東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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10 記憶喪失

「待っててね、今できるから」

 

 霊夢と懐夢は台所の椅子に腰を掛けて、料理のいい匂いを嗅ぎながら、白くて長い髪の毛をポニーテールの形に纏めて、ご機嫌な様子で料理に取り組んでいる霊華の後ろ姿をじっと見つめていた。そして今、霊華は料理を終えたのか、調理台から離れて二人の元へやってきて、料理が入っていると思われる皿をテーブルの上に置いた。

 

「はい、出来たわよ」

 

 皿の中には出来たばかりの肉じゃがが湯気を立てて、じゃが芋、肉、人参などの食材、味醂や醤油といった調味料を混ぜ合わせたいい匂いを放っている。それを見るなり、懐夢は目を輝かせる。

 

「うわぁ、美味しそう!」

 

「肉じゃがの作り方だけは覚えていたみたい。さ、冷めないうちに食べちゃいなさい」

 

 皿の中にこんもりと盛られている肉じゃがを見て、霊夢も懐夢と同じ気持ちになり、ごくりと唾を飲み込んだ。霊華が料理をしている様子は覗き見とほとんど同じ形で見させてもらっていたが、霊華はてきぱきと食材を切り分け、調味料も大匙と小匙を使って丁寧にはかり、鍋の中に入れているなど、料理に手馴れている様子を見せつけてきた。あの時の様子から察するに、霊華はそこそこの腕前を持っているらしい。

 だが、霊夢にとってはそんな事はどうでもよかった。

 

「あのさ、霊華」

 

 霊華が首を傾げて、霊夢へ顔を向ける。

 

「どうしたの、霊夢」

 

「どうしたじゃないわよ。何で私達があんたに料理を振る舞われてるわけ?」

 

 一番最初は、自分と懐夢で料理を作り、空腹の霊華に食べさせるつもりだった。しかし、台所に霊華と一緒に入るや否、霊華は突然調理具と食材、調味料を探し始め、一通り見つけるなりそそくさと調理を開始。その時には霊夢が制止に入ったが、霊華は座っていなさいと霊夢と懐夢に一喝、二人は渋々椅子に座り、霊華の調理が終わるのを待つ事になったのだった。

 霊華は困ったような顔をした。

 

「もしかして、肉じゃが嫌いだった?」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「肉じゃがは好きよ。そうじゃなくて、何であんたが料理をして、私達が料理を振る舞われている状況になったかって聞いてるのよ。そもそもあんた、何で記憶ないくせに料理なんかできるのよ」

 

「何でって……台所に入ったら料理の記憶が出てきて、料理をしたくなってたまらなくなったんだもの」

 

「それで本来料理をするはずの私達を押しのけて料理を始めた、と」

 

「そう」

 

 霊華が恐る恐る霊夢に尋ねる。

 

「もしかして、そんなに料理がしたかったの」

 

「そういうわけじゃないけれど、あんたがいきなり――」

 

 言いかけたその時、隣に座る懐夢が割り込むように言った。

 

「まぁまぁ落ち着いて。せっかく霊華さんが作ってくれたんだもん。食べようよ、霊夢」

 

 霊夢が小さく懐夢の名を呼んだ後、霊華が少し不安そうな表情を浮かべた。

 

「味見をして作ったけれど、口に合うかしら。何なら私が先に食べようかな?」

 

 霊夢は首を横に振り、テーブルの上に乗せられている自分専用の箸を手に取った。

 

「いいわよ、私が食べてみる」

 

 そう言って、霊夢は器に盛られている肉じゃがの中のじゃが芋を取り、静かに口に運んだが、直後に驚いた。味付けの仕方は自分とは違っているが、調味料の量がこれ以上無いと思えるくらいに適切で、しかもじゃが芋本来の味もうまくからまっており、じゃが芋そのものも食べやすい固さだった。見た時は、どんな味なのかと思っていたが、まさかここまで美味しいとは思ってもみなかった。もしかしたら、自分の作る肉じゃがよりも、ひょっとしたら母が作っていた肉じゃがよりも美味しいかもしれない。

 

「……美味しい」

 

 霊華と懐夢が霊夢へ目を向けると、懐夢が箸を取り、目の前の肉じゃがに箸を伸ばして、口に運んだ。直後、懐夢は目をまん丸くした。

 

「本当だ、すごく美味しい!」

 

 霊華は二人を交互に見て、安堵の溜め息を吐いた。

 

「よかった。口に合わないんじゃないかって思ってはらはらしてたけど、そうじゃないみたいだから、安心したわ」

 

 そう言って、霊華は椅子に座り、箸を手に取ると、テーブルに置かれている自分の分の肉じゃがを静かに食べ始めた。かと思えば、すぐに食べるのを止めて、呟いた。

 

「うん、やっぱり思ったとおりの味だわ。よかった」

 

 霊夢が肉じゃがを食べながら、霊華に声をかける。

 

「霊華、あんたかなりの料理上手みたいね。美味しいわ、あんたの料理」

 

 懐夢が続く。

 

「本当です。箸が止まらなくなっちゃいそうです」

 

 霊華はころころと笑った。

 

「ありがとう。でも、どうしてこんなふうにご飯が作れるのかは思い出せないの。ただ、料理の仕方がわかるだけなのよ」

 

 霊夢はふぅんと言った。

 

「あんたは何者だったんでしょうね。全く想像がつかないわ」

 

「私も、全然思い出せない。自分がどこで何をしていたのか……」

 

 霊夢が肘をつき、霊華が俯くと、懐夢が霊華に声をかけた。手には空になった器を持っている。

 

「霊華さん、おかわりしていいですか」

 

 霊夢と霊華は一瞬きょとんとしてしまった。しかしすぐに霊華は顔に笑みを浮かべて、懐夢の手に持たれている器を受け取り、立ち上がった。

 

「おかわりね。ちょっと待ってて頂戴」

 

 霊華が調理台に向かい、こちらに背を向けると、懐夢がもう一度声をかけた。

 

「あの、霊華さん。霊華さんが記憶を失うまで何をしていたのかはわかりませんが、きっと霊華さんは悪い人じゃなかったと思うんです」

 

 霊華は手を止めた。

 

「……どうしてそう思うの」

 

 懐夢はにっこりと笑った。

 

「だって、霊華さんの料理は美味しいじゃないですか。美味しい料理を作れる人は、悪い人じゃないと思うんです」

 

 霊夢も同じ気持ちだった。懐夢の言うとおり、本当の悪人は美味しい料理を作る事は出来ない。いや、作れるかもしれないが、霊華の心から美味しいと思えるような料理を作る事は出来ないだろう。

 

「懐夢と同意件よ。あんたは悪い人じゃない。悪い人に、あんたが作る料理みたいな料理は作れない」

 

 霊華はそっと微笑み、懐夢の器に肉じゃがを盛ると、テーブルに戻って懐夢に器を手渡した。

 

「ありがとう二人共。そう言ってもらえると、何だか安心する」

 

 二人は霊華に微笑んだが、すぐに霊夢が小さく呟いた。

 

「あとは慧音に相談ね。何か手がかりを見つけられればいいのだけれど」

 

 直後、霊華が懐夢に声をかけた。

 

「懐夢、おかわりするのはいいけれど、あまり食べ過ぎるのは駄目よ。女の子は太ると大変なんだからね」

 

 懐夢と霊夢は目を点にした。

 霊華は続ける。

 

「それに、女の子の一人称がぼくっていうのも少しおかしいわ。せめて「わたし」にした方がいい。

 でも髪の毛はかなり綺麗ね。よく手入れしてるみたいだし」

 

 霊夢は懐夢と顔を合わせた。……霊華はどうやら懐夢の事を女の子だと勘違いしているらしい。確かに自分も初めて懐夢に会った時には、顔の形と少し長い髪の毛から、一瞬女の子かと思ったけれど、すぐに男の子だと気付いた。しかし、霊華は懐夢が一人称が「ぼく」の女の子だと思い込んでしまっている。多分、自分が初めて懐夢と出会ったあの時よりも髪の毛が伸びて、より女の子と間違えやすい見た目になってしまっているからに違いない。

 

「だから、せめてその一人称をどうにかした方が」

 

 霊華が言いかけたところで、懐夢が割り込むように言った。

 

「あの、霊華さん」

 

「なに?」

 

「なんだか勘違いをされてるみたいなんですけれど、ぼく男です」

 

 霊華は飛び上がるように驚いた。

 

「えぇっ! 貴方、男の子だったの!? でもどこから見ても……」

 

 霊夢は溜息を吐いて、呆れたかのような顔になった。

 

「懐夢は確かに女の子っぽい外観をしてはいるけれど、れっきとした男の子よ。顔がすんごく母さん似の子なのよ」

 

 霊夢から話を聞くなり、霊華は目を細めて懐夢を見つめた。

 

「これが男の子……そこら辺の女の子よりも、女の子っぽい見た目してるんじゃないかしら」

 

「それはないと思います」

 

 その時、霊華は何かに気付いたような顔になった。

 

「あれ……」

 

 懐夢は首を傾げる。

 

「どうしたんですか」

 

 霊華は何も言わずに立ち上がり、懐夢の隣まで歩いて移動した。懐夢だけではなく、霊夢もまた突然移動してきた霊華に目を向け、声をかけた。

 

「どうしたのよ、霊華」

 

 霊華は何も言わずに、懐夢の藍色の瞳を覗き込むように見つめた。目を見つめられて、懐夢が少し戸惑った様子で霊華に尋ねる。

 

「霊華さん、なんですか」

 

 それまで黙っていた霊華が、口を開いた。

 

「懐夢、貴方の瞳の色は藍色よね?」

 

「はい。おかあさんと同じ藍色です」

 

 霊華は眉を寄せた。

 

「なんだろう……貴方と同じ瞳の色をした人を、知ってる気がする……」

 

 霊華の発言に二人は驚いた。今のところ、自分達が知る中で藍色の瞳をしている人と言えば、懐夢と懐夢の母である愈惟だけだ。

 もしかしたら、霊華は愈惟を知っているのかもしれない。思い付くや否、霊夢は霊華へ声をかけた。

 

「それってもしかして、懐夢の母さんの事じゃ!?」

 

 霊華が「え?」と言うと、懐夢が大声を上げる。

 

「おかあさんを知っているんですか!?」

 

 霊華は戸惑い、懐夢から少し離れた。

 

「わ、わからないわ。ただ、藍色の瞳の人を知っているような気がするだけだから、本当に気のせいかもしれないし、失った記憶の中に、あるかもしれないし……とにかく、気がするだけで、何もわからない」

 

 霊夢は顎に手を添えて、考える姿勢を取った。霊華は今、人物や自分に関する記憶をほとんど失ってしまっている。しかし、断片的に覚えている部分があるらしく、そしてその中には、懐夢や愈惟と同じ藍色の瞳をした人を知っているという記憶がある。今のところ自分達が知る藍色の瞳の人は、懐夢と愈惟の二人だけ。そしてこの二人の共通点は大蛇里という今は滅んでしまった村で暮らしていた人である事だ。もし霊華の失われた記憶の中にある藍色の瞳の人というのが懐夢か愈惟のどちらかなのだとすれば、霊華は大蛇里にいたという可能性が出てくる。記憶を失った原因というのが、村が襲撃された時のショックや衝撃によるものだったとすれば、霊華は大蛇里の住民の生き残りだと考えても辻褄が合わなくない。だが、これらはすべて憶測であるため、事実ではない。いずれにせよ、慧音に相談に行かねば。

 

「わかったわ霊華。ひとまず、その件も覚えておきましょう。今は料理を食べてお腹を満たすのよ」

 

 霊夢が霊華を見つめて言うと、霊華は懐夢ともう一度目を合わせた。

 

「ごめんなさい、懐夢。いきなり睨むような事をしてしまって」

 

 懐夢は首を横に振った後、俯いた。

 

「ぼくの方こそごめんなさい。急に大声を上げたりして。とりあえず、ご飯を食べましょう。霊華さん、お腹が空いてるって言ってましたし」

 

 懐夢は肉じゃがの入った自分の器を手に取ると、霊華に差し出した。

 

「ぼくの分を、霊華さんにあげます。ぼくはもう十分に食べました」

 

 霊華は懐夢の顔を見てきょとんとしていたが、すぐに穏やかに微笑んで、静かに首を横に振った。

 

「いいえ、それは受け取れない。気持ちだけで十分だわ。それにね、懐夢」

 

 懐夢は首を傾げた。霊華は両手を腰に当てた。

 

「貴方はちょっと男の子としてはひょろすぎるわ。もっとしっかり食べて、お肉を付けなさい。男の子は大きくならなきゃ駄目よ」

 

 懐夢は先程の霊華と同じようにきょとんとして、すぐに笑んだ。

 

「わかりました」

 

「よろしい。それじゃ、私も食べようかな」

 

 そう言って、霊華は席に戻り、自分の分の肉じゃがを食べ始めた。その仕草と自分達との会話を見た霊夢の中には、霊華が悪人ではないと言う確証がすっかり出来上がっていた。

 

 

 

          *

 

 

 食事を終えた後、霊夢は懐夢、霊華と共に街へ向かった。霊華の事について、慧音に尋ねるためだ。今日は寺子屋の休校日だから、慧音も相談に乗ってくれるはずと思いながら、寺子屋を目指して霊夢は歩いた。

 午前十時の、客呼びの声と道行く人々の声と様々な音で賑わう街の中、行き交う人々の間を抜けながら、霊夢は霊華へ声をかけた。

 

「どう霊華。何か思い出せない?」

 

 霊華は辺りを見回した後、首を横に振った。

 

「何も思い出せないわ。大きな街ってくらいしか、わからない」

 

 懐夢が霊華に言う。

 

「霊華さんは街の人じゃないのかもしれませんね」

 

「わからない。ひょっとしたらそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……」

 

「とにかく早く寺子屋に行きましょう。慧音ならもしかしたら何か知ってるかもれないし」

 

 そんな話をしながら、霊夢達は街を進み、やがて寺子屋の前へとやってきた。休校日であるためか、いつも聞こえてくる学童達の元気な声は聞こえてこない。

 霊夢は二人を連れて寺子屋の中へと入りこんだ。墨、紙、木造建造物が持つ独特の匂いが漂う森閑とした寺子屋の廊下を進み、やがてある部屋の前まで来たところで、霊夢は立ち止まった。突然立ち止まった霊夢に、霊華が声をかける。

 

「ここは?」

 

「ここが相談相手のいる部屋よ」

 

 霊夢は目の前にある叩き慣れた戸に手を近付けて、こん、こんと二回叩いた。

 

「慧音、私だけど、いるかしら」

 

 教務室の中から、声が聞こえてきた。

 

「霊夢だな、入れ」

 

 霊夢は目の前の戸に手をかけて、静かに開いた。中には慧音がこちらに身体を向けて座っていたが、霊夢の後ろの方にいる懐夢と霊華を見て、目を丸くした。

 

「おや、懐夢も一緒か。それに……その人は?」

 

 


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