東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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5 スペルカード

 霊夢は寺子屋に呼び出された。

 朝餉の後懐夢が慧音が霊夢へ今日の午前中の内に寺子屋に来るように言えと頼まれた事を言ったのだ。

 何故慧音に呼ばれなければいけないのかよくわからなかったが、一先ず寺子屋に向かう事にした。

 

 空を駆けて人里に辿り着き、街路を歩き、寺子屋に着いた。

 今日は寺子屋は休学日で、子供達のいない日だ。だから、教室に子供達はおらず、しんと静まり返っている。

 霊夢は寺子屋の中に入ると、慧音のいると思われる職員室へ向かった。

 戸の前まで来て一言やって来た事を伝えると、部屋の中から慧音の声で返事が返ってきた。

 中に入ると慧音が畳に座ってじっとこちらを見ていた。いつも以上に、真剣な顔をしていた。

 

「来てやったわよ。で、用件は何?」

 

 慧音はぽんぽんと畳を叩いた。

 

「まずは座ってほしい」

 

 霊夢は承知して靴を脱ぐと慧音と同じように畳に座った。

 そして改めて、用件を尋ねた。

 

「で、用件は?」

 

「……懐夢についてだ。懐夢について、お前に聞きたい事がある」

 

 霊夢は腕組みをして首を傾げた。

 

「懐夢についてですって? 何について聞きたいわけ?」

 

 慧音は手を近くにあった二つの湯呑を近くまで持ってきて、更に既に湯が入っていると思われる急須を手に取り、二つの湯飲みの中に茶を注ぎ、二つの湯飲みのうち一つを霊夢の前に差し出し、残ったもう一つを自分の手元に置いた。

 

「出涸らしではない。飲んでいいぞ」

 

 霊夢はフッと鼻で笑い、湯呑を手に持った。

 慧音は湯呑を持った霊夢を見た。

 

「お前は……あいつが何故あんなに人懐こくて、警戒心を持たないのか、わかるか?」

 

 霊夢はぴくっと反応した。慧音は続けた。

 

「別に詳しく聞こうとしているのではない。わかるか、わからないか、答えてほしい」

 

 霊夢は俯いて湯呑の中の茶に映る自分の顔を見た。

 慧音が茶を啜る音を聞いた後、霊夢は口を開いた。

 

「……わかるわ。全部、見たもの」

 

 顔を上げると慧音は首を傾げていた。

 いかにも「それはどういうことだ?」と言っているような顔をしていた。

 

「あの子が人懐こいのは生まれつきよ。懐夢っていうのも、持ち前の人懐こさから来てるみたいだから。

 それに、警戒心の無さも、生まれつきみたいよ。母さんもこの事で頭抱えてたみたいだから」

 

 慧音は少し驚いた様子を見せた。

 

「懐夢の母上が頭を抱えていた? 何故わかる? 懐夢から聞いたのかそれは?」

 

 霊夢は茶を少し啜った後答えた。

 

「拾ったのよ。懐夢の母さんの日記をね。そこに懐夢の成長記録がしっかり書き残されていたわ。どんなふうに育てたか、どんな子に育ってほしいとか、どんなところが可愛いとか……どんなところが愛おしいとか……みんな書き残されていたわ」

 

 霊夢は俯いて湯呑の中の茶の水面に映った自分の顔を見た。

 ……いつの間にか、どこか哀しげな顔になっていた。

 

「懐夢の母上の日記だと? どこで拾った?」

 

「大蛇里の跡よ。昨日妖怪退治の依頼を受けて行ってみたらそこに着いた」

 

「それは懐夢に見せたのか?」

 

 霊夢は首を振った。

 

「見せてないわ。っていうか、見せたらどうなるか想像つかない?」

 

 慧音は俯いた。

 亡き母の日記を見た懐夢の様子が、安易に想像できたのだ。

 でも、それ以上は考えないようにした。

 

「そういえば……懐夢昨日やたら落ち込んでたんだけど、何かした? あんた、叱った?」

 

 霊夢が顔をあげて問うと、慧音は顔をあげ、驚いたような表情をした。

 

「え……懐夢から何も聞いてないのか?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。聞こうと思ってたらさっさと寝られちゃって」

 

 慧音は溜息を吐いた。

 

「……ありすぎたよ。昨日初めて頭突きを食らわしてやった」

 

 霊夢は苦笑した。

 言った事が、当たった。

 

「あんたに頭突きされるって事は、よっぽど悪い事したのね」

 

 慧音はまた俯いた。

 

「あぁ。あいつ、多数の男子にいじめられている女子を助けようとその中に入り込んだのだが、返り討ちにされたらしくてな……その時スペルカードを取得し、女子をいじめていた男子を殺そうとした」

 

 慧音の言葉を聞いたその時、霊夢の胸の中で大きな波が広がった気がした。

 あの懐夢が、スペルカードを手に入れて他の子供を殺そうとした。

 ……信じられなかった。懐夢のような凡人の子供がスペルカードを取得し、他の子供を殺そうとしたなど、嘘としか思えなかった。慧音が嘘を吐いてこちらを騙そうとしているとしか、思えなかった。

 

「あんたでも嘘を吐く事があるのね。でも、出来の悪い冗談だこと。懐夢が他の子を殺そうとした?」

 

 慧音は苦笑する霊夢をぎりっと睨んだ。

 

「まぁ、嘘だと思うだろうな。けれど、事実だ。あいつは本当にスペルカードを取得した」

 

 霊夢は改めて慧音を見て驚いた。慧音の目は、嘘を吐いている目ではなかった。

 事実を伝えようとしている目で、こちらをじっと見つめていたのだ。

 

「……どんなのを出したの? すっごい弾幕?」

 

「いや。お前の放つスペルカード、夢想封印の発動によって放たれる光弾の色に似た光の槍を放っていた。性質そのものもよく似ているようでな……どうやら、お前のものを参考に思い付いたもののようだ。お前、あいつに自分のスペルカードを見せてやった事はあるか?」

 

 霊夢は内容を聞いて驚き、頷いた。

 

「あるわ。丁度一か月前辺りに魔理沙と一緒に見せてあげた事がある。

 でもまさか、それを参考に自分のスペルカードを作り上げるなんて、思ってもみなかったわ。それも私が博麗の巫女の力を得た時と同じ歳で……」

 

 慧音は顎に手を当てた。

 

「そうか。

 ……前から思っていたのだが……やはり彼にはどこか、人並み外れたところがある。何か、特別な才能のようなものを持っているのかもしれない。霊夢、心当たりはないか?」

 

 霊夢はふと上を見て考えた。

 懐夢は確かに、とても九歳の子供とは思えないほど礼儀作法が出来てるし、様々な家事をこなしてくれる。

 しかしそれは才能によるものではない。これらは全て、懐夢の母親である愈惟が厳しく教え込んだ結果だ。懐夢は愈惟に愛されながらも厳しく躾けられたからこそ、九歳の子供とは思えないほどの事がこなせるのだ。決して、才能によるものなどではない。

 

「心当たり……ないわ。そんなもの、見た事ない」

 

「そうか」

 

 慧音はまた俯いた。そして顔を上げた。

 

「だがな、彼がスペルカードを取得してしまったのは事実だ。彼がスペルカードを手に入れたからには、スペルカードの力や危険性を厳しく教え込まなければならない。昨日だってさっき言ったようにあと一歩遅かったら他の子供を殺していたところだった」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。頼むわ。あの子がスペルカードを取得するのは私も予想外だったからね。厳しく教え込んで頂戴」

 

 茶を啜る霊夢を見て、慧音は目を丸くして首を傾げた。

 

「何を言っているのだお前は? 教え込むのはお前だぞ?」

 

 霊夢は驚いた。

 懐夢にスペルカードの扱いについての教えを慧音に頼もうとしたら、何故か自分が教えろと言われたからだ。

 

「はぁ!? 私が教えるの?」

 

「当然だ。だってお前は懐夢の保護者且つスペルカードルールの考案者ではないか。お前が自分の考案したスペルカードについて教えてやらなくてどうする。悪いが、私はスペルカードの事を懐夢に教えてやるつもりはないぞ」

 

 慧音が霊夢を睨むと、睨まれた霊夢はしょんぼりとした。

 このやり取りは、霊夢が根無し草の懐夢を引き取る事になった時のやり取りに似ていた。

 

「……わかったわよ! 教えればいいんでしょう。教えるわよ。

 ……あの子の母さんの遺志を受け継いでね……」

 

 慧音は首を傾げた。途中から霊夢の声が小さくなって、最後までうまく聞き取れなかったのだ。

 

「なんだって?」

 

 霊夢は首を横に振り、昨日の料理について慧音に言った。

 

「あ、いいえ。なんでもないわ。それよりも、あんた意外と料理上手なのね。なかなか美味しかったわよ。栄養バランスもかなり整っていたし」

 

 慧音は急に話をそらされて、頭の中にクエスチョンマークが浮かんだような気がしたが、あまり気にせず、とりあえずそれに答えた。

 

「懐夢のようなまだまだ成長途中の子供にも栄養の整った食事が必要だ。誤った栄養の取らせ方をしてしまうと、将来病気になりやすくなったり、上手く成長できなくなったりするからな。だから、あのような食事を用意させてもらったよ。中々使いやすい台所だった」

 

「懐夢の為にあの食事を作った? って事はあんた、普段は栄養偏ったご飯を食べてるわけ?」

 

 慧音は呆れたような顔をした。

 

「失礼だな。寺子屋の教師及び里の守り人たる者、いつでも強い力を出すには栄養の整った食事が必要だ。私は毎日、昨日お前達に作ってやったもののような料理を食べているよ」

 

 霊夢は少しきょとんとしたような顔をして慧音を見つめた。

 てっきり慧音は忙しさ故に毎日簡素で粗末な食事をしていると思っていた。

 けれど、それは間違いだった。慧音は毎日、昨日自分達に作ってくれた栄養の整った食事を摂っているのだ。

 そんな霊夢を慧音は横目で見た。

 

「なんだ? 私の食生活がそんなに意外だったか?」

 

 霊夢は頷いた。

 それを見た慧音は思わず笑ってしまったが、すぐに表情を元に戻して霊夢を見た。

 

「そうかそうか……さてと、話を戻そう。霊夢、懐夢にしっかりと教えるんだぞ。スペルカードの危険性、使い道を」

 

「言われなくたってもうわかってるわ。帰ったらしっかり教え込むわ」

 

 霊夢が目を逸らすと、慧音はふとある事を思い出して霊夢に話しかけた。

 

「あ、そうだ霊夢。お前確か、懐夢の母親の日記を拾ったそうだな。今度、私にそれを見せてくれないか?」

 

 霊夢は目線を慧音の元へ戻した。

 

「え? いいけど……なんで?」

 

「その日記が唯一、懐夢の親がどんな人物であったかを知る事が出来るものだからだよ。寺子屋の教師として、学童の親の事は知っておかねばならないからな」

 

 慧音が日記を見たい理由を言うと、霊夢はまあまあ納得した。

 

「なるほど……わかったわ。次の休学日にあの子に見つからないように持ってきてあげるわ」

 

 慧音は「感謝する」と一言言って軽く頭を下げた。

 別に感謝されるような事でもないのに慧音に頭を下げられた霊夢は苦笑した。

 その時、慧音は顔を上げ、霊夢に問いをかけた。

 

「あ、そういえばだ、霊夢」

 

 霊夢は首を傾げる。

 

「何よ」

 

「出会った時に聞き忘れていたのだが……お前はどのような邂逅を彼と果たしたのだ?」

 

 霊夢はハッとした。

 そうだ、慧音ならば何かわかるかもしれない。あの時の懐夢の事が。

 

「丁度良かった。私それを聞こうと思ってたのよ」

 

 慧音はきょとんとする。

 

「え?」

 

 霊夢は慧音に、懐夢と出会った時の事を話した。

 それを聞くなり慧音は目を丸くした。

 

「なに? 雪の中から出てきた? そして触ったら息を吹き返した?」

 

 霊夢は頷く。

 

「えぇ。最初は死体みたいだったのよ。私もてっきり死体だと思って……でも触ったら急に息を吹き返して……」

 

 霊夢は慧音に尋ねる。

 

「ねぇ慧音、この仕組み、わかる?」

 

「わかるわけないだろう。死体が触られた事によって蘇生したなどという事案は聞いた事がない」

 

 慧音は目つきを鋭くする。

 

「そもそも、厚い雪の中に埋まっていたら確実に窒息死するはずだ。だのに生きているなんて、あり得ないよ。

 ましてや、触られた事によって蘇生するなどという事も、あり得ない」

 

 慧音は腕組みをする。

 

「霊夢、その話は本当なのか?

 嘘にしか聞こえないが……私をからかっているのではあるまいな?」

 

 霊夢は首を横に振る。

 

「そんなわけないでしょう。本当に起きたから聞いてるんじゃない」

 

「そうか……生憎だが、私にもわからん。まぁ書物で調べてはみるけれどな」

 

 慧音は溜息を吐いた。

 

「人並み外れたところがあるとは思っていたが、出会った時からそうだったとは……。

 やれやれ、問題児にならなければいいのだが……」

 

 慧音は深呼吸をして、霊夢と目を合わせた。

 

「まぁいい。彼の事、彼の身に起きた事と似たようなことが過去に起きてないか、書物を読み漁って調べてみるよ。さてと、話は以上だ。今日は来てくれてありがとう」

 

 霊夢は一言どういたしましてと答えて慧音に別れを告げて立ち上がり、部屋を出て戸を閉め、寺子屋を出て、空へ飛び上がった。

 そしてそのまま体の向きを博麗神社の方角へ向け、飛んだ。

 人里を過ぎ、博麗神社に近付いてきたその時、雷のような音が霊夢の耳に飛び込んできた。音は、南からしたようだ。

 霊夢は何かと思い、音の聞こえてきた南の方を見た。

 南には山があり、その山の上の方には、全体的に色が黒く、もくもくとしたとても大きな雲が浮かんでいた。

 それは、夏の風物詩ともいわれる入道雲だった。

 入道雲は普通の雨雲などに比べて規模がとても大きく、雨雲よりも強い雷雨や驟雨を降らせる雲だ。

 基本暑い夏に発生する事が多いが、春にも発生する事もある。

 

「入道雲だわ。春に発生するなんて珍しい事もあるものね」

 

 音の正体が入道雲の放つ雷である事を知ると、霊夢は身体の向きを博麗神社へ向けようとした。その時、霊夢は再び入道雲の方を見た。

 ……入道雲の中が雷によって光った。その時、雲の中に何かが見えた。

 ほんの一瞬だったのでそれが何なのかよくわからなかったが、大まかな形が見えた。

 犬のように四本の足を持ち、その背中から身の丈を超える大きさの翼を生やし、それを羽ばたかせて空を飛んでいた。色やもっと具体的な形は遠すぎてわからなかった。

 そしてそれは、この位置からでも大まかな形と特徴がわかるほど、巨大なものだとわかった。

 霊夢はしばらくの間、黒い入道雲に釘付けになってしまった。―――あんなもの、見た事がない。

 一体、何なのだろうかあれは。新種の妖怪だろうか?新たに幻想郷へやって来た神だろうか?

 黒い入道雲に釘付けになっていると、また入道雲が雷を放って光った。

 しかし、先程の正体不明のものの姿は見えなかった。

 

「……見間違い……かしら」

 

 霊夢はきっと雲が独特な形に見えただけの見間違いだと思い、博麗神社に急いだ。

 やがて博麗神社の上空まで来ると、神社の石畳のところに人影が見えた。

 見てみればそれは、慧音の話にも出てきて、これからスペルカードルールを教え込んでやろうとしていた懐夢だった。

 懐夢は神社の周りの森の方に向けて何度も何度も腕を勢いよく振り回している。―――何をしているのだろうか?

 

「何やってんのよ懐夢」

 

 懐夢のすぐ近くに降り立つと、懐夢は霊夢の方を向いて小さく霊夢の名を呟いた。

 

「慧音先生と……話してきた?」

 

「えぇしてきたわよ。そしてばっちり聞いてきたわ。昨日何故あなたがあんなに落ち込んでいたのか、昨日貴方にどんな変化があったか」

 

 懐夢は俯いたが、霊夢は構わず近付き、懐夢の顔に手を添えて無理矢理顔を上げさせると懐夢と目を合わせ、手を離した。

 

「……貴方、スペルカードを取得できたんですってね」

 

 懐夢はぎこちなく頷いた。

 

「……貴方、すごいわ。その歳であんな強力なスペルカードを取得するなんて、私も驚いたわ。でもね、スペルカードを取得したからには、貴方に厳しく教えないといけない事が私にはあるわ。今教えるから、聞いてちょうだい」

 

 懐夢はまた頷いた。話を聞く姿勢になったようだ。

 

「スペルカードはね、確かに決闘をする時とか、身を守る時とかに使えるそこそこ便利な物よ。でもね、それは時に簡単に物を壊し、簡単に動物、妖怪、人を殺してしまえるほどの威力を持った凶器でもあるの。……貴方が取得したのはこの、物を簡単に壊せ、人や妖怪を簡単に殺してしまえるほどの威力を持ったスペルカードよ。ある意味貴方は、凶器を撃てるようになったようなものよ。もしも貴方があの時子供に向けてスペルカードを撃ってたら、あの子の首は飛んで、体は挽肉になってたわ」

 

 言った途端懐夢の顔から血の気が失せた。そして、瞳が揺れ始めた。

 霊夢は、そんな懐夢に一つ問いを掛けた。

 

「あの時私が言ったよね? スペルカードは貴方には必要ないって。どうしてこう言ったのか、わかる?」

 

 懐夢は小さく口を開けた。

 

「……凶器……に……なる……から……」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうよ。スペルカードは使い方を間違えれば凶器になるからよ。だから、貴方には勧めなかった。貴方がスペルカードを取得したならなら、凶器にしてしまうかもしれないと思ったから。だから、貴方は持つ必要がないって言ったのよ。でも、貴方は取得してしまった……」

 

 霊夢は少し俯き、やがて顔をあげて懐夢と再び目を合わせた。

 

「……いつもの貴方らしく正直に答えなさい。懐夢、貴方はスペルカードで妖怪や人を殺したいとか、殺してみたいとか思ってる?」

 

 懐夢はぶんぶんと思い切り首を横に振った。

 霊夢は続けて懐夢に尋ねた。

 

「……人や妖怪を傷つけたり、殺したくないよね?」

 

 懐夢はぶんぶんと思い切り頷いた。

 霊夢は続けた。

 

「そうでしょう? なら、私がこれからいう事をしっかり聞きなさい。

 人里の中は基本的に安全だから、どんな事があっても絶対に人里でスペルカードは撃たない。丸腰の人に向けて、絶対に撃っては駄目。相手がどんないじめっ子であっても、こっちからすれば丸腰の人なんだから、絶対に撃っては駄目よ。

 スペルカードを撃つ場所は人里の外、そしてタイミングは自分の身に危険が迫った時の防衛の時とスペルカードルールでの決闘を申し込まれた時のみ。それ以外の場面、場所では絶対に撃たない事。何があってもよ。

 もし、貴方が破ったのであれば、貴方はその年で殺人を犯す事になる。そんなの嫌でしょう?」

 

 霊夢が言いつけると、懐夢は揺れる瞳で頷いた。

 

「だったら、私と約束なさい。今言った事をきちんと全部守るって、約束しなさい」

 

 懐夢の両肩を両手で掴み、腰を降ろし視線を懐夢の目の高さまで落として言うと、懐夢は頷いた。

 

「……約束する」

 

 懐夢は呟くと、小指を立てた手を霊夢の目の前に伸ばした。

 霊夢はいきなり懐夢が目の前に手を伸ばして来たのに驚いたが、すぐに懐夢が何をしようとしているのか、わかった。

 これは、指切りだ。懐夢は約束をするという事で、指切りをこちらに持ちかけてきているのだ。

 

 霊夢は懐夢が使用としている事を理解してくすっと笑おうとしたが、笑いを押し殺し、表情を変えぬまま懐夢の手に自分の手を伸ばし、懐夢の立てた小指に自分の小指を交えると、二人同時に歌い出した。

 

「指切りげんまん嘘を吐いたら針千本飲ーます。指切った!」

 

 二人同時に歌い終えると、霊夢は微笑み、懐夢の頭に手を置いた。

 

「しっかり……守りなさいよ」

 

 懐夢は霊夢に言われると、何も言わぬまま頷いた。

 

「よしよし……いい子ね懐夢」

 

 霊夢は懐夢の髪をくしゃくしゃっと撫でると、すっと手を離した。

 

「そういえば貴方、何してたの?」

 

「え?」

 

「ほら、私が帰ってくるまで、ここに出て何かしてたじゃない。何やってたの?」

 

 懐夢は少しぎこちない様子を見せた。

 

「スペルカードをもう一回撃とうとしてたんだ」

 

 懐夢に言われ、霊夢はハッと何かを思い出した。

 ……そうだ。懐夢のスペルカードの事は、慧音に教えてもらったが、まだ実物を見てはいない。

 もし慧音の話に出てきたものと懐夢が実際に放つものが少し違っていたら、先程の約束を少し変えなければならない。教える事を、増やさねばならないのだ。

 

「そうなの! 丁度良かったわ。懐夢、貴方のスペルカード、見せて頂戴。今だけ理由もなしに撃つのを許すから」

 

 霊夢は懐夢にスペルカードを撃つよう勧めたが、懐夢は首を横に振った。

 

「それが、出来ないんだ」

 

「……出来ない?」

 

「うん。何度やっても駄目なんだ。何度も昨日の言葉を言っても、スペルカードが発動しないんだ」

 

 霊夢は首を傾げた。

 

「どういう事? だって、貴方、昨日いじめっ子にスペルカードを撃ったから慧音に頭突きされたんでしょ? 貴方がスペルカードを撃てるようになっちゃったから、私慧音に呼ばれたんでしょ?」

 

 懐夢は頷いた。

 

 霊夢は一瞬懐夢の言う事がどういう事なのか理解できなかったが、とりあえず懐夢にスペルカードを撃たせてみようという気になった。実際にやらせてみなければ、懐夢の言っている事が本当なのか、確認が取れない。

 

「んん~……とにかく、駄目元でやってみなさい」

 

「わかった」

 

 懐夢は霊夢の言葉を承ると森の方を向き、叫び、手を前に突き出した。

 

「霊符「夢想封槍」!!」

 

 懐夢の声が森の中へと飛んで行った。

 それだけで何も起こらなかった。

 

「……あれ?」

 

 懐夢は今スペルカードの名前を言ったようだが、何も起きない。

 

「ね?」

 

「ん……懐夢、もう一回やって?」

 

 懐夢はほら見ろと言ってきたが霊夢は構わずもう一回やれと言った。

 懐夢は首を傾げながらも霊夢の言葉を聞き、もう一度同じ事をした。

 

「霊符「夢想封槍」!!」

 

 懐夢が叫び、腕を前に突き出したが、何も起きなかった。

 

「……騙された?」

 

 霊夢の中に疑問がわいてきた。―――ひょっとして、慧音に騙されたのではないだろうか。そして、懐夢もまた嘘を吐いてこちらを騙しているのではないだろうか。

 

「懐夢、正直に言いなさい。貴方、本当にスペルカードを撃てたのよね?」

 

「本当だよ! 本当に撃てたんだ!!」

 

「じゃあなんで今撃てないのよ」

 

「……わかんない」

 

 懐夢は俯いてしまった。しかしその直後、懐夢は何かを思い付いたかのように顔を上げた。

 

「そうだ! 昨日の場所! 昨日と同じ場所に行けば、撃てるかもしれない!」

 

 懐夢が何か閃いたように言うが、霊夢は思わずそれを疑った。

 本当だろうか。もしそれが本当ならば、ここでも撃てるはずだ。もしそこで撃てたのであれば、ここで撃てないのはおかしい。

 けれど、どうなるかは実際に見てみなければわからない。

 

「わかったわよ。それじゃ、昨日の場所とやらに案内して頂戴」

 

 懐夢は頷き、霊夢を導くようにして神社の石段を降り始めた。霊夢もその後を追って石段を降りた。

 

 そして街までやってきて、先程行ってきた寺子屋の裏の方へ来た。

 寺子屋の裏はがらんとしていて、特に何もなかった。あるとすれば、大きな石くらいだ。

 

「ここが昨日貴方がスペルカードを取得した場所?」

 

 霊夢が周りを見ながら尋ねると、懐夢は頷いた。

 

「うん。昨日ここで、一人の女の子が多数の男子にいじめられてたんだ。僕はその女の子を助けようとしてその中に入ったんだ。その時に……スペルカードを撃てたんだ」

 

 懐夢は慧音と同じことを言った。慧音の言っていた事はどうやら、本当のようだ。

 

「へぇ~……じゃあ本当にここなら撃てるかどうか、試してみて」

 

 霊夢は少し離れたところにある石に向けてスペルカードを撃つよう懐夢に指示した。

 懐夢はそれを受けて霊夢の指示した石の方を向き、身構えた。

 次の瞬間、懐夢の手に一つの蒼い光が現れ、それはやがて、一枚のカードを形作った。

 

(あれって!)

 

 間違いなくそれは、スペルカードだった。

 懐夢はスペルカードを出現させると、腕を前に突き出して叫んだ。

 

「霊符「夢想封槍」ッ!!」

 

 懐夢が叫んだ瞬間懐夢の目の前に光が集い、やがて七色の光を纏う鏃のような形をした槍を形作った。

 しかも、それはかなり大きく、人間の子供の頭ほどの太さを持っていた。

 そしてその光の槍は現れるなり、霊夢の指した大きな石に矛先を向けて、大気を裂きながら飛び、一秒も立たないうちに大きな石に激突、大きな石を後方へ吹っ飛ばした。吹っ飛ばされた石は数回地面を転がり、やがて止まった。

 

「あれ……撃てた……」

 

 霊夢は思わず呆然とした。

 懐夢と慧音の言っていた事は嘘ではなかった。懐夢は本当にスペルカードを取得できていたのだ。

 それも、かなり強力な物を。

 

「懐夢、悪いけどもう一回やってみて」

 

「いいよ」

 

 懐夢は霊夢の指示を受けて懐夢は再び身構え、そして腕を前に突き出して叫んだ。

 

「霊符「夢想封槍」!!」

 

 懐夢が叫んだ瞬間懐夢の目の前に再び光が集い、やがて七色の光を纏う鏃のような形をした槍を形作り、出現した七色の光を纏う光の槍は真っ直ぐ先程の石に向けて飛んだ。光の槍は先程と同じように一秒もしないうちに石に直撃し、二度に渡る光の槍の直撃を受けた石は、砕けて破裂したかのように小石となって散った。

 

 霊夢はそれを見て再び呆然としてしまった。

 懐夢は本当に、スペルカードを取得した。今放ったのだから、間違いない。

 そしてその威力は確実に人を抹殺する事が出来るほどのものだ。

 

「ほら、撃てたでしょ?」

 

 懐夢が霊夢と目を合わせて言ってきたが、霊夢は呆然とするあまり頷く事しかできなかった。

 ただ、その中でも、ある事だけは確信できた。

 懐夢はスペルカードを取得できた。人を簡単に殺せるくらい危険なスペルカードを。

 

「えぇ……撃てたみたいね……」

 

 でも何故だろう。何故先程は撃てなかったのだろうか。

 懐夢は先程と全く同じ構えで、全く同じ動きをした。結果、スペルカードが発動した。

 けれど、先程は発動しなかった。博麗神社にいた時は、どんなにやっても発動しなかった。

 一体それは何故だろうか。

 

「……どうして? どうしてここに来ていきなり発動したの? 何か……理由が……?」

 

 思わず独り言が口から漏れた。

 それを聞いた懐夢が霊夢に声をかけると、霊夢は飛び上がるように驚いてふと我に返った。

 そうだ。懐夢があんな危険なスペルカードを放ったのだ。あれの使い方について、もう一度教えねばならない。何故先程撃てなかったのかは、後で考えてもいい。今は、この子にあれの恐ろしさを教えてやらねば。

 

「懐夢、貴方が放ったのは本当に人を殺せるスペルカードよ」

 

 再び腰を落とし、目線を懐夢の目の高さと同じ高さまで持ってきて懐夢の両肩に両手を乗せてと目を合わせると、懐夢はびくりと反応した。

 

「いい事? 絶対に、絶対にもう人里の中で、ましてや人や妖怪に向けて撃つような事をしては絶対に駄目。もしも私の言った事を破ったのならば、私は容赦なく貴方を神社から追い出すわ。追い出されたくない、住処を失いたくないって思ってるのならば、私の今言った事を厳守なさい。何が何でもよ。いいわね?」

 

 先程言った事をもう一度言うと、懐夢は頷いた。

 

「絶対よ」

 

 もう一度言ってやると、懐夢は答えを返してくれた。

 

「絶対破らない」

 

 それを聞いた霊夢は微笑んだ。

 

「よろしい。しっかり、守るのよ」

 

 懐夢の両肩から手を離し、立ち上がったその時懐夢が何かを感じ取ったように周りを見渡し、目を閉じて臭いをかぎ始めた。

 

「どうしたの? 何かいい匂いでもする?」

 

 懐夢は目を開けた。

 

「……雨の匂い。もうすぐ雨が降る」

 

 懐夢は雨の匂いがすると言った。試しに上を見てみたところ、空が分厚い雲で覆われつつあった。

入道雲だ。先程の入道雲がやってきているのだ。もうじき人里を覆って土砂降りの雨を降らせ、やがて博麗神社の空も覆い、土砂降りの雨を降らせるだろう。

 

「大変。懐夢、急いで帰るわよ」

 

 懐夢の手を引き、霊夢は急ぎ足で人里を後にし、博麗神社に戻ってきて、中に入った頃には、雷を伴う水桶をひっくり返したような土砂降りの雨が降ってきた。

 

 


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