東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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10 <嫉妬の<黒獣>>

 霊夢は早苗と共に暗くなった空を駆けていた。一月前までは午後五時になっても明るかったのに、今は五時の時点で夜と言わんばかりの暗さだ。その夕闇を空を覆う雲が拍車をかけている。

 

「日が短くなったわね」

 

 早苗が上を見上げる。

 

「雲が沢山出て居ますね。こういう曇りの日は、雨になる事もあるのですが」

 

 霊夢が振り向き、上を見つめる早苗に顔を向ける。

 

「大丈夫よ。どうせ私の用事はすぐに済むから。まぁあんたが長くいる場合はわからないけれどさ」

 

 霊夢は前を振り向きなおした。

 

「まぁ霊華と懐夢には少し長くなるかもしれないと言っといたから、出来るだけあんたと長くいるようにするわ」

 

 早苗は視線を霊夢へ向け直す。

 

「そうですか。嬉しい限りです」

 

 霊夢はふふんと笑って、気付いた。速度を出して飛んでいたためか、もう街の上空に差し掛かっている。下には無数の灯りと、街を行く人々の姿、露店が見える。ちょっと鼻を利かせれば露店や店屋から出て居るであろう料理のいい匂いが感じられ、耳を澄ませば賑わう人々の声や料理や道具を作っている音が薄らと聞こえてくる。

 霊夢と早苗は街の入り口の方まで戻ると、地面へ降り立ち、明るく賑わう人々の中へ入り込んだ。街は明るいだけではなく、生き行く人々や露店の調理具から発せられる熱気のおかげで温かい。いや、寧ろ夏のように暑いと言った方が正しいのかもしれない。

 

「さてと……卵は確か肉屋の鶏肉売り場に一緒に売られてたから、肉屋に行けばいいんだったわね」

 

 そう言って、一歩踏み出したその時に、背後の早苗から声が聞こえてきた。

 

「あの、霊夢さん」

 

 振り返り、目を早苗に向ける。早苗は何やら縮こまった様子でこちらを見ていた。そんな早苗を不思議がって、霊夢は首を傾げる。

 

「どうしたのよ」

 

 早苗はぎこちなく言った。

 

「実は一緒に買い物をするついでに、霊夢さんに見せたいものがありまして」

 

「見せたいもの? 何々、どんなの?」

 

 早苗は周りの道行く人々に目を向けて、周囲を見回した後に霊夢に目を戻した。

 

「大切なものですが、あまり多くの人には見せたくないのです。だから、ちょっと路地裏に行きませんか」

 

 霊夢はどうも腑に落ちなかったが、とりあえず頷いた。

 

「わかった。その辺でいいでしょう」

 

 霊夢は早苗を連れて、あまり人目につかれないであろう、暗い路地裏に入り込んだ。湿っぽくて少し嫌な臭いがする路地裏をある程度進んだところで霊夢は立ち止まり、辺りを見回した。ちょうど建物と建物の間にあって、早々人目にはつかないであろう、秘密を話すにはいい場所だった。

 

「それで、あんたの大事なものって」

 

 期待を胸に寄せながら振り向いたその時に、霊夢は強い力に押されて、霊夢は地面に倒れ込んだ。地面に当たった痛みに思わず悲鳴を上げた直後、首に何かが強く当たっているような感覚と苦しさが襲ってきた。驚いてかっと目を開くと、そこには何の表情も浮かべていない早苗の顔があった。

 身体に重さがかかっている。早苗が身体に跨がっているらしい。そしてその二本の腕は、真っ直ぐ首に伸びて、しっかりと掴んでいた。先程からの息苦しさは早苗によるものだと気付くよりも先に、霊夢はか細い声で早苗の名前を呼んだ。

 

「さ……なえ……?」

 

 直後、早苗の口角が一気に上がり、開いた口から声が漏れ始めた。

 

「くっ、ふふふ、ふふは」

 

 やがて震えながら、早苗は笑い叫んだ。

 

「あはははははははははははっ!!!」

 

 いつもの早苗じゃない。目の前で笑う早苗から聞こえる声と、光を失って濁った瞳は、いとも簡単に霊夢にそう思わせた。一体どうしてしまったの、と尋ねようとしたその時に、首が一気に締められて、霊夢は言葉を出せなくなった。首を絞められて、苦しみもがく霊夢を見下しながら、早苗は咆哮するように言った。

 

「あまい、甘いんだよ博麗霊夢ぅ。まさかこんな簡単にかかってくれるなんてぇ」

 

 強弱がばらばらでおかしい喋り方の早苗に言われて、霊夢は苦しみながら驚く。

 

「か、かかる?」

 

 早苗はがっと顔を近付けて、霊夢の顔に息をかけんばかりの勢いで、霊夢を笑った。

 

「そうだよぉ。お前はね、はめられたんだよぉ」

 

「な、なんでそんな」

 

 早苗は顔を霊夢から遠ざける。

 

「私ねぇ、お前の待遇が大嫌いだったんだよ。そう、お前をぶち殺してやりたくなるくらいにね。こっちは外の世界から爪弾きにされて、幻想郷にきた。外の世界じゃ幸せにはなれなかったから」

 

 早苗は霊夢の首を絞める力を少し弱める。

 

「それで、幻想郷で神社を開いてみれば沢山の参拝客と信仰者を得ることが出来た。守矢神社を外の世界にあった時よりも発展、有名にする事が出来た。神達だって喜んでた」

 

 早苗は霊夢の首を絞める力を強くして、上を見上げる。

 

「なのに神達は、幻想郷の奴らは外の世界のゴミ共と変わらなかった。誰も私の事をわかってくれないで、自分達だけで幸せに、楽しそうにして、私を仲間外れにした。あの神達も、信仰者も参拝客も、全部!」

 

 顔を再び霊夢の方へ戻し、ヘドを吐くように、早苗は霊夢を怒鳴る。

 

「そしたら、博麗神社の巫女が幸せそうにしてるのを見つけた。守矢神社の何倍も信仰者も参拝客のいないおんぼろ神社なのに、そこの巫女は守矢神社よりも幸せそうに、楽しそうに暮らしてる! ふざけるな!!」

 

 早苗は再び顔を霊夢の顔に近付けた。

 

「なんでおんぼろ神社のお前の方が幸せそうにしてるんだよ。お前じゃないんだよ、幸せになっていい巫女は。私なんだよ、幸せになっていい巫女は。お前みたいなふざけた神社のふざけた巫女じゃないんだよ、幻想郷の奴らから慕われて頼りにされる巫女はぁ」

 

 自分と同じ巫女だから、気が合うところもあるはず。早苗の事はそう思っていたが、今まで自分と早苗の間にはとてつもなく高い壁、もしくは深い溝があって隔たれていた事を霊夢は思い知った。

 早苗の神社は参拝客も信仰者も沢山いていいなとは思っていた。参拝客も信仰者も、賽銭すらもない博麗神社では張り合いにならない、守矢神社の目の中の映る事すらないと思っていたが、早苗はずっと博麗神社が、そこの巫女である自分が目障りだったのだ。おんぼろ神社で、懐夢や霊華、皆と暮らしている自分が何よりも憎くて、殺してやりたかったのだ。

 懐夢の事だけじゃなく、早苗の事も、自分は何もわかっていなかった。早苗の首を絞める力が強くなり、息が詰まり、意識が遠退き始めたところで、早苗は叫ぶように言った。

 

「お前じゃない、お前なんかじゃない。幸せになっていいのは、私なんだ。お前の幸せを、私のものにする、そうすれば、もう、もう、ひとりぼっちじゃない」

 

 みぢみぢという耳障りな音が耳へ届くと同時に、息苦しさが一気に増して目の前が暗くなり始める。早苗は幸せを奪うとか、自分のものにするとか言っているようだが、もう聞こえる声を完全に聞き取る事さえもできない。まさか早苗にここまでの恨みを買っているなんて、思ってもみなかった。近頃、早苗とはいい友達になれたと思っていたのに、ここで、こんな場所で、異変の起きている幻想郷で殺されてしまうなんて。こんな事ならもっと……。

 そう思って、ゆっくりと瞳を閉じたその時だった。どすん、という大きな音と共に腰から重さが外れて、首が解放された。いきなり呼吸が出来るようになると、霊夢は咳き込み、身体を起こした。少し離れた前方に、今まで首を絞めていた早苗が、地面に倒れているのが見えた。倒れている姿勢から察するに、前方向からの攻撃を受けて吹っ飛ばされたあとのように見える。

 

「な、何が……」

 

 言いかけたその時、背後から声が聞こえてきた。

 

「大丈夫、霊夢!」

 

 聞き慣れた声だった。咄嗟に振りかえると、そこには明りを背にした懐夢、神奈子、諏訪子、紗琉雫の姿があった。そのうちの神奈子が何かを放ったような姿勢をしているのを見て、霊夢は早苗を神奈子が吹っ飛ばした事を察して、四人に声をかけた。

 

「あんた達……」

 

 四人のうちの一人である懐夢は慌てて霊夢に駆け寄り、腰を落とした。顔には心配そうな表情が浮かんでいる。

 

「霊夢、大丈夫だった……?」

 

 霊夢は弱弱しく頷いた。

 

「な、なんとか。貴方達が来なかったらヤバかったかもしれないけれど」

 

 神奈子がいきなり怒鳴る。

 

「早苗、お前、何のつもりだ!」

 

 諏訪子が神奈子の方へ顔を向ける。

 

「神奈子、あんたあんなに強くふっ飛ばさなくてもよかったんじゃ……」

 

「早苗のやってた事が見えてなかったのか。あいつは霊夢の首を絞め潰すつもりだったんだぞ」

 

 紗琉雫が霊夢の隣に並び、早苗に声をかける。

 

「早苗、お前、大丈夫なのか。部屋の中に布切れが散乱してたし、いきなりいなくなってたりして……みんなで心配してたんだぞ」

 

 早苗は何も言わずに倒れていたが、紗琉雫の声が届いたのか、突然むくりと起き上がり、顔を上げた。

 その顔を見るなり、一同は驚きの声を上げてしまった。早苗の宝石のような翡翠色の瞳は血のように紅く染まり、顔の一部が黒く変色し、服の間から見える肌に赤と紫の、刺々しくて禍々しい模様が浮かび上がっている。見覚えのある模様と特徴に、霊夢が声を上げる。

 

「ま、<黒獣(マモノ)>!!」

 

 霊夢の叫びに、神の三人が霊夢へ目を向ける。

 

「まもの……まものってなんだ」

 

 神奈子が言った直後、霊夢は気付いた。まただ。早苗の身体に出ている花の模様の形がこれまで見てきた<黒獣(マモノ)>の花の模様と全く違う形をしている。これまでの<黒獣(マモノ)>の花の模様は桜の花に似ていたが、早苗の身体に浮かび上がる花の模様は、鳳仙花(ホウセンカ)の花の形によく似ている。リグルの時は水仙で、早苗は鳳仙花。一体何を意味するのかと考えたその時に早苗は立ち上がって、口から声を漏らし始めた。

 

「じゃまをするな……神風情が」

 

 早苗は髪の毛をがっと掴み、声を荒げる。

 

「元はと言えば、お前らのせいで、おまえらのせいで、おまえらが、おまえらが」

 

 早苗はかっと顔を上げて、叫んだ。

 

「おまえらがわたしをひとりぼっちにしたぁ―――――――――ッ!!!」

 

 早苗の悲痛な叫びの声の直後、早苗より黒い閃光と衝撃波にも似た暴風が全方位に放たれ、一同は溜まらず路地裏から吹き飛ばされた。暴風は一同だけじゃなく、周辺の建物を吹き飛ばして倒壊させ、街行く人々も紙屑のように吹き飛ばした。突然の事態に街の賑わいは静寂へ変わり、待ち行く人々は足を止めて、異様な音と風が吹き荒れた場所に釘付けになった。

 吹っ飛ばされて地面に衝突した際の痛みに呻きながら、霊夢は顔を上げて、驚いた。先程まで目の前にいたのは早苗だったが、今そこに早苗の姿はなく、代わりに全長二十メートルほどの巨体で、黒い毛並みを持ち、赤と紫の刺々しくて禍々しい模様をいくつも、はっきりとした鳳仙花の形をした模様を一つ、身体中に浮かび上がらせ、背中から巨大な人間の腕を六本、頭から禍々しい紅い角を二本生やした異形の狼の姿があった。

 

「さ、早苗……!!」

 

 紗琉雫が霊夢に駆け寄って、目の前の黒狼を見ながら驚いたような声を出す。

 

「あれは近頃幻想郷に出没してる化け物じゃねえか。というか、早苗はどこに行った」

 

 そういえば、紗琉雫や神奈子や諏訪子は<黒獣(マモノ)>の事や<黒獣(マモノ)>の仕組みを知らない。だから目の前の黒狼が何者なのかわかっていないのだ。目の前にいる黒き巨大な狼、その正体こそが、早苗だ。

 

「早苗なら目の前にいるわ」

 

 神奈子が霊夢に目を向ける。

 

「目の前って……どこだよ。どこにもいないじゃないか」

 

「目の前にいる狼が見えない? あれが早苗だって言ってるのよ」

 

 三人の神達は顔を蒼くして、目の前で唸り声を上げる黒き巨狼の姿をまじまじと見つめた。

 諏訪子が口に手を当てる。

 

「あれが、あの化け物が早苗だって言うの」

 

 懐夢が刀を抜き、構えて諏訪子に言う。

 

「そうです。早苗さんは<黒獣(マモノ)>になったんです。だからあんな事に……」

 

 紗琉雫が歯を食い縛る。

 

「早苗が……なんで、なんで……!」

 

 その時、霊夢は周囲を見回して、顔を蒼褪めさせた。周囲にはまだ街の人々がいて、突然現れた黒い巨狼に釘付けになってしまっている。今この時に戦闘が開始されたら、この人達は確実に巻き込まれる。何とかして退去させなければと思ったその時、霊夢は黒い巨狼の顔が街の人々に向けられて、その口内で炎が燃えたぎっている事に霊夢は気付き、悲鳴を上げるように叫んだ。

 

「み、みんな逃げて!!」

 

 霊夢の声が周囲の人々の耳に届いた瞬間に、黒い巨狼はその口内より爆炎の火球を発射。燃え盛る火球は群がる人々を巻き込み、呑み込み、吹っ飛ばしながら街の中を建物を破壊しながら直進し、炸裂。火球の爆心地を中心に猛烈な火炎が広がり、ありとあらゆる建物を瞬く間に呑み込んだ。それまで夕飯の支度や買い物を楽しんでいた人々、妖怪達は瞬く間に恐慌状態となって、悲鳴を上げながら逃げ回り始めた。普段街で楽しそうに生きている人々が、妖怪達が炎に巻かれて呑み込まれ、悲鳴を上げながら逃げ惑う様を見て、霊夢達は言葉を失って動けなくなった。

 しかし、黒い巨狼は悲鳴を耳触りと感じたのか、口に爆炎を再度滾らせ、火球として街の至る所へ発射。火球は道を塞ぐ街の建物を破壊し、焼きながら直進し、街の奥へ消えたところで轟音を立てて大爆発、周囲の建物に、そこに住まう人や妖怪に火を付けて行った。普段街で何気なく暮らしていた人も妖怪も、炎に呑み込まれ、燃え盛る家屋の崩落に押し潰されて次々と倒れ、死に絶えていく。

 幻想郷で最も明るい街が瞬く間に炎の海と化した、実物の地獄が生ぬるく見えるような地獄絵図に、霊夢達は呆然と立ち尽くした。

 その内の一人である懐夢が、小さな声で呟く。

 

「ま、街が……みんなが……」

 

 霊夢は黒い巨狼に目を戻した。早苗が恐らく自分への嫉妬によって<黒獣(マモノ)>となり、出現した黒い巨狼……<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>は狙いを街から自分達の方へ戻し、目を紅く光らせてぐるぐると喉を鳴らしている。街の被害は甚大だが、これだけの被害を瞬く間に出したのはこの<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>。こいつを倒さなければ、幻想郷中がこの街のようになってしまう。早苗がこれだけの破壊をやっている事に神達がショックを受けて動けなくなっているかもしれないが、その場合は自分と懐夢だけになってでも、戦って、倒さなければならない。今の街への破壊でわかった。こいつだけは、こいつだけは何が何でも倒さなければならない<黒獣(マモノ)>だ。

 しかし、この<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>は元はと言えば東風谷早苗という一人の少女が、博麗霊夢への嫉妬によって変異した姿。元を辿れば、自分が原因だ。自分が早苗を<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>に変異させて、街を破壊させたようなものだ。だからこそ、こいつだけは倒さなければならない。そもそも、早苗は無意味な破壊や戦いを嫌う性格、リグルの時のように中から見えているならば、街が破壊されて、人々や妖怪達が焼き殺されていく光景に苦しんでいるはずだ。一刻も早く、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>を止めて中から早苗を出してやらないといけない。

 

「みんな……戦うわよ」

 

 霊夢が札と大幣を構えると、神奈子は御柱を背中に携え、諏訪子は両手に鉄輪を構えた。

 神奈子が歯を食い縛って目の前の<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>を睨みつける。

 

「早苗……どうしてこうなった、どうしてこうなった!!」

 

 諏訪子が泣きそうな表情を浮かべる。

 

「早苗、私達が早苗を一人ぼっちにしたって言ってた……これは、私達のせいなの……?」

 

 自分が考えたような事を神奈子や諏訪子が口にして、霊夢は心に針が刺さったような痛みを感じた。神奈子や諏訪子への恨みではない、早苗は自分への嫉妬で……。

 だが、今は感慨に耽っている場合ではない。今は隙を見せたら殺されるような状況だ。霊夢はそう自分に言い聞かせると、頭の中で思考を高速回転させた。

 <嫉妬の<黒獣(マモノ)>>は今、街の中で自分達と交戦している状況だ。数多の建物が破壊されて、街は既に甚大な被害を受けているが、これ以上の被害を出させるわけにはいかない。ひとまず<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の注意を引いて移動させ、街の外へ出させなければ。具体的な作戦や攻撃は、それからだ。

 

「みんな、ひとまずこいつを街の外へ出すわよ! こんな<黒獣(マモノ)>を、いつまでも街の中に置いておくわけにはいかないわ!」

 

 

 霊夢の指示の後、神奈子、諏訪子、懐夢の三人は空中へ舞い上がり、霊夢も引き続き空中へ舞い上がろうとしたが、神奈子と諏訪子の付き添いのような形で付いてきていた紗琉雫がまだその場に残っている事に気付いて、声をかけた。

 

「紗琉雫、何やってるのよ! あんた、あの<黒獣(マモノ)>にやられるわよ!」

 

 紗琉雫は何も言わずに俯いていたが、やがて霊夢の言葉に答えるように口を開いた。

 

「<黒獣(マモノ)>じゃねえよ、あれは、早苗だろうが」

 

「そうだけれど……って、そんな事を言ってる場合じゃないわ! あんたも戦いなさい!」

 

 紗琉雫は振り返り、霊夢と目を合わせた。紗琉雫の目には悲しそうな色が浮かんでいて、霊夢は思わずきょとんとしてしまった。

 

「戦ったら、早苗は元に戻るのか」

 

 <黒獣(マモノ)>には元になった人間や妖怪がいて、それらが変異する事によって誕生するが、<黒獣(マモノ)>は倒されれば霧のように消えて、元になった人や妖怪を排出する。だからあの<黒獣(マモノ)>が倒れれば、中に閉じ込められている早苗は出てくる。

 

「そうよ。あの<黒獣(マモノ)>を倒せれば、<黒獣(マモノ)>の活動を止められるだけじゃなく、早苗を助け出す事も出来るわ」

 

 紗琉雫は顔を<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の方へ向けたが、ほぼ直後に地面を蹴り上げて、猛スピードで紗琉雫へと突進を開始、涎を撒き散らしながら赤く光る口を大きく開いて、紗琉雫をその中へと放り込もうと襲いかかった。霊夢は紗琉雫に避けるよう声をかけた後、咄嗟に上空へ舞い上がって紗琉雫の方を向きなおしたが、相変わらず紗琉雫はその場を動かずに立ち止まっていた。<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の口は紗琉雫を呑み込む寸前のところにまで迫って来ている。

 その光景を目の当たりにして、神奈子が悲鳴を上げた。

 

「紗琉雫ッ!!」

 

 神奈子の叫び声が燃え盛る街の中に消えた直後、紗琉雫は襲いかかってきた<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の顎を両手で掴み、大きな音を立てながら押さえつけた。そして、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の身体に押されて数メートルほど後退した後に、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の口を無理矢理閉じさせた。紗琉雫は顔に<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の唾液がかかってこようとも目を<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>から離そうとはしなかった。

 

「おれが、おれがお前の事を理解しなかったばっかりに、お前はこんな事になっちまった。おれが、おれがもっとしっかりしていれば、おれが、おれが……」

 

 紅く光る<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>の目を見つめながら、紗琉雫は小さく言った。

 

「おれが、お前に本当の事を教えてやらなかったから、お前は自分が一人ぼっちだって思い込んじまった。いや、おれがお前にそう思い込ませたんだ」

 

 <嫉妬の<黒獣(マモノ)>>は変わらず口を開こうとしたが、そのうち背より生える六本の腕を伸ばし、逃げようとした紗琉雫の身体をがっしりと掴み、紗琉雫の身動きを完全に停止させ、口の拘束を解いた。<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>はあんぐりと口を開き、紗琉雫の身体を噛み裂こうと襲いかかったが、その刹那、紗琉雫の身体は青白く発光し、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>は悲鳴にも似た鳴き声を上げて、拘束していた紗琉雫の身体を離した。直後、紗琉雫は地面を蹴り上げて大きく後退し、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>との距離を取ると、その場で叫ぶように言った。

 

「お前ら、こいつには手を出すな。こいつは、おれがやる。おれが、早苗を助ける」

 

 霊夢は驚いた。<黒獣(マモノ)>は四人以上の力を合わせて何とか倒せるくらいの攻撃力と戦闘能力を持つ恐ろしい存在。それを一人で倒そうなんていうのは、ただの自殺行為に等しいものだ。例えそれがとてつもない力を持った存在である紗琉雫であろうとも。

 

「何を言ってるのよ紗琉雫! あいつはあんた一人の力で何とかできる相手じゃない!」

 

 紗琉雫は霊夢達の方に顔を向けて、しばらく見つめた後に<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>へ視線を戻した。紗琉雫が警告を無視した事を霊夢は悟り、もう一度紗琉雫に声をかける。

 

「紗琉雫!!」

 

 声は紗琉雫には届かなかった。紗琉雫は離れようとも、武器を構えようとも、術を発動させようともせずに、目の前で息を荒げている<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>と目を合わせたまま動かなかった。

 しかし、紗琉雫はしばらく<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>を見つめた後に口を少しだけ開き、小さく言った。

 

「早苗、苦しいか。苦しいよな。お前は物を壊したり、人を傷つけるのが嫌いな()だったからな、()()()()()()。お前は優しい娘だもんな、()()()()()()()()()

 だから、そんな事になって、苦しくないわけないよな」

 

 紗琉雫は目つきを鋭くして、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>を睨みつけた。

 

「……だから、今、楽にしてやる」

 

 宣言するかのように言った直後、紗琉雫の身体は強力な白い閃光を放ち始めた。あまりの光の強さに霊夢達も、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>すらも目を覆い隠して、目の前が見えない状態になった。

 閃光は更に激しさを増して、<嫉妬の<黒獣(マモノ)>>が放った炎が燃え盛る辺りを、真っ白に染め上げた。


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