東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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3 白巫女、その力

 午前十時、博麗神社。

 霊夢は懐夢から刀の研ぎ方を聞いて、酷く驚いた。日本刀を研ぐ時には普通の包丁のような小さな砥石を使うのではなく、もはや研ぎ台と言えるような非常に大きな砥石を使い、右足立て膝、左足の膝で砥石の台を固定して研ぎ始めるのだが、この砥石すらも、普通のものを使うのではなく、伊予砥と呼ばれる砥石をまず使う。

 

 そもそも日本刀というものは、普通の刃物のような平坦な作りとはなっておらず、(ハマグリ)の貝殻のような独特の丸みを持っており、それが鋭い切れ味と威力に繋がっている。そのため、この普通の研ぎ方をしてしまってはこの丸みを落としてしまい、大幅に威力と切れ味を低下させてしまう。ましてや相手は妖怪や人間を遥かに超える強さを持つ<黒獣(マモノ)>、あの<黒獣(マモノ)>の身体を切り裂くには並大抵の刃物では不可能に等しい。

 

 強力な刃物である刀は<黒獣(マモノ)>との戦闘には不可欠なのだが、懐夢の話によると、刀というものは普通の刃物とは違うため、素人ではまず研げないらしい。それなら街の刀匠の元にでも送ればいいではないかと思ったが、今街は壊滅状態であり、刀匠も仕事をしていない。ならば西の町ならばどうだとも考えたが、生憎西の町の住民達も街の復興のために活動しており、刃物屋も本来の仕事をしていなかった。

 

 それなら、良質な鉄を扱う事で有名な天志廼ならばどうだとも思ったが、後々街の復興にやってきている人々のほとんどが天志廼より派遣されてきた人々である事が判明。刀を研いでいる時間など無いと言われて、跳ね返されてしまった。そのため、こうして自身で刀を研ぐ事となってしまったのだ。

 意外な事に、刀を研ぐための砥石のセットが神社の倉庫の中に眠っていたため、すぐに作業を始める事は出来た。問題は霊夢自身刀を研いだことがなく、懐夢の助けなしでは刀を研ぐ事など出来やしないということだ。なので先程まで懐夢から教えを乞いながら研いでいたが、途中で懐夢は弓矢の調整の方に向かい、霊夢の元から離れてしまった。

 

 しかも懐夢によれば、霊華が使う予定の弓矢は弦が弱っており、換えの物が必要になっているらしく、弦くらいならば西の町に売っているだろうと懐夢は言って、そそくさと西の町へと出かけてしまった。懐夢が出て行く前に、貴方が西の町に行っている間に<黒獣(マモノ)>が襲ってきたらどうするのと尋ねたが、その前に戻ると懐夢は言って、やはりそそくさと西の町へと出かけて行ってしまった。そのため今、博麗神社には霊夢と霊華しか残されていない。

 

「しかしまぁ、霊華を戦わせるために、これだけの手間が必要になるなんてね」

 

 近くで矢の手入れをしている霊華がすまなそうな表情になる。

 

「ごめんなさい、霊夢。貴方達にまで手伝わせて」

 

「そうよ。あんたも札とかそういうので戦えばいいのよ。札ならいくらでも作り出せるからさ」

 

「札とかそういうものもいいんだけど、私はやっぱり弓矢と刀の方がしっくりくるみたいなのよ。多分札とかで戦っても本領が発揮できないと思う」

 

 霊夢が目を半開きにする。

 

「そういうけれど、あんたは最初の<黒獣(マモノ)>との戦いの時に、私と同じ術を使っていたのよ。私は札と大幣で戦ってるけれど、多分あんたも同じクチじゃないかしら」

 

「そうかなぁ」

 

 霊夢は目線を刀に戻した。長らく使われていなかったと思われるが、刃はまるで鏡のように美しく、霊夢の顔を映していた。

 

「でもまぁ<黒獣(マモノ)>との戦いはつべこべ言っていられないからね。自分の戦い方にあった武器を使う事は必須だわ」

 

 そう言って、霊夢は刀を再度研ぎ始めた。ギィギィという金属が石に擦られる音が耳に届く。最初は嫌だなぁと思った音だが、研ぎ始めて数十分経った今ならば、そうは感じなかった。やはり、何でも慣れだなと思って刀をすり減らさないように慎重に研いでいたその時、霊夢は頭の中に昨日の霊華と紫の姿が浮かび上がってくるのを感じた。

 あの時、霊華を見た時の紫は、これまで様々な面を見てきた自分でさえまだ見た事のない表情と反応を見せていた。霊紗の話によれば、記憶を失う前の霊華は博麗の巫女の関係者であったらしいが、同じ博麗の巫女の関係者である紫を見る事によって、霊夢は霊華が博麗の巫女の関係者である事を確信した。しかし、それを聞こうとした途端に紫が逃げてしまったため、霊華がどういう人物であったかどうかは聞く事が出来なかった。

 しかし、きっと紫はまた霊華や自分の目の前に姿を現すだろう。その時に、絶対に霊華の事を聞き出して、霊華の記憶を取り戻させなければ。そして、この<黒獣(マモノ)>事変を終わらせる。

 

(今度現れたらとっ捕まえてやるんだから)

 

 そう思って、刀の刃を砥石に当てたその時だった。先程まで話していた霊華が、声をかけてきた。

 

「霊夢、誰か来たわよ」

 

「出かけてた懐夢が帰って来たんでしょう」

 

「違うわ。女の人よ。頭から二本角が生えてる」

 

 霊夢は首を傾げて、霊華に目を向けた。

 

「どこにいるのよ」

 

「そこだって」

 

 霊華は階段の方に顔を向けていた。同じように顔を向けてみたところで、霊夢は少し驚いた。そこにいたのは、<黒獣(マモノ)>の襲撃の被害者の一人であり、街を滅茶苦茶にされた事によってやつれていた慧音だった。

 

「あ、慧音。どうかしたの……」

 

 そう言いかけて、霊夢ははっとした。霊華の言う通り、慧音の頭から、二本角が生えている。

 慧音は満月の時になると、頭から二本角が生え、少し青がかった銀髪が薄く緑がかった銀髪になり、幻想郷全ての歴史が見えるようになるワーハクタクの形態へと変化を遂げる。しかし、今は満月の時でもなければ、夜ですらない。なのに、慧音はワーハクタクの形態になって、ずっと俯いたまま歩いている。……明らかに、おかしい。

 

「慧音? あんた、どうしたのよ。なんであんた、ワーハクタクの形態のままなのよ」

 

 慧音はゆっくりと顔を上げた。その顔に昨日まであった目の下の濃い隈はなく、比較的健康そうな色が戻って来ていた。しかし、同時にその瞳はまるで泥水でも流し込まれたかのように濁りきっており、光を宿していなかった。やはり、普通の慧音の顔じゃない。

 

 そう思った次の瞬間、霊華が驚いたような顔になって、叫んだ。

 

「……すごく邪悪な気配!!」

 

 霊華の声の直後、慧音は呻くような声を上げた。

 

「はく……れい……の、みこ……!!」

 

 呼ばれて、霊夢は咄嗟に反応を返す。

 

「は、はい?」

 

 次の瞬間、慧音は石畳を蹴り上げて砕き、前方へ突進。そのまま霊夢の首根っこを掴み、霊夢を砥石台から無理矢理降ろし、石畳の上に叩き付けた。慧音の突進によって砥石台も、刀も弾き飛ばされて宙を舞い、大きな音を立てて石畳の上に落ちた。

 あまりに突然の光景に、霊華は唖然としてその場を動けなくなり、慧音によって石畳に叩き付けられた霊夢は息が詰まる感覚と、全身に走る鈍い痛みに、嗚咽のような悲鳴を上げる。

 

「け……いね……」

 

 ハクタクと化した異常な友人の顔を見つめたところで、霊夢は目を見開いた。慧音の顔に、禍々しい<黒獣(マモノ)>の模様が、いつの間にか浮かび上がっている。しかもその形はこれまで見てきた<黒獣(マモノ)>の、桜の花のような形ではなく、毒草として有名な鳥兜(トリカブト)の花の形をしている。

 

「おまえのせいだ、はくれいのみこ。おまえが、おまえが、まちのみなをころしたのだ」

 

 まさか慧音が<黒獣(マモノ)>になってしまうなんて。

 慧音だけは、慧音だけはそんな事にならないと思っていたのに。

 慧音だけは、味方だと思っていたのに、慧音は殺意をむき出しにした<黒獣(マモノ)>になって、襲い掛かってきた。

 

「慧音……慧音……!!」

 

「おまえがみなをまもらなかったから、みなはしんだのだ、だからむねんをはらす」

 

 いや、それは甘い考えだったのだ。今は、幻想郷の誰が<黒獣(マモノ)>になったとしてもおかしくない状況なうえに、ここ数日で慧音の心には膨大な負荷がかかった。それこそ、常人では狂ってしまうくらいの負荷が。これまで幾多の人、妖怪の死を見てきた慧音なら、街が崩壊したって<黒獣(マモノ)>にはならないんじゃないかと思っていたが、そんな事はなかった。

 

「慧音……慧音えッ!!」

 

「おまえがしねば、みなむくわれる。みなのむねんがはらされるのだ」

 

 慧音の力が強くなり、より一層息が苦しくなる。薄らと目を開けて、怒りに満ち満ちた慧音の顔、そして慧音の瞳を覗き込んだが、その中に、霊夢は昨日博麗神社にわざわざ赴き、息子と娘の仇と称して自分を殺そうとした元装飾品店の店員、能美の姿と、あの時の狂いに狂った能美の顔を合間見た。

 

 もしかしたら、<黒獣(マモノ)>になるはずだったのは、慧音ではなく能美なのではないだろうか。元々慧音は心の強い人だからちょっとやさっとの事では折れない。慧音は街が崩壊して、大勢の人と妖怪が死に絶えて、その記憶を消さなければならなくなった時にも<黒獣(マモノ)>にはならなかったかもしれない。だが、自分達は狂った能美の記憶を消すように、慧音に頼み込んだ。

 

 ……能美だ。能美の記憶がどんなに凄惨なものだったかはわからないが、きっと子供を殺された時の能美の記憶と心が、極限まで追い詰められた慧音の心を壊したのだ。もし慧音に能美を渡さずにいれば、慧音は<黒獣(マモノ)>にならず、能美が<黒獣(マモノ)>となったかもしれない。しかし、<黒獣(マモノ)>になりかけた人間を慧音の元に預けたばっかりに、能美の<黒獣(マモノ)>は慧音に移り、慧音の身体に、心に「黒い花」を咲かせた。

 

「慧音……!!」

 

「おまえさえ、おまえさえ、おまえさえ、しっかりしていれば、みなは、みなは」

 

 何度も何度も、同じ言葉を怒り狂った声と表情で叫ぶ。もう、慧音は慧音ではない。<黒獣(マモノ)>……<憤怒の<黒獣(マモノ)>>だ。早く倒して、慧音を中から出してやらなければならない。

 しかし、全くと言っていいほど身動きが取れず、息苦しさが強くなって、意識がどんどん霞んでいく。刻一刻と、死へ進んで行っている。手を退けようとしても<憤怒の<黒獣(マモノ)>>と化した慧音の腕は動く気配を見せつけず、冷酷に首を絞め続ける。もう、首を千切りそうな勢いで。

 この前も<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>になった早苗に首を絞められて殺されかけたが、あの時は懐夢や神奈子達が助けてくれたから何とかなったが、今回は懐夢もいないし、近くには霊華がいるだけだ。霊華は戦えないし、あまり度胸があるようには見えないから、助けてくれるわけがない。

 もしかしたらこの<憤怒の<黒獣(マモノ)>>は懐夢がいないタイミングを見計らってここまで来たのかもしれない。邪魔をする者のいない、確実に自分を殺せるタイミングを計って、ここまでやって来たのだ。<黒獣(マモノ)>と言えど元は知能の高い人間や妖怪だ、それくらいの事が出来たって不思議ではないはず。

 こんな事なら、懐夢と、霊華と一緒に出掛けていれば……こんな事には……。

 <憤怒の<黒獣(マモノ)>>の力が強くなった。首がいよいよ潰される。目の前が、どんどん暗くなり、意識が徐々にこの世から消えて行こうとしている。ここまで来て、ここまで来て終わるのか。この異変を解決できないまま、こんな禍根を残してしまうなんて。

 何より、懐夢をまた一人ぼっちにさせてしまうなんて。自分がいなくなったら、懐夢は、懐夢は……。

 

「退きなさい、化け物!!」

 

 意識が消えそうになった寸前で、霊夢は急に呼吸できるようになったような感覚に襲われた。いつの間にか、息苦しさがすっかり消えて、身体を抑えつけられていた感覚も消え去っている。どういう事かと息を吸った瞬間、肺目掛けて一気に空気が流れ込んできて、霊夢は思わずむせた後に、起き上がった。そして目を開けてみれば、そこに慧音、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>の姿はなかった。

 首を抑えながら、視線を霊華のいた方向へ向けてみれば、霊華はぼろぼろになった弓矢を持ち、矢を撃ち終えたような姿勢をして、茂みの方へ身体を向けていた。

 何が起こったのかわからないまま、霊華の目線の先に視線を送ってみたところで、霊夢は現実に戻って来たかのようにハッとした。<憤怒の<黒獣(マモノ)>>が、大木に括り付けられている。腹を巨大な光の矢に貫かれ、口から黒い血を吐きながら、何が起きたかわからないような顔をして、動かないでいた。

 

 自分が見ていない間にいつの間にか行われていた戦闘。霊夢は霊華があの光の矢を放ち、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>を大木に縫い付けたとしか思えなかった。もし霊華がやったんじゃないなら、霊華が弓を構えて、矢を撃ったような姿勢をしている説明が付かない。霊華が……死ぬ間際だった自分を助けてくれた。

 

「れ……霊華……」

 

 かすれた声で呼んだ瞬間、霊華は弓を手放して、身構えた。その刹那、どこからともなく霊華の手に光が集まり、やがて一枚のカードの形を作ったかと思えば、本当にカードとなって霊華の手に具現した。見慣れたカードの形に霊夢は驚き、思わず声を上げる。

 

「それ、スペルカード……!!?」

 

 霊華の手元のカードは再び光となって、霊華の手に消えた。その直後、霊華の手に七色の輝きを放つ巨大な光の珠が出現し、それを目の当たりにした霊夢は大いに驚く。霊華の手に出現している光の珠には途轍もない見覚えがある。何故ならあれは――。

 

「夢想封印ッ!!」

 

 霊華の高らかな宣言の瞬間に、霊華の手に具現していた光の珠は七色の輝きを放ちながら、流星の如く、大木に縫い付けられている<憤怒の<黒獣(マモノ)>>の元に飛翔し、身動きの取れない<憤怒の<黒獣(マモノ)>>に激突する事で炸裂。光の大爆発を引き起こし、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>が縫い付けられている大木と周囲の林を悉く呑み込んだ。

 光の珠の爆発は霊夢の想像以上の威力を誇っていたらしく、爆発時の風に吹き飛ばされかけて、猛烈な光に目を閉じ、耳を劈くような轟音に耳を塞いだ。爆発時の光が止み、次の目を開いた時には、庭が落ち葉で埋め尽くされており、爆心地は木も草も、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>の姿も消え去っていた。しかもこれを起こしたのは自分と同じ夢想封印……その自分でも引き出せないような威力に、霊夢は息を呑んだ。

 

(なんて威力なの……)

 

 まさか、霊華が夢想封印を使うなんて。

 この幻想郷で夢想封印が使えるのは、基本的に博麗の巫女だけだ。例外的に、博麗の巫女と同じ修行をした懐夢が類似した術を使っているけれど、今霊華が見せた術は明らかに出力が自分よりも遥かに上の、夢想封印そのものだ。あの術が使えるという事は、霊華は……。

 そう思って、霊華の方へ顔を向けてみると、霊華は息を切らした様子で、姿勢を大きく崩していた。その目線は、光の珠の爆心地へと向けられている。

 

「れ、霊華……」

 

 か細い声をかけると、霊華はハッとして、霊夢に慌てて駆け寄った。

 

「大丈夫だった、霊夢」

 

「え、えぇ、なんとか。さっきの攻撃は、あんたが?」

 

 霊華は何が起きたかよくわかっていないような表情で頷いた。

 

「うん。霊夢を助けなきゃって、咄嗟に弓と矢であの人を撃ち抜いて、そしたら、頭の中に術の名前が浮かび上がって来たから、叫んだら、あんな事になって……」

 

「あの時、あんたの放った矢は光の矢になっていたけれど?」

 

「それもよくわからないの。矢を構えたら、矢が光に包まれて進んだの」

 

 やはり、光の矢の事も、あの術――夢想封印の事も、よくわからないで放ったらしい。だけど、あれが使えるという事は霊華は記憶を失う前にあれを使えていたという事に他ならない。そしてあのような術を使う事が出来るのはこの幻想郷の中でもごく少数の、その中の数えるくらいの存在だけだ。いや、博麗の巫女以外には不可能と言っても差し支えがないだろう。霊華はもしかしたら……。

 考え込もうとしたその時に、霊夢はある事に気付いてまたハッとした。そうだ、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>……慧音はどうなったのだろうか。爆心地を見る限りでは、何も確認できない。

 立ち上がって、霊夢は爆心地の方へ目を向ける。

 

「そうだ、慧音は……」

 

 爆心地を隈なく見て、霊夢は気付いた。何かが、爆心地の中心にある。木でも、草でもない、何かが見える。霊夢は霊華にこの場で待つように指示すると、恐る恐る、全てが吹き飛んだ爆心地へと近付いたが、途中で立ち止まって驚いた。爆心地にあった者の正体は、裸身のまま地面へ横たわる慧音だった。

 

「慧音ッ!!」

 

 いつも相談に乗ってくれた友人の元に、霊夢は駆けつけて、その上半身を抱き上げた。

 

「慧音、慧音!!」

 

 慧音の身体を揺らしながら、霊夢は気付いた。先程まで慧音の身体に出現していた<黒獣(マモノ)>の模様が消え去っている。<憤怒の<黒獣(マモノ)>>は、いつもの<黒獣(マモノ)>の姿になる前に死んだらしい。いや、寧ろ霊華のおかげで、<憤怒の<黒獣(マモノ)>>が<黒獣(マモノ)>の姿になる前に倒す事が出来たのだ。

 

「あの一撃で、慧音を元に戻したっていうの」

 

 霊夢は慧音の首元に手を当てた。とくん、とくんと脈を打っているのが感じられた。

 

「とりあえず、このままにしておくわけにはいかないか」

 

 霊夢は慧音の身体を背負った。慧音の身体は思ったよりも重くて、ずっしりと身体に重圧がかかり、足が若干ふらついたが、霊夢は地面を強く踏んで、振り返って神社の方に向いた。そしてそのまま歩き出し、霊華のすぐ傍まで赴いた。

 

「霊華、寝室に行って布団と寝間着用意できるかしら」

 

 霊華が霊夢に背負われている慧音の姿に驚きながら、頷いた。

 

「用意できるけれど、その人大丈夫なの」

 

「生きてるけれど大丈夫じゃない。だから早く寝室に行って」

 

「わかったわ」

 

 そう言って、霊華が神社に上がろうとした次の瞬間、霊華は突然立ち止まった。

 いきなり足を止めた霊華に、霊夢は顔を顰める。

 

「どうしたのよ、霊華。立ち止まらないで寝室に……」

 

 霊華からか細い声が聞こえてきた。

 

「何か、思い出せそう……これは、何……」

 

 霊夢はえっと言って足を速め、霊華の隣に並んだ。霊華は片手を頭に当てて、じっと下を見ていたが、その目は何も見ていないような色になっていた。

 

「思い出せそうなの」

 

「……あぁっ……」

 

 霊夢が声をかけた次の瞬間、霊華は突然悲鳴に似た声を一瞬上げて、硬直した。一気に、霊華の顔が青白く染まり、霊華の身体が震え始める。あまりの突然の事に霊夢は戸惑い、もう一度霊華に声をかける。

 

「霊華? ちょっと霊華?」

 

 次の瞬間、霊華はかっと上を見上げて、大きな悲鳴を上げた。

 

「うわあぁ―――――――ッ!!」

 

「霊華!?」

 

 霊華の聞いた事が内容な悲鳴に霊夢は驚き、思わず後退する。霊華は両手で頭を押さえて、その場に蹲るように姿勢を崩し、がたがたと震えながら悲鳴を上げ続ける。

 

「ああ、あああぁぁぁ、ぁぁぁぁあああ、あああぁぁぁあ、あああぁあぁぁぁぁあああ」

 

 狂ったような、<黒獣(マモノ)>のような、これまで聞いた事のない霊華の悲鳴に、霊夢は背筋が凍りついたような気がした。しかし、霊夢は立ち止まらずに霊華に駆け寄り、必死になって声をかけた。

 

「霊華、ちょっと霊華、どうしたの! しっかりして!!」

 

「ああぁぁ、あああ、ああぁぁぁぁぁああ、あ、あ、あ、あああぁぁぁぁぁああああ」

 

「霊華ッ!!!」

 

 霊夢が叫んだ瞬間、霊華は突然口を両手で塞ぎ、悲鳴を止めた。かと思えば、嗚咽に近い、くぐもった声を漏らし始め、やがてその場に嘔吐した。

 霊夢は思わず立ち上がり、霊華から離れた。頭の中で糸がこんがらがっているかのような、妙な感覚に襲われて、目の前の光景がよく理解できない。霊華が突然何かを思い出したとか言い出したかと思いきや、いきなり叫んでいきなり吐いた。もう何が何だか、わからない。

 そう思った瞬間、霊華は後方にばたりと倒れ、そのまま静かに目を閉じた。霊華が倒れた音で霊夢は正気に戻り、慧音を背負ったまま霊華に近付いた。

 

「霊華、ちょっと霊華!」

 

 霊華は反応を示さない。慧音と同じように首筋に手を当ててみたところ、ちゃんと脈打っているのが感じられた。どうやら、気を失っているだけらしい。

 慧音に続いて、霊華まで気を失った。霊夢は髪の毛をぐしゃぐしゃとした気持ちを抑え込んで、寝室に目を向けた。

 

「寝室に敷く布団……二つに増量……」

 

 霊夢はそう言うと、まず慧音を抱えて寝室に戻り、慧音を寝室にひとまず置いて庭へ戻り、霊華を抱えて再度寝室へ向かい、慧音と同じように置くと、急いで布団を二つ敷き、裸身の慧音には寝間着を着せ、霊華の髪の毛を解き、それぞれを布団に寝かせた。

 あまりに突然の出来事に溜息を吐き、霊夢は呟いた。

 

「懐夢早く帰って来て……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、もういい頃ね。ようやくこの時が来たわ」

 

「全ての贄が、揃った。さぁ、始めましょう」

 


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