東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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11 黒鷹獣、その真実

「おや、懐夢も一緒か。それに……その人は?」

 

 霊夢は懐夢と霊華に「入るよ」と小さく声をかけた後、教務室の中へと入り込み、慧音の前に座った。霊夢に続く形で懐夢と霊華がそれぞれ霊夢の右隣、左隣に座ったところで、慧音はもう一度霊夢に声をかけた。

 

「今日は何の用事で来たのだ? どうせいつものように何かしらの相談だとは思うが」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そのとおりよ。慧音、この人が何なのかわかる?」

 

 霊夢が霊華を指名すると、慧音は首を傾げた。

 

「いや、わからんな。どこかで会ったか?」

 

「忘れたの? <黒獣(マモノ)>が出たって私が報告した時に、レミリアに担がれてた人よ」

 

 慧音はあぁーと言って手をポンと叩いた。

 

「あぁそうか。その様子だと、目が覚めたらしいな」

 

 慧音は霊華に身体を向けて、御辞儀をした。

 

「初めまして。私の名は上白沢慧音。ここ、寺子屋の教師にして、霊夢の知り合いだ」

 

 いきなり御辞儀をされて、霊華は一瞬戸惑った様子を見せた後、御辞儀をした。

 

「霊華です。苗字は、思い出せません」

 

 慧音は姿勢を戻して、霊華に問うた。

 

「思い出せないと言うのは、どういう事だ」

 

 慧音の問いかけには、懐夢が答えた。

 

「霊華さん、記憶を失ってしまってるんです」

 

「記憶喪失だと?」

 

 霊夢が頷く。

 

「そうよ。だから、あんたに相談しに来たのよ。あんたは街の住民達に詳しいけれど、霊華のような人を見た事あるかしら」

 

 慧音は霊華をまじまじと見つめたが、すぐに眉を寄せて、首を横に振った。

 

「すまない。私は街に住まう様々な者を知っているが、霊華のような人は見た事がない」

 

 霊華は「そうですか」と言って俯き、肩を狭めた。

 慧音が霊夢へ顔を向けた。

 

「そもそも、その人はいつ頃お前達と出会ったんだ」

 

 霊夢は霊華との出会いの事を、慧音にわかりやすく、全て話した。霊夢の話が終わると、慧音は腕組みをして、もう一度眉を寄せた。

 

「どこからともなく、お前達が弱らせた<黒獣(マモノ)>に、とてつもない力を放って仕留めた……か」

 

「えぇ。本人はその時の事すら覚えてないのよ。だから一番新しい記憶は今なのよ」

 

 霊華が何かを思い出したように言う。

 

「あ、でも、博麗神社に来る前には、どこか薄暗い場所にいたような気がするんです」

 

 慧音は霊華に目を向けて、首を傾げた。

 

「薄暗い場所だと?」

 

「はい。どこなのかわからないんですけれど、それで……気が付いたら博麗神社にいました」

 

 懐夢が割り込むように言う。

 

「その前に魔の気配に誘われたとか、霊華さん言ってませんでしたっけ」

 

「あ、そうそう。薄暗い場所にいた時は、どこからか魔の気配を感じて、それを目指して、薄暗い場所から出た気がするの」

 

 慧音は考え込んでいるような顔になった。

 

「どういう事だ。貴方は魔の気配に敏感とでもいうのか」

 

「多分そうなんだと思います。でも、それがどうしてなのか、わかりません。何もかも、思い出せないんです」

 

 慧音は「そうか」と小さく呟くと、霊華にもう一度問うた。

 

「では、覚えている記憶はないか? どんな些細な事でもいい」

 

 霊華は軽く上を見つめた後、慧音に目線を戻した。

 

「料理です。私、料理の事は覚えてたみたいで、さっき調理してみたところ、出来ました」

 

「なるほど、料理が出来るのか。他に何かないのか?」

 

 霊華は、懐夢をちらと見つめた。

 

「藍色の瞳に、覚えがあります。それこそ、懐夢のような」

 

「懐夢の瞳の色に覚え、だと?」

 

「はい。なんだか、懐夢のような瞳の色の人が、近くにいた……そんな気がするんです」

 

 慧音は顎に手を添え、軽く下を向いた。

 

「側近に懐夢のような藍色の瞳の人か……他に覚えている事は」

 

 霊華は首を横に振った。

 

「これ以上は、思い出せません。自分がどこで生まれて、どこで何をしていたのか、自分が今何歳なのかも、全くわからないんです」

 

 慧音は「そうか」と言って、霊華の着ている衣服に目を向けた。

 

「では、そのような格好をしている理由は? 貴方の格好は、霊夢のそれとよく似ているが」

 

 言われて、霊夢は霊華の服装に目を向けた。霊華と出会った時から感じていたが、霊華の服装は、確かに自分の着ている物とよく似ている。違う点と言えば、全体的に色が白であり、ところどころに黒くてあまり太くない線が入っているくらいだ。ちなみに霊華は今リボンをしているが、そのリボンは自分が与えたものだ。

 慧音に問いかけられて、霊華は困ったような顔をした。

 

「わかりません。この格好の理由も、思い出せないんです。本当に、ほんの少しの事しか覚えていなくて……」

 

 慧音はもう一度「そうか」と言った後、溜息を吐いて霊夢に顔を向けた。

 

「すまないが霊夢。私も霊華のような人物に心当たりはない。そもそも何でそのような薄暗い場所にいたのか、わからないんだが」

 

「私に聞かれたってわからないわよ。霊華がどこから来たのなんて。というか、あんたを尋ねてわからないと来たら、誰に尋ねればいいのかしら」

 

「そうさな……私も街の者達や知り合いに霊華について尋ねてはみるが、知る者が現れる可能性は低いだろうな。それに、その様子だと霊華はどこに住まう予定かも決まっていないのだろう」

 

 霊夢は頷いた。そもそも、慧音の元へ相談に来たのは、霊華の記憶に関する情報を慧音が持っていないか確認するのと、霊華を今後どこに住ませるかを考えるためだ。

 

「そうなのよ。どこかに空いてる場所とかないかしら。宿屋とか、空き家とか」

 

「ないな。宿屋と言っても、いつまでも住ませるわけにはいかないし、空き家は最後の一軒に人が住み始めてしまったからな。その他の空き家は全て取り壊されてしまった」

 

 霊夢は思わず、懐夢の事について慧音に相談を持ちかけた時の事を思い出した。あの時も、懐夢を引き取ってくれる人がいなくて、結局慧音が引き取る事になり、そしてそれが自分の元へ廻ってきて、懐夢は博麗神社に住むようになったのだった。

 

「懐夢の時とほとんど同じ状況ね」

 

 慧音は頷いた。

 

「そうだな。この状況は懐夢と出会った時を思い出させる。どのみち、住める場所は街にはないよ」

 

「そうなの。困ったわねぇ。他に住めそうな場所っていえば」

 

 霊夢が上に顔を向けて考え出した直後、懐夢が霊華の方へ身体を向けて、声をかけた。

 

「あの、霊華さん」

 

「なぁに、懐夢」

 

「住むところがないなら、博麗神社でぼく達と一緒に暮らしませんか」

 

 霊夢と慧音は吃驚して、慌てて懐夢の方へ身体を向けた。霊夢が懐夢に焦った様子で言う。

 

「か、懐夢!? 何を言ってるのよ!」

 

 懐夢は構わず続けた。

 

「ぼく達の博麗神社には、ものすごいお金があります。ですから、霊華さんが住む事になってもどうって事ないです」

 

 霊華が驚いたような顔になり、懐夢へ問い返す。

 

「貴方達、そんなお金持ちだったの?」

 

「はい。霊夢が八俣遠呂智っていう魔神を倒した時の報酬金で、向こう十何年は暮らしていけるんです」

 

 うっかり八俣遠呂智の事を口走る懐夢に、霊夢は慌てて懐夢に制止をかける。

 

「ちょっと、懐夢!? 八俣遠呂智の事はそんな気軽に話しちゃ駄目よ!」

 

 その直後だった。霊華は突然何かを思い出したかのような顔になって、すぐに何かを考え込んでいるかのような顔になった。

 

「ヤマタノオロチ……ヤマタノオロチ?」

 

 三人はきょとんとしてしまい、霊夢が考え込んでいる顔のまま動かない霊華に声をかける。

 

「れ、霊華? 何か思い出したの?」

 

 霊華は顔を変えないで小さく口を動かした。

 

「何だか、聞いた事がある気がする。それも、かなりの頻度で、聞いてたような、気がする」

 

 霊夢は驚いた。ヤマタノオロチは名前こそ幻想郷に幅広く伝わっているが、一般的に知られているヤマタノオロチは「八岐大蛇」と書かれる、自分の知る八俣遠呂智とは違うものだ。霊華の知るヤマタノオロチとはどちらのヤマタノオロチだろう。

 

「霊華、そのヤマタノオロチってどれの事?」

 

「どのヤマタノオロチって……?」

 

 やはり言葉だけではどちらなのか理解してもらえない。霊夢は慧音に「紙と筆を借りる」と言って机に上がっている筆を手に取り、近くにあった白紙に「八岐大蛇」と「八俣遠呂智」という単語を描き、霊華に見せつけた。

 

「こっちとこっちよ。両方ともヤマタノオロチって読むの。あんたの知るヤマタノオロチって、どっちのヤマタノオロチ?」

 

 霊華は二つの単語を交互に見て、あっと声を上げて紙を指差した。

 

「こっちよ。何となくだけど、そっちのヤマタノオロチを、知ってる気がする」

 

 霊夢は霊華の指差すところを見た。そこには「八俣遠呂智」という単語があった。

 この八俣遠呂智は、大賢者によって隠されていて、この前自分が討伐した真の八俣遠呂智だ。そして、この八俣遠呂智の歴史の残る場所は、幻想郷では二つだけだ。一つは霊紗と忌まわしい天狐がいた神秘の街、天志廼。そしてもう一つは、カルト集団によって滅ぼされてしまった、懐夢の故郷である村、大蛇里だ。自分達の知る八俣遠呂智を知っているという事は、霊華は天志廼か大蛇里、この二つのどれかの出身と推測できる。しかし、霊華は懐夢のような藍色の瞳の人を知っていると言っており、自分達の中では藍色の瞳の人と言えば懐夢とその母親である愈惟の二人だけだ。いや、藍色の瞳の人など、この幻想郷にはごまんといると思うので、霊華の知る藍色の瞳の人は完全な別人達かもしれないが、もし霊華の知る藍色の瞳の人というのが懐夢か愈惟のどちらかなのだとすれば、八俣遠呂智の事を知っているという点と合わせて、霊華は大蛇里出身であるという可能性を導ける。憶測の領域を出ないが、霊華を連れて大蛇里の後に行けば、記憶を思い出させる事が出来るかもしれない。愈惟の日記を探しに行くついでに、連れて行った方がいいかもしれない。

 

「そう。あんたはこの八俣遠呂智を知ってるのね」

 

「えぇ。薄らとだけど、すごく凶暴な存在だって言うのはわかる」

 

 慧音が腕組みをする。

 

「あぁ。八俣遠呂智はその名に恥じぬ最悪の魔神だ」

 

 霊華は霊夢へ目を向ける。

 

「それを倒したって、本当なの、霊夢」

 

 霊夢は頷いた。

 

「えぇ。倒したって言っても、私ひとりの力じゃないけれどね。だから報酬金とかその辺りは私だけじゃなくて、他の皆にも与えなきゃいけないものだったはずなんだけど、私にだけ報酬金が支払われたわ」

 

 その時、慧音がにやりと笑んだ。

 

「それだけあるのならば、霊華を養うのは簡単だな」

 

 霊夢は吃驚して振り向き、慧音と目を合わせる。

 

「ちょっと慧音、あんたまで懐夢の意見に賛成なわけ!?」

 

 慧音は手を軽く振った。

 

「霊華は記憶を喪失しているから、誰かの力を借り、誰かに守られなければ生きていけない状態なはずだ。しかし霊夢、お前は八俣遠呂智という魔神を打ち倒した幻想郷最強の巫女。そしてその傍にいるのは博麗の巫女に匹敵する力を持つ守り人懐夢。この二人の元で暮らすのはこれ以上ないくらいに安全なはずだ」

 

 慧音は腕組みをする。

 

「それに、霊華は料理が出来ると言うじゃないか。その料理を、お前達は食べたのか」

 

 霊夢は口元に指を添えた。霊華の料理は想像を超えるほど美味しくて、悔しいが、自分よりも高度な料理の腕を持っているという事を理解させた。

 

「……すごく美味しかったわ。その人の腕は、私や慧音よりも上よ。悔しいけど」

 

 慧音は人差し指を立てた。

 

「ならば、霊華に毎日の料理をしてもらうという条件付きで暮らさせたらどうだ。お前達だって、美味しいご飯を毎日食べられるのは嫌な話ではないだろう?」

 

 霊夢は考えた。確かに、報酬金で稼いだ金はまだまだ山ほど余っているし、懐夢に加えて霊華を養っていく事さえ、軽い。それに、霊華の料理は毎日食べられると言われたら牛れしくなるくらいに美味しいものだった。だから、霊華を毎日料理を作ってもらうと言う条件付きで博麗神社に住ませると言うのは決して悪くない。それに、霊華を博麗神社に住ませるという提案をしたのはお人よしの懐夢だ。もしここで霊華を神社の外から出したなら、霊華は無事か、霊華は大丈夫かと心配を始めて、自分の生活もままならなくなってしまうだろう。しかも懐夢はかなり頑固なところがあるから、出来る事なのに何で出来ないって言うんだと起こり出し、聞かなくなってしまう事に違いない。もはや博麗神社に霊華を住ませないと言うのは不可能になったと同じだ。

 

 霊夢は一度溜息を吐いた後、霊華へ顔を向けた。

 

「霊華、あんたは?」

 

「え?」

 

 話をよく理解できていないような反応をする霊華に、霊夢は言った。

 

「私は懐夢の言う、博麗神社にあんたを住ませるっていうのに賛成よ。でもただで住んでもらうつもりはないわ」

 

 霊夢は霊華に顔を近付けた。

 

「あんたは料理が出来るし、しかも普通よりも美味しい料理が作れるみたいだから、あんたが私達に毎日料理を作ってくれるっていうんなら、私はあんたを住ませようっていう気になるわ。あんたの意見はどうなの」

 

 霊華は少ししどろもどろした後、頷いた。

 

「料理をすることに抵抗はないわ。それに、もしかしたら料理をしているうちにいろいろ思い出してくるかもしれない。もし、料理をする事に引き換えに住ませてくれるなら……その条件を呑み込もうと思う」

 

 霊華の言葉を聞くや否、懐夢は霊夢に顔を向けて、目を輝かせた。

 

「って事は霊夢!」

 

 霊夢は苦笑いして、むすっと息を吐いた。

 

「えぇ。霊華と一緒に暮らしましょう。これからは三人暮らしだわ」

 

 懐夢はぱあっと顔を明るくして、霊夢に礼を言った。

 

「ありがとう霊夢!」

 

 その直後、霊夢は顔を険しくして、霊華に声をかけた。

 

「ただね、霊華。私はちょっと気になる事があるのよ」

 

 霊華は霊華に目を向けて、首を傾げた。霊夢は表情を変えないまま、霊華に問うた。

 

「あんたは私達の目の前に現れた時、ものすごい力を見せつけたわ。それを、今度でいいから、あれがもう一度できるかどうか、見せてもらいたいのよ」

 

「え、何でそんな事を」

 

 今、幻想郷には異変が起きている。それは今まで起きてきた弾幕ごっこで片付くようなものではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際の戦闘が起こり、街や村の住民に危害が及び、沢山の死傷者を出す、非常に危険な異変だ。この異変を解決して、幻想郷に平和を取り戻すには大きな力を持つ者が必要だ。その大きな力を持つ者が、もしかしたらあんたなのかもしれない、と霊夢が言うと、霊華は少し悲しそうな顔になった。

 

「そんな異変が起きていたなんて……そして、私がそれを解決させるための鍵になるかもしれないのね」

 

「そうよ」

 

 霊華は困惑したような顔になった。

 

「だけど、そんな事を言われたってわからないわ。私、その時の事すら覚えてないもの。力を発揮させるのも、力を放つのも、どうやればいいかわからない」

 

 それについては、霊夢はもう対策を考えていた。霊華はあの時空を飛び、自分の放つ霊符「夢想封印」に似たスペルカードと思われる術を放っていた。恐らく、霊華のあれは自分のスペルカードと、もっといえば懐夢の持つ霊符「夢想封槍」とほとんど同じ発動方法(メカニズム)で発動しているものに違いない。霊華が記憶の欠損によって放つ事が出来なくても、自分達の術の発動させ方を教えてやれば、発動できるかもしれない。

 

「その時は私と懐夢に任せなさい。何にせよ、あんたの持つ力は絶対に必要になると思うのよ。だから、発動させ方がわかったなら、私達の異変の解決に協力してほしい」

 

 霊夢が凛とした声で言うと、霊華は少し戸惑ったような仕草をして、何か決心を固めたような顔になって、霊夢に頷いて見せた。

 

「わかったわ。どうなるかわからないけれど、もし私の中に大きな力があるんなら、霊夢の力になっていきたいと思う。そんな異変が起きてるのは、放っておけないもの」

 

 霊華の決心の固まった表情を見て、霊夢は頼もしさを感じながら、軽く御辞儀をした。

 

「恩に着るわ」

 

 霊夢が顔を上げた直後、霊夢と霊華のやり取りをじっと見つめていた慧音が、霊夢に言った。

 

「異変と言えば霊夢。この前の異変についてだが」

 

 霊夢は慧音の言葉に即座に反応し、振り返って慧音と顔を合わせ、噛み付くように言った。

 

「何かわかったの!?」

 

「あぁ。お前の運んできた防衛隊の青年が目を覚ましてな。他の者達が事情を聞いたそうで、私に報告してきてくれた」

 

「それで、彼らは何て」

 

「まずはそこへ至る経緯を話そう」

 

 慧音は防衛隊の者達から聞いた話を霊夢に伝え始めた。

 黒い犬の<黒獣(マモノ)>が現れ、防衛隊長が殺された数日後。防衛隊は戦死した隊長の席を埋めるべく、当時最も戦闘能力、及び指揮能力に秀でていた、霊夢に助けを求めにやってきた青年を隊長に選んだ。しかも、その他の者達も苛烈な戦いを生き抜いたとして昇格。しばらくの間、防衛隊を昇格の喜びを噛み締める者達の祝勝の雰囲気が包み込んだ。しかしそれから数日経った後に、異常な出来事が起こり始めた。隊長となった青年が突如として妖怪退治の依頼を受けて、下級妖怪達を惨殺に近い形で殺し始めたのだ。そんな事をするような性格ではなかった青年の豹変ぶりに防衛隊の者達は驚き、青年にこんな事は止めようと言った。青年は聞き入れのいい性格であったため、自分達の意見を聞き入れて、虐殺をやめてくれるに違いないと、防衛隊の者達は信じた。しかし、青年は皆の意見を聞き入れずに妖怪退治という名の凶行を続行。そのまま、防衛隊から姿を消してしまったそうだ。しかも、その時に姿を消したのは青年だけではなく、以前黒犬の<黒獣(マモノ)>となって前隊長を殺した女性隊員も同時に姿を消したらしい。あまりに突然の出来事に防衛隊が混乱する最中、周辺の村から黒い翼を持った異形の化け物を見かけたという情報が入り、防衛隊はその場所に派遣された。……どんな妖怪が現れたのかと思って、胸の中に恐怖と不安を抱いて駆けつけた防衛隊を待っていたのは、誰も想像していないものだった。そこにあったのは、バラバラになった女性隊員の遺体と、それを貪り喰らうあのグリフォンだった。

 

「そ、そんな事があったんですか」

 

 懐夢が顔を少し青くすると、慧音は頷いた。

 

「そうだ。そのグリフォンはその後すぐに逃走を図ったらしい。しかし、それがまさかあいつだったとは、誰一人予想していなかったよ。私もな」

 

 霊夢が手で顔を覆った。

 

「あの女の人が殺されたなんて……それで、グリフォンの中から出てきたあの人は、なんて言ってたの」

 

「あぁ……何でも、前隊長を殺した妖怪が許せなくて仕方なくなり、仇討のつもりで殺しを続けていたそうだ。そしてそれを続けた結果、いつの間にか頭の中が真っ白になっていて、気が付いたら<黒獣(マモノ)>になっていたそうだ」

 

 霊夢は顎に手を添える。元はと言えば、彼が<黒獣(マモノ)>になった原因は、以前<黒獣(マモノ)>になって前隊長を殺した女性隊員だ。そしてその女性隊員もまた、前隊長への憎しみから<黒獣(マモノ)>へ変化した。負の感情が<黒獣(マモノ)>を生み、生まれた<黒獣(マモノ)>から更なる<黒獣(マモノ)>が生まれる。明らかに、連鎖が起きている。

 

「<黒獣(マモノ)>も一般人から見れば妖怪だから、妖怪への憎悪が彼を<黒獣(マモノ)>に変えたって事ね。そして、彼をそんなふうにさせたのも、<黒獣(マモノ)>になった女性隊員だった……何なのよ、この負の連鎖(マイナススパイラル)は」

 

 慧音が髪の毛をくしゃっと掻く。

 

「<黒獣(マモノ)>は負の連鎖を起こす存在だ。<黒獣(マモノ)>が負の感情を人に抱かせれば、負の感情を抱いた人が次の<黒獣(マモノ)>になる。一刻も早く、止めなければならない連鎖だ」

 

「そうね。それだけはわかってる。早く、この異変を終わらせないと」

 

 霊夢は俯き、小さく言った。

 

「そして……<黒服(クロ)>を倒さないと」

 

 一瞬何かを呟いた霊夢に、慧音は首を傾げる。

 

「なんだって?」

 

 霊夢はハッとして顔を上げた。そうだ、<黒獣(マモノ)>の根源は<黒服>だが、まだ<黒服>の事は誰にも教えてはいけない。<黒服>は自分と同じ姿をしているし、何よりいつどこに現れるかわからないうえに、どこを拠点にし普段どこにいるのかわからない神出鬼没な存在だ。もし<黒服>の事を教えて捜索包囲網でも作ろうものならば、姿を現さなくなり、異変が解決できなくなる恐れがある。だから、迂闊に<黒服>の事を他人には教えられない。……<黒服>が自分以外の他人の前に現れれば、教えざるを得ない状況にあるかもしれないが、今のところそれは確認されていないため、必要はない。

 

「なんでもないわ。とにかくこの異変は終わらせないといけないわ。早く、神社でぐうたら……いいえ、懐夢や霊華と平穏に暮らせる日々を取り戻したいしね」

 

 懐夢が頷く。

 

「そうだね。こんなひどい異変は、早く終わらせないといけない」

 

 霊夢と懐夢を交互に見て、慧音は穏やかに笑った。

 

「全く、お前達は本当に頼もしいな。お前達ならば、どんなに異変も終わらせてしまえると思ってしまうよ。私も、この異変の解決のためならば全力を尽くすつもりでいるから、私の事も少しは頼ってくれよ。お前達は、決して一人ではないのだからな」

 

 霊夢と懐夢は頷いた。


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