東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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13 子の「想い」

 <黒獣(マモノ)>から助け出され、紗琉雫が神獣であった事を理解した早苗は、神奈子、諏訪子、そして紗琉雫と共に守矢神社へと帰っていったが、帰る前に神奈子から色々な情報をもらった。霊夢はひとまず霊華の作った夕食を摂り、風呂に入った後、懐夢を先に眠らせてから、薄明かりの元で神奈子から仕入れた情報、および街の被害を紙に書き写していた。

 

 神奈子によると、一月ほど前に、深夜の守矢神社に、自分のような姿をした謎の人物が姿を現し、神奈子に「東風谷早苗は贄となる」と言っていたという。それを聞いた霊夢は大いに驚き、早苗の元に現れた謎の人物が何者であるかをほぼ刹那で把握した。早苗の元に現れたそれは、間違いなく<黒服>だ。ーーやはり、<黒服>が早苗に何かをして<黒獣(マモノ)>化の原因を作ったのだ。

 

 霊夢はそう確信して、早苗に<黒服>に何かをされなかったかどうかを尋ねたが、早苗の答えは何も知らないの一言だった。霊夢はまずは<黒服>が何なのかを懐夢、早苗、神達に教えて、その後に再度早苗に<黒服>の何かを知らないかと尋ねたが、やはり早苗は何も知らないとしか言わなかった。

 

 霊夢は早苗の答えに折れて、<黒服>の自分を見掛けたらすぐに自分に知らせるよう指示。<黒服>の目的、そして異変の犯人が<黒服>であると聞いた早苗達はその指示を承諾し、一刻も早く<黒服>を止めようと言ってくれた。霊夢はこれからの早苗達の活躍を期待できると思い、早苗達の協力に喜びを感じながら、礼を言ったのだった。

 

 ちなみに、自分が早苗に襲われた時に、すぐに懐夢が来た理由はというと、自分が博麗神社を出た後に神達が神社に駆け付けてきて、早苗が危ないと伝えたからであるらしい。もう少しで死ぬところだったのを、神達、そして懐夢が助けてくれた事を知るなり、霊夢は神達に礼を言って、懐夢には抱擁を与えた。その後だ。早苗達が守矢神社に帰って行ったのは。

 

「東風谷早苗は贄になる……贄って何の事かしら」

 

 贄という言葉は何かに捧げるものの事だが、早苗は何かに捧げられたような感じではなかったし、無事に帰っても来た。だから贄と言う言葉は当てはまらないはずなのだが、贄と言う言葉を早苗に当てた<<黒服>>の意図が全くと言っていいほど読めない。

 

 そう思った時に、霊夢は思わず声を出しそうになるくらいに、ある事を思い出してハッとした。そういえば、早苗が<黒獣(マモノ)>になった時には、普通の<黒獣(マモノ)>とは違う模様が身体に出ていた。今まで見てきた<黒獣(マモノ)>の身体には、桜の花のような形をした模様が必ずあったのだが、早苗が<黒獣(マモノ)>化した姿、嫉妬の<黒獣(マモノ)>の身体には鳳仙花のような形をした模様だった。それに、リグルの時だってそうだ。リグルの<黒獣(マモノ)>……<独占欲の<黒獣(マモノ)>>の時は身体に水仙の花の模様が出ていた。

 あれらは一体何だと言うのだろう。あれらが何の意味を持つのか、どうして普通の<黒獣(マモノ)>とは違う模様が出ていたのか。考えてもあまり良好と言える答えや推測が出なかった。

 

「いや、待てよ……!?」

 

 <黒服>は早苗の事を贄と呼んでいた。まさかとは思うが、あの違う模様を持つ<黒獣(マモノ)>になる者が、<黒服>の言う贄なのではないのだろうか。これまで、違う模様が確認されたのはリグルと早苗の二人だけだが、もしこの推測が合っていたのであれば、リグルもまた贄だったという事になる。しかしその贄が何を意味するのか、どういう意図で使われているのかは相変わらずよくわからない。

 霊夢は仰け反って天井を見つめた。机の薄い光りに照らされて、ほんのりと明るくなっている。

 

「結局何もわからずじまいか」

 

 呟いた次の瞬間に、頭の中に嫉妬の<黒獣(マモノ)>が町を破壊した時の光景が瞬時に再生されて、霊夢はびくりとした。そうだ、今回の戦いで、街には甚大な被害が出た。街の至る所、あらゆる建物が火災に呑み込まれて崩壊し、数えきれないくらいの人間や妖怪が犠牲になった事だろう。どれくらいの被害が出ていたのか、明日確認しにいかなければならない。それに街には慧音や白蓮達が住んでいるから、彼女達も無事かどうか確認しなければ。

 

「って……あれ」

 

 そういえば、紫はどうしたのだろう。自分の管轄内である街に、これだけの被害が出たと言うのに、紫は姿を現す事さえなかった。普段、街に何かあればすぐにでもやってくるというのに。紫は一体どこで何をしていたというのか。明日は慧音と白蓮のところへ行くだけでなく、紫に会う必要もありそうだ。……まぁ紫の事だから、突然現れるかもしれないが、恐らく街に出た被害を見て顔を真っ青にしているに違いはない。

 

「全く紫の奴は何をやってるのよ……幻想郷で一番大きい街の一大事だっていうのに……」

 

 そう呟いた直後、廊下側の戸が開く音が聞こえてきて、霊夢はそちらに目を向けた。そこには風呂から上がったばかりの、白い髪の毛を下ろして、肌が少し赤くなっている、寝間着を身に纏った霊華の姿があった。

 霊華は寝室に入るや否、霊夢に首を傾げた。

 

「あれ霊夢。まだ寝てなかったの」

 

 霊夢は筆記帳を閉じて頷いた。

 

「これから寝ようと思ってたところよ」

 

 霊華は霊夢の隣まで移動して腰を下ろした後に、霊夢の閉じた筆記帳に目を向ける。

 

「何か書いていたの?」

 

「えぇ。今まで集めた情報とかを纏めてたのよ。一番の情報っていえば、街が甚大な被害を受けた事かしらね」

 

 霊華に悲しげな表情が浮かぶ。

 

「そうだったわね。沢山の人が亡くなったでしょうに……」

 

 霊夢が頭を抱える。

 

「私……博麗の巫女に課せられた使命は、幻想郷とそこに住む民を守る事……でも、今回は助けなきゃいけない民を守る事が出来なかったわ。こんなんじゃ、博麗の巫女が聞いて呆れるわよ。しかも、今回<黒獣(マモノ)>を止めたのは早苗のところの紗琉雫だしね。今回私がやった事なんか、街に被害を出させたことと、<黒獣(マモノ)>を紗琉雫に片付けさせたくらいよ。やらなきゃいけなかった事も何一つできてない」

 

 霊華は黙り込んで下を向いた。しかし、すぐに顔を上げて霊夢の頭に手を乗せた。

 

「でも貴方はいつも一生懸命に異変に立ち向かっているじゃない。幻想郷の皆だって、貴方に感謝していると思うわ。もし貴方がいなかったなら、この幻想郷は滅茶苦茶になってるはずだから」

 

 霊夢は俯いて、弱弱しい声を出した。

 

「そうだろうけれど、今回は間違いなく感謝されるような事をしてない。街の人も大勢死んだだろうし、街そのものも復旧できるかどうか怪しいくらいの被害が出たわ。これから巫女として何をすればいいのか、全くと言っていいほど見当が付かない」

 

 直後、霊華は膝立ちになって、座っている霊夢の身体を抱き締めた。いきなり霊華に抱き締められて、霊夢はきょとんとする。

 

「霊華?」

 

「今の貴方は疲れてる。疲れてるから、上手い事考えられないんだわ。だから今は、休んだ方がいいと思う。貴方は、よく頑張ったわ」

 

 風呂に入った後の火照っている霊華の身体の温もりと優しさを感じて、霊夢はふと頭の中に何かが思い浮かんだのを感じた。それは、幼い日に母に抱き締められた時の感覚だった。よく母は自分の事をこうやって抱き締めてくれて、温もりと優しさを自分に沢山注いでくれた。その時の感覚に、今は非常によく似ている。

 思わず微笑んで、霊夢は目を閉じた。

 

「何だか……母さんみたい」

 

 霊華が目を丸くする。

 

「母さん?」

 

「えぇ。先代の博麗の巫女。何だかこうやって抱き締めてくれるのが、母さんに似てるのよ、霊華は」

 

 その時、霊夢は気付いた。今のこの時まで抱き締めてくれていた霊華の手が、力が抜けてしまったようにするりと背中を撫でながら床の方へ降りた。

 何事かと思って顔を上げてみれば、霊華は呆然としたような顔をして下を向いていた。

 

「どうしたの霊華」

 

 霊華は口をわずかに動かした。

 

「母さん……かあさん……おかあ……さん……」

 

 霊夢は思わず目を丸くした。

 

「え、おかあさん?」

 

 霊夢はハッとした。まさか、霊華は何かを思い出そうとしていて、こんな事を言っているのではないか。

 確信するや否、霊夢は霊華の両肩を掴んだ。

 

「何か、何か思い出せそうなの?」

 

 霊夢に声を掛けられると、霊華はまるで我に返ったかのような反応をした。

 

「……あれ」

 

 急に現実に戻ってきてわけがわからなくなっているような霊華に、霊夢はもう一度声をかける。

 

「霊華、大丈夫?」

 

 霊華は頭に手を当てて、軽く溜息を吐いた。

 

「……大丈夫」

 

「何か思い出した?」

 

 霊華は手を頭に当てたまま、顔を上にあげて、薄明かりに照らされている天井を見つめた。

 

「……おかあさんがいた」

 

「おかあさん……どんな人?」

 

「……わからないわ。おかあさんがいたって事しかわからない。その他の事は思い出せない」

 

 霊夢は溜息を吐いた。おかあさんがいたと言われても、どこにいるのか、どんな人なのかわからないのでは、何のヒントにもならない。

 

「それじゃあ何も思い出せてないのと同じじゃないのよ」

 

「……でも、おかあさんがいたんだわ私には。どんな人かまでは思い出せないけれど、それだけはわかる」

 

 その時、霊夢ははっとある事を思い付いた。霊紗によると、霊華は霊紗の知らない、博麗の巫女の関係者である可能性が高いらしい。もしかしたら、紫に霊華を会わせれば霊華が何者なのか、わかるかもしれない。紫は初代の博麗の巫女からずっと博麗の巫女の関係者及び幻想郷の賢者を続けている人物、霊華の事だって知っているはずだ。明日、紫の元に行く事が出来たら、博麗神社に連れてきて、会わせてみよう。

 

「……なるほどなるほど、わかったわ。この異変の解明と解決をするついでに、貴方の記憶の事も探求していかないといけないわね」

 

 直後、欠伸が出た。一気に眠気が迫り来て、瞼が重りでもついたかのように重くなる。

 

「そろそろ寝るわ。明日も料理よろしくね、霊華」

 

 霊華は頷いた。

 

「任せておいて。貴方達に料理を作るのが、私がここに住める条件だから」

 

「そうそう」

 

 霊夢はそう言って、筆記帳に情報を纏める時のために付けておいた行燈の火を消し、部屋を暗くすると、懐夢の右隣に敷いておいた布団に身体を滑り込ませて、枕に頭を乗せた。それとほぼ同じ時に、懐夢の左隣に敷いておいた布団に、霊華が滑り込んだ。布団の温かさを感じながら、一息つくと、霊夢は小さく言った。

 

「おやすみ、霊華」

 

「おやすみなさい、霊夢」

 

 霊華の答えを聞いてから、霊夢は目をゆっくりと閉じた。それから間もなくして、霊夢は深い眠りの中へと吸い込まれていった。

 

 

 

      *

 

 

 懐夢は目を開いた。そこはいつも通っている博麗神社の階段の中段だった。いつの間にか、階段に移動していたらしい。だが、いつも通っている道のはずなのに、どこか異常を感じずにはいられなかった。空の色が、どす黒く染まっている。夜だろうかと思ったが、辺りは昼のように明るい。空だけが黒くて、辺りは昼のように明るい。

 

(何だろう、これ)

 

 いつも聞こえる鳥の声も、動物たちの気配もしない。それどころか、草木や風、雲や空の匂いすらも感じない。全く持って、異常だ。

 懐夢は辺りを見回した後に、心の中で呟いた。

 

(ここは、神社なの)

 

 その時、上の方から悲鳴が聞こえてきた。その声を耳に入れるなり、懐夢は驚いて思わず背後を振り向いた。悲鳴の声色は、毎日聞いている、霊夢の声と合致していた。

 

「霊夢!?」

 

 懐夢は振り返り、いつも登っている階段を駆け上がった。走っても走っても風が吹いてこない事にすら、違和感を感じずに駆け上がり、神社の前まで来たところで懐夢は言葉を失った。

 そこにいたのは魔理沙や慧音、早苗やアリス、文や萃香といった霊夢の知り合い及び自分の友達の群れだった。見てみれば、かなりの数が神社の境内に集まっている事がわかる。だが、懐夢にとってそんな事はどうでもよかった。懐夢が思わず言葉を失ったのは、集まっている皆が、自分の使うスペルカードを発動させた時に現れるような光槍とよく似た性質を持っていると思われる光の刀や剣を手に持っていたという事と、皆の奥の方で、霊夢が無残な姿になっているのを見たためであった。霊夢の身体はズタズタになっており、左足と右腕がなく、ほぼ全身から血を流して、息も絶え絶えな様子で神社の壁に凭れ掛かっている。そんな霊夢を、友人達は光の武器を片手に囲んでいる。

 

「霊夢っ!!」

 

 今までいろんなことを見てきて、それについての発言をし、様々な人から聡い子だという評価を受けていた懐夢からすれば、霊夢が何故あのような事になっているのかはすぐに見当が付いた。霊夢は、あの光の武器を持った者達に切り刻まれて、あんな事になってしまったに違いない。

 どうして、どうして皆はあのような事を。

 その時、光の凶器を握る者達はゆっくりと懐夢の方へ視線を向けて、そのうちの一人である魔理沙がゆっくりと口を開いた。

 

「なんだ、来たのかよ懐夢」

 

 光の武器を持っているせいなのか、魔理沙の瞳には光がなかった。まるで、雨が降った翌日の川のように濁り、汚い色をしている。

 

「魔理沙、みんな、この状況は何なの!?」

 

 アリスが口を開く。

 

「見てわからない。この災いの種を刈っているだけよ」

 

「災いの……種……?」

 

 続けて、聖が呟くように言う。

 

「正確には、幻想郷で最も危険な化け物と言うべきでしょうか」

 

「化け物……!?」

 

 何を言っているのわからない。そう言おうとしたその時に、文が力なく霊夢の事を指差した。

 

「わかりませんか。ここにいるこの人ですよ」

 

 そう言われて、懐夢は霊夢に目を向けた。やはりそうだ。この人達が、霊夢のあんな事にした。

 

「なんで、なんで!?」

 

 早苗がにたりと笑う。

 

「だって当然じゃないですか。霊夢さんはこの幻想郷の誰よりも強くて、幻想郷のためなら大量殺戮、もしくは幻想郷の民の全滅すら躊躇わずにやるような、完全無欠の化け物ですよ」

 

 萃香が同じように笑む。

 

「だから私達はこいつを仕留めるのさ。せっかくこの幻想郷で生きてたのに、こんな化け物にいきなり殺されるなんて、たまったもんじゃないからな」

 

 幽香が狂気を孕んだような笑みを浮かべる。

 

「霊夢を殺してみんな仲良く生きる。霊夢なんて、私達からすれば脅威以外の何物でもないからね。災いの種は刈らないと。これでみんな安全に幻想郷で暮らせるわ」

 

 なにそれ。

 霊夢は化け物なんかじゃない。霊夢は優しくて、強くて、他の皆を護ろうと頑張っている博麗の巫女だ。そして、全部失っていきなりやってきた自分を、博麗神社に住ませてくれて、家族になってくれた人だ。だから、霊夢を守りたいと思ったのだ。霊夢を守れる力を持って、霊夢と一緒に暮らしていくと誓ったのだ。

 

「みんなやめて!! 霊夢に手を出さないで!! さもないと……」

 

 反射的に、懐夢は背中にかけている刀に手を伸ばした。しかし、そこで違和感を感じた。背中に何もない。いつもここまで手を伸ばせば刀の柄に当たるのに、何も感じない。

 

「あれ……」

 

 懐夢は両手で背中を触った。服の背中の部分を触った間隔を感じ取れた。やはり、いつもかけているはずの刀はない。どこかに置き忘れたのだろうか。

 だが、もうこの際刀はなくたっていい。――スペルカードがあるんだから。

 

「霊夢から離れろ! さもないと、皆にスペルカードを発動させるよ!!」

 

 懐夢はスペルカードを呼び出す体勢を取り、スペルカードの出現を心で念じた。しかし、いつまでたってもスペルカードは現れず、指は虚空を掴んでいた。

 驚いて、懐夢は自分の手を見つめた。そしてもう一度スペルカードの出現を念じたが、手には何も起きなかった。

 

「な、なんでスペルカードが……!!」

 

 直後、懐夢は強い衝撃を受けて、後方へ軽く吹っ飛ばされ、石畳に倒れ込んだ。鈍い痛みと苦しさが全身に走り回り、懐夢はその場に軽く蹲った。しかし、その後すぐに足音が聞こえてきて、懐夢は顔を上げた。顔を上げて一番最初に目に映ったのは、泥のように濁った、慧音の瞳だった。

 

「お前も愚かな事をしたものだ。大した力も持たないくせに、あの化け物を護ろうとしたのだから。お前にそんな事は、最初からできやしなかったんだよ」

 

 懐夢は霊夢の方へ目を向けた。その場に集まるほぼ全員が光の武器を片手に霊夢に近寄っていて、その武器を振り上げていた。――霊夢に止めを刺そうとしている。

 

「や、やめろぉ!!」

 

 その時、霊夢の血塗れの顔がこちらに向き、更に残った片手でこちらに手を伸ばした。そして蟲の羽音くらいしかないような大きさの声で、呟くように言った。

 

「かい……む……たすけ……て……かいむ……たすけて……」

 

「霊夢ぅッ!!!」

 

 懐夢は身体を必死に動かして、手を伸ばした。

 おとうさんとおかあさんが殺される時の光景が頭の中いっぱいに広がる。おとうさんとおかあさんが殺された時の映像は見た事がない。その前に、二人の前からいなくなったから。でもどうやって殺されたとかは、割と簡単に想像できる。多分、刃物とかそういうもので切られたりして、お父さんとお母さんは殺されたんだ。それと同じ事が、霊夢に起ころうとしている。霊夢が、殺されようとしている。また、大事なものが奪われようとしている。

 嫌だ。もう奪われるのは嫌だ。そう思ったから、強くなったのに。もう奪わせないために、守る力を手に入れたのに、どうして。

 

 助けを求める霊夢に、知人友人達は光の武器を振り下ろした。

 時が狂ったかのように、ゆっくりと光の武器の刃が霊夢に迫る。

 

 いやだ。うばわないで。

 れいむをうばわないで。

 

 慧音の声がする。

 

「お前は所詮何もできないのだ」

 

 もういやなんだ。

 もういやだ。うばわれるのはいやだ。

 なくすのは、もういやなんだ。

 

「かいむ、たすけて」

 

 手を伸ばす。

 

 れいむ、

 

 れいむ、れいむ、

 

 れいむ、れいむ、れいむ、

 

 れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、

 

 れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、

 

 れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、れいむ、

 

 霊夢に、光の刃が食い込み、視界が真っ赤に染まる。

 

「れいむぅぅ――――――――――――――――――――ッ!!!」

 

 

「ッ!!!」

 

 懐夢は上半身を一気に起こした。辺り()暗くなっている。あの間に何か変化があったのかと思って見回してみれば、そこは先程までの神社の外ではなく、神社の中……いつも使っている寝室だった。

 何が起きたかわからないまま、懐夢は自分の身体に目を向けた。寝間着を少しはだけさせて胸元を見てみれば、びっしょりと汗を掻いていた。確か、こうなる前に汗を掻いたような気がする。

 そのまま懐夢は背後を振り向いた。夜の闇に包まれて黒っぽくなっている箪笥が天井付近まで聳え立っていて、畳の方にはいつも身に着けている刀と午前一時を指している目覚まし時計がおかれている。その時初めて、懐夢は自らが悪夢から飛び起きた事を察した。

 

「夢……」

 

 直後、懐夢は胸の中に不安が一気に広まったのを感じた。いや、広まったと言うよりも、突き上げてきたと言った方が正しいのかもしれない。

 先程、霊夢が自分の目の前で殺された。それは夢だったわけだが、霊夢は本当に無事なのだろうか。本当に、霊夢を失っていないのか。懐夢は右隣に目を向けた。

 そこには布団の中に身体を少し入れて、こちらに顔を向けながら、穏やかに寝息を立てている霊夢の姿があった。……霊夢はちゃんとここにいる。誰にも奪われていない。失って……いない。おかあさんやおとうさんのように、失っていない。そうわかると、視界が一気にぐにゃりと歪んだ。大粒の涙が目から零れてきて、止まらなくなってしまった。霊夢を起こすまいと思って声を抑え込もうとしたが、間違って息を沢山吸って、懐夢は咳き込んだ。

 直後に、霊夢は呻き声にも似た声を出して、目を開けた。

 

「懐夢?」

 

 霊夢の声にハッとして、懐夢は目の前に視線を送った。眠たそうな霊夢と目が合った。かと思えば、霊夢は吃驚したような顔になって、慌てて身体を起こした。

 

「どうしたの、懐夢。泣いてる……」

 

 心配になったのか、霊夢は近寄ってきて、涙でぬれた頬に手を当ててきた。霊夢の掌は柔らかく、そして暖かかった。この暖かさは、生きていなければ出せないものだ。これが出せるという事は、霊夢は生きている。それを理解するや否、懐夢は霊夢の胸の中に飛び込んで、しがみ付いた。

 いきなり抱き付かれて、霊夢は驚きの声を上げて、懐夢に話しかける。

 

「ちょっと、懐夢?」

 

 懐夢は何も言わずに嗚咽を混じらせながら泣いていた。その身体は、これ以上ないくらいに震えている。それを見ただけではわからなかったが、懐夢の傍に置いておいた目覚まし時計の文字盤が示す時刻を確認したところで、霊夢は懐夢がどうしてこうなったかを察して、震える懐夢の身体を優しく抱きしめた。

 

「……怖い夢を見たのね」

 

 懐夢は頷いた。霊夢は静かに「そう」と言って、懐夢の頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫よ。貴方が見たのは全部夢。現実は何も変わっていないわ。だから安心して、いいのよ」

 

 懐夢は霊夢の胸に軽く顔をこすりつけて、呟くように言った。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶして」

 

 霊夢はきょとんとした。これまで、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」のおまじないは自発的に懐夢に施していたが、懐夢が自ら求めて来た事はない。これはこれまで住んできた中で、初めての出来事だ。だが、そんな事はどうでもよかった。懐夢を安心させる事が出来れば、それでいいのだから。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 霊夢はそっと、懐夢の髪の毛を撫でた。

 懐夢はもう一度霊夢の胸に顔を擦り付けるような動作をした後に、再度口を開いた。

 

「もう一回、もう一回して」

 

 霊夢は頷き、再度懐夢の髪の毛と頭を優しく撫でた。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 懐夢は霊夢の胸の中で頷くような仕草をした。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 直後、懐夢は霊夢の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。

 

「霊夢。ぼく、絶対に霊夢の事守るから。この先も、ずっと、ずっと守るから」

 

 いきなり言われて、霊夢はきょとんとする。

 

「な、何よ急に」

 

「死なせないから。霊夢の事を、絶対に死なせたりしないから。ずっと、一緒にいるから」

 

 話を聞いていないように淡々と喋る懐夢に霊夢は一瞬戸惑ったが、話の内容を聞いて安心した。そうだ。懐夢は自分の事を守るために強くなり、自分の事を守るために戦ってくれている。自分を死なせない、自分と一緒にいるために。どうしてそんな事を今更言うのか少し気になったが、懐夢の言葉に心が温かくなって、どうでもよくなった。

 

「わかってるわ。貴方はそのために強くなったんだから、そうして頂戴。私と、一緒にいて頂戴」

 

 懐夢は頷いた。

 霊夢は軽く溜息を吐いた後に、懐夢に声をかけた。

 

「……今夜は一緒に寝ましょうか」

 

 懐夢はもう一度頷き、霊夢の身体から離れた。目が紅く腫れて、頬に涙の後が出来ている。

 霊夢は微笑みながら自分の布団の中へと戻り、懐夢に手招きした。

 

「いらっしゃい、懐夢」

 

 懐夢は軽く頷いた後に自分の布団から離れて、霊夢の布団の中に滑り込んだ。

 霊夢は懐夢の身体に手を回して、背中をゆっくりと摩った。

 

「おやすみなさい。もう悪い夢は見ないわ」

 

 懐夢はもう一度すり寄ってきて、胸の前で深呼吸をして、霊夢に言った。

 

「……霊夢」

 

「なぁに」

 

「……大好き」

 

 霊夢はうんと頷いて懐夢の身体を少し抱き寄せた。

 

「私も大好きよ。懐夢」

 

 二人は互いの温もりを感じながら目を閉じ、眠りの中へと吸い込まれていった。

 

 

 ぼくはきっと甘かったんだ。

 霊夢は殺させない。そのためにぼくは強くなったんだから。

 霊夢を殺そうとするやつは、誰でも許さない。絶対に、許さない。

 霊夢はぼくの全部だから……もし霊夢が誰かに殺されそうになったなら、ぼくはその誰かを殺してでも霊夢を守る。

 もう……奪わせないんだから。

 


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