者達の怪我……アレが復活してしまったと考えていいな?」

 

 紫は頷いた。

 

「えぇ。あの子……博麗霊華が復活し、幻想郷に解き放たれたわ。そして立ち向かったこの子達はまんまとやられてしまった」

 

 霊夢が溜息交じりに言う。

 

「唯一あいつに傷を与える事が出来たのは、九尾に戻った時の藍だけよ。それでも、あいつはとんでもない術を使って藍の事を退けて見せたけれどね」

 

 紫は頭を片手で抱えた。

 

「あの子……あの子は……」

 

 霊夢は腕組みをして、紫の事を睨むように見つめた。

 

「紫。もう白状してくれるわよね? 霊華が何者なのか、そしてあんた達が霊華とどういう関係なのかを」

 

 紫は頭を抱えたまま、何も言おうとしなかった。紫の気持ちを察したのか、泣き止んで正座している大天狗が口を開く。

 

「私が代わってお話しいたします。博麗霊華は……」

 

 紫は咄嗟に掌を大天狗の前に突き出した。大天狗は驚いて言葉を止める。

 

「いいの大天狗。あの子については私が話すわ」

 

 紫は手を戻すと、ゆっくりとその口を動かし始めた。

 

「……博麗霊華……初代博麗の巫女であり、歴代最強の巫女」

 

 その言葉に、大賢者達以外の者達が驚きの声を上げ、そのうちの霊夢が言う。

 

「初代博麗の巫女!?」

 

 懐夢が続ける。

 

「それに歴代最強の巫女って……それは霊紗師匠じゃないんですか」

 

 霊紗が頷く。

 

「その話のはずだぞ、紫。私もそれは初耳だ」

 

 紫は動作を見せずに話し続ける。

 

「そりゃそうよ。私も今初めて霊華の事を貴方達に話すから」

 

 魔理沙が腕組みをする。

 

「初代博麗の巫女であり、歴代最強の巫女である、霊華……それはわかったとして、あいつは一体何なんだ」

 

 紫は霊紗と霊夢を交互に見つめた。

 

「それを話すならまず……元々博麗の巫女がどういった存在だったのかを話さなければならないわ。大賢者くらいしか知っていてはいけない事を」

 

 霊夢が眉を寄せる。

 

「そんな話があるの」

 

 霊紗が顎に手を添える。

 

「私もそれは気になる。初めて聞く話だろうからな」

 

 紫は大天狗、童子に目を向けた。

 

「貴方達は、この人達に話す事に反対するかしら」

 

 大天狗は首を横に振り、険しい表情を浮かべた。

 

「そんな事はありません。私はこの人達に、私達しか知りえなかった、幻想郷の歴史を話す必要があると思います」

 

 童子も頷く。

 

「大天狗と同意見だ。アレが出現した以上は、アレに立ち向かった者達に話さなければならない事がある」

 

 紫は「ありがとう」と小さく言うと、霊華に立ち向かって敗北した者達に目を向け直した。

 

「……元々博麗の巫女っていう存在は、この幻想郷の基礎になった地を守る守護神のような存在だったの。そしてそれを担当していたのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)という神様の末裔の人々だった」

 

 懐夢が驚きの声を上げる。

 

「天照大神って……慧音先生の授業で出てきた、神様達の中で最も偉い女神様ですよね」

 

 紫は頷いた。

 

「この地は沢山の神々の末裔が暮らす地だった。そしてその管理者が、天照大神の末裔の人々だったのよ。この地の歴史は古く、日本(このくに)葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)って言われていた頃から、現代まで続いている」

 

 紫は天井を眺めた。

 

「けれど……この地は沢山の妖怪達が暮らす地でもあったのよ。後に博麗の巫女と呼ばれる人達は、そこに住む神々の末裔、他の地から移り住んできた人々を守るべく、妖怪退治や妖怪を生み出す穢れの浄化などの仕事を行っていた」

 

 魔理沙が眉を寄せる。

 

「って事は、最初は人間と神、妖怪は私達にみたいに仲良くしてなかったって事か」

 

 童子が頷く。

 

「我々が友好関係になったのは、幻想郷という地が誕生してからだからな」

 

 紫は顔を戻した。

 

「当時、人間と神は仲が良かったけれど、妖怪は人間と神から、存在してはならない邪悪なものとして忌まれ、討伐対象にされていた。その関係は童子の言った通り、この地が幻想郷になるまで続き、人間と神は子孫を残しながら、ずっと妖怪達と戦っていた。そんなある時、天照大神の末裔から信頼され、部下になった妖怪が一人現れたわ」

 

 一同は何も言わずに聞き続けた。

 紫は続ける。

 

「天照大神の末裔……のちの博麗は、妖怪と仲良くなり、親交を深めた。その結果、博麗は、人間と神と妖怪はちゃんと手を取り、仲良く、共存できると思ったの。それには、部下になった妖怪も賛成だった。博麗と部下の妖怪は手を組み、人間、神、妖怪の全てが共存できる世界を目指し始めた」

 

 紫は俯いた。

 

「でもそんなある時、この地で大きな異変が起きた。それの解決に向かった博麗は……異変を起こした妖怪によって殺害されてしまった」

 

 周りの者達が驚き、霊夢が声をかける。

 

「博麗が殺されたって……その後どうなったの」

 

 紫はもう一度天井を眺めた。

 

「博麗には既に子供がいた。双子の女の子で、まだ、二人とも赤ちゃんだった。部下の妖怪は、博麗の血がここで途切れてしまう事を悲しみ、そして同時に、この子供達と共に、人間と神と妖怪が一緒に暮らせる、共存できる世界を実現させようと考えた。部下の妖怪は……博麗の産んだ双子の母となった」

 

 紫は苦笑いして、一同に声をかけた。

 

「もうここまでくれば、何がどれなのかわかるでしょう」

 

 早苗がごくりと息を呑む。

 

「という事は……紫さん、貴方は……!」

 

 紫は頷いた。

 

「そうよ。私は天照大神の末裔……博麗に認められてその部下になった妖怪だったの。そして、博麗が遺した双子の女の子の……母親。その子供のうちの片方が、霊華なの」

 

 一同がざわつき、霊夢と懐夢が言う。

 

「あんたが、霊華を育てたっていうの?」

 

「紫師匠が、霊華さんのおかあさん……?」

 

 紫は頷き、俯いた。

 

「……博麗が生んだ双子……姉が霊華、妹が瑠華(るか)と言ったわ。二人ともすごくよく似ていたから、私は赤茶色の瞳をしているのが霊華、藍色の瞳をしているのが瑠華と見分けていたわ。博麗と親交を深めていた私は、この子達の本当の母親のように立派に育ててやろうという不思議な使命感に駆られて、彼女達を育ててやろうと決心したわ。

 

 

 

        *

 

 

 二人の赤子を腕に抱え、博麗神社の前で紫が言う。

 

「私はこの子達を育てるわ」

 

 博麗の関係者が焦ったように言う。

 

「いいのですか八雲様! 八雲様がそんな事をしなくても、博麗の関係者は沢山います! ですから貴方様がやらなくても……」

 

 博麗の関係者を紫は睨むように見つめる。

 

「私はね、この子達と一緒に人間と神、そして妖怪達が共存できる世界を作っていきたいのよ。それが先代の博麗の願いだったし、私の願いでもあるから」

 

「そんな事は無理ですよ! 八雲様は確かに妖怪の身でありながら我々博麗の者達に、下心なく接してくださっていますが、八雲様だけですよ。ですから、ここは……」

 

 言い訳のような言葉を並べる関係者を、紫は凛とした声で怒鳴る。

 

「いいから、やらせて頂戴。無理だと思ったら、早めに貴方達にこの子達を返すから、その準備だけは怠らないようにして頂戴」

 

 関係者は複雑そうな表情を顔に浮かべた後に、頷いた。

 

「畏まりました。その子達を、強気人に育ててくださいますよう、関係者の代表としてお願い申し上げます」

 

「任せて頂戴」

 

 そうして、私は博麗神社で、霊華と瑠華の二人を育て始めた。

 

 ほんと、試行錯誤の連続だった。赤ちゃんを育てるにはお乳が必要だから、自分の身体に特殊な術をかけてお乳が出るようにして、二人に飲ませたり、書物を捲って博麗一族がどんなふうに子供を育てていたのか調べたりしてね。

 

 でも、この二人に私のお乳を与えたという弊害が、すぐに出たわ。妹の瑠華の方が、毒物を体内に入れてしまったような中毒症状のような症状を起こし始めたのよ。原因は私のお乳が含む妖力の過剰摂取によるものだって事はすぐにわかった。でも、私にはどうする事も出来なかった。

 

 妖力を過剰に摂取してしまった人間には、浄化が必要だった。浄化は博麗一族が得意としているものだったけれど、同時に博麗一族のもの以外は出来ないものだった。私はすぐに困り果て、瑠華が死んでしまうのではないかと恐怖したわ。その時だったわ、弱った瑠華に、私のお乳を摂り続けているにもかかわらず元気な霊華が、手を差し伸べたの。そしたら瑠華の身体は瞬く間に浄化の光に包み込まれて、瑠華はたちまち元気になっていった。この時からすでに、この子達には浄化の力が備わっている事を、私は知った。

 

 二人はすくすくと育っていって、大きくなっていった。五歳くらいになると、二人の性格がどういったものかわかるようになった。瑠華は活発で明るく、沢山食べる子。反対に霊華はあまり食べなくて、大人しい子。二人とも、とってもいい子だった。

 

 

 

         *

 

 

 

「おかわり!」

 

 藍色の瞳で髪の毛が短い少女、瑠華が母親である紫に、空になった茶碗を差し出す。紫は少し困ったような苦笑いを顔に浮かべ、茶碗を受け取った。

 

「はいはい。ほんと、瑠華はよく食べるわね」

 

「だっておかあさんの料理がすっごく美味しいんだもん!」

 

「そう言ってもらえると嬉しいけれど、調子に乗って食べると、あとで後悔する事になるかもしれないわよ。女の子は太ると大変なんだからね」

 

 そう言って、紫は茶碗にご飯を少しだけ盛り付けて、瑠華に手渡した。

 

「これでおしまいよ。これでお腹いっぱいになるでしょう」

 

 瑠華はうんと頷き、紫から茶碗を受け取り、もう一度箸を手に取った。

 その時に、紫は気付いた。瑠華の隣に座る、姉の霊華の箸が、止まってしまっている。皿におかずは残っていないが、茶碗にご飯が少量残っている。

 

「霊華、もう食べないの?」

 

 霊華はぎこちなく頷く。

 

「何だかもうお腹いっぱいで……」

 

 紫は首を傾げる。

 

「本当に?」

 

 霊華はもう一度頷いたが、口にご飯を頬張りながら、瑠華が霊華に言った。

 

「霊華ちゃん、そのご飯もらおうか?」

 

 霊華はきょとんとして瑠華に目を向ける。

 

「いいの、瑠華」

 

 瑠華はごくりとご飯を呑み込んで、頷いた。

 

「いいよ。あたしなら食べられるからさ。それに、残すともったいないじゃない」

 

 瑠華がにししと笑うと、霊華はぎこちなく微笑んで茶碗を差し出した。

 

「じゃあ瑠華、もらって」

 

「ありがとう霊華ちゃん」

 

 瑠華は空になった自分の茶碗と霊華の茶碗を取り替えると、がつがつとその中身を一気に食べてしまった。その様子を見ていた紫は少し呆れながらも、二人の特徴がはっきりした事に心の底で喜んでいた。

 

 瑠華は大喰らいだが、その分日中活発に動き回っているため、健康的に問題ないし、多く食べる理由も散々遊びまわるせいでお腹が空くからだ。人里の健康な子供達の特徴とほとんど同じで、全く問題のない子だ、瑠華は。

 

 反対に霊華はおしとやかで非常に大人しく、身体を動かすよりも書物を読んだり、自分や瑠華と話をする事が好きのようだ。あまり運動が得意じゃないし、瑠華と遊んでいる時も先に浸かれて休んでいる事が多い。そのためなのか、霊華はあまりご飯を食べようとせず、ご飯を残らせて瑠華に食べてもらっている事が多い。

 そもそも、二人の食性は二人がまだ赤ん坊だった時からはっきりしていた。瑠華はお乳をがっつくように飲んでいたのに対し、霊華はあまり沢山お乳を飲もうとせず、少しずつ時間を置いて飲むような子だった。その極端な食性のせいなのか、母乳に含まれる妖力を過剰摂取してしまい、瑠華は中毒症状に苦しんでしまったが、その度に霊華が自分から歩み寄って、瑠華の妖力を浄化してくれた。

 

 霊華は食べ物を残してしまうが、瑠華がそれを食べる。

 瑠華は妖力に対する抵抗力が薄いが、霊華はそれが極端に高いため、いざとなれば霊華が瑠華を守る。この二人は、本当に助け合いながら生きているのだ。こんなに小さい時から――。

 

「本当は私が守らなきゃいけないんだけど、もう既にこの二人は守り合って……」

 

「ねえ、おかあさん」

 

 小言を口にしたその時、瑠華の声で紫ははっと現実に戻った。

 瑠華と霊華は何やら不機嫌そうな顔をしてこちらを見ていた。

 

「な、何かしら、瑠華に霊華」

 

 瑠華は食器を全て重ねて、紫に差し出した。

 

「おかあさん、早く洗い物してお風呂入ろ」

 

 紫は頷いた。

 

「あ、あぁそうね。食べ終わったし、早く片付けないと……」

 

 紫は自分の食器を重ね合わせると、椅子から降りて、瑠華と霊華に声をかけ、台所へと向かった。

 その後の後片付けも、娘達の手によって早く終わり、紫は風呂場に行って薪をくべて、火を付けた。しばらくすると湯が沸き、紫は居間でじゃれ合っていた霊華と瑠華を連れて風呂場に向かった。

 

 

 

        *

 

 

 

 紫の話はひとまず止まった。

 一同は紫と霊華達の生活ぶりが本当に親子のものである事に驚きながら、紫の話をただ聞いていたが、話が止まった時を見計らい、懐夢が言った。

 

「紫師匠と霊華さんと瑠華さん……大蛇里にいた時のおかあさんとぼくみたい」

 

 早苗が頷く。

 

「えぇ。あの方と紫さんは、本当の親子のようだったのですね」

 

 紫は首を横に振った。

 

「……そうよ。血は繋がっていなかったけれど、私達は親子だった。私が親で、あの子が娘……だった」

 

 霊夢は腕組みをする。

 

「今の話を聞く限りじゃ、その時の霊華はまだあんなふうじゃなかったように思えるけれど……」

 

 紫は頷き、そのまま俯いた。

 

「あの子達が……七つになった時だったわ。博麗一族の掟によって、後継者になるのは一人だけっていう事になっていたの。その後継者には……妹の活発な瑠華じゃなくて、お淑やかな姉の霊華が選ばれたの」

 

 魔理沙が驚いたような顔になる。

 

「マジかよ。何で瑠華よりも霊華が選ばれたんだ」

 

「瑠華は霊華に比べて活発だったし元気だった。でもね、あの子は博麗の力があまり強い子ではなかったの。反対に、霊華は驚くほど強い博麗の力を持っていた。生涯この地を守っていく博麗一族の末裔として、これ以上ないくらいの器だったのよ、霊華は。霊華は私と共に……天志廼にあった博麗神社に残り、瑠華は関係者に連れられて、山奥にあるとされる小さな村に移り住む事になった。

 

 二人ともわんわん泣いて別れを拒んだ。私も辛かったわ……愛する双子の娘の、片割れを失うのとほとんど同じだったからね。博麗神社から瑠華がいなくなったら、それはそれは、静かだったわ。そして、寂しかった。しばらくは私も霊華もふさぎ込んで、あまり活発に動く事が出来なかったわ。

 でも、それから、霊華には博麗一族の末裔、この地の管理者になるための修行が施された。それを行ったのが……」

 

 霊夢はハッと何かに気付いたような顔になった。どうしてなのかはわからないが、ふと、頭の中にたった一人の人物の姿が浮かび上がった。

 

「ま、まさか!」

 

「そう。貴方が殺した凛導よ。凛導は妖狐の類でありながら善道に進む事によって天狐となった、博麗一族も認めた人で、博麗一族に何かあった際に、後継者に技術を教える立ち位置にいたの」

 

 霊紗が驚いたような顔になる。

 

「凛導がだと! という事は、凛導はその頃から暴挙を……」

 

 紫は首を横に振った。

 

「そうじゃないの。あの人は元々善人だった。とても優しくて暖かい人だったのよ」

 

 霊夢は眉を寄せた。今まで散々な修行をさせて、その後も散々な目に遭わさせて、自分が喰荊樹を発現させる原因を作ったのが凛導だ。そんな凛導が昔は善人だったなんて、全くと言っていいほど信じられなかった。

 

「そう。それで」

 

「凛導は厳しく、優しく、霊華に技術を教えた。霊華はすぐに呑み込んで、様々な技術を取得して、あっという間に博麗の後継者になるにふさわしい子になった。それが、霊華が八歳だった頃よ。

 でも、瑠華を失って寂しかったせいなのか、霊華はいつの間にか師匠でしかない凛導の事を、おとうさんと呼ぶようになっていたわ。無理もないわ、あの子にはおかあさんと妹しかいなくて、普通の子供ならいて当然のおとうさんがいなかったんだから」

 

 

「あの凛導が、霊華からおとうさんって呼ばれるような人だったなんて……」

 

 それまで沈黙を貫いていた文が、そっと口を開く。

 

「いつなんですか。霊華が博麗の死神になって走るようになったのは」

 

 紫は首を横に振った。

 

「そこに至るまでの道はまだあるわ。

 

 

 霊華が九つになった頃、この地に全国中から神や妖怪が殺到するようになった。やってきた妖怪達に尋ねてみれば、みんな口を合わせて、済むところを失ってしまったので、妖怪達が集まるこの地にやってきたと言ったわ。その時になって私達はこの国の異変に気付いたの。この国、いいえ、この世界そのものが、妖怪や神が住むのが難しい世界になりつつあるという異変にね。

 

 そこで、私達はこの地そのものを大きな結界で覆い、神や妖怪が住む事の出来ない世界から隔離する事によって、神や妖怪が引き続き生きていける世界を実現するという計画を思い付いた。それが、幻想郷計画。

 

 その計画は私達妖怪と複数の神によって成されるはずだった。だけど、それを実行したのはまだ九つの霊華だったの。霊華は凛導から習った結界の術を最大限に使い、あっという間にこの地全域を覆う結界を作り出し、世界を隔ててしまった。それが、貴方達が博麗大結界と呼ぶ、幻想郷を外の世界から隔離する結界よ。驚きでしょう? この幻想郷の要である結界は、たった一人の九歳の女の子が築いたのよ。

 

 私達は後に幻想郷と呼ばれるこの世界を作り出した霊華に驚き、崇めて、名前を付けた。「博麗の巫女」という、栄えある名前をね。その後、博麗神社の麓の方に大きな街が築かれ、博麗の巫女によって守られ、栄える街として幻想郷に名を馳せた。

 

 でも、そんな平和は長くは続かなかった。貴方達が完全に消し去った魔神、八俣遠呂智が幻想郷を乗っ取るべく出現し、妖怪や人、問わず襲い始めた。そこで初めて、私達妖怪の大賢者達と博麗の巫女が手を組み、戦った。せっかく作り上げた幻想郷を護るべく、ね。

 

 その時霊華は草薙剣との途轍もない親和性を見せて、八俣遠呂智を切り刻み、封印した。結果は貴方達が知るように、霊華達幻想郷の民の勝ちで終わったわ。ここでまた、博麗の巫女は幻想郷中に名を馳せるようになった。

 

 そして、この世界を作り上げて、尚且つ侵略にやって来た八俣遠呂智を倒して見せた霊華の元には求婚者が次々と現れたわ。無理もない、大きくなった霊華は美人で優しいと、周辺の村からの評判だったのだから。

 

 霊華は二十一歳になった頃に、十人いた求婚者のうち、一人を選び抜いた。神社の麓の街の聖職者として働く、穏やかで朗らかな人だった。二人はすぐに打ち解けあい、愛し合い、結婚を果たした。そして、霊華はいつしか子を宿した。

 

 

 紫の話が一旦止まると、霊夢が驚いたように言った。

 

「えぇっ、霊華は結婚してたの? それに二十一歳って……」

 

 懐夢は霊華の容姿を思い出しながら、呟く。

 

「霊華さん、十七歳くらいに見えましたよ? とても二十一歳だなんて……」

 

 紫が答える。

 

「霊華はただの人間ではないもの。特徴として、歳と身体が合わないっていうのがあったのよ。当時の霊華もそんな感じで、二十一歳なのに十七歳のような身体をしてるっていう特徴を持ってたわ」

 

 紫は苦笑いする。

 

「あの子は小さい頃から、自分ではどうする事も出来ない時になったら、「おかああさん、どうすればいいの」って言って来てね……結婚した後も、二十二歳になっても、私に頼る事が多くてね。特に子供を産む時なんか大変だったわ。いきみなさいって言っても「どうすればいいの」って言ってきたりして……でも、霊華はそんな事もありながら、ちゃんと子供を産む事に成功したわ」

 

 早苗が小さく呟く。

 

「という事は紫さんはお孫さん持ちだったのですね」

 

 紫が苦笑いする。

 

「そういう事よ。霊華は産んですぐに、私に自分の子を見せつけたわ。私が育て始めた頃の霊華と瑠華にそっくりな、女の子だった。とっても可愛くて、愛おしい子だったわ……。そんな子供の誕生を最高に喜んだのは誰でもなく、霊華自身だった。おかあさんである私に見せ、おとうさんである凛導に見せ、街の人に見せ……本当に心の底から喜んでいたわ」

 

 懐夢が俯く。

 

「霊華さん、幸せだったんですね」

 

「えぇ。とっても幸せそうだったわ。本当に、幸せそうだった。あの時のあの子を見ていたら、人間と神、そして妖怪が一緒に暮らす世界を作る事なんて実は簡単なんじゃないかって思えたわ。私達は一層気合を入れて、みんなが一緒に暮らせる世界を目指した。

 それに、沢山霊華に色んな事を教えたわ。赤ちゃんにお乳をあげる時間帯とか、離乳食だとか、しつけの仕方だとか……あの子が親になってからの方が、教えた事が多かったかもしれないわ。あ、そうでもないか」

 

 懐かしそうに話を続ける姿に、懐夢はふと、亡き母の姿を思い浮かべた。その様子は、紫がかつて「おかあさん」であった事を確証付けた。そんな事を考えていると、霊夢が眉を寄せた。

 

「でも、幸せそうだった霊華があんなふうになったって事は、何かあったと考えるしかないわよね」

 

 紫は俯いた。

 

「……そうよ。その後に、とんでもない惨劇が起きたの。その時からよ、俗にいう運命の歯車とか言うものが狂い始めたのは」

 

 紫の影を孕んだ表情に、一同はごくりとつばを飲み込んだ。

 紫は続けた。

 

「事の発端は、街が妖怪に襲われて壊滅した時だったわ。霊華の子が五つになった頃だった」

 

 一同は驚き、そのうちの魔理沙が言う。

 

「街が壊滅だって!? 何でそんな事が?」

 

「幻想郷を滅ぼそうとした八俣遠呂智だけど、それを崇める妖怪もいたのよ。そんな妖怪達の手によって、街は滅茶苦茶にされて、沢山の人が八俣遠呂智の封印を面白く思わなかった妖怪達の手によって殺され、喰われてしまった。勿論、その惨状を霊華とその夫が見ないわけがなかった」

 

 早苗が戸惑ったような顔になる。

 

「そんな、八俣遠呂智は暴妖魔素(ぼうようウイルス)をばら撒いて、妖怪達を眷属に変えてしまう力を持っているんですよ! なんでそんな存在を……」

 

 童子が腕組みをし、険しい表情を浮かべる。

 

「当時、妖怪達の間では幻想郷を妖怪が支配する世界としようという考えが広まっていて、妖怪達は八俣遠呂智の勢いを利用し、幻想郷を妖怪が支配する世界へ変えようと画策していたのだ。それが失敗した怒りを、博麗の巫女への怒りを、街の人間達にぶつけたのだよ」

 

 霊夢が歯を食い縛る。

 

「となると……霊華は相当ショックだったでしょうね。人間と神、妖怪が一緒に暮らせる世界を作ろうとした矢先にそんな事が起きたものだから」

 

 紫は頷いた。

 

「えぇ。でもあの子は折れなかった。どうすれば妖怪達と分かり合う事が出来るのか、どうすれば妖怪達と一緒に暮らしていけるのか、そんな事ばかりを考えるようになって、様々な行動を家族と一緒に起こし始めたの。人間と神、妖怪達の間に出来てしまった、広くて深い溝を埋められるように、ね」

 

 紫は顔を片手で覆った。

 

「でも……また惨劇が起きた」

 

 その時、霊夢はふっと頭の中にある事が思いついて、驚いたような顔になった。当時の妖怪達は博麗の巫女をまるで忌むべき存在と言うかのように恨み、憎んでいたと童子が言っていた。ここまでくれば、次に起きる惨劇がどのようなものだったのか、想像するに難しくない。

 

「ま、まさか……!!」

 

 紫は小さく頷いた。

 

「そうよ。霊華の娘、夫が……妖怪に殺されてしまったのよ。それも、彼女の目の前で」

 

 紫の言葉に、一同は凍り付くように身動きを止めて、言葉を失った。

 




集まる者達、そして……

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